2003 年9 月 修士論文 指導教員 宮崎里司先生 夜間中学で学ぶ高齢帰国者の学習環境と学習支援について 早稲田大学大学院 日本語教育研究科 4301A325−0 津花知子 目次 第1章 本研究の背景と目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1−1 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1−2 中国帰国者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 1−2−1 「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 1−2−2 中国帰国者に対する日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 1−3 夜間中学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 1−3−1 夜間中学の歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 1−3−2 学習者の変化と日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 1−3−3 現在の夜間中学の動き―学習権の問題―・・・・・・・・・・・・・・・ 6 1−3−4 現在夜間中学が抱えている問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 1−4 研究の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 1−5 研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 1−6 本研究の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 第2 章先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 2−1 中国帰国者の日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 2−2 高齢帰国者の日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 2−3 高齢学習者の日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 2−4 夜間中学の日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 2−5 識字問題と日本語教育・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 2−6 先行研究から示唆されることと本研究について・・・・・・・・・・・・・・・・・13 第3 章調査1 参与観察とインタビューによる学習者の環境調査・・・・・15 3−1 調査目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 3−2 調査概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 3−2−1 調査対象者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 3−2−2 調査方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 3−3 調査結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 3−3−1 動機に関する調査結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 3−3−2 学習環境と学習に対する意識に関する調査結果・・・・・・・・・26 3−4 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 3−4−1 動機に関する考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 3−4−2 学習環境と学習に対する意識に関する考察・・・・・・・・・・・・・49 3−5 本章のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54 3−5−1 学習支援の方向性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54 3−5−2 どのような日本語教育をめざすのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55 第4 章調査2 教育実践・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57 4−1 調査目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57 4−2 調査概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57 4−2−1 調査対象者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57 4−2−2 A(W) を対象者に選んだ理由・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58 4−2−3 調査方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58 4−2−4 実践概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60 4−3 各実践の記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60 4−4 学習の困難点について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80 4−5 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 4−5−1 学習ストラテジー・トレーニングについて・・・・・・・・・・・・・83 4−5−2 社会的ストラテジーについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86 4−5−3 正確さについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90 4−6 本章のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・94 第5 章結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96 5−1 本研究のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96 5−2 本研究の問題点と今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97 5−3 夜間中学への提言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97 5−4 日本語教育への提言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・101 参考文献・資料 謝辞 図表目次 表一覧 1−1 夜間中学在学者内訳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 1−2 地区別・国籍別生徒数割合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5 1−3 夜間中学在学帰国者内訳・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 6 1−4 本研究の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 3−1 参与観察した日本語学級の時間割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 3−2 Gが所属していた通常学級の時間割・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 3−3 調査対象者(高齢帰国者)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 3−4 インタビュー協力者(教師)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17 3−5 入学した動機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 3−6 日本語学習の動機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22 3−7 人的ネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31 3−8 グループネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 3−9 日本人との交際について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34 3−10 地域における支援の可能性について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・35 3−11 行動ネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37 3−12 日本語ができずに困った事例・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40 3−13 学習に対する意識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 3−14 学習計画に関するメタ認知ストラテジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 3−15 日本語習得に関わる物的ネットワーク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 3−16 補償ストラテジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 3−17 認知/記憶ストラテジー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 4−1 実践概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60 4−2 語彙チェック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・61 4−3 名詞チェック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 iv 4−4 Vocabulary Strategies (Oxford 2003)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84 5−1 機関別日本語教育の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・98 図一覧 1−1 心理学研究法の段階的分類(下山1997)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 3−1 オックスフォード(1994)のストラテジーシステム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27 3−2 本研究における学習ストラテジーの分類・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 3−3 高齢帰国者と夜間中学の関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47 3−5 モチベーションが変化する過程予想図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49 v 第1章 本研究の背景と目的 1−1 はじめに 日本語学習者の多様化が問題とされて久しい(石井 1997、文化庁ホームページ)。現 在では、従来の留学生や研修生に対する日本語教育だけでなく、地域に定住する外国人に 対する日本語教育や、年少者に対する日本語教育にも注目が集まるようになってきた。そ れと共に、日本語を教える現場も多様化しており、特に、現在中心となっているのが、国 内に1 万数千人いるといわれるボランティアで、日本語教育関係者の半数以上を占めてい る(文化庁文化部国語課 2001)。また、地域によっては、日本人ボランティアの数が、外 国人の数を上回っている所もあり、多文化共生社会に向けた活動が活発に行われている様 子が伺える。しかし、そのような状況でありながら、学習者に対する支援が十分に多様化 しているとは言い難い。特に、就学歴の少なさにより母語の識字にも問題を持った学習者 や、なかなか地域に現れてこない高齢学習者など、日本語学習者としてはマイノリティの 人々に対する教育については、現在あまり考えられていない。もし真に「学習者の多様化」 に応えようとするなら、たとえ数の上では少数であっても、その学習者を対象に研究を行 うことには意味があると考える。そこで、今回、そのようなマイノリティの学習者グルー プである「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」について研究を行うことにした。 「○○中学校夜間学級」、通称「夜間中学」(以下、夜間中学)は、様々な理由により、9 年の義務教育を修了できなかった人々のための義務教育機関であるが、現在全国8 都府県 (東京、神奈川、千葉、大阪、京都、奈良、兵庫、広島)に35 校ある夜間中学で学ぶ約3000 名の学習者のうちの8 割近くが外国人学習者である。最近では「新渡日」と呼ばれる様々 な国籍の学習者が増加しているが、現在のところ、最も多いのが中国からの帰国者である。 夜間中学で日本語教育が行われていることは、すでに帰国者を支援する関係者や一部の日 本語教育関係者には知られていることであり、最近では新聞(読売新聞 2002 年10 月7 日 付)や、日本語教師養成講座(アークアカデミー教材作成委員会 2001) でも取り上げられ るようになった。しかし、筆者が初めてその事実を知ったのは、大学院の授業の一環とし て夜間中学を訪れた時だった。夜間中学の担当教員の話によれば、そこで学ぶ高齢帰国者 の多くが経済的、肉体的に問題を抱え、地域社会で孤立しているという。それを聞いて、 高齢帰国者にとって夜間中学への通学は何を意味するのか、彼らにとって日本語学習は何 であるのか、と疑問を持ったのが本研究を行うに至った経緯である。 1 本章では、まず「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」について定義したあと、研究の背景とな る中国帰国者の日本語教育と夜間中学について概観し、本研究の目的と研究方法、本稿の 構成について述べる。 1−2 中国帰国者 1−2−1「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」とは 「中国帰国者」とは、第二次世界大戦後、中国に残された日本人のうち13 歳以上であっ た「中国残留婦人」、それより下であった「中国残留孤児」、その配偶者、2 世、3 世などの 同伴家族、呼び寄せ家族を全て含めた総称である(池上 2002)。学習者の多様化について 語られる際、具体的な学習者集団の例として、必ずといっていいほど「中国帰国者」が挙 げられるが、たいてい1つの学習者グループとして扱われ、その多様性について語られる ことはほとんどなく、小林(1993)や池上(2002) など、実際に帰国者支援に関わってい る人々が、わずかに触れているのみである。 本研究では、この中国帰国者のうち、50 歳以上の人を「高齢帰国者」と呼ぶ。50 代を「高 齢」とするには語弊があるだろうが、日本語学習者としては高齢であること、今回の対象 者は全員無職で現役を退いていたこと、ほぼ全員が高齢からくる病気や記憶力の衰えを訴 えていたこと、何歳までを中高年、何歳からを高齢者と呼ぶかは定義が難しいことなどに より、「中高年及び高齢の帰国者」を合わせて「高齢帰国者」と呼ぶことにした。そして「夜 間中学で学ぶ高齢帰国者」とは、中国での義務教育未修了の高齢帰国者で、中国語の識字 に問題を持った人もいる。つまり、本研究の対象とするのは、「中国で義務教育未修了の50 歳以上の中国帰国者」である。参考のため、1 人だけ義務教育を修了した中国帰国者を対象 者に加えたが、以下、本文中で「高齢帰国者」と言う場合は、「中国で義務教育未修了の50 歳以上の中国帰国者」を指すこととし、義務教育を修了している高齢帰国者は含まないこ ととする。 1−2−2 中国帰国者に対する日本語教育 中国帰国者に対する日本語教育を行っている公の機関としては、全国3 箇所(所沢、大 阪、福岡)に中国帰国者定着促進センター(以下、帰国者センター)がある。そこでは、 来日したばかりの帰国者に対し、4 ヶ月の日本語教育や生活指導が行われている。その後、 全国12 箇所の中国帰国者自立研修センター(以下、二次センター)で、約8 ヶ月の日本語 2 教育が受けられる。 しかしながら、公の機関で日本語教育が受けられるのは、国費帰国者と認められた中国 残留婦人/孤児本人とその配偶者及び1 世の子供1 世帯のみである。つまり、人数は確認 されていないが、国費帰国者の何倍もいるといわれる自費で帰国した2 世、3 世などの呼び 寄せ家族には、上記の機関で日本語教育を受ける権利がない。2001 年、国費帰国者以外で も利用できる中国帰国者支援・交流センターが東京と大阪にできたが、多くの中国帰国者 は、帰国者支援団体が主催するボランティア教室や、地域における外国人向けの日本語教 室などで日本語を学んでいるのが現状である。しかしながら、そのようなボランティア教 室の情報は口こみで伝わることがほとんどで、自費で日本に帰国/来日し、ネットワーク がない帰国者の場合、そのような支援団体の情報を得られず、自宅にひきこもったまま地 域に現れないケースも多い。 夜間中学は、帰国者のための教育機関ではないが、帰国者センターが設立される前は事 実上、帰国者のための日本語教育機関であったという歴史的背景があり(東京都夜間中学 校研究会引揚者教育研究部 1998)、現在でも帰国者のための重要な日本語教育機関と認知 されている。日本語教育学会(1995) の『ひろがる日本語教育ネットワーク最新事例集』 では「中国帰国者に対する指導者相互支援ネットワーク」として夜間中学があげられてお り、帰国者センターのニューズレター『同声・同気』の創刊号(1995) でも、足立区立第 四中学校夜間学級の紹介が載せられている。 一方、中国帰国者に対する教材作成や資料については、文化庁文化部国語課が担当して おり、『中国からの帰国者のための生活日本語』T・U(1983 1985)、『中国からの帰国者 のための生活日本語指導参考資料』(1984)、『中国帰国者用日本語教育指導の手引き』 (1985)、『中国からの帰国者のための看・听・学−はじめての日本語』(1987) 、『中国 帰国者用日本語教育指導の手引き職場・対人接触場面調査報告書』(1989)『中国帰国者の ための日本語教育Q&A 』(1997)などが、関係者に配布、市販されている。 1−3 夜間中学 今回、対象とするのは夜間中学に在籍する高齢帰国者のみであるが、本論に入る前に、 夜間中学がどのようなところであるのか、その歴史、学習者、問題、現在の状況について 概観する。 3 1−3−1 夜間中学の歴史 日本では、1947 年に「教育基本法」と「学校基本法」が公布され、義務教育が発足した が、戦後の混乱期で、学校を長期欠席する生徒が全国で100 万人を超えたため、同年、そ のような生徒を対象に、大阪市、ついで京都市、福岡市、広島県などに夜間学級が設置さ れた。1950 年代前半には、東北地方と北海道地方を除く全国各地に設置されるようになり 1954 年には87 校とその数はピークを迎えた。しかし、当時の文部省は新しい6・3 制が壊 れることを危惧し、夜間中学設置に反対の立場をとった。1966 年には行政管理庁から文部 省に対し、学齢期の生徒児童はできるだけ昼間の中学校に回す努力を行うこと、学齢超過 者は社会教育の範疇で行われる成人学級や通信教育に回すことを内容とした「夜間中学早 期廃止勧告」が出された。一方、そのころになると、日本全体の経済水準があがり、就学 支援制度の整備も整ったことから、長期欠席児童が減り、1970 年には、夜間中学は20 校 にまで減少した。その後、外国人学習者の増加にともない、現在では8 都府県に35 校の夜 間中学が設置され、2002 年9 月の調査で3031 人の学習者が学んでいる。また、夜間中学 のない地域には全国で13 の自主夜間中学が作られ、行政に公立化の要請を行いながら、ボ ランティアによって運営されている。 1−3−2 学習者の変化と日本語教育 設置当時は貧困のため、昼間部に通えない学齢児童が学習者の大半であったが、日韓条 約が締結された1964 年になると、韓国からの引揚者が入学するようになり、日本語学級設 置の必要が出てきた。そこで、1971 年3 月1 日、荒川区立第九中夜間部卒業生の高野雅夫 氏と夜間中学関係者により「夜間中学における引揚者の日本語学級開設及専任教師配当に 関する請願―引揚者センター建設に向けての暫定的処置に対して―」が、都議会に提出さ れ、採択された。これにもとづき、1971 年6 月1 日に、足立区立第四中、墨田区立曳舟中、 江戸川区立小松川二中に日本語学級が開設され、各校に1 学級2 名の専任教諭が配当され た。 韓国からの生徒数は1974 年にピークを迎え、その後減少したが、1978 年に日中平和友 好条約が締結されると、今度は中国からの帰国者が入学するようになった。当時、帰国者 の日本語教育を担う公的機関がなかったため、帰国者は夜間中学で日本語を学ぶというの が、行政各機関の確認事項となった。1984 年には所沢に中国帰国孤児定着促進センター (1994 年「中国帰国者定着促進センター」に改名)が、1988 年には二次センターとして、 4 全国15 箇所に帰国者自立研修センターができたが、センターへ入所できるのは国費帰国者 に限られることもあり、現在でも帰国者は夜間中学において、最大の学習者グループであ る。その一方で、1990 年に出入国管理法及び難民認定法が施行されたことにより来日した 日系人や、結婚や仕事のため来日する外国人も入学してくるようになった。現在では、帰 国者が外国人学習者の最大グループであるものの、その数は徐々に減少し、代わってこの ような「新渡日」と呼ばれる他国からの学習者が増えてきた(表1-1、1-2)。また、日本人 学習者の中には、いじめなどの理由で不登校となった若年層も見られるようになってきた が、その数は多くなく、夜間中学によっては昼の中学などに出向くなどして、広報活動も 行っている。 学習者の構成は、地域や学校によって異なり、中国帰国者が多い学校、在日韓国・朝鮮 人が多い学校、高齢者が多い学校、若年層が多い学校、と様々であるが、夜間中学全体か ら見ると、2002 年9 月現在、3031 名の在校生のうち、外国人学習者が2360 名、日本語の コミュニケーションに支障がないと思われる在日韓国・朝鮮籍の学習者808 名を除いても、 その数は1552 名にのぼる。日本語学級が正式に設置されているのは、都内にある5 校のみ であるが、それ以外の学校でも日本語教育あるいは、それに準ずる授業が行われているの が現状である。 表1-1 夜間中学在学者内訳(2002 年9 月現在『2002 年度第48 回全国夜間中学校研究大会大会資料』より) 日本人在日韓国/ 朝鮮籍 帰国者難民移民その他の 外国人 合計 学習者数671 808 976 23 47 506 3031 帰国者:国籍は不問。台湾から1 名、韓国・朝鮮から1 名の帰国者含む。 難民:難民条約に基づいて入国した外国人生徒。またそれらに関して入国を許可された人。 移民:戦争に関係なく、移民として南米などに渡り日本に帰国した人。また、ここでは準ずる者として、その配偶者、 2 世、3 世とその配偶者も含める。 難民 移民 表1−2 地区別・国籍別生徒数割合(2002年9月現在) 0.8% 1.5% 26.7%32.2% 22.1%16.7% 日本人 在日韓国・朝鮮籍 帰国者 その他の外国人 5 表1-3 夜間中学在学帰国者内訳(2002 年9 月現在『2002 年度第48 回全国夜間中学校研究大会大会資料』 より) 年齢15-19 20-29 30-39 40-49 50-59 60-69 70-79 合計 帰国者数42 327 284 161 109 49 4 976 1−3−3 現在の夜間中学の動き−学習権の問題− 現在、日本国内には義務教育未修了者が百数十万人いるといわれている。それに対し、 夜間中学は全国に35 校しかない。全国夜間中学校研究会(全夜中研・寺谷英一郎会長)の 報告によれば、夜間中学に通うため引越しをした学習者や、定期代に年間十数万円もかけ て通っている学習者もいるという。そのような状況に対し、国などが夜間中学校を十分に 設置していないのは、学習権を保障した憲法に違反するとして、2003 年2 月20 日、全国 夜間中学校研究会は、各都道府県・政令指定都市に一校以上の夜間中学の設置を求め、13574 人分の署名と共に、日本弁護士連合会に人権救済申し立てを行った。287 人の申立人の大半 は教師や生徒だが、夜間中学を舞台にした映画『学校』を撮影した山田洋次監督や、作家 永六輔氏、女優竹下景子氏などの著名人も加わり、朝日新聞(2003 年2 月23 日付、2003 年3 月5 日付)、毎日新聞(2003 年2 月23 日付)をはじめ、全国各紙でも取り上げられた。 また、同時期に都内にある墨田区立文花中学校夜間学級を舞台にしたドキュメンタリー映 画『こんばんは』(森康行監督)が完成し、義務教育の重要性を訴えている。(第48 回全国 夜間中学校研究大会事務局2002) 1−3−4 現在夜間中学が抱えている問題 夜間中学へは16 歳以上の義務教育未修了者であれば、いつでも誰でも入学できる。そこ には昼の中学には見られない教育の姿があり、夜間中学のドキュメンタリー映画を撮影し た森康行監督は「現代から未来にかけてのありうべき教育の姿が夜間中学にはある」(第48 回全国夜間中学校研究大会事務局 2002:6)とその素晴らしさを語っているが、その一方 で様々な問題もある。まず、多様な学習者を受け入れることによる弊害として、レベル差 の問題がある。学力の差のみならず、日本語力や母語の識字力の差から、同じクラスでの 学習が困難で、学校側では認可されているよりもクラスを多く編成したり、個別指導をす るなどして対応している。しかし外国人学習者の場合、日本語以外の授業に意欲を示さな 6 いことが複数の学校で問題になっている。また、若年層の問題としては進学の問題、高齢 者の問題としては病気で学校に通えなくなるケースが主な問題となっている。(第48 回全 国夜間中学校研究大会事務局 2002) 1−4 研究の目的 現在、学習者の多様性に関しては広く認知され、それぞれの学習者にあった教材や教授 法を開発する必要が言われているが、高齢者や識字に問題を持った学習者としては少数派 の教育については、あまり考えられていない。今後、学習者の多様性に応えていくために は、たとえ、学習者としては少数であっても具体的な支援方法が考えられるべきであろう。 それでは、マイノリティの学習者グループの一つである夜間中学で学ぶ高齢帰国者に対 して、どのような支援が考えられるだろうか。一部の日本語教育関係者からは「仕事をす るわけではないし、無理をして日本語を学ぶ必要はないのでは」「就学経験が少ないから、 、 学校に来られるだけで満足しているのでは」、「中学では母語で話せる仲間がいるので学校 はサロン的な役割を果たしているのでは」という声を聞いたが、それに関して検証したも のはない。具体的な支援方法を考えるためには、まず、学習者のことを知らなければなら ない。学習者自身の意識や実態を知らず、一方的に「支援」と言っても意味がないだろう。 もし、上記の高齢帰国者に対する「イメージ」が真実であるならば、日本語の習得とは別 の視点からの支援が考えられるべきだし、「イメージ」とは違った現実が別にあるのなら、 それにふさわしい対応が必要となるだろう。 もちろん、「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」といっても、学習者間には位相が見られ、それ を1つにまとめてステレオタイプ化することは問題である。しかしながら、高齢帰国者に は、留学生やビジネスパーソン、就労者、日本人の配偶者、年少者、若い帰国者などとは 明らかに違う点があると考えられるため、まずは共通した特徴や問題を探っていきたい。 本研究は以下の3 点を目的に調査を行う。 研究目的 (1)夜間中学で学ぶ高齢帰国者は、どのような意識を持って夜間中学に通っているの かを明らかにする。 (2)夜間中学で学ぶ高齢帰国者の学習環境、日本語の学習に対する意識を明らかにす る。 (3)夜間中学で学ぶ高齢帰国者に対し、どのような学習支援が可能か探る。 7 1−5 研究方法 ここで、本研究の研究方法について概観する。本研究は研究目的(1)(2)を明らかに するために、調査1として参与観察とインタビューからデータを収集した。