中国帰国生の大学における教育を考える ー言語能力と学力の伸長をめざしてー 文学部 友沢昭江 【キーワード】中国帰国生、大学進学、日本語能力、母語能力、学力伸長 0.はじめに 今年2002年、日中両国は国交正常化三十周年を迎えた。十周年や二十周年に比べ ると派手さはないが、改革開放政策によるめざましい経済発展を遂げた中国との新し い関係を構築すべく、数多くの記念行事が両国で催される。その三十周年の記念すべ き日の前日、今年度にあらたに認定された中国残留孤児六名の名前が発表された。 1981年の訪日調査開始以来、最小の認定数である。関係者が高齢化していることに加 えて、徹底した集中的な認定調査が行われないことが大きな原因とされる1。もちろ ん、これまでに永住帰国した孤児2,446人(2002年8月31日現在)2と中国に残ると 見られる318人の帰国をもって孤児問題が解決するということにはならない。帰国後 必ずしも十分な受入れ援助体制が取られず、日本社会への適応を果たせずに高齢化し ていく不安から、帰国した孤児の四分の一にあたる600人が国を相手取って謝罪と損 害賠償を求めて訴訟を起こすという3。戦後早急に孤児の帰還を図るべきところを四 十年近く放置していた国の責任は重い。 十分な対応がなされなかったという点では、孤児や残留婦人だけでなく、ともに来 日した子や孫(国費永住帰国者総数は6,189世帯、19,824人。自費による帰国者はそ の数倍と見られる)にも同様な思いがある4。長年帰国を切望した孤児や婦人本人は もちろん、技術者や専門職に就いている割合も決して低くない孤児二世が日本に移り 住む決心をしたのは、親の意向を尊重する孝行心にくわえて、自分の子どもたちによ り高度な教育を与える目的があった5。その点を考慮するなら、孤児(婦人)への施 策の中には次の世代が十分な教育を受ける権利を保障する責務が含まれるのであり、 それは国だけでなく日本社会に等しく課せられたものである。中国帰国生(=孤児・ 婦人の子や孫で学齢期にある者)の教育を考える時にはこの視点は決して見失っては ならない。 筆者は別稿(友沢2000)において中国帰国生の高校、大学進学の問題について論じ たが、本稿では急増する外国人高校生をめぐる状況と、それを受け今後増加すると思 われる大学生の教育はどうあるべきかを、中国帰国生の言語能力の伸長を中心に検討 する。 1. 外国人生徒の現状:教育の機会の拡大 1.1 高校在籍者の増加 1980年代の中国帰国者やインドシナ難民、および1990年の「入管法」改正にとも なう日系人労働者など、いわゆるニューカマー人口の急増により、日本の教育現場は 異文化をもち、日本語を母語としない年少者の教育という未経験の課題に直面した。 文部科学省は1991年度から隔年(1999年度からは毎年)で「日本語指導が必要な外 国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査」を行っているが、公立学校(小・中・高 等学校および盲・聾・養護学校)におけるこうした児童生徒の在籍者数も受入れ校数 も年々増加し、2001年度には調査開始以来最多の19,250人、5,296校(言語数は58 言語)となった6。1993年度に在籍者数が一万人を越えた時には大きな注目を浴びた が、それから8年でほぼ倍増したことになる。 高等学校における調査は少し遅れて1995年度から始まったが、在籍者数も受入れ 校も年々増加し、特に95年度から99年度にかけては調査の度に2倍に迫る勢いで増 えていった(在籍者数の対前回比は97年度が74.6%増、99年度が95.4%増、受入れ 校数の対前年度比は97年度が103%増、99年度が51%増)。入試による選抜を通過し なければならない高校において受入れ校が増加している理由として、文部科学省は. 入試の際に特別な措置を講じたり、特別選抜枠を設置するところが増えた(表1参照)、 .一般入試により入学できる程度の日本語力を習得している生徒が増えたこと、.そ の場合でも難易度が格段に上がる高校の教科学習についていくためには更なる日本 語指導が必要だと認識されていることによると分析している7。 表1 入試特別措置等を設けている都道府県立高校*(在籍者数上位5都府県) 中国帰国生対象 それ以外の外国人生徒対象 全日制 定時制 全日制 定時制 措置 特別枠 措置 特別枠 措置 特別枠 措置 選抜枠 全国(府県数) 27 13 22 4 25 14 17 2 東京都 ○ ○ × × × ○ × × 神奈川県 非公開 非公開 非公開 非公開 非公開 非公開 非公開 非公開 静岡県 × × × × ○ ○ × × 愛知県 × ○ × × × ○ × × 大阪府 ○ ○ ○ × ○ ○ ○ × *中国帰国者定住促進センター(所沢)の調査の結果、公開可能な情報としてセンターのHPに掲載されたもの (2001年8月現在) 高校進学率が100%に近い(97.0%、2000年度)8日本社会において、定住志向の高 い中国帰国生だけでなく、滞在期間の長期化9を受けて進学希望者が増えている外国 人生徒に対しても、なんらかの措置を講じて就学の機会を保障しようとする努力は評 価されてよい。しかし、入学後実際に日本語指導を受けている高校生の割合は必ずし も高くなく、小、中学校で指導を受けている生徒と比べると10ポイント程度低い。(表 2参照)ここ数年で急増した高校生に対して日本語指導の体制が十分に追いついてい ないこともあるが、「要日本語指導」とされながら指導を受けていない生徒が四人に 一人いることは大きな問題であり、速やかな対応が求められる。 その際「要日本語指導」か否かの認定基準や認定方法は妥当か、実際の指導内容は 適切か、教科理解につながる配慮がなされているのかなどの点も確認する必要がある。 一方、日本語指導が不要とされた生徒に対しても、個々の生徒の教育歴などを考慮に 入れながら実際の日本語能力を測り、その上で学力形成につながる言語能力をどのよ うに習得させるかなど、検討しなければならない課題は多くある。 表2 日本語指導が必要な生徒のうち、日本語指導を受けている者の割合 1997年度 1999年度 2000年度 2001年度 小学校 80.5% 83.3% 82.7% 85.6% 中学校 76.9% 79.6% 79.2% 83.7% 高等学校 79.4% 72.0% 66.7% 73.8% 「日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況に関する調査」(平成9年度.13年度)より作成 中国帰国生を積極的に受入れている大阪府内の高校の報告によると、1996年度初 めて1名を、翌97年度に4名の帰国生を受け入れたが、その生徒が小学校低学年で 来日しており、通名(日本名)で生活し、日本語会話も不自由なく行っていた ................ ために、 日本語教育の必要性を感じず ............. 、本人たちの希望もあって学内での表だった活動は控え 気味にし、特別な指導は行わなかったとある(傍点:筆者)。その後98年度に入学し た7名のうち4名が本名(中国名)を使用し、かつ日本語力も十分ではなかった(中 学1年.2年時に来日)ため、この年から日本語の抽出授業を始め、99年度入学者は 3名すべてが、そして2000年入学者の4名のうち2名が日本語指導が必要とされた。 この高校では、合格発表後に日本語診断テストを行い、家庭訪問で本人の様子を見、 かつ本人の希望を聞いた上で抽出授業を行うかどうかを決定しており、比較的配慮が なされているといえる10。 しかし一般に「要日本語指導」かどうかの判断は個々の教員の印象(日常生活に困 らない会話力があるかどうかなど)に委ねられていることも多く、診断テストも外国 語または第二言語としての日本語能力を測るものか、語彙や単文レベルだけでなく、 まとまりのある文章を理解する談話的能力までを測るか、内容が生徒の年齢や文化的 背景に相応しいかによって結果が左右されることも多い。 高校に進学する生徒は入学までに日本の学校に数年間在籍することが多い。それを 考えれば、5.7年を要するとされる学習言語を習得する努力は小、中学校での日本 語の初期指導の段階から開始するべきであり、教科内容と日本語を統合させる指導 (斎藤1999、2000)や、学力を下支えする母語を伸長させる教育(石井1999、山口・ 一二三1998、湯川1998)の導入などを含め、長期にわたる学校間の連携したケアが 検討される時期にきているといえよう。 1.2 大都市圏への集中 高校在籍者については急激な数の増加に加えて、特定の母語および大都市への集中 が顕著な特徴としてあげられる。全学校種における母語別在籍者はポルトガル語が最 も多く(39.1%)、次いで中国語(28.7%)、スペイン語(12.5%)となるが、高校に限 ると、中国語(59.0%)、ポルトガル語(11.7%)、スペイン語(10.7%)となり、中国 語への集中度が高くなっている。(表3参照) 表3 母語別児童生徒数(59言語のうち上位3言語)と各学校種における全体比 小学校 中学校 高等学校 母語別合計* ポルトガル語 5,232 (42.0%) 2,141 (37.6%) 120 (11.7%) 7,518 (39.1%) 中国語 2,829 (22.7%) 2,089 (36.7%) 604 (59.0%) 5,532 (28.7%) スペイン語 1,608 (12.9%) 687 (11.9%) 110 (10.7%) 2,405 (12.5%) 59言語の合計* 12,468 5,694 1,024 19,250 *合計の中には盲・聾・養護学校が含まれる 〔単位:人〕 「平成13年度日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況に関する調査」より抜粋 また、居住地については、全般に大都市圏(東京、神奈川、静岡、愛知、大阪の5 都府県)に集中する傾向が続いている(5都府県の占める割合は、全学校種で47.0%、 小学校で45.9%、中学校47.8%、高校で55.8%)が、高校に限定すればさらに集中度 は高くなり、東京、神奈川、大阪の3都府県で全体の半数を越える52.7%を占めてい る。在籍者数では最大の愛知県だが県の総数に占める高校在籍者の割合がわずか1% であるのに対し、総数では最小の大阪府は高校在籍者の占める割合が14.5%と5都府 県で最も高くなっている。(表4参照) 表4 都府県別在籍者数(上位5府県)と各府県の合計に占める学校種別割合 小学校 中学校 高等学校 合計* 東京都 870 (48.5%) 726 (40.5%) 189 (10.5%) 1,792 神奈川県 1,189 (62.5%) 528 (27.8%) 180 (9.5%) 1,902 静岡県 1,243 (74.7%) 414 (24.9%) 5 (3.0%) 1,665 愛知県 1,759 (70.1%) 715 (28.5%) 26 (1.0%) 2,510 大阪府 661 (56.2%) 336 (28.6%) 171 (14.5%) 1,176 *合計の中には盲・聾・養護学校が含まれる (単位:人) 「平成13年度日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況に関する調査」より抜粋 地域と母語別分布を合わせて見ると、各地域の特徴が一層よく見えてくる。(図2 参照)すなわち東京は中国語の割合が多いが、同時に主要3言語以外の言語話者も多 い。神奈川は主要3言語の話者がバランスよく在籍するが、その他の言語話者が最大 の集団を占める。静岡、愛知は総数は多いが、圧倒的にポルトガル語話者が多く、小、 中学校に集中し、高校生が非常に少ない。大阪は総数はやや少ないが、中国語の占め る割合が非常に高く、高校在籍者の割合も高い。 図2 都府県別(母語別)児童生徒数(上位5都府県) 平成13年度日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況に関する調査」より抜粋 高校において外国人生徒が年齢相応の言語能力と学力を習得できるかは、それが日 本であれ出身国であれ、彼らが社会の構成員として十分に機能するために不可欠であ る。高校での教育の成否が大学進学を左右することも考えられる。急増する高校とそ れに呼応して増加が予想される大学生のための体制づくりに必要とされることは何 か、次節では、中国語を母語とする者、中でも中国帰国生の高校在籍者の割合が高く、 近年そのスケールメリットを活かした新機軸を打ち出している大阪府の例を参考に 考察する。 1.3 大阪府の状況 高校在籍者が中国語話者に集中している(59.0%)ことはすでに述べたが、大阪府 においてはその傾向はさらに顕著となる。2001年度、府内には1,176人、18言語の背 景をもつ「要日本語指導」の外国人児童生徒が在籍し、小、中、高校すべての学校種 で中国語話者が最大であり、高校においては在籍者143名で、実に全体の83.6%と圧 倒的な割合を占める。