「日本に来たばかりの皆さんへ」

センター修了生 田中 久惠

 私は田中久惠と申します。5年前に中国から日本に来ました。中国帰国者センターで日本語を勉強して、それから7か月大宮自立研修センターで日本語を勉強しました。その後、ある診療所で看護婦助手として、1年間働きました。それから2年間働きながら准看護学校に通い、昨年の3月に無事卒業できました。今は看護婦として同じ診療所で働いています。

 皆さんが仕事を探す直接の参考になるかわかりませんが、私が看護婦の仕事をするようになった経緯について話します。

 私は中国でも看護婦をしていました。中国での仕事をそのまま日本でも続けられたのはとても幸運だと思います。日本に来たばかりの頃、父が自転車で転んで骨折し一緒に病院に行ったとき、看護婦さんが私たちに対して、差別もなく、親切に看護してくれて感激したことも、看護婦になろうと決意した理由です。言葉がわからなくて困っている中国の患者さんを助けたいと思いました。私も最初は言葉の壁があったので、看護婦の仕事を続けることを諦めていましたが、やる前に諦めずに積極的にチャレンジすることが大切だと思います。看護学校に入ってから、卒業するまでの2年間は決して順調だったのではなく、私の一人の力で卒業できたのではありません。周りのたくさんの人に助けてもらいました。センターの先生達は励ましてくださって、病院の皆さんが面倒くさがらずに何度も何度も同じ事を教えてくれました。また、学校のテストやレポートがある時には、ボランティアの日本語教室の先生方が夜遅くまで手伝ってくれました。このように力になってくれる日本人もたくさんいます。ですから日本にきた帰国者は困った時、自分一人で解決しようとせずに積極的に周りの人に相談して、自分の力になってくれる人を自分から見つけるように心がければよいと思います。
 看護学校を卒業したばかりの私は仕事に慣れていなかったため、とても辛い日々でしたが、いつか必ず仕事ができる日がやってくると信じて頑張り続けました。
 今はようやく少し慣れてきました。でも自分にとって決して満足ではありません。仕事中患者さんとコミュニケーションをうまくとれない、医師や同僚の看護婦に正確に情報を伝えられないなど様々な問題を起こしました。もし日本に生まれていたら、言葉の壁などなかったのにと落ち込みました。昨年、日本テレビで「中国の留学生」の番目が放送された後、私はとても胸に応えました。その主人公と比べると、とても恥ずかしくなりました。まだまだ努力が足りないと感じました。そして、私は今年
4月に定時制高校に入ろうと決意しました。もっと日本語を勉強して、日本の教育を受けて、いろいろな知識を学びたいと思います。日本にいる中国人は犯罪者など悪い人ばかりではなく、真面目に仕事をして頑張っている人がたくさんいるということも伝えたいです。また、「郷に入れば郷に従へ」ということわざのように日本人と仲良くお付き合いしたいと思います。言葉の不自由さなど乗り越えて、やりたいことがあったら、どんどんやってみたいと思います。そして、日本で明るく、元気で毎日過ごせるように心がけるつもりです。中国帰国者の皆さん、一緒に頑張りましょう。

※これは田中さんがセンターの後輩たちのために書いてくれた手記(2000年)を、許諾を得て掲載したものです。

中国語(GB2312)