『京都外国語大学留学生別科紀要』 |
「児童のための日本語教育と教科テスト」 |
河野 美抄子 |
現在、多くの小・中学校で、外国人児童のための日本語教育が行われている。1997年度の文部省調査によれば、日本語指導が必要な外国人児童・生徒の数は、17,296人であり、全国の公立小・中学校を合わせて5,209校に在籍している。
これらの児童が増加するにしたがい、教師の意識も高まりつつある。以前では「お客様」として、悪意なく、放置されていたケースが見られたようだが、文部省や地方の教育委員会でも、教師に対して講習会や研究会が開かれ、国語教育ではない、日本語教育について指導を受けたり、技術を磨く機会が設けられている。
外国人児童や帰国子女を受け入れている学校も増加しており、神戸市では、1995年には136校であったのが、1996年には148校にもなっている。日本語指導のための国際教室を持つ学校数も増えている。日本語指導の側面だけではなく、学校生活を支援するために、神戸市では登録制の語学ボランティアを採用し、また、兵庫県としては外国人児童生徒指導補助員を募集し、語学のできる人を各学校に派遣している。
また、それにかかわる人々の交流も広がり、インターネットやメーリングリストを利用した情報交換も行われている。
それらの甲斐もあって、初期の日本語指導に関しては教材も充実してきたが、それをどうやって、「教科教育」につなげるか、というところでいろいろ問題が出ているようである。特に、国語・社会など「読む」ことを重視する教科は、受け入れ初期の「日本語取り出し授業」に充てられることが多く、大幅に遅れる傾向にある。実際問題、日本語が話せない・読めない状態でこれらの授業に参加するのは困難なことであり、その時間に基本的な日本語を学ぶ方が効率的であると考えるのは当然である。しかし、その間クラスでの授業はどんどん進むので、日本語指導担当教師も「早く母学級(在籍学級)に返してやろう」と日本語が不十分なまま「取り出し授業」を減らしたり終えたりすることになる。
神戸市立港島小学校の例では、その「取り出し授業」の中で、始めは会話中心で教師とのコミュニケーションをはかりながらゲームなどをして進められているが、徐々にプリントなどをする作業が増えてくる。文字から単語へ、単語から文へ、日本語から教科へという流れで、「教科教育」に入るようになる。小学1年生用の国語プリント教材を使ったり、クラスで使用中の教材にルビをふったり、訳語をつけたりという工夫をしながら、「教科教育」を「日本語教育」の範疇でやっている。これが最もオーソドックスなやり方だろうと思われる。それで日本語担当教師がもう大丈夫だと判断したところで母学級に完全に移管される。
低学年の場合、比較的早く母学級で全ての授業を受けることができる。それは、母語においても言語習得過程である子どもなので、教科学習と日本語が同時に伸びるような形で行われるからである。高学年の場合は、教科で使われる日本語を理解できるようになるまで、かなりの時間がかかることが予想されるため、日本語と教科学習を分離したような形で無理をすることなく、進められる。一番判断が難しいのが中学年である。この年齢は言語習得の臨界期(注1)すれすれなので話し言葉は早く上達する。ところが、抽象的概念の理解を含む言語活動となると、やや困難を来す。「聴く・話す」の流暢さに比べて「読む・書く」の拙さが顕著に現れる学年である。見かけの日本語力だけで母学級へ送り出すと、「こんなに話せるのに、なぜテストができないのか」と担任教師が頭をかかえることになる。
もともと母学級での授業も受けているので、学校生活やクラス活動には大きな支障なく、子供は子供なりに仲間と触れ合いながら学力を磨いていく。担任教師は学力評価をするためにテストを行うが、テストとなると、途端に点数が取れないという事態が起こる。問題が起きやすいのは、国語・社会に限ったことではなく、理科でも算数でも、そのテストの時の記述式回答をするところである。要するに、回答を書くのに日本語力を要する場面である。
算数の文章題が解けないのは、問題文がきちんと理解できていないこともあるが、どの数字と、どの数字とを何の算式にすればいいのかがわからないからである。これは、計算ができないのではなく、なぜその計算をするのか、という仕組みが理解されていないために起こる。だから、一概に日本語が読めないからできないのだと判断するわけにはいかない。
