『季刊 海外日系人』第57号((財)海外日系人協会 発行、2005年9月10日)

在日日系子弟の教育と日本の学校:人材育成システムの視点から

関口知子 南山短期大学

問題は、人ではなくシステム
 2004年末現在、外国人登録者数は36年連続で過去最高を更新し、197万3747 人となった。およ
そ65人に1人が外国籍住民となった日本社会において、子ども世代の人口動態に着目すると、「国籍」
による「日本人」・「外国人」の二分法では捉えきれない層、即ち日系人や国際結婚の子どもたちに代表
されるような「日本人」と「外国人」の「境界空間」に位置づけられた子どもたちの存在が顕在化している
(関口、2003)。そうした子どもたちの中には、日本国籍を持つ者、外国籍の者、二重国籍状態の者、無
国籍で登録されていない者がおり、その言語文化的背景や家庭環境も様々だが、「単一言語・単一文
化の国民」が前提の日本の公教育システムは、多様なかれらの存在を受け止めきれずにきた。かれらの
多くは、「違い」が「障害」になってしまう日本の学校の中で疎外化され、初等教育すら十分に保障されて
いない。
 だが、今の時代、社会に出れば、逆に「違い」が評価される。経済界では「多様性人材立国」の提唱が
なされ、「差異を意識的につくらなければ生きていけない」(岩井、2004)といわれるポスト産業資本主義の
時代においては、横並びではなく、人と違う「異見オリジナリティ」(上野、2002)を持ち、「差異」を生み出すことのできる
付加価値生産性の高い人材、多言語・多文化な人材こそが求められている。にもかかわらず、次世代を
担う人材育成の公的機関である学校が、いまだに「違い」に対応できず、「違い」を持つ子どもを「問題」
視している。本質的に問題にすべきは、「違い」を持つ子どもたちではなく、学校の外の多様化した現実
社会に反して、「違い」を評価できない日本の学校の単一システムの構造である。
 本稿は、こうした問題意識から、教育機会を奪われてしまっている大勢の「在日日系人青少年」を「問
題発生の根源」ではなく、日本の学校を社会の変化に対応した多文化型に転換する「問題解決への糸
口」と捉え、社会の中で活かされずに埋もれたままの多様な言語文化資源を開発できる教育システムへ
の構造転換を提言するものである。

日系人青少年をめぐる現状:日伯人材育成システムの機能不全

(1)増え続ける不就学と「ニート」

 では現在、安定した教育機会を保障されないまま日
本で成長している日系人の子どもたちは、どのくらいい
るのだろうか?日系ブラジル人の事例から見ていこう。
 図1は、日系ブラジル人の子どもの就学状況の過去
5年間の推移である1。就学年齢にも関わらず日本の
学校にもブラジル人学校にも通っていない者は、2000
年には約7千人と推定されたが、今やその数は1万7
千人(不就学率4割)に及ぶ。ただし、ここでの不就学
者数は、[就学年齢登録者数−(公立学校在籍数+
外国人学校在籍数)]として算定されたもので、頻繁な
移動により生ずる登録記録と現実の居住のズレから、


1 2000年データは「フロンティアとよはしVol.7」(2000.3)、2005年データは「ニッケイ新聞」2005年6月3日「ルーラ大統領訪
日の成果は−連載(2):デカセギ子弟の教育10月、日伯両政府で意見交換」http://www.nikkeyshimbun.com.br/

居住が確認できずに就学実態が「不明」な数も含んでいるはずだ。しかし、移動によって実態が「不明」な
状況にある子どもたちが、安定した教育機会を享受できている可能性は高くはないだろう。
 「不就学者ゼロ」を目指す岐阜県可児市は、外国人登録された全国籍の子ども(約86%が日系ブラ
ジル人)を対象に、直接訪問により3回にわたる面接調査を実施(実施時期:2003年4月〜2005年5
月)して就学実態を確認した。その報告書2(可児市企画部まちづくり推進課、2005)によると、不就学と
確認できたのは1回目4.2%、2回目7.2%、3回目6.8%であり、3回とも登録者の約3割が「別人居住・
帰国(一時帰国含む)・転居など」の理由による「居住不明」で就学実態を確認できなかったという。この実
態が「不明」な子どもの数を含めた約4割を、就学状況を確認できない「教育機会不安定層」とすれば、
図1から推定される不就学率に一致する。
 またこの可児市調査からは、@低年齢の子どもの場合は家庭の経済的理由、高年齢の子どもの場合
は子ども自身の学習意欲の低下が不就学に関連していること、A一度不就学になった子どもが再度就
学する場合は極めて少ないこと、B新たに転入した子どもにも不就学の比率が高いことが判明した。不就
学の子どもの日常の過ごし方は、家にいて家事手伝い・仕事があれば単純就労かアルバイト、何もせず
に毎日家でゲームか遊びに出かける、などというものだった。さらに、義務教育年齢期を超過した15歳の
子ども(日本の高校1年生相当)については、@日本の中学校から日本の高校へ進学した子どもは極め
て少ないこと(進学率18.1%)、A約3人に1人が「出身地(外国)の学校」を中退し、かつ「日本の中学
校の卒業証書」も取得していないこと、そして、こうした子どもの多くが「就労」もしくは「何もしていない」状

