豊中班報告

(山田泉)

 <構成>
 [調査研究の概要]
 1 「子どもメイト」の現状( 1) 目的、2) 開催日・時間帯、3) 参加者、4) 運営形態 )
 2 課題とその克服に向けての取り組み( 1) 学校への願い、2) 教育委員会への願い、
    3) 全国規模でのリソースセンターの必要性について、4) 子どもメイトの課題 )

[調査研究の概要]

 報告者は,平成8(1996)年6月から,とよなか国際交流協会の主催事業である「子どもメイト」にボランティアとしてかかわっている。この事業は,1995年3月に,中国からの渡日*1の子ども3人(小6:2人,中3:1人)を受け入れた担任の先生がたから協会に対応の依頼があって,中3の子は高校進学も希望していることもあり,「取りあえずの日本語を教え中国文化を楽しむ会」として発足した。はじめは,日・月を除く週5日間,6人のボランティアが主体で,協会はその支援ということでスタートしたものである。その後,地域のボランティアを募り夏休みの集中補習(約20日間)などを行ったが,どうしてもボランティアの自主的運営では,限界があるということで,夏休み明けの95年9月から,協会の主催事業となった。
 現在は,子どもたちの放課後の居場所提供と日本語や教科の学習の支援,母語・母文化の保持・向上支援などを目的にとして開催している。また,ボランティアの多くも協会も,「本来子どもへの対応は,学校が責任を持って行うべきことだ」という認識を持っており,「子どもメイト」の必要がなくなる日が一日も早く来ることを願っている。それまでの取り組みについても,学校や市教育委員会との役割分担を確認していく作業も進めている。
 本稿は,このような取り組みの概略を記したものだが,それぞれの方々のプライバシーの保護のために,あえて抽象的に記述したところもある。当然のことだが,記述に関する責任は山田が負うものとする。

1 「子どもメイト」の現状

 1) 目的

 95年の開設時から,「子どもメイト」の在り方について,日本語を教えることを中心とすべきか,あるいは教科の学習の補習なのか,子どもたちの居場所としての機能こそ大切なのかといった議論が続けられてきた。一時は,子どもの日本語力向上を目指して,市販の日本語教科書等を使った日本語学習支援を行ったこともあった。
 しかし,現在は,子どもたちにとって「子どもメイト」に来る意義は日本語の習得だけではなく,日本語が不自由な中,一日の学校でためたストレスから開放されたり,より自分らしく振る舞いながら互いに相手から受け入れてもらえる居場所としての機能も見逃せないものがあるとの認識はボランティアの多くが共通して持つに至った。また,週2回各2時間程度の日本語学習で日本語力の向上はそれほど期待できないであろうという意見もある。さらには,宿題への対応や教科の補習は子どもたちにとって差し迫った問題であり,それらへの対応は,結果として日本語力の向上にもつながるという意見もある。
 逆に,ボランティア側が,言葉に出しても出さなくとも,子どもたちに日本語の向上や日本の学校での教科の学力の向上ばかりを意識させることは,母語や母文化を間接的に否定させることにつながり,ひいては自分や家族を誇らしく思う気持ちに歪みを生じさせかねないという意見も出ている。
 そんなことで,現在の目的は,放課後の居場所提供と日本語や教科の学習の支援,母語・母文化の保持・向上支援などとしているが,子どもにとって必要なことには現実的な対応をしていくという,「何でもあり」のものである。
 しかし,繰り返しになるが,わたしたちの活動があることを言い訳に,本来受け入れの主体である学校や教育委員会の取り組みを鈍らす結果を招かないともかぎらない。これらに対し,子どもや家族の声を代弁し,取り組みの促進を働きかけるということも最も大きな目的の一つなのかもしれない。

 2) 開催日・時間帯


「相互学習
 -ボランティアに教える子どもたち-」
 開催日は,毎週火曜日と木曜日の2回,各4時30分〜6時30分となっている。学校の長期休暇中は通常の活動はしない。ただし,夏期休暇中は,子どもたちの学校の担任などにも協力を依頼し,夏休みの宿題のサポート等を2週間程度,別企画で行っている。今年度は,中学3年生が多いので補習的な対応も行った。
 また,不定期だが子どもたちが自分の国の料理を作るのをボランティアが手伝って一緒に食べる会や花火大会,遠足などのイベントも有志によって行っている。これとは別に協会主催の各種の子ども対象の行事にはほとんどの子どもたちが参加している。

