『日本在住の外国人の子どもと教育』

佐藤 純

(H13年度 東京女子大学卒業論文)

序章 外国人移住者とその子どもたち

 近年、通信技術や交通手段の発展に伴い、地球がますます小さく感じられるようになっている。商品、資本、情報、サービスなどが地球上を移動し、「ヒト」もまた国境という枠組を超えて移動するようになった。
 こうしたなかで、日本においても外国人移住者が増加傾向にあり、今日様々な国の人々が日本で暮らしている。法務省入国管理局(2001)によれば、1999年末における外国人登録者数は155万人を超えて過去最高であり、これは日本の総人口約1億2,668万人の1.2パーセントに当たる。この調査の5年前の1994年末に比べ14.9パーセント、10年前の1989年に比べ58.1パーセント増加している。外国人登録者数を在留資格別にみると「永住者」はアジア地域が韓国・朝鮮を中心に96.5パーセントを占めており1995年よりほぼ横ばいとなっている。圧倒的多数を占める韓国・朝鮮の人たちは約63万人で外国人登録者数の40.9パーセントを占めている。中西・佐藤(1995)によれば「こうした韓国・朝鮮人の多くは日本の朝鮮支配時に来日したか、強制連行された人々の子孫であり現在3世代か4世代目になり、定住の道を歩んでいる」と報告されている(中西・佐藤、1995、p.1)。いわゆるオールドカマーと呼ばれる人々である。一方、「非永住者」のうちアジア地域出身者が59.4パーセント、南米地域出身者が29.1パーセントで、この2つの地域だけで88.5パーセントを占めており、こうした外国人は年々増加傾向にある。ニューカマーと呼ばれる人々である。「非永住者」のうち「留学」、「就学」、「興行」、「研修」、「永住者の配偶者等」などの在留資格で滞在している者のうち90パーセント以上を占めるのがアジア地域出身者である。
 日本では、80年代の半ばからのバブル経済と呼ばれる急激な経済成長や近年問題となっている少子化の影響もあり、80年代後半には単純労働をする労働者の不足が顕在化した。こういった単純労働の労働力の供給源としての外国人労働者は、日本社会においては必要かつ重要な存在となってきたといえよう。とくに1990年の「出入国管理及び難民認定法」(以下、改正入管法とする)の改正と施行により、労働者として移住する南米日系人の数が増加している。なぜなら、この改正入管法によって、日系人は、日本で就労に制限のない「定住者」、「日本人の配偶者等」の在留資格を得ることができ、単純労働分野への就労が可能となったためである(日本労働研究機構、1997)。こうした傾向については「一定の経済成長と生活水準、国際競争力を保って行こうとすれば、外国人労働力の導入は避けられない」(梓澤、2000、p.164)と指摘されている。一方で、言葉や文化、習慣、宗教などが異なる外国人が地域社会で暮らしていくには、様々な問題に直面することになる。本論文では、外国人が直面する問題のなかの1つとして外国人の子どもの教育について取り上げる。
 日本に移住するニューカマーの増加に伴い、必然的にその子どもたちも増加傾向にある。日本在住の外国人の子どもには、外国で生まれたケース、日本で生まれたケース、国際結婚により日本もしくは外国で生まれたケースなど様々な背景がある。そのなかでも、外国で生まれた子どものケースでは、それぞれに異なった地域や文化のなかで育ち、自分たちの意志とは無関係に親の都合により日本に連れて来られ、突然“異文化”を体験することになる。日本語が理解できず、日本の文化や生活様式、考え方などに接したことのない子どもたちが、日本に来て様々な問題に遭遇するのは想像に難くない。就学年齢の外国人の子どもの多くは、公立の小・中学校に通うことになる。彼らの日常生活場面で、1日の大半の時間を過ごすことになるのは通常家庭と学校になる。家庭は家族と同じ言葉を話し、ある程度は母国での生活習慣を踏襲できる生活の場である。一方、塘(1999)が「現代の日本おける学校は、子どもの生活の中で大きな地位を占めており・・・(中略)・・・子どもの日常生活に多大な影響をもたらす」(塘、1999、p.22)と指摘しているように、学校生活は、外国人の子どもたちにとって、言葉や習慣、教育制度等の大きな違いを実感する場になると考えられる。
 本論文では、外国人の子どもたちは、日常生活の中で大きな割合を占める学校生活において、より多くの問題に直面していると考えられるため、とくに学校生活の中心となる教育問題について考察する。そのなかでも日本語が理解できない子どもが学習するために必要となる日本語指導に焦点を当て、外国人の子どもたちの学校生活における現状の把握と今後の課題について考察する。
 ただし、本論文の外国人とは、ニューカマーと呼ばれる比較的最近日本にやってきた人々を指す。オールドカマーと呼ばれる日本における最大の定住外国人集団である在日韓国・朝鮮系の人々は多くの問題を抱えているものの、日本で生まれ育ち、日本語に不自由しないオールドカマーの子どもたちと、ニューカマーの子どもたちとを同一に扱うことは不適当であると考えられる。したがって、ここで論じる外国人の子どもとは、公立の小・中学校に在籍するニューカマーの子どもを対象とする。

<本論文の構成>
 第1章では、日本における外国人の子どもの教育について報告する。外国人の子どもの教育の権利および現状について説明する。
 第2章では、外国人の子どもの日本語教育について述べる。特に日本語の学習に焦点を当て、彼らが抱える問題について考察する。
 第3章では、外国人の子どもの日本語指導者を対象とした面接調査と外国人の子どもへの学習サポートを通した観察から、日本語指導の現状および問題点を明らかにする。
 終章では、日本語教育を中心とした外国人の子どもの教育における課題と展望について考察する。最後に本研究の限界について述べる。


第1章 外国人の子どもの教育

1.公立学校に在籍する外国人の子ども
 近年、日本国内の外国人の増加に伴い、学校では日本語が理解できない外国人の子どもが増加している。太田(2000)によると、こうしたニューカマーの子どもたちが、最初に注目されたのは、1970年代から受け入れが始まった中国帰国者の子どもたちである。そして、1980年代に入るとインドシナ難民の子どもたちが加わることになる。さらに、1980年代後半からは、外国人労働者の急増に伴い、主に南米からの子どもたちの増加が著しいと報告されている。
 文部科学省(2001)によると、2000年の公立学校に在籍する日本語指導が必要な外国人の児童・生徒の数は、小学校が12,240人で公立学校の児童・生徒総数に占める割合が0.17パーセント、中学校が5,203人で同0.14パーセントとなっている。このうち、日本語指導を受けている外国人児童・生徒の数は、小学校が10,123人で日本語指導が必要な外国人児童の82.7パーセント、中学校が4,123人で同79.2パーセントとなっている。したがって、日本語指導が必要であると判断されながら特別な日本語指導を受けていない外国人児童生徒が小学校、中学校合わせて3,000人以上いることになる。ここで注意したいのは、この調査は日本語指導が必要な児童・生徒に限定しているために、ある程度の滞在期間を過ぎて、日本語指導が必要でないと判断された子どもたちは含まれないため、外国人の子どもたちの総数を把握することはできないことである。公立学校における外国人の子どもの総数に関する調査は実施されていない。
 また、文部科学省(2001)によると、外国人児童・生徒の母語(第一言語)は65言語に及び、これまでの調査で最高の数となっており一層多様化してきている。一方で、母語別に見ると、ポルトガル語、中国語、スペイン語の3言語で全体の81.1パーセントとなり、在籍者の多い言語には偏りがある。
 さらに、外国人の子どもたちの居住地は、特定の地域に集中する傾向がある。文部科学省(2001)によると、外国人児童・生徒の都道府県別の在籍状況は、在籍数順に、1位愛知、2位神奈川、3位静岡、4位東京、5位大阪となっており、上位5都府県で全国の45.9パーセントを占める。これらの地域に外国人の子どもたちが集中する傾向にあるものの、外国人の児童・生徒の在籍校は全国的に拡大しており、全ての都道府県に及んでいる。


2.教育制度
 日本での外国人の子どもに対する教育の権利は、1979年に批准された「国際人権規約(A規約)1」によって、すべての者に対して義務的で無償のものとして初等教育が保障されている。また、1994年には「子どもの権利に関する条約2」が批准されている。この条約の第2条では、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、国民的、種族的、若しくは社会的出身などによる差別を禁止し、同条約上のあらゆる権利が全ての子どもに保障されることを規定している。したがって、第28条の教育の権利においても差別が禁止されることになり、外国人の子どもの教育を受ける権利は保障されている。
 しかしながら、教育に関する問題はこれらの条約だけでは解決に至らない。太田(2000)によれば、日本国籍の子どもは、法令上教育の権利は保障されているが、日本国籍を持たない外国人の子どもは、教育の義務はないとされている。文部科学省の方針では、外国人の子どもには、市町村の教育委員会が、日本人と同様の「就学通知」ではなく、外国人登録をもとにした「就学案内」を発給する。江原(2000)によれば、就学を希望する場合、当該教育委員会が「許可」することによってその希望が実現すると報告されている。「許可」により外国人の子どもが公立学校に編入学を許されると、差別無く「日本人の子どもと同じように扱われる」ことになる。これがどういった意味を持つかについて、江原は次のように述べている。

