【目標構造表】の改訂及び【自己評価表】開発プロジェクト報告

安場 淳

目次
0.はじめに
1.改訂までの経緯
1-1 旧目標構造表とプロト・カリキュラムについて
1-2 今回の改訂までの経緯
2.改訂の過程
2-1 構造表
2-2 自己評価表
2-3.カリキュラム改訂
3.改訂版構造表と自己評価表について (改訂点を中心に)
3-1 目標構造表
3-2 自己評価表
4.今後の課題


0.はじめに

   中国帰国孤児定着促進センター(以下センター)では2007年から2009年にかけて、十数年ぶりで目標構造表およびプロト・カリキュラムの改訂を行い、併せて目標構造表に基づき学習者のための自己評価表を一部開発した。本稿ではそのプロジェクトの結果について報告する。

1.改訂までの経緯

1-1. 旧目標構造表とプロト・カリキュラムについて

   センターの教育目的は帰国者の異文化適応に対する教育的援助である。センターでは帰国者の日本での「自己実現」を支援するべく、「日本での生活への自信と意欲、それを下支えする 基礎知識・基礎技能」という理念的な大目標を設定した。そして、その構成概念として、中目標>小目標>達成目標(できるだけ操作的に定義された、いわゆるcan-do statements。目標によってはその範囲を示す項目リストを付す)という階層構造を持つ目標構造表(以下、構造表)を、学習者の年齢や適性別に複数タイプ策定し、それに基づいて教育実践を行ってきた。この構造表はセンターが開設10年めを迎えた1993年に、それまでの実践を総括してカリキュラム(何を、何のために、どのように教えるか)開発に臨むために策定したものである(詳細は佐藤・小林(1994)参照)。
 大目標は以下の3つの中目標からなるものとした。

表1 中国帰国者定着促進センターの教育目標
大目標: 日本での生活への自信と意欲、それを下支えする基礎知識・基礎技能
中目標1 身近な生活行動場面に必要な基礎知識・基礎技能を身に付ける
(「今を生きる」ために必要な目標領域であり、サバイバル目的)
中目標2 将来の生活に有用な基礎知識・基礎技能を身に付ける
(「将来を切り開いていくための準備」の領域であり、一般教養、人生設計、異文化理解、学習法・学習ストラテジー、アイデンティティの確立といった、より高次の目的に対応)
中目標3 身近な生活や将来の基礎となるコミュニケーションの力を身に付ける
( a)コミュニケーションストラテジーを含むコミュニケーション力の領域と、b)その基礎となる認知的な言語操作能力に関する領域からなる。b)はa)および中目標1、2を下支えする位置づけ)

そして、中目標毎にそれを構成する複数の小目標、さらにその小目標を構成する複数の到達目標を設定した。表2に1994年当時の構造表中の到達目標のラベルを示した 。
構造表は、A(非識字者)、F(最も人数の多い中間層)、M(成人既習者・学習適性も高い)、N(青年既習者・学習適性が高い)、I(青年未習者・学習適性は高くない)という、特徴のはっきりした5つのタイプについて作成したが、もちろんセンターの全学習者がこれらのタイプにきれいに分かれるわけではない。実際には成人をA・B・C・DE・F・GH・KL・Mの8タイプ、青年をI・J・Z・Nの4タイプに分けてカリキュラム開発を行った。但し、このままでは細分化しすぎて煩雑である。のちにこれらは大きく、T(A・B・C・DE)、U(F・GH・I・J)、V(KL・M・Z・N) の3タイプに分けて整理されていった。
表中の各ラベルは一つの達成目標を表しており、たとえば、小目標「交通」中のラベル「交通規則」は「徒歩や自転車での通行に関する交通ルールや注意事項を守って通行できる」、「道聞き」の達成目標は「よく知られている場所を指定されれば、通行人に道を尋ねて目的地に行ける」という達成目標を代表している。なお、表中の「小目標」欄のTUVは学習者タイプごとに目標が異なる場合の各目標である。

