中国残留孤児・訪日肉親捜し[新聞記事] |
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(中国帰国者問題同友会) |
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《 厚生省発表=
実施年月、判明人数/訪日人数(判明率%) 直後発表→後日訂正》 |
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◎訪日調査団の特徴 ◆重要施策、政府対応
☆重要事項 |
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第1次 |
('81,昭56・3)
28/47(59.5%)→30/47(63.8%) |
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◎ |
初の訪日調査団 国民の涙さそう |
(読売-3・1) |
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◎ |
「祖国、肉親この目で」 渡航手続き終え口々に |
(朝日-3・8) |
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中国孤児47人が来日 肉親捜し、期待と興奮 |
(朝日-3・3) |
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◆ |
永住希望に検討を約束 伊東外相孤児に |
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☆ |
戦争の傷跡
孤児に深く 中国で日本人、日本で外国人(宋春巧) |
(朝日-3・8) |
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◆ |
二人の孤児、国籍日本 中国パスポート発給せず やむなく日本大使館渡航証明書で来日 |
(読売-3・11) |
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◆ |
厚生省は、帰国が可能かどうか法務省など関係当局と協議 |
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[社説] 戦争の傷痕を語る旅 |
(朝日-3・16) |
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☆ |
[解説] 「戦後」 引きずる中国残留孤児
肉親判明しなくても帰国の道開こう |
(読売-3・15) |
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感激の再会の裏では 再婚し面会拒否
善意の誤解 |
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☆ |
母と慕う人 対面を拒否 |
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[解説] 中国孤児に暖かい配慮を 国は何をしてやったか 来日も大半民間の善意 |
(共同-3・) |
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☆ |
[ルポ] 「中国孤児その後」全調査 離日後に肉親判明 永住帰国の夢着々と実現へ 傷跡深まる悲劇も |
(朝日-6・22) |
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☆ |
[記者の目] 高橋 豊 36年間放置して来た政府 温かな受け入れ体制を |
(毎日-3・6) |
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◆ |
父依頼の血液鑑定・東大中間報告−親子ほぼ認定<喩徳海> |
(読売-81・3・9) |
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[関連]悲情!血液鑑定
父子否定<喩徳海> 情愛は血を超えるか |
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(釧路家裁、<父>の戦時死亡宣告取消申立却下) |
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厚生省見解ー親子判定血液にこだわらず(当事者同士が確認しあえば、それでよし) |
(読売-82・4・14) |
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「喩さんは私のオイ」鑑定できずとも“直感"の信 念家増築返事待つ |
(読売-82・6・3) |
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[自由席] 我那覇敏子 あてにならぬ自称の日本名 |
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−妹(第一次・周鳳英)と再会を果たして(第一次、日本名合っていたのは1名) |
(朝日-82・2・20) |
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☆ |
何紅(第1次副団長・未判明)再訪日(ボランティア招致)血液鑑定父親判明(何紅→永井真由美) |
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〔関連〕荒武一彦 ボランティアの知恵生かそう 何紅さん(第一次)の父親再会 |
(毎日ー[記者の目]-84・5・17) |
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永井真由美(何紅)永住帰国 |
(各紙-85・4・5) |
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☆ |
王明喜(第1次-判明-・伊藤勝美(各紙-81・3・10)再訪日、父と再会 |
(読売-[編集手帳]89・2・20) |
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[関連]堀越善作-『残留孤児避難地図の証言』(佼成出版-p36) |
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大谷昭宏-『春美16歳の日本』(朝日ソノラマー'89) |
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☆ |
日本→中国 子探しの旅(日中孤児連8月に第1陣実現) |
(朝日-81・6・23) |
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☆ |
[連載・5回] 中国からの帰国 その後(夢に見た故郷) |
(朝日-12・6〜10) |
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☆ |
趙安博 戦後留華日本孤児談起 |
(人民日報-4・2) |
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☆ |
養母に扶養費払え(中国裁判所判決) 第1次身元判明帰国孤児に、対応迫られる謝恩問題 |
(朝日-81・12・24) |
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☆ |
[写真記録] 浜口タカシ 私の祖国−戦後50年・中国残留孤児の記録(第1次〜26次) |
(財)中国残留孤児援護基金朝日新聞社 (95・11) |
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☆ |
[関連][解説] 第一次孤児の帰国後ー老後が不安、祖国で奮闘続く、言葉の壁、涙で迎えた肉親だが重い負担 |
(朝日-86・2・10) |
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[ルポ]
第一次孤児33人、永住帰国への軌跡全調査 |
(東京-87・3・13) |
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訪日調査孤児一期生、16年ぶり集うー同窓8人「祖国が一番、お互いにしわが増えた」 |
(朝日-97・3・3) |
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第2次 |
('82,昭57・2〜3) 遼寧省30・黒竜江省30 46/60(76.7%)→45/60(75.0%) |
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◎ |
続く訪日で国民の関心を呼ぶ、一方政府施策不備指摘の声も |
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◎ |
判明率最高 。 年齢 36〜49歳、 平均40歳。 (註・平6、第25次 平均50歳) |
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◎ |
名乗りたい・・・名乗れない いまの家庭破壊が怖い
悩む肉親も |
(朝日-2・26) |
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名乗れぬ事情分かって 残留孤児の“母"や“姉"センターの外で対面 |
(読売-3・4) |
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☆ |
[記者の目]
肉親捜し1、2年内に 政府対応の冷たさと生ぬるさ |
(毎日-3・11) |
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[ルポ] 「きずな」が描く人間模様 肉親捜し、涙の対面の裏で |
(朝日-3・6) |
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父のそでを引き「慎重に」と“義母"
全国からの寄付1200万円 |
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(注・一人20万円配布・第1次4万円、第3次10万円事件) |
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[自由席] 我那覇敏子 あてにならぬ自称の日本名- 妹(第一次・周鳳英)と再会を果たして(第一次、日本名合っていたのは1名) |
(朝日-2・20) |
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[自由席] 森繁久弥 彼らを温かく迎えてほしい |
(朝日-2・23) |
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[意見] 山村文子 生活保護で無気力の帰国者を案じる、一夜漬けでない受け入れ研修を、残した養父母のところに里帰りの費用支給を |
(朝日-2・24) |
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[自由席] 今村末子 先輩として-国や肉親に頼らず、恥は覚悟で体当りで覚えて行け |
(朝日-3・2) |
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[自由席] 久保田緑 「チャムスのお母さん」 奮闘 |
(朝日-3・4) |
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[自由席] イーデス・ハンソン 再会後に来る「本当の大変」 |
(朝日-3・5) |
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[自由席] 坂口遼 帰国者の永住へ施設造りを |
(朝日-3・6) |
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[こころ] 小暮実千代 引揚の悲惨今も眼底に 我が子もあわや誘拐 「手放した母の心わかる」 |
(朝日-3・9) |
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[アンケート] 発展の祖国に誇り
白眼視に耐えた幼い日 <その時日本人と知った><バラ色の国日本> |
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<永住・一時帰国>
永住帰国派6、一時帰国派4。 <平均像>平均年齢40才、36〜49。全員結婚。子供2人・3人が7割。 |
(朝日-3・11) |
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背にずしり養父母の心 肉親との対面を待ちわびながら、養父母と離れたくはない |
(朝日-2・20) |
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孤児自立へ日本語教えます “先輩"帰国者が音頭 ボランティア主婦協力 |