   授業料の不徴収、教科書の無料配布や就学援助等、日本人と同等の行政上の待遇を
   得ることが含まれるが、同時に、教育上、日本人と全く同質の教育が行われること
   も意味している(江原、2000、p.288)

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1国際人権規約(A規約)1979年批准
 第一三条 教育についてすべての者の権利を認める。
2子どもの権利に関する条約 1994年批准 
第二条
1.締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法廷保護者の
 人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しく
 は社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もな
 しにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。(以下省略)
第二八条
1.締約国は、教育についての児童の権利をみとめるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、特に、
(a)初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。(以下省略)
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 つまり、外国人の子どもはいかなる場面でも「特別扱い」はされず、教育内容においても、「同じ授業を同じ方法で」受けることになる。このような状態では、外国人の子どもが持つ固有のニーズは無視されると指摘されている(太田、2000、p.26)。
 太田(2000)によると、日本社会では、長い間複数民族の存在という事実には目を向けず、単一民族による同質的な社会と考えられていたため、教育=国民教育であるという概念に基づいた教育が行われている。近年、ひとりひとりの個性を重視することが重要な教育課題として掲げられている一方で、子どもに対して画一的な行動を求める傾向は依然として根強い。
 公立学校での外国人児童・生徒に対する文部省の主な施策としては、まず、1989年に「外国人子女研究協力校制度」がスタートしている。つづいて、日本語の指導教材『日本語を学ぼう』を開発したのは1992年、外国人子女等指導資料を作成したのが1995年である(文部省教育助成局海外子女教育課、2000)。このような現状は「外国人児童・生徒の数が急増して初めて、政府は対策を立てだした」(塘、1999、p.15)と指摘されている。
 国レベルで対策に取り組んでいるとはいえ、その歴史は浅く未だ模索中の段階であり、十分な施策が講じられてないと考えられる。
 太田(2000)によると、このような段階での外国人の子どもたちの教育問題は、外国人の移住者が多い地域と殆ど居ない地域、教師の努力や犠牲の有無に拠る格差が大きいのが現状である。その上、教育問題を一層複雑にしているのは、子どもの母語が多様であり、加えて母国での教育程度や日本語能力、文化背景の違いもあるため、外国人の子どもといってもその状況は様々であるという事実である。


3.学校の対応
 外国人の子どもが日本の学校に編入学をする場合に、まず最初に考えなければならないのが、どの学年に編入させるかである。通常は、年齢に応じた学年へ編入させることが原則になっているため、日本人の子どもと同様に年齢相応の学年に編入させるというのが一般的なようである。外国人子女の日本語指導に関する調査研究協力者会議(1998)によると、日本語指導が必要な外国人の子どもの学年配置は、全体の8割以上が学齢通りに行われている。しかしながら、日本と教育システムが違う外国で教育を受けてきた子どもの場合、進級には一定の到達基準が設けられている国も多く、必ずしも同年齢の子どもが同学年に在籍するとは限らない。つまり、到達基準をクリアすることにより進級が決まるシステムのもとでは、「飛び級」も「落第」もあり得るのである。したがって、外国人編入学者を一律に年齢相応の学年に編入させると「空白学年」が生じる恐れがあると指摘されている(江原、2000)。さらに、同学年の子ども達がそれぞれの国において日本と同じ内容を学習しているとは限らないため、より細かな教育環境の調査が必要である。
 日本の学校に編入学してきた外国人の子どもに対して「初期指導」として行われるのが「日本語教育」と「適応教育」である。彼らは、日本語が話せないのと同時に、日本では学校生活をどのように送るべきかについても知らないため実施される教育である。前者の「日本語教育」については、本論文第2章「外国人の子どもの日本語教育」で詳しく述べるので、本章においては、後者の「適応教育」について説明する。
 太田(2000)によると、外国人の子どもが入学してきた場合、学校や教師は、外国人の子どもができるだけ早く学校に慣れるように対応する。そのために「初期指導」として「適応教育」が行われる。この「適応教育」の目標は、外国人の子どもが日本人の子どもと同じように学校生活を送ることにある。さらに太田は、集団行動や協調性の涵養を重視する日本の学校では、多くの規則の遵守が子どもたちに求められる上に、「違い」や「異なること」に対する許容度はきわめて小さいと指摘している。母国で学校教育を受けた子どもは、母国の学校文化と日本の学校文化とのギャップが大きいと感じるために、日本の学校文化になじめなかったり、そこでトラブルを起こす危険性が高いと考えられる。日本の学校生活での「適応」は、持ち物から服装、行動や考え方までにいたる。こういった「適応教育」では、子どもの固有の言語、文化、習慣等は無視されるか抑圧されると考えられる。さらに危惧されるのは、そのような教育現場では、日本人の子どもたちにも自分とは違った言語や文化、習慣を否定するというような意識を芽生えさせる可能性があるということだ。
 日本人の子どもの多くは、外国人の子どもが自分たちの学校に入学するまで他の文化に接する機会が少ない。したがって、外国人の子どもの存在は、彼らにとってなかなか受け入れづらいのも事実であろう。箕浦(1990)は、異文化の接触がないためそれを受け入れられない状態を次のように述べている。

   自分の生まれ育ったところの文化を体得するということは、そこで適切とされてい
   る行動を自ずから取れることであるとともに、それに拘束されるということである。
   自文化に拘束されていればいるほど、他の文化に対して違和感が増して、他文化受
   容への柔軟性を欠きがちとなる。(箕浦、1990、p.60)

 さらに、箕浦(1997)は、異文化を正しく理解しないことは、偏見や差別を生み出すと指摘する。
 外国人の子どものように、2つ以上の文化環境にまたがって成長する子どもは、2つの文化を何らかのかたちで統合していき、自己のアイデンティティを確立していかなければならない。これにより、自分がその文化に属している感覚を意識する(鈴木、1995、p.152-153)。したがって、外国人の子どもは、母国の文化を否定されること、もしくは偏見や差別を避けるために自ら母国の文化を否定することが、こうしたアイデンティティの形成にも影響を及ぼす。
 自由人権協会(1997)によれば、日本では、少数者の言語、宗教、文化、アイデンティティを保持する権利は、「子どもの権利に関する条約3」の八条および三〇条において保障されている。したがって、国家としても外国人の子どもたちの母国の文化を尊重しつつ、教育に対する施策を講じていかなければならない。外国人の子どもたちが日本に「適応」することでしか日本での生活の問題を解消できないのであれば、外国人のアイデンティティは保障されていることにはならない。外国人の子どもたちが独自のアイデンティティを保持して生活していくには、日本の子どもたちも異文化を正しく理解して、それを受け入れていく必要がある。異文化を理解することができれば、「多元的な価値に気づき、多様性を楽しむことができる」(箕浦、1997、p.49)。そのためには、社会の多様性を認めた相互理解のための教育を実践していく必要があるといえよう。

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3子どもの権利に関する条約 1994年批准
第八条
1.締約国は、児童が法律によって認められた国籍、氏名及び家族関係を含むその身元関
 係事項(アイデンティティ)について不法に干渉されることなく保持する権利を尊重
 することを約束する。(以下省略)
第三〇条
 種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当
 該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化
 を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践しまたは自己の言語を使用する権利を否定され
 ない。
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 外国人の子どもが学校へ「適応」していくにつれ、学校では、外国人の子どもが日本人の子どもと同じように学校生活がおくれるようになったと好意的に判断される。しかし、それが外国人の子どもにとって、または家族にとって、必ずしも最良なことであるとは限らないことに注意したい。つまり、日本文化への同化により母文化の喪失が生じる恐れがあるからである。
 また、日本での滞在が一時的なものに過ぎず帰国するようなときには、再び母国の文化との異文化接触が起きることになり、この場合母国の文化への不適応がより強いストレスを引き起こす可能性がある。特に、日本への永住が決定していない子どもにとっては母文化の維持を考慮する必要があるといえよう。したがって、現状の同化を強いる半強制的に行われる「適応教育」のような教育制度の見直しがせまられている。


4.母語教育
 日常生活の大半を占める学校内で、外国人の子どもが母語を使用する機会は極めて限られている。学校には、彼らの母語を話すことができる教員や友達がほとんどいないのが現状である。同じ言語圏出身の外国人の子どもが多くいる地域でも、学校側では日本語に少しでも早く慣れるようにという「教育上の配慮」から、外国人の子どもたちを別々の学級に入れる方針をとる場合が多いと報告されている(江原、2000、p.294)。梓澤(2000)によれば、外国人の多い地域では、自治体により外国人の母語が話せる教員を採用したり、母語教室を開く試みがなされている。しかしながら、地域が限られており、時間的にも限定されているため、子どもが母語を十分に使用できる環境の維持は難しい。こうした現実では、外国人の子どもたちの日常会話は日本語へと移行してゆき、アイデンティティ形成の根拠となり家庭内での共通言語でもある母語を喪失してしまう可能性がある。また、母語の発達は、外国人の子どもたちの学習を支える上でも重要な役割を果たす。学習場面における母語の発達の必要性については、本論文2章の4.「第2言語としての日本語教育」で考察する。
 外国人の子どもたちに対する施策の歴史が浅い日本では、その子供たちの母語や母文化の喪失という問題まで対策を講じられないのが現状である。しかし、母語教育は、外国人の子どもの教育問題を考える上で重要な課題である。