態で生活していることも明らかになった。
 「日系就労子弟の教育に関する実態調査」(海外日
系人協会、2003)のアンケート結果から危惧されていた
ことだが、直接面接調査から得た実証データからも、初等
教育も終了しておらず日本語・母語のどちらの識字能力
も危ぶまれる層が「ニート」化している状況が確認されたの
である。
 学校にも行かず、働いてもいない、職業訓練もうけてい
ない若年無業者「ニート」(Not in Education, Employment
 or Training :NEET)3の増加が最近日本でも社会問題に
なっているが、既に90年代中頃から日系人青少年の「ニ
ート」は顕在化していた。子どもの教育を従属変数とした
親たちのデカセギ就労が続く中、教育を受ける機会も十
分に保障されないまま、「ニート」化せざるをえない環境に
放置された子どもたちが存在してきたのである。
 一方、ブラジル人学校に通う子どもたちの現状は、
2005年現在、ブラジル教育省公認校35校に在籍するの

が5350人で、未公認校30校に在籍するのが2545人だ。しかし、公認校の在籍者は、小学生41%、中


2 この「外国人の子どもの教育に関する実態調査」は行政・民間団体・研究者による協働研究。2004年度調査の対
象者は370人で、その国籍内訳は、ブラジル319(86.2%)、フィリピン29(7.8%)、韓国朝鮮16(4.3%)、中国3、
ペルー1、アルゼンチン1、インド1である。
3 NEETは若年無業者問題に悩む英国による造語。日本のニート人口は64万人〜85万人と推定されている。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3450.html 日系人青少年の場合、「働く意思がある」という点で本来なら「フ
リーター」に該当するが、日本人フリーターとは学歴・日本語識字力などの点でかけ離れた実態があるため、「学
校にも行けない、働きたくても働けない、職業訓練も受けていない」という深刻な状況を示すべく、「ニート」と
いう言葉をここでは敢えて使用している。

学生54%で、高校生はわずか5%しかいない。「高校の年齢になると、みな働き始めてしまう。これが現実
だ」4という。
 つまり、日伯いずれの学校も、次世代を担う在日日系人子弟の人材育成に失敗しているといわざるを
えない。図2に示すように、日本で暮らす日系ブラジル人未成年人口は6万人に達し、「年間約3000人
のブラジル人の子どもが生まれている」(ナカガワ、2005)中で、5歳未満の人口は韓国朝鮮籍を上回るま
でになった。しかも、子どもたちの3人に1人は将来もこのまま日本に住みたいと考えており(海外日系人
協会、前掲)、このままでは、社会的周辺化を伴う形での定住化が懸念される。
 ここに至ってようやく、文部科学省は「不就学外国人児童生徒支援事業」として、不就学の実態把握
に乗り出し、就学を促す取り組みに支援することを決めた5。また、「外国人児童生徒のための就学ガイド
ブック」も英語・韓国朝鮮語・ヴェトナム語・フィリピノ語・中国語・ポルトガル語・スペイン語の7言語で作成
され、インターネットでダウンロードできるようになった6。だが、日本の学校への就学を促す多言語サービス
を整えても、日本の学校の中身が変わらなければ、根本的には問題は解決しない。