(東京-2・24) |
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中国養父母・・日本に初の永住入国 |
( - ) |
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中国孤児に働く場づくり
老人ホームや福祉施設を開放 特例で保母資格も |
(産経-3・7) |
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引き揚げなお年150世帯
定職につけず大半生活保護 |
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残留孤児重い課題
調査依頼900人、親も老齢化 |
(朝日-3・8) |
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法相も帰化に積極姿勢示す 肉親いない孤児 (註・帰化に問題あることの認識未だし) |
(読売-3・11) |
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未判明で中国に戻った孤児に春 娘よ!名乗れなかった -父悔恨の告白、“過去が怖かった" |
(毎日-4・14) |
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[関連] 浜口タカシ『 37年目の再会』 |
(-P34) |
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☆ |
これが謝文東さん 「敵の子」救ったゲリラ隊長- 大阪の会社社長が写真保存
肉親捜しに有力な手掛かり |
(朝日-3・4) |
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謝文東さんの最後を目撃 |
( 〃 ) |
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[孤児が明かす満州秘話] 謝文東自宅で数十人の孤児世話 憎む中国人たしなめ |
( -3・1) |
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[関連]
『[実録]満洲国県参事官』-(P92) 七参事官討伐停止・土地買付・換地検討を軍に申入れ、容れられず辞任。その後処理民生部移管 |
坂本龍彦 『満州難民 祖国はありや』
(岩波ライブラリー)-P117 |
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☆ |
[写真記録] 浜口タカシ 『37年目の再会』 (第2次訪日調査団) |
(朝日刊='82・7) |
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◆ |
中国残留日本人問題懇談会設置(厚生大臣諮問機関) <早期解決へ本腰,肉親捜し年次計画> |
(各紙-3・12) |
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◆ |
日中協議終わる 中国側-肉親捜しに積極的に協力する 日本側-尽力に感謝 |
(読売-4・1) |
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◆ |
残留孤児821人 60年度迄に招く(帰国者センター新設) |
(読売-8・7) |
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☆ |
中国残留孤児問題全国協議会結成[孤児全協] ボランティア団体が解決に向けスクラム |
(朝日-11・30) |
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[ひと] 坂口遼 孤児全協初代会長 |
(朝日-12・3) |
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孤児全協《日中交渉再開》 提言まとめる |
(朝日-12・18) |
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◆ |
[養父母問題で訪日調査中断] ('82、昭57・10以降日中協議中断、秋予定の訪日調査中止) |
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養父母・中国政府に感謝の「中国孤児決議」
宙に 自民台湾派が猛反発 |
(朝日-3・31) |
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養父母にサクラのお礼 植樹の旅(ボランティア団体) |
(朝日-4・12) |
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甘すぎた感謝の旅 養父母に会わせず 中国、孤児問題に厳しい感情 |
(朝日-5・14) |
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肉親捜し政府ルートに限る(民間除外中国指令) |
(朝日-4・28) |
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[解説]<残留孤児問題>中国、民間方式に拒否反応(政府間の問題強調) |
(読売-5・13) |
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残した家族扶養に苦心 帰国孤児半数が生活保護
厚生省調べ |
(朝日-6・17) |
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養父母の生活保証を 中国側要望 |
(読売-6・18) |
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養親らに補償を 中国、先決条件と強調 厚生省、来月上旬までに具体案出し折衝 |
(朝日-6・18) |
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『残留孤児基金』作っては 養父母扶養費を肩代わり |
(読売-[オピニオン]6・18) |
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[意見] 山本慈昭 中国の養父母を第一に 難題多い孤児の帰国 安易な呼びかけ慎もう |
(朝日-[わたしの言い分]6・28) |
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厚生省、貸付制、中国と折衝 養育費送金を後押し |
(朝日-7・8) |
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[解説] 『扶養費貸付金制度』を早く軌道に 自立厳しい “順番"待つ人も多い |
(読売-7・9) |
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[社説] 中国孤児問題に必要な視点 |
(朝日-8・27) |
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肉親捜しに暗雲 中国現地訪問団孤児面会拒む 日本側対応に不信? 民間運動転機に |
(朝日-9・) |
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肉親捜し中断へ 中国、養父母処遇で難色 (新たな悲劇・貸付け制度) |
(読売-9・29) |
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貸付け制度に難色 日中協議もの別れ |
(朝日-10・29) |
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中国残留婦人、厚生省に直訴 肉親捜し再開して 長引く中断に焦り |
(朝日-11・19) |
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中国、受け取り辞退 養父母募金(千葉)1200万 |
(朝日-11・23) |
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[解説] 難航する肉親捜し 反感呼ぶ身勝手さ 養父母対策誠意、総意で示す必要 |
(朝日-12・21) |
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里帰り方式の検討を 中国側代表が強調 |
(朝日-83・1・19) |
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[意見]
残留孤児問題取り扱いの基本について政府間合意を 孤児問題は日本側にのみ責任(孤児全協・庵谷磐) |
(朝日[論壇]-83・1・17) |
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◆ |
肉親捜し
事務レベル協議再開(83、昭58・1・12から) |
(毎日-1・8、12) |
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◆ |
日中政府が原則合意 養父母扶養費負担、国・民間半々 肉親捜し再開へ |
(各紙-1・19) |
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[社説] 親捜しを二度と滞らすな [余禄]- |
(毎日-1・20) |
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[社説] 孤児問題の日中合意を喜ぶ |
(朝日-1・21) |
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[社説] 中国孤児問題の解決を急げ |
(読売-1・24) |
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[社説] 中国残留孤児 里帰りに中国の協力を |
(産経-1・24) |
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◆ |
日中政府口上書('84,昭59・3・17) 《孤児、養父母等家族問題原則》 |
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〃 口上書('86,昭61・5・9) 《養父母扶養費》 |
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第3次 |
('83,昭58・2〜3)黒竜江省 24/45(53.3%)→25/45(55.6%) |
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◎ |
肉親捜し1年ぶり再開 養父母問題の原則合意受け |
(各紙-2・8) |
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◎ |
各地惨劇事件の孤児来日 |
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[解説] 明日来日 待ち受ける試練 異なる言語・習慣 認定方法にも問題 |
(産経-2・24) |
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[解説] 教材『生活日本語』文化庁完成配布へ
<24場面・会話百種。 あいさつ、買い物、職探し> |
(東京-2・25) |
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[アンケート]
31人/(45)が「永住帰国」したい 帰国せず1人 |
(東京-3・2) |
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[アンケート] 7割が「永住帰国」 熱望(気掛かりな養父母、“社会復帰"に自信) |
(共同-3・2) |
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[社説] 肉親捜しに手がかりを |
(朝日-3・6) |
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[ルポ] 中国孤児深い心の傷跡 迷惑はかけぬから一目だけでも 身元は分かったが叔父は冷たく |
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<果せぬ再会一言集>-未判明18人 さよなら祖国、さよならお母さん |
(インサイド・レポート・読売-3.7) |
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[解説] 「永住帰国」に試練待つ 言葉の壁 学校で差別、侮辱 |
(毎日-3・9) |