第2章 外国人の子どもの日本語教育

1.日本語指導の目的
 外国人の子どもの抱える問題のなかでも言語の問題は直接的かつ即時的である。日本の学校での外国人の子どもの扱われ方は、本論文第1章で述べたように「日本人の子どもと同様の教育」を受けることが前提とされている。したがって、日本語で行われる一斉授業に参加するには、外国人の子どもに対する日本語教育が不可欠になる。日本語が理解できないという問題は、授業が理解できないという学習問題であるのと同時に、友人とのコミュニケーションにも支障をきたし、学校生活を送る上での様々な問題となる。
 学校で行われる日本語指導は、まず、日本に来て間もない外国人の子どもに対しての「初期指導」として行われる。太田(2000)によると、日本語指導は、学校生活に支障をきたさないように、通常、まずは日常会話から始まり、読み書きへと移っていく。このような「初期指導」としての日本語指導の目的には、学校生活への「適応」という側面があると考えられる。しかしながら、太田(2000)は、「初期指導」として、日本語指導を取り入れ学校生活に「適応」しても、それだけでは在籍学級の授業についていけない者が多いと述べている。
 自由人権協会(1997)は、「子どもの権利に関する条約4」の29条に定める教育の目的に照らすと、同化を強いるだけの日本語教育ではなく、外国人の子どもの教育を受ける機会を実質的に保障するための日本語教育をしなければならないと指摘している。したがって、「適応」のための日本語指導に終始することなく、教科を理解するための「日本語教育」が日本語指導の目的とするべきである。

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4子どもの権利に関する条約 1994批准
第二九条
1.締約国は、児童の教育が次のことを指向すべきことに同意する。
(a)児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限まで発達させること。(中略)
(b)児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の住居国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する育成をすること。(以下省略)
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2.日本語指導の方法
 日本語の指導方法については、「学校内に特別な指導体制がない場合、日本語の教育は担任教員に一任される」(太田、2000、p.171)。こういった場合は、様々な形態を持って日本語指導が行われているようだが、江原(2000)によると、小学校であれば、休み時間や放課後等の空き時間に指導するのが一般的である。しかしながら、学級担任は、特に小学校の場合、ほぼ全ての教科の担当に加え、学級に在籍する子どもの学校生活全般を任されているのが現状である。1人の外国人の子どもに多くの時間を割くには、無理がある。
 文部省は、このような問題に対処するために、教員の加配を実施している。加配教員は、日本語指導や生活面・学習面での指導を担当するために配置される(文部省教育助成局海外子女教育課、2000)。しかしながら、太田(2000)によれば、こういった加配教員には予算措置が伴うため、一部の学校で実施されているにすぎない。東京都の場合を例にあげると、教員の加配は、学校内に日本語指導が必要な児童・生徒が10人以上集まった時に市区の教育委員会をとおして東京都に「日本語学級」の設置が申請され、都の同意をもって実施されることになる5。つまり、「日本語学級」の設置は市区が実施し、教員は都から派遣される。本年度に教員の加配が実施された学校は、小学校が14校、中学校が5校である(東京都教育庁総務部教育情報課、2001)。現実には、加配教員が必ずしも「日本語学級」の担当になるのではないため、「日本語学級」の担当が日本語指導の専門家とは限らないという問題がある。
 日本語指導として一般的な方法は、「取り出し指導」である。「取り出し指導」とは、他の児童・生徒が在籍学級で授業を受けている間に、別の場所で個別又はグループで行われる指導である(文部省、1995)。外国人子女の日本語指導に関する調査研究協力者会議(1998)によると、日本語指導を実施している小・中学校のうち、6割の学校で「取り出し指導」が実施されている。「取り出し指導」で日本語指導を担当するのは、校長や教頭を含む学級担任以外の教職員、地方自治体の教育委員会から派遣された日本語指導員などである。集中的に行う「取り出し指導」は、「初期指導」としての日本語学習に効果的であるが、そのために割かれた教科の学習が、一般の児童・生徒より遅れることが問題となる。また、高橋・バイパエ(1996)は、特定の教科での個別指導が逆差別や特別扱いの印象を与えかねないと指摘している。

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5公立小・中学校日本語学級設置要項
第2条 教育委員会は、区市町村教育委員会が設置(都教育委員会による学級編成の同意が必要な設置をいう。以下同じ。)しようとする小・中学校の日本語学級が、次の各号の一に該当する場合は、この要綱で定める1学級の児童・生徒数の基準に基づき、区市町村教育委員会が行う学級編成について同意するものである。
一 新たに設置しようとする日本語学級又は前年度に引き続き設置しようとする日本語学級に、児童・生徒が10名以上通級する場合。
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 また、中西・佐藤(1995)によれば、ある程度日本語能力が備わった子どもに対しては、「ティーム・ティーチング指導(Team Teaching)」が行われる。これは「入り込み指導」とも呼ばれ、在籍学級の指導の際に、別の教員もしくは日本語指導員等が外国人の子どもに対して、授業で使われた言葉をやさしい言葉に直したり、もう1度ゆっくり繰り返したりして適宜指導を行うものである(文部省、1995)。また、母語ができる指導員やボランティアが付き添い、授業内容を通訳しながら指導を行う場合もある(伊東、1999)。教科指導には非常に効果的であるが、制度的にも未だ不十分であり、実施例は少ない。
 このほかの日本語指導の実施形態としては、「センター校」や「拠点校」への通級方式がある。「センター校」は、ある地域の特定の学校に日本語指導教室を設け、近隣の学校から学期単位などで午前あるいは午後に通級させる学校である。一方「拠点校」は、ある一定期間日本語指導を集中的に行うために在籍させる学校である。これらの方法は効率的であるが、通級のための交通費や安全面の確保などの課題があり、実際に導入している地域は極めて少ない(伊東、1999)。


3.日本語の習得
 子どもたちは一般に大人に較べて言語習得は早く、言語はその文化に身を置けば自然と身につき、時間が解決すると考えられることがある。子どもたちの日常会話の習得は、「個人差はあるものの、編入時から半年ないしは1年も経てばその地方の言葉を使いこなし・・・(中略)・・・1対1の会話であれば教師と意志の疎通を相当程度はかれるようになる」(太田、2000、p.170)。全く日本語を話せなくても、意志の疎通は身振りや表情なども交えて行えることもあり、そのようなコミュニケーションをとおして、日常会話を身につけていくのだと考えられる。完全に言語を理解していなくても相互理解ができるのは、「日常会話は言語の意味理解の助けと成る多くの非言語的要素を含む状況において成立している」(江原、2000、p.293)からである。しかしながら、このような日常生活から習得した日本語の能力では、細かいニュアンスや抽象的なことの伝達・理解などには限界がある。
 Cummins(1984)によると、言語能力には2種類あり、1つは実際の日常生活場面で必要となる言語能力のBISC(basic interpersonal communicative skills、以下、「生活言語」とする)であり、もう1つは、認知や学習場面で必要となる言語能力のCALP(cognitive / academic language proficiency、以下、「学習言語」とする)である6
 Baker(1993)によると、子どもの場合は、個人差はあるものの日常会話をとおして習得する「生活言語」は、言語環境が変わることにより2−3年で身につくと考えられている。一方、言語を話す上での助けとなる非言語的な手がかり(目や手の動き、など)が文脈から切り離され、なおかつ抽象的思考が必要となる「学習言語」は、学校のカリキュラムのなかで不可欠の高度な思考技術(分析、統合、評価など)と密接に関わっており、習得には5年から7年以上必要とされる。
 Cummins(1984)は、比喩として氷山を使い、「生活言語」と「学習言語」について説明している。氷山の水面上に見えている部分が「生活言語」を用いる会話的能力であり、水面下に隠れている大部分が「学習言語」を用いる認知的・学術的能力である。したがって、会話として現れる発音や語彙、文法のような「氷山の一角」だけで言語能力を判断するのは問題であると指摘している。
 このように、日常生活から習得した日本語能力を基に、外国人の子どもたちに授業を理解できる日本語能力が備わったとは判断できない。つまり、外国人の子どもが「日本人と同じように授業を受ける」ためには、「学習言語」の習得が必要不可欠となる。しかしながら、太田は次のように報告している。

   現状ではほとんどの子どもは日本語教室などで短期間の初期指導を受けた後、学習
   上の援助を得ることなく、原学級の授業をうけるようになる・・・(中略)・・・実
   際にはほとんどの外国人児童・生徒は「学習思考言語7」を習得しておらず、その結
   果、原学級の授業についていくことは困難である(太田、2000、p.173)。