「中国、タイ、ブラジル:子どもは名シェフ
 -子どもたちが教える自慢料理-」

 3) 参加者

   子どもたちは,原則として1年間で子どもメイトのメンバーは卒業するが,ほとんどはその後も継続して参加しているので,近頃は,期間は有名無実化している。現在の登録者は約20人だが,毎回の出席者は10人〜13人程度である。そのほとんどが中国帰国者家族の子どもたちで,ほかに韓国人2人,ブラジル人1人,タイ人1人,中国人留学生夫婦の子ども1人がいる。
   学年は,現在のところ小学校3年生から中学校3年生までで,また学校に行っていない18歳の者が1人いる。
   ボランティアは,登録数は約20人だが出入りは激しい。毎回火曜日が10人程度,木曜日が8人程度参加している。子どもの人数との関係で,足りなくなると協会が広報などで募集する。月1回のボランティアミーティングには,参加の義務があり,原則として参加できることを条件にメンバーとなる。

 4) 運営形態

   協会には子どもメイトの直接の担当者が1人いて,これとは別に子どもメイト各開催日に,各1人の子ども相談員が配置される。この3人が実質的コーディネーターで,ボランティアはその都度,個々の子ども(緩い関係で相手が決まっているようで,いないような臨機応変な対応)と原則として1対1で対応している。ただし,有志で教材の整備担当や市民対象のフォーラムの企画・運営担当など小グループで,必要な対応をすることもある。
   すべての運営は,月1回,(月によって火曜日と木曜日と交互に)子どもメイトの後の時間で開催されるボランティアミーティングで協議し,決定する。ボランティアは3年以上の経験者から参加したばかりの者までさまざまだが,持ち回りで司会を担当し,積極的な議論が行われるため毎回1時間半の予定時間をかなりオーバーする。

2 課題とその克服に向けての取り組み

 1) 学校への願い

   新渡日の子どもたちは,希望すれば住所地の学校区の学校に受け入れられ,必要で十分な対応が,責任を持ってなされなければならない。必要で十分とは,単に日本語でなんとか意思が通じ合える言語運用能力を養成するというものではない。それだけでは,教師から一方的な指示をし,「必要なことは伝えてある」と教師が満足するためのものでしかない。まず,その子が本来持っている性格や能力が,ほかの子どもや教職員,保護者等との人間としてかかわりを通じて,発揮できるように受け入れ体制を作ることが必要である。そのためには,本人や保護者と十分に意見を交わしながらそのような体制を一つ一つ作っていくことが大切になる。
   併せて,日々の学習による学力伸張をしっかりと保障していくことが不可欠である。これらに対して,日本語が不自由ならば,母語等での対応が求められる。受け入れ体制を作る上で重要なことは,その子どもの側にのみ日本語の習得や日本文化への適応を要求するのではなく,受け入れ側にこそ制度や意識の変容がいるという認識である。
   しかし,ケースによって対応には大きな幅がある。その中でも,対応が十分ではなく,子どもが日本語の授業が分からず,数か月後に勉強への意欲をなくした時点で,「この子は,勉強が好きではないようだ」と判断するといったことがあまりに多く問題を感じる。わたしたち子どもメイトのボランティアがこれまで見てきたすべての子どもたちの中に,もともと勉強が嫌いな子など一人もいなかった。むしろすべての子は知的好奇心が旺盛で,その子の母語で対応すれば既習の科目では,多くの日本の子と同等の学力幅の中にある者ばかりである。
   また,ほとんどの子が学校でいじめを受けたことがあると言っていて,さらに,教師の不注意な言葉で深く傷ついたという子が少なくない。子どもメイトに来てすぐは,目を輝かせて前向きに勉強していた子が,次第にやる気を失い,算数・数学など,かつてできたところまで戻って説明しても,「おれ/わたし,ばかやし,できひん」とこたえるのを聞くのは悲しい。
   どうか,学校での対応により一層の努力をお願いしたい。少なくとも,子どもたちが勉強についていけなくなっても,それを子どもたちのせいにはしないでほしい。
   これらの子どもたちに熱心にかかわる先生がいても,ほかの先生たちから,「日本人の子でも授業についていけない子がいるのに,何で外国人の子にそれほどやってやる必要があるのか」という非難が寄せられるという意見も聞く。教師という職業は,すべての子どもたちのためにあるのではないだろうか。このような声は,自分の職業の存在意義をも否定しているようにしか思えなく,残念である。

