第4章  在籍学級での算数科学習に関する調査

 本章では、第2章の先行研究からの課題に基づき、在籍学級で算数の学習を行っている帰国児童2名を対象にケーススタディを行う。その調査の概要を以下に述べてゆく。

4-1 調査目的

 帰国児童が、初期指導を終え、在籍学級で他の児童とともに算数の学習を行うとき、その問題点はどこにあるのかを、滞日5年目の帰国児童A、滞日6年目の帰国児童Bを対象に、具体的な問題点(何を困難と感じ、どのように理解しようとしているのか)と、教師の実態や意識(どのように理解させようとしているのか)を探ることが本調査の目的である。

4-2 調査対象者

 本調査の対象者は、帰国児童A、帰国児童Bの2名を中心に、A、Bの担任教師、日本語担当教師、両親である。

<帰国児童A >
1)学年・性別・年齢  
 6年生、女児、12歳(1998年2月生)

2)来日の経緯 
 1996年9月に吉林省から父、母とともに帰国、滞日5年目。母方の祖母が残留邦人で日本には母方の祖父母のほか曽祖父母が住む。

3)日本語力 
 調査者との会話にはほとんど問題がないが、会話にすれ違いが起こることがある。日本語学級の教師には、ほとんど問題がないと判断されている。担任教師にも、「濁点の表記の問題など、帰国児童によくある間違いはほとんどなく、完璧に近い」との評価を得ている。

4)日本語指導
 1年生:なし(担任教師による個別指導)
 2年生:算数・国語(在籍学級の時間、以下同様)/5時間(週合計)、
      取り出し指導
 3年生:算数・国語/4時間、取り出し指導
 4年生:算数・国語/4時間、取り出し指導
 5年生:国語/4時間、取り出し指導
 6年生(調査時):国語/3時間、入り込み指導

5)家庭内使用言語
 ほぼ中国語

<帰国児童B>
1)学年・性別・年齢
  5年生、男児、11歳(1990年3月生)

2)来日の経緯 
 1995年11月に黒龍江省から父とともに帰国、滞日6年目。父方の祖母が残留
 邦人。日本には祖母のほか父の兄家族、弟家族が住む。父は永住のつもり
 はないと答えているが、中国に戻る予定もない。

3)日本語力 
 調査者との会話には問題はない。日本語学級の教師には「書く」ことに少し問 題があると判断され、日本語学級から日記の宿題が週数回出される。

4)日本語指導
 1年生:国語・放課後/10時間、取り出し指導
 2年生:国語/6時間、取出し指導
 3年生:なし
 4年生:国語/4時間、取り出し指導
 5年生(調査時):国語/不定時間、入り込み指導、取り出し指導

5)家庭内使用言語
 中国語(義母)、日本語・中国語(父)、日本語(妹)

4-3 フィールドの概要

 本調査はX市のY小学校5年生、6年生の各1クラスと、帰国児童A、帰国児童Bの家庭をフィールドとした。以下にX市、Y小学校、帰国児童Aの在籍学級、帰国児童Bの在籍学級、Aの家庭、Bの家庭の概要を述べる。
 対象者の在住するX市は、県のほぼ中央部に位置し、人口121,022名のうち外国人登録者人口は2,773名、総人口に対する外国人の比率は2.3%である(平成13年10月31日現在)。X市には小学校数が21校あるが、総児童数7,608名のうち「外国籍児童数」は125名(平成13年6月14日現在)で、総児童数に対する外国籍児童数は1.3%である。外国籍児童の出身国籍は18カ国(小学校)と多様であるが、そのうち約43%の54名が中国籍の児童である。(表9)

表9 X市外国籍児童・生徒数国籍別人数

国籍 小学校 中学校 小・中合計

中国

韓国
ネパール
ブラジル
パキスタン 
ガーナ
インド
朝鮮
CIS
インドネシア
ポーランド
アメリカ
マレーシア
フィリピン
スリランカ
バングラディシュ
メキシコ
エジプト
ペルー
イラン
合計
54
25
14
1
1
 1 
1
0
9
1
2
6
1
3
1
0
1
1
1
125
6
6
0
6
0
 0 
0
2
1
3
0
2
1
0
0
0
1
0
0
0
48
80
31
2
20
1
1
1
3
1
12
1
4
7
1
3
1
1
1
1
1
173

 X市立Y小学校は、X市立Z小学校の急激な児童数増加による過密解消として、昭和56(1981)年4月に分離新設された。全校児童199名、7学級の小規模校だが、入国児童2名(インドネシア)、帰国児童24名(以上、平成13年9月1日現在)が在籍し、X市で最も入国・帰国児童数が多い小学校である。日本語学級は高学年、低学年担当の2人の教師によって1つの教室が運営されている。
 Aの在籍学級は、男子10名、女子11名(うち帰国児童2名、Aを含む)の計21名が在籍する。休み時間に男子と女子が一緒に遊ぶこともあり男女の仲はよいが、女子は女子、男子は男子で大集団となることが多い。不登校の男児も在籍する。
 Bの在籍学級は男子16名(うち帰国児童2名、Bを含む)、女子15名(うち帰国児童1名、入国児童1名)の計31名が在籍する。休み時間も外に出る児童は少なく、競って本を読む姿が目立つ。集団で遊ぶときには男子は男子、女子は女子の仲良しグループ2、3人での行動が目立つ。
 Aの家族は、A(12歳)、父(37歳)、母(33歳)、弟(3歳)の4人である。父、母が共働きのためAは近くに住む祖母のところに帰宅することもある。家庭内での会話はすべて中国語で行われる。両親はAの勉強を見ることがある。宿題を含めよく勉強するようしつけを行う。
 Bの家族はB(11歳)、父(34歳)、義母(26歳)、妹(2歳)の4人である。父は会社員、母(義母)は主婦である。家庭内では、母がほとんど日本語が話せないため、Bは母とは中国語で話し、父とは日本語と中国語をとりまぜて、父が日本語を理解できないときに中国語を話す。父は3兄弟の次男で、長男、三男家族が同じアパートに住んでいるため行き来が多い。同じクラスに在籍するいとこ(父の兄の息子)の家にいることが多い。いとこ同士での会話はすべて日本語である。