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6「生活言語」と「学習言語」という区分は、外国人の学業不振を説明するには適切な理
論であると考えられるが、現実のところ非常に曖昧な用語であり、複雑な言語の習得段階
を2段階に分け単純化したものにすぎないという批判もある(Baker、1993)。
7ここで使用されている「学習思考言語」は、本論文「学習言語」と同意である。
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 したがって、外国人の子どもにとっては「学習言語」の習得が望まれるが、「学習言語」は、教科学習から切り離された「日本語指導」で習得される能力ではない。それゆえ、教科学習における援助が必要となるが、現状ではそこまでには至っていないと指摘されている(太田、2000)。具体的な「学習言語」について、Chamot & O’Malley(1994)は、ある特定の言語ではなく、本人にとっての「生活言語」以外の全ての言葉であることを指摘している。
 外国人の子どもたちが授業についていけないという問題について、箕浦(1990)は、教師の側に「生活言語」としての日本語能力と「学習言語」としての日本語能力は同一ではないという認識がないがために、適切な対応がされない場合が多いと指摘している。つまり、「生活言語」や「学習言語」の認識がなければ、外国人の子どもでも日常会話ができるようになると、日本人と同様に授業の理解ができるようになったと判断される危険性がある。
 高橋・バイパエ(1996)は、外国人の父母と担任教師を対象にした学業に関する調査を実施している。この調査によると、外国籍児童・生徒の学業の成功・不成功の原因を、外国人父母は日本語の語学力のためと考えている傾向があるのに対し、教師は日本語の語学力以外としたものが半数以上にのぼったと報告されている。親は日本語が話せるようになれば授業についていけると考えている一方で、多くの教師は外国人の子どもたちが学業不振に陥る原因として、家庭環境や文化背景、子ども自身の能力の差をあげている。教師のこうした考えは、「学習言語」の不足という認識がないためであると指摘されている(高橋・バイパエ、1996)。このような状況では、子どもたちは授業が理解できないというストレス状況にさらされた上に、学業成績が不振なことの理由を誰からも理解されることなく一身に背負わなければいけないため、一層追い詰められることに成りかねない。
 このように、「生活言語」と「学習言語」に対する認識がないと、学業不振という問題は、外国人の子どもが抱える共通な問題としてではなく、個人的な能力の問題として見落とされてしまう可能性がある。学業不振が個人的能力の問題であるか、「学習言語」の不足によるものかを判断するのは非常に難しい。ただし、日本における外国人の子どものようなマイノリティにおける学習上の問題の多くは、個人の能力というより学校や教育制度に原因があると指摘されている(Baker、1993)。


4.第2言語としての日本語教育
 外国人の子どもが日本の学校に編入学してきた時、彼らの母語を第1言語とすると日本での生活で習得する言語が第2言語となる。
 Cummins(1984)によると、子どもの第2言語の習得は、第1言語がどの程度発達しているかに著しく影響を受ける。子どもの第2言語における言語能力は、すでに第1言語で獲得した言語能力のレベルに依存しており、第1言語の言語能力のレベルが高いほど第2言語でも高い言語能力のレベルを獲得しやすくなる。一方、第1言語での言語能力のレベルが十分に発達していないと、第2言語での言語能力の発達も難しくなる。
 Cummins(1984)は、このような第1言語と第2言語の関係を2つの氷山の比喩を使って説明している。この説明によると、水面上に現れている2つの氷山は、一方が第1言語の表面的特徴であり、もう一方が第2言語の表面的特徴を表わしている。この表面的特徴は、会話などに現れるそれぞれの言語が持つ語彙や発音、文法などの言語的特徴を指す。この2つの氷山は水面下では1つの氷山として融合しており、両言語の共通の基礎を成す言語システムとして機能している。Baker(1993)は、このような言語システムの特徴を次のように説明している。

   人が使用している言語能力の種類に関わらず、話すこと、読むこと、書くこと、聞
   くことをともなう思考は同じ中央装置から発している。人が2つ以上の言語を所有
   する場合、統合的な思考の源がひとつ存在する(Baker、1993、p.164)。

 つまり、人が2つ以上の言語を使用する場合、表面的には無関係に見える2つの言語も、機能的には共有した思考回路を用いるということである。
 Bakerは続けて次のように指摘している。

   子供が発達の不十分な第二言語で活動することを強要されると、そのシステムは最
   良の状態では作用しない。子供の第二言語の発達段階が貧弱な状態で教室に参加す
   ると、彼らが複雑な教材から学ぶ内容や、彼らの発する話しことばや書きことばは、
   量的にも質的にも不十分なものになるだろう(Baker、1993、p.164)。

 外国人の子どもが日本の学校で学ぶためには、日本語の習得が不可欠であることは先述したとおりである。しかしながら、教科学習をするための十分な日本語能力を獲得するには長期間かかるため、多くの子どもたちは、日本語能力が未熟のまま授業に参加することになる。中島(1998)は、第1言語が発達していれば、それをてことして第二言語の能力を強めることができるが、両方とも低い場合には多くの就学上の問題をはらんでいると指摘している。
 また、Skutnabb‐Kangas(1981)は、第1言語と第2言語の発達の関係について、睡蓮の花の比喩をあげて説明している。水面に咲く睡蓮の花は発音やイントネーションなどの会話能力を表わし、2つの花が美しく咲いているからといっても、第1言語を表わす一方の花の根がしっかりと張っていなければ、第2言語の花も根を張ることができずに、両言語とも浮き草の状態になってしまう。しかしながら、しっかりと根を張った第1言語をもとに第2言語を学べば、共通の根をもとに美しい花を咲かせることができる。

 このように、第2言語の習得には、第1言語の発達が不可欠になる。そして、第1言語がどの程度発達しているかを知ることが、第2言語を習得する際に必要になるといえる。
 飛田(2001)によると、子どもの母語(第1言語)は、14歳頃までに形成される。したがって、義務教育の段階で日本の学校に編入してくるほとんどの子どもたちは、言語機能が発達段階である。したがって、第1言語の言語能力を考慮に入れて第2言語としての日本語指導を実施していく必要がある。加えて、第1言語が発達段階にある外国人の子どもの場合、第1言語を発達させなければ第2言語の認知レベルでの発達が難しいため、第一言語を発達させるための母語教育が必要となる。母語教育は本論文第1章で述べたように、日本の教育制度のもとで行うのは難しい現状であるが、第1言語が未発達のまま日本に来た外国人の子どもたちには、アイデンティティ形成の根拠となり家庭内での共通の言語である母語の喪失に加え、学習や思考に必要な日本語能力も獲得できないという二重の問題に直面する恐れがある。また、来日時の年齢と言語環境によっては、日本語が母語にとって変わり、母語が第2言語となることも考えられると指摘されている(池上、1994)。それゆえ、今後は母語が未発達の子どもへはどのように対応すべきかを考えていく必要がある。


第3章 外国人の子どもに関する事例調査

1.日本語指導者に対する面接調査
・調査の目的
 外国人の子どもが、日本の学校で学ぶためには日本語の習得が不可欠であるが、外国人の子どものための「日本語教育」は、まだ歴史も浅く模索段階にある。そこで、今日の学校現場では、「日本語教育」がどのように行われ、どのような取り組みがなされ、どのような問題を抱えているかという実態を明らかにする。

・調査対象
 対象は、外国人の子ども(小学生および中学生)の日本語指導経験者14名とした。対象者の所属は、地方自治体の教育委員会からの派遣者が、9名、学校の教員が2名、学生ボランティアが2名、民間日本語学校からの派遣が1名であった。また、対象者14名のうち、13名が女性、1名が男性である。対象者は、以下Aさん、Bさん、Cさん・・・Nさんとする。

・調査方法
 調査方法は、あらかじめ共通の基本的質問事項を用意し、状況に応じて質問の仕方を変えたり、新たに質問事項を増やすことのできる「半構造的面接法」を用いた。
 原則1対1の個人面接であるが、AさんからCさんについては、面接者1人に対し対象者3人による集団面接である。1回の面接にかかった時間は約30分から1時間である。

・調査期間
 調査は、2001年7月1日から11月17日までの間に、計12回に渡って行われた。

・調査内容
 基本的な質問内容は、@「指導時間と授業形態」、A「教科指導」、B「学校の対応」、C「日本語指導に関する問題点・要望」、D「子どもの日本語教育」の5項目である。さらに、状況に応じて質問内容を適宜追加した。

・調査結果および考察
@ 指導時間と授業形態
 外国人の子どもは、日本の学校に編入学した段階で日本語の理解力が不十分であると判断されると、多くの場合日本語指導を受けることになる。日本語指導の方法は、本論文第2章で述べたとおりである。本調査では、教育委員会から派遣された日本語指導者が14人中9人を占めている。このような学校外部の日本語指導者による日本語指導は、予算措置を伴うシステムとなっているため、期限や時間枠、習得レベル等が決められていることがほとんどである。調査対象者が所属している自治体のうち、練馬区では「1回2時間の授業を40回」(ここでいう1時間とは、時間割のなかの1時間を指す。実質的には小学校では40分、中学校では50分)と定めている。また、三鷹市では、基本的には1回1時間半から2時間の授業を10回としているが、試行段階であり確定ではない。武蔵野市では、回数は決められていないが、指導時間の平均として小学生が100時間、中学生が130時間程度となっている(武蔵野市教育委員会、2001)。これに対して、東京都により教員を加配し設置される「日本語学級」は、各年度ごとの申請となるため1年単位で運営され、定員を満たせば継続可能である。子ども個人に対する継続の判断は、教師、本人、親などによる話合いで決められる(表3-2)。また、ボランティアによる日本語指導の場合は、予算措置が伴わない分、ボランティアと教師、本人などの話合いにより、指導期間が柔軟に決められる可能性が高い。

