外国人児童生徒在籍校における国際理解教育実践に関する一考察
−中国帰国生徒*1在籍校における聞き取り調査から−

福嶌 智 (九州大学大学院)


1. はじめに

2. A中学校及び調査の概要

 2-1 A中学校の概要
 2-2 調査の概要
 2-3 A中学校における国際理解教育の取り組み

3. 「存在証明」と中国帰国生徒の「声」

 3-1 「存在証明」と「自己呈示戦略」
 3-2 A中学校日本語教室卒業生の「声」
 3-3 動的な文化と「個」への注目

4. 国際理解教育実践と「共有」

 4-1 相互作用型国際理解教育の概念と共感的理解の形成
 4-2 自己呈示の「自己」選択

5. おわりに


1. はじめに 

 筆者はこれまで、中国帰国生徒(以下、「帰国生徒」と記す)のアイデンティティ形成に着目してフィールドワーク行い、その形成過程と要因を明らかにすることを試みてきた*2。これらの一連の研究において明らかとなったのは、日本人生徒および教師たちを含む「日本の学校」と帰国生徒たちに存在する「ずれ」である。すなわち、かれらのアイデンティティ形成過程において、かれらに関わる人々それぞれの「中国帰国生徒」という存在への認識の差違が存在し、そのさまざまな認識同士がせめぎ合っているのである。
 従来、外国人児童生徒が在籍する学校において、国際理解教育にかれらを「活用」*3することは自明のこととして捉えられてきたといえるであろう。すなわち外国人児童生徒が在籍する学校においては、かれらの存在を「活かした」多様な国際理解教育実践が行われているといわれているのである。しかしながら、無前提的に「良いこと」とされている「活用」であるが、本当にそうなのであろうか。「活用」することとは、教師の側、日本人生徒の側からの恣意的な異文化性の押しつけになっている場合もあるのではないだろうか。言い換えれば、安易な「活用」がステレオタイプを生み出している可能性がある。
 この「活かした」という点について、これまで行われてきた活動が3F(Fashion・Festival・Food)と批判されたことを受けて、国際理解教育理念における視点は「個」へと変化しつつある*4。すなわち、従来の、いわゆる「日本人」とは異なる文化的背景を持つ児童生徒を集団として捉える視点から、かれら一人一人を「個」として捉える視点への転換である。しかしながら、理念における「個」へと変化しつつある視点が、実際の学校現場においてどのように反映されているのかを実証的に明らかにした研究は数少ない。中国帰国児童生徒に関わる教育を例とすれば、先行研究においては、かれらの「適応」に焦点が当てられ、かれらを「個」ではなく、「集団」として一括しているものが殆どである*5。そこで、本研究においては、まず、実際の学校現場において、その視点が「個」へと変化しているのかどうかを検討する。そして、かれらを「個」として見ることにより、国際理解教育がどのような方向性で構想されうるのかを考察することをその目的とする。


2. A中学校および調査の概要 

2-1 A中学校の概要
 福岡市A中学校は、校区に大規模な公営団地があり、近年は新興住宅地の造成も進んでいる。中国帰国者は主に公営団地に居住しているが、その一部には新興住宅地に転居したものもいる。
 A中学校における日本語教室設置の契機は、1980年、ある中国帰国者の青年の「日本語がわからなくて仕事に就けない」との訴えに応じ、年齢超過ではあったが2年生に編入したことにある。それ以降紆余曲折を経て、三者協(福岡市同和研究会・福岡県教職員組合福岡支部・福岡県解放同盟福岡市協議会)を通じ、福岡市教育委員会に働きかけを行っていった結果、1981年に文部省の指定を受け(その後、1993年度を除き1999年度まで連続して指定されている)、1982年に県内ではじめての日本語教室が設置され、担当教諭1名が配置された。これまでの日本語教室卒業生は80名をこえている。
 また、A中学校では1973年の開校以来、同和教育を教員研修の中心に据えている。そして、新教育課程に対応するため、1999年度より従来からの同和教育に対する取り組みと連動させながら、総合的学習推進委員会を立ち上げた。これを受けて、2000年度より、「総合的学習の時間」の試行段階として、「引き揚げ者子女教育」を「基盤」とした、2-3で後述するような取り組みを通して国際理解教育が展開されている。
 平成2001年度の日本語教室在籍生徒は13名であり、中国籍、日本籍の生徒が混在している。