そして、その 結果を基に、研究目的(3)のために調査2として教育実践を行った。具体的な方法につ いてはそれぞれの章で述べる。 このような複数のデータ収集方法を採用することは「マルチ・メソッド」(伊藤1997、奈 須1997)、「恥知らずな折衷主義」(佐藤1992)などと呼ばれ、フィールドワークをメイン とした臨床心理学や社会学などで用いられることが多い。「恥知らずな折衷主義」というの は、フィールドワークの全体的な方向、つまり人間の行動や、文化、社会の複雑な成り立 ちに含まれる矛盾や非一貫性を、そのまま丸ごととらえようとするフィールドワーカーの 基本的な姿勢を示す言葉として肯定的な意味で使われている。本調査でも、夜間中学に通 う高齢帰国者の行動や意識について調査するために、「恥知らずな折衷主義」をとることと する。 次に調査1と調査2が研究方法としてどのような性格を持つものかについて述べる。日 本語学習者の環境調査を行った浜田他(2003)は、下山(1997) の心理学研究法の段階的 分類を使用し、調査方法の特徴を説明しているが、ここでもこの分類法を使用し、本研究 の特徴をまとめる。下山(1997)は、データ収集からデータ処理の段階過程を3 段階に分 類した。第一段階では、データ収集の場の型によって「実験」「調査」「実践」に分類、第 二段階では、データ収集の方法によって「観察」「検査」「面接」に分類、第三段階では、 データ処理の方法によってデータの種類(質的・量的)と処理法(記述・分析)の4種に 分類している。これらは相互に重なりあう領域を持つことがあるが、その場合はどちらが 主になるかによって区別する。また、調査によっては複数の方法を組み合わせてデータ収 集することもある。さらに、研究の目的によって個性記述・法則定立と仮説(モデル)生 成・仮説(モデル)検証の4タイプに分類している。 本研究は、少数の高齢帰国者の実態をありのまま記述し、そこからどのような問題が見 えてくるかを調べることを目的とした「個性記述・仮説(モデル)生成」タイプで、その 方法は「調査1」が「調査・観察と面接・質的・記述」式で、「調査2」が「実践・観察・ 質的・記述」式である。 8 図1-1 心理学研究法の段階的分類(下山1997:104) ↓ (2) データ収集の方法 (1) データ収集の場の型( との関連の在り方で) する 検査 得る 観察 面接 実験調査 実践 現実生活 課題の遂 行結果を データと 行動を見 ることで データを 会話を通 してデー タを得る <現実 の統制> <現実 の抽出> < 現実へ の関与> ↓ 記述分析 質的(定性的) 量的(定量的) 表1-5 本研究の特徴 調査目的データ収集 の場の型 データ収集 の方法 データ処理 の方法 調査1個性記述・仮説(モデル) 生成 調査観察・面接質的・記述 調査2個性記述・仮説(モデル) 生成 実践観察質的・記述 1−6 本研究の構成 次章では、帰国者や高齢学習者に関する先行研究を概観し、第3 章では、インタビュー と参与観察で調査した「調査1」について、第4 章では、「調査1」で明らかになったこと をもとに、教育実践を行った「調査2」についてまとめる。そして、第5 章で本研究をまと め、夜間中学と日本語教育への提言を試みる。 9 第2章 先行研究 2−1 中国帰国者の日本語教育 中国帰国者の問題は、日本語教育にとどまらず、多くの要因が複雑に絡み合った大きな 問題である。江畑・曽・簑口編(1996) や蘭編(2000) では、各分野の専門家が様々な角度 から、帰国者の問題について考察している。 帰国者への日本語教育は、帰国事業が始まった当初は『入郷随俗』(1987)(郷に入って は郷にしたがえの意)というテキストに代表されるように、帰国者をいかに早く日本社会 に同化させるかというものであった。しかし、時と共に、そのような同化政策に対する批 判が高まり、帰国者センターの小林(1993)は、帰国者(=JSL 学習者)への日本語教育 は「異文化での適応」をめざすものだと述べている。ここでいう「異文化適応」とは、異 文化の環境との相互作用を通して自己実現を目指そうとする過程であり、従来の同化主義 的な捉え方を「異文化への適応」と呼んで区別している。また、同センターの池上(2002: 103) は、帰国者センターでの4 ヶ月の研修は「「日本で生活していけそうだ」という自信 と「日本で生活していきたい」という意欲を持つこと、そしてそれが達成できるような知 識と技能を観につけること」が目標であるといい「体験型学習」について報告している。 いずれも日本語教育を狭い言語教育としてとらえるのではなく、広くコミュニケーション 教育として捉えている。 最近の帰国者関連の研究では、比較的若い2 世、3 世を対象としたものが多く、学齢期の 帰国者の場合、年少者の日本語教育と重なって、日本語の習得のほか、母語の保持、教科 学習能力、自己アイデンティティの問題などが扱われており(池上1994 2000、藤井・田 渕 2001、田渕・森川 2001)、1993 年から年に1 度発行されている帰国者センターの紀要 でも、帰国者生徒に関するものが多数掲載されている。 2−2 高齢帰国者の日本語教育 一方、高齢帰国者の日本語の問題を扱ったものは少なく、インタビューやアンケートに よるニーズアナリシスや、実態調査、事例報告がほとんどである。先述した帰国者センタ ーの紀要は本年までに10 号発行されているが、特に高齢帰国者に焦点をあてたものは、馬 場(2000 2001 )の2 点のみである。 10 福岡中国残留婦人問題を考える会(1997)は、55 歳以上の中国帰国女性(中国残留婦人 と中国残留孤児の女性など)31 人の生活実態を健康、介護、生計、日本語、社会生活、家 族などの項目別に面接によって調査している。これによれば、日本語運用能力は、帰国後 の年数よりも、終戦時の年齢が影響しており、中国残留婦人が、日本語についてはほとん ど不自由を感じていないのに対し、孤児世代は不自由を感じていることが明らかとなった。 調査では、孤児世代が日本語を習得できない原因として、年齢と就学歴の少なさをあげて いる。日本語学習についての希望は、高齢を理由に学習を望まない意見と、学習を強く望 む意見に二分している。提言として、高齢帰国者の近所に、レベルとペースのあった日本 語教室を作る必要性が述べられている。 馬場(2000) では、「サロンコースの試み」と称して、3 人の高齢帰国者と日本人の交流 活動を行った。活動後のアンケートの結果、この試みは好評であったものの、帰国者側か らは、「家族との行き来だけでも十分」「中国語ができる人とつきあいたい」というコメン トもあった。結果として、日本人、帰国者側双方とも、「日本語ができなければ交流できな い」という思い込みがあったことから、言葉によらない交流もできる、と考え方を変える 必要性についても述べられている。また、馬場(2001) では、帰国者センターを退所した 55 歳以上65 歳以下で識字に問題のない帰国者を対象にアンケートを行い、退所後の学習環 境やネットワークについて調査を行っている。そこからは、地域で孤立している高齢帰国 者の実態や、日本語ができないことによる精神的なストレスが見えてきた。そこで、高齢 帰国者のための日本語学習の場は「学び続けられる可能性」を感じられるような場でなけ ればならないとしている。一方、小田(2000)は、日本語ができない上、非識字者であっ たことから正しい手続きなどが行えず、国籍を喪失してしまった中高年の一世と、日本語 の学習を苦にして中国へ帰国してしまった高齢の中国人養母の2つの事例について述べて いる。小田は後者の事例から、不就学の学習者に、教室での集団学習は無理であり、個別 のきめこまかい指導が望まれるとしている。 2−3 高齢学習者の日本語教育 高齢帰国者以外で、高齢者の日本語教育を扱ったものには、国際救援センター(以下、 救援センター)でシルバークラスを担当してきた藤野・内藤(2002)の実践報告がある。 救援センターではクラスを大きく児童クラス、成人クラス、高齢者クラスに分けており、 高齢者クラスでは教育年数0 年から7 年までの40 代から70 代のインドシナ難民の高齢学 11 習者が学んでいる。高齢学習者の学習困難点としては、@記憶力の低下、A抽象化の困難、 B身体上のハンディ、C動機づけの低さが挙げられており、これらの問題から、高齢学習 者に対する日本語教育は、まず「限界を認めるところから出発」し、「人間関係を作るため に最低限必要な言葉や表現を、非言語行動とともに身につけ、同時に、言葉だけにとらわ れない広い意味でのコミュニケーションの方法を学ぶこと」(藤野・内藤2002:19)を目 標としている。具体的には、TPR や歌を用いたり、絵で自分に関係のあるものを描いたり する実践や、「V てもいいですか」の代わりに、物を指差し「いいですか」と言う許可求め や、日付については「いちにち」、「ににち」と教える例などが紹介されている。 2−4 夜間中学の日本語教育 夜間中学の研究は、教育問題や識字問題として扱われることが多く(松崎1979、国際識 字年推進中央実行委員会編 1991、関本 1998、栗田 2001)、夜間中学関係者の報告書以外 で、専門的な視点から日本語教育の問題を扱ったものは、恐らく原田(2003)が初めてで あろう。原田は夜間中学の半年に渡るフィールドワークを通して、夜間中学で授業中に行 われているインターアクション、学習者の教室外のネットワークなどを調査した上で、夜 間中学の日本語教育に対する提言を行っている。しかし、原田の研究は夜間中学全般の特 徴や問題にも触れてはいるものの、主に母語の識字とサバイバル的な日本語には問題のな い若年層を対象としており、年少者の日本語教育で問題になっている教科学習に結び付け て論じているので、識字に問題を持った高齢帰国者を対象とした本研究とは性格を異にす る。 2−5 識字問題と日本語教育 定住外国人の日本語教育を識字問題と結びつけ、特に非漢字圏出身者の文字接触につい て研究したものには金子(2001) がある。また、定住外国人への日本語教育を識字問題や 人権問題の一環ととらえて論じるものもある(阿久澤 1993 、島田 1993、笹川1996)。『多 文化・多言語社会の実現とそのための教育に対する公的保障を目指す東京宣言および行動 計画』、略称『東京宣言』(日本語フォーラム実行委員会 2003) では、「日本語が不自由で も人間らしい暮らしができるような社会づくり」を進めるために、多言語による情報提供 や多文化サービス、日本語学習に対する公的保障の必要性を求めている。野元(2001)は、 「文字の読み書きを学ぶこと」と「人間らしく生きること」の統合を目指し、識字教育で 12 優れた実践を行ったパウロ・フレイレや、フレイレの「課題提起型教育」の思想と方法を もとに行われたアメリカでのESL教育を紹介した後、日本における「課題提起型日本語 教育」の可能性について論じている。「課題提起型教育」とは「教師と生徒が水平的な関係 の中で、課題を共有化し、その課題をめぐる対話を深め、新たな知見を獲得し、現実改革 の実践をともにすすめていく」(野元 2001:94)教育であるという。そして、定住外国人 を対象とした日本語教育も「人間らしく生きること」と統合するべきだとして具体的な実 践報告を行っており、定住外国人、特に就労外国人のJSL教育を考える上で大きな示唆 を含んでいる。しかしながら、本研究の対象者のように高齢で仕事を持たず、母語の識字 に問題を持った学習者のコミュニケーションのための日本語教育について特に焦点を当て て研究したものはほとんどない。 2−6 先行研究から示唆されることと本研究について 以上のように、日本語学習者として、高齢学習者を扱った研究は非常に少なく、あって も意識調査や実践報告の形をとっており、習得に関する研究などは知る限りにおいてない。 高齢者を日本語学習者として捉えた研究が少ない理由には以下のことが考えられる。 1)高齢学習者は人数が少なく、研究のニーズがあまりない。また、一口に「高齢学習 者」といっても、学歴が高く、健康な高齢者であれば一般成人学習者とほとんど変 わりがないので、とりたてて研究する必要はない。 2)定住している高齢の帰国者や難民の場合、学習者としてよりも生活者としての問題 があり、日本語の習得は優先課題ではない。 3)研究対象者として考えた場合、高齢学習者は習得が緩慢で、実験タスクやインタビ ューが日本語で行えないなど、データ収集が難しい。 4)高齢学習者に対し、日本語教育専門の教師が日本語教育を行っているのは、中国帰 国者定着促進センターと国際救援センターであるが、どちらも4 ヶ月という短期間 であるため、縦断的な研究は難しい。 5)高齢学習者は日本語教育機関に所属することがほとんどないので、一般の日本語教 育研究者は、接する機会がない。 6)高齢学習者の支援を現場で行っている人々が専門的な研究を行わない。 7)高齢学習者は仕事を持たず、引きこもりがちであることが多いので、地域社会や日 13 本語教育の現場において見えにくい存在である。 これらの理由によって、日本語教育における高齢学習者の研究が少ないことには納得で きる。しかしながら、数が少ないからといって、研究価値がないということにはならない。 真に学習者の多様化に応えていくのなら、マイノリティの日本語教育についても考えてい くべきだろう。 帰国者センターや救援センターでの実践報告は、現場の支援者が書いたもので大変興味 深いが、両センターとも4 ヶ月という短期集中の研修で、その期間になんらかの結果を出 すためにカリキュラムが組まれたものなので、根本的な目標は同じであっても長期的に行 う支援とは若干異なるだろう。また、高齢のインドシナ難民と中国帰国者では、記憶力の 問題、学習経験の少なさ、身体上の問題など、共通した問題は多いものの、日本への帰国/ 来日、定住への思いは異なるのではないだろうか。そして識字に問題があっても、漢字に 囲まれて生活してきた帰国者と、インドシナ難民では学習へのレディネスも異なるものと 思われる。さらに、高齢帰国者の学習環境調査や意識調査はあるが、自ら進んで夜間中学 へ入学した高齢帰国者と、高齢帰国者全般では差が見られるのではないだろうか。先行研 究では、初めから日本語の学習を望まない、あるいは諦めてしまった高齢帰国者の例が出 てくるが、夜間中学の学習者は、どのような理由にせよ、学校に通うことを自ら選択した という点において、国からの支援を受けるという形で受動的に入所した国費帰国者や、イ ンドシナ難民とは少しタイプの違う学習者なのではないだろうか。以上のことから、本研 究では従来取り上げられることがなかった「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」に焦点を絞って 調査を行う。 14 第3章調査1 参与観察とインタビューによる学習者の環境調査 3−1 調査目的 研究目的(1)夜間中学で学ぶ高齢帰国者は、どのような意識を持って夜間中学に通って いるのかを明らかにする。 高齢帰国者が夜間中学に通学していることを知った人々からは、「母語話者同士で集まれ ることが楽しいのではないか」「学校で学ぶチャンスのなかった人々だから学校で勉強でき るだけで満足なのではないか」という「日本語を学ぶ場」としてよりはむしろ「心のより 所」としての役割を強調する声が聞かれた。もし、それが真実で、高齢帰国者自身、日本 語の習得にはこだわっておらず、日本語ができないままでも大きな不満や不便を感じてい ないのなら、学習者に一方的に学習目標を設定することは好ましくない。その場合、日本 語の習得目的には様々なバリエーションがあることを認め、言語習得とは別の角度からの 支援が求められるべきである。支援の方向性を決めるために、まず、学習者自身が考えて いる夜間中学への通学動機、日本語の学習動機を明らかにしたい。 研究目的(2)夜間中学で学ぶ高齢帰国者の学習環境、日本語の学習に対する意識を明ら かにする。 日本語教育の視点から支援を考えるには、高齢帰国者がどのような学習環境にあるのか、 学習に対してどのような意識を持っているのか知ることが必要である。そこで得られた結 果と(1)の結果を合わせて、今後の具体的な支援を考える手がかりとしたい。 3−2 調査概要 本調査は都内にある]中学校夜間学級に通う調査協力者への1 年間の参与観察と、半構 造化インタビューにより行った。]中学には2002 年の調査で在学生が77 人おり、うち48 人が帰国者、26 人が50 歳以上の帰国者であった。夜間中学の時間割などは学校やクラスに よって違っており、今回観察を行った日本語学級では、1 週間に14-16 時間の日本語の授業 が行われていた。 現在、日本語学級が正式に認められているのは、都内の5校のみで、それらの学校では、 クラスは通常学級と日本語学級に分かれている。一般的に、日本語力の不十分な外国人学 15 習者は、日本語学級で1、2年勉強した後、通常学級にうつるのだが、これも学校によっ てシステムが異なり、日本語力に関わらず、3 年間のうち、必ず通常学級で学ぶことを義務 づけている学校もあれば、3 年間、日本語学級に在籍したまま卒業できる学校もあるという。 X中学の場合、通常学級への移動は義務づけられてはいなかったが、日本語学級4 クラス、 通常学級6 クラスという数の問題で、日本語学級に新入生が入ってくると、在校生は日本 語が不十分なまま、通常学級に移らざるをえないという状況であった。したがって、通常 学級であっても、外国人学習者が多い場合、国語の時間が実質上、日本語の授業になって いた。他の教科でも、例えば数学では、文章題に出てくる日本語が説明されるなど、「日本 語」は、教科学習とも切り離せない問題であることが伺えた。また、夜間中学では昼間部 と違い、教科ごとの割り当て数が決められていないので、国語(日本語)の授業数を増や しているクラスもあった。以下に今回参与観察を行った日本語学級の時間割と、インタビ ューに協力してくれた通常学級のGの時間割を示したあとで、具体的な調査対象者、調査 方法について述べる。 表3 -1 参与観察した日本語学級の時間割 月火a 火b 水木金 1 日 日 美 日 音 家 2 日 日 美 日 日 日 3 日 日 日 体 日 日 4 日 日 日 日 日 学 5:35-5:40 短学活 5:40-6:20 1 時間目 6:20-6:50 給食 6:50-7:30 2 時間目 7:35-8:15 3 時間目 8:20-9:00 4 時間目 表3 -2 Gが所属していた通常学級の時間割 月火a 火b 水木金 1 英 国 国 理 国 家 2 数 国 国 体 国 社 3 国 美 国 社 国 国 4 国 美 国 国 音 学 日:日本語/美:美術/体:体育/音:音楽 家:技術家庭/学:学活/英:英語/数:数学 社:社会/理:理科 国:国語、内容は日本語 火曜日は隔週でa、b日程。 16 3−2−1 調査対象者 以下に参与観察とインタビューの調査対象者を表にまとめる。 表3-3 調査対象者(高齢帰国者) 年 齢 性 別 身分帰国/来日 年月 居住地同居人学歴中国で の職業 中学を知 った経緯 日本語学習歴 A(H) 54 男母が残留 婦人 1997 年 1 月 練馬区妻小学 4 年 農業人から聞 いた 区の教室4,5 回 A(W) 57 女A( H)の妻 同上同上夫小学 2年 農業同上同上 B(H) 58 男1 世1998 年 10 月 練馬区妻小学 4年半 農業本で調べ た 所沢*4 ヶ月/池袋 **8ヶ月 B(W) 55 女 B(H) の 妻 同上同上夫なし農業同上。ただし病気で 休みがち C(H) 65 男 C(W) の 夫 1998 年 10 月 八王子妻小学 5 年 農業所沢*4 ヶ月 C(W) 59 女 1 世同上同上夫小学 6 年 農業同上 D 58 男妻の母が 残留婦人 2000 年 3月 練馬区妻小学 6年 農業人から聞 いた なし(教師の話では ゼロではなかった) E 52 女夫の母が 残留婦人 2001 年 4月 練馬区夫小学 3年半 魚販売同上なし F 34 男母が1 世 2002 年 3 月 町田市母中学 2 年 販売業母から聞 いた 長春★ 4 ヶ月 G 59 女1世199 5年練馬区1人中学 1年 学校事 務 人から聞 いた 独学1.5 年/仙台☆4 ヶ月/池袋**8ヶ月 F(M) 62 女1 世 (F の 2000 年 6月 町田市息子中師 (短大 小学校 国語教 同上長春★4 ヶ月/所沢 *4 ヶ月/帰国者向け 母)相当)師 日本語学校2 校各1 年 H:夫 W:妻M:母 *所沢:所沢にある中国帰国者定着促進センター**池袋:池袋にあった中国帰国者自立研修センター ☆ 仙台:仙台にあった中国帰国者定着促進センター ★ 長春:長春にあった帰国者センター(正式名称不明) 表3-4 インタビュー協力者(教師) 専門夜間中学での日本 語教授歴 備考 T1 社会 25 年(X 中3 年、他 2 校22 年) 日本語教授法を体系的に学んだことはない。短期のコースや1 日の研修な ど受けたことがある。自主教材作成経験ある。A〜Eの担任。 T2 英語 13 年(X中7年、他 校6年) 帰国者の日本語教育に関する本を他の支援者と執筆出版。 T3 国語4 年講師。昼の高校で帰国子女に国語を教えている。 日本語教授法は独学で。 T4 理科8 年海外に派遣され、日本語を教えた経験有り。Gの担任。 表3-3 のA(H)からF までの9 名が参与観察の対象者、斜体太字で書かれたものがインタ 17 ビュー協力者の6 名である。対象者が在籍するクラスを参与観察の対象に選んだ理由は、 全員が帰国者で、うち1 名を除く全員が50 歳以上の高齢帰国者であったこと、さらに、担 任のT1が調査に積極的に協力してくれたことがある。1学期は表3-3 の対象者のほかにD の妻も在学していたが、2学期から足の痛みを理由に登校が不可能となり退学した。また、 Fの他にもう1 人30 代の男性がいたが、レベルが合わなくなったため、2 学期は上のクラ スに移動した。表3-3 のC(W) は年明けに重病になり入院、C(H) は病院のつきそいで学 校は長期欠席となった。なお、このクラスは全員帰国者で年齢差も小さかったが、夜間中 学のクラス編成は本来、必ずしも年齢や出身国によって行うものではないので、このよう な学習者の構成は夜間中学一般ではない。 高齢帰国者のインタビューは、参与観察を行ったクラスのA(W)、B( H)、D、 E 4 名と、夜間中学に入学して3 年目の通常学級の学習者G、F の母親F(M)に行った。A(H) 、 A(W) は夫婦一緒にインタビューを行ったが、答えたのはほとんどA(W)であった。B(W) はB(H )と同席していたものの、B(H)が「彼女は聞いてもわからない。答えられない」 ということで答えてもらえなかった。B(W )はクラスで唯一、就学経験がなく、全く読み 書きができない学習者であったので、貴重な話が聞けると期待していたが残念であった。 C( H)、C(W) 夫妻は、時間ができたときにインタビューに応じてもらう約束をしていた が、C(W )が重い病気にかかって入院し、C(H) も妻の世話をするため、学校に来られな くなってしまったので、話を聞くことができなかった。F(M )は学歴が高く、夜間中学の 学習者ではないので、本研究の直接の対象者ではないが、参考のため話を聞いた。 家族構成は、独り暮らしのG、親子で暮らすF、F(M)以外、全員配偶者と2 人暮らし。 B、C、D夫妻とF(M)は子供世帯が近くに住んでおり、よく行き来があるとのことであ った。生活環境は、Fを除き全員無職で、生活保護を受けて生活していた。 教師へのインタビューは参与観察を行ったクラスの担任で、日本語の授業を担当してい たベテランT1 と同じくクラスの日本語を担当していたT2、日本語講師のT3 と、Gのク ラスの担任で日本語を担当していたT4、以上の4 名から話を聞くことができた。 3−2−2 調査方法 (1)参与観察の方法 参与観察は2002 年4 月から2003 年3 月まで約1 年間行った。2002年4 月から7 月は2 週間に1 回、ラポール形成といわれる信頼関係作り(保坂他2000、箕浦1999、佐藤2002、 18 遠藤2003、原田2003)を目的に、2002年9 月から2003 年3 月までは1 週間に1 回、より 具体的な観察を行った。観察の方法は日本語の授業中、教室端に座りメモをとった。調査 が目的の大学院生という立場で観察を行ったが、担任のT1が学生との関係作りに協力して くれ、授業中のペア練習の相手や、練習帳のチェックなどもさせてもらった。そのため、 調査者を「先生」と呼ぶ学習者もいた。 その他、一緒に給食を食べたり、体育の授業で卓球やバドミントンの相手をした。それ から体育祭、遠足(ディズニーランド)、料理交流会、3年生を送る会、卒業式などの課外 活動や全国夜間中学校研究大会、ドキュメンタリー映画『こんばんは』の完成試写会など にも参加した。また、本調査の参考として、対象校以外にF夜間中学とA夜間中学の授業 見学、品川区にある救援センターのシルバークラス見学、所沢市にある帰国者センターの 交流会に参加した。 (2)インタビューの方法 高齢帰国者へのインタビューは2002 年9 月から11 月の間に、授業前の夜間中学、早稲 田大学、協力者の自宅などで行った。時間は1 時間から2 時間、F(M)以外は、日本語で の受け答えが難しかったため、調査者と同じ研究室に所属する中国人留学生(湖南省出身) に通訳を依頼した。彼女の話によれば、方言の問題を別にして、A(W) 、B(H)、D、E は、中国語での質問の内容を理解するのが困難で、具体的な例や易しい言葉に言い換えな いと意味が通じなかったとのことである。特に、A( W)は、「背景」「語法[文法]」「信息[情 報]」といった抽象名詞が伝わらなかったという報告がある。 一方、Gは中国語が通じないということは全くなく、中学入学3年目ということで、サ バイバル的な日本語も習得しているようだった。調査者との会話を日本語で行うのは無理 であったが、「話す」に対し、「聞く」の能力は高いようで、通訳が質問を訳す前に、「そう」 「うん」などの反応が見られた。F(M )へのインタビューは通訳なしで行った。その際、 10 年以上日本語を勉強しているという娘(Fの姉)も同席しており、時々質問を中国語で 確認する場面が見られたが、ほぼ正確に伝わっており、答える日本語は文法的な間違いは あったが、大意は把握できたので、インタビューの内容には支障はなかった。母語の識字 については、自己評価で答えてもらったところ、A(W )、B(H) 、Eが書くのに自信がな い、D、G、F(M) は何も問題ないと答えた。習得は観察により、進んでいる順からF(M) 、 G、D、B(H)、E、A(W) であった。 19 インタビュー内容は、予め、夜間中学入学や日本語学習に対する動機、ネットワークと 教室外の日本語使用環境、学習に対する意識、学習方法に関する質問を用意したが、「対象 者の意識の流れや内省を重視して、柔軟に対応していく」(村岡2002:127)半構造化イン タビューを採用した。それらを録音し、内容を文字化、協力者の発言内容として特に重要 だと考えられたものは、後日、通訳に改めて逐語訳してもらった。 教師へのインタビューは、2002 年12 月から2003 年4 月の間に、約40 分から2 時間かけ て行った。インタビューの内容は録音し、文字化を行った。質問は高齢帰国者を教えた経 験から見た学習者の特徴、教える難しさ、工夫している点、問題点、考えられる到達点な どについて、予め質問を用意したが、学習者と同様、半構造化インタビューの形で行った。 以下に記すインタビューからのデータの記述では( )は筆者の補足、「R」を調査者とす る。 3−3 調査結果 3−3−1 動機に関する調査結果 都内には8つの夜間中学しかないため、X中学の学習者は電車を乗り継ぎ、遠い生徒で 往復4 時間かけて通っている。今回インタビューした協力者は表3-3 に示したが、X中学 がある区から離れた練馬区、八王子市、町田市に在住しており、平均往復3 時間かけて中 学に通っていた。X中学までは都心部に近いこともあり、電車ではほとんど座れないとい う。足を痛めて退学してしまったDの妻や、しばしば足の痛みを訴えていたA(W) を始め、 高齢帰国者にとって、この通学は予想以上に困難なものだ。彼らがそこまでして夜間中学 に通う理由は何であろうか。学習者へのインタビューで明らかになった入学動機を以下に 示す。 (1)学習者へのインタビューから a. 夜間中学に入学した動機 まずは、入学動機について質問した。今回の対象者は、B(H )が帰国者向けの情報誌で 調べたという以外、夜間中学のことは皆、帰国者仲間から口こみで聞いたということだっ た。質問の仕方については多少問題があり、「なぜ他の機関でなく夜間中学なのか」という 点をうまく説明できなかったため、EとGに関しては次で述べる日本語の学習動機と重複 した。 20 表3-5 入学した動機 A(W) B(H) D E G 以前、区の帰国者所沢の帰国者セン無料であること。日本語学習動機と同日本語学習動機と同 向けの日本語教室にターや池袋の二次セそして、継続して学じ じ 通ったことがあるンターで勉強したこぶことができるこ が、お金がかかったとは全て忘れてしまと。帰国者向けの日 し(1000 円位)、週にったので、ゼロから本語教室もあった 1 回だったのでよく勉強したかった。他が、週に1回2時間 なかった。夜間中学の所はゼロからではというものだった。 は無料で、継続してなかったので、夜間自分は時間もある 勉強できるのがい中学がいいと思っし、継続して学べる い。 た。 ことが大事だった。 継続性がないと、す ぐ忘れてしまう。 表で明示されたように、様々な理由があげられたが、「無料」と「継続性」というのが 高齢帰国者が考える夜間中学の大きな魅力であることが読み取れる。生活保護受給者には、 自費で日本語学校に通うというのは到底不可能なことである。そして、月に数百円から千 円程度のボランティア教室でさえ、彼らにとっては大きな出費になってしまうようだ。さ らに、夜間中学は学費が無料であるだけでなく、無料の給食もあり、調査の時点では、区 から交通費も支給されていた。これについてはT4も述べているが、T4の話によれば、区 が交通費支給を打ち切るという話になった時、他の高齢帰国者のクラスでは、「それなら退 学する」と訴えたそうだ。往復3 時間の交通費は、夫婦2人で月10 数万の生活保護で暮ら している人々にとって、自費で払うには非常に大きな額である。そして、「継続性」という のは、仕事のない彼らには、時間が十分あることを意味している。