表3-2 調査対象者所属の自治体別日本語指導基準
自治体名

指 導 時 間

指 導 方 法

東京都
 
日本語学級設置は1年ごと。指導は年度をまたがり延長が可能。 「取り出し」
練馬区
80時間。ただし、中学校は延長あり。 「取り出し」
武蔵野市
平均100時間(小学校)、130時間(中学校) 「取り出し」で3ヶ月ほど経過後、放課後の個別指導
三鷹市
約20時間
放課後の個別指導

 指導間隔は、「週2回」程度との回答が多かったが、行事や行事の準備などのために日本語指導の時間がつぶされることも多く、週2回の指導時間を毎回確保するのは難しいようである。また、「週1回」では、「授業が休日や行事などで潰れてしまうと、2週間以上開いてしまうことも多く、語学の勉強には無理がある」(Hさん)との意見がある。
 日本語指導の授業形態は、14人中11人が「取り出し授業」による1対1の個人指導である。「取り出し」をする時間は国語、社会との回答が多い。これらの教科で「取り出し」をされる理由としては、「小学校の授業では、特に国語の時間数が多いこと」(Fさん)、「国語や社会は言葉の理解が難しく、来日間もない外国人の子どもの日本語力で授業を受けるのには無理があること」(Fさん、Jさん)があげらている。「取り出し」をしない教科としては、体育、図工、音楽、生活(小学1、2年生)などがあげられている。これらの教科は実際に体を使って授業に参加できるためだと考えられる。
 どこで日本語指導を打ちきるかは自治体によってまちまちであるが、80時間から100時間が期限の場合、1回2時間の授業を週2回行うペースだと、半年前後かかる。この時点での日本語能力は、概ね初級レベルの中間程度であるということだ。当然、授業を理解するための日本語能力は不十分であるわけだが、この頃になると日常会話はかなり理解できるようになっている。したがって、「『取り出し指導』の形態を終了するには妥当な時期ではないか」(Aさん、Bさん、Dさん、Fさん)という意見があった。その理由をまとめると次のようになる。

・ある程度日本語の理解ができるようになること。
・本人が在籍学級の授業にでたがること。
・先生が在籍学級の授業にでたほうがいいと考えること。
・周りの日本人の子どもが特別視をすること。
・本人が特別視をされたくないと思うこと。

 外国人の子どもたちは、半年程度の日本での生活と日本語指導から日常会話はある程度習得しているため、「生活言語」に関する指導の必要性は少なくなる。また、「取り出し授業」のために出席できない教科の遅れは深刻な問題となる。さらに、「取り出し」という形態も集団行動をとる学校生活の中では特殊な形態であり、長く続けるには無理がある。
 一方で、「指導時間としては不十分」(Dさん、Eさん、Iさん、Jさん、Nさん)という意見もあった。その理由は、日本語指導者が、その時点における外国人の子どもの日本語能力では授業理解は難しいと感じていることであった。「日本語指導期間が終わっても連絡を取りながらケアを続けている」(Eさん)という現状が、日本語指導の不十分さを示している。期限が決まっていない場合の日本語指導の打ちきり時期は非常に難しく、日本語指導者にとっても決断に苦慮する問題であるようだ。
 このように、指導時間についての意見が2分した理由は、日本語指導の目的が「会話を中心」とするか、「教科学習の理解」を含めるかという意識の違いから生じるものであると考えられる。
 外国人の子どもの日本語指導時における学習態度は、1対1の個人指導という形態でもあり、概ねまじめに学習に取り組んでいるようである。その理由としては「在籍学級では解らないことをやっているが、日本語指導では解ることをやるため安心して授業に臨むことができる」(Bさん、Fさん、Iさん)ということがあげられる。このような状況が、「日本語クラスの方が在籍クラスでより話し始めるのが早い」(Fさん)、「担任の先生から見ると子どもが別人に見えると言われたことが何度もある」(Iさん)といった結果に現れている。小学校低学年では、指導者が工夫を凝らした授業をやることで集中力を高め、学年が上がるにつれ、日本語学習の必要性を感じ熱心に取り組む傾向にある(Aさん、Eさん、Kさん、Lさん)。一方で、「日本語教室に行くのは注目されるので敏感に反応したり、自分が『特別扱い』されていることに違和感を持つ」(Cさん)、「日常会話ができるようになるとやめたくなる」(Dさん)という子どもがいる。「取り出し授業」を終了する理由でもふれたとおりである。


A 教科指導
 教科指導については、調査対象者全員が何らかの形で取り入れていた。日本語指導者における教科指導の位置付けがどのようにされているかは個人差が大きい。しかしながら、その考え方は大きく2つに分けることができる。1つは、日本語指導を優先するという考え方であり、もう1つは、教科指導に重点を置くという考え方である。前者の日本語指導を優先している場合は、日本語学習の動機や達成感を高めるために教科内容を取り入れている。具体的にどのようなことを日本語指導に取り入れているかについて幾つか例をあげると、「算数の文章題に出てくる数詞の説明」(Fさん)、「社会科の概念として警察署、消防署などの説明」(Hさん)、「体育の集団スポーツにおけるルールについての説明」(Dさん)など細かな語彙の説明が行われている。また、「算数の文章題にでてくる、『あわせていくら』」(Aさん)など教科による特殊な言い方も説明が必要になる。一方、後者の教科指導に重点を置いている場合は、教科理解のための日本語指導となる。特に中学生に対する指導では、語彙が難しくなるために「全ての言葉に対する説明」(Bさん)やテスト対策(Eさん)が指導の中心を占めるようになる。
 このように、日本語指導の取り組み方は、大きく2つに分けられるが、日本語指導と教科指導はどちらが重要であるかというような比較の対象になるものではない。日常会話の習得だけではなく、授業を理解するための日本語の習得が目的であれば、日本語指導の中に教科指導が組み込まれるのは必然であろう。小学校の教員として日本語指導にあたった経験のあるIさんは、次のように述べている。

在籍学級で使える日本語をどう教えるかが主題であって、日本語学習と教科学習を分けることはできない。

 こうして考えると、日本語指導と教科指導の境界が非常に曖昧になる。
 日本語指導者が教科を意識した指導をしているにもかかわらず、「教科の理解がどの程度できているか確認できない」(Dさん)のが現状である。時間的制約のある指導体制のもとでは、教科指導までは十分に補えず、また、在籍学級から離れた日本語指導では、教科学習の理解度は推測するしかない。日本語指導を優先するという考え方は、Dさんが「80時間で行える日本語指導は、聞く、話すを中心に書くが少し入る程度と理解している」と述べているように、日本語指導を「短い制限時間内にできること」として位置付けていると考えられる。
 外国人の子どもが在籍クラスの授業を理解できるかどうかは、「先生の話し方や指導方法が影響するのではないか」(Eさん、Fさん、Gさん、Kさん)という意見があった。Fさんは、具体的に次のように指摘している。

教科授業でも、ただ教科書を読むだけでなく、解りやすい表現を使い、映像などの視覚に訴える教材を使ったり、ディスカッションを取り入れたりすることで授業の理解度が増すのではないか。

 このような意見は、日本語指導で実践されている指導方法を反映している。指導開始当初はほとんど日本語が理解できない子どもたちを教えるに当たって、日本語指導者は様々な努力を試みている。具体的事例については、「D子どもの日本語教育」で後述する。
 また、教科学習を進めるためには、単なる言葉の理解だけではないことをNさんは次のように指摘している。

学校、担任、日本語指導者、親、クラスメート、本人のやる気といった全ての要因の連携により、初めて「勉強する環境」が整う。1つが欠けても上手く機能しなくなってしまう。

 これらの条件が全て整うことは非常に難しいのが現状である。外国人の子どもが学習する場合には、これらの条件が整っているかをひとつずつチェックすることが必要である。


B 学校の対応
 外国人の子どもに対しての学校の対応は、「学校により差があり、校長の考え方に拠るところが大きい」(Aさん、Bさん、Iさん、Jさん、Kさん、Nさん)という意見が多かった。そのような学校の対応のなかで、外国人の子どもの在籍は、学校での国際理解教育のような異文化を理解するための教育と結びつくことがある。「子どもの母国の紹介を授業に取り入れたりすることが本人のの自信に繋がる場合もある」(Cさん、Iさん)という見方がある一方で、「単に国際交流の実績としたイベントにすぎない場合もある」(Jさん)という指摘もあった。東京都でも、国際理解教育は推進されているものの、現状では具体的取り組みは各学校に任されているため、必ずしも外国人の子どもの理解に直接繋がるような取り組みが含まれているとは限らない。
 また、学校の対応についてJさんは、