4-4 調査期間

 調査は2001年6月下旬から12月中旬まで行った。詳細は以下のとおりである。

Aの在籍学級の参加観察 2001年6月25日〜7月7日の計10回
          (6/25, 6/26, 6/28, 6/29, 6/30, 7/2, 7/3, 7/4, 7/6, 7/7)
Bの在籍学級の参加観察 2001年9月5日〜9月21日の11回
          (9/6, 9/7, 9/10, 9/12, 9/13, 9/14, 9/17, 9/18, 9/20, 9/21)
Aの担任教師のインタビュー 2001年6月20日、7月2日、9月5日
Bの担任教師のインタビュー 2001年9月5日、9月10日、9月19日
家庭訪問 2001年9月〜12月(A:計6回、B:計5回)

4-5 調査方法

 調査は、参加観察と面接により行った。観察法と面接法の詳細については第1章ですでに述べたが、本節ではフィールドにおいて実際に行った方法について、より具体的に述べる。

4-5-1 参加観察

 調査は、帰国児童Aの在籍学級、帰国児童Bの在籍学級をフィールドとした。Y小学校は、他の各種学校からの訪問者や、留学生、地域の住民などを積極的に受け入れる、開かれた雰囲気のある学校で、隔週土曜日には地域の住民を招いてのふれあいタイム等が開かれている。Y小学校は、筆者(=調査者)の大学の学部生教育実習対象校の一つであったため、筆者は、「先生になる前の大学生で、授業を見学に来た人」という形で児童に紹介された。算数の時間を中心に観察依頼をしたが、その前後の授業、特にY小学校の特徴である英語の授業や、土曜のふれあいタイムにも参加することが許可された。最終的に観察対象にしたのは、算数の授業のみで、Aの在籍学級が単元「比」を全10単位時限(1単位時限45分または50分)、Bの在籍学級が単元「図形の面積」を全11単位時限である。在籍学級における算数の授業で、帰国児童を中心とした全児童、担任教師の行動や発言の記録、また調査者の気づきをフィールドノートに記録した。

4-5-2 半構造化面接

 観察の内容を解釈したり、関係づけたり、分類することによって、現象についての概念化を行い、新たな仮説を構成するために、観察とは異なるデータを用いて例証する必要がある。つまり観察の主観をできるだけ排除し信頼性を補う必要がある。そのための手段として、Aの在籍学級、Bの在籍学級、Aの家庭、Bの家庭をフィールドとして、帰国児童や担任教師、両親に半構造化面接を行った。観察における気づきや疑問点などを中心に半構造化面接を実施した。
 帰国児童Aには、発話全体に問題点が観察されたため(詳細は4-6で述べる)、フィールドノートの中から言葉を抜き出し、Aに個別に音読して聞かせ、「わからない」と感じたら手を挙げるよう指示した。すべてのチェックが終わったあと、個別の言葉について、どこをわからないと感じるのか尋ねた。最後に「分かる」とした言葉に対しても、「どんなことをするのか」と尋ね返した。また、日本語の問題からか、児童との会話にすれ違いが生じることがあったため、半構造化面接の際には質問内容を大まかに記入したメモを渡し、あらかじめ記入してもらったメモに基づいて半構造化面接を行うこともあった。
 帰国児童Bには、教師の発問の仕方に問題があると観察されたため(詳細は4-6で述べる)、どんなときにわからないと思うか、などという探索的質問を多く用いた。
 A、Bの両親は未だ日本語に大きな問題を抱えているため、A、B、Bのいとこ、知人の帰国者の女性に通訳を依頼した。担任教師、両親の半構造化面接において許可が得られた場合には、録音も行った。

4-6 分析方法

 観察時のフィールドノートに基づき、帰国児童A、Bの授業の実態から躓き場面と成功場面を記述する。板書記録、教科書、インタビューメモ、インタビュー文字化資料、児童のノートから以下の観点で考察してゆく。

(1) 帰国児童は授業のどこに困難を感じ、どのように対処しているか。
(2) 授業に困難を作り出しているものは何か。
(3) 教師はどのように理解させようとしているか。
(4) 教師の指導を児童はどのように受け止めているのか。

4-7 調査結果の分析と考察

 本節では、まず4-7-1で帰国児童Aについて、4-7-2で帰国児童Bについて個別の事例をまとめる。その際、参加観察や面接で得られたデータを記述し、A、Bの実態をまとめる中で問題点を抽出してゆく。そして4-7-3では、各事例から得られた帰国児童A、帰国児童Bの問題点を比較し、共通の事例、個別の事例について帰国児童A、Bの背景等から考察する。最後に4-7-4では、以上の考察を踏まえて、算数科学習支援についての提案を行う。

4-7-1 帰国児童Aの事例

 参加観察により、帰国児童Aについての問題点として、以下の5点が観察された。

(1) 教師の「指示・発問」がわからないことがある。
(2) 他の児童や教師の「説明」がわからないことがある。
(3) 個別指導における「助言」がわからないことがある。
(4) 一斉に音読をすることができない。
(5) 板書を見つめる時間が長く、教師が板書をすべて終えてから問題を写す。

