『中国人就学生と中国帰国子女―中国から渡日した子どもたちの生活実態と言語』(風媒社、2010年6月)より一部抜粋

山田陽子(中国遼寧省瀋陽市「東北大学」日本語学部教員)


中国人就学生編より

1.中国人就学生への聞き取り調査結果(一部分)

 愛知県で聞き取り調査を行った中国人就学生62名の出身地は、中国各地におよぶ。最も多いのが広西壮族自治区、続いて福建省というように中国南部からの学生が多かった。そのほかでは遼寧省、黒龍江省などの東北部出身者が続く。また、調査対象者には中国の地方農村部、工業都市、観光都市からの出身者が多くいた。

表1 調査対象の中国人就学生プロフィール

性別 (人数)
男性

26

女性

36

合計

62

出身地

(人数)

広西壮族自治区

20

福建省

19

遼寧省

6

黒竜江省

6

上海市

4

その他

7

合計

62


*調査対象者(インフォーマント)62名の詳細なプロフィール(出身地・年齢・性別・学歴)は紙幅の都合上、省略した。

調査の結果、中国人就学生が最も難しいと感じているのは「聴解」であった。およそ2人に1人は、「聴解」の授業を難しいと感じている。この結果を、滞日期間別に表した。

表2 最も難しいと感じている科目(滞日期間別)


    滞日期間
科目

半年 1年 1年半 人数(人)
聴解

11

6

13

30

作文

0

6

6

12

文法

3

1

4

8

読解

3

2

3

8

会話

2

1

1

4

合計

19

16

27

62


質問「日本語学校で学ぶ目的は何ですか?」

表3 日本語学校で学ぶ目的

目的 人数(人)
日本で就職したいから

15

24.2

中国へ帰り、日本企業に就職したいから

13

21.0

中国へ帰り日本語教育や日中交流の職につきたい

8

12.9

日本で会社を経営したいから

6

9.7

将来、通訳の仕事をしたいから

5

8.0

中国で貿易会社を経営したいから

5

8.0

観光ガイドになりたいから(日中どちらでも)

3

4.8

不確定

7

11.3

合計

62

100.0


質問「困ったときに、相談する人は誰ですか?」

この質問に対する回答をまとめると次表のような結果になった。

表4 就学生の社会的ネットワーク(滞日期間別)

  半年 1年 1年半 人数(人)
家族 母親

3

1

5

9

父親

2

1

1

4

兄弟姉妹

0

2

1

3

祖父母

0

0

0

0

夫(既婚学生)

0

0

0

0

親戚

2

0

0

2

恋人

1

0

0

1

友人(中国人)

3

2

9

14

アルバイト先の中国人

3

5

1

9

アルバイト先の日本人

1

0

0

1

中国での勤務先の日本人

2

0

1

3

日本語学校の教師

1

0

1

2

警察

1

0

0

1

誰にも相談しない

0

5

8

13

合計

19

16

27

62

このように、困ったときに相談するのは、身近な家族や友人などの私的ネットワークが最も多い。


質問「日本に来て困ったことは何ですか?」

(滞日期間別就学生の主な自由記述回答を項目別に整理しまとめた)

(1)日本語学習の問題(ことばの面)

[来日して半年]

[来日して1年]

[来日して1年半]

アルバイト先で日本語が話せないために賃金や作業量の面で不利益を受けている学生がいる。差別体験に関しては、日本語学校の中で差別的な対応をされることはないが、アルバイト先での待遇面や仕事(アルバイト)探しの面で被差別経験をもっていた。
来日して1年くらいまでは、ことばがわからないとアルバイトで不利な立場に立たされることや日本語学習に困難を生じることが問題であったが、1年半になると日本人との交流ができないことを寂しく思うようになっている。

(2)経済面

[来日して半年]

[来日して1年]

[来日して1年半]

来日して1年くらいまでは、日本の物価高に悩むことが多いが、1年半になると大学進学資金に不安感をもつようになっている。

(3)生活面

[来日して半年]

[来日して1年]

[来日して1年半]

