第10次 |
('86,昭61・2〜3)東北3省3班 35/130(26.9%)→36/130(27.7%)→34/130(26.2%) |
|
|
◆ |
訪中ビデオ調査対象者110人(85%)(効果薄し) 肉親相談専用電話設置 |
|
|
◆ |
今年度予定400人終了(駆け足招待旅行との批判) 来年度700人予定 大量調査の判明率低下への影響懸念 |
|
◎ |
肉親求め祖国に第一歩 対面申出で僅か11人 |
(産経-2・17) |
|
◎ |
来年度は4回、残る700人招く 滞在15日に延長へ |
(朝日-3・13) |
|
|
[社説] 肉親頼らぬ孤児受け入れを |
(毎日-2・19) |
|
|
[社説] 孤児対策に一層の努力を望む |
(読売-3・12) |
|
|
[解説] 混血孤児肉親捜し急増、就籍希望相次ぐ |
(毎日-1・16)(東京-2・17) |
|
|
[解説] 第1次帰国者のその後 「老後が不安」 夢見た祖国で奮闘続く 言葉の壁 涙で迎えた肉親も負担に |
(朝日-2・10) |
|
|
[連載] 残留孤児-『空白の戦後』 |
(朝日-2.20〜3.9) |
|
|
[ルポ] ドキュメント“孤児の24時間" |
(朝日-2・27) |
|
|
[ルポ] ハルビンの孤児 永住帰国の不安 『日本は異国、妻は泣く』、日本語・就職 |
(朝日-3・7) |
|
|
[解説] 中国孤児に『温もり』を 61年度で訪日終了 望まれる“有終の美" |
(読売-3・9) |
|
|
[アンケート] 揺れる心 永住帰国、70%が希望、『子らの将来思う反面』-言葉の壁、生活心配、養父母は残せない |
(朝日-3・9) |
|
|
[アンケート] 未判明33人 直前の一言 祖国で死にたい あきらめた |
(毎日-3・11) |
|
|
[記者の目] 帰国孤児の自立へ国は具体化急げ
センターに職業訓練施設 研修期間1年間に延長を |
(毎日-3・29) |
|
|
[編集手帳]−(読売-2・6、
-2・19、-2・21) [よみうり寸評]−(読売-1・4、 -2・21) [サンケイ抄]−(産経-2・20) |
|
|
[天声人語]−(朝日-2・24) [余禄]−(毎日-2・16) |
|
|
|
[写真] 祖国の雪に歓声
(毎日-2・19) 中国孤児が“雪土産" |
(東京-2・19) |
|
|
“祖国"でたじろがないで 帰国孤児の主婦-経験生かし通訳 同年配の主婦-送り続ける造花 |
(毎日-2・17) |
|
|
“せんべつ"の寄付金不足 残留孤児に好意を (註) 第2次 寄付金1200万円 |
(産経-3・4) |
|
|
身元判明減る一方 名乗り出られない訳がある 経済的負担が心配 |
(朝日-3・8) |
|
☆ |
浜口タカシ 『私は日本人』 (写真記録、第10,11,12次訪日調査団) |
(神奈川新聞社<P136>-'86・12) |
|
|
|
|
|
|
第11次 |
('86、 昭61・6) 東北3省・本土
(4班) 73/200(36.5%)→79/200(39.5%) |
|
◎ |
最多200人(男女各100人) 滞在12日→15日 判明率3割台に回復 訪日調査今年度終了予定 |
|
◎ |
来日孤児の多くは中国側が掘り起こし(中国側の資料充実) |
|
|
◎ |
早期永住帰国妥当でない (定着センター増設中)<厚生省説明資料> |
|
|
◎ |
訪日調査、来年度も継続−新たな依頼相次ぐ。なお1〜2年で終わるよう急ぎたい(厚生省今年度終了発表済み) |
(産経-6・26) |
|
|
[解説] 大量訪日近付くが 帰りたい・・帰れない 年経て肉親の9割り拒否 整わない国の体制 |
(朝日-5・22) |
|
|
[写真] 父や母
わが子は 思いを託す書類の山(厚生省・調査資料室) |
(朝日-5・29) |
|
|
[写真] 『暗転』は こんな食事の時に |
(朝日-6・6) |
|
|