以下に、上記の5点の事例を示しながら、児童はどう理解しようとし、教師はどのように理解させようとしていたのかを考察してゆく。

(1)教師の「発問・指示」の意味がわからないことがある。

 帰国児童Aは、教師の「指示・発問」が伝わらず、他の児童に遅れて行動したり、隣の児童を頼りにノートを覗いたり、その後何もできなくなってしまうといった場面が観察された。以下に、帰国児童Aが授業中につまずきを示した「指示・発問」の場面と児童の反応を示す。ただしここでは、個別指導の部分は扱わない。「指示」の全容は資料1を参照されたい。

T:隣にかけないんだったら下に書いてください。・・・1)
A:(黒板を見て首をかしげた後、隣の児童Fのノートを覗く。)ああ。

(6/25:観察日を示す、以下同様)

 

T:今から、操作活動ね。これ、この長さを基にしてください。・・・2)
S(他の児童):何cm
T:測ればいいじゃん。んで、この長さ。比を皆さんそれぞれ測ってやってみて。
  3)定規でやりんさい。これは世界中どこ行ってもいっしょなんよ。
A:(どこを測ればいいのかきょろきょろした後、いろいろ定規を当てている)

(6/26)

 

T:じゃあねえ、今から、3つの長方形書きます。同じ大きさかいたらみんなだめ
  よ。だんだん大きくなるけえね。(長方形を3つ板書。)・・・4)
A:(隣の児童のノートを覗く。黒板と見比べてから写し始める。)     (6/29)

 帰国児童Aが、授業中わからなかったことば以外で、インタビューで「わからない」とした「指示・発問」の言葉は以下の通りである。

「穴、うめて。」・・・5)

 以上の言葉について、言葉の特徴をまとめたあと、帰国児童Aが、何をわからないと感じ、どう対処しようとしたのかを考察してゆく。

1) 「隣に書けないんだったら下に書いてください。」

 この場面は、教師が表を拡大する際に、児童のノートの幅を気にして、それをどこに書けばよいか指示している場面である。インタビューで、帰国児童Aは、「隣に書けたら隣に書く、隣に書けんかったら下に書く」と言い換えて説明したが、実際の授業場面ではそれがわからなかったという。その理由は、「何を書くんかわからんかった」という言葉が示すとおりである。この発話は、実際に教師が表の左側を拡大しながら行われたが、その具体操作が目的語に当たるという教師の意図が伝わらなかったものと考えられる。このことから、具体操作をしながらも、目的語を明示する必要性があると考えられる。

2) 「今から、操作活動ね。これ、この長さを基にしてください。」

 インタビューで、帰国児童Aは「操作活動」という語と「基にする」という語がわからなかったと答えている。「操作活動」については「活動」の意味はわかるが、「操作」という言葉を知らないと答えた。また、「基にする」という語は、前単元の「割合」で、「基になる量」という用語が扱われた際に、Aは「基になる量」を「も」と覚えたという。それは「くもわ」(く=比べられる量、も=基にする量、わ=割合)という簡略化された一文字によって公式を覚えやすくしようとする教師の意図によるものであった。「基になる量」と「基にする」の間に関係があることを知ると、帰国児童Aは「ちょっと意味がわかった」と答えた。帰国児童Aは「基、基にする、基になる」という語についても、その概念を理解していたかは不明である。

3)「ひ比を皆さんそれぞれ測ってやってみて。」

 インタビューによると、Aはこの中で分からない語はなく、ただ何をすればいいのかわからないとのことであった。「何をすると思う?」との問いには、「測ってって言っとるから、測るんかな。でも何やるんか…。」とAは言いよどんだ。Aが分からないとした原因の一つに、「やってみて」という言葉の曖昧性が考えられる。この指示によって教師が求めている作業は、三角定規の2辺の長さを測ること、それらを比較し比で表すことの2つである。作業内容を的確に伝える言葉として「やる」はこの場合適当でなく、また2つの作業を別に伝える必要性が感じられる。

4)「同じ大きさ書いたらみんなだめよ。だんだん大きくなるけえね。」

 ここでも帰国児童は知らない語はないが、意味がわからない、特に「同じ大きさ書いたらみんなだめよ」のところがわからないと述べた。この場面は、教師が、あ、い、うの順にだんだん大きくなってゆく長方形を板書する場面である。この文には、目的語がないため、あ、い、うの長方形がまだ完全には板書されていない状態では、教師の言葉のみによって目的語を推測しなければならない。また、「同じ大きさ書いたら」のあとに「みんな」が来ており、「みんな」が「皆さん」を指すのか、「全部」の意味で「みんなだめよ」となるのか不明である。児童Aは「だめよ」という言葉に反応して、「何もできんと思う。」と述べている。否定語に特に反応していることから、やはりここでも目的語を挿入することで、「何がだめなのか」を明示する必要があるといえる。

5)「穴、うめて。」

 帰国児童Aは、「短い言葉で言われたらわかるときもあるけど、そうじゃないときもある。」と述べている。この場面は、表を作成している途中で、表の空欄に数字を入れるという内容の指示の場面である。実際の授業場面では表が板書されていたため、筆者が表を示して「表の穴をうめて」という表現に変えて尋ねたが、帰国児童Aはそれもわからないと答えている。「穴」が「空欄」を指し、「うめる」が「数字等を書き入れる」ことを指すことをAは知らなかったのである。このように、表現の問題も観察された。

(2)他の児童や教師の「説明」がわからないことがある。

 「説明」は、教師のほか他の児童によっても行われる。その「説明」でも帰国児童Aは困難を示すことがあった。「説明」の全容は資料2、資料3を参照されたい。以下に帰国児童Aが授業中に困難を示した、またインタビューでわからないとした「説明」について、教師による説明、他の児童による説明別に示す。

