飯田市竜丘公民館の取り組み

1 国際交流会からのはじまり

 1994年から、外国人の方々が地域で共に気持ちよく暮らしていくために、市民大学講座のひとつの講座として『国際交流会』を開催してきた。
 竜丘に居住している外国人の皆さんを招き、難しい話をするのでなく、料理文化を基調とした交流会を行ってきた。参加されたある女性が、「スーパーで買い物をしていたら、偶然見かけたので声をかけてみたら覚えていてくれて、楽しく話ができた。交流会に参加して本当に良かった」との感想を寄せてくれるなど一定の成果をあげてきたと、その当時は感じていた。

2 一通の手紙から

 1996年のある夏の日、公民館主事宛に見慣れない切手を貼った一通の手紙が届いた。地区内長野原在住の残留孤児であったSさんが、中国の北京から出された手紙であった。それには、「竜丘では年に一度国際交流会を行っているが、それは何の意味もない。そんなことより、日本の社会へ早く溶け込めるよう、中国帰国者のための日本語教室を開いてほしい」という内容でした。
 この手紙の持つインパクトは、当時の主事にとっては強烈で、このことをどう受け止めるべきか、大変に悩んでしまったようです。
 竜丘公民館は、「地域の声を最大限尊重する」ということを伝統として運営されてきた。何度となく公民館長と打ち合わせる中で、可能・不可能は別として、社会教育の一端を担う機関として公民館に期待されている以上、積極的に取り組んでいこうと意志が固まったのは1997年に入ってからでした。

3 中国帰国者のことを考えてみる集い

 公民館活動は運動会や文化祭などをはじめとして、年間を通じて行事が多く、ゆっくり落ち着いて物事を考える時間はほとんどない状況です。こうした中で行う事柄は必然的に限られ、気持ちは盛り上がっていても集中的な取り組みはなかなかできません。
 帰国者についての体系的な知識もなく、何のノウハウも持たない私たちを一定の方向に導いてくれたのは、所沢の中国帰国者定着促進センターの小林さんと田中さんでした。何度となく飯田を訪れて指導していただく中で、帰国者の実情を把握することを通して何を行うべきかが、おぼろげながら見えてきました。竜丘公民館では、単なる日本語教室だけで終わることなく、住民が自主的に参加して帰国者が地域に馴染むための基盤づくりを進めてきました。
 1998年1月19日には、公民館スタッフ、青年会や会福祉協議会役員など20余名による日本語学級開設準備会を開催した。この中で、「具体的にテキストは何を使うのか」「一人でも要望があれば行うべきとは思うが、帰国者の皆さんは本当に望んでいるのか」という疑問が投げかけられた。そこで、同年2月16日に定着促進センターの小林さんと田中さんを講師としてお迎えし、帰国者のニーズを基本的に考えるという指摘をいただき、早速、地区内へチラシで呼びかけを行い『中国帰国者のことを考えてみる集い』を開催した。当日は30余名の参加者と、帰国者であるIさんにも参加していただいたため、とても中味のあるものとなった。Iさんからは、「すべてを一律に考えるのではなく、高齢者と働き盛りの世代と若者を分けて考えるべきで、高齢者は地域のしきたりや習慣、働き盛りの人は仕事で必要な言葉を、若者は日本語全般を学びたいと考えている」と話してくれ、参加者からは「単なる日本語教室にせず、日本人も中国語を学ぶべき」「マンツーマンで日本語を教えるのと同時に、多くの人々が触れあえる時間にすることが必要」との意見が出された。

4 ニーズ調査から学んだこと

 『集い』終了後、文化スタッフ内部で議論を深める中で、まずは帰国者が現在持つ悩みやニーズを捉えることが必要であるという一定の方向を見出すことができ、一軒一軒を家庭訪問することにしました。
1998年5月から早速『ニーズ調査』がはじまり、文化スタッフがいくつかに分かれ、空いた時間を見て動き始めた。調査には、Iさん同様に帰国者であるHさんにも帰国者の家庭の案内と通訳をしていただいた。
 実際に地区内のどこにどのくらいの帰国者の皆さんが生活されているのかは、公的機関で調査すればそれなりにわかるわけだが、今回は、帰国者の方から帰国者のお友達を紹介していただく形で進めた。空いた時間とはいえ、それぞれが仕事を持つ中での調査活動なので夜間に及ぶこともあり、思うように順調に進まないのが現状であった。中には、やはり日本語がなかなか通じず話をお聞きするのが苦労した家庭もありましたが、およそ2ヶ月間で13家庭の調査を終えた。
 調査しての感想として、