[アンケート] 訪日前の声、声・・ 『祖国』思う心さまざま (国籍回復を、もう離れない、変な目で見ないで、永住は中国) |
(朝日-5・31) |
|
|
[厚生省] 残留孤児に説明書(日本社会の情況紹介) 残業は当たり前 持家は無理 喜怒哀楽は我慢 |
(毎日-6・25) |
|
|
[社説] 祖国への道なお遠く |
(朝日-6・28) |
|
|
[社説] 身元判明率は上向いたが・・ |
(毎日-7・1) |
|
|
[解説]
第一班(吉林省)の判明44%の高率に 終戦時孤児の移動少、公安の住民把握度高い、終戦時年齢高い |
(読売-6・15) |
|
|
[解説] 全体判明率34%(コンピューター導入も成果) |
(朝日-6・29) |
|
|
[解説] 身元判明手掛かり全調査(名前記憶23。離別状況記憶12。家族名前、父職業、家族構成) |
(毎日-6・28) |
|
|
[社説] 孤児二世に留学の道を 「永住帰国だけが幸せになる道と限らない」 増加 |
(読売-7・1) |
|
|
[連載・15回]
《『中国残留孤児』・対面調査》 |
(朝日-6・1) |
|
|
[連載] 《わが憂い断腸の如し》 中国孤児たちの戦後 1〜7 |
(東京-8・5〜) |
|
|
[連載] 《探親日記(24回・5人) |
(産経-6・3〜29) |
|
|
[アンケート](第一班・吉林省) 「永住帰国」ためらう 日本の生活に不安 |
(読売-6・14) |
|
|
[アンケート](第4班・混成) 子供を日中の懸け橋に “二世留学"54%が望む |
(読売-6・28) |
|
|
[アンケート] 永住帰国希望は半数 祖国の現実に多い悩み 不安は就職と言葉 |
(共同・産経、東京-6・25) |
|
|
|
政府の帰国対策の遅れ指摘 老後の生活保障の心配 帰国しない孤児の養父母にも扶養費の支払いを |
|
|
[アンケート]
29人の“戦後"終わらず 未判明孤児の心さまざま |
(産経-6・30) |
|
|
[アンケート]
(第4班)再会の夢破れた29人別れの一言 |
(読売-6・30) |
|
|
[風のうた] 孤児二世カップル |
|
|
|
[記者の目] 日系中国人カップルの結婚式 日本人の子だそして中国人だ 心に響いた人間らしさ |
(毎日-6・18) |
|
|
[記者の目] 「帰国から生活まで」 国は確立急げ、永住者の追跡調査を、帰りたい・帰れない、帰国手続き簡素化を |
(毎日-7・4) |
|
|
[意見] 中川康恵 中国孤児の情報受け入れ容易に |
([論点]読売-6.18) |
|
|
[意見] 遠藤誉 受け入れ施設センター増設、帰国急げ(形式疑問) 身元引受人-本来国のやるべきこと 二世の留学制度を |
(読売-7・2) |
|
|
[ニュースの追跡] 孤児送迎5年余・ヤサカ観光バス(信頼は絶大 責任も重大) |
(東京-6・25) |
|
|
[編集手帳]-(読売-5・28) [天声人語]-(朝日-5・19、-5・30) [余禄]-(毎日-6・4、-6・15、-8・1) |
|
|
祖国の街ふれあい遠く |
(朝日-6・8) |
|
|
活躍目立つ女性通訳 手と手に血が通う |
(東京-6・27) |
|
|
麻山事件-“地獄"見た兄妹再会 |
(産経-6・17) |
|
|
なぜか正直“素顔の日本"紹介-厚生省説明書(残業当たり前、持家は無理、喜怒哀楽は我慢) |
(毎日-6・25) |
|
|
お土産ベスト3(@カラーTVA電気カミソリB使い捨てライター) |
(毎日-6・28) |
|
|
[写真] 飯山達雄 敗戦直後の日本人難民 未発表98点 40年ぶり画像生々しく |
(朝日-5・27) |
|
|
[ひと] 飯山達雄 敗戦の翌年帰国促進のため、密航して難民収容所の写真を撮った |
(朝日-6・6) |
|
|
|
[関連] 飯山達雄
収容所等写真集-『小さな引揚者』 草土文化社 '85 |
|
|
