抽出授業による日本語教育の果たす役割を考える

−公立小学校における日本生まれあるいは幼少期来日の中国帰国児童に対して−

高橋 朋子

1.はじめに
 1970 年代後半から、インドシナ難民、中国帰国者、日系人労働者などのニューカマ
ーの来日に伴い、日本の小学校に外国人児童が急増した。彼らを受け入れることにな
った小学校では、「国際学級」「日本語教室」と称した別学級を設け、教科学習につい
ていけるよう担任とは別の教師が日本語指導を行ってきた。彼らは、教師と日本語で
話せて読み書きができるようになると在籍学級へ戻るというのがパターンであった。
最近では学力保障だけでなく母語やアイデンティティなど日本語以外の問題にまでそ
の範囲を広げて年少者の日本語教育が捉えられるようになってきた。
 しかし、この数年ニューカマーたちの長期滞在、定住志向、結婚、就職などにより、
小学校に在籍する外国人児童に大きな変化が見られるようになった。それは、これま
でに見られなかった日本生まれの児童の増加である。彼らは先に述べた外国人児童と
違い、日常レベルにおける日本語会話力は日本人とほとんど変わらない。では、教科
学習においてもなんら問題がないのか?といえば実際はそうでない。現場からの報告
ではほとんどの児童が授業についていけず、脱落していくケースが多いという。それ
はいったいなぜなのか?本論では、ニューカマーの中の中国帰国者の子弟に焦点をあ
て、実際の小学校における「日本語抽出授業」の事例をもとに、今後ますます増加す
る日本生まれの外国人児童に対する日本語教育の果たす役割を考えたい。

2.先行研究と本論文の位置づけ
 これまでの先行研究では日本語を母語としない児童に対する言語教育はどのように
捉えられてきたのだろうか。

2.1 年少者の日本語教育の観点から
 文部省は、外国人児童を受け入れることになった全国の小中学校に対して、1992 年
度から「外国人子女教育の充実」政策の1 つとして教員の加配を実施した。「日本語能
力が極めて不十分であり、家族ともども日本の生活習慣に通じていない」子どもに対
して、「日本語指導や生活面、学習面での指導」を担当する教員を特別に加配iし、各学
校に「日本語教室」を設けたのである。
 現場では、試行錯誤を繰り返しながらさまざまな教材やアプローチが開発されてき
た。中国帰国者定着促進センターと東京学芸大が中心になって作成された「JSL カリキ
ュラム」iiや岡崎(2003)らが提案した「教科・母語・日本語相互育成学習」モデルiiiなど
がある。

2.2 バイリンガル教育の観点から
 子どもの言語発達及び第二言語習得の観点からは、「母語教育の重要性」が指摘され
ている。中島(1998)は、子どもの社会性の発達、感情や意志の伝達、知能の発達と
いう3 点から母語教育の重要性を強調している。また岡崎(1997)は、「母語を忘れ新
たな言語の下での認知面が保障されず、それまでに母語の元で獲得された認知能力が
引き続き発動される場を失う場合には、この子どもの認知面での発達は大きな障害を
受ける」と述べている。

2.3 本論文の位置づけ
 上記の先行研究では、対象である「外国人児童・生徒」は、日本以外の国で生まれ、
日本語以外の母語をもち、数年の学校生活を経て来日した子どもたちを指している。
彼らは来日(帰国)後、日本語を第二言語として習得し、異文化として日本文化に接
触したために、葛藤や孤独、摩擦や不安などさまざまな感情とともに日本での生活を
送ることになる。
 しかし、現在のそして今後増えてくる児童は、日本生まれあるいはごく幼い時期に
来日し、日本の保育園に通い、メディアや友人関係を通してごく自然に日本文化に接
してきた子どもたちで、これまでのような「母語、母文化の枠組み」で彼らを捉える
ことはできない。本論は、実際の小学校生活の中で縦断的に児童の様子を観察したデ
ータをもとに考察を行ったものであり、日本生まれの児童に対する今後の日本語教育、
母語教育、多文化教育、そして学校教育に示唆を与えるものといえよう。