<教師による説明>
比で表すときは基にする量を「たい」の前に書きます。・・・1)
みそしるを水でうすめたんだのう。・・・2)
3対1と6対2は一緒じゃろ、これ3じゃろ、これ3じゃろ?・・・3)
料理のとことかで、めんつゆとかな、原液と水とかな。・・・4)
比をできるだけ小さい整数にした比小さい整数これがポイントです。小数の比はだめよ。分数もだめよ。・・・5)
<他の児童による説明>
はじめの5+4はUくんと同じ考えで、比であらわしたら9個ある中の5つ分だから5:9にして、xは5の中にどのくらいテープの長さがあるかで…5:9=x:72にしました。・・・6)

 以上の言葉について、帰国児童Aは何をわからないと感じ、どう対処したのかについて考察してゆく。

1)  「比で表すときは基にする量を「たい」の前に書きます。」
2)  「料理のとことかで、めんつゆとかな、原液と水とかな。」
3)  「みそしるを水でうすめたんだのう。」

 以上の3例は、いずれも帰国児童Aにとって、わからない単語が含まれていたためにAがわからないと判断した例である。帰国児童Aは、話の途中でわからない単語が出てくると、その先の話がすべて聞けなくなってしまうという。2)や3)は、具体例やその解説であるから比の単元の概念理解を妨げることはないが、1)は比の概念そのものを表している。
 「基にする量」は、単元「割合」で、「基にする量」「基になる量」として用語と概念についてはすでに導入されている。しかし今回、帰国児童Aは、「基にする量」がわからないとしており、概念について理解していたかどうかは不明である。三島(1998)は、「日本人児童・外国人児童のいずれにも理解できない語については、授業でその後が出た時点で教師から説明があるので外国人児童だけのハンディにはならない」としているが、その教師による説明の日本語そのものがわからないというのは、日本人のレベルとは異なると言えるのではないであろうか。

4)  「(3:1=6:2=9:3と板書されたものをさして)3対1と6対2は一緒じゃろ、
    これ3じゃろ、これ3じゃろ?」

 帰国児童Aは「これ3って…」と言いよどんだ。「これ3」は、「3:1の比の値が3」という意味である。この場面でAの担任教師は板書された3:1を指して「これ3」と言ったものの、「この比の比の値は」という意味は帰国児童Aには伝わらなかったようである。このように、教師の発話は、具体物を指したり操作したりすることで補われるとはいえない場面がある。

5)  「比をできるだけ小さい整数にした比、小さい整数、これがポイントです。
    小数の比はだめよ。分数もだめよ。」

 前述したが、帰国児童Aは、否定の言葉に過敏に反応しているようである。この場面は「できるだけ簡単な比」の説明を行っている部分だが、今まで小数の比や分数の比を扱っていただけに、「小数の比はだめよ」の部分だけを聞いて、比全体の中で、「小数がだめなのかなと思う。」と答えた。帰国児童A は、一文一文を正確に聞いて理解しようとしており、説明全体の中から、「できるだけ簡単な比は…小数の比はだめよ」というように、主語と述語が離れた部分で困難を感じていると解釈できる。

6)  「始めの5+4はUくんと同じ考えで、比であらわしたら9個ある中の5
    つ分だから5:9にしてxは5の中にどのくらいテープの長さがあるか
    …5:9=x:72にしました。」

 この場面で他の児童(S1)は、波線部で、リボンのモデル図を用いて補足している。しかし下線部では、同様に図を用いたものの、具体的な長さが挿入されて式化されたため、モデルがあるがゆえに具体が捕らえにくくなったと考えることができる。高コンテクストにする手段として図や表などを用いる場合がよくあるが、それがモデル図であった場合、モデルから具体への転換が困難になる場合がある例といえよう。

(3)個別指導における「助言」がわからないことがある。

 Aの担任教師は、帰国児童Aをクラスで3番目(不登校の児童、学習不振児の次)に指導が必要な児童としてあげており、作業をさせる指示を行った後は必ずといってよいほど帰国児童Aのチェックを行っていた。個別指導の「助言」の全容は資料4を参照されたい。
 以下に帰国児童Aが困難を示した「助言」と、インタビューで帰国児童Aがわからないとした「助言」を示す。

比の値求めてみて。日本流でやってね。いったんとばして、ああ違うな、とかね。・・・1)

(6/28)

浮かばん?足したらどうなる?友達の見てどう?いい?・・・2)

(7/3)

ここでも何でか順番、書かにゃあ。・・・3) 

(6/30)

1) 比の値求めてみて。日本流でやってね。いったんとばして。ああ違うな、とかね。
2) 浮かばん?足したらどうなる?友達の見てどう?いい?