例えば、「たてが8cm、横が12cmの長方形があります。たての長さをかえないで、面積をもとの6倍にするには、横の長さを何cmにすればよいですか」という問題を見たとき、日本語の意味はわかっても、どうやったら答えが出るのかわからない、という場合がある。これは、日本人児童でもそんなに珍しいことではない。
ここで取り上げる記述式回答の誤りもまた、内容が読めていても起こり得る現象であるし、外国人児童だけに起こる特別な現象でもない。テストの問題が要求している「型」を読み取る(類推する)力と、パターンを覚える作業が必要であるその上に、要求している「型」を作るだけの文法的な力を身につけていなければできないのである。
簡単な例を挙げると、「〜のはなぜですか。」という質問が出た時には、必ず「〜だから。」などの理由表現にしなければならない。それを要求されている。しかし、問題には「“〜だから”と答えなさい」とは書いていない。また、「〜はどんなときですか。」という質問であれば、「〜とき。」のように体言止めの表現にしなければならない。これにも「“〜とき”と答えなさい」とは書いていない。たとえ書いてあって指示どおりに答えても「朝ごはんを食べませんとき。」という文では不正解であり、連体修飾が困難なく作れなければならない。
それでは実例を挙げてみよう。中国から来日した小学4年生の男児が、1年相当の「国語テスト」をしたときのことである。このとき、来日5カ月目であったが、日常生活にはほとんど問題がなく、コミュニケーションがとれていた。
(例1) |
問題文 |
(本文省略) |
回答 | ==どうぶつたち(正解) ==きりかぶがかくれたのでだから(不正解) (「きりかぶがかくれたから」が正解) |
問題文はよく読めているが、文法的な誤りのため、正解とならなかった。
(例2) |
本文 | トラックはにもつをはこぶじどう車です。そのため、 うんてんせきの ほかは、ひろい にだいに なって います。おもい にもつを のせるトラックには、 タイヤが たくさん ついて います。 |
問題 | ==トラックは どんな しごとを していますか。 ==にだいは どんな つくりに なっていますか。また、それは なぜですか。 ==タイヤが たくさん ついて いるのは どんなトラックですか。 |
|
回答 | ==にもつをはこぶ(不正解) (「にもつをはこぶしごと」が正解) ==うんてんせきのほかはひろいにだいになっている。 にもつをたくさんつむ(不正解) (「ひろい」「にもつをたくさんのせるため」が正解) ==おもいにもつをのせるためです。(不正解) (「おもいにもつをのせるトラック」が正解) |
1年の問題が案外難しいということがわかる。この児童は「つくり」という語がわからないため、教師に質問をしている。また、「しごと」という語についても彼の知っている概念とは異なるものなので、とまどった様子であった。
この問題も読めているのに、回答としては不十分になってしまっている。==では、「どんなしごとか」という質問が要求する回答の型(「〜しごと」)がきちんと書けていないための不正解である。==は「どんな」が要求する答えを取り出しきれず、近いところを全部抜き出すことによって回答としようとしたために発生した誤りである。また、ふたつめの質問が要求する型ができていなかった。==は、「どんなトラックか」と質問しているので、「〜トラック」という表現が要求されている。意味内容に引っ張られたのか、質問を読みちがえたのかは不明だが、理由表現になっている。 採点の方法は教師によって違うだろうが、実際には、不正解でもある程度の部分点を与えるような配慮はなされているそうである。それにしても、この児童は残念ながら、テストでは点数があまり取れないという結果になってしまった。このような場合が往々にしてあるのである。
問題が要求する「型」や文法も重要であるが、語彙もまた重要な項目である。教科の指導内容理解のためには語彙指導が欠かせない。また、それらの語彙を用いた回答を書かなければならないので、定着を図る必要がある。
それぞれの教科によって使われている語彙も異なるが、テストの特徴も異なる。実例を見て考えることにしよう。
(例3) | 問題文 | 空気や水のせいしつをしらべました。絵を見て、つぎのといに答えましょう。 |