3.中国帰国児童とは
3.1 中国帰国者

 南(2004)によれば、中国帰国者とは1972 年の日中国交回復や81 年の訪日調査の
開始を契機に、日本へ永住(帰国)、定住するようになった「中国残留日本人」やその
家族をさす。「中国残留日本人」とは、戦前、戦中に中華民国、関東州および「満州国」
に渡った日本人が敗戦直後の混乱の中で、さまざまな形で現地人の家に入り、58 年の
集団引き上げの中断により、日本へ帰国できずに、中国大陸に残留を強いられた日本
人たちをいう。中国残留日本人のうち、終戦当時13 歳未満だったものを中国残留孤児、
13 歳以上だったものを残留邦人と呼んでいたが、現在は総称して「中国帰国者」と呼
んでいる。
 1982 年の中国残留孤児の帰国事業着手により、戦後中国大陸に取り残されていた
人々の帰国が始まった。これまで国費で帰国したのは約6,000 世帯で19,000 人、私費
の呼び寄せなどで帰国した人はその5倍以上といわれている。国費帰国者には政府か
らいくらかの支援が行われているが、私費の場合は友人や親戚に頼って日本での生活
をはじめる人がほとんどのようである。帰国者には集住傾向があり、筆者が観察して
いる小学校においても帰国者はほぼ全員近隣の市営団地に集住している。

3.2 中国帰国児童
 中国帰国者のうち、小学校に通う子どもたちを「帰国児童」、中学校、高等学校に通
う者を「帰国生」と呼んで区別している。日本の公立小学校に通う外国人児童の総数
は約19,000 人であるが、そのうち中国語を母語とする児童の数は4,913 人と、ポルト
ガル語についで多い。(「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する
調査(平成15 年度)」)本稿では、この帰国児童に焦点をあてて論を進める。

3.3 中国帰国児童の変遷
 「帰国児童とはどのような児童を指すか」がこの数年で変わってきていることを改
めて強調したい。

 図1にもあるように、帰国が始まった80 年代から90 年代までの帰国児童は、中
国で数年の学校生活を経験している。つまり、中国語が母語で、日本語は第二言語に
なる。帰国当初は日常の日本語会話もままならず、友人関係を構築すること、学校文
化に慣れること、教科学習についていくこと、進路のことなど日々葛藤や不安、悩み
と戦いながらせ生活してきたのである。
 一方、99 年以降の児童は、日本生まれあるいはごく幼い時期に来日しているため、
母語ivは中国語でありながら、早い時期から保育園で日本語に触れ、二言語環境に育つ。
小学校に上がるころには日本語の方が流暢になる子どもたちも多い。さらに、日本語
が流暢であるといいながら、現場からの報告によると、授業についていけない「お客
様」の子どもたちが多い。(西原 1996)筆者の観察対象校においても、「日本生まれ
なんだから、何の問題もない」という保護者の考え方が圧倒的で、中には「『帰国者の
枠組み』でくくらないでほしい」というような意見もあるという。
 このことは、これまで積み上げてきた外国人年少者日本語教育の枠組みでは、現在
の帰国児童たちを捉えきれないことを意味する。学力面、言語発達面、精神面、家庭
環境面などまさに新しい対応を迫られているのである。

4.本論文における主要概念
 次に、本論で使用する主な理論や用語の概念を説明したい。はじめに児童の言語能力に
関する枠組みとしてBICS とCALP、および二言語の相互関係を表す仮説として言語相互依
存仮説について述べる。

4.1 BICS とCALP
 児童の言語能力を測る1つの指標として、言語力をBICS とCALP の二つに分けて
考えたのは、カナダのバイリンガル研究者Cummins (1980)である。BICS(Basic
interpersonal communicative skills)は「生活(日常)言語」、CALP (Cognitive/academic
language proficiency) は「学習(思考)言語」とも言われている。子どもたちの日常会
話は問題がないのに、授業についていけない現象を説明するのに重要な概念である。
Cummins の「Range of contextual support and degree of cognitive involvement in
communicative activities (言語能力発達モデル)」を使って説明を行う。

 この図のX 軸は文脈依存度を表し、左か
ら右へその程度が高→低となっている。ま
たY 軸は認知力要求度を表し、上から下へ
その程度が低→高となっている。つまり4
つの象限うち、A は最も認知力要求度が低
く、文脈依存度が高い。友達と遊ぶ、買い
物をするなどの生活言語で行う活動がこ
こにあてはまる。一方D はもっとも認知力
要求度が高く、文脈依存度が低い象限で、
教室での教科学習など学習言語を使用す
る活動があてはまる。
 帰国児童はAにおける活動には問題がな
いが、Dにおける活動には困難を感じるの
である。