 来日して1年くらいは、日本の習慣や日本語学校の通学に慣れるのが大変だった。1年半になり日本人と交流をしたいと思うが、食事マナーに対する自信のなさから誘いを断ってしまう就学生の姿が浮かび上がった。

聞き取り調査からわかったことは、日本の大学・大学院・専門学校進学に際して就学生の困ったことのひとつが、受験情報(たとえば、大学の受験日、入学試験の方法、試験の難易度、受験に必要な学習内容、受験書類の入手方法等)の獲得が日本人学生に比べて困難なことである。そのような就学生のために日本語学校では進学説明会を開催しているところも多い。

2.追跡調査

生活の変化―中国人留学生の語りから

 中国人就学生の第1回目研究調査から1年が経過した。調査対象の学生62名は日本語学校を卒業し大学へ進学した。追跡調査した学生の内のひとりからの詳細な聞き取り調査で得られたデータをもとに、1年間の生活面・日本語学習面等の変化を考察する。この留学生(大学1年生)の語りをフィールド・ノーツに記録し文字化し整理したものを以下に引用する。< >は、筆者の質問を表わす。

聞き取り調査:実施日2009年1月3日
聞き取り方法:インフォーマル・インタビュー法、フィールド・ノーツに記録
調査対象者:中国人、大学1年生、23歳(女性)、中国東北部出身、渡日期間2年半、日本語能力試験1級合格者
使用言語と聞き取り時間数:日本語、5時間(休憩を含む)

(1)日本語能力の変化

<大学に入学して8カ月経ちましたが、日本語能力の面で、変わったと思いますか?>

 大学では、日本語学校と違って、自分の発言が少なく、ほとんど先生の講義をじっと聞いている。だから会話はあまり上達していないけれど、講義の内容をよく聞くことで、内容がよくわかるようになった。日本語学校のときは「聴解」がまったくできなかったけれど、大学に入学してからは聴解能力が向上したと思う。だから、今は「聴解」は簡単に思えて、「会話」が難しく思える。最近受けた日本語能力1級試験では、「聴解」がものすごくよくできた。うそみたいによく聞き取れた。日本語学校のときは「聴解」テープが速く思えて、まったく聞き取れず、困っていた。今は大学の講義でいつも先生の話をよく聞いているから「聴解」がよくなったのだと思う。日本語学校のときと全く逆になった。テレビ番組は、下に文字が出ればわかるでしょ。でも、日本人が興奮して、キャーキャー話すと聞き取れない。逆に、私は日本人のように興奮してキャーキャーと高い声を出して、日本語を話すことができない。いつも落ち着いた話し方になる。
大学の講義では、長い文章を速く読まないといけないので集中力が必要になる。「読解」が今、一番難しいと思う。講義を聞くだけでは、日本語が上手にならないので、講義中に先生が使用する単語も教えてほしい。それからもっと講義の中で日本の文化を教えてほしい。せっかく日本に来たのだから、日本の文化を学んでから帰りたい。先生はことばを明瞭に声に出してほしいし、板書も丁寧にしてほしい。何を話しているのか全然わからない先生もいるし、黒板に書く文字がぐちゃぐちゃで何を書いたのか全然わからない先生もいる。私たち留学生に対してはもっと努力してほしいと思う。じっと講義を真剣に聞いていてもわからないので、ものすごく疲れる。 
 この留学生は、大学に入学して8カ月経ち、「聴解」の能力が向上したことを自覚している。その一方で大学の授業で使うテキストの「読解」に困難を覚えている。

(2)日本語学校と大学における日本語教育の相違
<日本語学校と大学では、日本語教育の方法は違いますか?> 

全く違う。日本語学校はテキスト中心で、文法をしっかりと教え、毎日決まったカリキュラムのもとで学ぶ。学生ひとりひとりに厳しく指導し、日常生活で就学生が困らないような対応をとっている。大学では、指導よりも監督に重点が置かれているように思う。授業についてこれない学生は放任される。また週に2回しか日本語の授業がないので、あまり日本語の勉強にはならない。どちらかというと、プリントをもとに文章読解力中心の学習になる。たとえば、私が取っている日本語の授業では、日常のニュースを題材に、先生がプリントを作成して、そこに内容を問う質問が書かれている。最後にこのプリント教材を読んで、感じたことや考えたことをレポートのテーマとして出題される。