(1) | ==のピストンをおすと、空気のかさはどうなりますか。 | |
(2) | ==のピストンをおすと、水のかさはどうなりますか。 | |
(3) | ==のピストンを強くおしたときと、弱くおしたときでは、 空気のかさはどちらがより小さくなりますか。 |
この問題にはピストン2本を立てた絵がついている。それで、「空気のかさ」や「水のかさ」について答えるのであるが、(1)で、もし「短い」とか「低い」という言葉を使ったら、不正解となる。「かさ」は「大きい」か「小さい」で答えるなければならない。目で見えるのは「高さ」や「長さ」であるが、質問は「かさ」を問うているのである。
(例4) | 問題文 | 糸電話を作って、音のつたわり方をしらべました。絵を見て、つぎのといにこたえましょう。 |
(1) | ==、==、==の糸電話で、いちばんよく聞こえるものはどれですか。記号で答えなさい。 | |
(2) | ==と==の糸電話では、よく聞こえませんでした。聞こえなかったわけを書きなさい。 | |
(3) | 糸電話で話をしているとき、糸はどうなっていますか。 |
この問題にも絵がついているが、その絵を表現する言葉を知らなければ、回答できない。(2)の正解は==「ゆびで糸をつまんでいるから」と==「糸がたるんでいるから」である。「糸を持っているから」や「糸がまっすぐではないから」という回答では不正解になってしまう。また、(3)でもきちんと「〜ている」形で答えなければならない(正解は「ふるえている」)。
社会科では、図やグラフを読み取る問題が多く、単語レベルを除いて記述式で答えるものは少ないのであるが、穴埋め問題や○×式問題などでも、かなり読解力を要する。
(例5) | 問題文 | スーパーマーケットのくふうについて、答えなさい。 | |
(1) | (1) 下の( )にあうことばを、 からえらんで書きなさい。 ==しゅるい ==ばんごう == せんでん ==ふくろ
|
||
(2) | うえのようなくふうは、なんのためにおこなっているのですか。 |
「くふう」という語を簡単な表現で説明するのは難しい。しかし、まずそれについてきちんと押さえなければ、この問題には答えられない。選択肢の語彙についてもそして、絵や訳語などで明確に理解させる必要がある。(2)の正解であるが、「お客さんが、買い物をしやすいように。」となっている。「料理しやすいように」とか、「衛生的にするため」といった内容の答えは不正解となってしまう。自分で考えることより、書かれてあることで答えることを最も望ましいとするようである。
(例6) | 問題文 | つぎの文の( )にあてはまることばを書きなさい。 |
(1) | ももは、==( )土地がすきなので、ふった雨がすぐながれるように、==( )をつけ、畑の中にいつまでも水がのこらないようにしている。 | |
(2) | 雨のふらない日が長くつづくと、いっしょうけんめいそだてた木がかれてししまうので、水をやるために、畑のなかに==( )や==( )がとりつけられている。 | |
(3) | 夏の夜になると、==( )がもものしるをすいに出てくるので、それをふせぐために黄色のけいこうとうの==( )をとりつける。 |
問題文自体がかなりの長さになっていて、構造も複雑である。回答は単語レベルでいいのだが、語彙とともに文法的な理解を助ける必要があるだろう。
(正解:==水はけのよい==はい水路==ホース==スプリンクラー==が==ぼうがとう)
算数では、文で回答をするような場面はあまりない。読解力を要する文章題について
は、さまざまな問題があるが、ここでは触れないことにする。数少ない記述式問題はた
いてい専門用語に関してで、単語レベルで答えるものである。
(例7) | ==15÷3のように、あまりがないとき( )といいます。 |
==52÷8のように、あまりがあるとき( )といいます。 |
正解は==「わりきれる」==「わりきれない」である。名詞ではなく、動詞で答えるということを思いつくのが難しいであろう。
国語のテストが難しいことは、前にも例を挙げたので言うまでもないが、国語の場合、「何」「どんな」「どうして/なぜ」という質問が多く用いられているのが特徴である。それに対する回答の型を覚えることの大切さも先に述べた。それ以外では、登場人物の気持ちを問う問題や擬音語・擬態語・擬情語の問題などが外国人児童にとってはかなり難しいだろう。また、出てきた語を使っての短文作成も苦手な問題である。