表2 1994年目標構造表(ver.2)の達成目標のラベル一覧
中目標1 : 身近な生活行動場面
小 目 標 達成目標のラベル
(交通)交通機関を利用して目的地に行くことができる 交通規則/道聞き/電車/バス/緊急時
(消費生活)消費生活についての知識を身に付け、日常必要な物が買え、サービスが利用できる 商店知識/売り場/サービス/返品等/契約/金融機関
(センター)センターでの学習生活に必要な知識を身に付け、必要な行動ができる 早退遅刻等/日直/センター規則
(住居・近隣対応)居住環境についての知識を身に付け、近隣の人や援助してくれる人と良好な関係を保つことができる 住居安全/住宅事情/近隣交際/接客訪問/引受人等
(職場・自分(の)学校)求職の方法や職場の習慣についての知識を身に付け、簡単な面接試験に対応できる 求職/職場習慣/面接試験
(健康)日本の医療事情についての知識を身に付:、医療機関が利用できる 医療制度/健康衛生/病院利用/
(通信)郵便や電話についての知識を身に付け、利用できる 電話/郵便/情報メディア/情報収集
(社会福祉・手続き)帰国者が受けられる公的援助と必要な手続きについて知る(Tタイプは「手続きがあることを知る」) 帰国者援護/手続き
(子弟教育)日本の教育事情を知り、保護者の役割が果たせる(Tタイプは「役割について知る」) 教育事情/学校事情/学校適応
中目標2 : 将来の生活に有用な基礎知識・基礎技能
小 目 標 達成目標のラベル
(一般教養)帰国者に必要な一般教養(Tタイプ「常識」)を身に付ける 政治/戦後史/地理/生活様式/帰国者問題/機器操作
(異文化)異文化社会での適応に伴う問題、及び日本での人間関係において生ずる問題を知り、自分の問題として対処法を考えてみる 異文化適応/異文化事例/サポート利用/人生設計
(日語自学)日本語の自学自習能力を身につける(T)/〜自学自習能力の基礎を身に付ける(U)/〜自学自習能力を高める(V) 学習意識/学習技能/学習評価
中目標3 : 身近な生活や将来の基礎となるコミュニケーションの力
小 目 標 達成目標のラベル
(話題コミ)日本人と接することを通して、コミュニケーションに対する柔軟な姿勢を築くとともに、身近な話題でコミュニケーションできる コミ手段/話題/会話継続
(日語知識)日本語の基礎的な知識を身に付ける(Vタイプは「〜を補足整理する」) 文字/語彙表現/発音/文法文型/読解/作文

1-2. 今回の改訂までの経緯

a.プログラム開発

  1994年に目標構造表が一通り揃ったところで達成目標実現のためのカリキュラム開発に着手した。この過程で、中目標2中の態度面の目標はそれ単独では学習活動が設定しにくいことや、中目標1や2を下支えする中目標3中の言語操作の力などは、その上位の目標とセットにした方が提示しやすく、また習得を促しやすい項目もあることなど、複数の中目標にまたがる複数の達成目標を束ねて1つの単位とし、プログラム化した方が実践になじみやすいことが見えてきた。そこで、行動、知識、交流、ことばの4本の柱を立ててこれを研修期間内に配置していくプログラム化を行った。

b.サハリン帰国者向けカリキュラム開発

 1998年からはサハリン帰国者の受け入れが始まり、サハリン帰国者向けにRタイプのプロトカリキュラムを開発、同時にMJXの3タイプは中露2言語話者混合のクラスになる場合が多いことから、中露混合MJXクラス用として改訂を行った。
  但し、この時点でも、相変わらず現場は自転車操業が続いていて教務課全体でそのカリキュラムの適否を仔細に検討する余裕がなかったため、その期その期の小プロジェクトとして、過去に実際に行われたプログラムを「叩いて」少しずつ改良なり更新なりして使用する形をとった。

c.研修期間の6ヶ月化

 2004年からセンターの研究期間が4ヶ月から6ヶ月に延長されるため、カリキュラムの6ヶ月化を行った。これを機に、それまで手書きでコピーを重ねていたプログラム配置表がデジタル化される。この後、プロトカリキュラムの全コマのデジタル化も進められた。