(表5参照) 表5 大阪府内における要日本語指導外国人児童生徒の在籍状況(2001年度): 母語別在籍者数(上位5言語)と中国語の各学校種に占める割合 中国語 ポルトガル語 ベトナム語 韓国・朝鮮語 フィリピノ語 小学校 440(66.6%) 63 49 36 32 中学校 249(74.1%) 37 17 9 9 高等学校 143(83.6%) 8 3 3 6 総数* 834(70.9%) 108 69 50 47 *総数には盲・聾・養護学校が含まれる (単位:人) 大阪府教育委員会教育振興室児童生徒課資料より抜粋 こうした実情を反映して、大阪府の外国人生徒に対する施策はまず中国帰国生への 対応が皮切りとなり、その成果を他の渡日生徒11にも拡大適用するという形になって いる。府立高校への受入れ体制については、1988年度の一般入試に際しての特別措置 (時間延長、漢字のルビ打ち、辞書使用等)に始まり12、その後、対象生徒を義務教 育小学校2年以降の編入(状況により1年生以降も弾力的に対応)に拡大し、日中・ 中日辞書持ち込みの許可、英語・数学・小論文の三科目受験と小論文におけるキーワ ードの翻訳と日本語以外の母語記述の許可(英語科・国際教養科および総合学科)な どが加わって大幅に改善され、そのことが高校進学を促進してきたといえる13。 特別枠の設定はすでに12の都府県が実施している中、大阪府では2001年度によう やく実現した(普通科2校、各校定員12名。2002年度にさらに1校)が、英・数・ 作文(外国語記述可)の三科目受験などの入口の配慮だけでなく、後発の利点を活か して入学後の教育に先進的な試みが見られる。国語の時間の抽出授業では中国人教員 (常勤講師)が系統的な日本語指導を行い、その他の国語教員が作文指導や日本語検 定指導などを分担し、社会科では社会科教員が歴史、地理、文化など基礎的な事項を 学ばせる。教科理解につながる指導はその科目の担当教員が行うという、当たり前で ありながら徹底されてこなかったことがここでは可能となっている。また「第二言語 としての日本語」科目の新設や「日本語作文」などの選択科目が設けられ、三年次ま で継続して履修できる。 母語教育についても中国人教師の担当する「母語中国語」をはじめ、「中級中国語」、 「上級中国語」、「中国文学」、「中国語表現」などの二言語読み書き能力をめざす科目 が提供されている。母語による思考力の養成が学力形成につながるとの確信が学校内 で共有され、それを実現させるカリキュラムと教員の配置が行われている。日本人生 徒も参加する中国文化研究部や外国語としての中国語科目の設置など、すべての生徒 が異文化に触れる機会も設けられている。この高校に在籍する中国帰国生が「多くの 仲間が高校に進学できず、進学しても仲間が少ない定時制や私立高校に行った。今の 一年生がうらやましい」と話すのも無理からぬことである14。 Landry & Allard(1992)はバイリンガルの発達に影響を及ぼす要因として社会的レ ベルでは.言語集団の話者数(人的資源)、.政治的な影響力(政治的資源)、.経済 的な力(経済的資源)、.文化的な優勢度(文化的資源)によって構成される「言語 集団のバイタリティー(Ethnolinguistic Vitality)」を、そして社会心理的レベルでは学 校、家庭、地域コミュニティーの教育的サポートをあげている。帰国生が数十人を越 える規模になり、学校からのサポートが充実することで生徒たちの母語や母文化に対 する心的態度や学習効果にも好影響が出てくることも予想される15。学力の伸長に加 えて加算的バイリンガリズムの達成が見られるかなども、この新しいカリキュラムの 評価を決める重要な指標となると思われる。 府教委は「特色ある高等学校作り」の一貫として、2003年度に新しく統合整備する 高校に「情報」、「福祉」、「自己創造」などと並んで「国際理解」を主眼とするカリキ ュラムを構築し、すべての生徒を対象に英語だけでなく中国語学習に力点を置いた国 際理解と多文化共生を実現する教育をめざし、同時に中国帰国生の拠点校として位置 づける計画も発表している16。外国人生徒に対する施策から一歩踏み出して、学校全 体の教育指針につらなる大きな枠組みの中に彼らを位置づけようとする試みであり、 外国人生徒の教育は新たな局面に入ったといえよう。 行政だけでなく民間NPOなども首都圏や関西各地で高校進学ガイダンスを行いサ ポートを続けている。大阪では1999年以来毎年実施されており、進学を希望する中 学生や保護者向けの詳しい情報を掲載した冊子(9カ国語版)の配付や入学を果たし た先輩達との交流を行ってきた17。参加する中学生は毎年中国人が最も多い(2002年 は21名)が、高校進学率の低いフィリピノ語(同5名)、ポルトガル語、韓国・朝鮮 語(いずれも同4名)話者の生徒もこの機会を利用して着実に進学にむすびつけてい る。2002年からは中学と高校の教師(中学41名、高校22名)も加わり、各々の抱え る事例について報告し、よりよい連携に向けて議論を交わした。40度に近い猛暑の真 夏の一日、クーラーも何もない大部屋で汗まみれになって熱心に議論する様子をたの もしいと思うと同時に、筆者は大きな課題を与えられたように感じた。すなわち外国 人生徒の存在を解決すべき問題としてのみとらえるのではなく、より大きな教育の枠 の中で進展させようとする中学、高校の意識の高まりに対し、大学における受入れ体 制は必ずしも十分とはいえず、こうした教育を受けた高校生を受入れ、その期待に沿 うよう育てることができるだろうかと懸念したからである。次章では、大学に進学し た帰国生の教育の現状を検証する。 2 大学における帰国生の現状 2.1 帰国生の位置づけ 中国帰国生を対象とする大学入試における特別措置は国立大学協会の要請を受け て1987年に新潟大学で初めて実施されて以来、現在では60大学(国立大24校、公 立大15校.2公立短大を含む、私立大21校)にまで拡大し、特別枠で入学した者の 数は172名(1999年度から2001年度に入学した者の総数)となっている18。上から の要請を受けたケースだけでなく、ボランティアで帰国生の日本語教室に関わった日 本人大学生や帰国生の教育に関心を持つ高校の教師たちからの要請を受けた形で特 別枠を設けた大学もあり19、導入の経緯はさまざまであるが、いずれも帰国生に大学 入学の門戸を拡げようとの意図が強くある。