 BICS とCALP についてこれまでの年少者日本語教育では、1.CALP の習得過程
の途中で進路を決定しなければならない。つまり本人の希望や本来持っている学力よ
りも低い水準の学校へ進学しなければならない。2.多感な時期に「授業についてい
けない」という劣等感を生みやすい。3.言葉を通して他者と共感し、価値観を共有
していく時期にそれができにくい。4.思考能力など高度な言語能力が必要とする学
校教育内容についていけない(清田 2001 をもとに高橋加筆)などさまざまな問題点
が挙げられている。
 これらの問題点を考慮した上で、清田もいうようにCALP を単なる「学習言語」=
教科学習を理解する言語というだけではなく、その中身を再定義しなければいけない
時期に来ているのではないだろうか。

 教科学習に必要な言語能力を発揮するため
には、図3 のようにそれを支える基礎的な言
語能力が必要となる。日本生まれの帰国児童
に欠けているのは、教科学習を理解する能力
そのものというより、それを発達させるため
の基礎力ではないのだろうか。帰国児童への
言語教育を考える際に十分留意する必要があ
る視点だといえるだろう。これまでの外国人
児童に対する日本語教室での日本語教育は、
生活言語の獲得がゴールになっており、「授業
についていく」には生活言語のみでは不十分
であるという太田(1996)の指摘も忘れては
ならない

4.2 言語相互依存仮説
 Cummins が提唱したもう1つの仮説、言語相互依存仮説(Cummins 1984)につい
て説明する。これは、「2つ以上の言語を使用する場合、第一言語の基底にある部分が
第二言語に移転する。特に学習言語において顕著である」という考え方である。この
仮説は以下の二言語相互モデルによって図示することができる。
 言語に関係なく、深層にある共通した部分があり、それを日本語として表出するか、
母語として表出するかの違いはあるが、共通した部分が発達すれば両言語とも発達す
るというものである。この考え方は、バイリンガル教育においては、「母語が発達すれ
ば、第二外国語での学習の伸びも速い」という「母語教育の重要性」を示唆するもの
となった。先行研究にも述べた母語先行学習などはこの仮説を実践している。

 しかし、後にも触れるが、日本生まれの児童の場合、伸ばすべき母語も生活年齢相
当でないことが多く、母語と日本語をどのように発達、伸張させていくかが今後の非
常に大きな課題といえる。

5.研究の方法
 ここでは、観察した小学校の概要、観察方法および観察した帰国児童のプロフィー
ルについて述べる。

5.1 観察期間と観察方法
 K 市郊外にある隣接した2つの小学校で、2004 年4 月から2005 年1 月まで、各小学
校ともに週1 回ずつ、朝から放課後まで観察を行った。観察を行ったのは、帰国児童
の在籍する学級での授業、日本語教室での日本語抽出授業、中国語教室(1 校のみに存
在)での中国語授業、国際国流授業、始業式や学芸会などの行事、ALT による英語の
授業、京野菜を使った伝統匠の授業、公開研究授業、部活動、教職員を対象とした外
国人教育研修などである。学校内では録音録画が許可されていないため、メモを取り、
それをフィールドノーツとしてまとめた。
 インタビューも行ったが、これは、IC レコーダーを用いて録音が許された。インタ
ビューは、児童、両校の校長、教頭、副教頭、養護教諭、担任教諭、副担任教諭(低
学年のみ)、学びの先生(1 年生のみ)、日本語教室担当教師、中国語教室担当講師をは
じめ、児童が通っていた保育園の園長と担任保育士にも行った。また家庭訪問への同
行が許されたのでその際には保護者にもインタビューすることができた。

5.2 観察対象とした小学校の概要と児童
 本論では観察した2校のうち1校のデータを用いて考察を試みることにする。まず、
観察した小学校の概要を表1にまとめてみた。

表1 観察した小学校の状況

項 目

 

全児童数と帰国児童数

 367 名中23 名(全クラスに最低1人は在籍)

日本語教室

 抽出・教室入り込み

日本語教師

 常勤講師1名

放課後日本語教室

 ○(主に低学年)

中国語教室

 ○(週に1回1時間希望者のみ)

中国語講師

 中国人非常勤講師1名

国際交流授業

 ○(定期的)

文科省中国帰国子女等受
入れ指定校

 ○(平成11 年より3 年間)
 ○ 平成16 年からは地域センタ−校指定

 この表からわかるように全校児童のうち約6%が帰国児童で、年々減っているとは
いえ、K 市の小学校では最も多い。児童に対する日本語教育も必要に応じて、抽出や入
り込みの形で23 名中18 名に行われている。また、小学校では珍しく中国語教室も実
施されている。これは、保護者との家庭訪問で必ず出てくる「親子で会話ができない」
 「子どもと距離を感じる」という親の不安や心配を取り除くために、日本語教師が強
く実施を推した結果だという。また一般の日本人児童と帰国児童との相互交流学習の
時間も多く、定期的な日本語教室訪問、日本語教室開放、国際クラブでの料理や音楽
の交換なども頻繁に行われている。さらに帰国児童のアイデンティティ保持の願いを
込めて、運動会や生活発表会では、6 年生児童が中国語でアナウンス放送を行っており、
保護者には非常に好評であるという。次に帰国児童の詳細を見てみる。