d.センター内外の状況の変化

  1994年当時には、この構造表による教育の対象となる帰国孤児とその配偶者は40〜60代、二世が学齢期〜20代であった 。その後、孤児世代の高齢化とともに帰国婦人・孤児が二世三世を帯同して帰国できるようになったことで世代が移り、2009年時点では孤児世代の年齢層が50〜70代(婦人は70〜80代)、二世世代が30〜50代、三世が学齢期〜20代となった。
  この間、日本社会の状況も変わった。最も大きな変化はインターネットの普及による、「情報化社会」の進行である 。センターのカリキュラムは1994年版の構造表の下、センター内外の情勢の変化に対応して実行上で細かい変更を加えてきてはいたが、構造表自体を見直す必要に迫られる。
 また、背景事情として、21世紀に入って官民ともに移民受け入れの本格的な議論が始まり、生活者に必要な日本語でのコミュニケーション力のレベルについてヨーロッパ共通参照枠(CEFR)などを参照して検討する必要が増してきたことも大きい。

e.修了後の中長期的な学習を視野に入れた目標化

 しかし、今回の改訂の最も大きな契機は、「センター修了後」を視野に入れた支援を考える必要性が高まったことである。年ごとの帰国する人の数の減少に伴って自立研修センターも東京と大阪を除いて全て閉所となり、帰国者の日本語学習支援もそれまでの定着促進センター →自立研修センター(全国主要都市)体制ではなく、定着地の市区町村に委ねられることとなった。
学習者にも、センター修了後も視野に収めた自らの学習目標とそこまでの過程を意識してもらい、継続的に学習することを促す必要性がより増したと言える(小川・佐藤(2010)参照)。

2.プロジェクトの過程

2-1. 構造表の改訂

本プロジェクトは以下の流れで、教務課内の現職者研修を兼ねて行われた。
@ 現行カリキュラムと目標構造表を照合し、現行カリキュラムと構造表の間で不一致があれば、必要に応じて双方を改訂する…2007年
A @の結果だけでなく、国内外の移民を対象にした定住支援教育のシラバスなども参照して詳細に達成目標レベルで構造表を再検討し、現在の帰国者と社会の状況に見合ったものに改訂する(構造表第4版)…2009年
B Aに沿ってプロトカリキュラムを教案単位で改訂する…2010年

  Aの作業では、まず「行動」「知識」目標について検討を行った。このとき、従来の学習者タイプ別に作られていた構造表を統合し、達成目標を段階的に全て記載する形に変更し、特定のタイプ固有の目標についてはその旨特記するようにした。また、それまでの版では「知る」こと止まりでよしとした項目と「行動できる」ことまで目標にする項目とがあったが、今回、中長期目標の設定および現代社会の一層の情報化に伴い、「知る」止まりの項目について「行動できる」に"格上げ"すべきものがあるかも検討した。
  参照した国内外のシラバス等は章末の参考文献欄に掲げた。
  「知識」については、帰国者として知っておくべき知識(教養)の質・量および「日本人」の持っている一般教養の質・量との兼ね合いが問題となった。日本で生まれ育った日本語母語話者であっても、小中学校で教えられた事柄の全てを身につけている訳では決してないことは誰もが肯定するところだろう。逆に、学校では教えられないがテレビやインターネット等の媒体を通じて吸収された、日本社会についての情報もある。これらのうち、どれほどが「一般教養」としてどのぐらいの層に共有されているのか、結局どの程度の知識があれば日本社会についての常識があると言ってよいのか、判断が非常に難しいところである。悩んだ末、恣意的ではあるがイメージ化のしやすい文言として、センターにおける最高水準X(本紀要参照)を"居酒屋談義"程度と定めた。前述の資料(章末の参考文献)に加えて小学校の指導要領、大学の留学生教育の「日本事情」シラバス、インターネット上の小学生向けの社会科ウェブサイトなども参照したが、特に社会科好きでもなかったプロジェクトメンバー自身が今持っている知識の程度も参照の対象とした 。
 なお、この改訂では、退所後就労するだろう二世三世に学習主体を絞った。高齢化した一世世代のためにはセンターの大目標自体を知識や技能の修得から「心身の健康維持」へと大きく転換する必要があり、現場では既に転換後の高齢者向けカリキュラムが実施されている 。
  現時点では、、Aで出された項目を小目標毎に洗い出し、各タイプのプロトカリキュラム上に反映させるBの作業が進行中である。

