ここで事例として取り上げるのは、ある日本語学習支援者のグループである。この支援者グループは最初、地域で日本語ボランティアとして活動している人々が声をかけあい、埼玉県内のボランティア同士をつなぐネットワークとして、1995年12月に誕生した。当時はまだ「日本語ボランティア」という存在そのものが新しく、ノウハウが蓄積されていない段階であり、またボランティアの研修の機会も十分でなかった。したがって、このボランティアのネットワークは、情報交換の場、相互研修の場として期待されたのである。
しかし、しばらくすると、地域の日本語ボランティアとは多少異なるカテゴリーの人々がこのネットワークの活動に関心を寄せるようになった。それは、小学校や中学校等で日本語を母語としない子どもたちに日本語を教える、いわゆる「日本語学級」の先生たちである。こうした日本語学級の先生は、日本語教師としての採用資格が明文化されていないため、ある人は教員経験があるという理由から、ある人は日本語教育の経験があるという理由から、またある人は子どもの母語が話せるという理由から採用されており、そのため子どもを対象とする日本語教育の経験が必ずしも豊富とはいえない状況にあった。また、学習指導要領で教えるべき内容の大枠が定まっている教科の教育と異なり、教えるべき内容や方法についても、担当する教師にすべて任されているというのが当時の状況であった。
したがって、こうした日本語学級の先生たちは、暗中模索のうちに日本語を教えはじめなければならなかったのである。しかし、日本語を母語としない子どもたちが、あっという間に急増したという背景を考えれば、対応できる人材やノウハウが現場に蓄積されていないことや日本語指導者の専門性が確立していないことなどは、無理もないことだった。
そのため、情報も研修の機会もない日本語学級の先生にとって、日本語支援者ネットワークは身近な情報源と映ったに違いない。このネットワークの世話人に最初寄せられた質問は「どんな教材があるか」「どんなふうに教えたらいいか」「どこに行けばどんな情報が得られるか」「他の地域ではどのような条件整備(教師の待遇も含め)がされているのか」などすぐに役立ち、かつ急を要するものばかりであった。
そこでネットワークの世話人は、このネットワークの中で子どものための日本語学習支援に関心をもつ人々の部会を作り、そのための情報交換と相互研修の場をつくってはどうかと考えた。そして日本語学級の先生たちのほか、地域の日本語ボランティア、中国帰国者センターの職員、国際交流基金日本語センターの日本語専門員、大学の教師などに声をかけた。ここには、子どもの問題は日本語学級の先生だけで話しあうだけでなく、親子をとりまく地域の人々や日本語教育の専門家などさまざまな人々を巻き込み、知恵を結集する必要があるという課題意識があったのである。
こうして1996年12月26日「就学児童・生徒の日本語教育に関する相互研修部会」の第1回研究会が開かれるに至った。その後、この部会では、1997年 3月には教材や教え方をテーマに、1997年 7月には中国帰国者定着促進センターの見学をテーマに、1997年 8月には同じく中国帰国者センターの教材や来日後の対応など具体的な指導法について研究会がもたれた。
しかし、回を重ねるうちに、参加者は埼玉県内だけでなく大阪や奈良、秋田など遠方からもやってきた。しかもボランティアではなく、子どものための日本語教育に公教育の中でかかわるという立場にある人々が増えてきたのである。そうなると、埼玉という冠をつけた地域のボランティアネットークの一部会として継続することの意義は次第に薄れてくる。また、会費と会則を定めて定期的に会を開いたほうが計画的、継続的に会を運営できるなどの理由もあって、この部会を「子どものための日本語教育ネットワーク」(仮称)として独立させたらどうかという提案があり、そのための運営委員が選ばれた。その後、この運営委員によって事前の準備委員会がもたれ、1997年12月26日に「子どものための日本語教育ネットワーク」が正式に発足した。
1997年12月に発足後、実質的には6名の運営委員によって構成される運営委員会が、例会のテーマの決定や運営上の事務などを担当してきた。これまでの活動の概要はつぎの通りである。
1998年 4月 4日 |
第1回研究会 |
テーマ「日本語教室の役割を考える」 |
1998年 6月 9日 |
第2回研究会 (指導法研究会) |
国際交流基金日本語国際センターの見学および研修生との懇談 |
1998年 7月24日 |
第3回研究会 |
テーマ「日本語指導者の自主研修会を通してみえてきたもの」 |
1998年 8月28日 |
第4回研究会 |
シンポジウム「子どもをめぐる親の思い、教師の思い」 |
1998年12月26日 |
第5回研究会 |
テーマ「非常勤職員として日本語指導にかかわってきて」 |
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★シンポジウム「子どもをめぐる親の思い、教師の思い」の パネリストのみなさん |
★当日は教材の展示も行った。市販のものの他、自作教材も集まった。 |
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1で述べたように、ここに集まってきた人々の多くは、小学校や中学校など学校現場で日本語学級を担当する先生たちであるが、そこにも立場や待遇に微妙な違いがあり、それが日本語学級へのかかわり方にさまざまなバリエーションを生みだしている。それらの人々の意見を研究会での発言からひろってみたい。