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[解説]不調だった肉親再会
事前調査不足も一因 手掛かりも散り散りに |
(毎日[いぶにんぐフィーチャー・追跡]-3・11) |
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<惨・苦・悲>-子供を売れ、小古洞の集団自決、麻山の悲劇
佐渡開拓地事件 |
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[解説](昨年の訪日組) 6割が故国に帰れず 相続争いや同居敬遠 肉親戸籍復活せず |
(朝日-3・14) |
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[解説] 再検討迫られる肉親捜し 中国残留孤児問題の今後 民間組織との連携を |
(朝日-3・16) |
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[連載・10回] 『中国残留孤児』 |
(朝日-3・2〜) |
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[連載・3回] 黒竜江省の子ら 肉親捜しの記録 |
(東京-3・10〜) |
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[連載・3回] [追跡]
永住帰国した孤児たち |
(読売-3・10〜) |
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[記者の目]
残留孤児を二度も捨ててはいけない 帰国の夢実現を |
(毎日-3・12) |
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[記者の目] 切実“自己確認の旅"
願い「日本永住」だけでない |
(毎日-3・ ) |
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[正論] 川野重任
国は全力で取り組め中国孤児 養父母も招き直接感謝せよ |
(産経-3・25) |
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[アンケート] (孤児全協が会員に12項目) 厚生省に強い不満 資料公表、支給金配分、 血液鑑定 |
(共同-3・30) |
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[マンガ] 帰国1年後 座り込み <日本語教えて 職業を 住宅を> |
(朝日[フジ三太郎]-2・19) |
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[写真] 喜びと悲しみ <傷痕、孤独、祈り、感涙、笑顔> |
(読売-3・4) |
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[憂楽帳]-<私も新京で>(毎日-3・3)、<軍の論理>(毎日-3・9)。[鐘]-<孤児の心境>(日経-3・15) |
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[ひと]-竹川英幸・民間の力で帰国者センターを |
(毎日-3・8) |
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故国より養父母の恩 孤児に新たな動き |
(朝日-2・22) |
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待ち受ける試練 異なる言語・習慣 認定方法にも問題(人違い) |
(産経-2・24) |
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心痛む綱引・新潟(息子)と岡山(弟)から<楊文海> 名乗り拒む経済負担 養父母恩返しや自立にも壁 |
(毎日-2・23) |
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<楊文海>頭の傷痕で決定 |
(毎日-3・3) |
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日本語教材作る 文化庁が無料配布 <あいさつ><買い物><職探し> |
(東京-2・25) |
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“日本人養母"と再会
異郷日々励まされ <金利・大場きせ> |
(朝日-2・26) |
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兄弟は売られた(兄来日)、 「念書」
に実の父の名 |
(朝日-2・28) |
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[関連] 『弟』 第24次団長として訪日 売られた身、示す「念書」 に父感じつつ |
(朝日-平5・11・6) |
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新井利男著 『残された日本人』-P22(於、黒竜江省肇東県) |
(径書房-'86.2.20) |
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<孤児問題ある断面> 会いたい!でも《ようやくつかんだ幸福》目前の弟に心揺れる姉<董喜> |
(毎日-3・1) |
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☆ |
孤児全協申し入れ 血液鑑定は厳密に |
(朝日-3・1) |
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二人の母につらい裁定・血液型検査 |
(産経-3・7) |
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孤児全協・浮かれ騒ぎやめよう
肉親捜し見直しへ |
(朝日-3・24?) |
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会いたい! でも・・目前の弟に揺れる姉も(ためらう姉のも事情が) |
(毎日-3・1) |
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姉さんよくぞ決心を 在中国4人兄妹に“春" ひそかに名乗り出る |
(朝日-3・4) |
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“母"や“姉"センターの外で対面
名乗れぬ事情わかって・・・ |
(毎日-3・4) |
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母娘再会のきずなは 《ノド突かれた剣の傷》 『悪かった』母号泣<王淑梅> |
(各紙-3・6) |
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口々に政府へ不満 進展せぬ肉親捜し、焦りと怒り噴出 前回20万今回10万きっかけ |
(朝日-3・10) |
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集まった寄付金1786万余の内450万(1人10万)を渡した |
(読売-3・11) |
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[解説][孤児たちの10万円事件] 日中文化の差浮き彫り(激しく抗議、前回20万) |
(ニュース三面鏡・朝日-3・13) |
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☆ |
[惨劇の中から] |
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『東安駅爆破』で家族ちりぢり 日本軍が爆破・死者700人 明日対面・確認難航か<才宝林> |
(朝日-3・1) |
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肉親3組が名乗り出 列車爆破で行方不明のあの子だ ともに譲らぬ肉親 |
(毎日・産経-3・1) |
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「東安」 孤児、4組目の対面も不調 |
(各紙-3・6) |
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東安駅列車爆発が運命を分けた 奇跡的に助かった孤児、だが肉親は・ |
(産経-3・9) |
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[関連] 惨状描く「八月の最終列車」 |
(朝日-61・11・19) |
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三留理男 『満州棄民』
(私は東安事件の生き残り<孫香艶[今井満里子]>) |
(東京書籍-'88) |
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<20次-鄭淑蘭、王桂珍>(朝日-90・2・26) <25次>
深く残る傷あと 「東安事件」の孤児2人(朝日-'94・11・27) |
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『佐渡開拓地事件』で一家全滅 叔父と対面<李玉徳> |
(各紙-3・10) |
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[関連] 斎間新三
『果てしなく黄色い花咲く丘が』 |
(長野県・埴科郡記念誌編集委員会-53) |
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江成常夫
『シヤオハイの満洲』(殺戮の開拓村) |
(集英社-'84) |
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『麻山事件』 ソ連軍に囲まれ悲劇 |
(朝日-3・14) |
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[関連] 麻山の孤児兄妹39ぶり再会
確認へ訪日訴え |
(共同・北京-59・10・22) |
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悲願の遺骨収集 遺族ら12日出発 |
(毎日-60・10・7) |
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遺骨、中国側建設の方正新公墓に納骨 |
(朝日-60・10・20) |
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中村雪子 『麻山事件』(満州の野に婦女子400余名自決す) |
(草思社-58) |
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新井利男 『残された日本人』 (張桂雲)-p66 |
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☆ |
浜口タカシ
『再会への道』(写真記録・第3次訪日調査団) |
(朝日刊-'83・6) |
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☆ |
日中混血孤児訴え 肉親捜し私たちも(厚生省に1200件、1割は資料から分かるが、親はそっとしておいて) |
(朝日-2・25) |
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◆ |
孤児センター、所沢に 日本語など4カ月研修・10月開所 |
(朝日-3・2) |
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◆ |
孤児名簿 厚生省配布(離別状況・体の特徴等、710人分3分冊) |
(各紙-4・1) |
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☆ |
中国新聞・永住帰国者対策批判 幻灰的“天堂"−中国回日本的孤児們的日本社会視 |
(光明日報-5・29) |
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[関連] 日本は“幻滅の極楽"
差別や冷遇の生活 狙い・資本主義社会のマイナス面紹介 |
(読売・朝日-5・30) |
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第4次 |
('83,昭58・12) 東北三省
40/60(66.7%)→ 37/60(61.7%) |
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◎ |
訪日調査再開(胡耀邦総書記来日の前に中国側急に通知。 養父母扶養費原則合意したが、実施方法で対立し、訪日調査が保留されていた) |