(2)日本の公立学校における現状:ドロップアウトと低学力
 日本の公立学校が、日本語を十分に理解しない外国籍児童生徒のためにとってきた対策は、@日本
の学校文化への適応指導とA日本語指導体制の整備であり、第二言語としての日本語(JSL)学習の教
材開発はかなり進んできた。しかし、中学段階でドロップアウトする者は減らず、日常会話は問題なくても
教科学習についていけるだけの学習言語としての日本語を獲得できないまま「低学力」に陥ってしまって
いる長期滞在の子どもの存在がクローズアップされるにつれ、B学習保障・進学保障へと重点課題は移
行してきた。一方、バイリンガル教育や年少者日本語教育の知見から、認知力の発達や教科学習にお
ける母語活用の有益性が確認されるにしたがい、C母語学習の取組や、大学の日本語教育コースと連
携して教科・母語・日本語の三者を相互に育成しあう学習支援の試みも始まっている7。また、兵庫県立
芦屋国際中等教育学校のような外国籍生徒と帰国生らのニーズに対応できるカリキュラムからなる中高
一貫校も開校され、2007年には浜松市立高等学校に外国籍生徒のためのインターナショナルクラスが
開設されるとのことで、対応の進化が見られる。
 しかし、地域間(集住地−少数点在地)・学校間(多籍校−少数在籍校)・校種間(小・中・高)・言語
間(バイリンガル人材の多寡)で、取組の格差は著しい。正規の授業として母語学習が導入されている大
阪府立門真なみはや高校のような先進事例がある一方で、初期日本語指導すら十分に手が回らない学
校もあり、高校段階では大半が何もしていないのが現状だ。極端に低い外国籍生徒の高校進学率への
対策として、入試特別措置(一般入試の時間延長、漢字にルビ、辞書持込許可など)や特別入学枠を
設け8、多言語による進路ガイダンスを保護者向けに実施する自治体も増えてきたが、各都道府県で対
応に大きな落差があるのが現状だ。また、たとえ高校に進学しても、一切サポートのない状況で結局ドロッ
プアウトしていく者も多い。
 2004年9月現在、公立小・中・高等学校・中等教育学校及び盲・聾・養護学校に在籍する「日本語


4 「ニッケイ新聞」メルマガ版160号2005年8月6日「子弟4割が未就学:高齢化もそろそろ=デカセギ問題の現状深刻」
5 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/06/05072601.htm 
6 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/03082702.htmでダウンロードできる
7 例えば、子どもメイト (2005)『母語学習と人材育成:「友達」はいらない〜但是我想要「朋友」』とよなか国際交流協会。「教
科・母語・日本語相互育成学習モデル」については、お茶の水女子大岡崎眸教授による子どもLAMPの活動
http://www.kodomo-lamp.org/を参照。
8 中国帰国者定着促進センター「同気・同声」の進路進学関連情報データベースに、各地の進路ガイダンス状況や各自治体
の特別措置情報が掲載されているhttp://www.kikokusha-center.or.jp/joho/shingaku/shingaku_f.htm

指導が必要な外国人児童生徒」の数は19,678人である(文部科学省調査9)。母語別では、ポルトガル
語が全体の4割近くを占め、スペイン語と合わせて全体の5割が、日系人児童生徒ということだろう。また、
「1人」在籍校が約半数、「5人未満」在籍校が8割を占める一方、「30人以上」在籍校が56校と前年か
ら12校増加し、分散と集中の二極化した状況が続く中、支援が集中校に偏る傾向は否めない。学校種
別で見ると、小学校13,307人、中学校5,097人、高校1,204人である。中学・高校の在籍数が極端に
少ないのは、中学でのドロップアウト率の高さと高校進学率の低さを反映していよう。一方、高校の定時
制の在籍数は499人で前年から7.3%増加し、通信制は37人で32.1%増加している。定時制や通信制
の高校が外国籍生徒の実質的な受け皿になってきているようだ。
 ただ、再確認しておきたいのは、日本の学校に在籍している日系人の子どもの数は、図1からもわかる
ように全体の一部に過ぎないということ、さらに、たとえ日本の学校に通っていても、支援を受けられるのは
ごく一部であり、高校生まで脱落せずに生き残ることができるのはほんの一握りという現実だ。日本の公立
学校は、日系人の子どもにとって「意味のある教育の場」として機能してこなかったといえるのではないか。