表2 帰国児童の詳細

項   目

 

性別

男児10 名・女児13 名

学年別

1年

5名

(5名)

*( )は日本生まれ

2年

4名

(3名)

3年

4名

(0)

4年

3名

(2名)

5年

3名

(1名)

6年

4名

(0)

国籍

日本11 名・中国12 名

出生地

日本11 名 中国12 名

入学・編入前学歴

日本の保育園

18 名

中国の保育園

1名

中国の小学校

4名(5年1 名、6年3名)

    半数の児童が日本生まれであることがわかる。また入学前学歴を見ると、中国で生
まれていてもごく幼い時期に来日し、日本で保育園生活を送った児童は全体の約8 割
を占める。中国の小学校生活を経験したものは、わずか4 名、それも高学年に集中し
ており、低、中学年の児童はまったく中国の学校文化を経験していない。これらの児
童に対してどのような日本語授業が行われているのであろうか。

6. 日本語抽出授業の事例
 23名中18 名に行われている日本語抽出授業のうち、全員が日本生まれで日本の保育
園を経験、中国で集団生活を送っていない1年生5名のケースと、全員中国生まれで
はあるが幼少期に来日、日本で保育園を過ごした3年生4名のケースを観察すること
により、日常会話はできるが、学習言語に問題を持つ児童の日本語教育について考え
てみたい。

6.1 日本生まれでダブルリミテッドvの1年生5名の事例
 まず、5人の児童の言語的背景を表にまとめてみる。

表3  1 年生5 名のプロフィール

児童名

 出生地   入学前学歴   家庭内言語
 A 子
(B 子と双子)
 中国
 日本の保育園

(3 歳〜)

 中国語
 B 子  中国  中国語
 C 子  日本 
 日本の保育園

(1 歳〜)

 両親―中国語
 兄−日本語
 D 子  日本

        〃

 両親―中国語
 姉−日本語
 E 男  日本

        〃

 両親−中国語
 姉−日本語

 実際の観察から5 名の日本語能力について簡単に述べる。まず、語彙の側面では、
簡単な日常使用の単語を知らないことが多く、この学校で帰国児童を対象に毎年行わ
れている語彙力テストviでも5 名中4 名(A 子、B 子、C 子、D 子)は実際の生活年齢
に比べて語彙年齢が相当低いという結果が出ている。発音の面では、促音や濁音の発
音が苦手であり、ききとりを行うと「きて」←「きって」 などの表現が見られる。
また本読みをさせると文字を追って発音することはできるが内容はほとんど理解でき
ていない。表現の面においては、自分の意見をまとめる、それを発表したり、書いた
りする、クラスメートの意見を聞いて感想を述べるなどの活動が苦手であり、在籍学
級の授業では「お客様」として座っているだけのことが多い。
 担任の先生がD 子についてこんなエピソードを話してくれた。

朝の会で、お当番さんがきのうのことを1 分ぐらいで話すんですけどね、
D 子ちゃんが「きのうご飯を食べました」って言ったんですね。で、ほ
かの子がね、「どんなご飯を食べましたか」って聞くと、じーっとして
何も、いわへんかって、また「ご飯を食べました」っていうんですよ。
それで、「みんなはおかずが何かききたいんちゃうかな」って助け舟を
出したんやけど、やっぱり「ご飯を食べました」って繰り返したんです。
今おもたら(=思ったら)おかずの名まえが日本語でわからへんかった
んかな−と。                (2005 年1 月27 日 担任の話)

 また家庭訪問の際に(2004 年4月12 日)筆者がC 子、D 子、E 男の母親に絵本の読
み聞かせについてたずねたところ、どの家庭においても中国語、日本語ともに絵本が
家庭に1 冊もなく、また1 回も読み聞かせをしたことがないということであった。幼
少のころからことばに接する時間が量、質ともに少なかったことがわかる。これをブ
ルデューは「言語資本」より広い意味で「文化資本」において不利な状況におかれて
いるといえるだろう。(宮島 1999)
 この5 名に1 日1 時間、1 週間に4 日行われている日本語授業の実際は以下のようであっ
た。この授業は抽出授業の形態で行われており、対象児童は在籍学級の国語の時間に教室
を抜け、学校内に設けられている「日本語教室」に通ってくる。担任の話によれば、児童
が日本語教室へ向かう際には、他の児童が「いってらっしゃーい」と送り出し、帰国児童
も「いってきまーす」と喜んであいさつをして出ていくという。