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問題化する“永住"切り替え |
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一時帰国の孤児夫や養父母を中国に残し永住 中国側訪日調査中断
胡耀邦来日前日「口上書」と切り離し、訪日調査認める |
(毎日-12・6) |
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[解説] 日中間政府交渉 養父母らへ配慮欠く
総合施策の確立が急務 |
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-日本側施策不備、受け入れ不備-時代遅れの引揚船行政、問われる戦争責任 |
(朝日-12・15) |
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◎ |
高い発見率続く |
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◎ |
血液本格鑑定 を孤児訴え 輸血用検査役立たぬ 精度低く紛争続き 戸籍復活にもカベ |
(朝日-12・8) |
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精度の高い血液鑑定を 孤児全協申し入れ |
(朝日-12・17) |
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血液鑑定で明暗 |
(朝日,毎日-12.17) |
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(孤児秘話) 『A』父否認、『A』-郭の姉の一時帰国に懲りて? 《似ている》と別の家族確認<郭樹芳> |
(朝日-12・20) |
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[主張] 四たび残留孤児を迎えて(中国側の政治的意図・歴史のきしみの責任は孤児にはない) |
(産経-12・6) |
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[社説] 重い戦争の傷を負って |
(朝日-12・6) |
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[社説] 残留孤児で問われる「国際国家」
日本 |
(日経-12・7) |
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[社説] 「不戦の誓い」 を肉親捜しに |
(東京-12・7) |
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[社説] 中国残留孤児と国の責任−国・軍による棄民 |
(毎日-12・16?) |
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[主張] 残留孤児に往来の自由を |
(産経-12・19) |
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[ルポ] 迎える成田 支援の人達-対面もっと多く、 肉親捜しこそ“贈り物" |
(毎日-12・6) |
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[解説] <中国孤児問題の断面> 多難な肉親捜しの旅(官民の連携を、訪日調査は手掛かりの少ない人を) |
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[解説] 少ない情報、寄金 あと一週間、嘆く関係者 |
(毎日-12・13) |
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[解説] 永住対策まだ不十分 援護寄金寄付集まらず 年金空期間 里帰り旅費支給わずか “里親"予算もタナざらし |
(毎日-12・16) |
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[解説] 第4次肉親捜しが残した問題点 肉親捜しは時間との競争 肉親高齢化 血液鑑定 再会はしても |
(共同-12・18) |
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[ルポ] 中国帰国者村(岩手県) 親族らと定住できず 14家族77人が他から集中 その事情、理由は |
(共同-12・16) |
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[ルポ]
<孤児秘話-公式の場で見られない>[心に溝 時間の空白]疑問に目をつぶった肉親、条件は合うのに認めなかった肉親、否定された父子 |
(朝日-12・20) |
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[アンケート]
母国恋し中国人妻・9割が里帰りを希望 |
(共同-12・7) |
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[アンケート] 3割が「里帰りでいい」 半数が「肉親が同意したら」 言葉の壁に不安 政府への要望 |
(毎日-12・12) |
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[記者の目]
“その場騒ぎ"に終わらすな |
(毎日-12・6) |
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《[記者の目]にひとこと》 『孤児全員のリスト作りを急げ』
『「あなたはだれです」とせめてひとこと』 |
(毎日-12・17) |
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[拝啓新聞殿] 新聞は対面の感動を強制、あげく新しいトラブル、悲劇。毎日[記者の目]にいう自制と良識を |
(週間文春-12・22) |
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[記者ノート] 肉親捜し
イベントに終わらせるな 戦争の犠牲者「おしん」も及ばぬ苦労 |
(産経-12・21) |
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[取材帳から] 悲劇生んだ肉親の情 中国への大量の土産がアダ(親族が次々分配要求・一家離散) |
(毎日-12・16) |
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[関連]
日中のはざまに生きて-自分で書いた残留孤児の記録(大道武司)<新時代社刊> [解題]坂本龍彦 |
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[天声人語] 母親-娘置き去り恥ずかしい。 置き去りは軍・国家 |
(朝日-12・4) |
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[意見] 川野重任 民間に頼るな中国孤児援助 国家的事業は国の責任で |
(産経[正論]-12.8) |
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[意見] 本田靖春 肉親捜しの旅 <役所の論理で>公式対面前の母娘抱擁を引き離す |
(東京[社会時評]-12・15) |
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[意見] 伊藤武雄 中国孤児に別の観点を
長い「養子」 としての歳月 |
(読売[論点]12.18) |
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[インタビュー] 和泉清一(三互会会長) 一日も早く里親制度を |
(毎日-12・5) |
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[ひと] 郡司彦(日中孤児センター理事長)-肉親捜しの草分け |
(毎日-12・9) |
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[インタビュー] 山本慈昭(孤児全協会長)- 孤児の親捜しに焦り |
(朝日-12・20) |
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重い宿命 養父母の恩 平和が引き離すきずな |
(朝日-12・7) |
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大半が永住帰国希望 養父母には気配り 厚生省が意向調査 |
(共同-12・9) |
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孤児の名に養父母の愛情が (春雨、宝金、福財、長福、英傑) 報恩の気持ち忘れずに |
(読売-12・11) |
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逃避行の末、さらわれ売られ 食うに困った日本人の犯行も |
(朝日-12・8) |
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「私はだれの子、名だけでも・・」
転売いくたび、わからぬ身元 |
(朝日-12・15) |
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☆ |
援護基金ままならず(目標額の4%)、 中国光明日報・<幻の天国>(帰国者自立厳しく) |
(共同-12・6) |
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☆ |
劇画「スパイの孤児」、訪日期間中に人気誌掲載 厚生省抗議−編集長謝る |
(朝日-12・28) |
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☆ |
《『ぼく日本人なの?』ほるぷ出版》 帰国孤児二世の悩み 実例基に差別問う |
(朝日-84・1・8) |
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第5次 |
('84,昭59.2〜3) 東北三省・(初)中国本土 26/50(52%)→27/50(54%) |
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◎ |
中国残留孤児50人来日、 大規模調査定着 -12月に続き年度内2回目 |
(毎日-2・11) |
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◎ |
訪日中 『口上書』 交換 |
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◎ |
中国本土孤児 初訪日調査 ◎大阪から離日 |
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[社説] 実り多い肉親調査を |
(朝日-2・26) |
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[主張] 残留孤児問題の原点を問う |
(赤旗-2・3) |
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[社説] 肉親捜しの日中パイプを太く |
(読売-3・8) |
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[解説] 孤児問題に思う 過去を胸に刻み思いやり忘れず(北京発) |
(朝日[視角]-2.27) |
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[解説] 植民地政策の高い代償 |
(朝日-3・4) |
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[解説] 調査準備時間の短さが痛い |
(読売・[孤児たちの周辺]-3・6) |
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[解説] (ホクロ判定)彭さん母娘拒否 科学的な血液鑑定を-孤児全協厚生省へ要望 <彭美麗> |
(朝日・大阪-3・6) |
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[解説] 肉親捜しの難しさと限界 母貧しいからか、心変わりの彭さん 関係者の老齢化、調査方法も |
(産経・[記者ノート]-3・8) |
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2人の“父”は幻 血液鑑定冷たかった<劉忠林> |
(毎日・大阪-3・6) |