 等々の感想を持ったわけだが、実に収穫のある調査ができた。こうして、この調査自体にたいへんに深い意味があることに気付きました。

5 協働プログラムの試み

 この調査結果を受けて、1998年7月に再び所沢センターの小林さんと田中さんを招いて打ち合わせ会を開いた中で、必ずしも日本語教室が必要という考え方ではなく、何か幅広い活動を共にする中で、その活動自身も日本語を学習する機会となり、そこから生まれるコミュニケーションを更に深めるために言葉を勉強するという形の取り組みで良いのではないか、とのお話をいただいた。まさに、当初竜丘公民館が考えていた方式と一致したのである。その活動へは公民館が主導ではなく、住民同士の交流・コミュニケーションを一番に捉え、地域の中でこの支援活動に関心の高い方と、帰国者の中から少し地域に慣れた方たちからなる合同スタッフを組織し、企画・運営のための話し合いや共同作業を通じて相互に協力しながら進めていく方式をとった。(所沢センターでこれを『協働プログラム』と表現された)
 早速合同スタッフの人選に入り、地域からは今までの繋がりから文化スタッフ(5名)を核として、それに有志からなる女性2名を加え計7名が決まった。帰国者からはニーズ調査で協力いただいたIさんHさん、そして調査時にたいへんこの企画に興味を示したMさん(この方は週2日近隣のA村で帰国者へ日本語を教えている帰国して16年のベテラン)の3名にお願いした。そして、10月にいよいよ初の合同スタッフ会を迎えることとなった。驚いたことに、その席にMさんが2名の帰国者を連れてきて一緒にスタッフとして参加させてほしいとの打診があり、大歓迎で迎えた。また、そのお二人は帰国して2年弱とのことで、言葉もほとんどわからずMさんの通訳を交えての形となった。幸いにしてこのスタイルが共に日本語や中国語を学習する機会ともなり、『協働プログラム』を確立するうえでたいへん意義のあるスタートとなった。
 まず、ニーズ調査の結果を踏まえて、実際に地域の日本人とどんなことをやってみたいか、ざっくばらんに出していただいた。初めての顔合わせの席のためぎこちないスタートとはなったが、帰国者のスタッフから積極的にお話が出された。主には音楽、カラオケ、料理を通じた交流会や、日本の生活習慣を学びたいといったものでした。
 そこで、この気持ちが高ぶっているうちにできることから始めようということになり、1998年内に料理を通した大交流会を行うことが決まりました。また、この会の良い名称はないかと考えたところ、中国では普通の友達以上に大切な友達を意味する言葉である「好友(ハオユー)」に、どこでも会えるの意味を持つ「会」をつけて『好友会(ハオユーカイ)』と名付けました。これも、帰国者スタッフから提案されたもので、事務局としては第1回のスタッフ会がこのように充実した形でスタートできたことをたいへん嬉しく思いました。
 11月に入っての第2回目のスタッフ会では、交流会の日時や内容について協議しました。せっかくやるからには家族で参加したいとの意見も出て、12月13日の日曜日に決定した。内容については、お正月も間近なことから日本の正月料理を通した交流会に決まりました。参加者の呼びかけ方法では、帰国者に対しては帰国者スタッフが自らチラシを持って呼びかけに廻ってくれることとなり、帰国者スタッフ自身がこの交流会の主催者的役割を持って一緒に作り上げていこうとする意欲を感じました。
 しかしこの席で、Mさんが帰国して2年弱の2人のスタッフ(この日のスタッフ会は欠席)から、「こういった交流会もいいが、どうしても日本語教室を開設してほしい」と強い要望があることの報告が出された。スタッフ会では通訳を介しての進行とはなったが、やはり当人にとっては言葉が通じないことが悲しく、何とか早く生活上の簡単な言葉だけでも学びたいとのことであった。
 ここでは、この報告を大切に受け止めながらも、早急に関係機関等と打合せをし、教室の開設に向けて前向きに検討したいとの回答しかできませんでした。
 12月に入っての第3回目のスタッフ会では、参加者の集約と当日の段取りを協議しました。またこの席で驚いたことは、帰国者の参加者がなんと30名(12家庭)に達し、地域の参加者と併せて計60数名の大交流会となったことです。
 当初、全部で30数名くらいで交流できればと考えていたため、それが倍の数となり材料の手配が思惑とずれる以外はたいへん嬉しい悲鳴が聞かれました。
 このことは、帰国者スタッフ自身が各家庭に足を運び、この会の趣旨を説明したうえで理解いただいたものだが、第1回目からこのような形になるとは夢にも思わず、と同時に帰国者が公民館に寄せる期待の現れであり、ますます事の重要性に気付き、安易な気持ちで進められないことを感じた。
 そして12月13日を迎え、朝からスタッフ合同で準備を進めた。メインは餅つきで、献立はあんころもち・きなこもち・おろしもち、お雑煮、そしておなますです。当日の資料(レシピ)は、日本語ができない帰国者のためにMさんに翻訳をしていただき、日本語と中国語の2カ国語の資料を用意した。
 餅つきが始まる10時頃ともなると、総勢60数名の参加者が臼を囲み、大餅つき大会が始まりました。はじめは遠慮がちであった帰国者の皆さんも、珍しさと楽しさに誘われて交代でつきました。みんなで掛け声をかけながら、用意した9升のお米をあっという間についてしまいました。