2-2 調査の概要
 筆者は、A中学校において1998年より継続的にフィールド調査を行ってきた。本調査は、その一環として開級式等の全校的取り組み、夏季合宿等の日本語教室の行事、第一学年の総合的学習の時間(国際理解教育)において、参与観察、教師に対する聞き取り調査を行ったものである。同時に、留学生講師のコーディネート等の側面からも参加した。
 本研究は、帰国生徒たちが「日常的に」自己提示戦略を駆使しているという視点から、「日常」における発言を重視した。同時に、半構造的な聞き取り調査も行った。教師については、行事等の際の参与観察時に収集した発言、および日本語教室・校長室においての聞き取り調査をもとにしている。卒業生、卒業直前の3年生については、これまでのフィールド調査をもとにしている。ここで、卒業生、卒業直前の3年生を調査対象としたのは、時間の経過とともに、当時の活動に対してある程度客観的に評価を下すことができると思われるためである。

2-3 A中学校における国際理解教育の取り組み
 A中学校における国際理解教育は「引き揚げ者子女教育」を基盤とし、「引揚者子女教育委員会」が中心となり、帰国生徒に関わる情報交換、学活の運営、諸行事・研修等の計画立案を行っている。その構成は、教頭、日本語教室担当教師、各学年より2名の計8名である。この他、学校長も不定期ながら委員会に出席している。また、差別発言等が行われた際には、引揚者子女委員会と同和教育主担者が中心となり、研修委員会を通して全職員の共通理解を図り、このような事例の教材化及び指導案の検討を行っている。
 平成13年度の国際理解教育の目標は、「日本語教室の存在意義や日本語教室生の立場等を知ったり理解した上で、自分自身の視野を広げていく」とある。具体的取り組みとしては、「引揚者子女を取り巻く集団づくりを基盤に据えた国際理解教育を進めていく」、「(『日本語教室卒業生を励ます会』に向けて)1年間の国際理解教育学習の締めくくりとして、自分と仲間を見つめ直し、ちがいや良さを改めて認識し、相互理解を図る。また、生徒にとってさらに主体的な学習に高めていく」ことなどが挙げられている。
 また、具体的取り組みは、6つの視点から行われている。それは、「自覚への取り組み」、「基礎学力定着へ向けての取り組み」、「家庭との連携」、「他校在校生や小学校・卒業生との交流」、「教科融合カリキュラムの取り組み」、「地域への啓発と連携」である。このような視点から行われている実際の取り組みを、表1に示す。

表1 年間の取り組み一覧
日本語教室行事 帰国生徒への取り組み 帰国生徒以外への取り組み
年間   取り出し授業 総合的な学習の時間及び各教科に
おける国際理解教育の実施
4 新入生歓迎会    
5 開級式*1
B小学校*2開級式参加
  中国について調べ学習・発表
「中国文化を体験しよう」
1年「青い記憶」鑑賞・事後学習
6 C中学校*3開級式参加
 期末テスト学習会 
   
7 夏季学習会   7.7「盧溝橋事件」学習
8 夏季交流合宿*4    
9     9.18「柳条湖事件」学習
10 中間テスト学習会    
11 期末テスト学習会
大相撲観戦
  ゲスト・ティーチャーとの体験学習
「教室から世界をのぞこう」*5
12 三者面談
冬季学習会
進路選択(3年)  
1      
2   進路を切り拓く取組(3年) 「本名で卒業を」
1年バーチャルチャイニーズスクール
3 卒業生を送る会(餃子の会)*6
B小学校卒業祝う会参加
  卒業生を送る会(餃子の会)
*A中学校資料より筆者作成

*1)開級式に向けて、日本語教室の学活において話し合いを行い、家庭訪問も行っている。
*2)B小学校はA中学校の校区にあり、日本語教室が設置されている。
*3)C中学校は同市内にあり、日本語教室が設置されている。
*4)「ねらい」は「@各校に在籍している引き揚げ者子女の交流を深め、仲間どうしの連帯を育てていく・A日本、中国の生活習慣、文化について学ぶ・B各校の教師の交流を深める」ことである。平成13年度は福岡市内の小学校2校、中学校2校、福岡市以外の福岡県内から小・中学校各1校が参加した。
*5)各学年の「ねらい」は、第一学年「仲間を知る」、第二学年「自分を知る」、第三学年「社会(世界)を知る」である。この取り組みは、地域の帰国者や留学生(中国およびその他)などをゲスト・ティーチャーとして招き交流するというものである。
*6)平成12年度までは、帰国生徒と代表生徒によるものであったが、「日本語教室の存在がA中全体に関わるものであるという意識が全校生徒の中に定着していなかった」という反省から、平成13年度からは3年生全クラスで取り組む学年行事となった。