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[解説] 肉親捜し 残された時間は短い 日中政府間の政治課題として解決を |
(毎日・[ニユースきょうあす]-3・7) |
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[解説] もっと事前調査を(資料収集訪日前に) 滞在期間長く、窓口一本化 |
(読売-3・8) |
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[解説]
身元確認高率に 事前調査徹底 戦時死亡宣告洗い直す 厚生省 |
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今回判明孤児25人中死亡宣告11人
13才未満未帰還者・死亡宣告3400人洗い直す 現地でビデオ撮影も |
(各紙-3・9) |
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[解説] 「総決算」と残留孤児 |
(毎日・[デスクの目]-3・16) |
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[アンケート] 曇る日本永住の夢 先輩の苦難に二の足 拒否や保留が16人も |
(東京-3・5) |
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[意見] 桐島洋子
<残酷なドラマ> |
(東京[放射線]1.28) |
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[意見]
遠藤 誉 <中国孤児再会陰の力> 小資料実らす「善意」 学友と対面、役人の誠意なさ知る |
(読売[文化]-3・7) |
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[関連] 「あのおはぎの味だ」同級生(遠藤誉)の差し入れに涙 |
(朝日-3・2) |
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[意見]
松原一枝 <中国残留婦人に日本の土をふませたい> |
(東京-3・10) |
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[意見] 高野悦子
<原因の追及にもっと力を 「残留孤児」 解決のためにも> |
(朝日[私の紙面批評]-3・14) |
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[素粒子]-(朝日-2・27、-3・5) [近事片々]
-(毎日-3・5) |
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[人違い] 帰国後9年、人違いと判明 下関の範瑞君さん 絶望の日々 『本物』の<高野保幸>25日来日 |
(朝日-2・23) |
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父母がわり孤児出迎え 肉親捜しに協力、心支えた二人 |
(朝日-2・25) |
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『定住の道を』 会見で切実な声 |
(毎日-2・26) |
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母の台湾か日本定住か 再会後新たな悩み |
(朝日-2・29) |
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確認できずとも祖国に帰りたい 代表訴える |
(毎日-2・29) |
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肉親捜し広告作戦 厚生省がアフターケアー構想 |
(読売-3・10) |
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肉親捜し 長野県独自の調査検討 県会で表明 |
(信毎-3・13) |
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☆ |
判明率半数・最低 今日離日 |
(各紙・大阪-3・7) |
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☆ |
夢破れて 中国へUターン なじめぬまま2年半 |
(東京-2・17) |
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[関連]
永住を断念し中国へUタ−ンする『残留孤児』一家の事情 |
(週刊サンケイ-3.8) |
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☆ |
残留孤児帰国に新たな道
孤児在中国、日本家裁で就籍 国が旅費、永住可能に |
(朝日-2・27) |
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中国在住で日本国籍取得の道開く |
(読売-,東京-2.28) |
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[解説] 『時間との競争』克服を
威力示すか新方式 帰国後の態勢なお課題 |
(朝日-3・4) |
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[ひと] 千野誠治 残留孤児の国籍取得をすすめる |
(朝日-3・11) |
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◆ |
残留孤児、養父母給付金で、日中原則合意 口上書交換へ |
(各紙-3・3) |
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【口上書】
『中国残留日本人孤児の解決に関する日中間の協議について』 |
昭59・3・17 |
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永住前に一時帰中 養父母扶養費を国分担
肉親捜しやっとルール |
(朝日-3・17) |
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肉親捜し計画的に 養父母らに扶養費
年50万円、国と民間基金で |
(毎日-3・17) |
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肉親捜しやっとレール でも完了に何年・・「本腰遅すぎた、船で一度に呼べ、養父母のおかげ」 関係者 |
( 〃 ) |
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孤児の永住帰国拡大 親族なくても許可 養父母の来日にも道 扶養費、国と基金で折半 |
(読売-3・17) |
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|
扶養費など決着 政府が半額負担
肉親捜し定期的に |
(東京-3・17) |
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[社説] 体制が整った中国孤児対策 |
(読売-3・19) |
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[社説] 中国孤児問題の進展を喜ぶ |
(朝日-3・20) |
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|
[社説] 肉親捜し事前調査充実を |
(毎日-3・20) |
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◆ |
肉親捜し急ぐ 安倍外相が一段の努力約束(衆・外務委員会-3・2) |
(朝日-3・3) |
|
◆ |
中曽根首相訪中前に肉親捜し具体策まとめ、中国側に協力要望 |
(各紙-3・13) |
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訪中、中曽根首相「孤児」今後も協力を 趙首相人道主義に基づき処理 |
(毎日-3・24) |
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第6次 |
('84,昭59.11〜12)黒竜江省・遼寧省40/90(44.4%) |
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◎ |
「従来」−手掛かりの多い者優先−(不公平問題)→ 「今回」−調査依頼の順 |
|
◎ |
肉親よ!なぜ名乗り出ぬ 孤児団副団長 少ない手掛かりに不満 |
(朝日-12・1) |
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肉親との団欒夢見て来日 副団長が切々たる手記 |
(朝日-12・5) |
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[解説] 政府はなお努力を 副団長強調 |
(朝日-12・8) |
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人違いでもいい、一目だけでも会ってやって・・・体験から呼びかけ |
(読売-12・10) |
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◎ |
国籍申請の残留孤児ら成田へ はかどらない肉親捜しにあせり就籍手続き・祖国に住みたい |
(朝日-11・22) |
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◎ |
6月に初の訪中調査 3省で200人対象 養父母から聴取も−厚生省方針 |
(共同-12・5) |
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[ルポ]−(朝日-11・23) [社説]−(朝日-11・20) −(毎日-11・22) −(読売-11・23) −(朝日-12・5)
−(共同・-12・6) -(東京-11・26) -(共同-11・29) |
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[記者の目] 「置き去りの罪」
-(毎日-11・29) |
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☆ |
[国籍・戸籍] |
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[解説] 身元判明孤児の戸籍 約3割が“死者"扱い “修籍"肉親側財産など複雑な事情 |
(産経-11・19) |
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<戸籍申請>
孤児13人が法廷へ たとえ肉親がわからなくても日本人と認めて |
(読売-11・22) |
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『私は日本人』 国籍取得調査始まる |
(毎日-11・28) |
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|
国籍取得の費用を援助 法律扶助協会 |
(朝日-11・27) |
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[意見] 香山磐根 戸籍回復に長すぎる歳月(戦時死亡宣告による抹消) |
(毎日・『編集者への手紙』-11・30) |
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[アンケート] 日本国籍93%が希望
永住希望半数 |
(共同-12・6) |
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[解説] 「日本国籍」 に寄せる思い 許可申立13/90人 行政は暖かい対応を |
(読売-12・12) |
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[ルポ] 全員の血液確定を
“別人の悲劇"生まぬためにも・・・ |
(毎日-11・30) |
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[ルポ] 異例のツムジ確定 『弟なら3つある』 |
(毎日-12・6) |
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[解説] -(読売-12・7) -(朝日-12・12) -(信濃毎日[記者座談会]-12・12) -(毎日-12・13)
-(共同-12・13) -([サンデー・リポート]毎日-12・16) |
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[アンケート]
<未判明孤児30人一言集> -(毎日-12・12) |
