/////シンポジウム 2010年、いま 戦後の引揚げを問う ー帝国崩壊と戦後東アジア社会ー/////


主催:「帝国崩壊後の人口移動と社会統合」研究会

2010年9月18日(土)
九州大学 国際ホール(箱崎キャンパス)

9月18日午後1時より、九州大学(箱崎キャンパス)において引揚げに関するシンポジウムを行います。このシンポジウムは、私たちの科学研究費補助金・基盤研究(B)による企画で、昨年の札幌シンポジウムにつぐ引揚げシンポジウムの第2弾です。

1.シンポジウムの構成

本シンポジウムは、「2010年、いま戦後引揚げを問う−帝国崩壊と戦後東アジア社会」というタイトルで、3部構成からなっています。


・第1部は満洲、朝鮮北部、朝鮮南部からの引揚者のそれぞれの体験談と引揚げ港・博多における中絶に関わった医療従事者の体験談からなります。日本帝国の崩壊によって帝国は崩壊し、外地の日本人たちは「総引揚げ」を余儀なくされます。敗戦直後の数年で約360万もの日本人が外地から内地に引き揚げてきました。これは当時の日本内地人総人口の約5%にも相当していました。
周知のように、その過程で多くの犠牲が強いられました。中国残留孤児の物語はあまりにも有名です。ただ、引き揚げといえばこの悲惨な物語のみが強調されます。しかし、当然ながら、引揚者たちはそれぞれの戦後を生き抜きました。彼女ら(彼ら)は戦後日本をどう生き抜いたのでしょうか、これは本シンポジウムのもうひとつの関心でもあります。

・第2部は1910年の日韓併合から100年をにらんで、引揚げと逆方向の朝鮮人の「送還」を主な対象として考察します。外村大さんが朝鮮人の移動・統制について大きな視点から話します。しかし、周知のように約50万といわれる多くの朝鮮人の方々が日本に定着しました。それはどういうわけだったのでしょうか。それを在日2世の金さんが済州島から大阪への移住と日本定着について家族史と個人史を交えて話します。そして、福本拓さんが戦後大阪での「密航者」への朝鮮人・日本人による支援について話します。帝国崩壊後の朝鮮人の移動は、主には送還されましたが、しかし定着し、さらには「密航」も見られました。これらを第2部で詳細に論じます。

・第3部は、第1部第2部を受けて、参加者による質疑・討論を目指しています。

2.シンポジウムのねらい

・本シンポジウムは、5人の当事者がその体験を語ります。そもそも、4人もの引揚者の方々がこのような大きなシンポジウムで話されるのは希少なことです。同時に、引揚者の方と同時に定着した朝鮮人の方が体験を語ることもきわめて希なことです。双方の立場の違いをふまえながら語られるこれら5人の方々の貴重な体験・証言だけでも迫力のあるシンポジウムになると思います。
・しかも、本シンポジウムは、引揚げや定着という個人史とより大きな東アジアの歴史との関連を考えていきます。つまり、日本帝国の崩壊と戦後の東アジア社会の再構築という視点から日本人の引揚げ、朝鮮人の朝鮮への送還と日本定着、そして「密航」を捉え直すことを目指しています。ですから、外地から内地への日本人の「引揚げの労苦」というストリーだけにするつもりはありません。もっとも、第1部では多くの人が外地からの引揚げ体験に涙するでしょうが、同時に第2部では在日2世の金さんの語りに圧倒されるでしょう。

3.体験者を中心とするシンポジウム形式

・昨年の札幌シンポジウムで、参加者のなかから「私たち樺太引揚者の声を聞いてください」という声が上がり、この訴えに応えた形で博多シンポジウムを企画しました。幸い、「引揚げ港・博多を考える集い」という市民団体をカウンターパートナーとして今回のシンポジウムを組織することが出来ました。第1部の報告者はこの団体のメンバーおよび推薦によっています。第2部は、金さんと私たちの研究会からなっています。このように、福岡の市民団体、と全国的なメンバーからなる研究者集団のコラボレーションが実現したのはじつに貴重なことだと思います。

・さらに、繰り返しますが、日本人の引揚者と朝鮮人の定着者が同時にシンポジウムに参加することは、きわめて貴重なことだと思います。日韓併合から100年の年にこのような企画を組めたこと自体が幸いなことだと思います。これも、「引揚げ港・博多を考える集い」という市民団体の活動の視野の広さと、金さんの勇気とにあります。シンポジウム当日は、この幸運を十分に生かしていきたい所存です。


参加無料 お問い合わせは下記まで

【シンポジウム事務局】
〒102-8554東京都千代田区紀尾井町7-1
上智大学外国語学部国際関係論 蘭研究室
Fax:03−3238-3592
E-mail:araragi@sophia.ac.jp