 日本語学校と大学の違いを、学生への「指導」と「監督」の違いであると留学生は語っている。

(3)留学目的
<あなたの当初の留学目的は達成できそうですか?>

     日本に来て大学に入学できたので半分達成した。大学卒業後、日本の会社で就職することが大切だと考えている。あるいは、中国で日系企業に就職すること。中国で大学に行っていたのを途中でやめて日本に来たので、きちんと日本で大学の学位を取得したいと思っている。日本の大学に入学して期待通りでよかった。就学生の頃と比べて心が成長したと感じている。子どもから大人になった気がする。日本語学校時代はアルバイトで苦労した。今は日本人の友人ができたし、ことばが通じるようになったので、電器店に自分で交渉してテレビも直してもらえ、自分の日本語能力に自信がもてるようになった。
     日本の大学に望むことは、先生に責任をもって教えてほしいということ。大学に入ってよかったことは、留学生支援センターがあること。困ったときは何でも相談に行く。日本語のこと、保険のこと、就職のこと・・・何でも相談に乗ってくれる。一番頼りにしている。

(4)ストレス
<ストレスは、就学生のときと比べて、現在はどうですか?>

     だんぜん大学に入ってからの方が増えた。だから、ストレスがたまると、国の母に電話してたっぷり話をする。パソコン画面で母の顔を見ながら、週に二回電話をしてゆっくり話をする。そうするとほっとできる。母は強い人間で頼りになる。中国では女の人は強いです。特に私の母は強い人です。

<なぜ、今の方がストレスを強く感じるのですか?>

     やっぱり大学内では、なかなか中国語でみんなとわーわー話せない。日本語学校では、同じ中国人がいっぱいいたからみんな中国語で思いきり会話して騒いでいた。毎日同じような規則正しい生活をしていたし、友だちや先生とも毎日何時間もいっしょにいた。まるで自分の家にいるような雰囲気だった。今は日本語学校が懐かしいです。毎日にぎやかで盛り上がってお祭りみたいだった。大学は講義を自分で選んで聞くだけだから・・・。毎日友だちと会えないし騒げないし・・・寂しい。

 このようにストレスの原因を寂寥感からと見る学生も多い。そのほかでは、将来の進路に対する不安感と中国の両親の期待に対する責任感が重くのしかかっているからと語る学生も多数存在している。

(5)定住意思
<日本に定住しようと思いますか。それとも就学生の時と同じように、定住する気持ちはありませんか?>

     変わらない。もともと中国で通訳になるのが夢。だから大学を卒業して少し日本の会社で働いてから中国へ帰りたいと思っている。このまま日本にずっと住む気持ちはない。

(6)日本人観の変化
<日本人に対するイメージは変わりましたか?>
(この場合の「イメージ」ということばは「印象」の意味で使用する)

就学生時代は、あまり日本人のイメージは良くなかった。今は、少し「信頼できる」けれど、あまり働かない「怠け者」というイメージがある。これまでは真に相手の日本人が「いい人」なのかどうなのか見抜く力がなかった。日本人は「本音と建前の人」というイメージがあったでしょ。また、すぐに私のことを見て、「あっ、中国人」という。人間を、すぐ国ごとに選別して先入観をもって話す傾向があるでしょ。留学生になると、大学の先生のイメージが日本人のイメージになっていった。大学の先生が皆「いい人」だから、今は日本人のイメージがかなり良くなっている。日本人の生活を見ていると、「日本人も結構大変だな」とわかってきた。今は日本人に同情しているんです。