 在籍学級での国語の授業との大きな違いは、導入部分に3 分の1 以上の時間が使われて
いることであろう。日付の言い方や天気の表現を全員が繰り返したり、今日の給食の献立
に使用されている野菜や調味料の名前を確認したり、それを使った料理を紹介したりする
のに多くの時間が費やされている。さらに行事などがあればその由来やどのようにしてそ
の行事を過ごすかなど、幼少期に家庭で親や親戚から学ぶチャンスをもたなかった子ども
たちに1から教える貴重な時間となっている。筆者が1 年間観察していく過程でも子ども
たちが「ひじき」「おくら」「切干大根」「チャンプルー」などのおかずや野菜名を覚えてい
く様子が観察された。

 本時では毎時必ず1 人1 人本読みをする。意見を述べたり、感想を言ったりするほか、、
みんなの前で発表する時の立ち方や声の大きさ、定型表現「私は〜思いました。みなさん
はどうですか」の練習など、在籍学級での授業へ積極的に参加するための予備練習の時間
になっていると感じた。在籍学級では無言でいる児童も、3 ヶ月を過ぎるころから、日本語
教室では大きな声で言いたいことを言えるようになっていた。
 さいごにまとめとして宿題が出され、絵本の読み聞かせが行われる。日本語教室担当教
師の話では「この子たちは、小さなころから絵本に接する時間が本当に短いのです。日本
語教室でそれが少しでも埋められたら、と読み聞かせをしています」ということであった。。
絵本の貸し出しも同様の意図で行われているのだが、筆者が見ている限り毎日子どもたち
は喜んで本を選び、貸し借りが行われていた。この小学校は、文部科学省の指定校であっ
たことも幸いして、帰国児童のために割り当てられる予算が多く、このように日本語教室
内に「文庫」を設けることができるという点では非常に恵まれているといえるだろう。
次のデータを見てみる。

【データ1】 (2004 年5 月12 日3 時間目 日本語教室にて)
単元: ひらがな「かきくけこ」
先生 : じゃあ、かきくけこのつくことばをいってもらうので、考えといてください。
はい、A 子ちゃん//
A 子 : // はあい、からす。(大きい声で元気よく)
先生 : 次、E 男くんどうぞ。
E 男 : かため(非常に小さな声で)
先生 : うわあ、むずかしいかな。かためってなんですか。(ぐるりと見る)
C 子、B 子 : // 知らん 知らん
D 子 : // 知らーーん

データ中、B 子、C 子、D 子の発話に見られるように、友人が発言した言葉の意味を知らな
いことが多い。この時間内にほかに知らなかった単語としては「片手」「くまんばち」「く
ぎ」「けんだま」「工事中」などがあり、これらの語彙は、幼少時に絵本や遊び、生活の中
で獲得する基本語彙である。子どもは「言語の社会化」、つまり幼いころから周りの親や大
人の中で、ことばの模倣と使用を繰り返し、言語を獲得し、その社会で適切な社会性を育
んでいく(高橋2004)。つまり、彼らの語彙の少なさは、幼児時の生活体験の少なさに起因
しているといえるだろう。生活体験の少なさは、帰国した両親が経済的に苦しく、1 日中仕
事に追われる状況や日本語学習の場がなかったために日本語で絵本を読んだり話をきかせ
たりすることができないという日本語能力的な事情、また親自身も日本の生活や職場に慣
れるのに一生懸命で精神的に子どもの教育環境にまで気を配れないという背景、またある
親は教育に重きが置かれない中国の農村部出身であり、小学校しか出ていないため家庭で
教育を行う必要がないと思っているという事情など、いろいろな状況があわさった複合的
なものといえるだろう。これらは日本語教室に参加したからといって解消されるものでは
ない。しかし、学校でできること、家庭でできることがあるとすれば、学校での日本語教
室は時間数こそ少ないが、4.1で述べた新しいCALP の定義の底辺にあたる部分を少しず
つではあるが補う役目を担っていると感じる。これこそ日本生まれの帰国児童への日本語
抽出授業の果たす重要な役割であるといえるだろう。

6.2 幼少期に来日した3年生4名の事例
4 名の言語的背景を表にまとめる。

表4 3年生4名のプロフィール

児童名

 出生地   入学前学歴   家庭内言語
 F 男
 中国
4 歳で来日
 日本の保育園

(4歳〜)