日本語ができないと「不 便」、また、交際範囲も限定的で、「うちにいてもつまらない」などの思いから毎日通える 夜間中学を選んだということが判断できる。 b. 日本語学習の動機 次に日本語学習の動機について聞いた。 21 表3-6 日本語学習の動機 A(W) B(H) D E G 何をするにも通訳日本に来たから。生活のため。日本言葉がわからないと病院に行くのに、わ がいつもついてくれ国籍をとった妻(2 不便だから。頭の病からなくて困った。 るわけではないので世)と共に、日本へ気が治って、日本語いつでも付き添って 困っている。日本語の永住を決めた。今ができるようになっくれる人がいるわけ ができなければ何も後ずっと日本で生活たら、外に出て働きではないので。 できない。日本語をすることを考えたたい。ずっとうちに 勉強して少しでもわら、日本語ができないてもつまらない。 かるようになりたいと困ると思った。 い。 F( M)のケース 「自分で、本当に、日本語が好きです。それで、一生懸命勉強する。勉強、勉強、そして、また勉強、がんばります。 ( 略)私は自分の国ですから、できしなければなりません。」(2002 年11 月17 日 F(M) の娘宅) 日本語学習の動機については、日本に来たから日本語を学ぶのは当然、できないと不便 という意識が最も強いようだ。本研究の直接の対象者ではないが、F(M) のように、「日本 語は母国の言葉」という日本人としてのアイデンティティから日本語を学ぶ1 世もいるよ うだが、同じく1 世であるB(H) やGからは、そのような発言はなかった。 c. 夜間中学に通い続けている動機 3番目に、夜間中学で行われる様々な活動の中で、何を重視し、あるいは何に魅力を感 じて通学を続けているのかについて聞いた。インタビューでは、 「学校生活で何が楽しいか。 日本語の授業、日本語以外の授業、授業以外の活動(給食やクラスメートとの交流)など 含めて」という聞き方をした。 A(W)のケース 日本語の授業が一番大事。それ以外の授業は必要ない。時間の無駄。体育はまだいいが、歌も歌えない し、絵も描けないので苦痛。クラスメートはわからないところを教えてくれるのがいい。 (2002 年10 月1 日 早稲田大学) B(H)のケース 楽しいのは日本語の授業。他の授業は意味がない。学校側の意志はわかるが、我々には意味がない。T1 22 先生に1 度、日本語以外の授業はいらない、と意見を言ったことがあるが、「学校側の決まりだから」とい われた。 中学は自分にとって、非常に重要。できれば5 年でも10 年でもここにいたい。それは日本語の学習のた めであり、他の要因はない。(2002 年10 月2 日 X中学) Dのケース すべて楽しい。クラスメートとも仲がよいし、日本語以外にも体育、美術、家庭科といった様々なカリ キュラムがあり、新鮮でとてもいい。その中で一番好きなのは、やはり日本語の授業。 (2002 年9 月25 日 X中学) Eのケース 学校に来るのは楽しい。うちにいてもテレビを見ているだけだし、学校に来るといろいろな話もできるし、 気分転換になる。日本語の授業は楽しい。一時期、先生の言うことがわからず、退学しようと思ったこと もあるが、だんだんわかるようになって楽しくなってきた。日本語が一番楽しい。日本語以外の授業は嫌 い。体育は頭が痛くなるから。(2002 年9 月26 日 X中学) Gのケース 日本語の授業が一番重要。授業以外の活動も大事。「ディズニーランド」という単語も以前は覚えられな かったが、遠足で行って覚えることができた。やはり日常生活の中で学ぶのが重要。学校に行く一番の目 的は、普段は友達もいなくて、教えてくれる人もいないから、日常生活の中や、自分で勉強してわからな いことを先生に聞いてその場で解決するため。体育はさぼって、自分で勉強し、わからないところを先生 に聞く。日本語以外の授業は役に立たない。往復3時間もかけて学校に来るのは日本語のため。(3 年目に 通常学級になり)日本語の授業が、その他の科目にとられてしまい、勉強になっていない。帰国者に中学 校のコースというのは不合理ではないか。3 年目は、国籍もレベルも合わないクラスになり、あまり勉強 にならない。居眠りしてしまうこともある。クラスメート同士の衝突もあった。日本人の夫がいて日常会 話に困らないような人には来ないでほしい。3 年目は無駄になってしまった。今、学校は楽しくない。中 国語を話したいのなら、わざわざ遠くに行かなくても近所にたくさん帰国者がいる。 (2002 年11 月2 日 Gの自宅) 夜間中学で最も楽しいことは、全員が口をそろえて、日本語の授業だと言っており、日 本語の授業に対して肯定的な意識が伺える。これは、熱心で親切な教師に対する満足感も あるのだろう。一方、クラスメートについての「教えあえるからいい」という発言も学習 に対する意識であり、交流そのものが楽しいという発言はなかった。また、Gは、遠足な ども単に楽しいというのではなく、日本語の学習としてとらえている。回答を得たあと、 「ク ラスメートと中国語でおしゃべりできるのが楽しいということはないか」と誘導的な質問 23 もしたが、B(H)は、「(夜間中学の通学は)日本語以外の要因はない。」Gは、「交流なら 近所でできる」と答えている。唯一、Eのみが、「気分転換になる」と日本語の学習以外の 楽しさについて語っている。 また、「全てが新鮮で楽しい」というD以外は、日本語以外の教科を勉強することに不満 を持っていることがわかった。特に、通常学級に所属するGは、教科学習が増えたことに より、日本語の授業が減ったため「(通常学級に移った)3年目は無駄になってしまった」 「学校が楽しくない」と語っている。高齢帰国者のみならず、外国人学習者が教科学習を 嫌う傾向については、X中学だけでなく全国の夜間中学で問題になっているとのことだ。 (第48 回全国夜間中学校研究大会事務局 2002) 日本語を早く習得したいと思っている外国人学習者にとって、それ以外の教科が無駄に 思えるというのは、容易に想像できる。特に、日本語の習得が思うように進まず、それ以 外の教科にも苦手意識を持った学習者には、楽しく感じられなくても仕方がない。しかし ながら、夜間中学は日本語学校ではなく、あくまでも公立の中学校である。したがって、 制度上、これを変えることは不可能である。それについては、入学前に説明があるだろう が、言葉の問題のせいか、学習者側にとっては「夜間中学=日本語学校」の意識がかなり 強く、T3 のインタビューの中にも書類に「X日本語学校」と書いてしまう学習者がいると いう話が出てくる。Gなどは「帰国者のための機関」とすら思っているようで、それ以外 の学習者と相容れないような発言もしている。 (2)教師へのインタビューから 次に教師へのインタビューから出てきた高齢帰国者が夜間中学へ通う動機や、高齢帰国 者にとって夜間中学がどのような役割を果たしているかに関する意識が見られた箇所を抜 粋する。 T1 のケース (入学希望者に)なんで来たんですか。というと、Mさん(卒業生)と話すと日本語が上手になってる と、で、どうしてそんなに上手になってるのかって聞くと、夜間中学で勉強した、で、私も日本語上手に なりたいので来ました。で、そういうのを見て、Mさんというモデルを通して、まあ、日本語が上手にな ると便利になるんだなあというのを実際に見てきてくれたんじゃないかなあ。だから、そういう例は結構 ありますよね。あ、あの人は上手になったな、で、私も上手になりたい。 24 (日本語ができて便利なことが)いろんな場面であるんじゃないでしょうかね。生活の場面でのね、ま あ、仕事ということは、ほぼ縁がないと思いますけど、年齢的にはね。でもやっぱり、そこでほとんど閉 じこもっていたのが、あの、ちょっとやっぱり、奥さんに全部まかせていた買物、自分がやってみようと 思い立ったり、あるいは全部通訳を通して、あの、福祉事務所に行っていたのを、自分で行ってみようと いうのを踏み出してみたり、病院に行ってみたり、と足を踏み出してくれたら、それはすごくいいことで すね。(略) 仲間がいて、いろんなね、情報交換ができて、あの、いろんなディズニーランドに行ったり、 富士山に、なかなか中国ではそういうことはできないでしょ、彼らは。いろんな楽しいこともできるし、 っていう、その内容面が大きいんじゃないですか。(2003 年4 月3 日日中友好協会の一室) T2 のケース やっぱり癒す場所、そういった場所が必要だと思うんですよね、他になければやっぱり。そういった意 味でも、X中学を求めて来るんだと思うんですけれども。それはちょっと教員によって、考え方違うと思 いますよ。(略)やっぱり、この、ここの、X中学の2年なり3年なりのことがあってからの日本での永住、 これは、ね、日本語を勉強したってこともありますけれども、みんなで、なんかしたとかね、そういった ことで、彼らにとってはやはり、大きなものになると思うんです。(2003 年1 月29 日 X中学) T3 のケース ぼくはまず、その、ここの場所自体が、楽しい所であってほしいということですね。その、修行の場で なくてってことですね。(2003 年2 月24 日X中学) T4 のケース 今の生活っていうのは、あの人たち、5年か6年たってるんですよ。そうすると、ある程度生活のパタ ーンができあがっちゃってるわけよ。その生活の中に日本語っていうのは、ほとんどが入ってないのよ。 だから、こういう生活を守りながら、自分の気持ちを、癒す場っていうのかしら。ちょっとした仲間と付 き合う場っていうふうな、そういうふうに考えてるんじゃないですか。(略)要するにカルチャーセンター みたいな、なんていうの?お楽しみクラブみたいな意識で来てるんじゃないの? (2002 年12 月18 日、2002年1月22日X中学) T1は、日本語を習得した卒業生を見て入学してきた学生の例をあげているが、4 人の教 師に共通する点として、「情報交換」「楽しい」「癒し」「お楽しみクラブ」など、日本語学 25 習以外の点を強調している。これは、日本語学習の重要性を強調する高齢帰国者とは意識 が異なる結果となった。なぜ、このような意識の差が現れたのか、高齢帰国者の実際の学 習環境や学習に対する意識について調査したあと考察する。 3−3−2 学習環境と学習に対する意識に関する調査結果 前節での調査結果から、高齢帰国者は日本語の学習を非常に重視していることがわかっ たが、実際に彼らを取り囲む学習環境や、学習に対する意識はどのようなものなのであろ うか。本節では、対象者へのインタビュー結果を学習ストラテジーの理論で分析する。 ネウストプニー(1995b)によれば、言語習得には、教師監督下の「言語教育」と、学習 者監督下の「言語学習」と、監督者が特定できない「自然習得」がある。その中でも習得 に欠かせないのが学習者監督下の学習ストラテジーである。そこで、高齢帰国者の日本語 習得を考えるにあたり、彼らが現時点でどのような学習ストラテジーを使用しているか調 べる。 (1)分析の枠組み― 学習ストラテジー― 「学習ストラテジー」という語には様々な定義があり研究者によって解釈も異なるが、1990 年代半ばまでの学習ストラテジー研究をまとめた伴(1999)の定義によれば、「学習ストラ テジーは日本語の学習過程で学習を効果的に行うために学習者がとる日本語の学習行動」 である。浜田(2001) は「学習者がが学習を成功させるために用いるストラテジー」が「学 習ストラテジー」で、成功しないストラテジーも含めたものを単に「学習者が用いるスト ラテジー」として「学習者ストラテジー」と区別しているが、本稿では、それを区別せず に、「学習者が用いるストラテジー」を、効果的か否かにかかわらず、全て「学習ストラテ ジー」として扱う。学習ストラテジーの分類として、最も代表的なものにオックスフォー ド(1994)の「ストラテジーシステム」がある。 26 記憶ストラテジー :一定の機能を持ち、新しい情報の蓄積と想起を 助ける 認知ストラテジー :学習者がいろいろな方法を使って、外国語を理 直接ストラテジー 解し、発話するのに役立つ 補償ストラテジー :言語使用にあたって、知識のズレを埋める目的 で使われる メタ認知ストラテジー:学習者が自らの認知作用をコントロールし、言 語学習の過程を調整する 間接ストラテジー 情意ストラテジー :感情、動機づけ、態度を調整するのに役立つ 社会的ストラテジー :他の学習者とのコミュニケーションを通して学 習していくのを助ける 図3-1 オックスフォード(1994)のストラテジーシステム 直接ストラテジーは「目標言語に直接かかわる」ストラテジーで、間接ストラテジーは 「目標言語には直接関係せずに言語学習を支え、実施される」ストラテジーである。両者 は相互に支えあい、それぞれのストラテジー・グループは相互に関連し、依存しあってい る。 (2)ストラテジーシステムへの批判 しかし、オックスフォード(1994 )の「ストラテジーシステム」には批判の声もある。 例えば、ネウストプニー(1995 1999)や宮崎(2003)は下位分類の少なさ、提出順序が遅 いことから、間接ストラテジー、特に、社会的ストラテジーが軽視されていることを問題 視する。ネウストプニー(199 9)は、社会的ストラテジーは認知ストラテジーや記憶スト ラテジーよりも優先されるべきだと主張し、「社会的ストラテジー、そして情意ストラテジ ーとメタ認知ストラテジーは、習得のための基礎構造の役割を果たしている」( ネウストプ ニー 1999:15)という。宮崎(2003)も同様の指摘をし、環境に直接働きかける間接スト ラテジーこそ「直接ストラテジー」と呼ぶべきではないかと提言を行っている。 27 また、宮崎(200 3)は、オックスフォードのストラテジーシステムで挙げられている目 録に「繰り返し復習する」(記憶ストラテジー)と「練習をする」(認知ストラテジー)や 「連想する」(記憶ストラテジー)と「分析したり、推論する」(認知ストラテジー)など、 オーバーラップが見られることを問題視する。浜田(2001 )は「実践の機会を求める(メ タ認知ストラテジー)」が「コミュニケーションを避ける(補償ストラテジー)」や「話す のを遅らせる(メタ認知ストラテジー)」と矛盾することを指摘し、「「いつ実践して、いつ 避けるのか」という点が明らかにされていなければ問題を抱える学習者の益に供すること は難しい。」(浜田2001:183)と述べている。 (3)本研究での学習ストラテジーの扱い方 本研究ではオックスフォード(1994 )のストラテジーの分類を使用するが、ネウストプ ニー(1995 1999)、浜田(2001)、宮崎(2003)の批判を反映させ提出順序を変え、社会的 ストラテジーから、情意ストラテジー、メタ認知ストラテジー、補償ストラテジー、そし て、認知ストラテジーと記憶ストラテジーは1 つにまとめて扱うことにする。 社会的ストラテジー 間接ストラテジー 情意ストラテジー メタ認知ストラテジー 記憶ストラテジー 直接ストラテジー 認知/記憶ストラテジー 図3-2 本研究における学習ストラテジーの分類 a. 社会的ストラテジー オックスフォードの下位項目には「質問する」、「他の人々と協力する」、「他の人々へ感 28 情移入する」があげられているが、ここではより広いネウストプニーの解釈を採用する。 ネウストプニー(1999) によれば、社会的ストラテジーのほとんどが、ネットワークに働 きかけるものである。ネットワークには様々な種類があるが、大きく分けると、人とのイ ンターアクションが起こる人的ネットワークと、テレビや本など、文字、音声、メディア などによる物的ネットワークに分けられる。人的ネットワークはさらに、具体的な場所と 時間で行われる「行動ネットワーク」と、「いつも」会っている人が形成する「グループネ ットワーク」に分けられる。本研究では使用言語や頻度、深さにはこだわらず、つながり のある場所や人は全て含めた。なお、物的ネットワークについては、学習計画の一部とし て、メタ認知ストラテジーの項目で扱う。 b. 情意ストラテジー 情意とは「感情、態度、動機、価値」を意味し、このストラテジーは、オックスフォー ドの分類では ・ 自分の不安を軽くする ・ 自分を勇気づける ・ 自分の感情をきちんと把握する が下位項目としてあげられている。これとは逆に、否定的な感情は進歩を妨げるとされて いる。また、情意ストラテジーの一つとして、曖昧なものに対して寛容になることも外国 語学習には必須である、反対にすぐ分類したり、区別したり、曖昧さに我慢できない学習 者は、曖昧な言語事実や出来事を扱うことに非常に苦労する、とも述べられている。 本研究では、情意ストラテジーと共に、習得の妨げとなると考えられている否定的な感 情、不寛容な態度、受動的な意識についても考察する。 c. メタ認知ストラテジー オックスフォードの分類ではメタ認知ストラテジーは、 ・ 自分の学習を正しく位置づける ・ 自分の学習を順序立て計画する ・ 自分の学習をきちんと評価する が下位項目としてあげられているが、本研究では特に2 番目の「自分の学習を順序立て計 画する」に焦点を当てる。ストラテジーシステムで「自分の学習を順序立て計画する」の 29 下位項目には、 1.言語学習について調べる 2.組織化する 3.目標と目的を設定する 4.言語学習タスクの目的を明確にする 5.言語学習のために計画を立てる 6.実践の機会を求める があるが、本研究では特に5と6に注目し、高齢帰国者が教室外で何を使ってどのように 学習しているのか、実践の機会を求めているのかについて調査する。 d. 補償ストラテジー 補償ストラテジーは「学習者が外国語を理解したり、発話したりする際に、足りない知 識を補うために使う」ストラテジーで、下位分類には ・ 聞くことと読むことを知的に推測する ・ 話すことの限界を克服する があり、身振り手振りや母語の使用、コミュニケーションの回避などが含まれる。 e. 認知/記憶ストラテジー オックスフォードは認知ストラテジーと記憶ストラテジーに分け、細かく分類している が、ここでは学習者から報告された言語学習に直接的にかかわるストラテジーをすべて「認 知/記憶ストラテジー」とする。 (4)各学習ストラテジーから見た調査結果 a. 社会的ストラテジーからみた調査結果 ここでは人的ネットワークを中心にまとめる。人的ネットワークには「いつも」会って いる人が形成する「グループネットワーク」と、具体的な場所と時間で行われる「行動ネ ットワーク」がある(ネウストプニー 199 9)が、今回の調査では、「いつも」という頻度 や深さに関わらず、少しでも関わりのあるものは使用言語に関わらず全て含めた。 30 表3-7 人的ネットワーク A(W) B(H) D E G F(M) ネグクラスメート ○ ○ ○ ○ ○ ッル帰国者 ○ ○ ○ ○ 回答なし ト|近所の人 ▲ ● ● ● ワプ日本人友人 ○ ● ● | 家族の関係者 ▲ ● ク保証人 ○ 宗教関係 ● ッ行夜間中学 ● ● ● ● ● ト動中国語のボランティア ● ワネ市/区役所 ○ ○ ● ● ● | 入管、法務省 ● ク病院 ○ ○ ○ ○ ● ● ● :日本語を使用する ○:日本語は使用しないが接触がある ▲:日本語を使用するが少ない a-1. グループネットワーク 対象者が持つ個人間ネットワークは家族以外に、クラスメートとの教室外のネットワー ク、クラスメート以外の帰国者とのネットワーク、中国語で話す日本人とのネットワーク、 中国語と日本語で話す日本人とのネットワーク、日本語で話す日本人とのネットワークに 分類されることがわかった。 31 表3-8 グループネットワーク A(W) B(H) D E G F(M) クラスメート E夫婦と互いの家つきあいあるが少たまに電話で安いたまに電話をする大売出しがある時 で食事をしたり、ない。 店や手続き上の問がめったにしななど電話をかけて 出かけたりする。 題などについて話い。A夫婦とは互一緒に買物に行 (調査2 より) す。 いの家で食事をし たり、出かけたり く。 する。 帰国者 ・近所に住む帰国帰国者支援団体の・日中友好協会に日中友好協会から買物など一緒に回答なし 者の女性、男性が活動には参加する入会しており、年何か連絡が来れば行く。団地には1 時々遊びに。一緒が、友達はいない。に2回集まる。お出かける。 棟に少なくとも に買物に行くこと花見に参加したこ2.3 戸住んでいる もある。 とがある。 が、全員との面識 ・A(H )は、よく帰 国者が集まる公園 ・区内には200 人 くらい帰国者が住 はなく、気の合い そうな人とだけ付 へ行く。 んでいるが、みんき合っている。 (調査2 より) なが知り合いとい うわけではない。 公園などに集まっ て話すことがあ る。 中国語で話す日なし保証人。困った時日中友好協会の会なし 回答なし 回答なし 本人 に電話する。 長。妻が日本国籍 をとる時手伝って くれた。 中国語と日本語 で話す日本人 なし 回答なし 回答なし なし 近所に住む娘の 友人。中国留学の 経験あり。友達に 出す手紙を翻訳し てもらったりす る。 会社員数名に月に 2回ボランティア で中国語を教えて おり、教える時に は日本語を少し使 う。時々、日本語 でおしゃべりをす る。 日本語で話す日 本人 近所の人とあいさ つ程度。 ・団地の人と月に 1 回そうじをす る。面識があるの み。 ・団地主催の祭り や運動会に参加す るが友達はいな い。 ・孫の学校の先生 と筆談。 近所に住む独り暮 らしの60 代の女 性。妻と仲がよく、 よく行き来をして いる。 なし ・10 年前肉親探し で来日した時に知 り合った人と文通 している。 ・娘の会社の人。 簡単な日本語でや りとりする。 ・日本人の友達い っぱい。家は近く ないので、あまり 会わない。お花見 などに誘われる。 ・団地の人とそう じや草取りなど一 緒にする。 ・一ヶ月に一回く らい同じ団地に住 む宗教関係の人が 来る。宗教には入 りたくないが、「心 が厚い」から話を する。 全体的にグループネットワークは狭いことがわかった。日本人とのネットワークについ ては、最も習得が進んでいるF(M)が一番多く、その次に習得が進んでいるGが続く。 B(H) とDには中国語で話す日本人とのネットワークはあるが、日本語で話す日本人との ネットワークはほとんどない。A(W) とEについては、日本人とのネットワークは皆無に 等しい。A(W) については、クラスメートや帰国者とのつきあいも「ない」と答えている が、次章で述べる調査2 における発言や観察から若干あることがわかった。日中友好協会 への所属は日本人とのネットワークでもあるが、対象者から、そこでの日本人との関わり についての発言がなかったため、ここでは含めなかった。Dは日中友好協会の会長と親し いことを述べているが、これは組織からの援助というより、個人的な関係とみなした。 今回のインタビューでは、これらの狭いネットワークが対象者にとってどれくらい影響 のあるものなのか、日本語習得にどのような影響を与えているのかまで聞くことができな かったため、人的ネットワークと習得の関係を論じるデータとしては不十分であった。た とえば、浜田他(2003) の調査では、一見日本語の習得には影響がないと思われる母語話 者同士のネットワークも、劣等感を持っていた学習者が自分と同レベルの学習者と親しく なったことがきっかけで、あるいは、負けず嫌いな学習者が、同国人へのライバル意識や 仲間に対し優越感を持ちたいなどの理由から、学習動機が高まった事例を紹介しており、 対人環境が様々な形で学習に影響を与えていることが明らかとなったが、今回の調査では そこまで深く聞くことができなかった。ただしA(W )、B( H)、D、Eの習得の程度から 言って、クラスメートとのクラス外でのネットワークや、中国語話者とのネットワークが 習得に直接影響を及ぼしているようには見えなかった。とはいえ、クラスメートとの教室 での関わりについては、「宿題を教え合う」(A(W))、助け合えるからいい(B(H)、D) という発言があり、学習を続ける上で精神的な助けになっていることが伺えた。実際、参 与観察の中で、教師の説明を中国語で確認しあったり、教えあったりする場面が毎回観察 された。帰国者同士の関わりについては、体系的なネットワークは存在せず、公園などで 気の合う仲間同士がおしゃべりをしたり、買物に出かける程度の弱いネットワークしか存 在しないことがわかり、日本人のみならず、中国語話者同士のネットワークも狭く浅いこ とがわかった。ただし、夜間中学への入学がB(H )を除き、口こみであったことなどから 考え、中国語話者同士のネットワークは、日本社会で生きていくための重要な情報リソー スであることが推測される。T1のインタビューからも、夜間中学を卒業した高齢帰国者 33 と知り合いで「自分も日本語を話せるようになりたい」と入学を希望した高齢帰国者がい たという報告があり、ネットワーク自体は狭くて浅いが、影響力は小さくないことがわか った。 一方、つきあう相手は「保証人」(B (H))、「団地/近所の人」(A(W)、B (H)、F(M)) 「孫の学校の先生」(B(H))など、必然的につきあう相手がほとんどである。Gは日本人 とのネットワークがあるが、相手は娘の友人や同僚であり、G本人のネットワークではな い。F(M )の宗教の勧誘も本人が望んで築いた人的ネットワークではないようだ。また、 F(M) は、以下に述べる行動ネットワークの手続きなどでは積極的に日本語を使用してい るが、日本人との交際の中で日本語能力をのばそうという意識はないようで、「誘われても (勉強が)忙しいから断る」という報告があった。 以上から、高齢帰国者たちのネットワークは母語、日本語にかかわらず、狭く浅く、か といって、その状況を変えようと自ら働きかけを行うこともほとんどないことが明らかと なった。それでは、対象者たちは現状に満足しているのか、日本人と交流したいという希 望はないのか、という点について質問したことを以下にまとめる。 「交流が難しい理由」は、 馬場(2001) の調査を参考に、回答は「情報がない、誘ってくれる日本人がいない、通訳 してくれる人がいない、きっかけがわからない、日本と中国では交流の方法が違う、言葉 の壁」から複数回答可で選んでもらった。 表3-9 日本人との交際について A(W) B(H) D E G F(M) 日本人とつき あいたいか とても。日本 人と話せば日 本語もうまく なる。 「とても」と 「まあ」の中 間。 付き合いた い。 言葉ができな いから無理。 言葉の問題が なければ、と ても付き合い たい。 言葉が通じな いから、それ ほど思わな い。言葉が通 じればいい。 日本語ができ ないから難し い。言葉が通 じれば付き合 いたい。 どんな人とつ きあいたいか 回答なし中国語ができ て、できれば 年が近い人。 できれば年が 近い男性で、 中国語ができ 中国語ができ る人。 中国語ができ る人。 優しくて中国 語ができる 人。 て、できれば 中国が好きな 人。 交流が難しい 理由 言葉の壁 情報がない 誘ってくれる 言葉の壁 それ以外に、 日本人は中国 言葉の壁 誘ってくれる 日本人がいな 言葉の壁 付き合い方が わからない。 言葉の壁 言葉の壁 日本人がいな語を話す人にい。 い対し警戒す通訳してくれ る。中国語でる人がいな 話したら避けい。 34 られる。 きっかけがわ からない。 以上より、全員、日本人とつきあいたいという希望はあるが、言葉の壁が大きな障害だ という意識を持っていることがわかった。言葉以外の問題ではA(W)は「誘ってくれる日 本人がいない」、「情報がない」、Dは「きっかけがわからない」、Gは「付き合い方がわか らない」と、交流を試みた結果の難しさではなく、まず最初に知り合う時点から困難を感 じている。 一方、B(H)は、日本人側のほうが中国人を避けているという点を指摘しており、彼ら が積極的になれば、すぐに受け入れられる環境が整っているわけではないという事実もあ ることがわかった。確かに、国内で増加する外国人犯罪の影響で、何の罪もない外国、特 に中国からの人々が差別されているという状況があるのは事実である。しかし地域では、 多文化共生を目指し、外国の人々との交流の場を作っている日本人もいる。そのような場 に高齢帰国者が参加できる可能性はあるだろうか。以下に、支援の可能性について聞いて みたものをまとめる。 表3-10 地域における支援の可能性について A(W) B(H) D E G F(M) 地域には外国知らない 知らない 日中友好協会知らない 知らない 知っているが 人向けの日本がいろいろ教市内にない。 語教室や交流えてくれる。 の場があるの を知っている か どんなものな ら行きたいか ・高齢帰国者 向けのもの。 なんでもい い。外国人向 特に希望はな い。 家から近けれ ば、なんでも 交通費を出し てくれるなら ( 本当は家庭 教師が一番い 他の国の人とけでなくてもいい。 どこへでも行いと思ってい は言葉の壁がいい。今は団く。るが、それは ある。 地の活動には無理な話だか ・勉強という より、楽しく 全て参加して いる。情報は ら) ・日本語の勉 遊べる所。 ポストに入っ強ができると ・情報が得らてくるちらしころ。 れる所。や、団地のポ・近い所。交 スターから得通費は自己負 る。 担だから。 D とF (M)以外は、そのような場が存在すること自体知らないという。調査協力者の地 域にどのような団体がどれだけあるのかまで調査しなかったのだが、少なくとも調査2 の 対象者となったA(W )が在住する最寄り駅の近くに帰国者向けのボランティア教室がある 35 ことがわかり、電話をかけてどのような活動を行っているのか聞いてみたところ、担当者 の話では、A夫妻は以前、そこで勉強したことがあるということだった。A(W)は「区の 帰国者向けの教室で勉強したことがある」と言っていたが、それがこのボランティア教室 だったようだ。また、F(M )は在住市にはないと断言したが、後で調べたところ、市内に 複数のボランティア教室があることがわかった。地域で行われているボランティアやサー ビスの情報が届いていないことは安場・馬場・平城(1997 )のニーズ調査と同様の結果と なった。 以上から、交流を目的としたボランティア教室などを経験したことがある調査協力者は いないことがわかり、「どんなものなら行きたいか」と聞かれてもイメージができなかった と思われる。回答は馬場(200 1)を参考に「交流会、中国文化を紹介する場、日本文化を 紹介してもらう場、自分と同じ趣味を持つ日本人との活動、日本語学習の場」からの選択 としたが、日本語に関しては、現在夜間中学で学んでいるためか、中学に在籍していない F(M) 以外からは出てこなかった。