学生の語りをまとめると、日本語学校生から大学生へと環境の著しい変化が、日本人観に多大な影響をおよぼしていることがわかる。
日本人に対するイメージの変化は、日本での生活体験の増大により日本人観察の余裕ができたことと社会的ネットワークの拡大、とりわけ大学教員との接触が開始されたことに起因している。調査対象者の通う大学では、「留学生支援センター」という大学制度下にある組織的支援制度が設けられていた。それとともに留学生に対する大学教職員の自主的な取り組みや心暖かい接遇が日本人観の好転に繋がっていることがわかった。

中国帰国子女編より(長野県下伊那郡泰阜村調査の一部)
社会学級    

 中国帰国子女は学校で日本語を学ぶが、親には日本語を学ぶ機会がない。日本語がわからない親のために役場や病院に子どもが付き添い通訳することもあった。親が日本語を覚えることができないために、子どもが先に日本語を習得し、家族と地域社会、家族と学校とを結ぶ役割を果たした。
1975年4月13日、泰阜村は中国帰国者に対し泰阜村立小中学校教師による家庭訪問指導をスタートさせた。学校教師の中国帰国子女家庭訪問により明らかになったのは、家族全員が中国語で家庭生活を送っていることである。これで教師は初めて、子女の日本語学習があまり向上していない理由がわかった。子女が学校で覚えた日本語を家庭で全く使用せずにいることに驚いた。
さらに中国帰国子女家庭訪問の結果、親世代の日本語能力の低さから親子が生活面で不便を感じていることがわかった。村の生活習慣とこれまで中国で過ごしてきた生活習慣とは大きく異なるため、早急に日本語学習や日常生活の支援を必要とした。とりわけ子どもが学校生活に慣れるためには家族の理解・関心・協力が不可欠である。子どもが学校教育で成果をあげるためには、親を含め家族全員の日本語教育もまた必要である。
泰阜村は中国帰国子女の言語事情を鑑み、成人と中学生・幼い子どもを対象とした中国帰国子女家族全員の生活・日本語学習支援を行なう社会学級を中学校内に開設した。義務教育児童生徒には小中学校に開設した特別学級で日本語教育を実施し、その家族には社会学級で生活指導と並行して日常生活に必要な日本語を重点的に指導した。まさに中国帰国子女の家族全員を対象とした教育体制を学校内に整備したのである。社会学級開設期間は1世帯当たり3カ月〜6カ月とし、この期間内に基本的な生活習慣・日本語能力が身につくような指導を目指した。指導方法は以下の通りである。
1週間に2回(火曜日と金曜日の午後2時より4時まで)、日本語のほかに生活の仕方や日本の諸制度について細かく指導を行なう。指導内容項目は、料理・洗濯・歯磨き・買い物・電気製品やガス器具の使用法・入浴の仕方(石鹸やタオルの使い方等)・金銭の数え方・生活費の計算・電話のかけ方・地理や地名・近所との付き合い・年中行事・礼儀作法・宗教儀礼・健康管理・生理衛生・保健制度など多岐にわたる。単なる日本語指導だけでは習得が難しいため、日常生活で必要とされることばを中心に根気よく指導することで、村内での定住生活や日本語習得に繋げるように工夫した。
社会学級では、帰国子女特別学級担当講師が自宅から丼・茶碗・皿・急須・湯飲み茶碗・椀など食器一式を持ち込み、食器棚に並べてみせ、それらを教材にして「生活に役立つ日本語表現」を一つずつ丁寧に繰り返し指導した。現物を見せながら幾度も練習を行なうことで、学習者の理解が促進され、動詞と動作が、あるいは名詞と食器の名前が一体となって頭に入り、日本語習得を促進する結果となった。これを機に実物教材の使用が帰国子女家族には効果的であることが認められ、日本語指導に活用されるようになった。このような社会学級における家族全員の日本語教育により、家庭での親子間に生じるコミュニケーションギャップという問題を解消することができ、子女は家庭生活・学校生活に自信がもてるようになった。
実際に社会学級で教えていたことばを3カ月間プログラムの中から見てみよう。帰国子女家族1世帯あたりの指導期間は基本的には3カ月となっている。1976年5月から7月にかけて実施された社会学級のプログラムから日本語学習の内容を抜粋したものが次表である。