2-2. 自己評価表の開発

  2-1のAの構造表改訂後、「自己評価表」の開発にとりかかった。これは、学習者自身が目標設定を行い、センター修了後も自身で、支援者の助けを得ながら学習過程を管理していけるようになること、またセンターのクラス担任講師にとっても学習目標を意識して組み立てられることを目指して開発したものである。自己評価のための道具であるので極力学習者の視点に立って目標を整理していった。その過程で、必要であれば構造表そのものに追加や変更を加えた。その際、以下の2点を取り決め事項とした。
@ 構造表の全達成目標を網羅するのではなく、象徴的な達成目標に集約させ、できるだけ簡潔な"can-do"文で表す
A 必要な達成目標として講師側が認識しておくべきではあるが、学習者がイメージしにくいと思われる項目は自己評価表から割愛する
 さらに、センター在籍中の学習者にこの表を活用してもらうべく試用する過程で、もう一つ考慮すべき事柄が生じた。センター修了後の学習継続も意識してもらうための自己評価表ではあったが、上の@Aを考慮に入れても項目数がなおあまりに多く、学習者にとっては表を閲覧するだけでも負担が大きすぎたのである。そこで、センター在籍中の学習者向けの評価表については、いわゆる「将来項目」を大幅に割愛した所沢版とした。

3.改訂版構造表と自己評価表について (改訂点を中心に)

3-1. 目標構造表

 主な改訂点は以下の通りである(既述の事項を含む)。
@ 中長期的目標の設定:センター修了後数年後までを視野に入れ、より積極的に社会参加できることを具体化した達成目標を各小目標中に追加したこと
A 達成目標のプロセス分解:特に初期のサバイバルに関わる項目については、各達成目標を必要に応じて更に複数のプロセスに分け、そのそれぞれを目標として明文化したこと
B 一つの達成目標に複数の行動の記述:「行動」目標においては、日本語を使わなくても/使えなくてもその行動が達成できればよいのである。各達成目標の実現のために取り得る行動も、言葉(口頭)に依る・依らない(筆談やジェスチャー)など、複数の行動パターンがあり得る 。そこで、これらを中国帰国者にとっての難易度順やコミュニケーションのスタイル別に「具体的な行動」欄に掲げ、言語行動上の難易度が異なる目標については「学習者タイプ」欄にT〜Vで表すことで尺度に代えたこと
C 変則的状況への対応の追加:各行動小目標につき、スムーズに行動が運ばない変則的な状況への対応策及び「何かとがめられたり尋ねられたりしているようだが内容がわからないというときの対処ができる」ことを、各小目標の最後にまとめて記載したこと
D ネット化社会への対応:従来、中目標2「知識」中の「一般教養」内の1項目であった「情報・通信」に関する項目を大幅に拡充し、「行動」中の「通信」小目標の中に移して「通信・情報」小目標としたこと、また、同様に、生活行動の各場面において進行したネット化・機械化を考慮に入れ、各小目標中にそれらが絡む達成目標を必要に応じて追加したこと
E 「知識」の細目検討:「知識」小目標の各細目にわたって検討を加え、小目標のラベル自体は変更なくても細目を大幅に更新したこと
F 「コミュニケーション」と「行動」との 関わり合いの再検討:中目標1「行動」の場面は言語能力の如何に関わらず達成すべき日常生活場面であるが、二・三世であれば、それらの場面においてもある程度言葉を適切に用いて達成できることを目標とすべきだろう。中でもVタイプでは、言語能力(機能)、社会言語能力(文体の使い分け等)および社会文化能力(日本文化の行動規範)を意識したタスクの達成が望まれる。そこで、中目標3「コミュニケーション」にも、身近な生活場面で生じる状況に言語行動的に適切な対応ができることを盛り込んだ。但し、このことは「一つの行動を達成するのに求められる言語項目がある(=言葉ができなければその行動が達成できない)」 ということを意味するのではむろんない。
  小目標ごとに具体的にどのような追加・変更を行ったかまとめたのが次ページの表3である。