日本の学校システムの問題:階層格差拡大と「一斉共同体」原理
 日本人の子どもたちにとっても、日本の公立学校への信頼感は揺らいでいる。学習離れ、基礎学力の
低下、学力の二極化と学習意欲の階層格差の拡大など、教育改革論争の中で提起された公教育の
「危機」は、高校中退者や引きこもり、フリーター、ニートなど社会に出ていけない若者の増加と相まって、
メディアの注目を浴びた。だが、何が本当の「危機」なのか、日本の教育がどれくらい「危機的状況」なの
かは、「21世紀に求められる能力」・「達成されるべき力」をどう定義するか、いつの時代と比較するのか、
何と比較するのか、誰が語るのかに拠って変わるだろう(TSUNEYOSHI, 2004)。
 多文化・多民族化が不可避とされる「21世紀日本」の人材育成の視点からいえば、今、公教育の最
大の懸念は、階層間格差の拡大・再生産の問題(苅谷、2004;関口、2004)だろう。自己選択・自己責
任・自助努力に軸足をおいた新自由主義の教育改革のもとでは、選択する術を持たない階層の子ども
たち、親の人的資本に恵まれない子どもたちは、本来の潜在能力を開花させる機会もないまま社会の周
辺に溜まるしかない。その尖兵の位置に立たされているのが、日系人青少年なのである。デカセギ就労と
いう不安定雇用の親とともに移動するライフスタイルの不利に加え、言語文化的属性の不利から、高等
教育・中等教育へのアクセスを絶たれ、人的資本を劣化せざるをえない状況に追いやられている。
 冒頭でも述べたように、ポスト産業資本主義社会では、「差異を意識的につくりだせる人こそが、最大
の利潤の源泉、すなわち究極の資本である」(岩井、前掲)。また、差し迫る地球規模の環境・社会・政
治外交課題に対処していくために、言語文化も利害も「違うみんな」が、対話し、協働し、問題解決を図
らなければ、持続可能な人類社会を維持できないことも明白だろう。したがって、これからの子どもたちに
は「異見オリジナリティ」を持つ力と、「違うみんな」で対話し調整する異文化間コミュニケーション能力・多言語能力が
必須となる。
 だが、「みんな同じ」を前提に、モノリンガル・モノカルチュラルな「一斉共同体主義」(恒吉、1996)の組
織原理の中で同調型の人材育成機関の機能を果たしてきた日本の教育システムの中では、そうした力
は育ちにくい。「異見」を生み出す前提となる「違い」が、学校の中で見えなくされているからだ。そうである
ならば、「同じがいい」という共同体原理を180度転換し、「違っていい」「違うからこそいい」というシステム
に変革していく必要がある。たとえば上野(前掲)は、「クラスは同一年齢でなくてもいいし、外国人もハン
ディキャップのある子も、みんないっしょに学べばいい。人と違うことを言った時には、その芽を摘むのではな


9 文部科学省調査によるhttp://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/17/04/05042001/05042001.htm#h04

く褒めたらいい。現にあるものとあなたとがどのように違うか、どう距離があるかということを許容する教育カリ
キュラムを作ればいい」として、教室という場にできるだけ異質性の高い人たちの集団をつくることを提案し
ている。日本の教室で、その異質性ゆえに「問題」視されてきた日系人の子どもたちが、実は、日本の学
校システムに内在する問題を解決しうる絶好の多文化エージェントなのである。

新しい「多文化共生」型統合教育システムの構築に向けて−Living Together in Cultural Diversity-

 今、急激な少子高齢化と多文化・多民族社会化を同時経験しつつあるわたしたちは、表1に見るような
「日本人」の様々なタイプを前に、「われわれ日本人」の境界をどこに引くのか、「日本」をどんな国の形
にしていくのか、ビジョンを選択する岐路に立たされている。多様化した社会の現実に目をそむけ、国籍、
日本語能力、血統、居住地、さらには日本文化リタラシー、主観的アイデンティティなど全ての属性を満
たすと想定する最狭義の「日本人」概念を「一級日本人」のあるべき姿として、属性の不足する人たちと
の間に階層ごとに壁を作り、排他的単一主義社会に回帰することを目指すのか(図3上向き矢印)。だが、
この選択をすると、人口動態上、長期的には持続可能でないことは明らかだ。逆に、移動に伴い属性が
変化した人、最初から属性が欠けている人、どちらともいえないような曖昧な属性を持つ人々も、同じ社
会の構成員として社会統合していく包摂的多様主義を目指していくのか(図3下向き矢印)。海外日系
人社会は一足先に、混血日系も非日系の配偶者も包摂する多様社会となり、「包括性(inclusiveness)」
を鍵に連帯してきた(竹沢、2004)。
 国、自治体、市民団体、企業の最近の動きを見れば、「多文化共生」への方向性は既に定まりつつあ
るように思える。2004年、日本経済団体連合会は外国人の積極的かつ秩序ある受け入れのための「多
文化共生庁」の設立を提言し、外国人集住地である愛知県・岐阜県・三重県・名古屋市は「多文化共
生社会づくり推進共同宣言」を策定、2005年川崎市は「多文化共生社会推進指針」を策定した。全国
の様々な自治体でも「多文化共生」の担当部門が設置されつつある。「多文化共生」をミッションに掲げる
NPO/NGOも増えている。そして、総務省は、「多文化共生の推進に関する研究会」を発足させ、日本語
が十分でない定住外国人への対応を焦点としてコミュニケーション支援プログラムと定住支援プログラム
を検討し、2005年度中に全国の自治体が活用できる内容として「多文化共生推進プラン」を策定する方
針だ。「多文化共生の推進」が国レベルの重点施策と位置づけられた画期的な年として、2005年は「多
文化共生元年」(山脇、2005)となるかもしれない。 