注目すべき点は、選択肢になかったにも関わらず複数 回答あったのが交通費を意識した発言である。交通費の問題についてはT4や馬場(2000) も言及しており、生活保護で生活する高齢帰国者には非常に重要な問題であることがわか った。現在のところ、F(M )以外は、日本語の学習と交流が同時にできる夜間中学に所属 しているので、さらに別の交流の機会は求めていないようだった。経験がないので、求め ようもないというのもあるだろう。 a-2. 行動ネットワーク インタビューから、行動ネットワークは大体買物、病院、市/区役所、入管、法務省、電 話、道に迷う場面に分類されることがわかった。 36 表3-11 行動ネットワーク 日本語の使用場面があるはゴシック体黒字で書かれた箇所。 「」は調査協力者の言葉そのまま A(W) B(H) D E G F(M) 買物 特に必要ない 特に必要ない 買いたいものがど こにあるかわから ない時 特に必要ない 大きな買物をする 時だけ日本語が流 暢な娘につきそっ てもらう。 特に必要ない 病院中国語が通じる病 院へ行く 中国語が通じる病 院へ行く 中国語が通じる病 院へ行く 中国語が通じる病 院へ行く ・来日2 年後から 1 人で通院してい る。わからない時 は「すみません、 かけて(書いて) ください」と言い 筆談する。 ・娘が骨折して入 院した時、同室の 患者や娘の姑と日 本語で日常会話を した。 元気なのでほとん ど病院には行かな いが行く時は「先 生、私はなになに、 熱があるんです。 何度何度、私、風 邪、鼻水、なにな に、私できます。 大丈夫。」 市/区役所 週に1 度通訳がい るので、その曜日 に行く。 必要行く前に本で何を 言うか調べてから 行く。通じない時 は筆談する。 夫が行く 簡単な言葉で伝え る。通じない時は 筆談する。 「全部日本語で。 市役所の人は頭が いい。いつも外国 人に会いた。自分 で言葉、時々、わ かる。頭がいい。 時々書いて、自分 で話す時々。わか る。大丈夫」 入管年に一度行く。書 類を出すだけだか ら困らない。 必要行く前に本で何を 言うか調べてから 行く。通じない時 は筆談する。 夫が行く 来日したばかりの 時は通訳がいた。 今は日本国籍を取 得したので必要な い。 日本国籍を取得し たので必要ない。 法務省 これから行きたい 回答なし ビザの変更など。 行く前になにを言 うか調べてから行 く。通じない時は 筆談する。 夫が行く 必要ない 必要ない 電話「日本語わかんな い。すみません」 と言って切る。 回答なし 回答なし だまって切る ほとんどかかって こない。 学校の先生から連 絡がある。先生の 日本語は聞きなれ ているからわか る。 道に迷う 道に迷った時、住 所を覚えていたの で人に聞いた。 「道を聞いた時、 『なになにまでど うやってですか。』 『信号を左曲が る、まっすぐ』わ かる」 37 グループネットワークと同様、行動ネットワークも狭いことがわかった。個人別では、 学習年数の長いF(M )とGは日常生活においてほぼ全て自分で処理している。一方、参与 観察したクラスの学習者では、Dのみが病院以外で積極的に一人で手続きなど行おうとす る態度が伺えた。B(H)も区役所や入管で日本語が必要だと言ったが、それをどのように 処理したのかまでは聞くことができなかった。A(W )とEはほとんど日本語使用場面がな いことがわかった。なお、病院に関して、本調査では「中国語が通じる病院へ行く」とい う回答が最も多く、特に困難はないということだったが、T4 のインタビューでは、学習者 に「日本語ができなくて何が一番困るか」と質問したところ「病院」という答えが最も多 かったということだった。本調査の対象者も以下に述べるように、中国語の通じる病院で は対処できない場面で困難を経験している。また、郊外に住むF(M)は、通訳に頼りたく とも通訳がおらず、来日当初から、手続きなどは全て1 人で行っていたという。したがっ て、在住地によっても日本語の必要度は変わることがわかった。 特別な例としては、Gの「娘が骨折して入院した時、同室の患者や娘の姑(日本人)と 日本語で日常会話をした。」というものがあり、この時、夜間中学を長期欠席したにも関わ らず、Gの習得が進んだことをT1も認めている。Gは先述した「夜間中学に通い続けてい る動機」の項で、「日常生活の中で日本語を学ぶことが重要」と述べているが、自身の体験 によるものと考えられる。この経験についてGは次のように述べている。 発話資料 3−1(入院した娘の看病をしながら、日本語の習得が進んだことについて) 01 G: 初めは( 相手の言うことが)あまりわからなかったが、だんだんわかってくるようになった。勉強しなければ、 という動機が高かったので、すぐできた。 02 R: 学校よりよかった点はありますか? 03 G:日本語を使わなければいけない環境があったので、学校よりいい。何を言われているのか、注意を払って聞か なければいけない。 04 R:さっきは夜間中学を卒業したくないと言いましたが、日本語の勉強のためには、夜間中学ではなく、日本人が たくさんいる職場などのほうがいいんでしょうか。(この話の前にGから「日本人がたくさんいる職場で仕事を したら日本語がうまくなる」という発言があった。) 05 G: たぶん、そうだと思う。でも逆にいじめられてしまうかもしれない。 06 R: 夜間中学は日本語のために役に立たないんですか。 38 07 G:我々にとっては、恵まれた環境はないから、夜間中学に行くしかない。 08 R: じゃあ、一番いいのは入院すること?(笑) 09 G: 病院には行きたくない。( 笑) (2002 年11 月2 日 Gの自宅) このGの事例から、習得や動機づけには自然な場面でのインターアクションが必要であ ることがわかる。これはかなり特殊な事例で、他の学習者に簡単に適応できるような例で はないが、できるだけ自然な接触場面を作り出すというのは、学校のカリキュラムを考え る上で、1つのヒントになるのではないだろうか。 全体の結果としては、習得の程度に比例して日本語使用場面が多いことがわかった。し かし、もともとのレディネスが大きく違うので比較することはできない。別の見方をすれ ば、学歴の高さに比例しているともいえる。また、性格的な要因も見逃せない。Dは人に 頼らないことについて以下のように述べている。 発話資料 3−2(性格が習得に影響している例) 01 D: 区役所へ行くのもスーパーへ行くのも全部1 人でやっている。行く前には本で調べて練習する。 02 R: 日本語ができる人と行かないんですか。 03 D: 中国人の中には親切でない人が多く、助けてくれない。日本語ができる中国人はできない中国人をばかにする。 だから、そういう人を連れていきたくない。自分はプライドが高い。日本語を勉強してそのような中国人を見 返してやりたい。 04 R: お子さんは? 05 D: 子供たちも日本語はあまりできないし、仕事が忙しい。(2002 年9 月25 日 X中学) このように、積極的に行動する学習者もいるが、消極的な学習者の場合、通訳や人を頼 れば、どうしても日本語を話さなければならない場面は、ほとんどない。特にEは、日常 生活で必要な手続きなどは全て夫(帰国2 世) が処理してくれ、「日本語ができないと不便」 と入学動機を述べているものの、一方では、「実際に日本語で不自由することはほとんどな い。入学してからクラスメートより遅れているのを意識し、追いつかなければならないと 思った」と発言している。それでは、実生活で日本語ができなくても本当に困らないのか、 あるいは困るとしたらどんな場面で困るのか質問して得た回答を以下にまとめる。 39 表3-12 日本語ができずに困った事例 A(W) ・定期売り場がわからず、日本語がわかる友人につきそってもらった。 ・9月1日から10 月1日までの定期が欲しかったのに、うまく説明できず、30 日までのものしか売っ てもらえなかった。( 注:これは1日から1日までが1ヶ月だと考えていたA(W)の誤解。通訳の説明 で誤解が解ける。) ・歯医者で抜かれたくない歯を抜かれた。 ・中国に一時帰国している間の電気代を高く請求されたが、説明ができないので、日本語のできる友人 に交渉してもらった。 ・電車を待って3 列で並んでいたのに押された。文句を言いたかったが何と言っていいのかわからなか った。(調査2からの報告) B(H) ・妻の具合が急に悪くなったが、救急車が呼べなくて、中国語ができる以前の指導員に電話をした。 ・台風の時、学校から休校の知らせがあったが、何を言っているのかわからなかった。 ・区役所で話が通じなかったが、職員が通訳を探してきてくれた。 ・孫の学校の先生とのやりとり。筆談でしている。 D 役所の担当者に言いたいことが言えない。 E ・アパートの電気が切れたが大家さんに何と言えばいいのかわからなかった。( その話を聞いた本調査 の通訳が伝えることを日本語で書いて解決した。) G ・心臓に問題があるといわれ、大きい病院を紹介されて行ったとき、医者の話が速くて何を言っている のかわからなかった。たまたま台湾人の医者がいて対応してくれた。 ・階下の酔った住人から、うるさいと苦情を言われけんかになり、区役所の通訳に対応してもらった。 F(M) ( 来日当初)区役所のある職員には自分の日本語が通じ、ある職員には通じず、日本人同士が日本語を 通訳し合ったりして大変だった。( しかし、そのおかげで職員に顔を覚えてもらえた。) 日本語使用場面の多いDとF(M)は共に役所の担当者に「言いたいことが言えない」こ とを困難としてあげているが、それ以外は非日常的なトラブルの際、困難に遭っている。 特にB(H )の「救急車が呼べなかった」という事例は、一歩間違えたら生死に関わる問題 であるが以前の指導員の助けで事なきを得ている。今回のほとんどの事例では、第三者の 助けにより問題を処理しているが、その第三者がいつでも対応してくれるわけではない。 場所、時間によって、自分の行動は自動的に制約されてしまう。A(W) は、その不便さを 改善するために、日本語を学び始めたと報告している。 b.情意ストラテジーから見た調査結果 情意ストラテジーは、「自分の不安を軽くする」、「自分を勇気づける」、「自分の感情をき ちんと把握する」、といったものだが、ここではもう少し広く、学習に対する前向きな感情 や態度を全て情意ストラテジーに含めた。それと逆に、習得の妨げとなるような否定的な 感情、不寛容な態度、受動的な意識についても扱う。 40 表3-13 学習に対する意識 A(W) B(H) D E G F(M) 情意ストラ・日本語の授・日本語の授・一番好きな・日本語の授・日本語の授・日本語が大 テジー業が一番大業は楽しい。のは日本語の業が一番楽し業が一番重好き。母国の 事。 ・早く日本語 を勉強して、 日本人と会話 したい。 ・せっかく学 ・(暗記して発 表する活動 は)集中でき る。 授業 ・(暗記して発 表する活動 は)発話のチ ャンス。 い。 ・時間がたて ばよくなる可 能性もある。 ・(暗記して発 表する活動 要。 ・遠足などの 課外活動は実 際場面で日本 語が覚えられ るからいい 言葉だから一 生懸命勉強す る。 校に来るチャ ンスもできた は)仕方なく 暗記して話す し、お金も出のはいい練習 していただいのチャンス ているから、 一生懸命勉強 したい。絶対 休まない。 習得の妨げ・覚えられな・授業は難し・記憶力の衰・日本語は全・動詞の変化・助詞が難し となる感情、い くないが、記え て難しい。が覚えきれない。 態度、意識・「ばか」 ・小学校2 年 憶力に問題が ある。 ・先生によっ て「○へ行く」 ・記憶力が悪 い。 い。 ・学校の復習 ・濁音と清音 の区別が難し 生までしか行・単語が覚えであったりはあまりしない。 ってないからられない。「○に行く」い。しても覚 字の読み書き・発音に自信だったりしてえられない。 もちゃんとでがないから他統一していなこれから日本 きない。の人に声をかいのが困る。に住むのだか ・(活動についける自信がな・文法は助詞ら、助詞まで て)なんでもい。木に向かまできっちりきっちり正し いい。先生にって練習する勉強したい。い日本語を学 言われたとおことも。発音そうでないびたい。 りにやる。したら笑われと、日本人に・宿題は多け ・宿題はあっそう。変に思われたれば多いほど たほうがい・テキストのり、マナーがいい。 い。通りに話せばないと思われ いい。自由にてしまう。 話したいとい・意志を強く う気持ちはあ持って、先生 るが、今は先から言われた 生の話をいろことは覚える いろ聞きたようにしてい い。る。 ・宿題はあっ たほうがい い。自分には 時間があり、 宿題があった ほうが強制的 に勉強できる から。 一部、動機の調査のデータと重複するが、対象者は日本語、特に夜間中学における日本 語の授業に肯定的な感情を持っていることがわかった。他の日本語教育機関を知らない対 象者にとっては相対化のできない評価であるが、国費帰国者で公的な帰国者センターや二 次センターを経験したB(H )やGは夜間中学のほうがいいと評価している。暗記して前で 発表する活動は参与観察の時点では、高齢者に適さない難しいタスクに思われたが、複数 の対象者から、「発話のチャンス」と捉えられていることがわかった。 一方、否定的な感情については、「覚えられない」、「ばか」といった自分自身の能力を問 題視する発言があった。曖昧さに対する不寛容な意識では、比較的習得が進んでいるDと Gから「助詞まできっちり勉強したい」という発言があった。またB(H )からは「他の人 に話しかける自信がない、笑われそう」、Dからは「(正しい日本語を話さないと)日本人 にマナーがないと思われる」など、「正しい日本語」を重視する態度が見られた。「先生に 言われたとおりに」、「テキストの通りに」という意識はA(W) 、B (H)、Dから聞かれた。 宿題については「あったほうがいい」という意見がA(W)、D、Gからあり、これは学習 への肯定的な態度とも見られるが、教師に学習を管理されたいという受動的な態度として、 ここでは否定的に捉えた。 以上のことから、対象者は日本語の学習そのものについては、肯定的な意識を持ってい るが、主に記憶力の衰えを問題視していることがわかった。また、一見、学習意欲とも見 られるが、「正しい日本語を話さなければならない」という不寛容な意識や、「先生の言う とおりにやればいい」という受動的な意識を持っていることがわかった。 c. メタ認知ストラテジーから見た調査結果 メタ認知ストラテジーは「自分の学習を正しく位置づける」、「自分の学習を順序立て計 画する」、「自分の学習をきちんと評価する」ことであるが、今回は「学習計画」に焦点を あて、教室外の学習の頻度、学習方法、実践の機会を自ら求めているかどうかについて質 問した。なお、表は遠藤(2003)を参考とした。 42 表3-14 学習計画に関するメタ認知ストラテジー A(W) B(H) D E G F(M) 頻度毎日2、3時不定期( 週3、毎日、2 時間く毎日、2 時間く決まっていな毎日朝4、5 時 (テレ間4 回)らいらいいから8 時まで。 ビは除夜数時間 く) 学習方 法 ・学校のテキ ストで復習 ・学校のテキ ストで復習。 ・学校のテキ ストで復習。 ・学校のテキ ストで復習。 ・娘が使用し ていたテキス ・テキストを 読む。 ・教育テレビ・中国語版の・中国で購入・平仮名、片トで勉強。電・教材テープ で子供向けの日本語テキスしたテキスト仮名を書く練車の中で見をよく聞く。 日本語番組をトを使って単を使ってい習。る。・散歩しなが 見る。語を覚える。る。・テレビからら単語帳を見 ・単語帳を作単語を覚える。 成。る。・電車の中で ・教育テレビ単語を覚え の中国語講座る。 を見る。・看板を読む ・物にラベル を貼る。 実践の 機会を 勉強してか ら区役所、入 電話をかけ る前に本を見 ・勉強してか ら市役所へ行 求める管、法務省へる。く。 行く。・中国語がで きる日本人に 対してもなる べく日本語で 話しかける。 表3-15 日本語習得に関わる物的ネットワーク A(W) B(H) D E G F(M) 学校で使用している教材 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 学校で使用している以外の教材 ○ ○ ○ ○ ○ 教材用テープ ○ 辞書 ○ 一般図書・雑誌 新聞・広報 ○ ○ テレビ ○ ○ ○ ○ ○ 全ての対象者から、インタビューを行った時点では教室外でも勉強しているという報告 があった。その勉強方法は全員がテキストを使用して行っており、勉強というのはテキス 43 トを使ってするものという強い意識が見られる。辞書はF(M )以外は使用していない。教 師のインタビューでも、ほとんどの学習者が辞書は使用していないという報告があった。 また、区の広報紙を見るというB(H) と新聞「赤旗」を定期購読しているというD以外、 新聞や雑誌、本など、文字を媒体としたものは日本語でも中国語でも読まれていない。こ れは、日本語力の問題以上に、識字の問題があるのではないかと思われる。それに対し、 テレビは、ほとんどの学習者が見ており、A( W)、B(H )は、それぞれ、子供向けの番組、 日本人向けの中国語講座を見るということで、テレビを日本語の学習に生かそうとする意 識的な働きかけがうかがえる。また、Gからも、テレビから単語を習得したという報告が あった。識字力に問題のない漢字圏の学習者の場合、テレビの字幕を見ながら音と結びつ けるというのは、語彙を増やすのに有効であるようだ。普段、日本人が話している場には ほとんど現れず、中学校でも授業中以外は中国語の環境にある彼らにとって、テレビを視 聴するのは、自然な日本語を聞く数少ない機会であるといえる。しかし視聴覚という点に おいて、テープを利用しているのはF(M )だけであった。また、夜間中学の比較的若い学 習者を対象とした原田(2003 )では、携帯電話やEメールなどのツールを通して、中国の 大学生を対象とした坂本(200 2)では、漫画、ドラマ、音楽など日本語サブカルチャーを 通して、日本語を自然習得した例が報告されているが、今回対象とした学習者からは、そ のような報告はなかった。実践の機会を求めることに関しては、6 人の中で習得が最も進ん でいるF(M)と、比較的進んでいるDとGからは、市/区役所に行くときや、電話をかける 前に、何を言うべきか勉強(場面シラバスのテキストを見る)するという事前調整を行っ ていることが報告された。 d. 補償ストラテジーから見た調査結果 インタビューの回答から確認された補償ストラテジーは、漢字圏の学習者のメリットで ある「筆談」だった。ただし、中国語の識字に問題のあるA(W)やEはこのストラテジーが 使えないようである。また、補償ストラテジーは、コミュニケーションを継続するために 目標言語の不足を補うためのストラテジーであるが、全体として、中国語の通じる病院に 行く、通訳を頼る、中国語ができる友人とつきあう、など、始めから日本語を避けている ことが多い。また、A(W) は電話で「日本語わかんない、すみません」、Eは黙って切ると報 告しており、不足を補うより、始めから回避しようとする態度がうかがえる。参与観察で も、対象者たちは中国語を解するT1 へは中国語で話しかけていたが、中国語をほとんど解 44 さないT3 へ対しても中国語で話し、T3 のほうが推察力を働かせて学習者の言うことを理 解しようとしている場面が観察された。 表3-16 補償ストラテジー A(W) B(H) D E G F(M) 「日本語わかん孫の先生と筆談区役所、法務省、全て回避病院、区役所で市役所で筆談 ない、すみませ入管などで通じ筆談 ん」という。ないときは筆談 e. 認知/記憶ストラテジーから見た調査結果 一部、メタ認知ストラテジーのデータと重複するが、全体的に読む、書くに偏っている。 暗記にイメージを使うかという質問には、全員「使わない」という回答であった。ただ、 中国語と日本語で似た発音の場合は、その知識を応用している様子は参与観察からうかが えた。また、1 年近くたっても平仮名と片仮名が書けないEは、ひらがなで書かれた単語の わきに、似た発音の中国語をメモする場面が観察された。 表3-17 認知/記憶ストラテジー A(W) B(H) D E G F(M) 学校で勉強した・単語帳を開いテキストの単語・平仮名、片仮・電車の中でテ・テキストを読 ことを書く。 (調査2 の観察 て黙って見なが ら書く。 を見ながら書 く。 名を書く練習を する。 キストを見る。 ・暗記するとき む。 ・教材用テープ から) ・単語帳を見て・暗記するためは声には出さずを繰り返し聞 声に出して覚えに、黙って繰り書いて黙読すく。 る。返し書く。る。・電車の中で単 語を覚える。 ・物にラベルを 貼る。 3−4 考察 3−4−1 動機に関する考察 インタビューの結果から、一部の高齢帰国者は、一部の教師や日本語教育関係者が考え ている以上に、日本語習得に対して強い希望を持っていることがわかった。しかし、ここ で「教師は学習者のことがわかっていない」と早急に結論づけることはできない。長年、 高齢帰国者を教えてきた教師の言葉には無視できないものがある。そこで、以下にインタ ビュー調査と参与観察から推測された教師と高齢帰国者に意識の差について考察する。 45 (1 )外側から見た高齢帰国者の生活環境と、夜間中学の持つ特徴が、高齢帰国者の日本 語習得への希望を見えにくくしている。 人間の動機について研究したマズロー(1971) は人間には5つの基本的な欲求があると いう。低次の欲求からまず第1 が、食欲、睡眠、身体的快適さなど人間の最も基本的な欲 求・衝動である「生理的欲求」、第2 が苦痛、恐怖、不安、などの危険を避け安定した人格 状態を保とうとする「安全の欲求」、第3 が他者を愛し愛されたい、集団に所属したいとい う「所属と愛の欲求」、第4 が自己に対し、高い評価や尊重、承認を求める「承認の欲求」、 そして第5 が、最も高次で、最も人間的とされる「自己実現の欲求」である。 夜間中学の高齢帰国者を見ていると、第一段階の生理的欲求以外満たされているとは言 えないように見える。そして、夜間中学は少なくとも「安全の欲求」、「所属と愛の欲求」、 「承認の欲求」を満たせる場であるように思われる。 まず、第2 の「安全の欲求」について、高齢帰国者の生活を見ると、経済的な不安、健 康に対する不安、言葉が通じないことへの不安など様々な「不安」があることがわかる。 夜間中学がこれらの問題を解消してくれるわけではないが、少なくとも学校では経済的な 問題や言葉の問題で不利益を被る心配はなく、高齢帰国者に大きな安心感を与えていると 考えられる。また、教師によっては勉強を教えるだけでなく生活支援なども行っており、 高齢帰国者が安定した生活を営む助けをしている。 次に第3 の「所属と愛の欲求」であるが、今回対象となった高齢帰国者は、仕事もなく、 日本人の友人もほとんど持たず、日本社会で孤立している。そのような高齢帰国者達にと って、夜間中学は彼らを無条件で継続的に受け入れてくれるほとんど唯一の機関である。 日中友好協会の会員になっている帰国者もいるが、活動は非継続的なため「所属」の意識 はそれほど強くない。特に義務教育を終えられなかった人々にとって、「学校への所属」は 大きな意味があるとも考えられる。さらに次のようなエピソードもある。調査に協力して くれたA(W)、E、Gは、インタビューの後日、手作りの麻花(中国の菓子)や餃子、キ ムチなどを作って中学に持ってきてくれた。調査者としては、調査に協力してもらい感謝 していたので、逆に手作りの物などもらって少し驚いた。特にGは参与観察の対象者では なく、一度自宅へインタビューをしに行っただけだったのに、わざわざ携帯に電話をくれ、 夜間中学へいつ来るか確認までして手作りのキムチと餃子を持ってきてくれた。この出来 事は大変喜ばしいものではあったが、見方を変えると、ほんの少し接触した調査者に親し 46 みを持つというのは、関心を持たれた喜び、あるいは寂しさの裏返しなのではないかと思 われた。 また、就学歴の少ない高齢帰国者の中には、そのことにコンプレックスを持っている者 もいる。加えて、日本においては仕事もなく経済的にも困難を抱えており、このような条 件のもと、自尊感情を保つのは難しいと考えられる。しかし、夜間中学では自分と似た境 遇の学生がおり、劣等感を感じずにすむ。教師たちも学習者一人一人を尊重し親切に接し てくれる。そして、少しでもいい成績をとれば、他の学習者に対し優越感を持つこともで きる。これは恐らく、若者や学歴の高い学習者と共に学ぶボランティア教室などでは満た せない第4 の「承認の欲求」であろう。 以上は実証から得た結果ではなく、参与観察を通しての仮説であり、実際のところは、 対象となった高齢帰国者からこのような夜間中学の持つ様々な機能を意識した発言は、ほ とんど聞かれなかった。とはいえ、夜間中学を単なる日本語の学習機関以上の存在と考え る教師の視点も非常に重要だと考える。しかし、このような長所が強調されることで、逆 に高齢帰国者の「日本語ができるようになりたい」という希望が見えにくくなっているの ではないだろうか。 今回は対象者が少数であったし、インタビューの仕方も表面的な質問であったため、こ こで結論を出すことはできない。この仮説を実証するためには、より専門的な心理学から のアプローチが必要であろうが、ここで少なくとも、一部の高齢帰国者は、意識レベルで は一部の教師や日本語教育関係者が思っている以上に、日本語習得への強い希望を持って いることがわかった。 高齢帰国者の生活環境夜間中学 ・経済的困難 ・病気がち い。 ・地域からの孤立 ・時間的な余裕がある。 会がなかった。 る) まっている。 ・熱心で親切な教師 ・平日毎日通える。 ・遠足などの行事 ・公立の義務教育機関。 ・人的ネットワークが狭 ・義務教育を修了する機 ・授業料無料(給食も出 ・似た環境の帰国者が集 図3-3 高齢帰国者と夜間中学の関係 47 (2)モチベーションが維持できない。 インタビューから高齢帰国者の日本語習得への強い希望を知った。実際、参与観察にお いても、学習に取り組む高齢帰国者の熱心な姿が観察された。しかし、1 年にわたる縦断的 な参与観察を通して、一部の学習者においては、明らかにモチベーションが下がっている と判断される様子も見られた。そのような事実と、教師の経験から得られた話を合わせて 考察すると、入学当初、大きな学習意欲を持って入学する学習者も、時間がたつと共に、 モチベーションがさがってしまうことがわかった。「日本語ができるようになりたい」とい う気持ちを維持するためには、具体的な動機づけが必要であろう。しかし、インタビュー の結果から明らかになったように、対象者の日本語のネットワークは非常に狭く、日本語 をどうしても使用しなければならない場面はほとんどない、日本語で話す友人も少ない、 仕事もない、交通費の問題で行動範囲を広げることもできない、また、学習に慣れていな いこと、記憶力が衰えていることなどから、努力して勉強してもなかなか習得できず、達 成感が得られない。このようなことから、学習者はタイプによって少なくとも3つの方向 に向かうのではないかと考えた。 ひとつは少ない習得で満足するタイプ。「習得できない」といっても、全くできないわけ ではなく、4 月の入学時に比べると成果は見られた。したがって、そのわずかな習得で満足 できるタイプ。次に学校に来ることが目的化してしまうタイプ。教師が言うような心の癒 しでも仲間を求めてくるのでもなく、勉強している自分に自己満足するタイプ。例えば、 夜間中学でもテストがあるが、T1やT4の話では、テストの前になると学習者は必死に 勉強するという話があった。T4のクラスではカンニングの問題が深刻であることや、テ ストができない学習者が泣き出してしまったという事例が報告された。T1は学習者が点 をとれるように、事前に内容を教えたり、簡単なテストを作成しているが、A(H)などは、 テストの意味を理解しないまま丸暗記をし、点をとって嬉しそうにしていた。また、クラ スの中で成績のいいDなどは、他の学習者が答えられないときに中国語で解説をする姿が 観察された。これは優越感を得、自尊心を高めるチャンスになっていると考えられる。最 後のパターンとして、学習そのものをあきらめてしまうタイプ。期待を抱いて入学したも のの、思ったような成果が得られず、学習をあきらめてしまう学習者もいるようだ。ただ し、高齢帰国者の場合、身体的な問題を抱える学習者も多く、学校に来なくなってしまっ た理由が、身体的なものなのか、学習へのあきらめなのかは判断しがたい。参与観察を行 48 ったクラスでは、2 学期の時点で9 人在籍していたのが、C(W)の入院でC夫妻が来なくな り7 人になったあと、冬だったことも影響してか、体を壊して学校を欠席する学習者が目 立ち始め、3 月後半になるとA(H)、B(H)、D、F の4 人だけという日もあった。女性のほ うが肉体的に様々な問題を抱えていたということもあるが、習得の遅れているA(W) 、B(W)、 Eの欠席が目立った。教師たちは「ゆっくり」、「繰り返し」を意識し、授業に臨んでいた が、クラス授業である以上、それにも限界がある。したがって、ただでさえ授業について いけない学習者が欠席して、ますます授業についていけなくなり、次第にモチベーション が下がってしまう悪循環がある。以上、調査から推測された3つのパターンについて述べ たが、実際にはこのパターン以外にも様々な事例があると考える。 い い。 い。 的になる 満足 日本語ができるよう になりたい ・実際に日本語が必要な場面 は少ない。 ・日本語でつきあう人が少な ・効果的な学習法がわからな ・学習しても忘れてしまう。 ・体を壊して休みがちになる。 習得があま り進まな学校での学習 そのものが目 少ない習得で 学習そのもの をあきらめる 図3-5 モチベーションが変化する過程予測図 3−4−2 学習環境と学習に対する意識に関する考察 次に、学習環境と学習に対する意識に関する調査結果から考察を行う。結論から言うと、 習得が進んでいる対象者ほど、効果的に様々な学習ストラテジーを使用していた。しかし ながら、本研究は、過去の学習ストラテジー研究の主流であった「good language learner 」 (Rubin 1975) の研究ではないため、優秀な言語学習者が、どのようなストラテジーを使 用していたかには注目しない。