 2) 教育委員会への願い

   上で「学校への願い」を述べたが,受け入れの取り組みは学校だけの努力ではできることに限度がある。子どもたちやその保護者に対する母語での対応や日本語や教科の指導のための「取り出し*2や「入り込み*3の担当者の確保などは,予算措置や適当な人を選ぶ方法など,教育委員会の対応が求められる。また,外国人の子どもの受け入れに慣れていない学校などでは,何をどのように対応してよいかさえ戸惑うことだろう。これらに対して,教育委員会が果たすべき役割は大きなものがあるといえよう。外国人等の子どもの受け入れが,その他の子どもへの多文化教育,地球市民教育のためにも絶好の機会となるよう,全国の先進事例の収集整理を行い,受け入れのための相談事業や情報提供ができるようなシステムを確立すべきと思われる。
   豊中市教育委員会では,いわゆる「センター校方式」のミニ版(今年度は外国人等の子どもが在籍する5校(中国語対応3校,ポルトガル語対応2校)を認定し,他の学校からの通級も受け入れている)による対応によって日本語指導を行っている。しかし,豊中市の場合,外国人の子どもたちは少数点在型なので必ずしも市内の外国人等の児童生徒が在籍するすべての学校のニーズにはこたえきれていないのが現状である。
   協会においては,市教育委員会の取り組みに協力すべく,子どもメイトでの取り組みから得たことをもとに,関東地域の先進事例の調査研究も行いながら,1996年12月に発足した,市教育委員会,市人権文化部文化課,市在日外国人教育推進協議会と協会の四者での協議会(「四者懇談会」)に参加し,約2年間,協議を重ねてきた。その結果,今年度(1998年度)当初から,市教育委員会の中に渡日児童生徒相談室が,教員経験者3人の専従スタッフが設置され,業務を開始している。この相談室は,現在,試行的取り組みを続けながら,今後,外国人の子どもたちの受け入れから,進路決定,送り出しまでの相談に答えつつ,学校や地域社会との連携のもとに,さまざまな取り組みをしていってくれることと期待されるものである。市教委がこのような機関を設置しているところは,国内では希なのではないかと思われ,他自治体のモデルとなる機関となってほしいものである。

 3) 全国規模でのリソースセンターの必要性について

   教育委員会の相談室への期待を述べたが,新渡日の子どもやその保護者への初期対応から日々の授業や学校内外での生活・活動,行事等への対応,進路指導まで,すべての情報を持ち,すべての学校現場のニーズに的確に対応することは,難しいということは言うまでもない。これら相談室等の機関の求めに応じて,教授面,指導面から奨学金や生活保護費など経済面に至るまで,外国人や中国帰国者の特性に応じた必要な情報を適切に発信してくれる拠り所がどうしても必要である。
   また,全国的に見れば相談室等の機能がないところがほとんどと思われる。そのような場合,新渡日の子どもへの初期対応では,学校現場や教育委員会が取りあえずの情報入手先があり,そこから直接情報を得たり,そこで全国の情報収集先が分かったりすれば,「地獄で仏」の感があろう。その後,渡日の子への指導の取り組みや渡日の子どもの在籍をすべての子どもの教育的財産にする取り組みへとつなぐために必要に応じて助言なども得られる全国規模のリソースセンターが必要である。
   子どもメイトでも,子どもたちの教科の学習に即した翻訳教材や教科書の対訳が必要との思いがあったが,その存在は一部しか知らなかった。しかし,中国帰国者定着促進センターの情報から,大阪府と大阪市の在日外国人教育研究協議会で作成した中国語の対訳教材や用語説明集があることが分かった。まったく「灯台もと暗し」なのである。しかし,情報から隔絶された状態にある多くの現場は,このような状態なのではないだろうか。それでいながら,日常的に情報に接している側は,その情報を自明のこととして,あまり価値あるものとは思わないということがあるのではないか。
   隣の学校に必要な情報があってもそれを知らなければ,情報がないこととかわらない。地域社会でのネットワークの発展のためにも,またそれを全国に発展させるためにも,地域内でのアクセス先の情報提供するためにも,全国規模で情報を集積し,整理し,発信することが必要で,それらの役割を担いうる公的なセンターの早急な設置が待たれるものである。