      表5 社会学級指導内容1(昭和51年度、3カ月間6回)

月日

指導内容

 5月14日

日本語初級(色の名前)

 5月18日

日本語初級(野菜の名前)
日本語上級(敬語)

 5月28日

日本語上級(お金の計算)

 6月1日

日本語上級(お見舞いのことば)

 7月2日

日本語(泰阜村のことば)

 7月5日

日本語(野菜の名前の復習)

      表6 社会学級指導内容2
       [表5−6(泰阜南小学校、1977:17)をもとに筆者作成]

月日

受講人数

指導内容

5月14日

13

生活の仕方、日本の食べ物

  15日

13

買い物の仕方、近隣との付き合い方

  16日

12

洗濯の仕方、家庭経済

  24日

13

日本の社会、料理

  27日

9

健康管理、生活設計

  30日

9

入浴の仕方(実技指導)

6月3日

7

日本語、料理

自活への道

中国帰国者の「ことば」と就職は密接な関係がある。ある身元引受人は筆者に次のように話している。

 孤児らの求職活動の援助をしましたが、孤児らの就職は順調にはいきませんでした。職安で求職活動もしましたが、中国での孤児らの職歴、経歴を考慮して職場の斡旋をするということはなかったですね。帰国者に就職の世話をしようと、一緒に職業安定所に行くと、必ずといっていいほど「すぐ役に立つ人がほしい」と言われますね。ことばや生活習慣の違いから「帰国者には、即戦力がない」と断られましてね。すぐできる人、すぐ間に合う人がほしいんです。即戦力重視ですわ。だから、帰国者に早く日本語をマスターするように言うんです。そうすれば問題ないですよ。企業の担当者から「日本にたくさん失業者がいるのに、何でわざわざ帰国者を使わないといけないの」とあからさまに言われたことも実際ありましたよ。やっぱり、日本の生活習慣を早く身につけなければいけませんね。
それから、日本語の敬語の問題がありましてね。日本人は、目上の人には敬語を使います。帰国者にとっては、敬語が難しくて使えないんですよ。敬語を使わないといけないところで、敬語を使わないもんだから、上司が頭にくるわけです(山田、2006a:92)。

 企業は、即戦力を期待する。職を獲得するためには、日本語能力を身につけなければならないと身元引受人は指摘している。
社会学級で日本語を習得した帰国子女の両親には、正規雇用の道が開かれ、一家の生活を支えられるようになった。さらに社会学級での指導の結果、帰国子女家族の自立傾向が現れ、村民に頼らず自分たちだけで育児にも励み、買い物も何とかひとりでできるようになったのである。社会学級の試みは、帰国子女家族に生活力と自信を与え、村で自活して生きていく支えとなった。

(付記:抜粋した部分に小見出しを新たに付けた箇所があります)

参考・引用文献(50音順)