 両親→F 中国語
F→両親 日本語
 G 男
 
 中国
 3 歳で来日
 日本の保育園

(3歳〜)

 両親→G 中国語
 G→両親 日本語
 H 男
 
 中国
 5 歳で来日
 日本の保育園

 (5歳〜)

 中国語と日本語
 
 I 子
 
 日本
 5 歳で来日
        〃
 中国語と日本語
 

 3 年生の4 名は全員中国で生まれているが、就学前に来日しているため、中国で学校生活
を送っていない。また就学前に1〜3年の保育園生活を送っているため、小学校入学時に
は日本語での会話がほとんど問題なくできたという。4 名のうち、F 男とG 男は家庭内コミ
ュニケーションがうまく機能していないという問題を抱えている。日本の教育を受け、日
本語が第一言語に変わり、日本化していく子どもに対して、いつまでも日本語ができるよ
うにならず、文化も思考も中国のままの親との間に大きな溝ができている。磐岩はこれを
剥ぎ取り型バイリンガルと呼んだが、家庭訪問のたびに保護者の悲痛な叫びが聞かれると
いう。日本語教室担当教師からは次のような話が聞かれた。

G 男くんは、親子の会話がまったくないんですよ。お母さんが中国語でしゃ
べりかけると「いや」「ききたくない」っていうそうです。

F 男くんは、お母さんに日本語で話しかけるとお母さんは日本語がまったく
できはらへんので、「何?」という返事になってしまうのがいやなのか、つ
まらないっていうて1 人でテレビを見ることが多いんです。お母さんはもう
帰国したいっていうてはって、でこのごろF 男くんは、宿題もしてこないし、
授業中の態度も悪いし、お母さんは毎日怒ってばかりで、親子関係が全然う
まくいってへんのですよ。

(2004 年4 月28 日 インタビューによる)

 G 男もF 男も一人っ子で兄弟はなく、親との関係がこのような状態であれば、家庭
に心の居場所はないといえるだろう。二人とも1 日中テレビやゲームをしているとい
うさびしい毎日を送っているようだ。児童の学校生活を考えるとき、家庭での支えは
精神的にも物質的にも経済的にも欠かすことはできない。
 観察データの中に、学校生活に必要な文具を買ってもらうよう頼めない児童の心の
 葛藤が表れている。

【データ2】 (2004 年4 月28 日4時間目 日本語教室にて)

      単元:「おみせやさん」
先生:アンダーライン引いて
    (G 男は、鉛筆が折れてしまっているが、そのまま書こうとする。)
先生:あれ、えんぴつ折れたまま書いたらあかん。別のないの?
G 男:(小さな声で、しかし悪びれずに)ない、1こしかない。
先生:1こ?1 本
G 男:1こしかないねん。折れてる。
    (略)
先生:次の時間は、クラスの友達に紹介するカードを書きます。明日クーピー持って
    きてください。
F 男:ない//
G 男: // 黒もない
先生:(びっくりしたように) えっ じゃあ買ってもらって
F 男:だって買ってくれへんもん
先生:(おかあさんに)言うたんか?(2人の顔をのぞきこむように)
F 男:(小さな声で)いうてへん。
先生:中国語で言うてる?
F 男:いうてへん。
先生:M 先生(中国語の先生)に聞いてみ。中国語でなんていうんですか。(とM 先生
    を見て)
M 先生:それを見せて、要??个,一定?我?っていってみて。
         (これがいるし、絶対買って)

 このデータからは、教科学習を遂行するために必要な文具を親に買ってくれるように頼
めない、頼んでいない児童の様子がわかる。児童数が30 名を超える在籍学級では、担任が
いくら留意してもクーピーを持っているか、鉛筆は削れているかどうかなど毎日チェック
するのは難しい。また、友人の面前で「買ってもらえない」ことを白状するのも児童にと
っては精神的な負担が大きい。同じルーツをもつ仲間同士である日本語教室だからこそ、
家庭での状況を赤裸々に話し、またどうすればよいかの指示を仰ぐことができるのであろ
う。これ以外にもデータの中では、教師が毎週金曜日には上靴を持って帰って洗うこと、
お弁当のおかずを遠足の前の日にお母さんにリクエストするために絵を描いてみること、
季節に合わない衣服を着ている児童にそれを教えることなど、日常の学校生活を無事に楽
しく送るための情報を提供する場所になっているのである。日本語教室は、彼らにとって
は日本語を学習する場所というだけではなく、学校生活を送るため最低限必要な情報を得
る場所にもなっているのである。
 F 男もG 男も在籍学級での算数の授業の観察時にはどこに座っているかわからないほどお
となしく「お客様」のように45 分座っているが、日本語教室へは鼻歌を歌いながらやって
くる。日本語教室が彼らにとって「居心地のいい場所」であることがよくわかる。また、
日本語担当教師はこの学校に赴任して8 年目であるが、彼らが2 年生のときに出産のため
に半年ほど仕事を休んでいる。産休の間、代わりにやってきた講師の先生を2 年生の彼ら
がボイコットし、黒板に背を向けて座ったり、「O 先生でないといやだー」と毎日どなった
りして、授業が存続できなかったという。