そのため選抜方法は日本語による小論文 と面接が中心で、外国語(日本語、中国語、英語等)を課す場合もあるが、日本語能 力試験一級や学科目試験20などが課せられる留学生と比べると入学時のハードルは全 般に低めに設定してある。 入学時の選抜枠は特別に設定しても、入学後に帰国生を個別対象とした授業を設け る大学は少ない。現在大学等に在籍する外国人留学生は78,812人(2001年5月1日 現在)にのぼり、その大半(91.6%)がアジア出身であり、出身国別では中国からの 留学生が最大となっている(44,014名、全体の55.8%)21。帰国生はそれに比べると 数も少なく中国語と日本語の二言語使用者という点で中国からの留学生と同じ問題 を持つとみなされ、留学生を対象とする「日本語・日本事情」科目の受講を認めて一 般教養科目の単位に読み替える措置を講ずることが多い。彼らが社会経済的背景やエ スニシティーを含むアイデンティティーの問題、母語による学校教育歴などの点で、 日本人海外帰国子女、在日華僑子弟、中国人留学生のいずれとも異なる固有の背景を もち22、日本語だけでなく学習全般にわたって適切な指導が必要だという認識は広く 共有されておらず、彼らを対象とした研究もあまり多くはない23。 2.2 桃山学院大学における帰国生の状況 桃山学院大学では1999年度入試から中国帰国生特別枠を設け、現在14名(男4名、 女10名)が在籍している24。学年別には三年生が3名、二年生が7名、一年生が4名、 学部別には経済学部2名、経営学部3名、社会学部4名、文学部5名となっている。 このうち、外国人留学生の日本語授業を履修している12名について来日年や日本語 学習歴、および日本での教育歴などを調べた。 全員が残留邦人の祖母をもつ「三世」であり、中国帰国生が多く住む大阪府南部に 居住し、府内の高校(公立11名、私立1名)を卒業している。日本国籍を持つ者は 3名で、中国籍は9名。最も早く来日した者は1993年、最も遅い者は1997年で、大 学入学までの滞日年数で最も短い者は3年9ヶ月、最も長い者は8年である。中国で の最終在籍学年は最も短い者で小学4年、最も長い者は中学校卒業である。(表5,6参照) 表5 大学入学時までの滞日年数 滞日年数 .4年 .5年 .6年 .7年 .8年 人数(人) 1 1 6 2 2 表6 中国での最終在籍学年(注:来日後の編入学年と同一ではない) 最終在籍学年 小学4年 小学5年 小学6年 中学1年 中学2年 中学3年 人数(人) 1 1 2 1 4 3* *中学卒業者1名を含む 来日直後の日本語の初期指導については、中国帰国者定住促進センター(所沢、住 之江)で四ヶ月、夜間中学で3ヶ月、在籍する中学とは別の中学にある帰国生のため のセンターで10ヶ月、日本語学校で週3回3ヶ月という5名を除くと、編入した小 学校か中学校で主に国語の授業時に「取り出し授業」を受けた者がほとんどで、まっ たく指導を受けなかったという者も2名いる。取り出し授業は担任の教師、手の空い ている教師、派遣指導員(日本人の場合と中国人の場合とがある)が担当し、その内 容は教科書を読んでもらったり、カードや絵を自分で読む、漢字を書いてふりがなを 打つ練習などで、「具体的には何かを教えてもらったという記憶がない」という者も いる。数学と英語と体育の時間は「なんか感じで分かる」けれど、それ以外の授業は 「ぼーっとしていた」し「友達もできなかった」と語る。中国帰国生を多く受入れ、 きめ細かい日本語指導と中国語保持教育を行っている高校で学んだ5名の学生は、高 校に入ってようやく「ちゃんとした」日本語と学科指導を受けたと述べている25。 整備されつつある大阪府の帰国生の教育環境について前章で述べたが、それに対し てわずか数年前の彼らの置かれていた状況は厳しいものであった。授業が分からない ことで高校を中退したり、卒業後就職する帰国生も多いなか大学進学を果たした彼ら ではあるが、母語によるインプットが遮断され、日本語のみで行われる授業に十分参 加できなかったことによる影響は言語能力や学力形成の面において十分予想される。 その点では、高校卒業まで母語による教育を受けた後に来日し、日本語学校で1年か ら1年半程度系統だった日本語指導を専門の教師から受けて入学する留学生と比べ ると、帰国生の滞日年数は長く、日本の学校で教育を受けた経験があったとしても、 母語である中国語だけでなく認知学習言語としての日本語能力や大学の授業を理解 する能力の面でハンディを持っている可能性は高く、学習上の困難点も同一に考える ことはできない26。次章ではそうした点に留意しながら帰国生の言語能力を考察する。 3. 帰国生の言語能力 3.1 調査方法 筆者は帰国生の言語能力の伸長につながる指導のための基本資料として、話す能力 についてはインタビュー(各人30分から45分程度)と、書く能力については筆者の 担当する日本語授業で提出された作文やテストの答案などを収集している。それらを すべて記述するには多くの時間を要し、現時点で作業は完了していないので、ここで はその一部を紹介することに留める。 帰国生の語彙力27や音の聞き取り力、助詞や動詞の自他区別、アスペクトの使い分 けなどの文法知識、非/言語行動のルールにもとづくコミュニケーション行動などを 詳しく調べた御園生・木村(1992、1995)の研究があるが、留学生を準拠集団として 用いる方法は共通するものの、ここではより広い範疇の日本語能力を考察することと する。すなわち、.パーソナルな話題から一般的な文化、社会、経済などについての 質問に対し適切に答えられるか、.自分の主張に対し分析的な説明ができるか、.一 定の長さの文章を読み大意を把握できるか、.文脈に沿って対話を形作り、発展させ ることができるか、.コミュニケーションを円滑に行うための社会言語学的ストラテ ジー(敬語使用、ユーモア表現、ジョーク、適切な文体の操作等)が使えるかなどで ある。 3.2書く能力 帰国生にも中国人および台湾人留学生にも.外来語のカタカナ表記や漢字の読み、 .助詞抜けや間違い、.簡体字や繁体字の混在、.形容詞の接続形や否定形(例:「入 れやすいや便利だから」、「全部悪いではない」など、中国語を第一言語とする者に共 通の誤りが見られ、その頻度も大きくは変わらない。しかし文単位で見るとグループ 固有の特徴が見られ、違いが出てくる。新聞記事を使った授業における事例を以下に 考察する。帰国生は「帰」と表記、中国人および台湾人留学生はそれぞれ「中」、「台」 と表記し、同一番号は同じ人物を示す。 (例2)コンピューター関連の技術革新が急速に進んでいるという内容の記事(「ドッグイヤー」、 朝日新聞、2000年6月8日)を読んで文中の用語を説明する。漢字、かな遣い、文法間違 いなど表記はそのまま。辞書の使用は認めているが、これらの用語は掲載されていない。 1.「電子商取引」 帰1:電子の商品貿易することです。 帰2:電子商品の貿易することです。 中1:ものを売る人と買う人が会って価格とか色々などを相談してから商売することじゃ なくてインターネットの情報によって自分か家で買い物できる意味。すなわちイン ターネットを仲介として様々なことをする。 中2:もし消費者は何かほしいものをあったらインターネットでその企業の商品をさがし てから買うことです。 台1: 企業と消費者はインターネットを通じて交易することは電子商取引だ。 2.「情報格差(デジタルデバイド)」 帰1:情報の差の距離や差別や質量などを現すことです。 帰2:ITを巡る目まぐるしい動きについていける人と取り残される人との間で情報を集 める差を出るという味意。 中1:情報通信の技術が日々かわって行きますからインターネットを知っている人たちは 上手に使っているけど、知らない人の間は情報の質量などが問題となっている。情 報格差の意味は信息のレベル、質の差別。 中2:新商品についていけない人よりついていける人のほうがおそいですから情報流を手 に入りおそいです。たとえば、携帯電話でIモードを利用することです。 台1:情報技術の進歩は速いから、このスピードが追いつける人と追いつけない人は情報 を手に入れる差別があるということだ。 【学生のプロフィール】 帰1:15歳で来日。中国では中学を卒業。来日して3ヶ月夜間中学で日本語を学び、高校 入学。 帰2:14歳で来日。中国では2年途中まで在籍。定住センターで4ヶ月日本語を学び、中学 1年に編入し、週数回の国語の取り出し授業で日本語を学ぶ。その後高校入学。 中1:中国で高校を卒業。朝鮮族で中国語と朝鮮語のバイリンガル。1年間日本語学校で学 んだ後、大学に入学。大学の日本語の成績は上。 中2:中国で高校を卒業。1年半日本語学校で学んだ後、大学に入学。大学での日本語の成 績は中の下。 台1:台湾の大学で日本語専攻の4年生。交換留学生。来日して半年。日本語の成績は上。 帰国生に顕著な特徴は用語の字句を変えるだけの逐語訳(”metaphrase”)や記事の 表現をそのままコピーして使う(帰2の「ITを巡る目まぐるしい動きについていける 人と取り残される人との間」の箇所)傾向が強く、分かりやすく言い換える (”paraphrase”)ことができないという点である。用語が漢語で構成されている場合、 漢字を見て意味を理解したつもりになり、漢語に「てにをは」を付けただけで日本語 になると誤解してしまう。それが十分な長さの解答が書けない理由にもなっている。 記事の中の重要な語をキーワードとしてとらえ、それを中心に考えを組み立てるとい うことがむずかしく、頻出の「インターネット」という語や「対面販売ではない」と いうキー概念が盛り込めていない。 (例2)新聞記事(「全国で成人式『大荒れ』」朝日新聞2001年1月9日)を読んだ後、「あ なたの国では成人は何歳からか、どんな祝いをするか、成人になるとどのような権 利と義務が発生するか」という関連した質問の解答を以下に見る。 帰1:私の国では成人は18歳からと思います。私の記憶の中になんのお祝いはなしだっ た。成人になると大人に関する法律などをしっかりまもらなげればならないです。 帰2:私の国では成人は18歳だと思う。お祝いは私はあまりわからない。私の場合はた だ家でお祝いをした。成人になると自分は自立生活とか責任を持つとか。まだ子供 の考え方は大人の方にだんだん変わっていく。変化はけっこう大きだと思う。 中1:中国では満18歳になったら成人になりますが別に特別なお祝い、式典とかが行わ れないです。成人になったら選挙権と被選挙権が発生する。国の法を守る義務も発 生する。 台2:台湾では多分18才だと思う。成人になったらお祝いという儀式がないだか、南部 の方は成人になった人々は「孔子廟」という寺へ行くそうだ。成人になると選挙を 参加できるし、男の方は軍隊へ行くという義務がある。 【学生のプロフィール】 *台2:台湾で高校を卒業。1年半日本語学校で学び大学に入学。大学の日本語の成績は中。 留学生の解答には質問にある「義務」と「権利」(「被/選挙権」という語を使用) というキーワードが明示されているのに対して、帰国生のほうは「法律をしっかりま もる」や「自立生活とか責任を持つ」という日常語的な他の表現に置き替わっている。 同じようなことを述べていても漢語術語が切り取る概念を100%代替することはむず かしく、漢語を大学生に相応しい文体や論述を成立させるツールとして使えることは、 漢字を知っている、漢語の意味が理解できるということとは別の能力であることがわ かる。また、「あなたの国では」の問いに対し、留学生が「中国では」、「台湾では」 と一般論として答えているのに対し、帰国生は「私の国では」と「私」の記憶や経験 に基づいて述べていることが興味深い。この帰国生はいずれも14,5歳で来日してお り、現在の中国に関する情報が少なく自分の経験に拠るしかなかったということも考 えられるが、この場では一般的な内容の解答が求められていることの理解がなかった 可能性が高い。 3.3 話す能力 話す能力に関して帰国生と留学生に見られるのは、「合併」を「か . っぺい」、「(ア ル)バイト」を「バイド . 」、「ニックネーム」を「ニー . クネーム」と発音するなど、清 音と濁音、母音の長短、促音の有無などの誤りである。滞日年数が長いことや地元の 高校を卒業していることなどから、帰国生が「若者ことば」や「流行語」を使用する 頻度も高く、関西方言のアクセントや語彙使用もしばしば見られる(例としては「ほ . んま .. に?」、「私なら生きられへん .. ですよ」、「めっちゃ .... (大勢の意味)来てます」、「う . ちら .. (一人称の意味で)」など)。また、中国語の言葉を差し込みたいが発音や意味が 分からない場合の解決方法では帰国生が優っていると思われる。以下にいくつか例を あげる。 (例3) 帰1:(「延吉」という町について話す際、中国語の「イェンチー」という発音は知ってい るので日本語の音を類推しながら)「朝鮮人の多い延吉(えんき)という町がある んです。」 