中国名 | 読み仮名 | 性別 | 終戦時推定年齢 | 離別地点 | 血液型 | 年度 | |
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06008 | 郭 思玉 | かく しぎょく | 男 | 2ヵ月 | 浜江省双城県 | O | 12 |
写真 |
日本名 | |
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家族構成 | 父、母(22歳) |
父母の職業 | 父は軍人らしい。母は医師 |
離別状況等 | 21年初め、母とともに哈爾浜市から日本人男性に連れられて、養父郭建富、養母連秀夫の家に来た。当時、養父母は浜江省を双城県北門外の北門警察署裏(忠義坊といった。)に住み、養父は裕太昌焼鍋という酒造工場で働いていた。養家に着いた時、母は、左ふとももを負傷して足を引きずっており、父の遺骨を所持していた。養家で21年8月まで世話になった後、母は、本人を養父母に預け、双城駅付近の難民収容所に移った。そして、帰国するまで毎日乳を与えに来た。帰国する時、生後百日の本人の写真と母の写真と赤ん坊用の白いケープを置いていった。 |
日本での生活状況 | |
中国での生活状況 | |
保有資料等 | 養父母の写真(資料1)、白いケープの写真(資料2)、養家付近の地図(資料3) |
身体的特徴 | 左耳に小豆大のこぶ |