 これらは、まず問題点の一つ目に、情報量の多さに問題点があるといえる。前述したが、帰国児童Aは短いからといってわかりやすいとは言えないことがあると述べていた。これらの例は、一文一文は短いが、どれに答えてよいのかわからないまま、帰国児童Aは口をつぐんでしまった。一文一文を離して尋ねた場合、二つ目の問題点があることがわかった。帰国児童は一番最初の問いに答えようと聞くが、ヒントも聞こうともしている。帰国児童Aは、すべての発話に情報を求めている様子であった。しかし、あまりの情報の多さと、また2)の例では「浮かばん」というわからない語も加わって、処理しきれない状態に陥っている様子であった。

3) ここでも何でか順番、書かにゃあ。

 「順番を書く」という部分を聞いて、帰国児童Aは、1、2、3、と書くのだと思ったという。しかしこの場面で求められている作業は、「1.2:3がなぜ12:30になるのかその理由を書く」というものであった。このように、教師の発話が必ずしも発話どおりのことを求めているわけではないこともある。

(4)一斉に音読をすることができない。

帰国児童Aの在籍学級では、授業のまとめとして、教科書のまとめ部分を音読したり、板書のまとめを音読したりすることがよくあった。教師は、「確認のための教科書」と述べているように、問題を教科書から取り出すことはあるが、教科書そのものを用いて授業を進めることはなく、教師は「子どもたちの思考を重視」したいという思いを持っている。以下に、音読しなかった場面を示す。

T:ここをみんなで大きな声で言ってみましょう。
SS:サラダ油を3としたとき酢の量が2であることを、「:」の記号を使って3:2の
ように表します。3対2と読みます。このような表し方を比といいます。
A:(音読せず板書を見ている。「3対2」だけ口を開いた。)

(6/25、板書)

 

T:珍しく教科書出しましょう。58ページの博士くん(まとめ)読むよ。みんなで読
  んでみよう。
SS:比がA:Bで表されるとき、Bをもとにして、AがBの何倍にあたるかを表し
  た数を比の値といいます。A:Bの比の値は、A÷Bの商A/Bになります。
A:(口は開いているが、声は出していない。)
T:今日の値は2.25になります。

(6/26、教科書)

 

T:比は何割る何でしたか?(「くもわ」と板書)比べられる量をつかって?
SS:比べられる量対基にする量
T:さんはい
SS:比べられる量割る基にする量

(6/28、板書)

 

T:じゃあねえ、問題書きますよ。問題こんだけ。(板書)今日はね、隣の友達とも
話し合ってください。問題読むよ、さんはい。
SS:72センチのリボンを5:4に分けよう。 

(7/3、板書)

 一斉に音読をしないことについて、その事実を教師に提示したとき、教師はその事実に気づいており、「いきなり読むということが、彼女にとっては時々頭の中真っ白になるみたい」と述べた。また、その理由について「日本語から中国語にかえてやりよる(やっている)はず。」と推測している。一方、Aは「一回も(音読を)したことないと思う。」と認めはするものの、理由については、長い間、口を開こうとしなかったが、「学校に行ったら中国語は話さんし、全部日本語モード。ノートも日本語。全部日本語で考える。」と述べ、「読むってことが一番難しい。みんなで読むことにまだ慣れてない。」と付け加えた。
 筆者とのインタビューの際に、教科書を音読してもらったとき、Aは音読を始めたものの、助詞の「は」をhaと読んだことがあり、その後「は」という文字を見るたびに音読をやめてしまった。そのとき発する「慣れていない。」という言葉の裏には、Aの自信のなさが強く感じられた。また、日本語学級の教師にも「は」について指摘を受けたことがあると、Aは筆者に述べた。
 では、教師はそのようなAにどう対処しているのだろうか。授業の観察では、2回音読させ、Aの参加を促すという場面があった。しかし、インタビューで、教師は「まだ勉強中だから」といって音読は強制しないことを付け加えた。
 Aにはやや否定的自己概念があるようであった。しかし、Aの在籍する学級では教師が積極的に「学校は間違えるとこじゃけえ」と発話を促すことで、Aが口を開く場面も観察された。逆に強制しないことでAは安心することもあると言う。間違いに寛容である教室風土もまた、初期のころから必要な要素であると言えよう。

(5)板書を見つめる時間が長く、教師が板書をすべて終えてから問題を写す。

T:じゃあねえ、問題書きますよ。問題こんだけ。(板書)今日はね、隣の友達とも
  話し合ってください。問題読むよ、さんはい。
SS:72センチのリボンを5:4に分けよう。
(A:音読せず)
T:はい、分けて。どんなやり方でもいいけえ。隣の兄ちゃんと話していいから。は
  い、図で表したらこんな感じ。(図を板書)10分あげよう。
(A:黒板をずっと見ている。話を聞いている?)
SS:5:4に分けようってことだったら何センチ対何センチかってこと?
T:1学期に習った分数の掛け算、使ってもいいよ。(教科書の)56、57以外なら
  見てもいいよ。
(A:問題を写し始める)

 このように、他の児童が問題を写したり話し合ったりしている間も帰国児童Aはじっと黒板を見詰める様子が観察された。インタビューに対し帰国児童Aは、「特にわからないところがあったわけじゃない」と答えている。前述の例と同様に、次々と与えられる情報やヒントを聞く作業に集中していたと解釈できる。聞く作業が大切であると考えている帰国児童Aは、書く作業と聞く作業を並行することで情報を聞き漏らすことを避けたいと考えているようであった。

 その他、問題点ではないが、帰国児童Aは、担任教師の発話からメモを取ることがあった。

T:「皆さんドレッシング作ったことある?何と何混ぜた?
S:「酢と・・・」
S「塩、こしょう」
T:主に。と…
S:「サラダ油」
T:「サラダ油ね。今日はかわいい絵を書くけえね。これひろみちゃん。これやすし
  くん。これゆきえちゃん。この3人のお友達がドレッシングを作ります。ひろみち
  ゃんの場合。これスプーン。サラダ油小さじ3倍じゃけえ何ml?」
SS:「15。」
T:「酢は2杯じゃけえ何ml?」
SS:「10。」
T:「これカップね。やすしくん50ml。ゆきえちゃんは小さじ4杯何ml?」

 

 