7.考察
 23 名の帰国児童のうち、1年生5名と3年生4名の2事例ではあるが、これらのデ
ータから、日本生まれあるいは幼少期に来日した帰国児童に対する日本語教室の果た
す役割を考えたい。
 まず、日常会話で使用する生活言語は流暢だが、教科学習を遂行する学習言語が発
達していない児童に対する学力補償の場となっていることを強調したい。本稿で提示
した新CALP の定義の底辺部分を補う重要な場所、つまりこれまでの帰国児童に対し
て行われていた日本語文法や語彙を学ぶのではなく、幼少期に家庭生活で学べなかっ
た日本の文化、風習、食べ物などをはじめ、在籍授業で授業に参加できるような準備
をする場所となっているのである。ここでの児童は生き生きと授業に参加し、発表し、
失敗し、絵本を読み、充実した時間を過ごしている。
 また、家庭や在籍学級でなかなか自分の居場所が見つけられない3年生にとっては
同じルーツを持つ仲間と先生との居心地のいい場所となっている。そこでは、学校生
活を送るための最低の情報を積極的に得ているようだ。中学年ともなると「自分でで
きるのが当たり前」と周りからは見なされがちであるが、親が日本の学校文化に精通
していない場合、給食のエプロンのアイロンがけやマスクの準備、上靴の洗濯、文具
消耗品の補充など、気がついてもらえないことが多い。それを教えてもらえる、また
自分から親に働きかけるようきっかけを得る場所になっている。充実した学校生活を
送るためには、教科学習だけでなくこのような側面も非常に重要であろう。

8.今後望まれる日本語教育の方向性と課題
 帰国児童を対象に今後の方向性を考えると、「教科学習についていける日本語能力の
育成」ひいては進学できる可能性を持てる日本語力の補償が何より大切であろう。そ
のためにもまず、日本語教室での授業の内容をより一層充実させていくことが先決だ。
現在行われているCALP の底辺づくりに加えて、「BI CS とCALP の統合」も考えられ
るだろう。 話し言葉、つまり日常使われる平易なことばで授業を行うという取り組
みであるが、この試みも成果を挙げているようだ。(斉藤、菅原2004)
 さらに、現在行われている中国語教室での中国語の授業も充実させていく必要があ
ろう。二言語相互依存仮説によれば、両言語を共に伸張させていくことが第二言語で
ある日本語の発達につながっていく。現在は1 週間に1 時間だけであるが、放課後や
土曜日なども利用して時間数を増やすこと、系統だったカリキュラムや教材を使用す
ること、子どもたちの母語保持のモチベーションを高めることなどを通じて充実させ
ていくことが肝要であろう。
 また児童に対する支援だけでなく、親や地域を含めた支援が望まれるだろう。日本
化していく児童に対して、職場でも日本語を話す必要がなく、1 日中無言で働き続ける
ことが多い親の頭の中にはいつまでも自分が受けてきた中国の学校教育が生きている。
親がもっと地域に入り込み、学校行事に参加し、日本の学校文化を体験できるような
機会を増やすことによって、子どもとの会話も増え、学校生活を送るために親がしな
ければならないこと、してあげられることに気がついていくのではないだろうか。そ
のために、頻繁な家庭訪問、放課後や休日の学校の開放、夜間の懇談会、中学校との
連携、中国語教室や料理教室への親の協力要請などまだまだできることがあるはずだ。
 最後に、帰国児童だけでなく、それ以外の日本人児童をも含めた多文化教育をもっ
ともっと推進し、帰国児童が胸を張って「帰国児童」であることを自慢できるような
環境作りを進めることが国際教育の第一歩であろう。

 

参考文献
Cummins, J.P. (1980) The cross-lingual dimensions of language proficiency: implications for
bilingual education and the optimal age question. TESOL Quarterly 14: pp175 -187
Cummins,J.P. (1984)
Bilingualism and special Education. Multilingual Matters
Cummins,J.P. & Swain,M .(1986)
Bilingualism in Education. Longman
Skutnabb-Kangas,T. (1981)
Bilingualism or Not: The Education of Minorities. Multilingual Matters