 このように、A中学校における国際理解教育は、「引揚者子女教育」を基盤として構想されているのである。

3.「存在証明」と中国帰国生徒の「声」 

3-1 「存在証明」と「自己呈示戦略」

 帰国生徒が国際理解教育実践において「活用」されることとは、かれらが持つ異文化性を表出させられることに他ならない。言い換えれば、国際理解教育実践において、かれらはなんらかのかたちで自己表象を行わざるを得ない状況に置かれているといえるであろう。後述するように、かれらは、「日本人」との関わりのなかで自己の異文化性(この場合「中国性」)を「負」であると認識しているにも関わらず、国際理解教育実践において「意に反して」表出させられていると感じているのである。すなわち、かれらは自己のアイデンティティを問われているのである。このことは、かれらがマイノリティであることと不可分である。マジョリティである日本人生徒にとっては、このような意味において自己のアイデンティティを問われることはないといえる。マイノリティである中国帰国生徒の側のみがそのアイデンティティを問われるのである。しかしながら、従来、国際理解教育実践を外国人児童生徒のアイデンティティ形成過程と結びつけて行われた研究はほとんどないといえる*6
 ここでは、本研究における分析枠組みを、石川(1992・1996)の「存在証明」(広い意味では「アイデンティティ管理」)の概念と中村(1990)の「自己呈示戦略」の概念を援用しながら提示する。
 石川(1992・1996)は、「人は、価値あるアイデンティティを獲得し、負のアイデンティティを返上しようとして、日々あらゆる方法を駆使」していると述べ、このことを「存在証明」と名付けた。石川(1992・1996)は、「アイデンティティ管理」のための「存在証明」の戦略を4つに分類した(表2)

表2 石川による「存在証明」の4分類
T.印象操作 人は、知られると否定的に評価される負のアイデンティティを隠し、価値あるアイデンティティの持ち主であるかのように装う。
U.補償努力 価値あるアイデンティティを獲得することで、否定的な価値を持った自分を補償する。
V.他者の価値剥奪 差別することにより人から価値を奪うことにより存在証明を達成する。
W.価値の取り戻し 社会の支配的な価値を作り替えることによって、これまで否定的に評価されてきた自分の社会的アイデンティティを肯定的なものへ転換。
*石川(1992・1996)より筆者作成

 この石川(1992・1996)の「存在証明」の概念からは、他者との相互作用の重要性が導き出される。この自己と他者の関係性について中村(1990)は、自己表象の一連のプロセスを「自己過程」と名付けている(表3)。

表3 「自己過程」の四位相
自己の姿への注目 「自己注目(self-focus)」
自己の姿の把握 「自己像(self-image)」
「自己概念(self-concept)」
自己の姿への評価  「自己評価(self-evaluation)」
「自尊心(self-esteem)」
自己の姿の表出 「自己開示(self-disclosure)」
「自己呈示(self-presentation)」
→印象を操作・管理
*中村(1990) 15頁〜18頁より筆者作成

 中村(1990)によれば、「自己注目」により自分の外観や心理的状態、他者との社会的関係などに注目し、それらに注意の焦点を当てることから自己の心理的・社会的問題が始まるという。また、「自己注目」に関して押見(1990)は、(クーリーがいうところの)「鏡映的自己」との接触について、その置かれている状況との相互作用へ注目する必要があると述べている。
 「自己の姿の把握」は、「自己注目」の対象となった自分の状態、すなわち自己の特徴や属性に関する知識を獲得し、自己に対する認知を形成する過程の段階である。「自己の姿への評価」の段階においては、自己評価する際の評価基準、他者と比較する場合の他者との関係が問題となる。このような他者との関係性における自己評価が、石川(1992)のいう「存在証明」や「自己呈示」の方向性を決定するのである。すなわち、他者との関係性において「負」であると認識しているアイデンティティを隠し、「正」であると認識しているアイデンティティを示そうとするのである。
 このような点から、中村のいうところの「自己呈示戦略」とは、戦略としての−つまり、意識的な−自己表象ということができるであろう。言い換えれば、この「自己呈示」における「存在証明」を「自己呈示戦略」と名付けることができるであろう。このように名付けた上で、帰国生徒の自己呈示戦略が、国際理解教育実践においてどのようになされているのかに注目する。すなわち、国際理解教育実践における「自己呈示」において、どこまでかれらの自主的な選択が「許容されて」いるのかに着目する。

3-2 A中学校日本語教室卒業生の「声」
 2-3で前述したような理念、カリキュラムに基づいて行われているA中学校の国際理解教育であるが、卒業生たちはどのように受けとめていたのであろうか。A中学校では、かれらが所属する日本語教室を中心に、前掲した表1のようなさまざまな行事が行われているが、それらの行事や日常の学校生活について卒業生たちは以下のような感想を述べている。