今回の調査における「good language learner 」とは、夜間 中学の生徒ではなかったF(M)であるが、彼女と他の高齢帰国者の条件―学歴、過去の職業 経験―はあまりに違うので、彼女が使用していた学習ストラテジーを他の学習者に応用す ることは難しい。ここでは、就学歴の少ない高齢帰国者、特に、A(W) やEのような習得の 遅れていた学習者を念頭に置き、彼らにも使用できる学習ストラテジーはどのようなもの か、自分だけでは無理でも他からの援助があれば使用できる学習ストラテジーについて考 49 察したい。 (1)社会的ストラテジーからの考察 対象者のネットワークは全体的に狭くて浅いことがわかった。これは日本の高齢者にも 言えることかもしれないが、今回の対象者の場合、経済的な問題も大きいことがわかった。 文化庁が、平成13 年に行った地域の日本語教室に通う外国人を対象にした全国規模の調査 (野山 2002)によれば、「日常生活で日本語が必要な場面」(上位6 項目)は、@あいさつ をする、A場所(道順)を聞く、B食料品を買う、C食堂で注文をする、D日本人に電話 をする、E世間話をするであるが、本調査ではAが2 件、@Eが若干あったのみであった。 これらは本調査の対象者の行動範囲のせまさが原因であり、今後、変化する可能性もある が、Cの「食堂で注文をする」に関しては、恐らく今後も必要がないものと思われる。そ の理由は、全員、生活保護を受け、ぎりぎりの生活をしており、外食は全くといっていい ほどしないからである。また、同様の理由から、交通費のかかる場所へは極力行かないよ うにしているということもある。 これらの経済事情を考えると、行動範囲がせまくなってしまうのは、ある程度やむをえ ないだろう。したがって、これらの事情をかえりみず、「日本語を習得したければ、ネット ワークを広げるべきだ」とはいえない。そこで、最も身近な隣人との交際を重視するべき だと考える。隣人との交際が可能になれば、それが日本語習得の具体的な目標となり、学 習意欲につながる可能性がある。また、B(H)やGのように、家族のネットワークがある 場合は、それを利用すべきである。遠藤(2003 )の報告でも、子供が幼稚園に入園し、幼 稚園とのネットワークが出てきた配偶者の話がある。 社会的ストラテジーから見た支援の可能性としては、支援者が高齢帰国者のネットワー クを広げる橋渡しをすることが考えられる。馬場(1998) では、促進センターを退所した 主に2 世を対象として、在住地に近いボランティア日本語教室を紹介しているが、高齢帰 国者の場合、情報を与えるだけでは、自分から行動することは難しいだろう。そこで、高 齢帰国者とネットワークの仲介をする第三者がいることが望ましい。藤田(2002) では「メ ディエータ」、原田(2003)では「コネクター」と呼ばれる仲介者の重要性が指摘されてい るが、このような仲介者が高齢帰国者にとっては特に必要だと考える。 しかし、これは実際にはなかなか難しい。より実行可能なものとして、夜間中学の授業 に、社会的ストラテジーが使用できるような場面を作り出すことができないだろうか。例 50 えば、原田(2003 )の提言にもあるが、外部から人を呼んで、自然なインターアクション 場面を増やしたり、昼間部の学生と交流したり(これについては一部の夜間中学では既に 実行されている。)授業の中で、積極的に実際場面を作り出していく工夫が求められる。た だし、ほとんど日本語でコミュニケーションがとれない高齢帰国者にフリートークなどは 難しく、一歩間違えれば、逆に自信をなくさせたり、ストレスを与えてしまうので、実行 の際には注意が必要である。これに関しては、帰国者センターで行われている交流実習が 参考になる。(佐藤・馬場・安場 1993、安場・馬場 1994 1995、安場1996、池上2002) 以 上のように、ネットワークに関しては、高齢帰国者に自力で広げることは求められないの で、支援者、この場合は、夜間中学の担当教員が、積極的に学校外の日本人と接するチャ ンスを作るべきだろう。そして、そこから新たな「支援ネットワーク」(内海・吉野 1998) が生まれてくることを期待したい。 (2)情意ストラテジーからの考察 全員、日本語を学ぶこと自体には肯定的な態度であったが、意識的に「不安を軽くする」、 「勇気づける」、「感情を把握する」といった情意ストラテジーを使用している態度はほと んど見られなかった。反対に否定的な意識としては、記憶力の問題が最も大きく、「ばか」 と自分を卑下する発言もあった。これについてはT1からも「高齢者は自分を責める傾向 がある」と報告があった。全体的に、学習には肯定的だが、自分の能力を低く見、教師の 言うことを聞けばいいという受動的な態度が見られた。 これは自律学習の視点から見るといいことではない。しかしながら、学習経験に乏しい 学習者に「自信を持て」、「能動的になれ」、と言っても不可能であろう。今回の対象者に対 しては、感情のコントロールはむしろ教師の責任であると考える。夜間中学の担当者は既 に、学習者をリラックスさせるよう「安心感を与えるよう笑顔を絶やさない」(T1)、「ず っとへらへら、にこにこする」(T3)、「難しいと恐ろしい気持ちを持たせないように」(T 4) など配慮しているが、それに加えて能力の限界以上のものを教えないということも大切 で、成功体験が自信につながるような活動が必要である。これについて、教師の意識レベ ルでは既に「教えすぎない」という共通認識が見られたが、これを感覚的なものではなく、 きちんと整理し体系的な形にしていく必要があるだろう。 また、結果の中では受動的な態度を否定的に扱ったが、「宿題はあったほうがいい」とい うのは、見方を変えれば、学習意欲としても捉えられる。宿題を通して自律学習の方法を 51 学ぶ。学習者が中学を卒業して自立するための訓練を宿題によって行うことはできないだ ろうか。ただし、その宿題は、コミュニケーション活動に結びつくようなものでなくては ならない。 (3)メタ認知ストラテジーからの考察 今回の調査では、対象者が教室外でどのように学習をしているか、実際使用の機会を求 めているかについて調査した。結果は、全員が教室外でも意識的な学習を行っていた。特 に、最も習得が進んでいたF(M)からは朝4 時、5 時に起床し学習を始めるという報告があ り、ただ単に他の対象者よりも学歴が高く、長年教職に従事していたというだけでなく、 学習の自己管理がうまく行えていたことも大きな要因であることがわかった。彼女に言わ せれば、他の学習者は「文化基礎が足りない。」「努力が足りない。一生懸命じゃない。」と いうことであったが、他の対象者もF(M)ほどではないが、自分なりの努力はしていること がインタビューから伝わってきた。ただし、その方法にはバラエティがなく、テキストと テレビに偏っている。遠藤(2003)の調査によれば、対象となった5 人の既婚女性の物的 「辞書を活用する」「漫画を読む」「子供の本を読む」、ネットワークの活用には主なものに、、、 「実用書を読む」など、「読む」ものの活用があげられているが、本調査の対象者の場合、 テキスト以外に読まれているものは、ほとんどない。中国語で書かれた雑誌や本なども読 まれていないことから、これは識字の問題も影響していると判断される。 辞書が利用できないというのは、自律学習を行う上で大きな障害になると考えられる。 しかし、外国人力士の日本語習得について研究した宮崎(2001) によれば、対象となった 外国人力士は辞書を利用せずに日本語を習得したと言う報告がある。したがって、辞書が なければ、外国語学習はできないというわけではない。外国人力士の場合は、豊富なネッ トワークがあり、わからない言葉を教えてもらったり、番付表などから漢字を習得した事 例があげられているが、高齢帰国者の場合にも、「人に聞く」というストラテジーなら使え るはずである。秋元・坂本(2002) は「援助ストラテジー」を利用して、学習者同士で「実 生活で見聞きした語彙を教えあうグループワーク」を行ったが、高齢帰国者の場合にも、 実生活の中で覚えた単語や、知りたい単語をを書きとめるのを宿題とし、後から学校で教 えあったり、教師に聞くということができるのではないだろうか。 また、Gが行っていたように、テレビから語彙を習得するというのも、高齢帰国者に適 した学習法だといえるだろう。そして今回の調査ではF(M)以外、行っていなかったのだが、 52 教材用テープを活用することも可能であると考える。ただし、市販のものがレベルに合わ なければ、支援者が自作することも考えられる。一般的に日本語の教材用テキストは、日 本語しか入っていないが、高齢帰国者には、一部の外国語教材にあるように、外国語の直 後に母語訳がついているものが望ましいだろう。調査から対象者は覚えることについて、 「繰り返し書く」という方法をとっていた。単純に「繰り返す」ということが実行可能な 方法であるならば、繰り返し「書く」よりも「聞く」ほうが負担も少なく、中国語訳が入 っていれば、意味がわからずに聞くこともない。それに実際のインターアクションに欠か せない聴解力も養うことができるのではないだろうか。 以上の学習方法の効果については実証研究を行ってみなければわからないが、ここでい えるのは、高齢帰国者の学習方法にバラエティがない理由は、学習経験が少ないことにあ るということである。識字に問題があるにしても、高齢帰国者に可能な学習方法は、様々 ある。まずは学習を支援する側が複数の学習方法を高齢帰国者に体験してもらい、その上 で、高齢帰国者が自分にあった学習方法を選択できるようにするべきである。自律学習を 意識したストラテジー訓練を教室の中で行っていく必要があるだろう。 (4)補償ストラテジーからの考察 本調査の対象者は、識字にそれほど問題がない場合には、筆談をよく利用していた。そ れ以外では、中国語にコードスイッチングしたり、始めから回避していた。宮崎(2003: 19)は、補償ストラテジーは「適切な調整ストラテジーが選択できない場合の緊急避難的 問題解決法」ではないかと問題提起し、「根本的なインターアクション問題を解決せず、問 題を不完全なまま残してしまう可能性がある」と否定的に見る。しかしながら高齢帰国者 の場合、高いレベルでの言語習得は不可能であり、目標は言語を習得することそのものよ りも、日本で生きる力を習得することであるといえる。帰国者センターでは、学習者にコ ミュニケーション・ストラテジーについて伝え、その意識化をはかるのを目的に、ジェス チャー、筆記、絵など、どのような手段を使用してなんとか意思の疎通をはかる「日本語 面接」という活動を行っている(池上 2002)。帰国者センターを退所した後の帰国者を支 援する山内(1994) もコミュニケーション上の障害がある間は、言語的、非言語的方策の 両方を学ぶ必要があるという。特に言語能力の限界を克服できない高齢帰国者の場合には 補償ストラテジーは避けるよりも、むしろ積極的に利用するべきだと考える。日本語を回 避しても、日本社会を回避し、「引きこもり」にならないよう、ほんの少しでも彼らの世界 53 が広がるよう言葉を超えたコミュニケーション訓練が必要だろう。 (5)認知/記憶ストラテジーからの考察 対象者が利用していた認知/記憶ストラテジーは、黙って繰り返し書く、黙って読む、 というのがほとんどであった。複数の教師からは、「学習経験の少ない高齢帰国者達は書く と勉強した気になる、達成感につながる」という指摘があった。オックスフォード(1994: 188)は、「教師が学習者の古いストラテジーは役に立たないと考えても、新しいストラテ ジーを徐々に無理なく導入することが大切である。決して学習者の「安全で、使いなれた 毛布」を取ってしまってはならない。」と言う。高齢帰国者の場合、効率だけでなく、「成 功経験」や「達成感」が大切なので、書いたり読んだりして満足感が得られるなら、それ は一つの方法として認められるべきだろう。しかしながら、コミュニケーション能力をつ けようと思った時、黙って書いたり、黙って読むだけでは不十分である。浜田(2001:184) は「学習者がある特定のストラテジー(例えば文法中心のストラテジー)を用いている場 合、それは学習者自身の志向によるというより学習環境に起因している(例えばコミュニ ケーション練習の環境が不足している)可能性もある。」と指摘する。本研究の対象者には、 実際の日本語使用環境が限定的であることが明らかになったが、教室内で「コミュニケー ションの練習の環境」を作り出すことは十分に可能である。授業担当者はその環境作りに 配慮すると共に、学習者に新しいストラテジーを提示していく必要があるだろう。 3−5 本章のまとめ 3−5−1 学習支援の方向性 本調査の結果から、夜間中学に通う一部の高齢帰国者は、日本語習得に対して強い希望 を持っていることがわかった。しかしながら、彼らが持っている条件、環境は言語学習に 恵まれたものではなく、宮崎(2001 2003) が指摘するような学習者自身が学習を管理し、 自らの工夫や努力によって成長していける可能性は非常に小さいことが明らかになった。 浜田(2001) は、学習者中心主義で、学習の失敗を全て学習者の責任とするのは、教師 の責任の放棄を意味し危険ではないか、と危惧しているが、高齢帰国者の場合は特に、支 援側の役割が大きいと考える。確かに、「高齢」、「就学歴の少なさ」、「狭いネットワーク」 などの条件下、教室で学習するだけで日本語が高いレベルで習得できることはありえない が、限界を知った上で彼らによりふさわしい支援を行う必要があるだろう。 54 とはいえ、彼らがいつまでも夜間中学に在籍できるわけではない。中学を卒業した後は、 学習者としても生活者としても自立することが求められる。もちろん、彼らは夜間中学に 入学する以前から、既に日本で自立した生活を送ってはいたが、ほとんど家に引きこもっ た生活をしていたという。卒業後は入学前より少しでも精神的に生活が豊かになっている ことが望まれる。したがって、夜間中学で行うべき学習支援は、日本語を教える以上に、 勉強の仕方や、実生活での問題解決の仕方など、根本的なところから教えることが求めら れるのではないだろうか。 本調査から、高齢帰国者は学習ストラテジーを十分に活用できていないという以前に、 どのような学習方法があるのか知らない、あるいは1 人で実践するのは難しいことが見え てきた。したがって、支援者側が効果的だと思われるストラテジーを提示し、自律学習の 訓練を行うことが必要である。学習ストラテジーのトレーニングについての先行研究はい くつかあるが(関 1996、池上1996、齋藤 1998)、それらは、もともと学習に対するレデ ィネスのある学習者を対象としているため、本研究の対象者には応用できない。そこで「学 習ストラテジーの意識化が学習者にとって.快.と感じられるような工夫」( 斉藤・田中 1999:179)を支援者側が考える必要があるだろう。 3−5−2 どのような日本語教育をめざすのか それでは内容的にはどのような日本語を扱っていくべきなのか。現場では、学習者のニ ーズ分析の必要性を訴えているが(第48 回全国夜間中学校研究大会事務局 2002)、高齢帰 国者のニーズとは何であるのか。今回の調査から、どうしても日本語が必要な場面という のは非常に少ないことがわかった。不測の事態に困難を感じた事例があったが、ほとんど は第三者の助けにより解決していた。非日常的なトラブルを対処するというのは、日本語 能力でもかなり高度なものが求められる。ACTFL-OPI の基準で言えば、言語的に不慣れな 状況に対応したりすることができるというのは超級に求められる能力である(牧野 1999)。 したがって、助けを求めたり、拒否するための最低限の意思表示ができる日本語は必要だ が、複雑な状況に対応できるための日本語を教えるよりは、むしろ困った時に助けを求め られる友人なり、支援者なりのネットワークを持つことのほうが重要であろう。あるいは 他人の力を借りたくないときは市販されている場面シラバスのテキストを片手に自分の要 求を訴えることができるだろう。そうなると、進学するわけではない、仕事をするわけで もない高齢帰国者の学習ニーズとは何か。一般的に日常会話と言われているものだけ教え 55 ていればいいのだろうか。 これに対し、細川(2002:2)では、「学習者のニーズを優先させなければならないとい う思い込みが先行し、その結果、いつのまにか学習者の側に立ってことばを考えることと、 学習者ニーズへの対応の問題とが混同されてしまい、学習者のニーズにしたがって、教材 の記述を覚えさせるという奇妙な風土が形成されてきました。」と指摘する。そして、教室 の担当者の役割は「教室という空間において学習者自身にどのようにして本人の「言いた いこと」を表現させるか」(細川 2002:3) であると言う。地域の日本語教育のコーディネ ーター研修で高柳(2002) も、学習者のニーズというのは、氷山の一角でしかなく、ボラ ンティアがするべきことは、氷山の下にある学習者の言いたいことを引き出し、自己表現 の手助けをすることであると述べている。縫部(2001) は、外国語学習の到達目標は、マ ズロー(1971) の欲求階層説で言われている最も高次の「自己実現」であると言う。その ために、外から与えられ充足する「外発的動機づけ」ではなく、外国語学習そのものに興 味や意欲を持てる「内発的動機づけ」を高める必要があると訴え、教室活動を「人間化」 するべきだと主張する。 以上の理論は、全ての学習者にあてはまるものであるが、実際には進学やビジネスとい った目的や、学校の決められたカリキュラムのために制約を受けることが多い。しかし、 そのような制約が一切ない高齢帰国者にとって、「自己実現のための日本語教育」こそ正に 彼らにふさわしい日本語教育であり、表面的なニーズに応えるよりもずっと重要であると 考える。夜間中学の教師達は日本語とそれ以外の活動が持つ「楽しさ」や「癒し」につい て述べていたが、日本語教育そのものを「楽しさ」や「癒し」につながる活動に変えてい けないだろうか。 その方法としてどのようにして、日本語教育を行っていったらいいのか。提言として、 「学 習者の意識を変えることが重要」、「学習ストラテジー・トレーニングが必要」、「大切なの は学習者の言いたいことを引き出すこと」などというのはたやすい。しかしながら、現場 では既にその点に気がついている教師もおり、求められているのはさらに具体的な提言で ある。 調査者自身は、高齢帰国者への教授経験がなく、参与観察とインタビューだけで、これ 以上の意見を述べるには限界を感じた。理想論はいくらでも語れるがそれが机上の空論で 実行不可能であってはならない。そこで、実験的ではあるが、実際に高齢帰国者に教え、 その中からさらに具体的な提言を行おうと試みた。その試みについて次章で述べる。 56 第4章 調査2 教育実践 4−1 調査目的 研究目的( 3)夜間中学で学ぶ高齢帰国者に対し、どのような学習支援が可能か探る。 調査1から、夜間中学に通う高齢帰国者は、日本語習得への強い希望を持ちながらも、 習得がなかなか進まないことがわかった。その理由として、高齢による記憶力の衰え、学 習経験の少なさ、日本語使用環境の少なさなどがあげられるが、「だから、習得が進まない のは当然。教える方も大変だ」と否定的に捉えるのではなく、彼らによりふさわしいのは どのような日本語教育なのか、と前向きな視点から、限られた形であっても日本語を通し て自己実現できる方法を探りたい。 そのために、日本語の学習で具体的にどこに問題が現れるのか、どのような学習方法や 活動なら無理なく行えるのかなどを知らねばならないが、参与観察とインタビューだけで は限界があった。そこで、調査者自身が高齢帰国者に対し、教育実践を行うことにした。 とはいえ、夜間中学の教員ではない調査者が、実際教壇に立つのは不可能であるため、今 回はインタビューに協力してくれた学習者の中から、A(W) に協力を依頼し、プライベート レッスンを行う形でデータを収集させてもらった。もちろん、学習者にはそれぞれの学習 スタイルや性格、能力の違いもあり、A(W) 1 人の実践を通して、「夜間中学で学ぶ高齢帰 国者に対する学習支援」を語れるものではないが、それをふまえた上で、なんらかのヒン トを求めて教育実践を行うこととする。 4−2 調査概要 4−2−1 調査対象者 調査1の対象でもあったA(W)。 A(W):57 歳。小学校2年生中退。夫の母親が中国帰国残留婦人。 来日は1997 年、夜間中学入学は2002 年4 月。その間、帰国者向けの教室で数回レッス ンを受けているが、中学入学の時点ではほとんどゼロの状態だった。2002 年7 月に約3 週 間中国へ戻ったこともあり学習が遅れた。参与観察を行ったクラスの中では、夫のA(H)と 並び、最も学習が困難に見えた学習者であった。教師たちもA 夫妻を学習困難な学習者と 見ており、T3 へのインタビューでも習得の進まない学習者の例としてAが挙げられている。 57 (ここではA(H)とA(W)のどちらを指しているかわからないが、二人ともこの内容に該当 する。) T3 へのインタビューより たとえば、A さん、A、ほかの方でもいいんですけれど、その・・・たとえば、「何」とか「昨日」とか「今日」とか、 そういうのは、ふりかえると、一学期からずっと教えてる。結構、最初のうちは、まあ、黒板に書いたりして説明して いたんですけど、やっていいのも2,3 回だと思うんですよね。ほかの方との兼ね合いがあるので、ずーっときてるんだ けど、入ってないのかな。そういうときに、その、学習効果っていうものを見てしまうと、まあ、教える側の人間とし ても煮詰まってしまうところがあるんですけれども、泣きそうになるんですけれども、だから、まあ、別に日本語話せ なくてもいいんじゃないっていう・・・(2003 年2 月24 日) 4−2−2 A(W)を対象者に選んだ理由 A(W)を対象者に選んだ理由はいくつかあるが、まず、参与観察を行う時の席がA(W)の隣 であったことから、授業中、練習相手になったり、わからない箇所を説明することを通し、 他の学習者よりもラポール形成がうまくいっていたこと、そして、学歴が低く、母語の識 字にも問題があり、クラスの中で特に学習に困難を持っていたことが理由である。調査の 実施を考えれば、比較的成績がよく、習得が進んでいたB(H)やDを対象としたほうが、ス ムーズに行えることは容易に想像できたが、学習支援を考えるにあたり、より困難の大き い学習者を対象にしたいと思ったことからA(W)を選んだ。なお、夫のA(H)も教育実践を 一緒に行ったが、今回はより学習に積極的であった妻のA(W)に焦点を当てることにした。 4−2−3 調査方法 調査者自身が夜間中学で実験授業を行うことは、立場上不可能であったため、プライベ ートレッスンの形で教育実践を行った。まず、調査1で通訳を担当してくれた中国人留学 生に、電話で調査協力を依頼してもらい、録音の許可も得た。その後、2002 年12 月末か ら、2003 年4月上旬にかけ、9 回にわたる教育実践を行った。場所はA 夫妻宅。時間は平 均2時間半から3時間で、内容は録音し、分析の対象となると判断した箇所を文字化した。 調査者自身は中国語が中級程度できたので、レッスンは日本語と中国語で行ったが、A(W) の発言で重要と思われる箇所で正確に聞き取れなかったものについては、中国人留学生に 後日テープを聞いて翻訳してもらった。だが、A(W)は方言が強くまとまりのない話し方を 58 したこと、問題の箇所だけを聞いてもらったので前後の文脈がわかりにくかったこと、録 音そのものがうまくいかず雑音がかなり入っていたことなどから、翻訳が不可能なものも 多々あった。 内容については、初級レベルのインターアクションも困難なA(W)には、予め設定された 実験タスクは不可能であったこと、調査を行う時点で学習支援としてふさわしいと予測さ れる方法が確立できていなかったこと、同じタイプの学習者を対象とした先行研究が見つ からず仮説が立てられなかったことなどから、特別な計画は立てず補習のような形で自然 に行った。実践を行う心構えとしては、「対象者の心理的負担になるようなことはしない」 ということだけ決めた。そこで、レッスンの準備はしても、A(W) の気分次第で中国語で雑 談をしたり、テレビを見たり、学校の宿題のわからないところを説明したり臨機応変に行 った。 以下、実践の概要、各実践の内容と注目した点、実践から見えた学習者の問題点、考察、 まとめ、という構成でまとめる。なお、A(W)、A(H)は混同しやすいため、以下A(W)を「W」、 A(H)を「H」と表記する。また、文字化資料で中国語の箇所は、日本語との区別を明らか にするためピンインで表した。それ以外の記号については以下に示す。 【文字化資料の記号等の意味】 R :researcher (調査者) P :pengyou( 朋友) A 夫妻の友人 V :visitor 調査者の友人 [ ] :日本語訳 ( ) :補足説明 @ :聞き取り不可能 語末の「?」:疑問 「?」のみ:こちらの日本語を理解していない A 子さん :Wの名前 A 男さん :Hの名前 59 4−2−4 実践概要 以下の表に実践の概要をまとめる。 表4-1 実践概要 回数実施日内容 1 回 12 月29 日 W のレベルを探る。 語彙の定着を見るために、絵カードを使って日常用語、動詞、形容詞を言ってもらう。 2 回1 月6 日一緒に餃子作り/前週の復習/私の1 日/学校の冬の宿題を手伝う。 3 回1 月18 日基本動詞の復習/市販教材を使用してカルタ 4 回2 月16 日学校の課題、山手線の駅の読み方/絵カルタ(自作)/私の1 日 「好きです」「ほしいです」「〜たいです」 5 回2 月23 日絵カルタ→大きく作り変え/私の1 日/名詞の絵カルタ 「好きです」「ほしいです」「〜たいです」復習 学校の補習「〜てください」「〜のが好きです」「〜ないでください」 聞き返し「日本語でなんですか」 6 回3 月2 日絵カルタ/私の1 日/ 学校のテスト勉強/学校の復習 7 回3 月9 日絵カルタ/私の1 日/ 学校のテストの復習/ビジターセッション 8 回3 月16 日絵カルタ/私の1 日/ 疑問詞を使ったQ&A 9 回 4 月19 日絵カルタ/私の1 日/ 疑問詞を使ったQ&A/身の回りのものにラベルを貼る。 4−3 各実践の記録 第1回 12 月29 日 12 月17 日に、夜間中学の参与観察を行った記録によれば、この日学校では希望の「〜に なりたい」をメインに勉強している。しかし、このころW は学校を休みがちであったこと、 出席していても理解できている様子は見られなかったことから、まず、W のレベルを知る ことを目的とした。手順としては、既に勉強したと思われる基本的なあいさつ言葉、動詞、 形容詞を絵カード(スリーエーネットワーク作成のものと自作のもの)を使って言っても らった。以下にチェックした語彙をまとめる。 60 表4-2 語彙チェック 正しく言えたヒントを与えて言えた部分的に言えた言えなかった あおはようございますはじめまして、どうぞよおかえりなさい(「おかいいえ(「どういたしま いこんにちはろしくお願いします。えま」) して」の意) さこんばんはおやすみ誕生日おめでとう( 「誕すみません(呼びかけ) つさよなら生日」) いってらっしゃい ・ありがとうございます結婚おめでとう(「結いってきます よすみません(謝罪) 婚」) いい天気ですね。 くごめんなさいそうですね。 使いただきますよいお年を うがんばっておけましておめでとう 日大丈夫?ごちそうさまでした 常あぶないのどが渇いた 用どうぞ眠い 語頭痛いいらっしゃいませ おなか痛いおなかがすいた おなかがいっぱい 動 詞 そうじします さんぶします(許容) 食べます 行きます 勉強します 書きます 読みます 見ます(「見てくださ い」) 釣りをします(「つり」) 買物をします(「買物」) 来ます(「かき」) 飲みます 起きます 寝ます 帰ります 買います 聞きます 写真を撮ります 形 容 詞 小さい 高い 安い 長い 白い 赤い 大きい(「おきます」) 短い( 「みじかし」) 黒し( 「ふろい」) 遠い/近い 太い/細い 背が高い/低い 青い 熱い 難しい 冷たい(「涼しい」) 面白い(「おろ」) 易しい 簡単 ハンサムいい 悪い 新しい つまらない(「しらな い」) 古い( 「くるい」) 高い/低い おいしい/まずい 塩辛い ヒントを与えて言えた:始めの1,2 文字を教えた。 何を表す絵かわからないときは中国語で意味を言うか、ジェスチャーし、それで言えたものは「正しく言えた」とした。 あいさつ・よく使う日常用語については、使用頻度が高いと思われるものは、ほぼ定着 しているようだった。特に「頭痛い」「おなか痛い」だけは、他の言葉を言うのに考え込ん だり、つっかえたりしていたのに比べ非常に反応が早く、生活の中でよく使用するものだ ということがうかがえた。藤野・内藤(2002) でも、「高齢者は常に、誰かがどこかいたい という現象がある」ということで、ロンドン橋の替え歌で体の部位を覚える方法が紹介さ れている。 一方、動詞、形容詞は、ごく基本的な語彙と思われるものも定着していなかったが、こ のタスクで測れるのは、語彙力のみであって、実際のコミュニケーション能力は測れない。 そこで、こちらから以下のように質問をしてみた。 発話資料 4−1 (基本的な語彙が定着していない例1) 61 01 R : 朝何時に起きますか。 02 W:ん? 03 R: 朝、何時に起きますか。 04 W:朝、朝 05 R:zaoshang [朝]、起きます 06 W:ああ、zaoshang shi、きます。[ああ、朝は「きます」] 07 R:jidian [何時]、何時に起きますか。 08 W:jidian 09 P:( 中国語で説明) 10 W:きゅ、 11 R :ん? 12 W:くじ、くじ、jiudian [9 時] 13 R: くじに起きます、qichuang [起きます] 14 W:あ、くじ、くじ、jiushi 、jiudian 、jiudian 、qilai、[・・・9 時、9 時、起きる]うん 15 R: うん、今日は? 16 W:今日? (2002 年12 月29 日) 前頁の表を見ると、「起きます」が定着していないので、それを文にして言っても通じな いのは無理もないが、「朝」、「何時」、「今日」といった基本的な語彙も定着しておらず、前 述したT3の発言を裏付ける結果となった。また、以下のようなインターアクションもあ った。 発話資料 4−2(基本的な語彙が定着していない例2) 01 R: 明日は上野に行きます。(W が明日友人と上野に行くと聞いて) 02 W:あー(通じていない) 03 R: 明日は何を買いますか。 