(例8) | (問題文・ 本文前部省略) |
「まってろよ、白いいす。あしたはきっと元気になって、ぼくがあそびに行くからね。」 |
問題 | 「まってろよ、白いいす」といっているひろ君は、どんな気持ちですか。 |
正解は「はやく元気になって、すなはまでいすとあそびたいという気持ち」である。「うれしい」や「楽しい」という単語レベルでは答えられないので、表現できるだけの文法力が必要である。
(例9) | (問題文・本文省略) |
==「ほう」というお客のしんしの言葉に、どんな気持ちが表れていますか。 ==松井さんが「はっと」したのはなぜですか。 |
==「夏みかんがよくにおうことに感心する気持ち」==「風がもうひとふきすれば、小さなぼうしを車がひいてしまいそうだから」が正解である。「ほう」が「感心」を表し、「はっと」が「驚き」を表すことを知っていなければお手上げである。
(例10) | 問題文 | つなぎことばにつづけて、合う文を書きなさい。 |
二台のトラックが、走ってきた。 そして、( ) |
短文作成で点がとれないのは、何も小学生だけではない。日本語を学習中の大学生でも満点をとれることは少ないので、この手の問題の難しさは理解できよう。
テストで点が取れない外国人児童・生徒に対して、まず、大事なことは、「話せるほどには書けないものだ」という認識をしっかり教師が持つことである。教科の指導内容を理解することと、ペーパーテストにおいて表出されることとは別のものである。どこまでが日本語能力の問題で、どこまでが理解能力の問題であるのかを、きちんと区別することである。
第二言語習得過程にある者はみな、習得した範囲の語彙や文法でしか表現することができない。語彙の代用や単純な文型を使ってのアウトプットは、学習者のストラテジーである。教科テストにおいては、文で答えるべきところを単語で答えたり、本文中の文を加工しなければならないところをそのまま抜き出したりすることがあるが、これは、自分の作る「文が不完全である」ことを意識的、もしくは無意識的に回避しようとした結果であろう。
ということは、やはり、日本語の指導は必要だということになる。Oller(1982)は、「会話的能力」とは別に、「学力に結び付いた言語能力」という概念的にはっきり異なった範疇が存在する(注2)ということを提唱した。第二言語によって学校のカリキュラムをこなすには、習得に5〜7年、あるいはそれ以上かかると言われている。とりたてて日本語の時間を設けるかどうかは、本人のプライドなども考慮しつつ決めなければならないが、何も手立てをせずにいて、ぐんぐん伸びるはずもない。教科に合わせた日本語指導ということを考えるべきである。
理科: | 特殊な語彙、日常生活では使わなくても済むような語彙、やや高度な語彙(例えば、小さくなる→縮む、など)を中心に強化指導する。 |
社会: | 読解をしやすくするために、訳語を与えたり、やさしい表現に言い換えたりする。 |
算数: | 文章題は文の構造が複雑であることが多いので、単純な文に言い換える。算数の専門用語については、日本人と同様に繰り返し扱うことで定着が図れるだろうと思われる。 |
国語: | 質問と回答の型、パターンを定着させる。短文作成に関しては、見本の文が多いほうがまねをしやすいので、教室内で他の児童にどんどん発表させてから、言わせるなり、書かせるなどをする。 |
これらは一案に過ぎないが、学校内で行われる日本語教育というのは、教科理解につながらなければ意味がないものであるから、初期の「生活日本語」指導だけで終わってはならないし、進級・進学を見据えた「教科日本語」指導でなければならない。そのためには、基礎的な日本語学習が済んだ段階で、重文や複文が作れるように文型の指導を心掛けることも必要になるだろう。これは母学級よりも日本語のクラスで行った方が効率がよい。
そして日本語クラスでも、各教科で使われている日本語の問題点を取り上げてやや早めに指導していくようにすれば、母学級での学習の時に「何がわからないのか」を児童自身がわかりやすくなるだろう。
最後に、先で(例1)・(例2)で挙げた4年男児の作文を見てみよう。
( 海へ行ったときのおもいでを書いてみましょう。)
「海きたのとき、めっちゃさむいの感じ。ぼくでおよくのとき、