@「なんか、みんなの前に出されて作文読まされたり、しゃべらされたりってほんっとにいややった。なんか恥ずかしいっていうんかな。でもなんかちゃんとそういうことせんといかんかなって感じがそのときはしてたっていうか。でも、なんでおれたちだけって思っとったね」(卒業生A*7

A「イヤっていうのもあったし、なんであたしたちだけせないかんのっていうんかな、なんか納得いかんかったねぇ。そういうのが大事っていうのはさ、わかっとんやけど・・・なんかねぇ」(卒業生B*8)

B「いややった。でも、なんか今年(2001年度:筆者註)から自分たちで何するか決めるようになったんやろ。(筆者頷く)それ聞いてさ、いいなぁって思ったね」(卒業生C*9

C「開級式とかでいやだったのは、みんなの前で作文を読まされることだったですね。みんなの前でっていうこと自体いやだったんですけど、なんでそういうことしないといけないかっていうのを説明してくれなかったからです。2年生の時にそこのところをしつこく聞いたらですね、『みんな(日本人生徒)に(日本語)教室生のことを知ってもらわんといかんたい』って言ってました。でも、自分にとっては、理解してもらうっていうより、(日本人生徒との)『たたかい』だったんですよ。なのに、なんで自分たちのことを知って『もらう』っていうのかなって思ってました。ぼくたちがやるのなら、そっち(日本人生徒)もしろよって(日本語)教室生で話してました」(卒業生D*10

D「前は本名で呼ばれていたけど、いろいろみんなから悪口とか言われて傷ついたことがありました。それで小学校六年生の時に通名にしました。それからそういう悪口とか言われなくなった。通名を使って、そういう悪口を言われないのならいいと思います」(3年生E*11

E「両親とは中国語で話します。人前で中国語を話すっていうのは、う〜ん、抵抗がないとは言えないです。でもそれを否定したら、人より劣ってる感じがするし。難しいですね」(卒業生F*12

F「(中国語を)話せるけど、なんか恥ずかしい。なんていうんかなぁ、英語とかやったらかっこいいけどさぁ、なんかねぇ」(卒業生A)

G「小学校の時から差別発言を受けてきてるからそう感じるんでしょうね。ぼくの場合、小学校4年生の時と中学2年の時にありました。特に残ってるのが『中国に帰れ』っていうのですね。その時は、なんか悲しくなりました。ほんとに帰んなきゃいけないのかなって。でも、中国語話せないしって思いながら。それは冗談ですけど、友達とか先輩とか後輩も、だいたい差別発言受けてますよ」(卒業生D)

 ここから読みとれるのは、周囲からのさまざまなかたちの有形無形の「圧力」である。かれらは、「日本語教室生」というレッテルを、自分の意志とは無関係に貼られるのである。すなわち、一旦、「日本語教室生」というレッテルを貼られると、かれらの「個」は埋没してしまう。そして、中国帰国生徒たちは、自分たちが「日本語教室生」というカテゴリーに入れられたために「やらされた」と感じているのである。もちろん、当時の教師たちは、中国帰国生徒たちが「差別に打ち勝つ」ための力を身につけるためにこのように指導していた。しかしながら、中国帰国生徒たちがその指導が持つ意味を理解できなければ意味を持たない。
 前節で述べたように、自己表象はかれらが「存在証明」を行っていくうえで非常に重要である。かれらは自分が「日本語教室生」であることを、D〜Gや後述の発言から明らかなように日本人生徒との相互作用の中で負のアイデンティティとして捉えており、また、@〜Cの発言からは、その「負」の部分を見せることを強制されていることに対し不条理を感じていることが読みとれる。
 同時に、ここでは自分たちが「日本語教室生」と集団で捉えられていることへの反応として、日本人生徒を「日本人生徒(集団)」として見ているのである。このように、対集団としてお互いを見なした場合、そこでは集団内の個人を理解するのではなく、まさにステレオタイプを作り上げてしまうのである。
 ここで、もう一つ注目しなければならないのは、D〜Gの発言で明らかなように、自らの中国性を「負」として捉えている点である。かれらが「負」のアイデンティティと捉えている異文化性を「価値ある」アイデンティティへと転換させることこそが、国際理解教育の担う役割ではないだろうか。ここで注意すべきは、かれらが持つ異文化性を「価値ある」ものとしてかれら自身が受けとめるようになることは、かれらの意識だけではなく、日本人生徒の側の認識の転換に依存しているのである。すわわち、これまでの中国帰国生徒に関わる教育においては、かれらに関わる「問題」とは中国帰国生徒の側にその要因があるとしてきているということができるであろう。このことは、これまでの中国帰国生徒教育研究においても明らかである。しかしながら、これらの「問題」とは、中国帰国生徒と日本人生徒との相互作用のなかに存在するのである。