斉藤ひろみ・菅原雅枝 (2004)「話し言葉と書き言葉をつなぐ教師・児童間の相互作
   用―小学校の日本語教室における内容重視型の授業の分析を通して−」日本語教
   育学会秋期大会 研究発表

南誠(2004)「中国帰国者」の歴史的形成:年表 『中国残留日本人孤児の過去、現在、未
   来−「残留孤児問題」の総括と展望−』早稲田大学シンポジウム資料 pp11
宮島喬(1999)『文化と不平等―社会学的アプローチ』有斐閣
岡崎眸 (2002)「内容重視の日本語教育―多言語多文化共生社会における日本語教育の視点
   から−」『内省モデルに基づく日本語教育実習理論の構築』322-339 科学研究費補助金
   研究成果報告書
岡崎眸・清田淳子・原みずほ・朱桂栄・小田珠生・袴田久美子 (2003)「教科・母語・日本語
   相互育成学習」は日本語学習言語能力の養成に有効か.人文科学紀要、第56 巻、63-73.
   お茶の水女子大学
太田晴雄(1996)「日本語教育と母語教育−ニューカマー外国人の子どもの教育課題」『外
   国人労働者から市民へ−地域社会の視点と課題から』宮島喬・梶田孝道編 有斐閣
清田淳子(2001)「教科としての「国語」と日本語教育を統合した内容重視のアプローチの
   試み」『日本語教育』111 号 pp76-85
高橋朋子(2004)「日中同時発達バイリンガル幼児の2 言語混合」大阪大学留学生セン
   ター研究論集『多文化社会と留学生交流』pp76−85
Web 資料
同声同気 中国帰国者支援ホームページ http://www.kikokusha-center.or.jp/
文部科学省ホームページ 「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関
   する調査(平成15 年度)」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/03/04032401.htm

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i 在籍する外国人児童の数によって教員が加配されるかどうかも変わる。K 市では、児童数
が10 名以下の場合は非常勤講師が巡回、10 名以上の場合は常勤講師を1 名加配、20 名以
上なら2 名加配となっている。
ii JSL カリキュラムとは、「日常的な会話はある程度できるが、学習活動への参加が難しい
子どもたちに対し、学習活動に日本語で参加できる力(=学ぶ力)の育成をめざす」こと
をねらいとし、@日本語指導と教科指導とを統合 A学習項目を固定した順序で配置する
のではなく、生活背景、学習歴、日本語の力、発達段階などの多様な子どもの実態に応じ
て、教師自身が柔軟にカリキュラムを組み立てることを支援 B子どもたちの理解を促す
よう、直接体験等に基づいた学習を重視 C子どもたちが理解しやすい日本語を使い、表
現を工夫するなどの特色をもつトピック型カリキュラムである。
iii これまで行われてきた日本語学習のように、母語や教科と別々に日本語を学習するので
はなく、その中間に教科学習というブリッジを作り、相互に支えあう形で育成することに
より、母語能力の育成をも視野に入れた日本語教育の一例として効果をあげている。
iv Skutnabb-Kangas,T. (1981)によれば、どの言語を母語と定義するかについて1)出自
(origin :いちばん最初に習得した言語)2)能力(competence : もっとも熟知している言語)
3)機能 (function : もっとも頻繁に使う言語)4)アイデンティティづけ(identification : 自
分が母語だと見なしている言語)の分類が考えられる。ここで取り上げた帰国児童について
は、1)の出自、いちばん最初に習得した言語を母語としている。
v 佐藤は、外国人の子どもの言語能力について理論的には、@二重バイリンガル(日本語能
力も母語能力も十分という子ども)、A偏重バイリンガル(日本語能力はあるが母語能力が
十分でない子ども)、B偏重バイリンガル(日本語能力はおぼつかないが母語能力は十分と
いう子ども)Cダブルリミテッド(両方とも不十分な子ども)という4 タイプを想定して
いる。
vi ここで使用されている語彙力テストは、PVT(Picture Vocabulary Test)絵画語彙発達調査
(日本文化科学社)である。帰国児童の語彙力を測るためのテストではないが、ほかに妥
当なテストがないため、この小学校では数年前から1つの基準として用いている。

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『言語文化共同研究プロジェクト2004 言語文化教育の新しい視点』
   大阪大学大学院言語文化研究科 39-53 2005 年5 月20 日発行