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[よみうり寸評]-(読売-11・13、-12・5) [余禄]-(毎日-11・22) [天声人語]-(朝日-11・24、-12・8、12・24)
[筆洗]-(東京-12・7、12・7) [編集手帳]-(読売-12・14) |
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[コラム]<母国とは>
中津燎子「母国考」 『自分のル-ツを』求めている |
(朝日[今日の問題]-11・24) |
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[憂楽帳]<孤児と血>
孤児一家が帰国・母とトラブル、血液鑑定も母子、しかしヒビはもらず |
(毎日-11・28) |
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[意見] 五社睦
-(毎日・『編集者への手紙』-11・27) 遠藤誉 -(読売・『文化』-11・29) 桜井尚 -(朝日・『論壇』-12・10) |
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“都市型難民" 判明率低い遼寧省組 出身開拓団分からず養父母の間転々と |
(共同-12・7) |
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“代々木の母"
<依田初美> 娘はどこに 第一回訪日調査から毎回 |
(東京-12・7) |
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“代々木の母" 6月ハルビンへ
もしやわが娘では『似た孤児がいる』・・・ |
(東京-85・3・1) |
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[関連]
千八百人の孤児と会いつづけた元開拓団員 <依田初美> 三留理男 『満州棄民』(東京書籍-'88)-P255 |
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☆ |
3人帰国後に身元判明 血液鑑定で確認 |
(毎日-12・28) |
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☆ |
浜口タカシ 『二つの祖国』
(写真記録・第6次訪日調査団) |
(神奈川新聞社、<P128>-'85・2) |
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◆ |
来年も区外の受け入れ拒否、<葛西小・中>(国の押し付けに抗議 ) |
(共同-12・10) |
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常盤寮“重い"41年 引揚者2千人の人生を見た |
(毎日-12・12) |
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◆ |
(中国側名簿搭載孤児)身元不明でも永住帰国の道 厚生省『未帰還者』と認定 |
(朝日-11・29) |
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[解説] 孤児の就籍促進 身元未確定者の帰国も 厚生省方針 |
(毎日-12・16) |
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◆ |
渡部厚相訪中随行記(中国側訪日調査の慢々的を批判、中国残留孤児の周辺・異国に募る不安) |
(毎日-10.30〜11.4) |
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渡部厚相が中国側から『調査のスピードが遅すぎる』と逆に批判され、「大量訪日調査」を示唆された。翌年度第八次から大量訪日調査始まり、2年間で1176人実施。 |
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◆ |
まだ千人順番待ち 前途多難な訪日調査 |
(東京-12・13) |
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◆ |
訪日調査、来年度は400人に倍増(予定通り実施) |
(各紙-12・29) |
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第7次 |
('85,昭60・2〜3) 吉林省・中国本土
36/90(40%)→39/90(43.3%) |
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[社説]-(朝日-2.11)-(毎日-2.20)
-(東京-2.21) -(朝日-3.1) [主張]-(産経-3.4) |
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[解説]-(共同・-2・25)
-(朝日[ニュース三面鏡]-2・27) -(毎日-2・28) |
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[ルポ]孤児の痛みと悲しみ-(朝日-3.2) 未判明孤児の心切々と(代弁の手記)-(共同-3.3) |
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[アンケート](吉林省組) 6割 -(共同-2・18) 孤児に聞く現代中国
-(朝日-3・1) |
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(本土組・未判明孤児) -(共同-3・4)
-(毎日-3・4) |
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[解説] 「中国孤児」 特別立法を 近づく“大量帰国時代" |
(毎日[ニユース・きょうあす]-3・5) |
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[素粒子]-(朝日-1・30) [雑記帳]-(毎日-1・30) [よみうり寸評]-(読売-2・12、-2・19) [編集手帳]-(読売-2・13)
[サンケイ抄]-(産経-2・16) |
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[憂楽帳]<孤児の写真>-(毎日-2・18) [デスクから]<血液鑑定>-(朝日-2・24) [一隅リポート]<中国残留孤児に思うこと>-(毎日-3・7) |
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[記者の目]
-(毎日-2・9) [記者の目を読んで](毎日-2・26) [記者の目] (毎日-3・20) |
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[マスコミ・唐竹割り]
-(内外タイムス-2・23) [意見]-(毎日[編集者への手紙]-3・7) |
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[インタビュー] 加来信子 -(日刊げんだい-2・8) [ひと] 加来信子 -(日経-3・6) |
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[ひと] 江成常夫 『シャオハイの満州』-《土門拳賞》-集英社・'84 (新潮文庫・昭63) (毎日-3・8、-3・13、[余禄]-3・14) |
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[人違い] <王愛光> 喜び一転 つらい真実 確認後取り消し初のケース 戸籍照会で40年前死亡わかる |
(朝日-2・27) |
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[解説] まざまざ“肉親捜し"の難しさ |
(東京-2・27) |
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[解説] 《人違いの背景》 あいまいさ残し認知 望まれる血液鑑定方式 |
(朝日[ニュース三面鏡]-2・27) |
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王愛光さん失意の自殺? 帰国めぐり再婚の夫と対立[中国天津] |
(北海道新聞-87・10・19) |
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[関連] 郡司彦 『中国残留孤児』-P214 |
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[コラム]
『直感』〜『血液鑑定』 担当者の悩み |
(朝日[デスクから]-2・24) |
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あの戦争を恨みます 女性孤児手記 切々と綴る祖国への“愛憎" |
(産経-3・4) |
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帰国後に父判明(血液鑑定) 8人なお検査中 |
(各紙-3・12) |
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☆ |
浜口タカシ 『祖国よ母よ』
(写真記録、第7、8、9次訪日調査団。養父母二度目の訪日団) |
(神奈川新聞社<P136>-'86・2) |
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◆ |
未判明孤児の永住帰国-日中合意 4月からOK 『訪日調査済み』条件 養父母扶養費未解決 |
(各紙-2・20) |
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[社説] (読売-2・21)、
(東京-2・21)、 (朝日-3・1) [関連] (毎日-2・20)、 (読売-2・20)、 (中日-2・20) |
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☆ |
残留孤児2千人超す(中国側調査)訪日調査手直し必至 |
(朝日-5・28) |
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新たに204人確認 (中国側通知) 日本側未訪日600人と推定していた |
(毎日-5・10) |
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☆ |
[調査] 残留孤児その全体像は 総数は2千人台か (全国分布図) |
(朝日-2・9) |
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大半はまだ中国に 永住帰国の態勢は不備
判明率は低下の傾向 61年度には訪日一巡? 九千人が永住帰国 うち孤児350人 |
(朝日新聞調査-全国調査は初めて) |
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◆ |
日本語教本『パートU』 文化庁作成 中国帰国者の実生活に |
(共同-2・13) |
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☆ |
在中国混血3女性
国籍取得を申請([註] 後東京家裁で就籍許可) |
(産経-2・19) |
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☆ |
望郷はるか『残留婦人』たち 里帰りままならず 47人がハルビンに定住40年 |
(読売<土曜ワールド>-2・23) |
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☆ |
残留孤児の二世に奨学金第1号(鍼灸師専門学校) 援護基金内定 [岡山・山陽町] |
(山陽新聞-2・26) |
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◆ |
厳しい暮らしの帰国孤児(厚生省・実態調査) 保護世帯48%、男の26%無職 |
(朝日-4・16) |
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[社説] -(毎日-4・17)、
(読売-4・17) |
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◆ |
厚生省が『対策室』 孤児の帰国定住へ 援助分担も前向き検討 |
(朝日-4・2) |
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☆ |
《孤児》という呼び名 |
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なぜ中国残留 孤児 波紋広げる呼称論争 成人に不自然 「暗い」の声も |