3-3 動的な文化と「個」への注目
 ここまで、「異文化性」という語を用いてきたが、ここでの「文化」の内容の吟味が必要であろう。すなわち、従来の実践における「文化」の捉え方と本研究における「文化」の捉え方を明確にすることにより、「個」への着目の必要性を主張する本研究の有効性を示すことができると考える。
 従来の実践においては、「文化」を固定的な枠組みにおいて捉えていたということができるであろう。すなわち、「中国文化」・「日本文化」なるものを設定するものである。そこでは、「中国文化」対「日本文化」という二項対立的な構図が成立する。そして、帰国生徒たちは、「適応」という名の下での「日本文化」への同化、もしくは、「帰国生徒の文化を大事にする」という名目での「中国文化」への帰属(「日本文化」からの異化)を強いられるのである。とりわけ、かれらが「中国帰国生徒集団」として捉えられた場合は、「中国文化」に帰属していることを表出せざるを得ないのである。
 しかしながら、帰国生徒が持ついわゆる「日本人」とは異なる「なにものか」とは、かれらの「本質」として存在し帰属させるものではなく、他者との関係性の中で顕在化するものなのである。この場合の「文化」とは、他者との関係性の中から浮かび上がってくる動的なものなのであるということができる。本研究においては、これを「中国性」、「日本性」と名付ける。この、帰国生徒が持つ「中国性」はかれらの「本質」としてではなく、日本人生徒たちとの相互作用の中で生まれているのである。そして、「日本性」との境界線は、相互作用の中にこそ存在し、かつ相互作用により移動しているのである。
 このように、「文化」を他者との関係性の中から浮かび上がってくるものとして捉える視点からは、帰国生徒と日本人生徒を「集団」から「個」へ還元し、その相互作用に着目することの必要性が導き出される。すなわち、「文化」を静的に捉えそれを固定化するような取り組みから、かれらの多様性に着目し、動的なものとして「文化」を捉える視点からの取り組みへの転換が求められるのである。

4. 国際理解教育実践と「共有」 

4-1 国際理解教育実践と共感的理解の形成
 国際理解教育の原点は、共生のための教育であるということができるであろう*13。この共生について、佐藤(1999)は「共生の基本は、多様な学びの中で、自己を知ることからはじまり、自己と他者との関係を築いていくこと」であり、「相互に理解を深めていかなければ」ならず、「しかも単なる知識理解ではなく、それに共感的理解が伴わなければならない」と主張している。ここで述べられている「自己と他者の関係性の構築」、「相互理解」、「共感的理解」は、国際理解教育を構想する上で必要不可欠なものである。
 それでは、「共感的理解」を生み出すためにはどのような取り組みが構想されるのであろうか。ここでは、A中学校の教師の発言を検討しながら考察する。
 日本語教室担当教師A*14はA中学校における国際理解教育について次のように述べている。

「うちの中学校の国際理解教育は、日本語教室の意義とはなにかってところからスタートしているんですよね。だから今までの20年間の取り組みがあって、基本的にはその継続で、それをふくらませるってかたちです。それで、一昨年、総合的学習の時間が始まってからは、A中の特色である日本語教室を柱に取り組んでます。私は、うーん、なんていうんですかね、文化的背景が違う個人と個人がうまく生活できる・・・共生のための学習だと思います」

 ここで、担当教師Aは帰国生徒と日本人生徒を個人として見ることによって共生への学習が可能になると指摘している。同時に、帰国生徒たちの文化的背景への着目が見られる。このような各生徒を「個」として見る視点は、かれらのアイデンティティ形成への注目へとつながるものである。帰国生徒と日本人生徒を集団として捉えた場合、そこではステレオタイプしか生み出されない。一旦、「帰国生徒」というレッテルを貼り付けられれば、そこでは「帰国生徒の○○さん」という「帰国生徒」という属性のもとでの視点しか生まれない。言い換えれば、ステレオタイプ化された帰国生徒像をもとにした理解になってしまう。しかしながら「個」として捉えることができれば、日常的な場面における相互作用の中で表出されるもののなかにかれらの文化的背景に基づくものがある、という捉え方を可能にする。
 担当教師Aは国際理解教育の取り組みを構想する際に注意した点を次のように述べている。

「『ただの交流』ではだめだと思うんですよ。たとえば、AさんとBさんっていう地域の帰国者の方たちの話っていうのは、子どもたちにもすごいインパクトがあるんですよ。(・・・中略・・・)だから、『こんな世界もあるんだ』っていうのの実感が大事なのかなって思います」