外国人の多い学校では体制が整っているために特別扱いはしないけれど、ケアをしないことに繋がるので注意しなければならない。

と指摘している。
 学校側の対応と同様に、担任教師の対応にも差がある。ほとんどの日本語教師が、日本語指導の報告を担任にしており、コミュニケーションを密にしたいと考えているが、担任側からクラスの様子を聞くのは難しいようである。その理由として、「担任教師が単に40人のうちの1人としか外国人の子どもを認識していない」(Jさん)、「成績が他の子どもより良いために気に留めない」(Hさん)などがあげられる。また、「特に小学校の先生は非常に忙しい」(Aさん、Fさん、Gさん)ことも、担任と連絡が取れない理由である。ほんの少しでも時間を取って日本語指導者と話をする時間さえないのが実状のようである。公立小教員への意識調査からも、小学校の先生の忙しさが裏付けられている(朝日新聞、2001、10月29日)。したがって、教科内容や行事予定を知るためには、「学年便りや学級通信を利用している」(Cさん、Dさん、Fさん、)という対応もみられた。
 時間が無いといっても、熱心な先生の場合には「メールでのやり取りで連絡をしている」(Lさん)という対応もある。また、放課後に個別指導をしているケースではあるが、「最後の授業を見てもらうようにしている」(Gさん)という取り組みもあった。この取り組みについてGさんは、次のように述べている。

担任は、子どもの能力を正確に把握していないことが多く、日本語指導を見て「こんなに話せる、書ける」と驚くことも多い。

 学校での日本語指導は教科指導と切り離せないものであるが、担任との連携が上手くいかないと効率的な指導が難しくなる。


C 日本語指導に関する問題点・要望
 外国人の子どもの受け入れについては、体制の整備が必要であるという意見が多い。日本語指導者にとっては、「外国人の子どもに対して、ばらばらに対応しているのが現状」(Dさん)というのが実感のようである。日本語が話せない外国人の子どもに対して、日本語指導者をつけているものの、対応は学校によって差があり、日本語指導の目的も明確化されていない。これは、日本語指導者が日本語指導に教科指導を組み込む際の意識の違いにも表れている。また、指導時間の不足もあげられたが、これは指導の目的とも関わってくる。これは、日本語指導の目的に教科の理解を含めれば「教科内容を知る機会が欲しい」(Fさん)という要望も生じる。また、指導時間については、一律にもう少し長くするというのではなく「個人に合わせて指導回数を柔軟に対応できるようにする」(Gさん)ことが求められる。外国人の子どもといっても国、民族、文化、母語、教育歴、性別、年齢、家庭状況など個別の特徴を持った子どもたちである。Iさんが

日本人・外国人に関係無く多様化する子どもに対応して先生も学校も変わらないといけない。

と述べているように、子どもの個性にあった指導をするということは、単に外国人の子どもだけの問題ではない。
 また、「夏休みのような長期休暇には指導ができなくなる」(Lさん)との指摘もあった。家庭内では母語が話され、交友関係もあまりできていない状態での長期休暇は、日本語学習上にブランクが生じ、既に学んだものを忘れてしまう可能性がある。


D 子どもの日本語教育
 子どもへの日本語指導は大人への日本語指導と様々な面で異なる。面接対象者は全て大人への指導経験者でもあり、大人の日本語教育と比較した子どもの日本語教育の特徴について、つぎのように答えている。
 まず、Jさんが「子どもは認知面、精神面で発達段階である」と指摘するように、「言葉の置換えができない」(Aさん)、「言葉の概念が入っていない」(Cさん、Gさん、Nさん)といった点が大人の教育と異なっている。また、日本語学習への取り組みについて、「大人は動機があるが、子どもは必要性を感じていない」(Aさん、Dさん、Eさん)ことから、まずモチベーションを高める必要性がある。したがって、子どもにやる気を持たせ、集中力を高めるために日本語指導には様々な工夫がされている。具体的には「ゲーム的要素を加える」(Aさん、Dさん、Fさん、Gさん)、「色使いの多い絵などを使って視覚に訴える」(Dさん、Fさん、Gさん)、「子どもの流行をリサーチして教材として使う」(Dさん)などそれぞれの子どもに応じて教材を準備する。教材を工夫することについて、Gさんは「子どもの指導は、工夫次第で吸収も早くなる」とその成果を述べている。教材については、ほとんどの指導者が個人の裁量で学習者に適した教材を選んでいると答えている。実際に教育委員会から配布される教材はあるものの、それだけでは不十分と認識されている。本章「C日本語指導に関する問題点・要望」でも述べたとおり、外国人の子どもといっても国、民族、文化、母語、教育歴、年齢、性別など様々な特徴を持った子どもたちである。一人一人の子どもの個性に合わせるためには、既成の教材の利用だけでなく教材になりそうな材料を探したり、時には自ら教材を作ったりといった努力がなされている。そのような取り組みから、武蔵野市の指導員のように、自ら開発した教材を出版するという試みもある8
 外国人の子どもへの指導は、指導方法や教材選びなどに適切な対応が求められる。それだけに一般化しやすい大人の教育に較べ教師の努力や経験が重要になってくる。

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8武蔵野市帰国・外国人教育相談室教材開発グループ(2001)外国人の子どものための日本語 絵でわかるかんたんかんじ80 スリーエーネットワーク
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2.外国人の子どもへの学習サポートを通した観察
・観察の目的
 実際に外国人の子どもが日本語学習および教科学習をするうえで、どのような問題に遭遇するかについて、具体的に把握する。

・対象
 対象は、小学5年生(過年児9のため12歳)のフィリピン人女子児童(以下、Mさんとする)である。
 Mさんは2001年4月に来日し、観察開始時には学校での日本語指導により、ひらがな・かたかな・小学1年生の漢字は習得済みであった。1対1による意志の疎通もできる状態であった。母語はタガログ語であるが、フィリピンでは、英語で5年間の教育を受けている。Mさんのフィリピンでの学校は、タガログ語の授業が週1時間のみであった。母親との会話は、タガログ語もしくはタガログ語と英語のミックスである。

・方法
 週1回Mさんの自宅に赴き、1対1で2時間程度行う学習サポートを通して観察を行った。学習内容については、小学校へ派遣されている日本語指導員と相談の上、毎回決められた。学習内容は、主に漢字学習と九九の練習を中心として、算数、国語などの教科に関わる学習も含んでいる。(表3-3)

・期間
 2001年7月28日から週1回程度実施し、現在も継続中である(2001年12月1日現在までに計12回実施)。

・結果および考察
 学習サポートは、日本語指導ではなく教科へ繋げる学習に重点を置いた。Mさんは5年生に在籍するが、5年生の学習に入る前に補うべきことが幾つかあった。まず第1に、漢字の学習である。非漢字文化圏のフィリピンから来たMさんは、国語では、1年生の漢字から学ばねばならなかった。第2に、算数では、掛け算が完全にできなかったため、小学校へ派遣されている日本語指導者の判断で「日本語の九九」を暗記することとした。観察を始めた時点で、来日からほぼ4ヶ月がたっており、漢字学習は小学2年生の漢字にと入るところであった。九九はまだ完全に暗記されていなかった。本観察では、@漢字学習、A九九の練習、B算数の文章題をとおして、Mさんが学習する上で何が障害となり、なぜそれが障害となるかについて考察する。

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9教育的配慮から、実年齢より下の学年に編入した児童を指す。
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表3‐3 学習サポート実施日および学習内容
月 日 学 習 内 容 備 考

1

7月28日

小学2年生の漢字の学習
算数(角度の測りかた)
数のかぞえかた(数詞を含む)
小学校へ派遣の日
本語指導員と合同
学習

2

8月2日

小学2年生の漢字学習
分度器の練習
九九の練習
 

3

8月13日

小学2年生の漢字学習
和英時点の引き方
 

4

9月12日

小学2年生の漢字学習
小学2年生用算数ドリル(文章題)
単位の確認・九九の練習
国語の教科書への
ルビふり

5

9月17日

小学2年生の漢字テスト1(復習)
九九の練習
学校の宿題(算数の文章題)
国語の教科書への
ルビふり

6

10月3日

小学2年生の漢字テスト2(復習)
九九の練習
小学2年生用算数ドリル(文章題)
国語の教科書への
ルビふり

7

10月10日

小学2年生の漢字テスト3(復習)
九九の練習
国語の教科書への
ルビふり

8

10月17日

小学2年生の漢字テスト4(復習)
九九の練習
小学3年生用国語ドリル(長文読解)
国語の教科書への
ルビふり

9

10月24日

小学2年生の漢字テスト5(復習)
小学3年生2学期の漢字テスト
九九の練習
国語の教科書への
ルビふり

10

11月14日

小学2年生の漢字テスト6(復習)
九九の練習
小学2年生用算数ドリル(文章題) 
 