04 W:? 05 R:明日 06 W:明日、いっしょ、上野、いっしょ、 07 R: 何を買いますか。 62 08 W:@@9 時、zou、zaodianr、zou zou.[ 少し早い時間に出かけます] (2002 年12 月29 日) ここでも調査者が、うっかりまだ定着していない「買います」を使ってしまったため、 インターアクションは失敗している。W は「買います」を聞き返す代わりに、意味のわか る「明日」から、「明日何をしますか」と推測したようである。しかし、答えは「明日、い っしょ、上野」と単語の羅列になっており、「行きます」という動詞は出てきていない。 そして、この日、W から自発的に出てきた言葉は、、、 「ぶたにく」「いっしょ」「やおや(で)」 「大丈夫」、「重い」のみであった。 以上より、W が、ごく基本的な語彙もまだ定着していないこと、話すほうも聞くほうも 単語のレベルを超えていないことがわかった。しかし、ここでは文法の習得を問題にして いるわけではない。「明日、いっしょ、上野」であっても、聞き手が推測して、「明日、友 達と一緒に上野に行く」と理解できれば問題ない。問題は、「今日」や「買います」などの 基本的な単語がわからず、コミュニケーションに支障をきたしてしまうことだと考える。 夜間中学では1 年近い間に、既に基本的な文型や語彙は教えられている。しかし、それ がW には身についていない。そこで、どうしたら基本語彙が定着できるのか、考えること が課題であると思われた。 第2回1 月6日 この日は昼ごろ訪問し、餃子を作っていっしょに食べた。台所でいっしょに作りながら、 W が「○○zenme shuo? 」[○○はなんと言いますか]と聞いてくる場面が目立った。聞か れた単語は「塩」「油」「ピーマン」「スプーン」「きゅうり」「固い」など、料理に関係する ものであった。これは、実際場面に即した社会的ストラテジーの使用で、前章で述べた「人 に聞く」という語彙の習得方法につながるものである。ただ、この場面でW はメモをとる などしなかったので、これが習得に結びつくと考えるのは早計であろう。 餃子を食べた後、学校の冬休みの宿題をチェックしてくれるよう頼まれた。(この時はH のものを確認した。) 宿題は筆記式のもので何十枚もあったが、ほとんど終わっていた。(あ とで担当のT1に聞いたところ、内容は二学期にやった練習問題と全く同じであったとい うことだ。) 識字に問題のあるA 夫妻にとっての書く困難を考えると、この宿題をやるのに 相当時間がかかったと思われる。しかしこのような努力にも関わらず、なかなか習得が進 まないのはなぜだろう。その理由の一つは、意味を解さないまま書いていることにあるこ 63 とがわかった。たとえば、以下のような練習問題があった。 → れいなにをかいましたか。 (しろ・くつ、くろ・かばん) →しろい くつと くろい かばんをかいました。 練習問題きのうは なにを きましたか。 (しろい・スカート、あかい・ブラウス) ここで、H は、正解の「しろいスカートとあかいブラウスをきました」はきちんと書け ていた。しかし、その意味についてたずねると、全く理解していないことがわかった。 発話資料 4−3(意味がわからず練習問題を解いていた。) 01 R:yisi mingbaima? 「しろい」shi shenme yisi? [ 意味はわかりますか。「しろい」は何ですか。] 02 H:しろい? shenme yisi? [「しろい」?何の意味?] (2003 年1 月6 日) Wも同様に、意味がわからずに書いていた。意味を尋ねると、中国語で、[意味は全然わ からない]と答えた。このような問題形式自体はよくあるものだが、意味がわからなくても できるというところに大きな欠点がある。A 夫妻にとっては、とにかく「先生に言われた宿 題をこなすこと」が中心になっており、肝心の内容にまで考えが及んでいない。これでは どんなに努力して宿題を「書いて」も、習得には結びつかないだろう。また、学習に慣れ ている学習者であれば、わからない単語を辞書で調べたり、文法書を見て確認することが できるが、辞書をひいたり、文法書を読むことができない学習者にとっては、このような 練習問題をきちんと理解しながら自学習するというのは不可能である。辞書や文法書を使 わなくても、自宅でできる学習方法を考える必要がある。 第3回1 月18日 基本的な動詞の定着をはかる試みをした。なるべく文字を使わずに行おうと思うと、絵 を使うことが考えられたが、大きな絵カードだと、教える側が主導権を握ってしまうので、 自律学習も考慮に入れた小さなカードを使用した。使用したのは『初級日本語ドリルとし てのゲーム教材50』の「あなたの友達はダンスをしていますか」(p51) で、本来現在進行 の「〜ています」に使用されるものだが、これで動詞の基本形を練習した。やり方として、 64 紙を1 枚1 枚バラバラに切り、その後ろに日本語と中国語の意味を書いた。 まず、調査者が紙を1 枚ずつ見せながら、日本語で何というか確認し、2 回練習したあと、 机の上にカードをばらまき、調査者が言ったものをカルタのようにとる、ということをし た。これは夫婦2人でゲーム感覚で競い合うことができ、楽しんでやってくれた。そして、 次に、W が言って、H がとる、終わったらその逆、ということをし、そのカードを「家で 勉強してください」とそのまま渡した。後ろに文字情報を書いたのは、監督者がいなくて も、自分達で勉強できるようにするためである。W は母語の識字にも問題があると先述し たが、全くわからないわけではなく、わかるものもある。また、H は母語の読み書きにつ いては、W に比べてできたので、中国語訳も書いておいた。以下に使用した絵カードを添 付する。 『初級日本語ドリルとしてのゲーム教材50』(p.51) 表 裏 <実物大> 65 第4回2 月16日 調査者がA夫妻の家へ行くと、Wは学校で山手線の読み方を勉強したと言って、プリン トを出してきた。彼女はそれを勉強した日、学校を休んだので教えて欲しいということだ った。Hはその授業があった日出席しており、プリントにも書き込みがされていたが、W は[この人のものはあてにならない]と言い、調査者に正答を求めてきた。そこで、一つ 一つ読み方を教えていったのだが、それを書くにはかなり時間がかかった。それは、書く ことに慣れていないから、という理由もあるが、たとえば、「日暮里」の次の「西日暮里」 は「西」以外は全部同じだと言っても、Wには通じていないということがあったからであ る。 その後、動詞の絵カルタをした。前週は市販の絵を使ったが、Wには重要ではないと思 われる単語があったり、逆に足りないと思われるものがあったので、調査者が作成した。 Wが自分のことが話せるように日常生活を表現する時に必要で、かつ中学では既習となっ ている動詞を24 選んでカルタを作成した。A4の紙を2 枚用意し、1 枚には絵を、もう1 枚には日本語と中国語で意味を書き、貼り合わせて24 等分した。その絵の意味を確認した 後で、カルタをテーブルの上にばらまき、調査者が言うものをWとHが2 人で競い合いな がらとった。その後、WとHで交互に1 人が言い、1 人がとるという活動をした。ゲーム感 覚で面白そうにやってくれたが、正答を選ぶまでに時間がかかった。その後、その動詞を 使って、Wの1 日についての質疑応答をしたが、日本語だけでは通じず、中国語を交えな がらとなった。使用した絵カルタ(2 月16 日) 66 この日は、希望の「ほしい」と「~たい」の練習もした。自分の希望を述べるのに、必要 なものだと考えたからである。夜間中学では、すでに「ほしい」「~たい」は終わり、12 月 17 日の時点では「~なりたい」の形が教えられていた。したがって、Wにとっては、「ほし い」「~たい」は復習のはずだったが、初めて見たといった反応だった。 弟5回2 月23日 この日、W は非常に積極的で、「練習した」と言って、前の週に渡した絵カルタを持って きた。実際、前週よりもスムーズにでき、調査者も驚いた。 発話資料 4−4(Wから家で勉強したという報告) ( 調査者が1 枚1 枚カードを見せて日本語で言わせた後で) 01 R: すごい!(拍手)あの、何回、jici xuexi? [何回勉強しましたか?] 02 W:[ついさっき2 回] 03 R: きのうは? 04 W:きのう、家、xue le [勉強した] 05 R: 毎日、勉強しました? 06 W: はい(2003 年2 月23 日) 06 の「はい」が05 の質問を本当に理解してのものなのか確認できなかったので「毎日」 やったのかどうかについてはわからないが、とにかく家で学習し、前回よりも習得が進ん だ。成績そのものはそれほど大きく変わっていなかったのだが、反応は明らかに早くなっ た。また、何度かやった「私の1 日」も、これまでは調査者が一つ質問し、Wが答え、調 査者がまた質問する、というQ&Aであったが、この日は、調査者が「今日、何時に起き ましたか」と質問した後は、こちらが何も言わずとも、自発的に順を追って話した。途中 で中国語になったところは、調査者が日本語で言い、Wはそれを繰返した。 発話資料 4−5 (自発的に1 日の生活について話す) W :起きました、8 時、起きました。10 時、ごはん、(略)11 時から電車を(略)qu shi [ 行く]としまえん、 としまえん、mai @@@ [ ノートを買った]、yi bai dian[100 円ショップ]・・・(2003 年2 月23 日) なかなか習得が難しいW であっても、練習を繰返すことで効果が表れた。ただし、絵カ 67 ルタで、絵を見て単語を覚えたら、それで定着したとは言えない。前の週に、T2にイン タビューした時、高齢者に教える心構えとして、「文字を大きくする」ということを聞き、 この日は、カルタの絵と字を大きく作り直した。絵の描き方は基本的に同じであったが、 もう一度手描きで描き直したため、微妙に違いがあった。 1 度小さいカルタで練習した後 で、新しいカルタを使ってやった。すると、W は多少の戸惑いは見られたものの特に問題 はなかったが、H は急にできなくなった。これは、絵を見ながら概念と言葉を結び付けた のではなく、絵と言葉をそのまま結びつけて覚えてしまったために、絵が変わってわから なくなってしまったとのだと考えられる。しかし、問題はあるにせよ、2 時間以上休憩なし に、絵カルタを使った勉強をしたあとで、W から、以下のような発言が出たので、少なく ともW には、この学習法は合っていたようである。 発話資料 4−6 (絵カルタに対する肯定的な発言) 01 R: 疲れましたか。 02 W:bu lei zen me shuo na?[「疲れない」は何ていいますか] 03 R: 疲れません。 04 W:疲れません。 (略) 05 W:xue zhege bu lei! [これを勉強するのは疲れない] 06 R: ああ、そうですか。 07 W:xue zhe べんきょう bu lei! (笑)[同上] (2003 年2 月23 日) この日は、『初級日本語ドリルとしてのゲーム教材50』の「ひらがなビンゴ」(p.37)「カ タカナビンゴ」(p.39)の絵カードを、動詞と同様に切り離し後ろに文字情報を書き、名詞 の確認をした。そして、わからないものについては「日本語でなんですか」と聞き返しを してもらった。ここに出てくる名詞がW にとって必須単語であるとは言えないし、他によ り重要な名詞があると思われるが、W の名詞の語彙力がどれほどなのか、全く検討がつか なかったので、簡単な試みとして行った。以下に、使用した絵カードと結果を提示するが、 途中、W から「かんたん、zhege dou hui! 」[かんたん、これ、全部できる]と発言があった ように、全てではないが、動詞に比べたら習得できているようであった。 68 表4-3 名詞チェック 言えた言えなかった初めて聞いた 猫・メガネ・帽子・かばん 財布・犬・時計・バナナ・パン ハンバーガー・靴・傘・テレビ バス・タクシー(H)・ノート・新聞・ りんご・机・電気・うち はさみ・シャツ・カメラ・雑誌 教科書・テキスト 氷・花瓶・ケーキ・スープ コーヒー・ナイフ・包丁・ビル ドア・スプーン・フォーク・カップ ネクタイ・靴下・ラジカセ・ボール ペン・箱 * 初めて聞いた:W の言葉や反応から判断。夜間中学で一度も教えていないかどうかは不明。 * (H) :W が答える前にH が答えてしまった。 『初級日本語ドリルとしてのゲーム教材50』(p.37 、p.39) 69 「初めて聞いた」単語は少なくないが、内容を見てみると、初級の単語であることは一目 瞭然であるものの、W の日常生活にあまり関係のないものも含まれており、特にできなく ても問題はないのではないかと考える。また、「包丁」のように毎日使用するものであって も、インターアクション場面にはあまり必要がないと思われるものもある。 覚えるという行為が困難なW のような学習者には、一つでも多くの単語を教えるより、 その学習者個人にとって、必要な単語を選んで教えることが大事であろう。しかし、何が 必要で、何が必要でないかということを、教える側が全て把握するのは難しいし、一人で 辞書が引けない学習者には、自分でどんどん語彙を増やしていくというのも難しい。そこ で、わからない時に人に聞いたり、聞き返したりするストラテジーを身につけることのほ うが重要ではないかと考えた。 今回、名詞のチェックを行うとき、ただ絵を見せて日本語で言うというだけでは、無意 味な活動なので、ところどころで、「好きですか」「ほしいですか」などと聞いて、話を発 展させた。以下の場面に出てきた08・10「(に)じゅうえん」、15「日本」、19「安い」は、 練習ではなくW から自発的に出てきた言葉である。 発話資料 4−7 (自発的な発話) 01 R: 新しい靴下がほしいですか。 02 W:ほしいです。 03 R :A 男さん、靴下ほしいですか。 04 H : ほしい 05 W:@@@( 聞き取れなかったが、靴下を買ったという内容) 06 H:安い 07 R: ああ、安い 08 W:にじゅう 09 R: ああ、二足、二足(値段ではなく、靴下の数だと勘違いして) 10 W:じゅうえん( 靴下をさして) 11 R:10 円!? 12 W: じゅう円、に、じゅう円、ershi kuai qian [20 円] 13 R:ershi[20]、20 円!20 円?日本で? 15 W:日本 70 16 R: え、どこで? 17 W:wo mai @@@ ta mai@@@[ 私は@足、彼は@足買ったの] 18 R: えー、安い 19 W:うん、安い。ershi kuai qian!![20 円](興奮しながら) (2003 年2 月23 日) しかし、次のような場面もあった。 発話資料 4−8 (意味がわからずに答える) 01 R:ケーキ好きですか。 02 H:好きです 03 R:「好きです」、xihuan ma?[ 好きですか](H の答え方が不自然だったので確認している。) 04 W:[ あなた、甘いもの全然食べないじゃない!] 05 R: え? 好きじゃないの? 06 W:食べません。[彼は、甘いものは何も食べない!] (2003 年2 月23 日) ここでは、H は内容を理解しないまま「好きです」と答えていることが、W の言葉から わかった。「○ですか」と聞かれたら、わからなくてもとりあえず、「○です」と答えてし まうのが、H のストラテジーのようである。これは聞き手が気がつかなければ、インター アクションは中断することなくスムーズにいく一種の補償ストラテジーとも考えられるが、 H 自身の習得を考えるとマイナスである。 さらにこの日は、前週にやった「〜たいです/たくないです」の復習をした。前週の導 入に使ったのと同じ絵を出したが、W の反応は、初めて見るといった様子であった。そこ でこちらももう一度同じ導入をし、練習を始めた。そして、その練習の中で、W から、次 のような話が出てきた。 発話資料 4−9 (隣人の日本語がわかるようになった喜び) 01 R: じゃあ、日本人と話したいですか。 02 W: 話したい、ん、話したい。 03 R: 日本語で 04 W:zenme shuona, linju[ 何ていいますか。近所の人] 71 05 私: ああ、近所の人、 (2003 年2 月23 日) この後は中国語になってしまったのだが、W によれば、夜間中学入学以前、雨が降って きた時、洗濯物を干していて、隣の人が雨が降ってきたことを教えてくれた。しかし、そ の時は「雨」という言葉がわからず、「わかんない、わかんない」としか答えられなかった。 中学に入学した今は、隣に住む母娘の言うこともほんの少しわかるようになったと嬉しそ うに語ってくれた。 このエピソードを聞いて考えさせられたことは、教える側は、一生懸命教えてもなかな かのびないW のような学習者に頭を抱えどうしたらできるようになるか悩むが、当の本人 は、わずかではあるが、日本語がわかったことにより世界が広がったことを実感している。 教える側は、習得の速い学習者に接していると、それと比べてW のような学習者を「全然 できるようにならない」とネガティブに捉えてしまうが、W にとっては、「全くわからない」 のと、「ほんの少しでもわかる」の違いは大きいということがわかった。藤野・内藤(2002: 28)でも「「ほんの少し」の言葉ができることと、全くできないことの差は、これから地域 の中で生きる高齢者にとって、外に開かれた生活ができるか、閉じこもって過ごすことに なるのかの大きな差を生み出すことになる」と指摘しているが、これは、Wのようなタイ プの学習者の日本語教育を考える上で、非常に大きなポイントであると考えた。 第6回3 月2日 この日はW は花粉症がひどく、つらそうだった。カルタの勉強も調査者が来る前に一度 勉強しただけ、という報告だった。何度かカルタをした後、次週あるという会話のテスト 勉強をした。H が、これがテスト問題だというものを見て、調査者が質問、W とH が答え る練習をした。内容は実際場面でもよく聞かれると思われる個人情報の質問だった。次頁 がその質問である。しかし、次の週、調査者が夜間中学を見学した際、実際のテスト場面 を見学したところ、問題は全く違っていたので、何か誤解があったようである。 72 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 い。 ( 練習したもの) お名前は? 何歳ですか。/年齢を教えてください。 どこから来ましたか。 今、どこに住んでいますか。 何人家族ですか。 仕事はありますか。 趣味は何ですか。 電話番号を教えてください。 住所を教えてください。 生年月日を教えてください。 帰国年月日を教えてください。 ( 実際にテストで出たもの) ○さんは学校へ何をしに来ますか。 ○さんは今何を買いたいですか。 今何を食べたいですか。 次の日曜日は何をしたいですか。 ○さんは猫が好きですか。 今何がほしいですか。 スポーツは何をするのが好きですか。 窓をあけてください(絵カード) ごみを捨てないでください(絵カード) ○ さんのうちの電話番号を教えてくださ 練習したものを見ると、非常に基本的な内容ばかりだが、W にとっては易しいとは言え ない。特に「生年月日」「帰国年月日」という長い単語は、聞き取りが難しく、何度繰返し てもなかなか意味が通じるようにならなかった。また、その答えの「1997 年」も「せんき ゅうひゃくきゅうじゅうななねん」という長い単語を言うのは非常に困難で、何度練習し ても言えなかったので「せんきゅうひゃく」は言わなくてもよいと言った。拗音、撥音、 長音という特殊音が重なった上、この長さでは覚えられないのも無理はない。短縮した形 があるものは、始めから易しいほうを教えるべきだと考えた。 実際のテスト問題も、事前に問題のプリントが配布され、練習が可能であったがW は当 日体調不良を理由に欠席した。たまたまその日の午前中、調査者の家にW から電話があり、 「今日学校に行きますか」と尋ねたところ、答えは中国語だったので全て聞き取ることは できなかったが、「テストがあるけれど、私はできない」ということも言っていた。 第7回3 月9日 6 回の教育実践を行ってきたが、調査者が多少中国語を解するため、W がどうしても日 本語を話さなければならない場面を作ることはできなかった。また、絵カルタも繰返すこ とによって新鮮さが失われ、せっかく覚えても実際に使用する場面がない状態に限界を感 73 じてきた。モチベーションを保つためにも、実際に日本語のインターアクションをするこ とが必要ではないかと思われた。 そこで人工的ではあるが、この日は、偶然A 夫妻の近くに住んでいた同じ研究室で日本 語教育経験のある友人に協力を依頼して、ビジターになってもらい、日本語を使用しなけ ればならない環境を作り出すことにした。W には前週に、友人を招待してもいいかと聞い たところ「ワンタンを作って一緒に食べよう!」と快諾してくれた。 当日は、まず調査者が友人が来る二時間前にA 夫妻宅に行き、いつも通りに絵カルタの 練習をした後、友人と話すための練習をした。方法は、調査者が事前に作成したプリント を見ながら意味を説明した後、言う練習をした。このようなものを作成した理由は、W の レベルで全くのフリートークでは話が続かないと考えたからである。当日の2 時間前に準 備をするというのは、無計画なことではあったが、とにかく紙を見ながらでも日本語でや りとりをすることが大事だと考えた。作成したプリントは以下の内容である。 使用したプリント おうちはどこ.里? 怎来.? (なんできた?) ごかぞくは? おしごとは? おたんじょうびはいつ しゅみは にちようび、なにをしますか。 ○○がすき 喜. ..了? (おなか ?) いっしょに、を。 ..。 を。..。 。 おいしいですか。.? たべて すわって のんで また きて きをつけて) ですか。 .的家在 なんできましたか。 家族? 工作? ですか。 生日? なんですか。 愛好? 星期天? ですか。○○? おなかがすきましたか。 すいた ごはんつくりましょう一起做 いっしょに、ごはんたべましょう 一起吃 えんりょしないで 不要客気! 好吃 ください。 吃.。 ください。 座.。 ください。 喝.。 ください。 歓迎再来。 ください。 小心点。(慢走.! 現物は、A4 で文字の大きさは16 フォントとし、中国語訳を部分的につけた。完全な文 の形にしなくても、ヒントになればいいと思ったのだが、中途半端な訳をつけて混乱させ てしまったようだ。また、このような練習は今までしたことがなかったので、ここにある 74 内容を友人に言うということを、中国語で説明してもなかなか通じず、理解してもらうの に苦労した。しかし、Wはこのプリントの内容自体には肯定的な反応を示し、 [これはいい! とても重要。がんばって暗記する!]と手をたたいて喜んでくれた。 プリントを作成する際に悩んだのが、正確さの問題である。文で話すのが困難なW に、 文法的に完全な形で教えても記憶の負担を与えるだけだと思われた。だからといって、最 初から文法的に不完全な形で教えることにも抵抗があった。そこで、折衷案として、「これ が完全な文で丁寧な言い方だが、赤字だけでも通じる」と色分けをした。(本稿では赤字の ところをゴシック太字で示した。) しかし、これに対し、W は、[完全な形でいい。礼儀正 しいのがいい。覚えるのは大変だけど、重要なフレーズだから一生懸命暗記する。]と答え た。この反応は、よく考えれば当然である。成人として、交際場面で礼儀正しくしたいと 考えるのは自然なことであろう。しかし、暗記の苦労、苦労してもすぐ忘れてしまう現実 を考えたら、なるべく簡単な形を教え、着実に定着させてほうがいいのではないかという 考え方もある。学習者の希望を酌んで、定着困難なのを承知で待遇にも配慮した言い方を 教えるべきか、暗記の負担を少しでも減らし、確実に定着できることに焦点をあてて教え るか、教師としては非常に悩むところである。 2 時間後に友人が来た後は、W が食事を作っている間に、友人がH を相手に雑談をした り、絵カルタをした。調査者もそばにいて会話に加わったり、通じない時に通訳をした。 途中、W が加わり、事前に練習したプリントを使って友人に質問をし、その後、4 人で食 事をした。今回は、W が、少しでも自然な場面で日本語を使うことを目的としたので、友 人とW を2 人きりにして、そのインターアクションのデータを分析するというようなこと はしなかった。そのため、調査者が自然と通訳の役割をすることになり、W が日本語だけ で必死に伝えようとする場面は現れなかった。しかし、以下のように、なるべく日本語で 話そうとする態度が見られた。 発話資料 4−10 (ビジターと通訳なしにインターアクションに成功した例) 01 V: 池袋、大きい 02 W: 大きい、ん、ん、wo shi [私は]、木曜日、病院、wo、[私]電車、buzhi zou。[行き方がわからない] わかん ない、わかんない。 03 R・V :ああー(納得) 04 W:wen 、日本人、わかんない、わかんない、わかんない[日本人への聞き方がわからない] 75 05 X :ああー 06 W:Aiya、nan 。[ ああ、難しい]難しいねえ。(「ね」と「な」の中間) 07 V: 病院は池袋ですか。 08 W:池袋、病院、shi 、zuo、池袋、池袋、daoche、zenme shuo? あ、のり、かえ、 [ 池袋で、「乗り換える」は何と言うんだっけ?] 09 V:ああ 10 W:シャンショウシャー、zenme shuo?[ シャンショウシャーはなんと言う?] 11 R: シャンショウシャー? 12 W: シャンショウシャー、んー、渋谷、qu[行く] 13 V: ああ、山手線? 14 R: ああ、そうそう、山手線(Vに言われて山手線の中国語読みがshanshouxian だと気がついた) 15 W:zhe shi… ちゅう、ちゅう、ちゅうおくぼ 16 R:ん? 17 W:ちゅうおくぼ 18 R: ああ、おおくぼ、しんおおくぼ?、 19 W: おおくぼ、あ、しんおおくぼ病院 20 V:ああー 21 R: 中国語ができますか。 22 W: ああ、ああ、中国、うん、うん 23 R: 明日行きますか? 24 W:明日?xingqi er shi 、にちようびba。[火曜日は「にちようび」だよね] 25 H:xingqi er 、かようび[火曜日は「かようび」] 26 W:ああ、xingqi er 、火曜日、火曜日、ああ、病院。xingqi er 。火曜日、土曜日、あ、花粉症、注射、いたいいたい ね、注射 27 V: ああ、注射しました。 28 W:うんうんうん、花粉症 29 R: 花粉症、いやですね。でも、私の病院、注射ないよ。 30 W: んー、日本語、meiyou 、dazhen [注射ない] 注射ないよ。日本語ない。日本語は、病院、bu dazhen[注射 しない](「日本」と「日本語」を混同している) 31 R: ん?日本の病院? 76 32 W:中国、注射、 33 R: あ、中国は注射します。ああ、新大久保、中国の病院 34 W:うん、病院、中国、わかりました? 35 V : うん、わかりました。 (2003 年3 月9 日) W が日本語と中国語を交えて話すのは、今までにもあったし、今回はいつもと違う食事 の場面であったので、友人が来たことでW の日本語の発話が増えたと実証することはでき ないが、ここでは調査者が中国語で通訳することなしにインターアクションが成功してい る。また、W が最後に「わかりました?」と確認をしているが、これは初めてのことだっ た。この反応は明らかにレッスン場面とは異なったものであった。調査者とのやりとりで は、日本語がだめならすぐに中国語にコードスイッチングしてしまうので、このような確 認の言葉は出たことがなかった。これはWが実際場面を強く意識した結果であると考えら れる。 一方、事前に用意したプリントの質問部分に関しては、W が本当に聞きたいことではな く、調査者が言わせたものであったためか、W は友人の答えを聞かず、紙を見たまま顔も あげずに次の質問を読んでしまう場面が見られた。 発話資料4−11 (相手の言うことを理解しようとしない) 01 W: に、に、日曜日、何をしますか。 02 V: ああ、日曜日?なんだろう。友達と、一緒に、映画を見ます。 03 W:ん、(わかろうとしていない。次の質問にうつろうとする) 04 R: わかりました?映画。 05 W: 映画? うん、友達、うん、いっしょ、けいが、 06 R:えいが 07 W:あ、えいが 08 R: えいが、dianying 09 W:えいが、dianying 10 R:kan dianying[ 映画を観る] 11 W:あ、えいが、shi、dianying a!えいがyiqi a。(笑)[あ、「えいが」は映画のこと! 映画を一緒に] 12 R:わかってなかった。 77 13 V:( 笑) わかりましたか。A 子さん。どんどん、進んじゃうな。 (2003 年3 月9 日) W にとって、全く関心のない質問をさせてしまったのは反省点であるが、相手の答えを 聞こうとしない、という態度には驚かされた。W にとっては、「読むこと」と「意味を考え ること」が切り離されているようであった。このような練習に慣れている学習者であれば、 たとえ質問は紙に書いたものを棒読みしても、相手の答えは理解しようとするだろう。W が相手の言葉を全く聞こうとしなかった原因の一つはインターアクションの訓練不足にあ るのではないかと思われる。一方、「食べてください」、「遠慮しないでください」、「また来 てください」、「気をつけて」などは、紙を見ながらではあったが、その場面でいうことが できた。 このプリントを作成したのは、W が人工的ではあっても、中国語のできない日本人とイ ンターアクションができるようにという意図からであったため、この日しか扱わなかった のだが、W は、このプリントの内容を非常に評価しており、次週、訪問するなり、自分か らプリントを出してきた。また、4 月19 日に行ったときにも、[あの内容はよかった。あの ようなものこそ自分にとっては非常に重要だ]と言い、覚えるために書いたといって、ノ ートに練習してあるものを見せてくれ、その日、調査者が帰るときには「気をつけて。ま た来てください」と声をかけてくれた。 第8回3 月16日 この日は知り合いの中国人男性が先に来ており昼寝をしていた。W は全く意に介さない ようだったので、いつもの通りレッスンを始めた。W はこちらが何も言う前に、前の週に 渡したプリントと、絵カルタを準備してきた。