解決方策:「イェン」の部分を日本語の近い音である「えん」に、「チー」も同様に「き」 に変換している。日本語の「きち」の発音の影響もあるかもしれない。 帰3:「お父さんもお母さんも、あの.何だろう・・・・『下放』(シァファン)とか言って 農村にやっちゃって・・・」 解決方策:日本語でも「下放」(かほう)という語が使われると分からなくて、それに該 当する日本語を考えたが思いつかず、そのまま中国語の発音で言い、その後に 説明を加えている。 帰3:(戦前の日本が建てた立派な建物の学校でいとこが学んだという話で)「その学校は 地学学院(ティーシュヱシュヱイン)って言うんですけど、地質学学院大学(ちし つがくがくいんだいがく)って感じかな・・・」 解決方策:中国語を日本語読みにした「ちしつがくいん」ではなく、まず中国語音で提示 し、その後に日中で異なると思う部分.「地質学」や「大学」(中国では「学 院」は「大学」扱い).を付加して理解しやすくしている。 【学生のプロフィール】 *帰3:11歳で来日。中国では6年生1学期まで在籍。小学4年に編入し取り出し授業を受 けるが、6年で転向した先は帰国生が他におらず指導はまったく受けず登校拒否に。 発音を日本語風にする、わかりやすく言い換える、語を付加するなど方法は学生に より異なるが、それぞれが日本語と中国語の違いを認識した上で日本語話者の理解を 助けようと方策を講じている。これは筆者の印象だが、帰国生間または帰国生と中国 人留学生が話す際に見られる日本語と中国語間のコードスウィッチングの頻度は中 国人留学生間のそれより高い。日本での生活環境や滞日年数の違いにより帰国生には 切り替えの「きっかけ」となる話題や会話の相手が多いと思われるが、そのことがこ うした方策を身につけさせる一因となっていると考えられる。 会話は話題への関心だけでなく、あいづちや言いよどみ、ターンテイキングのタイ ミングなどがうまく機能して継続発展するものである。発音や表現の誤りなどがあっ ても会話が途切れることなく発展していく様子を次に見る。 (例4) 帰4:今考えると、もし私が中国にいてたら今の私はいないんだろうなって。今みたいな 考え方をもつ自分は。たぶん出稼ぎしてたでしょうね。中学出たら出稼ぎ・・・と かなると思いますね。 教師:そういう(大学にはあまり進学しないような)地域ですか?」 帰4:そういう地域です。そういう面では日本に来てよかったかなって思いますね。最初 は中学校でつらい思いをしたので帰りたいと思ったんですけど、今考えるとよかっ たっていう部分が多いんですね。 教師:将来どうするの? 帰4:将来は・・・あの.だから、今言語について勉強しているのが役に立てるように・・・ 教師:やっぱり言語は興味をもたないとね。 帰4:こういうこと(韓国とアメリカからの留学生に刺激されて、彼らにも助けてもらい ながら英語と韓国語を熱心に独学しており、かなり話せるようになっている)にな ると思わなかったんです、私自身。 教師:やっぱり出会いやね。 帰4:そう!出会いなんです。やっぱり私、影響受けやすいんですね。 教師:でもいい影響だから。 帰4:ま、ちがうところで悪い影響うけないようにしないとね。(笑) 教師:ほんと「東アジアの子」って感じね。 【学生のプロフィール】 帰4:13歳で来日。中国では中学1年途中まで在籍。中学一年に編入。日本語センター校で 8ヶ月初期指導を受ける。非常に活発でおしゃべり。言語学習の適性は高い。 (例5) 教師:高校進学は大変だった?○○高校はレベル的にはどうなの? 帰5:(笑いながら)低いほうですね。桃山に来たのは自分といとこの二人だけ。けっ こうレベル低いですね、高校の。自分の学力と他の日本人の学力と比べて負けて ないって思います。僕がこの高校に入ったのは中学校の時にあんまり日本語が話 せてなかったから、レベル低い高校に行ったんです。 教師:もっと日本語が話せてたら、もう少し上のレベルの高校に行っていたと思う? 帰5:高校の時の担任の先生にも言われたんですけど、中学校でもっと日本語話せてた らもっといい高校に行ってたなあって。 教師:中国にいたら、いい高校に行ってた? 帰5:そう思わないです。中国の方は勉強のレベルがほとんど高いんです。(日本の) 中学校二年の時に勉強した数学も(中国の)小学校六年生ぐらいでもうすでに勉 強しはじめてるんですよ。すごいきびしいんですよ、中国の学校の方は。 教師:みんなついていってる? 帰5:ついていってる人もいるんです。 教師:ついていけないとどうなるの?落第とかあるの? 帰5:えっ??「ガクダイですか?」 教師:いえ、落第。 帰5:あっ、落第ですか?はい、ありますよ。みんなすっごく勉強します。中学校三年 生になったら机の上に本、これくらい(手で示しながら)積んでるんです。中国 では中学校で成績で分けてるんですよ。一番いい学生はこことか・・・ 教師:そこに入ってたの? 帰5:いえ、入ってないです。(笑って)真ん中の方。 【学生のプロフィール】 帰5:13歳で来日。中国では中学二年まで在籍。日本でも中学二年に編入。日本語は週3回 午前中のみ三ヶ月日本語学校へ通う。非常におとなしく口数が少ない。帰4のいとこ。 教師が短い質問で対話の方向を舵取りしているが、それに対して的確にまた間髪を 容れずに返事が返ってくる。主張すべき箇所ではまず結論を出し、その後に理由を提 示する(帰4,5)だけでなく、文脈指示の「そ/こういう」の使い方(帰4)、聞 き取れない時の問い直し(帰5)、倒置表現や自分を少し「茶化す」ようなユーモア、 教師と話す時の丁寧な文末表現(帰4,5)など、会話を豊かに展開させるための要 素も取り入れられている。これは「おしゃべり」の学生だけでなく「無口な」学生に も共通する特徴である。ここでは帰国生全員の言語資料を考察することはできなかっ たが、細かく考察すると個性豊かなコミュニケーション上のストラテジーが見られる。 こうした能力を話す能力に比べて劣ることの多い書く能力、特に文脈依存度の低い文 章を書く際に活かせるような指導が求められるだろう。 3.4 中国語能力 帰国生の中国語の能力を測るために、中国語によるインタビュー(中国語母語話者 の大学院生が担当)と新聞記事(「人民日報」)を用いた筆記テストを行ったが、その 分析は稿を改めるとして、ここでは中国語検定を受けた学生について簡単に考察する。 三名の学生が日本中国語検定協会主催の中国語検定試験(第42回、2000年11月実 施)の一級を受験した28。