11

11月21日

小学校2年生の漢字テスト(復習)
九九の練習
小学2年生用算数ドリル(文章題)
 

12

11月28日

小学3年生1学期の漢字テスト(復習)
九九の練習
小学5年生の社会の問題
国語の教科書への
ルビふり

@ 漢字学習
 漢字学習は、非漢字文化圏から来る子どもにとっては、日本語学習上で大きな課題となる。慣れない文字の学習は、日本の子どもたち以上に繰り返し練習しながら覚えていかなければならないため、忍耐と根気が必要になる。小学校で学習する漢字は全部で1006字あり、1年生と2年生で学習する漢字を合わせると約200字、その後1年ごとに約200字ずつ新しい漢字が追加される。当然2年生以上に編入してくる子どもの場合、小学校1年生の漢字まで遡り学習しなければならない。
 Mさんの漢字学習は、外国人の子ども向けに作られた小学2年生の漢字練習用のワークブック10にそって、まず新しく学習する漢字の意味を理解することから始められた。ワークブックは全部で19課から構成されており、各課ごとにテーマが決められ、そのテーマに関連した漢字を学習する方式になっている。例えば、1課で学習する漢字は「春」「夏」「秋」「冬」「里」「麦」「米」という季節をテーマとした漢字で構成されている。ワークブックには、漢字に対応する絵がついており、小学校2年生の漢字は一般名詞や動詞が多いため比較的理解しやすいようであった。Mさんは、確認のため漢字の横に英語で意味を書いていた。いくつかの漢字について、理解するのが難しいものがあった。小学2年生の漢字のなかで、特に理解に難色を示した漢字は次のとおりである。

里、戸、広場、用、とう番、交通、車、引く、当たる、台

 「里」「戸」「広場」については、日常生活の上で一般にあまり使われていなかったり、現実的にそれを指すものが実体として不明確であるために、理解するのが難しかったと考えられる。また、「用」「とう番」、「交通」という言葉は、実体が伴わない抽象的な言葉である。「用」は「そうじ用ぐ」として用いられていた。「車」は、自動車としての意味では理解できたが、自転車、電車など車輪がつくものには「車」という字が使われることの理解が難しく、漢字1文字に意味があることを飲み込めないようであった。「台」については

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10かんじだいすき(二)〜日本語をまなぶ世界の子どものために〜 国際日本語普及協会
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他の数詞と同様に日本語特有の表現であるため、理解には難色を示した。また、「引く」「当たる」は意味が複数考えられる。「引く」はこのワークブックでは「直線を引く」として用いられているため実際に定規を使って線を引かせて理解を促した。「押す」の反対語としての「引く」であれば比較的わかりやすいが、「書く」という言葉の特別な表現としての「引く」の理解は難しいようであった。このように、Mさんは、抽象的な単語や複数の意味を表わす単語、日本語特有の表現などの理解に難色を示した。
 また、学習した漢字の定着をはかるため、その日に学習した漢字は次の学習日に確認のためのテストを行った。さらに、2年生の漢字学習を全て終えたところで、6回に分けて漢字の書き取りと読みのテストを行った。テストをすることによって、漢字の意味が理解できていないことを再発見した。特に、漢字の書き取りテストでのいくつかの例を上げると次のようになる。

ごぜんはちじ しる いく よむ おもう おや
五□八時

注)上段が出題、下段がMさんの答え。□は空欄。

 このように、苦し紛れに当て字を入れる、漢字の一部分だけ思い出して書いてみる、似たような漢字と混同しているといった間違えは、もちろん日本の子どもの場合でも起こりうる。Mさんが完全に意味が理解できていなかったのは「午前」だけであったが、間違えて書いた字についても読みや意味を理解していないことが解る。漢字テストでは前後の文脈から意味が推測できないので、単語そのものの意味が理解できていないと解答が難しい。
 教科学習では、漢字が読めないと教科書が読めないことになり、国語に限らず授業を受けるのに支障をきたす。さらに、Mさんの場合は在籍学年に追いつくだけでも5年分の漢字を一気に学習しなければならないため、一般の児童に対して大きなハンディを負っている。Mさんは新しいワークブックを見るたびに「たくさんある・・・」と憂鬱そうに弱音を吐いていたが、非常に熱心に勉強した結果、半年あまりで小学校1年生と2年生の漢字をほぼ習得することができた。Mさんの日本語指導者によれば「例外的な早さ」だということである。


A 九九の練習
 Mさんはフィリピンで掛け算は学習済み(英語による指導)であったが、完全に習得しておらず間違いも多かった。日本では小学2年生の算数で掛け算が学習され、掛け算ができることは算数の問題を考えるにあたり最低必要条件のひとつになる。九九はリズムに乗って覚えることができる効率的な暗記方法であるが、Mさんにとっては母語での暗記でないためなかなかスムーズには進まなかった。Mさんは、九九にリズムと音程をつけ歌にしたテープを聞き、テープの歌と一緒に口ずさみながら練習していた。毎回口頭で九九を言わせるようにしていたが、間違いには、単に正確に暗記できていないこと以外に、共通点があることが観察できた。いくつかの例を上げると次のようになる。

3×7=27 4×6=27
7×2=17 8×4=34

解答はMさんによる誤答

 1(イチ)と7(シチ)、4(シ)と7(シチ)の区別が特に混乱をしていた。混乱を引き起こす第1の原因は、1(イチ)と7(シチ)、4(シ)と7(シチ)は音感が似ているためだと考えられる。第2の原因は、Mさんは日本語による数時の理解はしているが、数字の読みを4(ヨン)、7(ナナ)として覚えている。したがって、九九のときだけ読み方が変わる4と7は特に混乱を引き起こす原因となりやすい。このように、Mさんにとっては、数字の概念としての4、7は入っていても、読みとしての4(シ)、7(シチ)は日常会話に無い言葉、つまり「学習言語」だと言えよう。
 Mさんは、掛け算を母国で学習していたにもかかわらず、充分に記憶できていなかったために、日本において再学習をしなければならなかった。Mさんには、日本語指導者はついていたが母語による指導は受けられないこと、日本語の九九が効率的な覚えかたと評価されていたことから、日本語での暗記が試みられた。したがって、0からの暗記となった。慣れない言葉での暗記は、小さなことでも障害につながり、想像以上に時間と訓練が必要な難しい作業であった。Mさんにとって、掛け算の再学習は、不可欠であったが、九九の暗記が最良の方法だったかどうかの判断はつけ難い。


B 算数の文章題
 算数の文章題を解くためには、計算の知識の他に読解力が必要になる。そのため、計算方法を知っていても、文章題になると解答できないことがある。文章題には独特な言いまわしが使われるからである。先行研究により、「学習言語」を身につけないと教科の授業についていけないことが明らかになっているが、算数では、文章題に使われる言いまわしが日常会話とは違うために、文章の内容が理解できないことがある。小学2年生の算数ドリル11をとおして、算数の文章題でMさんが理解できなかったところをについていくつかの事例をあげて検証する。

<事例1:語彙・足し算の表現>
よし子さんはけ糸でひもを16pあみました。あと14pあむそうです。なんpのひもをあむつもりですか

 まず、この文章題では、Mさんは「け糸」、「あむ」という言葉自体を理解していなかった。算数の文章題では、生活に密着した場面を想定して問題が作成されていることが多いが、Mさんは日本での生活経験が少ないため、文章題の場面さえ想像できないことがある。語彙について理解できないものには、この事例の他に「ようかん」「やかん」「おはじき」など多数あった。また、語彙の説明をした上でも「あと〜あむそうです」「あむつもりですか」という表現については理解できなかった。
 足し算の表現には他に次のような事例があげられる。

<事例2:足し算の表現>
こうえんで18人の子どもがあそんでいました。そこに4人きて、また3人きました。こうえんであそんでいる子どもはぜんぶでなん人になりましたか。
  1.ふえた子どものかずをもとめる。
  2.ぜんぶの子どものかずをもとめる。

 Mさんがこの問題を理解できなかった理由は、まず、「そこに4人きて、また3人きました」という表現にある。この文章題は、答えを求める過程を2つに分けて考え方を提示しているが、問題の表現がわからなかったために、「ふえた子どものかず」の意味についても理解できなかった。日本語を母語としている私たちにとっては一見難しい文とは思えないが、

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11くもんの小学ドリル 算数 2年生の文章題
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Mさんのような日本語を母語としない外国人の子どもには特別な表現になる。また、この問題で使われている「ぜんぶで」もMさんは理解できなかった。これは、算数の文章題で、足し算の問題に使われる特有の表現である。
 つぎに、引き算の表現について考察する。

<事例3:引き算の表現>
水が5l 3dlあります。3l つかうとなん l なんdlのこりますか。

 Mさんは、文章の意味が理解できなかった。まず、何がわからないかと聞くと「つかうと」の意味が理解できていないことがわかった。興味深いことに、同様の問題でも次のような出題になると解答できた。