カルタを何回練習したか尋ねたところ、「1 回」とのことであった。カルタはこの週から新しい語彙を加えた。中学の授業に対応でき るよう、学校で使用しているテキストの語彙リスト(T1 が作成)に出ている動詞の絵カル タを追加した。しかし、急に増やしてしまったせいか、W からは「ji buzhu 」[覚えられな い]という発言が出てしまい、[ゆっくり勉強して。大丈夫]とフォローした。 次に、疑問詞の確認をした。疑問詞について、夜間中学では一学期から、日本語に中国 語訳をつけて黒板にはってあったので、既に定着しているものと思っていたが、W との質 疑応答がなかなかうまくいかないので、確認してみたところ、定着していないことがわか った。 78 発話資料 4−12(疑問詞が定着していない) ( 疑問詞を書いた紙を見せる。) 01 W:( 読む)なに、いつ 02 R:「なに」、shenme [何] 03 W:「なに」shi shenme[「なに」は何] 「なに」shi shenme 、「だれ」ye shi 、shenme? [「なに」は何、「だれ」も何?] 04 R:ううん、「だれ」はshei[「だれ」は誰] 05 W:「だれ」shei 、ああ、ああ、ああ。 06 R:「いつ」 07 H:xian zai[今] 08 R:ん?「xianzai」は今 09 W:じゃない、「いま」(「xianzai 」が「じゃない」と聞こえた) 10 R:「いつ」はshenme shihou 11 W:shenme shihou 、shenme shihou 、なに、shenme shihou 、「どこ」、「どこ」zhu nar[ いつ、いつ、なに、いつ、 「どこ」「どこ」どこに住む] (2003 年3 月16 日) 第9回4 月19日 1 ヶ月以上間があいてしまった理由は、W 宅の電話が故障しており、連絡がとれなくな っていたためである。W は「xiang ni」[会いたかった]と笑顔で出迎えてくれた。この日 は久しぶりに会った興奮からか、W は、新学期の中学の様子を中国語で話してくれた. 絵カルタを1 ヶ月の間、練習したか尋ねたところ、1 度やっただけとのことだった。それで もチェックしたところ、3 分の2 はできていた。 この日は新しい試みとして、最も習得が進んでいたF(M)がやっていたというラベル貼り をしてみた。これは100 円ショップで売っている「はがせるラベルシール」に単語を書い てその物に貼るという試みであったが、10 回目を行っていないので、効果についてはわか らない。 その後、疑問詞を使って質疑応答の練習をした。調査者が尋ね、W が答えた後で、役割 を変えて[質問してみて]と言ったがうまくいかず、[できない]と言われてしまった。今 までは調査者が尋ね、W が答えるということがほとんどであったので、その逆を突然やれ と言われてもできないのは無理もなかった。 79 4−4 学習の困難点について 以上、各実践について述べた。次に、実践を通して見えてきた学習の困難点についてま とめる。W タイプの学習者は、高齢のため記憶力が衰えている、就学歴が少ないことから 学習そのものに不慣れである、母語の識字に問題があるなど、習得が進まないのは当然で あると思われる理由がある。しかし、具体的に、学習のどの時点で問題が現れているのか、 それらは訓練や工夫によって改善できるものなのか探ってみたい。 (1)記憶力によるもの a. 勉強した内容を忘れてしまう。 インタビューでも自覚されていたが、「wang le 」[忘れた]、「ji bu zhu」[覚えられない] という発言がしばしば聞かれた。 b. 勉強したという事実そのものを忘れてしまう。 「息子」がなかなか習得できなかった例。 発話資料 4−13 01 W:むすめshi guniang. Nanhair zen me shuo? [「むすめ」は「娘」、「むすこ」は何と言いますか。] 02 R: むすこ 03 W: むすこ、ああ 04 R 、Wのノートに書く。 (2003 年2 月16 日) 発話資料 4−14 01 R: A子さん、息子さんに会いたいですか。 02 W: あ?息子さん、 03 R: 息子さん この後、中国語で説明したが、前週にやった覚えがあるという反応は見られなかった。(2003 年2 月23 日) 発話資料 4−15 01 W:zhege nanhair zen me shuo?[「息子」は何と言いますか。] 02 R:nanhair むすこ (2003 年3 月9 日) 80 (2)認知力によるもの a. 絵を見ても何の絵かわからない 例1) 荷物を持ってもらってお礼を言っている人の絵を見て「shi bu shi ganmao ?」[風邪?](2002 年12 月29 日) 例2) 人が溺れている絵を見て「zhege xizao ba」[ これはお風呂に入るでしょ?](2003 年2 月23 日) b.推察力が働かない。 例1) 形容詞の絵カード( スリーエーネットワーク)を見せながら、「大きい、小さい、高い、安い、長い、短い」をやった後 道と家と男性の絵があり、二本の道から「近い・遠い」を表しているものを見て、W は「回家」[家に帰る]と言った。 (2003 年12 月29 日) 例2) 「ご家族は?」という質問の隣に、「家族?」と訳を一部しか書かなかったところ、「ご家族は=家族」と解釈した。 (2003 年3 月9 日) c. 応用ができない。 例 山手線の駅名のふりがなを書くという学校のタスクがあり、当日学校を欠席していたW に教えてほしいとたのまれた。 「西日暮里」は「西」以外は「日暮里」と同じだと言ったが、W にはわからないようだった。(2003 年 2 月16 日) (3)意味を理解していないことによるもの 例1) W もHも学校の宿題を意味がわからずに書いていた。意味を確認すると、「意味は全然わからない」と答えた。 (2003 年1 月6 日) 例2) 「○ですか」と質問され、意味がわからなくても「○です」と答える。(R :ケーキ好きですか。H:好きです。) (2003 年2 月23 日) 例3) V へ紙を見ながら質問するが、答えは聞かずに、次の質問をする。(2003 年3 月9 日) 81 例4) [ 私達は学校で先生と一緒に言うけれど、意味は全然わからない]と発言。(2003 年4 月19 日) 各困難点を見ると、記憶力の問題は年齢的なものなので改善は難しい。負担を軽くして 覚える方法や始めから必要以上のことを教えないなど、教える側の工夫が必要だろう。認 知力の問題も、過去の学習経験の少なさが原因であると推測されるので改善は難しいだろ うが、例えば、絵を見て答えるというのは、経験の少なさが原因であろうと思われるので、 訓練次第で、多少改善が望めるのではないだろうか。 (3 )の意味を理解していないことによるものは、改善可能な問題のように思える。意味 はわからないけれどモデル会話をコーラスする、意味はわからないけれど板書するという 場面は参与観察でもしばしば観察された。このような態度は他の学習者にもあることだと 考えるが、識字に問題のない学習者の場合、その場でわからなくても、後で辞書や文法書 をひいて調べたり、授業外で教師に質問するなどして理解を補うことができる。しかしW やHの場合それが難しい。学校では指示のあったものを書いたり、コーラスするのが精一 杯で、意味を考える余裕がなく、そのような活動を繰返しているうちに、意味がわからな くても、やりすごす一種の回避ストラテジーを身につけてしまったようだ。したがって、 教える側は「何度やってもできない」「1 年も勉強しているのにまだこんなこともわからな い」と考えるが、「こんなにやったのにできない」のではなく、最初の理解がなされないま ま、時間がたってしまったということもあるのではないだろうか。 教師の立場で考えたら、クラスレッスンで学習者を100%理解させることは不可能だろう。 特に今回参与観察したクラスでは、学習者同士にかなりレベル差があることがわかった。 簡単な質問に答えられないWやHに対し、他の学習者がばかにするような目で見たり、イ ライラしている様子も観察された。T1やT3も述べていたが、他の学習者のこともある ので、授業の進度をできない学習者に合わせることもできないだろう。しかし、少なくと も意味がわからなくてもやりすごすことができる活動を減らし、学習者にとって文脈のあ る活動を行うことで、意味に焦点をあてることができるのではないだろうか。と同時に、 授業で遅れてしまった学習者が、教室外で遅れを取り戻せるような、意味を理解して行え る宿題を考えることも必要だろう。 また、わからない時の聞き返しのストラテジーを教えることも必要だと考える。今回の 実践から、Wは、わからない時、相手に質問する方法を全く知らないことがわかったので、 82 (2003 年2 月23 日)「意味がわかりません」(2003「日本語でなんですか」、「意味は何ですか」 年3 月9 日)を教えた。それを自主的に使用するには至らなかったが、人的ネットワーク を利用して、習得を促進させるためには、「聞き返し」ができることは非常に重要であると 考える。 4−5 考察 以上、実際に高齢帰国者に対して行った教育実践、それと合わせて1 年の参与観察より、 気がついたこと、考えたことを以下にまとめる。 4−5−1 学習ストラテジー・トレーニングについて (1)語彙の習得について 自己実現のための日本語教育の第一歩は、自分自身について語れるようになることであ ると考える。そこで、今回、W 自身についての質問を投げかけたが、文法以前に、基本的 な語彙が定着していなかったため、日本語でのインターアクションがほとんどできないこ とがわかった。そこで、まず、基本的な語彙を定着させることから行おうと考えた。 初級レベルにおける語彙習得の重要性については、Oxford (2003) も認めており、教師が 行うべきことは、学習者に「語彙のストラテジー」(Vocabulary Strategies) を教えることで あると述べている。しかし、Oxford の挙げる「語彙のストラテジー」は、基本的な学習能 力を持つ学習者を対象としており、W のような学習者にそのまま適応するのは難しいと思 われるものもある。また、これらのストラテジーは、ただ羅列されているだけなので、そ の有効性についてはわからない。以下にOxford が挙げる語彙のストラテジーを、W に適応 できるかどうかでまとめてみる。これを見ると、W には、「連想」「カテゴリー化」という 頭を整理するようなやり方よりも、簡単で、楽しく、記憶に負担をかけずに繰返せるよう なものがいいのではないかと考えられる。 表4-4 Vocabulary Strategies (Oxford 2003 訳筆者) 83 W にできる(可能性がある) W には難しいと予想される W に適応できるか不明 ・単語をノートに書く。 ・単語をカテゴリー化する。 ・「jazz chants」( ジャズの調子に合 ・歌の歌詞で学ぶ。 ・その単語をどこで見たか、どんな わせながら言葉を覚える) を使う。 ・新しい単語を繰り返し言う。 文脈で聞いたかリストにする。 ・新しい単語を連想して別の言葉と ・母語話者の発音を真似る。 ・主となる概念を真ん中に書き、そ 結びつける。 ・新しい単語を言いながら、歩き回 れに関連する単語を線で結んでネ る。 ット状にする。 ・動詞、名詞、副詞を学ぶのにTPR (家や家族や町などの)模型や地図 を使う。 を作って、部分部分にラベルを貼 ・粘着性のあるメモ、インデックス る。 カード、テープなどを使ってラベ ・新しい単語を文に入れ、できるだ ルを貼る。 け使用する。(返答をメモする。) ・「picture dictionary」( 絵の多い辞 書)を使う。 ・ユーモアを持つ。 ・友達と練習する。 (2)絵カルタの試みについて 先述した条件を満たすものとして、今回考えたのが絵カルタである。まず、文字を読み 書きする負担をなくすため、初級の日本語教育でよく用いられる絵カードを使うことを考 えた。しかし、これは教師が授業中に使用する教具で、自律学習で使用されることはない。 そこで、語彙習得のために、教師の無監督下でも行えること、書いて覚えるのではなく、 口に出して耳から覚えられること、夫婦で助け合えること、学習者の負担にならないこと を条件に絵カルタを作成した。今回は時間的な制約もあり、基本動詞と自分の気持ちを表 すのによく使う言葉を扱うことにした。3 回目の実践で市販のものを使ったがW にはあま り関係のない言葉もあり、不十分であったので自分で作成した。カルタは表が絵、裏には 平仮名、漢字、中国語を手書きで書いたが、最後はそこへ当時学校で扱われていたて形も 加え、ワープロ打ちしたものへ作り変えた。 1 回目は生活に関係するような動詞を24、A4 の紙を24 等分した大きさで作った。2 回 目は紙を16 等分にし、大きく作り直し、新たに8 つの動詞と16 の日常用語を加えた。4 回目は、中学のテキストに載っている動詞を30 加え、自宅で学習するよう渡した。 結果としては、短期間であったこともあり、全て定着するにはいたらなかったが、こち らの狙い通り、W は、自宅でH と練習し、[この勉強は疲れない]と肯定的な評価を口に しており、二人で行うときにも、ゲーム感覚で競い合ったり楽しそうにやっていた。Wの ほうが熱心で覚えているものが多かったので、Wが主導権をにぎり、[これは何?] [違う!] [○○でしょう?]と中国語で、Hに教える様子が見られた。 しかし、問題となったのは、既に定着したと思われた単語も、いざ、実際場面で使おう 84 となると口から出てこないことだった。今回の試みでは、絵カルタの練習を終えたあと、 そこに出てきた動詞を使って、W の1 日の生活ついて質疑応答の練習をするようにした。 これは単調で人工的な練習に見えるが、それをきっかけに話が広がり、W から、本当に話 したいことが中国語で出てきて、そこからキーワードになるような言葉を新しく導入する ようにした。ただ、話が完全に「練習」を離れ、実際場面に及ぶと、伝えたい気持ちが先 行してしまうためか、知っているはずの単語も中国語になってしまった。 したがって、どんなに一生懸命絵カルタを使って言葉を覚えても、実際場面で使用して いかないと、定着しないことがわかった。また、今回は問題にならなかったが、もう少し 学習が進むと、絵では表せないような抽象的な言葉も出てくるので、そのような語彙の覚 え方についても検討する必要があるだろう。 ここで、学習者に最も必要なのは語彙の習得であると主張するつもりはない。また、語 彙の学習方法も、上記に述べたやり方が最も効果的であると言うつもりもない。理想的な 語彙習得の方法は、文脈のある実際場面で必要に応じて覚えていくことだろう。ここでは、 学習者が比較的楽に楽しく、自律学習できる方法を念頭に試みを行い、実際にW から、肯 定的な評価が出てきたので、成功事例として報告する。特によかったのは、調査者=教え る人、W、H=教わる人という関係ではなく、教授者がいなくとも、学習者同士でゲーム 感覚で勉強ができたという点である。 絵カルタで扱った語彙 起きます/寝ます/食べます/飲みます/お風呂に入ります/行きます/来ます/帰ります/見ます/聞きます 書きます/話します/読みます/乗ります/降ります/勉強をします/歌います/待ちます/買います/料理をします 写真を撮ります/釣りをします/あげます/もらいます/会います/そうじをします/電話をします/仕事をします 遊びます/ごろごろします/ごみを出します/貸します/返します/疲れた/眠い/おなかがすいた/のどがかわいた 忘れました/覚えます/わかりました/わかりません/もう一度お願いします/日本語でなんですか/おもしろい つまらない/楽しい/悲しい/びっくりした/助けて!/乗り換えます/運びます/脱ぎます/泳ぎます/探します たばこを吸います/立ちます/座ります/知りません/知っています/結婚します/案内します/修理します 歯をみがきます/手伝います/(事を)教えます/(勉強を)教えます/雨が降ります/持ちます/住みます 片付けます/着替えます/引越します/手紙を出します/お金をおろします/送ります/残業します/絵を描きます 誘います/〜を作ります/相談します ねます ねる 寝る(寝て) (睡.) (表) (裏) 85 4−5−2 社会的ストラテジーについて (1)調査者とWの関わりについて 日本人の友人が1 人もいないというWにとって、調査者は貴重な人的ネットワークであ ったようだ。調査のためにこちらから依頼をして、教えさせてもらったのだが、Wはそれ を非常に喜んでくれ、「meige xingqi tian, meige xingqi tian dou lai xiex ie」[毎週日 曜日に来てね。](2003 年2 月23 日)というような発言をたびたびしている。これが、日本 語学習への意欲からなのか、調査者に対する個人的な親しみからなのかは、判断がつきか ねるが、調査者との関わりから「質問する」という社会的ストラテジーを利用する場面が しばしば見られた。話をしながら、出てきた単語について「○○zenme shuo? 」[○ ○は何 と言いますか]と尋ねたり、学校でわからなかった箇所を質問したり、回を重ねると、日 常生活でわからなかった言葉をメモしたりして、質問してくるようになった。中には、あ まりに基本的で当然習得されているはずだと思い込んでいたものもあり、Wが夜間中学で はわからないまま、やりすごしてきたことがわかった。また、Wは実践の中で出てきた単 語やフレーズを書きとめるためのノートも自主的に購入した。これは、自分で学習を管理 しようとするメタ認知ストラテジーの使用とみなせる。このように調査者との実践を通じ て、Wの日本語学習に対する意識化が高まったことが観察された。 社会的ストラテジーの使用例 練習のやりとりをしながら、わからない言葉を質問した例 「いつ」shi shenme yisi? [「いつ」はどういう意味ですか](2003 年3 月9 日) 自分に起きたできごとを語ろうとして、わからない言葉を質問した例 yigeren lianggeren, sangeren, sangeren zenme shuo? [ 1人、2人、3 人、3 人は何と言いますか?] ( この後、電車で3 人並ぶ場所にきちんと立っていたのに、男達に突き飛ばされた話になった。)(2003 年4 月19 日) 事前に質問したいことを用意していた例 RがA夫妻宅に着くと、Wは紙を見せて「練馬区石神井総合事務所」の読み方を教えてくれと言った。その後、店のレ シートを見せ、その店の読み方を教えてくれと言った。(2003 年3月2日) 86 (2) 直接法について 今回、W へは日本語と中国語を両方使って教えた。両方といっても、基本的には日本語 を使用し、W の反応を見ながら、中国語で補足説明をするようにした。調査者の中国語の レベルは中級程度であったため、全ての説明を正しい中国語でできたわけではないし、W の中国語が全て理解できたわけではないが、結果として中国語ができるメリットは大きか った。上記で述べたような社会的ストラテジーが活発に使用されたのも、調査者が中国語 を解したことが大きい。また、クラッシェン(1986) の言う習得の心的障害となる「情意フ ィルター」を下げるのにも役に立った。 現在、国内の日本語教育では、ほとんど直接法が採用されているが、ここでもう一度、 直接法と媒介語の使用について考えたい。クラスに母語が異なる学習者がいる場合、教師 が学習者の母語を知らない場合、媒介語を使うことは不可能なので直接法で教えざるを得 ない。また、ある単語が持つ概念が日本語と学習者の母語では異なること、中途半端な媒 介語使用はかえって説明をわかりにくくすることなどから、安易に媒介語を使うことが避 けられたり、日本語を日本語で考えられる習慣をつけるため、聴解力を養うため直接法が 積極的に採用されることもある。しかし、直接法というのは、畠(1989) が言うように、 教師が媒介語による説明を行わないため、学習者は教師が示す例文から帰納的に文法の規 則を見出さねばならず、学習者は自分が帰納的に把握した文法規則が正しいものであるか どうかを判断する方法を持たない。また、教師の「説明」を理解しそこなった学習者は自 分一人の努力ではそれを取り返すことができないというデメリットがある。そこで、学習 者は母語訳のついた語彙リストや、母語で書かれた文法書、辞書などを使用して理解を補 っている。畠(1989:104)は、「直接法は素人には全く向かない教授法である。非常によく 訓練された、高度に専門的な教師にのみ可能な教授法なのである。」と言う。尾崎(2003) も、直接法は教師の技量と学習者の推察力、忍耐力に依存するところが大きく、双方にと って必ずしも教えやすい、学びやすい教授法ではないと述べている。 これらから考えると、直接法が有効に働くにはいくつかの条件が必要であることがわか る。つまり、教師がこの教授法に熟練していること、学習者の推察力が高いこと、学習者 がその場で理解できなくとも何らかの形で自分で理解を補えることである。逆に言えば、 推察力が低く、自分で理解を補う力のない学習者には適さない教授法なのである。特に、W タイプの学習者の場合、他の学習者と比較して推察力が弱いので、単純な絵を見ても理解 できないことがある。言葉で例が示されても推察力を働かせて答えを導き出すことが難し 87 い。さらに、文法書や辞書も使用できないので、自分で理解を補うこともできない。した がって、直接法の授業が理解できなければ、そこでわからないまま、取り残されていくこ とになる。これに対し、媒介語を使用することによって得られるメリットは様々である。 夜間中学にも中国語ができる教師が複数おり、調査協力者のT1も調査者以上に中国語の 能力が高く、授業中も中国語の使用が見られた。 ここで、他の教師も媒介語を使用するべきであると提言するつもりはない。もともと中 国語を解さず、直接法で授業を行っていた教師でも、学習者にわかりやすいティーチャー・ トークで話していたことに対する対象者の評価は高かった。ここで言いたいのは、必要以 上に媒介語の使用を避ける必要はないということである。宮崎(2002) は、夜間中学に対 するいくつかの提言の中で「日本語に浸け漬すような環境」を挙げている。夜間中学の教 師の中にも、いかに中国語を使わせず日本語だけでやりとりできるようにさせるかを課題 としてあげている教師がいた。確かに習得だけを念頭におけば、そのような環境作りは必 要かもしれない。しかしながら、Wのような学習者に必要なのは、効率的な習得ではなく、 学習をあきらめないことだと考えられる。生涯学習として日本語を学び続けるためには、 学習者が少しでも楽になる方法をとるべきだろう。また、Wのように理解力に困難を持っ た学習者に対して、理解を助けるためにも媒介語の使用を認めるべきだと考える。以下に 今回の教育実践の中で、媒介語がプラスに働いた点について、実際の例に基づいてまとめ る。 a 学習者が母語で質問できる。 発話資料 4−18 01 W:bu yong xie zenme shuo? [どういたしまして、は何と言いますか] 02 R:「いいえ」 03 W:ああ、いいえ。 04 R:「いいえ、どういたしまして。」ああ、でも「いいえ」ke yi [「いいえ」でいいです](2002 年12 月29 日) b.教える側が学習者の理解を確認できる。 発話資料 4−19 01 W: 誕生日はいつですか。 02 V: 誕生日?3 月19 日 88 03 W:19 日、ん、san yue shi hao [3 月10 日] 04 R: えー? ) ( この後、「19 日」と理解するまでやりとりする。(2003 年3 月9 日) 発話資料 4−20 学校で扱ったプリントに「何がほしいですか」とあり、Hの回答は「子供がほしいです」だった。A夫妻にはすでに子 供がいるので、おかしいと思い、確認したところ、間違って理解していることがわかった。 01 R :あの、今、xianzai ni xiang yao shen me? [今、何がほしいですか] 02 W :ああ、今、xiang yao shenme [ 何がほしいか] 03 R: 私、お金がほしいです。Zhege yisi na, wo xinag yao haiyou yige haizi.[ この意味は、私はもう1 人子供が欲 しいです。] 04 W:ああ、cuo le cuo le. [間違えた、間違えた]おかね、おかね。 05 R :お金とか、時計がほしい、テレビがほしい 06 W :はいはいはい、bu dui le. [正しくなかった]テレビa、xiang yao[ほしい] テレビします? 07 R :ん、テレビがほしいです。 08 W :ほしい、ああ、dui, dui, dui[ そう、そう、そう]ほ、し、い、です。(プリントを書き直す) (2003 年3 月9 日) c. 母語と日本語が混合した不完全な形でもインターアクションできる。 発話資料 4−21 01 R: 何時に寝ますか。 02 W:shuijiao wo meitian meitian dou shi んー、10 時、ta shi 9 時wo you de shihou 3 時、ん、金曜日 xingqiwu wo 3 時meiyou jiao, meiyou jiao yanjing いたい、いたいwo chi yao いたい、いたい [意訳:寝るのは、私は毎日10 時で、彼(H)は9 時。私は時々3 時に寝る。金曜日、私は目が痛くて痛くて眠れ なくて、薬を飲んだ。] (2003 年 2 月23 日) d.「聞く」と「話す」を同時に行わなくてもいいので学習者の負担が減る。 発話資料 4−22 01 R: 次はいつがいいですか。 02 W:ni shuo ba.[ あなたが言って](2002 年12 月29 日) 89 e. 雑談をしながら、リラックスして勉強できる。 Wはおしゃべりな性格だったので、言いたいことがあって、日本語で言えないと、中国語で話した。家族の話や学校 の話などいろいろ話したが、時にはWが知らない日本の習慣など伝えることもできた。 例 100 円ショップでふたつきのカップを探したが、( 中国ではふたつきカップが一般的)見当たらなかったというので、 値段の問題ではなく、日本のカップはふたつきはほとんどないことを伝えた。(2003 年3 月9 日) (3)ビジターについて 以上のように、学習者の母語を解するというのは、教授の上でメリットが多いが、デメ リットとして、どうしても日本語を話さなければならないという動機づけは下がる。そこ で先述したように、調査者の友人をビジターとし、いつもと違った場面を作り出した。そ の結果、数値化はできないが、W は明らかに、それまでよりも積極的に日本語を使おうと いう姿勢が見られた。Long(1985) は学習者と母語話者の相互交渉が理解可能なインプッ トを増やし、言語習得を促進させるという「インターアクション仮説」を唱えたが、Wの ように日本人と接すること自体が少ない学習者にとっては、習得のためだけでなく、動機 づけを高めるためにもこのような機会を設けることは重要であろう。 前章でも触れたが中国帰国者定着促進センターでは、4 ヶ月の研修期間に4回、地域から ボランティアを集い、交流実習を行っている。3 回は中国語を解さない日本人と日本語だけ で、1 回は中国語ができる日本人と中国語で交流する実習をいっているが、このような試み を夜間中学でも行えないだろうか。現在、夜間中学では定期的に公開授業が行われ、外部 からの訪問者を受け入れており、訪問者は教室の端で授業を見学するのみであるが、これ を利用してビジターセッションなど行えないだろうか。あるいは、地域のボランティアを 学校に招き、交流することはできないだろうか。後者については、T1 によれば、今後の可 能性として考えられているようで、早期実践が期待される。 4−5−3 正確さについて (1)誤用訂正について W を教えるにあたり、 「意味が通じていれば誤用訂正はなるべくしない」ことを心がけた。 しかし、語彙レベルのものは直さざるをえなかったし、助詞や時制なども反射的に訂正し 90 てしまった。これは職業病のようなもので、かなり意識して訓練しないと「訂正しない」 ということは難しいと感じた。また、学校の宿題のチェックを頼まれ、書かれたものを見 ると、語彙レベルでの誤りが多く、発音した際には通じると思われる濁音や促音、長音な ども正確に直すことになった。なぜなら、学習者は書いたものを媒体として、覚える作業 を行うので、始めから誤ったものを暗記させるというのは、教える側として大きな抵抗が あったからだ。しかし、チェックを行いながら、これがどのような意味を持つのか疑問を 持った。 (2)「書く」ことについて 畠(1989)は、話しことばは不完全さを受け入れ、書きことばは不完全性を排除すると いう点で全く性格を異にするものであるという。「たとえ外国人の日本語の作文であろうと それは書きことばであるから、完全なものでなければならない。」(畠1989:98)という主張 には異論があるが、少なくとも新しく勉強した単語や、それがテキストの代わりとなるよ うなものを書かせる場合には、発音したものが「通じればいい」のに対し、要求される正 確度は高くなる。 しかし、夜間中学の高齢帰国者にとって「書く」ことは生活の中でどれだけ重要なこと なのだろうか。小田(2000) では、識字に問題があって、自分に不利な契約書にサインを してしまったという事例が報告されているが、それはあくまで「読む」ことであって、普 段の生活で「書く」という行為は調査1の日本語使用環境から見ても滅多にない。少なく とも初級のテキストに出ているような文を書く機会というのはないだろう。 夜間中学では、正しく覚えられるようにと、練習帳は平仮名で、例えば、数字を平仮名 で書く練習もあったが、実生活で数字を平仮名で書くことはありえない。日本語の特殊音 などは上級の学習者にとっても難しく、口では通じるように言えても、書かせると間違い が多いということはよくある。したがって、平仮名で正しく書かせるという作業は、非常 にレベルの高い作業であることを理解しておく必要がある。また、識字に問題のあるW の ような学習者にとっては、字を書く行為そのものが大変な作業で時間もかかる。参与観察 において、黒板を見て学習したことをノートに書くという指示がしばしばあったが、A(H)、 A(W)、Eなどは書くだけで精一杯で、結局自分が何を書いているのか理解していなかった。 「書いて覚える」というのは、よくあるストラテジーではあるが、意味もわからず書いて いたら全く意味のない作業となってしまう。