吉野麗子さんは現在中学三年生、この作文は吉野さんが小学校六年生のときに書いたものです。「ユッカの会会報第11号」(平成11年12月18日発行)に掲載されたものを許可をいただいて転載しました。
歌を通して
吉野麗子
わたしは、四年前に中国から家族で日本に来た。日本の学校に来て一番好きになったのは音楽だ。言葉が通じなくても音楽を楽しむことができた。笛も指使いを覚えるとみんなと同じように吹くことができた。戦争中でも歌を歌うと気持ちがすごく楽になったとおばあちゃんから聞いたことがあるけど、そのとおりだと思った。
六年生になって,音楽の教科書を開いたとき、三学期の題材に「アジアの音楽」というのがあったので、早く三学期になればいいと思っていた。待ち遠しかった。
三学期になっていよいよ「アジアの音楽」を聞くときがきた。中村先生が「アリラン」と「まつりか」のCDをかけてくれた。わたしは故郷(こきょう)できいた歌が聞けるので、体を前に乗り出して聞いた。「アリラン、アリラン・・・。」なつかしい。中国の自然やハルピンの空、友達の顔が浮かんだ。
とつぜん、すぐ周りの友達の笑い声が耳に入ってきた。わたしのなつかしいと思う気持ちは,悲しい気持ちに変わった。なぜ笑うのだろう。わたしにとってなつかしい音楽なのに。日本の人には耳慣れないメロディーだ゜ったのかもしれない。
今までに、国債理解教室で韓国の「トラジ」やフィリピンの「レロンレロンシンタ」を習った。覚えるのがちょっと大変だったが、外国の歌は楽しかった。わたしは日本の民謡を聞いたとき、あれっと思った。普通の歌と違って、のばすところ、歌い方に特ちょうがあっておもしろいと思った。違いがあるから楽しいと思った。ちがいを知るのはおもしろい。
二学期に国語で「国境をこえる文化」ついて学習した。それぞれの国には独特の文化があること、その文化を自分の中に取り入れることで自分が豊かになることを知った。
五年生のとき、わたしは「ザオ朋友」をクラスの人たちに教えた。この歌は、中国では昔から学校で歌われている。歌いながら次から次へ新しい友達を見つけて握手し、友達の和を広げていく。わたしがクラスの人たちに「ザオ朋友」を覚えるよう提案したとき、今日と同じように笑った人がいた。けれども、練習を始めると、一人もはずがらしがらずに中国語で「ザオ、ザオ、ザオ、朋友」と歌った。歌声が大きくなると顔も笑顔になり、握手の手も長くのびて、とてもいいふんいきになった。最初笑ったりはずかしがっていたりした人が、「いい歌だねえ。たのしいねえ。」といってくれたりもした。
あのときのことを思い出して、中国のテンポのゆっくりした歌を笑うのではなく中国の歌の特ちょうとしてとらえ、その歌の意味することを理解してほしい。わたしは外国のいろいろな歌をもっと知りたい。そして、外国の人と歌を通して広い心で接し,国債理解を深めていきたい。
(戸塚教室・学習者)