からだでうきわをおよぎます。なみきたのとき、たかくなります。
あぶないのかんじです。ぼくこわいです。でもプール、おもしろ
いだからおよぎます。二じかんごぼくつかれた。プールおもしろ
かったたのしいかった。」
作文は文法・単語・表記の誤りがはっきり確認できるサンプルとなる。この児童にも問題点はいくつか見られる。助詞の使い方、文体、活用の誤りなどである。
「動詞〜のとき」「形容詞〜の感じ」という表現はおそらく母語干渉だと思われる。そのような誤りは、話し言葉では流れてしまい、回りの人間もあまり訂正しないし、自己訂正も行われにくいので、化石化(注3)しやすい。作文で発見できれば、それを防ぐことができる。また、文の構造も単純なものしか使っていないので、自分の文を利用して、複雑な文を作る練習もできる。
作文でもテストでも「これ、だめ。」という評価の仕方ではなく、そこから問題点を拾い上げ、学力向上につながるように教師は努力しなければならない。「なぜ、できないんだろう」という疑問が起きたとき、「読めないのか」「書けないのか」「知らないのか」「わからないのか」と掘り下げて、どうすれば「読めるか」「書けるか」というところに持って行く。
「読めない」原因はたいていは語彙不足なので、辞書を使うなりして補ってやればいい。文法が不確かでも語彙さえわかればある程度読めることは周知の事実である。だからといって文法指導をなおざりにしていると、いつまでたっても「ある程度」以上には読めるようにならない。
「書く」ことは本当に難しい。成人の学習者であっても、それは大変難しいことである。特に、初級クラスをきちんと受けず、中級クラスに進んでしまった学習者の中に、極端に「書けない」ケースが見受けられる。そして、そのような学習者はあまり伸びないことが多い。やはり基礎的な文法を落としては、いくら高度な文法を勉強しても使いこなせないし、学習中であっても、基礎的な文法が自然に身につくのではないということだ。焦らず、地道に「日本語」としての指導を続けることが大切である。
(注1) 「言語習得の臨界期」とは、言語習得に脳が極めて敏感な時期をいい、レネバーグ(1967)は2歳から12歳頃だとした。Penfield and Roberts(1959)によれば、人間の持つ言語中枢の能力は2歳ごろから急速に発達し、9歳頃にはその成長がゆるやかになり、次第に衰えるという。
(注2) Cummins(1984)は学校教育を受けるのに必要な能力をBICS(Basic Interpersonal Communicative Skills)とCALP(Cognitive/Academic Language Proficiency)、つまり「基本的対人的伝達能力(伝達言語能力)」と「認知的学習的言語運用能力(学習言語能力)」のふたつに分類されるとした。BICSでは非言語的な助けがあるが、CALPでは、 言語は意味を持った支えとなるコンテクストから切り離されている。
クラスで友達とコミュニケーションをとる場合にはBICSが必要であり、教科学習に必要なものはCALPである。
(注3) Selinker(1972)の説く中間言語(interlanguage)の概念に付随するものとして、化石化(fossilization)という現象がある。学習者の中間言語がその発達の途中で、ある項目や規則が不完全な状態で維持されることがある。この結果、ほかの点では流暢に第二言語を使える学習者が、特定の誤りを絶えず繰り返すという状況となる。このような永続的な誤りを化石化と呼ぶ。
テスト問題 出典
理科:「理科 3年 教科書ぴったりテスト」(新興出版社)
社会:「3年のしあげ」(日本標準)
「社会 3年 教科書ぴったりテスト」(新興出版社)
算数:「3年の総しあげ」(文渓堂)
国語:「3年のしあげ」(日本標準)
「3年の総しあげ」(文渓堂)
「国語 4年 教科書ぴったりテスト」(新興出版社)
参考文献
『バイリンガル教育と第二言語習得』コリン・ベーカー著 岡秀夫訳・編( 大修館書店 1996 )
『第二言語習得研究』 山岡俊比古著 (桐原書店 1997)
『入国児童のための日本語教育』 縫部義憲著 (スリーエーネットワーク 1999)
『実践国語研究』別冊 N0.184 (明治書院 1998)
「小学校における外国人児童教育の問題―算数の日本語はむずかしい」河野美抄子(『日本語・日本文化研究』第5号 1997)