二名は既出の帰国生1と2で、もう一名は祖母が残留婦人 の帰国生で、中国で高校を卒業後来日し、日本語学校で一年間学んだ後に帰国生特別 枠の設置前年に入学した学生である。母語による教育歴および日本語学習歴の点で留 学生と同様な背景をもっており、ここではこの学生を「帰国生0」として二名と比較 する。 この試験は全文書き取りのヒアリング(100点)と五問の筆記(20点×5)とで構 成される。ヒアリングの長さは三百字程度で、内容は成人向けだが特に専門知識を要 するというものではない(「中国社会における『井戸』の意味」)。筆記は.長文を読 んで内容に関する質問に答える、.短文の空欄に語を入れる、.慣用語や成語を空欄 に入れる、.中国語の文を日本語に訳す、.日本語を中国語に訳すというもので、. ..はマークシート方式である。 結果はヒアリングについては、帰0が96点とほぼ満点に近いのに対し、帰1は79 点、帰2は67点で、受験者(264名)の平均(62.3点)をやや上回る程度であった。 聞き取りの能力はもちろんだが、解答を中国語で書かなければならず、書く機会の少 ない二名の帰国生にはその点がむずかしかったようだ。 筆記は帰0が75点、帰1が59点、帰2が52点で、全体の平均(61.5点)を二人 が下回った。特に筆記の.の日本語訳の点数が低く、帰0は12点、帰1が5点、帰 2が7点(20点満点)しか取れていない。.の中国語訳も帰0が13点、帰1が10 点、帰2が9点と低い。.の中国語の内容はそれほど複雑ではないが(「住宅意識の 変化について」)、解答としては「である」体の文が求められており、.についても元 となる日本語にビジネスや法律に関する語彙が含まれ、それに相応した文体で書かれ ていることもあり、文体の持つメッセージを読み取るがむずかしかったとも考えられ る。.の長文読解で、帰0が18点、帰1が16点を取っていることから(帰2は10 点)、中国語が読めない(意味が理解できない)のではなく、それを日本語に訳す、 しかも受験者の大半を占める成人の日本語話者と同等レベルの日本語文を書くこと ができなかったと理解するべきだろう。 受験者総数264名のうち一次試験の合格者はわずかに3名であり、かなり難度の高 いものだといえる。帰0は総得点171点で、一級合格の基準点(170点)を越えてい たが、ヒアリング、筆記ともに85点を越えるという条件をクリアできずに不合格と なったが、中国語能力とそれを日本語に訳す能力は高いといえよう。帰1は総得点138 点、帰2は119点であった。同じ「帰国生」といえども、このような結果の違いが出 た背景には、個々人の適性や能力の差にくわえて受験時点での滞日期間が帰0が3年 7ヶ月、帰1が4年4ヶ月、帰2が6年3ヶ月という違いもあるが、中国での教育歴 の長さに加え、来日以後の中国語(特に年齢相応のさまざまな種類の中国語)との接 触量、さらに受けてきた日本語指導の質と量が影響しているといえるだろう。 4.大学に帰国生を受入れることの意義:おわりに代えて 今後増加すると思われる中国帰国生29に対し、受入れ側の大学はどのような体制を 整えることが必要であろうか。大学においては教員や学生のエスニシティーの多様性 は特別なものではなく、ある意味「日常」である。そこでは特定のエスニシティーへ の配慮やその保持という側面が教育内容に現れることは少なく、より普遍的な問題と して人権や文化の問題として包括的に扱われる。留学生への日本語授業や障害者に配 慮した施設面の充実などは図られるが、それはあくまでも授業を受けるための最低条 件の整備としてある。また、言語を民族アイデンティティーとの関係でとらえる視座 が前面に出ることも少なく、言語能力は大学という学びの場で行われる活動に参加し、 自らの知識や学力を伸長させるためのツールとして理解され、それが十分に機能して いるかどうかという観点から対応がなされるのである。大学に進学する帰国生につい ても基本的には同じスタンスがとられることになる。 留学生のための日本語授業(多くの場合、外国語科目として週に二コマを二年間) は母語において獲得した知識やものの見方を日本語でどう表すかという言語形式の 習得に主眼を置いている。しかし帰国生はすでに見たように日本語能力の面でも留学 生と同一の学習上の困難点をもつとは限らず、特に大学の授業での幅広い知識や思考 を受容する知的基礎体力となる日本語力が不足している。そのため日本語学習は一般 の授業と並行して、それを補完する形で提供される必要がある。便宜的に学年別の配 置となっている留学生向けの日本語の授業を能力別に再編成し、「読む」「書く」とい った技能別、あるいは「論文作成」や「ゼミ発表」という総合力を養う授業を4年次 まで継続して提供することも一案と思われる。 中国語についても、英語に偏向している外国語科目のラインナップを是正して、初 級から中、上級に至る段階別クラスや、「会話」や「読解」、さらには「原書購読」な どのクラスを提供することで、来日することで中断した中国語のインプットを帰国生 に提供できるだけでなく、日本人学生の間でも履修希望者が増加している中国語学習 のニーズに応えることができる。帰国生を初級クラスの「インフォーマント」として 活用することができれば、日本人学生と帰国生の交流の場となる上、彼らにとって「教 える」体験となり中国語に対する意識も向上するだろう。 また評価の方法についても工夫は可能である。現在工学、農学、理学、医学などの 理科系だけでなく、経済学、政策研究、文化研究などの文科系の分野においても留学 生のための英語による特別コースを提供している大学院研究科(コース)は66ある30。 これは多様な留学のニーズに応えるためでもあるが、日本語力がハードルとなって認 知学習力の高い学生が留学の機会から排除されることを避ける目的もある。すなわち 大学院においては研究教育が効果的に行われるのであれば言語は必ずしも日本語で ある必要はなく、日本語能力はその後から追いつけばよいという考えがある。 特定の分野に特化することが可能な大学院教育とは事情が異なるとはいえ、学部教 育においても日本語以外の言語による授業とまでいかなくとも、レポートやテストに 日本語以外の言語使用を認めることは可能ではないだろうか。「講義を聞く」、「教科 書や配付されたプリントや板書を読む」という作業はすべて日本語で行われ、「答案 を書く」という部分においてのみ学生の最も能力の高い言語が選択できるというのは、 母語以外の言語で学問的な内容に関わる言語活動.特に「書く」という産出活動.を 行うことのむずかしさを考えると効果があると思われる。