中国名 読み仮名 性別 終戦時推定年齢 離別地点 血液型 年度
16234 楊 希仲 よう きちゅう 奉天省奉天市 平3
写真
日本名  
家族構成  父、母、姉3人、弟
父母の職業  父は軍人(技術者)らしい
離別状況等  終戦後奉天市高等女学校の難民収容所で養父楊金昇に引き取られた。同所で2人の姉と弟が死亡した。(母と長姉の消息は不明。)
日本での生活状況  多くの人たちと一緒に防空壕に入った記憶がある。父は、毎週日曜日に家に帰ってきたが、いつも缶入りのビスケット(乾パン)を持ってきた。
中国での生活状況  父が1回だけ休暇で家に帰ってきた時、本人は父と一緒に大きな風呂に行った。この帰路、父は大きな池に潜って多くの貝をとった。家で貝を小刀で割っている時に本人は左手人差し指の爪にけがをしたが、その時、長姉が包帯をしてくれた。
保有資料等  実家及び渡満(20年5〜6月頃)前に住んだ親類の家付近の図(資料12)
身体的特徴  左手人差し指の爪が二つに割れている