 「引揚者(中国帰国者:筆者註)子女委員会」に所属する教師B*15はこの点に関して次のように述べている。

「『身近な』っていうところからですね。そうじゃないとゲストティーチャーをつれてきてもその場限りになりますから。途切れ途切れじゃなくて『日常』ってところがですね」

 ここから浮かび上がってくるのは、従来の日本における国際理解教育において指摘されてきた知識偏重・知識習得的学習への批判である。学習内容が生徒たち自身の生活とどのように関わっているかという点への着目がある。すなわち、異なる文化や国について「知る」ことは比較的容易に可能であるが、そのことを自己との関わりの中で実感を伴って「わかる」ことは容易ではない。A中学校においては、この実感を伴って「わかる」ための「きっかけ」「材料」(教師B)として中国帰国者・帰国生徒を捉えている。
 しかしながら、このような「きっかけ」「材料」として外国人児童生徒を捉えることは、「晒し者」となる可能性を孕んでいる。この点について教師Bは次のように述べている。
 
「開級式とか『餃子の会』とかで作文を読むとかいうのは、子どもたちが最初は『晒し者』みたいでイヤだって言ってたんですよ。だから、(日本語教室の)学活でずっと話し合ったんですよ。で、結局、企画とか運営の部分で関わるってかたちにしたんですね。たとえば、司会とか中国語で手紙を代読したりとかですね。そういうところで、何らかのかたちで自己表現できればいいんじゃないかなって思うんですよ。校長先生も子どもたちと話し合う機会をつくって、最初は子どもたちが警戒してなかなか話さなかったみたいですけど、2回目は結構いろいろ話したみたいです」

 この自己表現・自己表象の選択を帰国生徒たちに委ねるということは重要な意味を持つと思われる。以下、次節においてこの点について検討する。

4-2 自己呈示の「自己」選択
 帰国生徒たちが学校における自己呈示をする際、その対象となるのは日本人生徒、教師、ほかの帰国生徒である。前節で述べたような「共感的理解」を生み出すためには、それぞれの知識・認識の「共有」が必須とされるといえるであろう。現在、日本の学校に在籍する帰国生徒の世代は、自分たちの文化的背景についての知識が希薄になりつつある。そのような状況のなかで、自分が「所属させられている集団」が持つとされる異文化性を「表出させられている」ことに違和感を覚えているのである。
 まずそこで求められるのは、帰国者および帰国生徒に関して、日本人生徒、教師、帰国生徒が持っている知識の共有であろう。この、それぞれが持つ帰国者および帰国生徒に関わる知識は、それぞれが持つ認識の基盤となるものであり、帰国者および帰国生徒との距離(関係)や、学校における学習内容の習得度合いによって異なる。同時に、帰国生徒たちの中でも異なってくると思われる。
 しかしながら、本稿でいうところの「知識の共有」とは、それぞれが持っている知識の多寡や内容だけを意味するものではない。むしろ、それぞれが持っている知識が「異なる」ということに気づくという点にこそ注目するものである。すなわち、より正確に言えば、それぞれが持つ知識が異なっているという事実の共有である。
 これまでのA中学校においては、それぞれが持つ知識を「持ち寄って」、その知識を共有しようとすることを目的とした取り組みが行われてきた。その目的のために、中国残留孤児に関する映画の鑑賞や、地域の帰国者や中国からの留学生をゲストティーチャーとして迎えるという方法で行ってきた。しかしながら、それぞれが持つ知識が異なるということへの「気づき」をその目的としたものはなかったといえる。このそれぞれが持つ知識が異なるということへの気づきを出発点として、知識の内容の吟味を行う必要がある。
 知識の内容を検討する際に不可欠な視点は、日本語教室担当教師Aが述べるところの「日常」であろう。帰国者、帰国生徒に関わるさまざまな言説に基づくステレオタイプ化された姿ではなく、現実のかれらの姿を見つめることが求められる。日本人生徒および教師は、「日常的」にかれらと接している。しかしながら、帰国生徒自身、そこで呈示している自己は、「本当の自分」ではないと感じているのである。言い換えれば、日本人生徒および教師が見ている帰国生徒たちとは、日本人生徒および教師との相互作用において生み出された表出(自己呈示)なのである。すなわち、この他者からの自己に対する規定と自己概念のずれが、かれらが認識する「本当の自分」を見えにくくしているのである。 このそれぞれが持つ認識の差違は、相互作用を行う過程で重要な意味を持つ。すなわち、中国帰国生徒たちは、自分たちが日本人生徒、教師およびほかの中国帰国生徒からどのように見られているかを感じとり、それに対応するかたちで自己呈示を行っていると考えられるためである。
 ここで、これらの活動を計画する教師の立場とはどのようなものであるのだろうか。それは、教師は指導する立場であると同時に、学習する立場でもあるというものであろう。すなわち、ここまで述べてきたように、知識、認識の共有の過程においては、教師も学習を構成する一員でもあるのである。このように知識および認識を日本人生徒および帰国生徒と共有した上で、帰国生徒たちが「本当の自分」であると認識している姿を表出することができるような環境を整えるのが教師の役割であると考える。このように捉えた場合、帰国生徒と教師の知識、認識の共有は、帰国生徒と日本人生徒との共有と同じく重要である。むしろ、国際理解教育実践においては、教師がその方向性を決定づけているといえるであろう。その意味においては、より重要であるとも考えられる。
 しかしながら、これまでのA中学校における取り組みにおいては、@、A、Cの発言から明らかなように、このことが十分になされていなかったといえるであろう。すなわち、教師たちは帰国生徒たちにさまざまな指導を行っていたが、両者の知識、認識のずれを埋めることはできていなかったと思われる。そのため、帰国生徒たちは自己呈示戦略を自己選択することができなかったと感じているのである。現在のA中学校における「話し合い」は、教師と帰国生徒の知識、認識の共有を目指す試みであるということができるであろう。この点については、平成13年度の卒業生G*16が学校長*17との話し合いの後に次のように述べている。