表3 目標構造表第四版における主な変更と追加項目

中目標1 : 身近な生活行動場面
小目標ラベル 主な追加 (センター修了後や既習者向けのオプション目標に*を付す)
センター PC室や図書室などのセンター内の設備や用具の利用
交通・外出 電車の遅延や運休対応、交通手段のPC検索、タクシー利用*、自転車と自家用車の購入と管理*、国内外の長距離旅行*、空港でのトラブル対応策*
消費生活 電子マネー・ポイントカード、ネット等の通販の利用とトラブル回避策*、タスポ、大型家電のリサイクル*、マイバッグなどエコ関連、宅配便、レンタル商品やサービス・娯楽施設の利用*、各種生命保険やローン(学資・車・家)など*
健康 定期健診*、症状に合った病院探しと予約法、新支援策対応、支援通訳の依頼、調剤券、眼鏡調製、子どもの小児科受診、妊娠・出産と補助制度*
住居・近隣 自治会の行事参加・役員としての参加*、不動産購入*、救急対応依頼、近隣交際事情、 ※「引受人等との関わり」を「知識」中の「異文化」に移動
職場・(自身の)学校 労働トラブル相談先(労基署、組合、自治体の法律相談)、(帰国者事情で)収入と生保制限、職場(就業規則、安全注意、指示理解、報告・連絡・相談*、プレゼン*、会議*、クレーム対応*、休暇取得の文化差、キャリアアップ)
通信→「情報」追加 電話(留守電、自動音声対応、携帯電話の使い方とマナー)とfax*、メール、情報(PCで文書作成その他のデジタル機器の操作、個人情報保護やマナー等)
福祉・手続き→「役所・公共施設」に 帰国者の新支援策(含む支援・相談員)、自治体の住民(含む外国人)サービス
子弟教育 保育・幼稚園事情、通知文書やメールへの対応、日本の家庭教育事情、子どもの健康管理と学校との連携、心身・発達障害とその対処
中目標2 : 将来の生活に有用な基礎知識・基礎技能
小目標(変更は「旧→新」で表した) 主な変更と追加(変更は「旧→新」で表した)
一般教養 戦後史→古代からの日中露交流史と近代史/地理(「環境」を追加)/生活様式→生活全般/帰国者問題→下の小目標「異文化」へ/機器操作→中目標「行動」中の小目標「通信・情報」へ
異文化→異文化・社会 残留邦人事情/異文化適応・異文化事例→異文化理解/引受人等との関わり(「行動」中の「近隣」から移動)/サポート利用(公民館を追加)/人生設計(「今からでも可能な資格・学歴の取得」を追加)
日語自学 学習技能(「CD他の機器、電子辞書」を追加)
中目標3 : 身近な生活や将来の基礎となるコミュニケーションの力
小 目 標 主な変更と追加(変更は「旧→新」で表した)
日語知識 読解と作文→下の「コミュニケーション」小目標へ
(この小目標をより基礎工事的な「下支えする力」とする)
話題コミ→コミュニケーション 「「行動」目標の場面」を追加/「読解と作文」をこちらに移動
(こちらの小目標をより「コミュニケーション行動」的な力とする)
構造表全文は当センターのウェブサイトで公開(予定)されるので、参照されたい。なお、本稿末尾に達成目標の一覧のみを掲げた(資料1)。

3-2. 自己評価表

  この節では、まず小目標「交通・外出」を例にとり、構造表と自己評価表の項目の違いを中心に説明する(@Aは2-2.の記述と重複)。
@ 象徴的な目標に集約させる(具体性と簡潔性の両立は難しかったが…):
例)「道聞き」の2側面(@特定の施設や建物への行き方を知る(尋ねる)ことができる、A相手の答えから目的地への行き方がわかる)をまとめて「地図やメモを見たり人に聞いたりして、目的の施設や建物にたどり着くことができる」に集約させた。下の表4を参照されたい。
A イメージしやすいものに絞る:
例1)場面全般に関わる「何かとがめられたり尋ねられたりしているようだが内容がわからないというときの対処ができる」を割愛。但し、カリキュラムには必ずこれらを織り込む。
例2)「将来項目」はセンター修了時点プラス1段階までのものを掲載することとし、帰国者の生活実態調査の結果などを踏まえて、タクシーや自家用車の利用、国内外の長距離移動などは割愛した。
次に、自己評価表による評価のしかたについて確認しておきたい。自己評価表は、文字通り学習者が自身で「〜できる」か否かを判断するものである。もとより、「行動」場面では全ての場面を実地にやってみて評価するということは現実的でない。仮にやったとしても、相手の日本人が親切だったか、相手が外国人の日本語に慣れた人だったか、学習者の課題達成意欲がそのとき高かったか等、変数が多すぎて制御は不可能である。さらには一度できたとして今もできるか、今はもうできないかまでを一々実地検証することも不可能である。ロールプレイテストという手段も存在するが、ロールプレイは実際の場面ではないため、学習者の動機付けが低いか、あるいは関心が言語要素のみに向かってしまいがちであることや、学習適性の高くない学習者の場合、架空の場面設定が理解されにくいことなどから、行動達成の力の測定道具としては不適当である。したがって、ここでは、学習者および支援者の「〜できると思っている」という主観を重視した。各文は末尾に「〜と思う」が省略されているとお考えいただきたい。