(共同-60・4・1) |
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[解説] 中曽根首相→山本慈昭 「いい呼び名ないか」 |
(毎日[論説ノート]-58・2・1) |
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[投書欄] <残留二世に>
<残留孤人は>(毎日-58・3・1)。 <孤児と呼ぶのやめよう>(朝日-58・3・3) |
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[文化] 安岡章太郎 「孤児」 は不適切 軍隊は何のために存在 |
(読売-61・8・15) |
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◆ |
訪中現地調査 |
(60・5〜6) |
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東北3省で面接へ ビデオ収録 |
(朝日-4・6) |
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きょうから初の『訪中調査』 まず黒竜江省の76人 |
(読売-5・21) |
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瀋陽で調査始まる 父母の命が縮んでいく・・・ 口々に不安訴え |
(共同-毎日-6・3) |
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養父の多くは他界 遅すぎた悲劇次々 |
(共同-毎日-6・4) |
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調査終わる ビデオ7月に公開 |
(共同-朝日-6・6) |
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日本名示した孤児23人 調査対象179人のうち |
(共同-毎日-6・8) |
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調査に訴え次々 「離別」 生々しく 41%永住帰国望む |
(読売-7・8) |
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訪中調査実り
10人に肉親名乗り 11月来日へ |
(毎日-8・2) |
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「肉親と再会今度こそ」 約20人が身元確認?訪中調査公開に照会相次ぐ |
(読売-8・2) |
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◆ |
孤児問題懇談会(厚生大臣諮問機関) 意見書提出 (定着促進、生活指導、国の財政援助) |
(各紙-7・23) |
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[社説] -(朝日-7・24)、
-(毎日-7・24)、 -(読売-7・29) |
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第8次 |
('85,昭60・9) 135人=
東北3省 各45人×3班 編成 36/135(26.7%)→42/135(31.1%) |
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◎ |
大量訪日調査幕開け 判明率急減
滞在期間圧縮 14日→12日 |
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◎ |
肉親捜しに協力を 厚生省異例の呼びかけ |
(共同-9・7) |
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◎ |
[解説] 40年の壁厚く、相次ぐ非公開
涙の再会の陰に 身元確認 5/24組 |
(共同-9・20) |
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[解説] 大量調査の“幕開"け 低下する判明率 永住帰国に問題 <来年度は700人・今回判明は4割か・永住帰国の施設不足> |
(共同-9・2) |
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[社説] 実らせたい肉親捜しの成果 |
(読売-9・4) |
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[社説] 進まぬ孤児の肉親捜し |
(毎日-9・14) |
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[社説] 減った中国残留孤児の身元判明 |
(共同-9・27) |
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[記者ノート]
身元調査はウソをただすこと(父の名前はデタラメ・・悲しいウソ、ワラおもつかむ思いで、聞いた話を“体験"にする人も) |
(産経-9・7) |
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☆ |
[解説]
身元未判明孤児も永住帰国できるようになったが |
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条件面に依然“壁”、 定着センター収容能力にも問題 |
(共同-9・18) |
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[解説] 厚生省・未判明孤児の新リスト作成(来年中にも) |
(共同-9・19) |
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◆ |
[解説] 厚生省・定着対策充実(家賃補助、生活相談等・来年度150人) |
(共同-9・21) |
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[ルポ]
読者の意見と孤児の反応(日本の正体は?,肉親は勝手か?、国の責任は?,永住帰国するな?、報道はたてまえ?、受け入れ不十分?) |
(朝日-9・21) |
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[解説] 残留孤児取材の現場 肉親捜す手掛かり求め 記者も知恵出し合う |
(共同-9・22) |
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[解説] 曲り角の訪日調査 情報量減る一方 大量調査路線に打撃 |
(東京-9・25) |
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[ルポ] 肉親わからないまま(孤児5人) 愛が欲しい。死んだのか。違っても父。鑑定が憎い。日本人の血 |
(朝日-9・25) |
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[解説] 孤児調査なお工夫を 悲しい低判明率
電算機、訪中調査生かそう |
(読売-9・26) |
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[解説] 身元判明なぜ激減 人数増えて関心が低下 切迫感消え 慎重に調査 |
(朝日-9・26) |
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☆ |
[解説] 増える未判明孤児
訪日大量調査の課題 |
(共同-9・26〜) |
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(上) もう一度機会を 期間が短いと訴え
(中) 孤児全協-国の責任で永住対策を (下) 増える失意 永住帰国 急げ受け皿整備 |
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[解説] 多くの孤児無念の涙 駆け足の12日間 祖国に思い残し(失望・身元未判明組、血液鑑定。再会・判明組) |
(共同-9・26) |
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[解説] 厚生省・肉親捜し強化(コンピューター照合、高い確度は再来日も) |
(共同-9・27) |
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[解説] 曲り角にきた残留孤児問題 埋め切れぬ40年間の空白、さらに |
(産経-9・27) |
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[アンケート] (黒竜江省45人) ほとんどが永住帰国希望 受け皿づくり一層急務に |
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条件面に依然“壁"
定着センター収容能力にも問題 |
(共同・-9・18) |
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[よみうり寸評]-(読売-9・4)
[編集手帳]-(読売-9・5、-9・16、-9・26) [サンケイ抄]-(産経-9・10) [天声人語]-(朝日-9・11) |
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[春秋]-(信毎-9・10) |
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[インタビュー] 厚生省援護局調査資料室長補佐 和知金壽 |
(毎日-9・10) |
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[ひと] 三互会会長 和泉清(毎日-9・27) 訪日団長 顧玉林(朝日-9・6) |
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[記者の目] 判明率低下、薄まる関心 定住の困難さ顕在化 地域に溶け込めるまで国は積極対応を |
(毎日-9・25) |
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[ひととき]-残留孤児と妹のなみだ 「あの時、一人でも中国の人に預けていたら・・・・」 |
(朝日-9・16) |
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[川柳] (読売)中国に孤児あり孤老あり(-9.10)。この道や来る人なしに孤児涙(-9.19)。孤児のまま寂しく帰る孤児が増え。(-9.20)。肉親がわかり日本の顔になり(-9.26) |
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[フジ三太郎] 戦時中- 天皇陛下の赤子、
残留孤児- オジーサン、オバーサンと呼ばせて(朝日-9・10)、 残留孤児寝相相談室(朝日-9・19) |
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[意見] 中村義光 救済策の再検討を(身元引受人制度、定着センター、せめて難民予算の十分の一を) |
(山梨日日-8・6) |
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ボランティア団体、歓迎費捻出に四苦八苦(大量調査時代) |
(朝日-9・6) |
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豆記者が取材 『戦争の悲惨伝えます』 |
(読売-9・16) |
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血液鑑定にすがる
すでに半数近くも 肉親判明が激減 |
(朝日-9・19) |
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血液鑑定が急増 手掛かり減るばかり |
(共同-9・22) |
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血液鑑定で母判明−身元未判明で88年2月永住帰国した〈侯彩琴〉 |
(朝日-88・7・30) |
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[連載・3回] 《忘れられた日本人》 |
(朝日-7・30〜) |
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(上)<外人登録>残留孤児「中国人」で入国手続き
(中)<消えた戸籍>父が否認、復活は宙に(下)<法の認知>戸籍新設の支援実を結ぶ |
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[連載] 《もう一つの戦後》