(竜丘公民館撮影)


 調理室では、女性陣を中心に調理が始まっており、片言の言葉の交流ではあるがそれぞれ楽しみながら行っていました。
 盛られた料理を会場に運び会食が始まりました。60数名が8テーブルに分かれて自己紹介やお話をして交流を深めました。「この日が来るのが楽しみで待ち遠しかった」「普段は帰国者同士で集まって遊ぶことが多いが、地域の皆さんとこのように交流できて嬉しい」などの感想を寄せていただいた。

(竜丘公民館撮影)

 会食が終わって皆で片付けを済ませると、別室の畳の広場でお楽しみ会を始めた。そこではお正月の歌、みかん引き、百人一首の坊主めくりといった、まさに日本のお正月に家族で行う室内遊びで楽しんだ。中でも、坊主めくりは真剣そのもの。時間を忘れて盛り上がった。最後には、帰国者の方がお礼の意味も込めて中国の歌を2曲歌ってくれ、楽しい交流会がお開きとなった。「また会おう」「今日は楽しかった」などの言葉をいただき、この交流会の第1歩が大成功に終えた喜びに浸った。


6 今後の展開

 試行錯誤の協働プログラムで進められた第1回の交流会を終え、2月には既に第2回目の交流会も計画している。日本人と帰国者の合同スタッフが、共通のテーマに向かって話し合い、そして協力して作り上げ、そこから生まれるコミュニケーション、大切にしていきたいです。また、そういった活動から更にコミュニケーションを深めるために日本語を勉強したいという要望が生まれ、まさに交流会を基調とした活動の中に、いわゆるグループ活動的な日本語教室が立ち上がる。このシステムが竜丘公民館の考えているものである。
 幸いにして、地域の中に2名の中国語のできる方が日本語教室を開設するようなら協力したいとの申し出がある。こういった方々や、周辺地域で教室を行っている講師の皆さんとも連携を取る中で、竜丘公民館らしい運営方法を考えていきたいと思います。
 まだ、産声を上げたばかりの好友会。息の長い活動となるよう、地域を挙げて取り組んで参りたいと考えております。
 最後にこの取り組みを進めるうえで、何度となく足を運んでいただき、何のノウハウも持たない私どもを一定の方向へ導いてくれた所沢中国帰国者定着促進センターの小林さんや田中さんに心から御礼申し上げるとともに、今後も格段のご支援をお願い申し上げ、竜丘公民館の帰国者支援事業の状況報告とさせていただきます。