 4) 子どもメイトの課題

   子どもメイトは,外国人等の子どもたちの受け入れは,本来,学校が取り組むべき課題との認識を持ち,それを可能にすることを教育委員会や学校,地域社会に要求しながらも,それがかなうまで子どもたちを放っておくことができないがゆえに,緊急的,現実的な対応をすべく活動しているわけである。しかし,ボランティアによる対応には限界があり,とても子どもたちの十全な教育に責任が持てるものではなく,また,責任を持つべきでもないとも考える。
   しかし,現状からいって今しばらく活動を続けなければならないとすれば,子どもメイトがしてもよいことは可能な限りしていかざるを得ないとも考える。その一つは,子どもたちへのかかわりの中から理解した制度面,意識面での受け入れの不備について,子どもたちに代わって,学校関係者や地域社会に代弁していくことだと思われる。
   また,子どもたちをありのままで受け入れた上で,居場所を提供し,子どもたちへの日本語や教科の学習の支援を行うことであり,子どもたちの母語,母文化を尊重することであると考える。そのためには,日本の学校で使用している教科書やドリル,参考書等の子どもたちの母語での翻訳教材の確保およびその録音教材等の開発・整備が挙げられる。これらは,わたしたちボランティアだけでできることではなく,文部省や関係当局が予算措置をも含め取り組むべきことと思われる。
   さらには,子どもたちが,学校や家庭,地域社会で十全な発達が遂げられるための取り組みが求められる。これらは,子どもの発達が「待ったなし」であり,すべての関係者が今すぐ取り組まなければならないことだと考えるからである。だからこそ,ボランティアとしてかかわっているのだが,無力感を感じる日々である。
   特に,子どもたちの高校進学の問題に直面すると,ボランティアだけでの支援ではどうにもならないと感じる。一刻も早く,他都県の例を検討し,「特別枠」であれ,別の対応であれ,大阪府の実態によりふさわしい形で,高校入試制度の抜本的改革(時間延長やルビうち,辞書持ち込み可といった「アリバイ的対応」ではなく,母語入試など)の実現が望まれるところである。
   わたしは,一人のボランティアとして,子どもたちから学び,意識ある先生方と連携をとって子どもたちが日々長い時間を過ごしている学校現場の現状から学び,また,地域の外国人等の声から学ぶことが大事だと考える。学校や地域社会は,これまで日本人や大人といった主流派によってその在り方が決められてきた。そこで生み出されてきた多くの問題は,外国人等や子どもたちと一緒に考え,取り組んでいっててこそ,その克服の可能性があるということを確信している。


注:

*1「渡日」:
「中国帰国者」というような言い方は,子どもである当事者が感じている日本社会への移動の実感にはそぐわない場合もあるといわれる。また,外国人の子どもたちを含めた日本社会への移動にも即した形での言い方を考えると「渡日」という言い方が適当であるという見解(大阪府在日外国人教育研究協議会もそのような見解を述べている)にそった。
*2「取り出し」:
子どもが在籍する学級を特定の時間だけ離れて,「日本語教室」などといわれる外国人等への日本語学習等,特別な対応をする学級へ行くことをいう。日本語教室が子どもたちの居場所的な機能を持つことは場合によって必要なことだが,自立への発進基地となったり,一般の子どもたちとの連携の基地としての機能することが望まれる。
*3「入り込み」:
2とは逆に,子どもの在籍する学級の一般の授業に,補助者などが入って,子どもの隣について通訳等を行うものである。子どもの自立心を育て,周りの児童生徒に違和感を与えず,授業担当の先生と協働的関係を作り学級全体にとってよい授業環境を作るように工夫されている。「ひっつき」などともいう。