図3 帰国児童Aのノート

 初回1時間のみ、わずか1回のことではあったが、当該児童が用いた理解のためのストラテジーの一つであると考えられる。帰国児童Aが理解の手がかりとして教師の発話からメモを取るというストラテジーを有効に用いることができるためにも、教師の話し方への配慮が必要だといえる。

4-7-2 帰国児童Bの事例

 参加観察から、帰国児童Bについての問題点として、以下の2点が観察された。

 (1) 説明を求められる発問に答えられない。
 (2) 言い換え文の羅列で混乱することがある。

 以下、上記の2点の事例を示しながら、帰国児童Bはどう理解しようとし、教師はどのように理解させようとしていたのかを考察してゆく。

 (1) 説明を求められる発問に答えられない。

 帰国児童Bは、「算数の時間に日本語がわからないと思ったことはない」とインタビューに答えている。他の教科についてたずねたとき、帰国児童Bは、「国語の時間とかに、なぜですかっていう問題あるよね。ああいうときに困る。何て答えていいかわからん。」と答えた。そこで、算数の授業場面から教師の発問と帰国児童Bの反応を抜き出し、挙手や反応を示したものと反応しなかった発問に分類したところ、挙手や反応できなかった発問には「どういう」「どう」「どのように」「どうなって」の疑問詞が含まれ(例1)、逆に挙手・反応した発問には、「何」「どれ」「誰」の疑問詞が含まれる(例2)ことがわかった。また、挙手や反応ができた発問の多くは「〜の人?」「〜した人?」(例3)という形であった。発問の全容については資料5を参照されたい。

(例1) どういう風に動かしたり、または切ったり貼ったりしたかっていうのを、同
じであれば同じだって言ってほしいし、どうですか?「う」から行きたいと
思います。

(9/7)

(例2) どれがその方法に当たるのか考えて見ましょう。

(9/14・3)

(例3) Sくんと同じ人?

(9/6)

 また、帰国児童Bが発言をしたときに、答えなければならない状況に置かれた場面があった。そのとき帰国児童Bは、次のような説明の仕方をしている。

B:ぼくは、こっちのはしっこを切って、こっちに持ってきました。4かけ6をしました。
T:どうして4かけ6したの?
B:たてが4、横が6、どうですか。

(9/7)

 このような話し方と帰国児童Bのインタビューから、帰国児童Bが、「…からです。」などの説明の話し方を知らない、または身につけていない可能性があることが示唆された。

(2) 言い換え文の羅列で混乱をすることがある。

 教師は、何とか発問の意図を伝えようと、同じ意味でさまざまな言い方をする場面が観察された。このときに帰国児童Bは、困難を示したようであった。

T:どれを底辺にしたら計算しやすいですか?どれを底辺?辺、何か。辺オア、と
  か、辺ウエ、とか。何を底辺にします?
B:(キョロキョロしている。)

 ここで問題になるのが教師の発問の仕方である。具体例を混ぜ込むと
きにも、その要素の位置に注意しなければならないと考えられる。

4-7-3 総合考察

 ここでは、帰国児童Aと帰国児童Bの共通の問題点と個別の問題点に分類し、AとBの背景等から、問題点について考察する。
 帰国児童Aと帰国児童Bの共通した問題点は、大きく教師の発話の仕方という枠の中で見出すことができる。帰国児童A は、教師の指示、発問、説明に困難を示すことがあり、また帰国児童Bは発問の疑問詞によって躓きを示していた。担任教師は日本語の専門家ではもちろんないが、帰国児童が困難を示しているという事実がある以上、個人指導はもちろんのこと、全体に向けた発話についても一考が必要であろう。石井(2000)は、「教室の物理的環境やともに学ぶ同級生や教師との関係の中で子どもたちは学んでおり、授業に参加し、理解するためにはどのような手がかりがあるかということは具体的な学習の場を知ることでしか知り得ない。授業に参加するためにあらかじめ必要な日本語が何であるかを知ることは、反対にその場面、文脈において理解可能になる部分が何かを知ることでもある」と述べている。担任教師が言語という面で自己の授業を観察し支援の対策を考えていかねばならないであろう。教師の具体的な発話の方法については、4-7-4で述べる。
 そのほか、帰国児童Bには見られない問題点が、帰国児童Aには多数見られた。帰国児童Aは担任教師にも指導が必要な児童とみなされているが、帰国児童Bは他の児童とほとんど同様の指導を受けていた。帰国児童Aと帰国児童Bの間にはどのような差があるのであろうか。
 まず考えられるのが言語使用環境の差である。Aが普段遊んでいる仲の良い友達は、Aと同様に帰国児童である下学年の児童である。在籍学級でのAは、誰と一緒にいるというわけではなく、一人でいるかもしくは多数の女子が話す近くで輪の中に入っているだけで、筆者が「クラスで一番仲のいい子は?」という問いにも答えられず、苦笑いを浮かべて首をひねるだけであった。家庭では、父母に勉強するように言われたりすることもあるが、自ら勉強をする姿が見られた。特にテスト前は自分でよく勉強し、近所の人からもよく勉強する子だとの声も聞かれた。そのような環境の中で、使用する言語はほとんどが中国語である。中国語の自己評価は「話す」ことについては「ぜんぶできる」のに対し、読み書きは「できない」であった。日本語の自己評価について同様にたずねたところ、「ちょっとできる」と評価し、「4年生の2学期ぐらいまでは日本語はまだまだ普通よりわからんかった」「授業中も何いっとるかわからんかったから授業がわからんこともあったけど、公式とかを日本語学級で習ったらわかった。」「日本語学級には先生のいっとることがわからんときには行きたいと思ったこともあったけど、行きたくないと思うこともあった。」と述べた。一方、帰国児童Bであるが、Bはいとこにあたる帰国児童が同じクラスにいることもあって行動を共にすることが多いが、その他の児童が輪に入っていることが多い。帰国児童Bはいとことも日本語で話し、父とも半分は日本語で話すという。担任教師の話によれば、帰国児童が2年生のときくらいまでは今よりも帰国児童が多く、日本語教室で帰国児童同士が固まって中国語で会話することやいとこの児童とも中国語で話すことがあったという。しかし現在は、中国からの留学生を招いて話をしたときに中国語での通訳を日本人児童に依頼されたが、いやいやだったようだと述べた。本人の日本語の自己評価は「ほとんどわかる」、中国語の自己評価は「ちょっとわかる」というものであった。以上のAとBの言語使用環境の差が、授業に必要な日本語習得に影響している可能性がある。
 次に、中国での就学歴や帰国前後の学習状況にもAとBには大きな差がある。帰国児童Aは、1989年2月に中国で出生し、1996年4月に中国で小学校に入学し、約1週間学校に通った。帰国が1996年9月であるから、約半年間、教育を受けられない状況が続いたことになる。1996年9月から現在のY小学校に編入した。一方、帰国児童Bは1990年3月に中国で出生し、中国では幼稚園に4年通った。すでに帰国を考えていた父の判断で小学校へは就学せず、1996年11月に帰国し1997年4月に現在のY小学校に入学した。AもBも日本の就学年齢よりも1歳上になるが、就学していたか否かで、編入か入学か、という点に差が出た。
 また、編入・入学後の日本語指導にも大きな差があることがわかった。すでに述べたが、AとBの日本語指導歴は以下のように行われた。