表4 目標構造表と自己評価表(所沢版)の対照例(「交通・外出」)
達 成 目 標 自己評価表中の対応する項目
全般 何かとがめられたり尋ねられたりしているようだが内容がわからないというときの対処ができる
交通規則 徒歩や自転車での通行に関する交通ルールや注意事項を守って通行できる 徒歩や自転車での通行に関する交通ルールや注意事項を守って通行できる
@特定の施設や建物への行き方を知る(尋ねる)ことができる 地図やメモを見たり人に聞いたりして、目的の施設や建物にたどり着くことができる
A相手の答えから目的地への行き方がわかる
 電車 @駅構内や車内でのマナーを守って電車に乗ることができる 駅構内(並んで待つ、降りる人優先等)や車内のマナー(優先席、携帯等)を守って乗車できる
A2,3回行ったことのある駅なら自力で行ける 2,3回連れて行ってもらった駅なら次は自力で電車に乗って行ける
B-1<初めて行く駅>目的駅までの切符が買える <初めて行く駅>人に効いたり校内表示を見たりして目的駅まで切符を買って乗って行くことができる
B-2<初めて行く駅>目的駅行きの電車が出るホームおよび車両を探して乗ることができる
B-3<初めて行く駅>乗った電車が正しいか、乗り過ごしていないかを確認して、目的の駅で降りることができる
C<初めて行く駅>(他社線への)通し切符を買って乗り換えて行くができる
F小銭の持ち合わせがないときに両替ができる 駅で小銭の持ち合わせがないときに両替ができる

D切符を買い間違えたときに払い戻してもらえる 間違った電車に乗った/切符の買い間違い・紛失/券売機や改札機の故障等、駅や車中での様々なトラブルに対処できる
E券売機の故障に対処できる
G改札機の故障(開かない/切符が出ない)に対処できる
H間違った電車に乗ってしまった場合や乗り過ごしてしまった場合の対処ができる
I構内や車中で切符を無くしたときに駅員に伝えて精算することができる
J間違えて買った切符で目的駅まで乗ってしまった場合の精算ができる
バス @2、3回乗ったことのあるバス区間なら自力で行ける 2、3回乗ったことのあるバス区間なら自力で行ける
A-1<初めて行くバス停>目的のバス停まで行くバスに乗り込むことができる <初めて行くバス停>人に聞いたり構内表示を見たりして目的のバス停まで行くバスに乗って降りることができる


A-2<初めて行くバス停>初めての目的のバス停で正しい運賃を払って降りることができる
Bバスを乗り過ごした/乗り間違えたときの対処ができる 間違ったバスに乗った/乗り過ごした/整理券の取り忘れ・紛失/両替しないで投入してしまう等バス車中でのいろいろなトラブルに対処できる

C整理券の出るバスで整理券を取り忘れた/紛失した場合の対処ができる

緊急時 @事故や事件その他の緊急事態に遭遇したなどの緊急時に助けを求めることができる 事故や事件への遭遇等の緊急時にジェスチャーや口頭で助けを求めることができる

A車内や構内、路上等に忘れ物・落とし物をしたときに対処できる 車内や構内、路上等に忘れ物・落とし物をしたときの対処方法がわかる
B(駅や車内で)電車(バス)の遅れや運休事態が発生した時に対処できる (駅や車内で)人に聞いたりアナウンスを聞き取ったりして電車やバスの遅れや運休事態が発生したことがわかり、対処できる