<事例4:引き算の表現>
ジュースがびんに1l  8dl入っています。このうち5dlのみましたのこりはなんl なんdlですか。

 事例 3 の「つかうと」という表現が事例4では「のみました」と表現されていることにより、文章の意味が理解できている。引き算により正しい答えをもとめることもできた。事例3についても図による説明を加えると正しい解答ができた。したがって、Mさんにとっては、「つかうと」は「学習言語」で、「のみました」は「生活言語」だということがわかる。また、こういった引き算の問題を幾つか練習していくうちに、Mさんは「のこりは、引き算!」と言って解答を出した。「のこりは」と言う表現が引き算特有の表現であり、文章問題を解くにあったってのキーワードとなることを自ら発見したのである。こうしたキーワードの学習は、教科学習における1つの手段である。キーワードを手がかりに、文章題を解けるようにする試みもある(池上、1998)。
 また、日本語特有の表現である数詞は、外国人の子どもが苦手とする分野の1つである。つぎに、文章題で数詞が使用される事例について考察する。

<事例5:数詞>
すずめがでんせんに19とまっています。そのうち5とんでいきました。でんせんにとまっているすずめはなんになりますか。

 数詞が難しい理由は、出題内容によって、数詞の種類が異なってくることにある。まず、全てのモノに対応する数詞を覚えなくてはならない。また、同じ数詞でも事例5のように数によってその言い方が変わってくることが混乱を引き起こす。文章題の解答には思考過程を表わす式と答え双方の記述が求められる。式から求められた数値と単位を合わせて記入して、答えとして評価される。したがって、算数の授業では正しい答えを書くために、問題に対応した単位を書くように指導される。答えには、質問文(事例5では、「でんせんにとまっているすずめはなんばになりますか」の部分)に使われている単位の記入が必要になる。しかしながら、答えの単位が数詞の場合、機械的に問題と同じ数詞を答えとして書くと事例5のようなケースでは単位がばになってしまい、答えのすずめの数14に対応していない。
 Mさんのように数詞に馴染みの無い外国人の子どもにとって、算数の問題をさらに複雑にしていることは、モノによって対応する数詞がそれぞれ違うこと、数詞自体が数によって変化することがあげられる。
 ちなみに、事例5では「すずめ」、「でんせん」もMさんは理解していなかった。
 このように、算数の文章題では、算数特有の言いまわしが「学習言語」となって、学習上の障害となった。また、日本語特有の表現である数詞についても、文章題の理解や正しい解答を記入する際の障害となる。


終章 外国人の子どもの日本語教育における課題と展望

 近年、日本では外国人の増加に伴い、日本語指導が必要な外国人の子どもが増加してきている。こうした子どもたちを受け入れる公立小学校および中学校では、これまでにない対応が迫られている。
 日本の学校では、日本語が話せず日本の生活に馴染みのない子どもたちが、日本の学校で学んでいくために、「日本語教育」が行われる。学校生活を送るうえで重要な「日本語教育」であるが、日本の学校で学ぶことを目的とするのであれば、教科の習得を考慮に入れた日本語指導が行われなければならない。
 Cummins(1984)によれば、教科学習を理解するためには「学習言語」が必要であり、その習得には5年以上かかる。したがって、長期間の指導体制が必要となるが、現状では日常会話ができるようになると日本語には問題が無くなったと判断され、日本語指導が打ち切られてしまう傾向にある。第3章の調査で明らかになったように、日本語指導が「取り出し指導」として、編入時から半年ほどの期間で設けられている場合、その目的が日常会話の習得に留まる可能性は高い。適応指導の一環としての日本語指導であれば、日常会話が身についてくることで、学校内で問題行動をとることが減るために、外国人を「特別」に指導する必要はなくなるのである。また、その期間で、「学習言語」の習得を含めた教科学習を理解できるまでの日本語力を身につけるのは困難である。本調査において、日本語指導者の日本語指導の目的に「日常会話の習得」と「教科学習の習得」という意識の差がでたのも、日本語指導の期限が決められているためだと考えられる。教科学習の習得を目的とした場合でも、限られた時間内での指導では、その目的をクリアすることはできない。したがって、半年程度の日本語指導で外国人の子どもに対する配慮が終了してしまうということは、教科学習が理解できないままに授業参加を強いることである。また、現在日本語指導は必要ないと判断された児童・生徒の中にも、実際のところ、教科学習のための日本語は身についていないという児童・生徒が多くいる可能性がある。今後は、日本語指導の目的が、教科理解のための日本語指導であることを明確化し、その目的に合った指導体制の下、長期にわたるサポートを行うことが望まれる。
 また、日本語の習得は、単に学習者と指導者の2者の関係で成り立っているものではなく、学校、担任教師、日本語指導者、クラスメート、学習者のやる気といった全ての環境が整わないと上手く機能しない。しかしながら、特に日本語指導を学校の外部の指導者に任せているような場合には、教科学習と日本語指導が独立した状態で行われている傾向がある。本調査では、日本語指導者が担任との連絡を密にとりたいと考えているものの、双方向の連絡体制が整わず、担任の考え方によっては学級での様子が日本語指導者に伝わらない問題があることが分った。担任教師と日本語指導者の連絡や連携ができない状況では、効率的な日本語指導が行えず、在籍学級での授業理解の妨げとなる。子どもの日本語教育には、一貫性を求めなければ無意味なものになりかねない。したがって担任教師は、日本語指導をしないまでも、言語はどのようにして学ばれるかなどの日本語学習の知識が必要であろう。本観察で明らかになったとおり、外国人の子どもには、日常会話ができていても教科学習をする上では習得していない「学習言語」が多数ある。そのような現実を把握し、外国人の子どもが何を理解できないかを知ることが教師には必要であり、それを知ることで初めて的確な対応ができると考えられる。「学習言語」を習得していない子どもが教科授業を理解できるか否かは、指導方法によっても違いが現れる。太田(2000)は、外国人の子どもが在籍する学級で、外国人の子どもが理解できるように平易な言葉で授業を行ったところ一般の子どもたちの理解度も増したと報告している。したがって、教師がわかりやすい授業を心がけることは全ての子どもの授業理解に影響を及ぼす。
 外国人の子どもといっても国、民族、文化、母語、母語の言語能力、教育歴、性別、年齢など様々な要因を持った子どもたちである。これらの特徴を把握しなければ的確な対応ができないのは当然である。しかしながら、そのような日本語指導体制は完全に確立されておらず、日本語指導における今後の課題である。
 本調査から学校の教師が多忙であることが、外国人の子どもに対する望ましい教育の体制づくりを阻害しているという見方もあるが、基本的な連絡事項も行えないほど多忙であるとすれば、基本的な教育制度そのものに問題があると考えられる。こうした制度の改善と共に、今後は外国人の子どもへの総合的な教育システム作りが必要である。
 外国人の子どもの教育システムは、つぎの5つの条件を満たすべきである。

 1.日本語指導の目的が教科の理解であるということを明確化し、「取り出し指導」と
   しての集中的な日本語指導終了後も、教科指導を目的とした長期に渡るサポート体
   制を整える。
 2.学校、担任、日本語指導者、家族の連携を図る仕組みを整える。
 3.認知能力が発達段階にある子どもの日本語教育は、まだ完全に指導方法が確立され
   ていないため、これまで蓄積されてきた指導方法や教材を子どものニーズに合わせ
   て適切に活用していけるようにするのと同時に、多様化する外国人の子どもに対応
   できるように改良や開発を進める。
 4.多様化する外国人の子どもに対応するために子どものバックグラウンド(母国、母
   語、母国での教育歴、学習状況、家庭環境など)を十分に把握するための調査を行
   う。
 5.母語を考慮した日本語指導を行い、将来的には、母語発達のサポートを行う。

 このような個人個人に対応した教育システムを構築していかなければ、多様化した外国人の子どもに対する十分な教育は不可能である。換言すれば、日本の子どもたちでさえそれぞれ違った個性を持っているのであるから、個性重視の教育が求められる現代では、外国人だからといって「特別視」するのではなく、どの子どもにおいても特徴的な個性があるということを認識して教育方法を考えていかなくてはならない。

 本論文の研究にはいくつかの要因において限界がある。まず、本論文の調査における要因としては、第1に外国人の子どもの教育に直接携わっている日本語指導者を調査対象者としているが、実際に調査ができたのは14名に留まった。第2に小・中学校における日本語指導は教員の割合が一番多い(外国人子女の日本語指導に関する調査研究協力者会議、、1998)が、本調査では教員は2名のみに留まった。第3に調査対象者の所属に偏りがあった。また、外国人の子どもの学習についての観察を行ったが、1事例のみの観察となった。外国人の子どもは様々な要因からなる特徴があるため、今後の研究にはより多くの調査や観察が必要となる。

 最後に、本研究にあたり日本語指導者をご紹介頂いた西原鈴子先生、武蔵野市教育委員会指導室太田勤子様、面接調査にご協力いただいた方々、初めての研究論文作成に当たり細部に渡りご指導頂いた御堂岡潔先生に厚く御礼申し上げたい。また、論文作成過程において暖かい励ましと多岐に渡るご支援を頂いた多くの方々に心より感謝申し上げたい。


引 用 文 献

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