 「日本21世紀ビジョン」専門調査会報告書10が描いた目指すべき日本の将来像は、「開かれた文化
創造国家」だ。「世界中の人が訪れたい、働きたい、住みたいと思う壁のない国」、「世界の中のかけ橋国
家」になろうと提言する。まさに日系人青少年が二国間を跨いで活躍する未来を確信できるような
ビジョンだ。だが、一方でこの報告書は、わたしたちが日本社会の構造変化を直視し、適切な改革を
早急に実行しなければ、「希望を持てない人が増え、社会が不安定化した希望格差社会になる」と予言
している。ここ1〜2年が正念場だとも警告している。
 本稿の前半で、その「希望格差社会」を既に体現しつつある日系人青少年をめぐる状況を見た。今こ
そ、在日日系子弟の教育問題への抜本的解決に向けて、長期的・包括的視点から日本の公立学校を
システム変革していく必要がある。ブラジル人コミュニティからは不就学対策としてブラジル人学校の増設
を要望する声もあるようだが、エスニックビジネスとして営まれている限り、経済的な理由で不就学になって
いる層を取り込めないという点で、根本的解決にはならない。一定の教育水準が確保されている学校に
助成または学校法人化して、質の高い教育を提供する学校の学費低減を図り、教育機関たりえている
学校に子どもが集まる誘因を作る(梶田・丹野・樋口、2005)ことは重要だが、ブラジル人学校が集住地
域に偏在しており、全国に散らばる子どもたちを救えない。
 義務教育段階においては、国籍を問わず、在留資格を問わず、日本で成長する全ての子どもたちを、
未来社会を担う人材に育てていくのが、グローバル化時代の公教育の使命だと考える。そもそも若年人
口の急減が迫る中、子どもたちを、国籍や定住化の不透明さを理由に、切り捨てている場合ではない。
国境を超えた人の移動にも適応できる教育システムを確立し、日本に残る、母国に帰国する、両国を行
き来するといった選択肢にかかわらず、最低限の教育効果を保障するバイリンガル教育、多言語・多文
化教育を公立学校の中で制度化していく必要がある。これは、在外日本人の子どもたち、国際結婚の子
どもたちにとっても待ち望んでいたものだろう。そのために必要な理論と実践ガイドも既にあり
(Cordeiro,et.al、前掲;カミンズ・ダネシ、2005)、あとは、「変える」ための行動を、日本政府、ブラジル政
府、日本社会、日系社会が一致協力しておこすのみだ。それが、日系人の子どもたちの言語文化資源
を生かし、かれら個人の人的資本を豊かにするとともに、日系社会を豊かにし、日本社会を持続可能で
「開かれた文化創造国家」にしていく道筋となる。

引用文献
岩井克人「ヒト重視の経営に未来:ポスト産業資本主義時代 新たな利潤の源泉」日本経済新聞、2004
  年1月5日
上野千鶴子(2002)『サヨナラ、学校化社会』太郎次郎社
Cordeiro, P.A., Martinez, L.P., & Reagan, T.(1994)”Multiculturalism and TQE: Addressing Cultural 
  Diversity in Schools” Corwin Press, Inc.(=2003、平沢安政訳『多文化・人権教育学校をつくる:TQE
  理論にもとづく実践ガイド』明石書店)


10 http://www.keizai-shimon.go.jp/special/vision/(2005年7月28日アクセス)

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梶田孝道・丹野清人・樋口直人(2005)『顔の見えない定住化』名古屋大学出版会
可児市企画部まちづくり推進課(2005)『外国人の子どもの教育環境に関する実態調査:2004年度調
  査報告書』可児市国際交流協会
苅谷剛彦、2003、『なぜ教育論争は不毛なのか:学力論争を超えて』中公新書ラクレ
カミンズ、ジム・ダネシ、マルセル著、中島和子・高垣俊之訳(2005)『カナダの継承語教育−多文化・多
  言語主義をめざして』明石書店
関口知子(2003)「在日日系人は今−境界空間に生きる子どもたちの視点から、日本の学校を再考する
  −partI・partII」『海外日系人』第52号・第53号
関口知子(2004)「姫路市小中学生の学習意欲格差:多文化教育のための予備研究」2004年姫路工業
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  れた子どもたちに何が起きたか−」『多文化共生研究年報』第2号、名古屋多文化共生研究会
山脇啓造(2005)「多文化共生社会のとびら:二〇〇五年は多文化共生元年?」『自治体国際化フォー
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