情報収集 初めて行く目的地(駅・バス停・施設)までの行き方を、人に聞いたりネットで検索したりして調べることができる ※「情報」の目標で扱う
タクシー タクシーを利用して目的地に行ける ※所沢センターの学習者用自己評価表では項目としなかった
(自転車は入所中に使用しているが、センター所有のものであって、管理にまつわる行動は要求されないため)
自転車 自家用自転車を利用して移動できる
自家用車 自家用車を利用して移動できる
国内長距離 親戚など中国語の通じる知人を訪ねることができる
飛行機 空港でのトラブル(荷物紛失、出てこない、破損など)に対処できる
国外 一時里帰りができる
外国旅行ができる

4.今後の課題

 現在も進行中のこのプロジェクトの次の課題は以下の通りである。
@ 教案レベルからのプログラムの検討
A 目標項目自体の妥当性の再検討
 今回はいわば経験知を整理した形であるが、実際にこの目標群で適当であるのかを、6ヶ月の教育実践および修了生に対する追跡調査によって検証していくことが必要である。(なお、目標構造表および自己評価表(現行の所沢版に「将来項目」を足した中国語/ロシア語版)を当センターのウェブサイトで順次公開していく予定であるので、参照されたい。)
B 目標構造表と水準枠との整合性
 このプロジェクトと並行して進めてきた「中国帰国者コミュニケーション力水準」と、構造表および自己評価表との整合性を今後検証していく作業が待っている。
C 教材・プログラム開発
 構造表や水準枠に即したプログラムを開発することができれば、学習者にとっては、目標設定がしやすく、動機付けも維持しやすい。

引用・参考文献

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http://www.let.osaka-u.ac.jp/~naoko/jlp/ でダウンロード可。
小川珠子・佐藤恵美子(2010)「中間報告:「評価」再考 −中国帰国者コミュニケーション力水準の設定・判定テストの開発を中心に−」、『中国帰国者定着促進センター紀要第12号』。
金田智子、福永由佳(2007)「移民等に対する自国語教育の学習内容に関する比較−ドイツ・アメリカを中心に−」、『日本言語文化研究会論集 2007年第3号』。
小林悦夫(1994)「中国帰国者に対する日本語日本事情教育のカリキュラム開発と今後の課題」、曾・江畑編『移住と適応』有斐閣。
佐藤恵美子・小林悦夫(1994)「カリキュラム開発および理念的目標の構造化について」、『中国帰国者定着促進センター紀要第2号』。
独立行政法人 国際交流基金編著(2009)『JF日本語教育スタンダード試行版』、独立行政法人 国際交流基金。
http://www.jpf.go.jp/j/urawa/j_rsorcs/standard/dl/trial_all.pdf
※JF Can-do一覧(2010) http://jfstandard.jp/pdf/JF_Cando_list.pdf
※ 2010年には『JF日本語教育スタンダード2010』として以下のURLにて公開。
http://jfstandard.jp/top/ja/render.do;jsessionid=19787F75DB2B3DA9781F7F305EF2BF62
独立行政法人 国立国語研究所日本語教育基盤情報センター学習項目グループ(金田智子他)編著(2008)『平成19年度成果普及セミナー報告書 生活者にとって必要な「ことば」を考える』、独立行政法人 国立国語研究所。
独立行政法人 国立国語研究所日本語教育基盤情報センター学習項目グループ(金田智子他)編著(2009)『日本語教育における学習項目一覧と段階的目標基準の開発:報告書』、独立行政法人 国立国語研究所。
独立行政法人 国立国語研究所日本語教育基盤情報センター学習項目グループ・評価基準グループ編著(2009)『「生活のための日本語:全国調査」結果報告<速報版>』、独立行政法人 国立国語研究所。
平城真規子(1994)「カリキュラム開発のための状況分析調査―「帰国婦人コース」開設に向けて−」、『中国帰国者定着促進センター紀要第2号』。
吉島茂、大橋理枝他(2004)『外国語教育U-外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠- 』、朝日出版社。

※センター紀要は以下で閲覧可。
http://www.kikokusha-center.or.jp/resource/new-resource_f.htm