試みに学生に中国語で答案 を書くことを認めた教養科目の講義担当の教員によると、教員自身の中国語能力は非 常に高いとはいえなくとも、自らの専門領域に関わる授業で述べた内容に限られるの で、学生の答案を読むことはそれほど困難ではなく、それよりも日本語の答案では十 分にできなかった彼らの授業理解度や主張も把握でき、効果はあったとのことである。 大学は帰国生にとって新しい出会いを提供できる場でもある。帰国生が数人の学校 の出身者はもとより多数在籍する中学や高校の出身者31も、さまざまな国からの留学 生との出会いは非常に刺激的なものであるようだ。特に中国からの留学生がわずか1 年程度日本語を学んだだけで大学の授業を受けていることに感心し、一方で彼らの中 国語能力に比べて自らの文法知識や語彙数、さらには書く能力が格段に劣っており、 それが年々低下していくことにあせりを覚えるようだ。しかしその思いは中国語の授 業を履修することや、中国語能力検定などの資格取得をめざして準備を始めるなどの 前向きの姿勢につながり、多くの学生が中国語のみならず中国の文化を包括的に学ぶ ために日本の大学を卒業後、中国の大学に留学したいと述べる。自らのルーツを再確 認し、中国と主体的に向き合う気持ちになったことを予想していなかったと述べる学 生もいる。 彼らには中国の大学への「憧れ」のような思いが見て取れるが、それは日本の大学 への満たされない思いの裏返しでもある。遅刻や私語が横行し、それを注意しない教 員が多いこと、前の席に座って授業を聞こうとしても教員の話が聞き取れないことへ の不満(彼らの日本語能力不足もあるが、系統的な内容を明瞭な話し方で提示できな い教員がいることも事実であろう)、講義が一方的で課題が出ることも少なく授業以 外で勉強しなくとも単位が取れる、実習などの授業が少なく「学び」の実感がないな ど、もっともな指摘も多い。日本の大学はこういうものだと思い込んでいる大半の日 本人学生が気づかないだけで、現実はともあれ「中国の大学だったらこんなではない のに」という思いをもつ帰国生ならではの指摘なのかもしれない。学生の真の言語能 力を高め、授業理解を促すための改善を行うことは帰国生などの「マイノリティー」 に対するアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)にとどまらず、大半の 日本人学生にも利益をもたらすことであり、彼らの存在を大学全体に正の波及効果を もたらすものととらえることができるなら、それこそが彼らを大学の構成員として受 入れる意義といえよう。 (付記)本論文は平成13年度文部科学省科学研究費【基盤研究(C)(2)】および1999年度桃山学院大学特定 個人研究費による研究題目(中国帰国者の言語使用調査研究.日本語習得と中国語維持の両立をめざす言語資料) の研究成果の一部である。 (謝辞)本論文をまとめるにあたり、文部科学省高等教育局学生課大学入試室、大阪府教育委員会事務局教育振 興室児童生徒課進路・就学指導グループ西尾隆司氏、大阪府在日外国人教育研究協議会、多文化共生センター大 阪のスタッフの方々に資料提供などでご協力をいただきました。ここに記して謝意を表します。 注 1 朝日新聞 2002年9月28日「『時間との闘い』最終段階に」 2 厚生労働省社会援護局中国孤児室調べ 3 朝日新聞 2002年9月13日「中国残留孤児600人提訴へ」 同、2002年9月25日「『何度捨てるのか』残留孤児国賠提訴へー61歳原告の叫び」 4 国費帰国の対象となるのは孤児および婦人とその配偶者、および二十歳未満の子。二十歳を越 えた子、その配偶者、および孫の大半は自費による帰国となる。筆者の勤務先に在籍する中国帰 国生(大半が残留邦人の孫にあたる)の場合、祖母の帰国と同時期か、一年程度遅れて来日して いるが、その数は親戚等を入れるとほとんどが十数人程度で。中には四十人という例もある。 5 帰国(来日)の理由としては日本と中国の間の経済格差が最大と考えられているが、すでに一 定の年齢に達し、社会的基盤を確立している二世たちにとっては、必ずしも中国での職業や資格 を活かせないことや、言語の問題、人的ネットワークを一から築き上げないといけないことなど を考えると日本への移住が社会経済的上昇をもたらすとは限らない。来日前の教育歴や職業につ いてはTomozawa, A (2001) を参照。 6「平成13年度日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査」の結果、文部 科学省初等中等教育局国際教育課、2002年2月。 7 「平成11年度日本語指導が必要な外国人児童生徒の受入れ状況等に関する調査結果概要」文部 科学省教育助成局海外子女教育課、2000年5月 8 中学卒業者のうち、高等学校等の本科・別科、高等専門学校に進学した者(就職進学をした者 を含み、浪人は含まない)の占める比率。文部科学省「平成13年度学校基本調査」より 9 90年代後半以後、在籍期間別調査における「6ヶ月未満」、「6ヶ月以上1年未満」、「1年以上 2年未満」、「2年以上」の分類で、「2年以上」の増加が顕著となっている。各調査における「2 年以上」の占める割合は95年度37.2%、97年度32.9%、99年度46.4%、01年度42.2%である。 10 「中国等帰国孤児子女教育研究協力校研究成果報告書」大阪府立門真高等学校(2001年4月) より。門真高等学校は2001年度より門真南高校と統合再編された新校「門真なみはや高校」とな っている。 11 大阪府教育委員会は「渡日生徒」とは「外国人でわが国に居住を定めた者の子ども(引揚者以 外)」と定義している。 12 大阪府立高校の入試の特別措置については友沢(2000)を参照。 13 高校入試に関する情報は大阪府教委の多言語HP「帰国・渡日児童生徒学校生活サポート情報」 において随時入手できる。提供されている言語は日本語、中国語、韓国・朝鮮語、ポルトガル語、 ベトナム語の5言語である。 14 朝日新聞 2001年8月6日「母語教育『半端はダメ』、ニューカマー特別枠実施の大阪府立高 2校」 15「言語集団のバイタリティー」および「人的資源」等の日本語訳は中島(1998)p.43を参照した。 16 全日制府立高等学校特色づくり再編整備第一期実施計画「堺地域新高校(普通科総合選択制高 校)整備推進プロジェクトチーム報告書」より 17 多文化共生センター大阪(特別非営利活動法人、2000年8月法人格取得)