岩男寿美子・萩原滋(1988)『日本で学ぶ留学生―社会心理学的分析』勁草書房
小林弘二(1977)『満州移民の村 信州泰阜村の昭和史』筑摩書房
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南小学校(1983)『中国帰国子女教育10年のあゆみ』同小学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南小学校(1977)『当校における中国帰国子女教育昭和51年度』同小学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南中学校(1993)『閉校記念誌―泰阜南中学校四十六年の歴史』同中学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南中学校(1989)『中国引揚者子女教育研究実践記録第7集、昭和63・平成元年度』同中学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南中学校(1984)『中国帰国子女教育研究―実践記録第4集』同小学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南中学校(1978)『当校における中国帰国子女教育』同中学校
長野県下伊那郡泰阜村立泰阜南中学校(1976)『創立三十周年記念誌』同中学校
<満洲泰阜分村―七〇年の歴史と記憶>編集委員会編(2007)『満洲泰阜分村―七〇年の歴史と記憶』不二出版
山田陽子(2006a)「中国帰国者の日本語習得と雇用―国家賠償請求訴訟における帰国者の陳述および身元引受人の語りから―」『人間文化研究』NO.5、83-100
山田陽子(2006b)「『生き残りの兵士となった』身元引受人の語り―戦争体験と「中国帰国者」への奉仕活動を中心に―」第4回日本オーラル・ヒストリー学会年次大会発表資料
山田陽子(2007a)「中国帰国者の定着自立援護―生活支援と子女教育」編集委員会編『満洲泰阜分村―七〇年の歴史と記憶』不二出版、697-736
山田陽子(2007b)「『中国帰国者』二世の適応に関する一考察―二世女性の語りから―」村井忠政編著『トランスナショナル・アイデンティティと多文化共生―グローバル時代の日系人』明石書店、68-91
山田陽子(2008b)「中国人就学生の生活世界と日本語教育―名古屋市の就学生を事例に―」『人間文化研究』No.10、263-275
山田陽子(2008c)「中国帰国子女と中国人就学生―地域支援と日本語教育」移民政策学会2008年12月13日発表資料
山田陽子(2008d)「中国帰国子女と家族への日本語教育―1970年代に開始した村―」『人間文化研究』第9号、141-153
山田陽子(2008f)「村ぐるみの日本語教育―1970-80年代の中国帰国子女への地域支援として―」『日本語教育学会2008年度春季大会予稿集』202-203
山田陽子(2009c)「中国人就学生追跡調査に見る日本語と日本人観の変化―中国人学生の語りと面接質問紙調査から―」『人間文化研究』No.11、121-132
山田陽子(2009e)「日中国交正常化後に帰国した人たちへの生活支援と言語施策―泰阜村を事例に」『一宮女子短期大学紀要』第48集、97-106
山田陽子(2010)「中国にルーツをもつ若者・子どもへの支援と言語教育の研究―中国人就学生と中国帰国子女を事例に」名古屋市立大学大学院人間文化研究科2009年度博士学位論文
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本のタイトルと目次
『中国人就学生と中国帰国子女―中国から渡日した子どもたちの生活実態と言語』
目次
・はじめに
    初めての出会い/増え続ける中国からの若者と子どもたち/どうして中国人就学生と中国帰国子女を比較するのか
・就学生から留学生になって(現役大学生の寄稿文)
第T部 中国人就学生と日本語学校
1 就学生の受け入れ
就学生はどんな新聞を読んでいるの?/将来展望への自助努力
   2 中国人就学生の話からわかったこと
     なぜ日本語学校で学ぶの?/トライアングルの日常
   3 中国人就学生は日本で何を思い、どんな生活をしているのだろう
     日本で中国を学ぶ中国人就学生/お金がいくらあれば、日本で生活できる?
   4 中国人就学生は「聴く」ことが難しい
     聴解に必要な現場臨場感/就学生のニーズ
   5 中国人就学生を追跡してみると―中国人就学生は1年間にどのように変わったのか
     生活の変化/日本語・日本人観・社会的ネットワークの変化
   6 就学生の生活実態
     アルバイトと学校生活/交流を望む就学生たち/日本語教師の実態
第U部 中国帰国子女教育の草創期
1 中国帰国子女をとりまく言語状況
     最初の中国帰国者家族
2 中国帰国者への言語施策とは?
  ことばが「真に生きたことば」になるとき
   3 中国帰国子女への日本語指導実践例
     カレーライスと言語指導/教師の役割
   4 社会学級
     子どもたちの文化変容と家族
   5 中国理解教育
     泰阜村と中国社会/人的リソースとしての中国帰国子女
   6 人材ネットワーク形成と連携支援
官・学・民の連繋/中国帰国子女教育研究協力校になってよかったこと
   7 教育のコーデネーター
  身元引受人と満洲引揚者による言語支援/家庭と地域と学     校
第V部 就学生と帰国子女の比較から
1 地域日本語教育と学校教育の併用型
     言語を学ぶ順序の違い/地域に根づいたことば
   2 相違点と共通点
     言語的マイノリティと地域社会/受け入れ支援策
まとめ
 参考・引用文献
 用語解説
 巻末資料

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