表10 帰国児童Aと帰国児童Bの日本語指導歴

  帰国児童A 帰国児童B
1年生
2年生
3年生
4年生
5年生
6年生
なし
国・算(取り出し・5)
国・算(取り出し・4)
国・算(取り出し・4)
国(取り出し・4)
国(入り込み・3)
国(取り出し・10)
国(取り出し・10)
国(取り出し・10)
国(取り出し・10)
国(入り込み・不定)

(注)教科名(国=国語、算=算数)は在籍学級がどの教科を行ってい
るかを指す。( )内は指導形態及び週合計時間数である。

 Aは算数の時間に取り出し指導を受けていたが、Bは国語のみの指導であった。算数の取り出し指導の有無が現在の授業にどう影響したかを断定することは不可能であるが、Aは帰国前後の半年全く教育を受けていなかったこと、1年生のときには日本語がわからないまますべての算数の授業をうけたこと、2年生から4年生までの算数の時間に日本語指導を受けていた可能性があることなどが、帰国児童Aとは異なる点である。
 最後に、Aの担任教師とBの担任教師は授業の形態が大きく異なり、一口に算数の授業と言っても、授業に必要な能力に差があることがわかった。Aの担任教師は教科書を使用する機会は音読させるときだけだが、問題や進め方は教科書をベースにしている。教科書の問題を教師が提示し、一人または班で考え、発表させ、教師が評価するという形態がとられていた。一方、Bの教師の専門は算数で、部会などで学んだ新指導要領で求められる「筋道を立てて考える能力」として、自らの考えや解法を、口頭で説明したり文章表現したりする力を身につけさせたいと考えている。そのため活動が中心だが、活動の前には教師が多くの指示や確認を行い、活動後には他の児童による説明と、教師の補足説明が中心となった。このように、算数を一様に捉えることは難しい。しかし現在の日本の教育施策として、算数では問題解決の能力を育成できるように配慮することが提示され、教師には、意図的に情報が不足している文や情報が多く組み込まれている文を提示し、必要の情報で問題を構成できるように工夫したり必要な情報を選択したりして解決する配慮が求められている(文部省 1999)。児童には、それを表現するための日本語が必要となってくるのである。先に教師の発話の仕方について触れたが、児童の授業中のコミュニケーションを促すためには、発問の型や、それに対する答え方、自分の意思や考え方の発表の仕方を指導することが重要であろう。具体的支援については、4-7-4で述べるが、「算数の学習を行うための日本語は、教科書の用語や表現にとどまらない」ということが、以上の分析、考察で明らかになった。

4-7-4 算数科学習支援についての提案

 ここでは、以上で得られた帰国児童Aと帰国児童Bの事例とその考察から、算数科学習支援について、以下の3点に関しての提案を行う。

    (1) 教師の発問、説明の仕方に関する提案
    (2) 児童に指導する日本語に関する提案
    (3) 算数の内容と日本語の統合授業に関する提案

(1) 教師の発問、説明の仕方に関する提案

1)疑問詞の種類
帰国児童Bに見られたように、疑問詞の種類によっては、帰国児童が答えにくい状況を作り出すことになってしまう。質問の型に関しては、牧野他(2000)は、ACTFL-OPIでのテスターの質問の型として以下の8つの型を挙げている。 

 1.「はい/いいえ」疑問文
 2.選択疑問文
 3.事実や情報を求める疑問文
 4.イントネーションの疑問文
 5.付加疑問文のついた平叙文
 6.依頼及び丁寧な依頼表現
 7.前置き型の質問
 8.仮定的な質問

 牧野他は、OPIでは、1,2,5の型の質問は自分から情報を提供しなくても良い質問で、下のレベルの被験者が簡単に答えられるという点では心理的に効果があるが、これらの質問の返事を聞いてから、確認のために関連質問が必要であると主張している。また、3の質問は最も一般的な質問の型で、情報を引き出せる点が強みだが、畳み掛けるように3の質問を続けるのは避けるべきだと主張している。本研究の調査において、帰国児童が教師の質問の型について示した反応にも同様の結果が見られたことから、牧野他の主張を参考とすることができるであろう。8つの質問の型は、被験者が初級の上以上であればどのレベルにも使える(牧野 2001:39)ものなので、日常会話がほぼできるようになった長期滞在の帰国児童にも、8つの質問の型を適用しても良いと考えられる。児童が3の型に困難を示す場合には、1,2,5の型に変えていくような形での調整によって、帰国児童が答えやすい状況を作り出すことができるであろう。