「どうせ話してもわかってくれんって思っとったけど、なんかちゃんと聞いてくれたかなーって感じかな。今までってさー、なんか無理矢理やったけんね。今年はまぁ今までよりよかったかな。やりたくないこととかやらんでよかったけん。かといって何もせんっていうのもなんやしね。100%納得しとうってわけじゃないけど、まぁ、よかったんかなぁ」

 このような、教師と帰国生徒との知識、認識の共有に基づく指導案の構成が必要とされると思われる。すなわち、帰国生徒たちに自己呈示戦略を選択する自由を付与し、それをベースとして国際理解教育を構想することが必要とされていると考える。
 一方、現在の帰国生徒を取り巻く環境は非常に厳しいのも事実である。そのような状況において、自己呈示戦略を選択する自由は、自己の中国性を否定するような自己呈示を選択する自由になりかねない。しかしながら、アイデンティティを、他者との相互作用において形成され続けると捉えた場合、共有を基盤とした国際理解教育を実践していく中で、必ず変化していくものと考えられる。すなわち、このような国際理解教育実践の過程において形成された教師と帰国生徒の知識および認識の共有は、その後の実践において日本人生徒と帰国生徒の知識および認識の共有を促し、そして、そうしたなかで、帰国生徒の中国性が「負のアイデンティティ」から「価値あるアイデンティティ」へと転換していくと考えられるのである。

5. おわりに 

 ここまで、国際理解教育と帰国生徒の自己呈示について考察してきた。まず、第3章以降で紹介した帰国生徒、教師の発言の背景となるA中学校における国際理解教育を概観した。そこから、国際理解教育の「軸」とされているかれらの自己表象を、石川、中村の論を援用し、アイデンティティと自己呈示戦略という視点から捉えなおした。そして、帰国生徒の発言から、かれらが自己の異文化性を「負のアイデンティティ」として捉えていることを示した。同時に、そのような捉え方をもたらしたものが、「中国文化」、「日本文化」なる固定的な文化をもとにしてかれらを帰属させるという視点であることを示した。そこからは、「文化」を動的に捉えかれらを集団から個に還元することの必要性、そして、そのような視点からの国際理解教育実践の転換の必要性を示した。すなわち、帰国生徒が「負のアイデンティティ」と捉えている中国性を、「価値あるアイデンティティ」へと転換することの必要性である。
 このような帰国生徒の中国性を、帰国生徒自身、日本人生徒の両者が「価値あるアイデンティティ」として捉えるような環境を作ることこそが国際理解教育であるということができよう。そしてそのためには、教師の発言に見られる「日常」、「身近な」、「実感する」ということを軸とした「共感的理解の形成」が求められるのである。そのためには帰国者・帰国生徒の存在に対する知識および認識の共有が必要であり、そのためにはまず、教師と帰国生徒との間での知識および認識の共有が必要なのである。言い換えれば、このような視点からの国際理解教育実践における教師の立場とは、指導する立場であると同時に、学習する立場でもあるのである。そして、そこでの教師と帰国生徒の間の共有をもとに、帰国生徒と日本人生徒の間の知識および認識の共有のための取り組みを構想することが求められる。
 このような取り組みには相当の時間がかかると思われる。しかしながら、このようなアイデンティティに関わる課題を乗り越えることなしに国際理解教育が構想されるべきではないのではないだろうか。すなわち、帰国生徒たちは、「日常」の学校生活においてアイデンティティを形成し続けているのである。このことは、アイデンティティに関わる課題を乗り越えることなしには、国際理解教育の目的を達成することができないということを意味する。言い換えれば、かれらの「日常」の学校生活そのものが国際理解教育であるということである。すなわち、「共感的理解の形成」を目的とした国際理解教育とは、「日常」の学校生活全体そのものが国際理解教育実践となる必要性があると考えられるのである。


