2000年2月修了の学生さんの修了時の作文からです。

文集の表紙の地図

ふるさと 子どものころ

                      Aさん
 私は サハリンで 生まれました。子どものころは もとどまり(ウォストチネ)にすんでいました。かぞくは7人でした。父と母と おとうと三人、いもうと一人 そして私でした。私は十二才のとき父はなくなりました。
 そのとき母は はたらいていませんでした。せいかつを していくには とてもむずかしかったです。
 さむくなった ときには、私は母といっしょにまいあさ やまに たきぎをひろいにいきました。
 私はおとうとと いっしょに いつも うみや川にいって、つりをしていました。山には、こけももとふきとさんさいが たくさんあります。
 私は はくもの、きるものは かわりばんこに おとうとと つかっていました。十五才のときは がっこうのやすみに私は はたらいていました。はたらいたお金をためて 牛をかいました。
 かぞくのためにいっしょうけんめいはたらきました。



冬休み

                     Bさん
 12月28日から1月4日までは冬休みでした。
 私は3日間風邪をひい寝込みました。私は若松先生にとてもたくさん 宿題を もらいました。宿題で日本の新聞を翻訳しなければならなかったです。そして作文 を書かなければならなかったです。そして 作文 を書かなければならなかったです。私は日本の新聞が読めるように毎日漢字 を勉強しています。冬休みには風邪をひいてたくさん休んだので宿題がすこし終わりませんでした。一日に三回薬を飲んでベッドに横になっていました。
 1999年12月31日の夜から2000年1月1日まで私たちはみんなで一緒に集まって乾杯をしました。私はまったくお酒を飲みませんからオレンジジュースを飲みました。ロシアの食べ物と日本の食べ物を料理して、ロシアの生活 と日本の生活 をしながら、食べました。おいしかったです。
 冬休みには妻と娘は水族館を見に行って、中国のレストランで昼ご飯を食べてから家に帰ってきました。娘はとても面白かったと思います。


子どものころ

                     Cさん

 私はウクライナのクリムしゅうケルチで生まれました。
ケルチはアゾフ海と黒海の間です。ケルチはたいそうけんがあるところです。夏はあついです。夏海水のおんどは20-24どです。冬はあまりさむくないです。いちばんさむいときは、マイナス2どくらいです。
雪はときどきふります。子どものころ夏はまい年私の祖母のいえにあそびに行きました。祖母はいなかのアゾフ海にすんでいました。いえのとなりに 大きいやさいばたけと かじゅえんがありました。私はたくさんやさいと果物を食べました。いちごやさくらんぼが だい好きでした。りょうしはたくさん魚をボートでとりました。私はよくみに行きました。私と兄は小さいえびをあみでとりました。それから、えびをしおをいれてにました。おいしかったです。夏よく 海でおよいだり、すなでひやけしたりしました。いなかにたくさん牛がいました。毎日あたたかい牛にゅうをのみました。祖母のやさいのせわを手伝いました。夏がいちばんおもいしろかったです。
 ケルチはえいゆうーとしです。子どものころ父と母はいっしょにしゅくほうをみに行きました。きれいでした。子どものころ私のしゅみ は自転車りょこうでした。私とともだちはよく自転車でりょこうしました。



1999年です



子どものころ 



文集の表紙


ロシアのしゅくじつ



「イースターさい」



「りょうしの日」


 以上