@原宿のポスターと残留婦人の手紙G中国の家族と生きるH再婚・・・帰国の足かせI元関東軍参謀、開拓団放棄・・『任務』だったJ言葉の壁少女自殺K残留婦人中国へUターン |
(朝日-8・1) |
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[連載] 《夏草の祈り》C
[肉親捜し] 孤児、他人事と思えず 再会を願い奉仕の日々<森川富子> |
(朝日-8・10) |
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[連載]
《終戦40年の夏-それぞれのレクィエム》C 東京開拓団全滅 D東京開拓団生き残り孤児<大井川清> |
(読売-8・10〜) |
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[関連] 東京荏原開拓団 合田一道
『死の逃避行』-P130 <興安荏原開拓団の終末-副団長 足立守三> 富士書苑 53 |
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江成常夫 『シャオハイの満州』-P176
<青麻畑の惨劇> 集英社 '84 |
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[連載・12回]
<養親と生きる><関東軍><満鉄><国恥の日、5・4><十字架・松岡洋右演説><二キ三スケ><皇帝><内面指導権><建国大学><無主の地><楊靖宇><武装移民> (朝日-9・6) |
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◆ |
身元未判明孤児でも戸籍回復に配慮を 厚生省申し入れ 最高裁検討約束 |
(毎日-8・1) |
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◆ |
国籍の悲願最高裁も応援 審理スピード化 日中調査資料、全家裁に |
(読売-9・5) |
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◆ |
就籍裁判の促進、最高裁配慮-孤児の資料を家裁へ |
(共同-9・6) |
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◆ |
来年度は一挙700人 訪日調査終了をめざす 定住指導も整備 |
(朝日-8・24) |
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第9次 |
('85,昭60・11〜12) 東北2、本土1・3班 33/135(24.4%) |
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◎ |
名乗り出ためらう肉親。定着対策不備指摘される |
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◎ |
北朝鮮で離別女性孤児初来日 祖国滞在日記 |
(毎日-11・30) |
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[社説] 「媽媽」の声にこたえたい 肉親捜し・永住帰国・定着自立・北朝鮮孤児(83人) |
(朝日-11・18) |
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[コラム] もどかしい“残留孤児"対策 問題の火付け役 渡瀬憲明氏 |
(<記者席>-毎日-11・22) |
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[小劇場] 浪花節演題“我是日本人"・・・<春陽会> |
(読売-11・27) |
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[ルポ・写真]
陰で支える“先輩"たち 大阪中国帰国者センター |
(朝日・ニュースくらぶ-12・7) |
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[解説] 国の定着対策を
身元判明低下に拍車も |
(東京-12・11) |
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[解説] 低調だった身元判明 認知“遠慮"の“老父"そっと面会 背景に複雑な事情 |
(共同-12・12) |
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[解説] 孤児に定住計画を
受け入れ態勢作り急務 |
(読売-12・12) |
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[社会部発] 私も孤児になりかねない体験 |
(産経-12・8) |
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[記者の目] 永住帰国後調査に望みを託すため 『生活保障制度』急げ |
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名乗り出れぬ親 経済負担の重圧
生活の責任は国 定着センター1カ所のみ |
(毎日-12・12) |
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[連載・5回] 祖国を求めて<集中調査の死角> <肉親まかせ・苦汁のためらい> <自立研修わずか4か月> |
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<民間・支援の輪>
<償い・遅すぎた施策> |
(西日本-11・18〜) |
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[連載・14回] 残留孤児・《満州崩壊》
<関東軍・国民放棄作戦> <ソ連進攻> <根こそぎ動員> <死の選択@〜C> |
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<子を売る女@〜C>
<当番の娘@A-(ソ連兵のいけにえ)> |
(朝日-11・23〜) |
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[よみうり寸評]-(読売-11.19)、[編集手帳]-(読売-11.19、-11.24、-12.2、-12.11) |
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[川柳]
(肉親捜しのもどかしさ)空似でも母と呼びたい子と呼びたい、 (核戦争なら)この次は孤児も作らぬ灰世界 |
(朝日-12・26) |
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帰化した孤児来歴に託す夢 |
(読売-12・12) |
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[ひと] 賀来信子-中国残留孤児の世話 信念貫く「山東ママ」 |
(毎日-11・26) |
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名乗りでるのはほんの一部(瀋陽公安局) 養父母や妻子の板挟みに悩む 対面できても中国で生涯終える<劉鳳奎> |
(毎日-10・22) |
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『戦前孤児』《厚生省対象外》訪日調査団参加<呉鳳英> 厚生省扱いに苦慮
新たな対応課題に |
(共同-11・22) |
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母さん名乗る勇気を 孤児懸命の訴え 自分を知りたいの、決して迷惑かけません |
(朝日-11・29) |
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『定着センター訪問』実現 来日孤児にはげみ『復帰への努力つぶさに』 投書がきっかけ |
(毎日-11・19) |
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[関連] [投書] 定着センター訪問を日程に
<佐々木穎> |
(毎日-85・9・26) |
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種痘跡で「日本人」 判定可能
孤児に早く戸籍を 福島の団体独自調査 |
(共同-11・19) |
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(註)『日本人は4個、中国人は縦に2〜3個』
というのが調査結果であるが、地区、時期によって異なり、『縦に2〜3個』の日本人もあり、断定はかえって危険 |
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『訓練4カ月で大丈夫?』不安顔 定着センターを訪問 |
(毎日-11・25) |
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二つの祖国、二つの両親 判明孤児も心裂かれて 永住帰国したい・育ての恩も返したい |
(朝日-12・11) |
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複数の養父母転々とした孤児 中国公安当局に孤児資料要請へ 厚生省 (公安部は最初の養父母迄調査) |
(朝日-12・13) |
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[インタビュー] 《曲り角
中国残留孤児問題》 進路をきく |
(産経-11・22〜) |
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[厚生省援護局長] <1>
待ちの調査から攻めの調査へ <2> これから5、6年が正念場-帰国は大量でなく幅と期間をおいて計画的に |
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[援護基金常務理事] <3>
センターで生活指導 <4> 最大の壁は言葉 <5> [養父母基金]に協力を <6> 苦難は覚悟の上の永住帰国 |
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☆ |
残留孤児を養子に 夫の遺志継ぐ(9日、一家6人来日)[福島県] |
(福島民報-12・7) |
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(註)
美談として大きく報道されたが、後日孤児一家が逃げ出し、夫の死後単に労働力目的で来日させ酷使したのではないかとの疑いが生じ、問題となった。 |
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[関連] 孤児-崔文傑(於・吉林省)
新井利男 『残された日本人』-カバー写真、P50 (径書房) |
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☆ |
北朝鮮孤児 |
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北朝鮮孤児にも目を 「会いに行く会」 名古屋で発足 |
(朝日-11・6) |
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北朝鮮残留孤児 肉親捜し、国も本腰 日赤ルートで対応 厚相が衆院で努力約束 |
(朝日-11・14) |
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[社説] 北朝鮮残留孤児にも光りを |
(毎日-11・17) |
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[ひと] 森下圭二 北朝鮮孤児と家族との対面に執念を燃やす |
(朝日-12・12) |
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[投書]
北朝鮮と交流真の善隣願う(日赤ルート批判)-(朝日-11・23) “北朝鮮孤児"も対策急げ-(毎日-11・27) |
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[インタビュー] 岩井章 日朝離散家族の再会促進を 敵国視が壁に 実態知らない政府 |
(朝日[わたしの言い分]-61・7・20) |
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朝鮮戦争孤児130人育ての親 “38度線のマリア" 生きざま伝えよう |
(読売-60・11・23) |
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朝鮮孤児 訪日調査なお時間かかる 厚生省見通し 身元確認要請回答なし |
(毎日-62・3・12) |
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