まず、ボランティアとして小学校に入り込み、制度化されていない日本語指導を行っている学習支援者の声をきいてみよう。
「ボランティアとして取り出し指導にかかわるメリットとしては、子どもが来日後すぐに対応できること、子どもの都合にあわせて指導ができることです。デメリットとしては学校側の日本語指導に対する関心が得にくいこと、ボランティアの持ち出しの負担が少なくないこと、取り出し指導の時間内だけのフォローがもっぱらで多面的な指導が難しいこと、担任教諭と指導方針について腰を据えた話がなかなかできないこと、日常のコミュニケーションのための日本語指導にとどまってしまうこと、などがあります。制度化されていないこのような例では、現状ではデメリットの方が大きいかもしれません。」
また次に、非常勤として日本語学級を担当する先生の声を聞いてみよう。
「学校間の差が大きく、学校によっては何のための日本語教室なのか、その目的が曖昧であり、熱意にも疑問を感じることがあります。たとえば、教師の伝えたいことを理解させるのが日本語指導の主たる動機になっており、子どもがどのくらい理解できているのかには関心が向けられていません。その子どもにはどのような目的で何を教えるのか等、もっとケースバイケースの対応が必要ではないかと思います。学校側が本当に求めているのは日本語教師なのではなく、通訳や翻訳者なのではないかという気もします。日本語指導者の役割や重要性についての認識にズレを感じます。」
さらに、最後は常勤として日本語学級を担当する先生の声である。
「指導技術を磨くことも大事だが、受入れ側にもっとアピールして、地域に国際交流の芽をつけ、関係を大切にしていくことも、日本語指導者の役割のひとつだと考えている」
このように学校内での位置づけは、現行の制度の下では各自治体、各学校によって対応はさまざまであり、学校が日本語指導者に期待する役割も異なっている。そしてそれが支援者の抱く日本語学級像、指導観にも微妙な差異を生みだしている。このことは「日本語学級とは何を学ぶ場か」という問いに答えることをますます困難にしているともいえる。
ある日本語学習支援者は、非常勤職員として日本語学級にかかわってきた自分をふりかえって、問題をつぎのように整理している。
専任の日本語指導者(教員)の補助として派遣されている非常勤職員が、実際には、日本語指導の実践を任され実行している現状と、非常勤職員の能力の低さ(私の場合)と仕事の難しさとがミスマッチしていることで起こるさまざまな問題。これからの日本語教育のあり方と、日本語指導者の養成について、どのように考えていけばいいのかについて確認したい。」
このように、日本語学級を担当する先生たちは、学校での位置づけはきわめて不安定なまま前例のない仕事を任されている。また、日本語学級に集まってくる子ども自身も、親の生活基盤の不安定さや異文化の中でくらすさまざまなストレスから多くの問題を抱えている場合がある。したがって、学習支援者が求めているのは、一方で教材や指導法といった技術的な悩みの解決であり、もう一方では、「私はここ(日本語学級)でどのような支援が期待され、現実にどのような支援ができるのか」という本質的な悩みの解決なのである。学習支援の経験が長くなればなるほど後者の悩みはますます深刻化せざるをえない。
前述のように、日本語学習支援者の学校内での位置づけはきわめて不安定であるが、これを子どもの発達保障という観点からみると、また違った側面がみえてくることになる。
つまり現状では、担任をふくめ、常勤(加配)の教員、非常勤の補助員、またボランティアの協力者などの間で、公教育で行う日本語学級とは子どもにどのような発達保障、学力保障をするところなのかという合意や相互協力が得にくいという面がある。そういう意味では、まず日本語を母語としない子どもが通う教室がなぜ「日本語」学級なのかということから論じる必要があるかもしれない。子どもたちは、もしかしたら何年か後には出身国に帰るかもしれないし、また第三国に移住するかもしれない。日本語学級を担当する教師やボランティアは、そういう子どもたちに「今、これを学ぶことがわたしの人生にとってなぜ必要なのか」を理解させながら学習支援をしなければならないのである。
地方自治体や学校によっては、これを「国際学級」と呼び、国際理解教育と関連づけている事例もある。また、夜間中学校などでは、子どもの権利条約でうたわれている子どもの学習権保障と結びつけて「識字教育」の一貫ととらえ、より広い意味でのリテラシー教育と位置づけている事例もある。
このように、子どもの発達保障の観点から見たとき、これまでの「日本語学級」の役割は、生活言語、学習言語としての「日本語」能力を保障するにとどまらないだろう。
したがって、学習支援者に対する支援は第一に、日本語学級に求められる役割とは何か、そこで保障すべきこととは何かを子どもや親、教師、地域などさまざまな立場から論じ合う場を用意することである。また第二に、日本語学級で達成すべき発達や学力をだれがどのように保障していったらいいかについても、行政の責任範囲との関係で明らかにしていくことである。学習支援者が所属する学校や自治体から自由に発言し、ネットワークを広げ、親や子どもや地域との接点を作るという意味で、このような支援者支援のネットワークが今後果たす役割は大きい。