2)文の長さ、要素の提出の仕方に関する提案
 本研究の調査では、帰国児童Aは、短くても困難を示す場合があった。また、帰国児童Bは、同様の意味の言い換えで困難を示す場合があった。これに関しても、教師の発話への配慮が必要であると述べた。
 これに関しては、石井他(1997)、小澤他(1998)が参考になる。石井他は、算数の教科書の文章を書き換えるプロセスを示したものであり、書かれた文章のみならず、発話にも応用できるものと考えられる。また、発問の板書にも直接的役立つものでもある。短い文章でも、羅列してしまっては意味がないことが本調査から示唆されたが、例えばBの事例で見られた、

「どれを底辺にしたら計算しやすいですか?どれを底辺?辺、何か。辺オア、とか、辺ウエ、とか。何を底辺にします?」

という例においては、「どれを底辺にしたら計算しやすいですか?」の後に、「辺オア、辺ウエ、のように、辺どれを底辺にしますか?」等、情報を整理して伝えるように配慮することが求められよう。

(2) 児童に指導する日本語に関する提案

1)用語に関する提案
 帰国児童Aは、単語がわからないと困難を示す場合があった。その用語は「表、基にする、操作活動、それ以外、マルコメみそ、エックス、ネック(になっている)、原液、うすめる、浮かばん、何でか」などであった。また、単語以外にも、帰国児童Aは、「あな、うめて」という表現に困難を示した。これは、寺田(1994)の「すでに日常的に習得している日本語の意味と、数学用語の違いを指摘する必要がある」という指摘に通じる。帰国児童Aは「あな」の意味も「うめる」の意味も知っていたが、「表の空欄に数字を入れる」という意味になることは知らなかった。このような用語は、算数に必要な用語として児童に指導する必要があるであろう。

2)コミュニケーションを行うための日本語に関する提案
 在籍学級での算数の授業において、帰国児童Aは教師の発問・指示、助言、教師や他の児童の説明を聞いてわからない場面があった。また帰国児童Bにも、教師の「なぜ」という発問に何と答えてよいかわからないという問題点が見られた。これらのことから、在籍学級でのコミュニケーション活動に帰国児童が積極的に参加するためには、教師が使用する発問の型とそれに対する答え方や、自分の意見の述べ方等を彼らに指導する必要があると考えられる。算数教育の分野では、金本(1999)、黒崎(1999)、古藤(1999)らが、算数のコミュニケーションにおいて、算数の概念形成を共有するためには、「〇〇だから〇〇」「でも〇〇」「だって〇〇」「だから〇〇」というような論理的なつながりを表す言葉や、「〇〇さんと似ているのですが/違うのですが」というような他者の考えとの関連を表す言葉を重視する必要があるとしており、本調査の結果もそれを支持するものとなった。1)で述べた用語とともに、指導していくことが望ましい表現として提案したい。

(3) 算数と日本語の統合に関する提案 

(1)(2)では、具体的な支援法の提案を行ったが、ここでは「教科(ここでは算数)と日本語の統合」の再考を行いたい。
 在籍学級での学習形態は担任教師により決定される。帰国児童Aと帰国児童Bの場合においてもその指導形態は大きく異なっていたものの、教科書を中心にした授業ではなく、教師以外に児童の説明というスタイルが存在することが明らかになった。在籍学級の学習は教師対児童、児童対児童のコミュニケーションによって行われているということであり、取り出し指導の際には、もっとそのためのトレーニングを導入してゆく必要があると考える。換言すれば、「在籍学級での学習の仕方を学ぶ」支援が、教科と日本語の橋渡しになるということになろう。
 帰国児童AとBが日本語学級に行きたいと思うのは、帰国児童Aは「先生のいっていることがわからないとき」、帰国児童Bは「わからない問題があったとき」と答えているが、帰国児童Aも帰国児童Bも、日本語学級に行くとわからないところが教えてもらえると考えていた。日本語学級が、個人指導で日本語や教科の理解を深める場であることも必要であるが、在籍学級での授業スタイルを考慮に入れながら、教師や児童同士で情報交換をするという、スキルトレーニングが取り入れられるべきではないだろうか。算数での、その具体的なスキルとしては(2)で述べたような、自己の考え方を説明するための日本語指導などが挙げられよう。算数の用語を用いて、在籍学級の学習スタイルを取り入れながら日本語を学ぶことが必要なのではないかと考える。


調べようとしているその「現場」を指す用語。(佐藤 1992)

資料名は「外国籍児童数」であるが、Y小学校の実態から、日本籍を持つ帰国児童も内数とされており、正確には「入国・帰国児童数」を表している。

大西(1998)は、教師が授業中に発する言葉を「指導言」とし、それを「提言・助言」、「説明・発問・指示」に分類している。これに基づいて教師の言葉を分類してゆくが、「指示」「発問」は教師のみが行い、「説明」は教師のほか他の児童が行うことも多かったため、本論文では「説明・発問・指示」をさらに「説明」と「発問・指示」に分けることにする。

アメリカ外国語教育学会(The American Council on the Teaching of Foreign Language)外国語学習者の会話のタスク達成能力を、一般的な能力基準を参照しながら対面のインタビュー方式で判定するテスト。