【付記】
調査の性格上、学校名を明らかにはできませんが、フィールド調査へのご協力、関係資料の提供等、校長先生をはじめとして日本語教室担当のA先生、子女委員会のB先生などA中学校の先生方には多大なるご協力をいただきましたことを、ここに感謝いたします。

【註】
*1)便宜的に「外国人児童生徒」、「中国帰国生徒」、「日本人」と用いているが、本研究においては、国籍をその指標とはしていない。いわゆる「日本人」とは異なる文化的背景をもつ児童生徒を「外国人児童生徒」、そのなかで中国帰国者(残留孤児・婦人)にルーツを持つものを「中国帰国児童生徒」としている。
*2)福嶌智、2000年・2001年a・2001年b
*3)ここでいうところの「活用」とは、外国人児童生徒が持つ異なる文化的背景を表出させることによって「さまざまな」取り組みが成立することを指す。ここでカッコをつけたのは、その内容が多様であり、「安易」であると指摘されているものも含まれているためである。一方、当然のことながら、クオリティーが高いとされる取り組みも多数行われており、その詳細については中国帰国者定着促進センターのホームページ等で紹介されている。
*4)樋口信也、1995年、『国際理解教育の課題』、教育開発研究所
*5)福嶌(2002)参照
*6)海外帰国子女教育研究においては、そのアイデンティティ形成過程に着目した研究がなされている。例えば、渋谷真樹(2001)、佐藤郡衛(1997年)など。
*7)調査時高校2年生。卒業後は、開級式や餃子の会に参加していた。
*8)調査時高校1年生。卒業後は、夏季合同合宿、公民館での日本語教室などに参加していた。
*9)調査時高校1年生。卒業後は、Bと同様に、夏季合同合宿、公民館での日本語教室などに参加していた。
*10)調査時浪人生。Bと同様に、夏季合同合宿、公民館での日本語教室などに参加していた。
*11)調査時中学校3年生。
*12)調査時中学校3年生。
*13)嶺井(2001)・金谷(2001)など。
*14)A中学校には着任5年目であり、平成13年度より日本語教室の担当となった。
*15)A中学校には着任5年目であり、平成13年度は第1学年の代表として「引揚者子女委員会」のメンバーである。
*16)調査時中学校3年生。
*17)着任2年目。

【引用・参考文献】
金谷敏郎、2001年、「国際理解教育の理念と多様な文化の共生」、『異文化との共生をめざす教育−帰国子女教育研究プロジェクト最終報告書−』、東京学芸大学海外子女教育センター、1頁-14頁
佐藤郡衛、1999年、『国際化と教育−日本の異文化間教育を考える−』、放送大学教育振興会
佐藤郡衛、1997年、『海外・帰国子女教育の再構築』、玉川大学出版部
渋谷真樹、2001年、『「帰国子女」の位置取りの政治―帰国子女教育学級の差異のエスノグラフィ―』、勁草書房
中西晃、2001年、「中国帰国子女の教育−多文化共生に向けての学校教育−」、『多文化共生社会の教育』、天野正治・村田翼夫編著、119頁-131頁、玉川大学出版部
中西晃・佐藤郡衛編著、『外国人児童・生徒教育への取り組み−学校共生への道−』、教育出版
樋口信也、1995年、『国際理解教育の課題』、教育開発研究所
福岡市立A中学校、2002年、『2001年度「同和」教育白書−実践のまとめ−』
福嶌智、2002年、「中国帰国児童生徒教育研究の現状と今後の課題」、『飛梅論集』、九州大学大学院人間環境学府発達・社会システム専攻教育学コース、147頁-161頁
福嶌智、2001年a、「中国帰国生徒の自己認識に関する一考察―生徒のライフヒストリーから―」、『国際教育文化研究』、九州大学大学院人間環境学研究院国際教育文化研究会、51頁-60頁
福嶌智、2001年b、「福岡市A中学校における日本語教室と担当教師の役割−中国帰国生徒と担当教師の視点から−」、『九州教育学会研究紀要』第28巻
福嶌智、2000年、『中国帰国生徒のアイデンティティ形成に関する研究―福岡市A地域における帰国生徒の調査から―』、九州大学大学院人間環境学研究科修士論文
嶺井明子、2001年、「国際理解教育−戦後の展開と今日的課題−」、『多文化共生社会の教育』、天野正治・村田翼夫編著、90頁-104頁、玉川大学出版部