たとえ、意味がわかっていたとしても、宮崎 91 (2003) が指摘するように、実際使用場面での運用に考えが及ばなければ、ノートに書く だけで習得は促進されないだろう。 とはいえ、文字媒体なしに記憶することも難しい。家で復習するにしても書いたものが なければできない。しかし、覚えるのを助ける目的であれば、本人が書かなくても教師が 書いたものを渡すということも考えられる。もし、コミュニケーション重視の日本語教育 を行っていくなら、「書く」にはあまり時間を割かず、始めから教師が準備したもの、可能 であれば母語訳をつけたものを配布し、理解を助ける補助教材として使用したほうがいい のではないだろうか。書かねば覚えられないという学習者は、自宅で練習するように指示 することもできるだろう。 書くことを軽視するわけではないが、ただでさえ、日本語によるインターアクションの 時間の少ない学習者達なので、授業中はなるべくコミュニケーション活動を重点的に行っ た方がいいと考える。教師へのインタビューでは全員が、4 技能のうちで「話す」「聞く」 を重視するべきだと答えていたが、実際の授業では、他校の授業見学を含め、教師によっ てかなり個人差があるようで、T2がインタビューで述べていたように「書くことは副次 的に」行っている教師もいれば、授業中のかなりの時間を「書く」に費やしている授業も 観察された。 今回の実践では、W に書かせることはほとんどしなかった。書いたものは、予め準備で きるものは準備し、その場でW に[○○は日本語でなんというのか]と聞かれたものや、 重要だと思ったものに関しては、ほとんどの場合、調査者がW のノートに日本語と中国語 訳を書いた。 (3)「正しい日本語」について 今回の実践で、非常に簡単な語彙もなかなか習得できないWを前にして、今まで当たり 前のように教えてきた「日本語」について改めて考えた。教師へのインタビューからは、 夜間中学に入学してくる高齢帰国者が日本語を高いレベルで習得した事例はあげられず、 逆に、必要最低限の日本語さえ習得できない、あるいは卒業と同時に退化してしまう事例 が聞かれた。経験のある教師達の共通した意見では「教えすぎない」、「ゆっくり」、「繰返 す」、「通じればよい」ということであったが、「通じればよい日本語」というのは、具体的 にはどのようなものか。実際の参与観察では、学習者が口にした助詞や時制の間違いはほ ぼ必ず訂正されていたし、動詞の活用についても正確に教えられていた。教室内では正確 92 さを追求するが、実際場面では許容するということなのだろうか。その中で唯一、T3 のみ が、ほとんど訂正を行わず、以下のような発言をしていた。 T3 : 地震、おばけ、こわいですか。 B(H):こわいじゃない。 T3 : ああ、こわいじゃないですか。(2003 年2 月24 日の参与観察の記録より) T3:日本人とコミュニケーションをとれる最低のところを、ええ、最低のところの体系化した日本語というのがあれ ば、ですね。でもそれだと、聞いてわかんないのかなあと思ったり。ああ、日本人がしゃべってるのを聞いてです ね、全く、だと、一方通行だと、んーと、だから、ほんとそうですね、教科書見ると、たとえば、「てください」の 形だと、 「書きます、してください」でもいいですし、もっと、その日本語として正しいのにこだわるんなら、えー、 「お書きください」にしてもいいかなと思ったりとか、んー、て形、動詞変換、難しいのが形容詞、い形容詞、な 形容詞ってあるじゃないですか。あとは、なんでしょうか、「大きいじゃない」とか、「安いじゃない」とか。それ はそれで、そのまま教えてもいい気がするんですよ。 R : ああ、聞いてわかりますよね。 T3: そういうところで、体系化されているようなものがあるのなら、うーん、と思ったりするんですけど、邪道だな、 と思ったり (T3 へのインタビューより 2003 年2 月24 日) T3 が言っているような内容は救援センターでは既に実際の授業で取り入れられている (藤野・内藤 2002)。調査者も今回、W を教えて、もし「通じること」、「学習者に負担を かけないこと」が一番重要なことであるなら、多少不自然であっても、学習者にとって一 番楽な形、最も定着しやすい形を教えるべきであると実感した。学習者にとっては、イン タビューの発言にあったように、「ずっと日本に住むのだから正しい日本語を覚えたい」、 「失礼にならないような正式なものを覚えたい」というのが本音としてあり、それももっ ともなことだと思うが、もし教えたものが決して習得できない、あるいは習得するのに大 きな困難を伴うのであれば、無理をして文法的に正しいものを教えるより、逆に、「正しい 日本語を話さなければ恥ずかしい」というような学習者の意識を変える必要があるのでは ないだろうか。と同時に、母語話者である日本人側が、自分達の話す日本語を絶対視せず、 形はどうあれ「通じる日本語」を受け入れる姿勢を持つことも大事であろう。 「正しい日本語」という概念や、「日本人の話す日本語」を目標とする態度を疑問視する 声は日本語教育の中でも徐々に高まりつつある(田中 2000 、牲川2001 、津花2001 、山田 2002 、春原 2003)。ただし、学習者の話す不自然な日本語を積極的に受け入れるという態 93 度はとれても、始めから文法的に正しくないものを教える、というのは「邪道」であり、 教える側もそう簡単には踏み切れない。参与観察をしていると、習得の進んでいるDなど は、動詞の活用を覚えるのが「おもしろい」と発言しており、このような学習者に、始め から不自然なものを教える必要はないと考えられる。今回の実践については、自分自身の 態度が固まっていなかったので、全て正しい形で教えたが、最も避けたいのは「できない →やっぱり自分はだめだ→日本語の学習をあきらめる」であるので、インプットの段階か ら、「通じる」と「易しい」に焦点をあてた日本語を教えることも検討の余地がある。この ことについては、W の問題だけでなく、より広く、地域の日本語教育などにも関わる問題 であると考える。 4−6 本章のまとめ 今回の実践は先述したように、予めフレームワークとなるような理論に基づいて計画的 に行ったものではない。参与観察とインタビューに限界を感じた調査者が、試行錯誤をし ながら行ったものなので、実践そのものの内容は一貫性がなく問題も多い。また、習得の 遅い学習者の変化を見るには時間的にも不十分であった。したがって、実証された結論と して、今ここではっきり言えることはないが、実践を通じて見えてきた高齢帰国者の、と いうより識字や認知能力に問題のある学習者の日本語教育について改めて考えたい。 どんなに一生懸命教えても習得が進まない学習者を前に、教える側は「根競べ」(T1)、 「泣きそうになる」(T3)、「(夜間中学が老人のデイケアの役割を持っていると思えば)腹 も立たない」(T4)などと話している。調査者自身も「やったことを忘れる」のみならず、 「や ったという事実そのものを忘れる」W を前に、自分の研究の意義がわからなくなり何度も 「泣きそうに」なった。たった9 回の実践でそうなのだから、このような学習者に対する 日本語教育を何年も行ってきた教師達の苦労は計り知れない。 調査者自身は、これまで「日本語教育を専門に勉強した者」としてのプライドを持って 現場に臨んできたが、Wのような学習者の前では無力であった。これまで担当した授業が 順調に進んできたのは、教師の力量というより、学習者自身の努力やもともとの能力に負 うところが大きかったのだということを知った。 しかし、W 自身は[覚えられない]、[私は馬鹿だから]と嘆きつつも、日本語ができる ようになって隣人とほんの少しコミュニケーションができるようになったこと、以前は全 くわからなかった授業中の教師の問いが、今では少しわかるようになったことなどを喜ぶ 94 発言をしている。教える側が「これしかできない」と否定的に捉えることが、W 自身にと っては大きな意義を持っているのである。母語での学習経験もほとんど持たないW が、外 国語を学ぶということが、どれほど大変なことなのか想像もできないが、ほんのわずかで あっても習得した語彙でコミュニケーションができるということが、W の喜びになってい るのは事実である。この様子から見ても、個人差はあるにしても「高齢者は日本語を勉強 する必要はない」などとは言えないだろう。 問題は、どこを到達点にするかである。「自己実現のための最低限の日本語習得」という のが大きな目標ではあるが、「高齢」、「就学歴の少なさ」というどうにもならない条件を予 め引き算し、学習者自身の努力、教師によるテクニック、ストラテジー・トレーニング、 実際使用などの条件をプラスした場合、W タイプの学習者は、どこまでできるようになる のか。この場合、「できる」というのは言語の問題だけでなく、非言語能力も含めた広い意 味でのコミュニケーション能力である。 今回の実践は期間が短かった上、言語能力に偏った狭い学習であったので、何も結論は 出せないが、W からは、学習に対する肯定的な態度や発言が表れ、訓練次第では、日本語 学習者として成長していける可能性が感じられた。もちろん、これはWという1 人の学習 者についてであり、調査2で得られた結果を「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」全てに当ては めることなどできない。今後、さらに縦断的、横断的な研究が必要だろう。また、現在の 習得研究は、主に文法に関する習得を見るものが多いが、「自己実現のための最低限の日本 語習得」をめざす学習者には、非言語も含めた広い意味でのコミュニケーション能力を見 る習得研究が必要であろう。 95 第5章 結論 本章では、本研究のまとめ、本研究の問題点と今後の課題、夜間中学への提言、日本語 教育への提言について述べる。 5−1 本研究のまとめ 調査から、一部ではあるが、日本語学習者としての「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」が見 えてきた。「夜間中学で学ぶ高齢帰国者」にも様々なタイプがおり、ひとまとめに定義づけ ることはできないが、少なくとも一部の教育関係者が思っているように、夜間中学へ通学 する第一の目的が「癒し」や「楽しみ」ではないことがわかり、夜間中学で学ぶ高齢帰国 者のための学習支援を考えることは意義があることがわかった。しかしながら、彼らの生 活環境、学習環境は恵まれたものではなく、生活者としては肉体的、経済的、精神的な問 題を、学習者としては就学歴の少なさによる識字や認知能力の問題、日本語使用環境の少 なさ、ネットワークの狭さという問題を抱えており、高いレベルでの日本語習得は不可能 であることも明らかとなった。また、そのことにより、夜間中学に通う学習者の動機が日 本語以外の点にあるように見えたり、日本語習得への強い希望を持っても、それが果たせ ないままあきらめに変わっていくことも参与観察から推察された。 そのような学習者が目標とするべきなのは、表面的な実用のニーズに応えるものではな く、たとえ限られた形であっても、自分の言いたいことが言える自己実現のための日本語 教育、学習を通してセルフエスティームを高められ、生きる力となるような日本語教育で あることが見えてきた。そして支援者が行うべきこととしては、学習者の受動的な態度や 「正しい日本語」へのこだわりを変容させること、学習者にあった学習環境を作り出し、 効果的な学習ストラテジー・トレーニングを行うことであると結論づけた。ここでいう「効 果的」とは、識字や認知能力に問題のある学習者に無理がなく行えるということである。 そしてさらに深く問題に迫るため、教育実践を行った。そこから、識字と認知力に問題 を持った学習者がどこに困難を持っているのか具体的な点が見えてきた。そのうちいくつ かの問題に関しては工夫次第で改善が望める希望も見えてきた。特に「意味を理解する」 ことを意識づけるには、日ごろの活動のあり方を見直す必要があるのではないかと思われ た。結果として、従来の日本語教育の物差しではネガティヴに「習得困難な学習者」と括 られてしまう学習者であっても、その学習者にふさわしい形で日本語を学んでいける可能 96 性が見えてきた。 5−2 本研究の問題点と今後の課題 調査1では、インタビューと参与観察を通して、様々な角度から対象者の意識や環境に ついて調べた。その結果、対象者が非常に日本語の学習を重視していながらも、実生活で は日本語使用場面が少なく、日本語ができずに困ったという場面もそれほど多くないこと がわかった。しかしながら、これはあくまでも対象者の意識レベルに表れたものだけであ り、対象者が無意識のレベルで抱えている不全感や、社会から感じる無言の圧力といった 見えない困難についてまでは調べることができなかった。「日本語を学習したい」という回 答も、本研究では肯定的にとらえ「日本語習得への強い希望」としたが、それが純粋に勉 強したいという前向きな気持ちなのか、日本語ができなければ日本では生きていけないと いう強迫観念からなのか、そこまで調べることはできなかった。同様に、学習ストラテジ ーで調査した項目以外にも、表出した回答だけでは捉えきれない深いものがあると考える。 その意味で、今回の調査方法には限界があった。 調査2では識字や認知力に問題を抱えた学習者が「自己実現できるための日本語教育を 考える」としながらも、「言いたいことを言うための日本語をどのように学ぶか」と言語習 得に固執し、「言語を越えた広い意味でのコミュニケーション教育」を実践するまでには至 らなかった。様々な提言を行いながらも、調査者自身が「どうしたら習得させられるか」、 「何をどのように教えるべきか」と従来の言語教育に偏った日本語教育に固執し、結果的 にWの態度や発言によって、自分のこれまでの狭い日本語教育感を捉え直すに至った。 全体として、本研究は今まで注目されてこなかったタイプの学習者をとりあげた点で意 義があると自負している。しかしながら、現場で実際に支援を行っている人々から見れば、 筆者が明らかにしたことは、既に経験から理解されていることも多々あるに違いない。1 年 間という短い調査で捉えられたことには限界があり、ここでの事例報告は現場の人々が 日々触れている様々な事例には遠く及ばないだろう。また、本研究は「個性記述・仮説生 成」タイプの研究であり、主観的に考察したことが事実と異なる可能性もある。今後は、 これらを証明するための「仮説検証」タイプの研究を行う必要がある。 5−3 夜間中学への提言 本研究では高齢帰国者に限定して調査を行ったため、夜間中学全体の問題を扱うことは 97 できなかったが、1 年間、夜間中学とそこに在籍する高齢帰国者と関わってきて、考察した ことから提言を試みたい。尾崎(2003) では、大学や日本語学校で行われてきた日本語教 育を「学校型」と呼び、ボランティア主導の日本語教室を「地域型」と呼んで区別してい る。夜間中学は、ある点では学校型であり、ある点では地域型の性格を持っている。以下 に尾崎(2003) を参考に、「学校型日本語教育」、「地域型日本語教育」、夜間中学における 日本語教育の特徴をまとめてみた。 表5-1 機関別日本語教育の特徴 学校型日本語教育地域型日本語教育夜間中学の日本語教育 教授者一定の資格を有する者 ( 専門的な勉強、教育経験等) 条件なし ボランティア 中学校の教員免許を有する者 日本語教育に関する条件はなし 学習者一定の資格を有する者 ( ビザがある、学費を納める等) 条件なし。非常に多様 9 年の義務教育未修了者。それ以 外条件なし。非常に多様 授業形態1 人の教師が複数の学習者を教 える。 形式決まっておらず。クラス形 式、グループ形式、マンツーマン 形式など様々。 1 人の教師が複数の学習者を教 える。 学習期間1~2 年の短期間に集中的な教育 が行われることが多い。 週1 回90 分から120 分。3,4 ヶ月を1 学期とするところが多 い。 3 年(最長6 年) の間に集中的な 教育が行われる。(教科学習を含 めて) 学習目的日本語の学習多様。日本語学習が目的ではない 場合もある。 学習者の意識においては日本語 の学習( 無意識のレベルでは他の 要因も?) レベル差プレースメントテストがあり、レ ベル差はそれほど大きくない。 大きい大きい 試験ありなしあり(ただし形式的な場合もあ る) 教え方・( 初期段階では)テキストを使 用した文法重視、文法積み上げ式 が主流。 ・直接法 ・正確さが重視され、学習者の発 言内容が軽視される傾向。 「学校型」を参考にするがうまく いかず。 ( 新しい考え方) 文法を教え込む のではなく、学習者の言いたいこ とを引き出す。 ・テキスト使用。学習者によって 教授項目は異なるが文法中心。 ・基本的には直接法 発想・言いたいことを言うためには基 礎文型の学習が必要 ・文法重視ではない考え方も出て きたが、初期の段階では、文型学 習が主流。 ・ボランティアは「だれにでも日 本語の手助けはできる」という考 え方と「だれにでも日本語が教え られるわけではない」という考え 方の間で揺れ動く不安定な状態。 ( 新しい考え方) 学習者とボラン ティアの相互学習が大事。 ・教師によって考え方、やり方異 なる。「なぜ夜間中学で日本語教 育をするのか?」という矛盾を抱 えながらも、現実を受け入れ日本 語教育について勉強する教師と、 あくまで公立中学の体制を保持 しようとする教師がいる。 その他・積み上げ式なので、欠席すると 落伍する。 ・教師は短期間の教師養成講座で は獲得できない高度な教授能力 を要す。 参加者が一定しないため、積み上 げ式のカリキュラムが作れない。 ・「学校型」ほどではないが、欠 席すると落伍する。 共通点 98 「学校型日本語教育」も、文型重視から内容重視へ、例えば、学習者の「人間化」を求め る「ホリスティック・アプローチ」(縫部 2001)など、文法重視ではない考え方も出てき ており、上記の分類が適切でない部分もあるが、従来の「学校型」を見ると概ねこのよう になる。尾崎(2003) は、学校型日本語教室で学習成果があげられるのは学校型の学習者 であるということを指摘し、学習環境や学習目的が異なる「地域型」学習者には「学校型」 は適さないので、地域型日本語教室に集まるボランティア教授者と学習者に合った教育方 法を創り出していく必要性を述べている。 夜間中学を見てみると、教師と学習者の特徴は「地域型」に近いが、授業は「学校型」 で行われている。この点で、ボランティア教師と夜間中学の教師の持つ悩みは近いのでは ないだろうか。森本(2001) は、学習者に対しては日本語教師という立場に立ち、日本語 教師の役割を果たそうとしながら、一方で日本語教師に必要な知識、経験が不足していて うまく教えられないと感じているボランティアが多い点を指摘している。夜間中学の教師 達からも「テキストを前に、どのように教えたらいいのかわからない」、「無免許運転をし ているようなもの」という声が聞かれ、地域のボランティアと同じ悩みを抱えている様子 が伺えた。 もしも夜間中学の目指すのが、 「学校型日本語教育」であるのなら、教師はそのために「自 己研修型教師」、「内省的実践家」(横溝 2000) となり、常に日本語教師としての自己を高 めていく努力をしなければならない。しかしながら、夜間中学の教師達は日本語教師では ない。夜間中学における日本語教育は、本来なら行政が外国人向けに日本語の学習保障を 行うべきところを怠っているために、「義務教育」の意味を拡大解釈して、その肩代わりを しているといえる。したがって、元来は別の専門性を持った公立中学の教師たちが、不本 意ながら日本語を教えているという状況である。「不本意」といいながらも、現場の教師た ちの多くは、現実を受け止めて、自ら研修を受けたり、学習者にあったテキストを自作し たり(関本編 1998a 1998b)、学習者に関心を持たせる教室作りの工夫をしたり、多くの帰 国者生徒との関わりから、中国語の学習を始めた教師も少なくない。 だが、このような努力も、日本語教育の高い専門性が求められる「学校型日本語教育」を 念頭におくならば限界があるだろう。これについてT1 は、「夜間中学に限らず、教職課程 における日本語教員免許の制度が必要だ」と述べているが、現在の状況から考えるなら、 夜間中学がめざすべき日本語教育は、教師や学習者の性格、学習目的の多様性などから考 えて、「教室型日本語教育」ではなく、むしろ「地域型日本語教育」なのではないだろうか。 99 これが10 代の年少者となると、教科学習や進学の問題があり、また別の視点が必要である が(原田 2003)、今回の対象者のように日本で生きるためのコミュニケーション能力を身 につけたいという学習者に対しては、「学校型日本語教育」よりも「地域型日本語教育」の ほうが、日本語を学ぶ目的としてふさわしい。尾崎(2003) は、日本語教育の専門的な知 識や技術を持たないボランティア教授者に対し、以下の8 点の留意点を挙げているが、こ れは夜間中学の教師達にも示唆するところが大きい。 <地域型日本語教室でボランティア教授者が留意すべき8 つの留意点>(尾崎 2003) 留意点1 教授者は自分の話し方を工夫すること 留意点2 文法・文型より内容(話題)を重視すること 留意点3 ボランティアの語りからはじめること 留意点4 使えるものは何でも使うこと 留意点5 正確さより理解を重視すること 留意点6 共同作業を考えること 留意点7 教室外の活動と結びつけること 留意点8 日本語学習モードの時間を設定すること 学習者と平等であろうとするボランティアと、学習から見たらあくまで「先生」である 夜間中学の教師とでは立場が違うし、非継続的な「地域型」と継続的な夜間中学では、全 く同じようにはできないだろうが、参考となる部分もある。留意点2、5、7に関しては 本稿でも触れたが、特に重要であると考える。また留意点4では、絵、写真、実物、とい った物的リソースのほか、媒介語、学習者同士の助け合い、通訳なども奨励され、「ある程 度日本語がわかる外国人にボランティア教授者になってもらう方法もある。」と提案してい る。これに関しては、年少者教育などでは、小中学校に、その児童の母語を話せる日本人 や留学生などが、入り込みや取り出しの支援を行っているが、夜間中学でもそのような試 みができないだろうか。そうすれば、教師と学習者の負担もずっと減るだろう。本研究で も、通訳のために数回夜間中学を訪れた中国人留学生は、彼女の人間性もあるだろうが、 調査者が苦労して築き上げたラポールを、たった1 日で形成してしまい、授業中、教師の 説明を中国語で補足説明したり、教室外で学習者の生活上のトラブルを解決するなど、短 期間ではあったが大きな力を発揮していた。このように、「地域型日本語教育」には、夜間 100 中学にも応用できるヒントが様々ある。 以上、1 年の調査から筆者なりの提言を試みた。夜間中学の教員ではない筆者が外側から 意見を言うには限界があるし、本来は公立の義務教育機関であって、日本語教育機関では ない夜間中学に対し、日本語教育の立場から提言するということには違和感も感じる。し かしながら、『東京宣言』(日本語フォーラム実行委員会 2003:10) の「日本語学習に対す る公的保障」項では、即時、中期、長期の行動計画が記されており、うち、中期の行動計 画の中には「外国人が居住するすべての地方自治体が常設の日本語・識字教室を開設する。 さらに必要に応じて日本語の学習ができる夜間中学校を開設する。」とある。これは夜間中 学が日本語教育機関として認められているものと解釈される。もし、夜間中学が「多文化・ 多言語社会の実現」のために、積極的に日本語教育を行っていくというならば、外国人学 習者に対し、教育の機会を保障するだけではなく、その質も保障しなければならない。そ のために、夜間中学が考えていかねばならない課題は多い。地域や年少者の日本語教育で は、日本語教師が現場に関わり、現場の支援者達と問題解決に向けた共同活動を行ってい るが、夜間中学も日本語教育機関として環境整備を行うためには、日本語教師やその他の 方面の専門家との連携が必要とされるだろう。 5−4 日本語教育への提言 日本語教育は過去から現在にかけて広がりを見せてはいるものの、研究対象となるのは、 現在でも主に留学生や研修生、ビジネスパーソンなど比較的レベルの高い学習者であるこ とが多い。多くの研究者が大学や予備教育機関に所属していることを考えればそれは当然 のことである。しかしながら、そのような優秀な学習者に対する研究方法や成果は、今回 対象となったような母語の識字に問題があり、基礎学力を持たない学習者にはほとんど適 応できない。市販されているテキストを見ても、文法・文型積み上げで作成されたものが 圧倒的で、一部にはその他の場面、機能、トピックシラバスのものもあるが、それでも文 法や文型にしばられたものが多い。「学習者の多様化」という言葉は、多くの論文で見受け るが、そのように言う研究者達は、本気でその多様化に応える気があるのだろうか。 このようなことを言う筆者自身、今回の対象者に出会うまでは、自分の所属する大学の 留学生からデータをとろうとしていた。それが最も安全確実に楽にデータを収集できるか らである。もちろん、真剣に留学生のことを想って研究を行っている研究者は大勢いるだ ろうが、中には筆者のようにデータのとり易さから、対象者を選ぼうとする研究者はいな 101 いだろうか。ここで、留学生に対する研究が意味のないものだと言うつもりはない。自分 に直接関わりのある学習者を研究するのは自然なことで、むしろ、筆者のように、自分に は関わりのない学習者を対象者にするほうが不自然なことかもしれない。また、実際問題 として、フルタイムで日本語を教えながら、一方で別の場所でフィールドワークを行うと いうのは至難の業であり、今回、筆者がこのような研究を行えたのは、定職を持たず、時 間に余裕があったからに他ならない。しかしながら、日本語教育の研究者自身が、高等教 育機関から足を踏み出し、掘り起こしをしない限り、真の意味で「学習者の多様化」に応 えられる日はこないだろう。研究室から「こうあるべき」という理想論は言えても、それ は現場にはそぐわない机上の空論になってしまう。 既に、一部の研究者は、地域の日本語教室などに身をおいて研究を行っているが、外国 の人々との共生をめざす地域の日本語教育を考える際、従来の効率や正しさを重視した日 本語教育では、問題がとらえきれないことが指摘されている。定住外国人がエンパワメン トするために学ぶ日本語は、決して母語話者が話す「正しい日本語」や「自然な日本語」 ではないことは、研究者や現場の支援者からも言われている(田中2000 、春原 2003)。 そのような日本語教育を実行するためには、必要以上に誤用訂正を行わない、文法を教え 込むのではなく、相手の言いたいことを引き出すといった態度がとられ、現場では様々な 試みがなされている(武蔵野市地域日本語教育推進委員会 2000、野元 2001、土屋・米勢 2003)。 しかしながら、文法的な正しさを追求しないという以前に、「言いたいこと」を言うため の最低限の語彙を習得するためにも困難を持っている学習者、努力しても習得できない学 習者にどのように対応していくのかについては、まだあまり考えられていない。そのよう な学習者を、「どうしたら効率的に習得できるか」という視点からだけで見るのなら、問題 は解決されない。「どうしたら日本語が習得できるか」ではなく、「どうしたらその人が日 本で幸せに暮らしていけるのか」を考えることが、まず第一に必要なことである。したが って、もしその人が始めから日本語を学ばないという選択肢をとっても、途中で学習をあ きらめても、それがその人にとっていいことなら悲観的に考える必要はない。ただし、そ の人が学習をやめる理由が、支援者側が学習者に負担を与えたからであったり、自信をな くさせたからということであってはならない。また、「日本語を学ばなくてもいい」と言う からには、それでも十分心豊かに生きられる環境を作り出す必要もあるだろう。そして、 識字や認知能力などに問題があるなど、学習者として不利な条件を持っていたとしても、 102 その人が「日本語を学びたい」と言った時には、その人にふさわしい日本語が提供できる ことが必要である。これらの問題について、現場では試行錯誤が行われているが、まだ具 体的な形にはなっていない。この言語教育を超えた広い意味での日本語教育に対して、ど のように応えていくのか、それは日本語教育に携わる我々にとっての大きな課題である。 103 参考文献・資料 阿久澤麻理子(1993)「在日外国人の暮らしと自立を支援する」[ 月刊社会教育]編集部編 『日本で暮らす外国人の学習権』36-48 頁国土社 アークアカデミー教材作成委員会(2001)「中学校夜間学級」『社会と言語―日本語教師の ための―』76-77 頁アークアカデミー日本語教師養成科 秋元和枝・坂本裕子(2002)「学習者間の援助ストラテジーによる語彙習得―夜間課程で学 ぶ中国帰国者の事例―」『拓殖大学日本語紀要』第12 号 71-82 頁拓殖大学 蘭信三編(2000)『「中国帰国者」の生活世界』行路社 馬場尚子(1998)「各地域の定住帰国者に対する日本語教室情報提供の試み」『中国帰国者 定着促進センター紀要』第6 号 70-85 頁中国帰国者定着促進センター教務課 馬場尚子(2000)「高齢化する帰国者の「学習機会」を考える―「サロンコース」の試みを 通して―」『中国帰国者定着促進センター紀要』第8 号 45-67 頁中国帰国者定着促 進センター教務課 馬場尚子(2001)「これからの高齢帰国者支援のあり方―「学習実態等に関する調査」から 見えてきたこと―」『中国帰国者定着促進センター紀要』第9 号 26-51 頁中国帰国 者定着促進センター教務課 伴紀子(1999)「日本語教育における学習ストラテジー研究に向けて―初期の実証的研究と 教育研究活動―」『アカデミア文学・語学編』67 号 275-294 頁南山大学 文化庁文化部国語科(1983)『中国からの帰国者のための生活日本語』T文化庁 文化庁文化部国語科(1984)『中国からの帰国者のための生活日本語指導参考資料』凡人 社 文化庁文化部国語科(1983)『中国からの帰国者のための生活日本語』U文化庁 文化庁文化部国語課(1985)『中国帰国者日本語教育指導の手引き』文化庁 文化庁文化部国語課(1987) 『中国からの帰国者のための看・听・学−はじめての日本語』 文化庁 文化庁文化部国語課(1989)『中国帰国者用日本語教育指導の手引き 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