[インタビュー] 山村文子 孤児の帰国促進を
50才超すと自立困難 6、7年順番待ちの現状 |
(朝日[わたしの言い分]-5・25) |
|
|
[インタビュー] 庵谷 磐
自立定着に総合施策を センター建設急げ |
(西日本-6・15) |
|
|
[インタビュー] 井出孫六 国の責任問う “残留”でなく置き去られた |
(東京-6・16) |
|
|
[インタビュー] 〃 終わりなき旅・・責任は国に 歴史を見つめ直して 放置国民として恥ずかしい |
(毎日[日曜スペシャル]-6・29) |
|
◆ |
養父母扶養費妥結 15年分一括支払い(60元×15) |
(各紙-5・10) |
|
|
[社説] やっと実る養父母への感謝 |
(毎日-5・8) |
|
|
[解説] 大量帰国時代への課題 残留孤児に聞く |
(産経[特報'86]-6・26) |
|
|
|
|
|
|
第12次 |
('86, 昭61・9) 200人
4班 58/200(29%)→63/200(31.5%) |
|
◎ |
3年以内に全員受け入れ <厚生省帰国説明書>「帰国は時期尚早」 の表現削除(11次参照) |
(毎日-9・14) |
|
◎ |
再会肉親の殆どが、中国で生活するよう伝えた。肉親側は永住帰国後の実例から冷静に判断 |
(産経-9・29) |
|
|
[社説] 帰国者生活向上のために |
[西日本-9・14] |
|
|
[連載]
<残留孤児・『帰国』> 養父母、戸籍、就籍、二世、順番、お見合い、肉親拒絶、天麩羅や、美談の結末、里親の嘆き |
(朝日-9・5〜) |
|
|
[ルポ] ある孤児の対面を追う(妹は母そっくりだった) |
(朝日・[時々刻々]-9・12) |
|
|
[解説] 「就籍」に強い関心 「日本人」との納得求め |
(朝日-9・23) |
|
|
[座談会] (訪日孤児・帰国者)孤児の思い・日本の対応 ズレ浮き彫り |
(朝日-9・25) |
|
|
[解説] 祖国を踏んでも今は亡き父母 乏しい手掛かり 経済負担、肉親も沈黙 |
(共同-9・28) |
|
|
[解説] 名乗り出渋る“肉親"
永住対策不備-訪日調査団長指摘 |
(毎日-9・29) |
|
|
[解説] 非情・・歳月の流れ
名乗りを渋る肉親も 「判明後対策」に重い課題 |
(西日本-9・30) |
|
|
[解説] 祖国との間に心の壁(肉親とさえもあつれき、長い年月あきらめ誘う) |
(読売-9・30) |
|
|
[アンケート](第1班・黒竜江省) 月収・貯金・住宅・子弟教育(日本留学させたい) |
(毎日-9・8) |
|
|
[アンケート](第1・2班・黒竜江省) おみやげ →日本(手工芸品・タバコ・茶) →中国(カラーテレビ90%) |
(毎日-9・11) |
|
|
[アンケート] 「満州事変」 9・18
恨みます。 戦争と平和-私の人生変えた |
( -9・18) |
|
|
[調査] ためらう孤児・永住帰国希望減る
1/4 未定も100人 言葉、就職教育、養父母 |
(毎日-9・27) |
|
|
[アンケート]
祖国滞在“生の声" 食事と住宅、交通、フアッション、信仰、マスコミ |
(共同-9・27) |
|
|
[アンケート] 永住したいがかなわぬ夢
70%が断念(前回より倍増・生活、言葉、就職等不安) |
(共同・-9・29) |
|
|
[よみうり寸評]-(読売-9.4)
[編集手帳]-(読売-9.5、-9.18、-9.19) [天声人語]-(朝日-9.16) |
|
|
[川柳]
<中国の言葉で語る耳の傷>-(朝日-9・23) <望郷の想刻みし孤児の皺つたいて流る汗か涙か>-(朝日-9・28) |
|
|
[ひと] 田沢まつ 自作の歌を訪日孤児にプレゼント |
(朝日-9・4) |
|
|
残留孤児うらみの文革 スパイ容疑恐れ貴重な手がかり処分 |
(読売-9・9) |
|
|
お嫁さんを日本で(寂しい独身4人) |
(読売-9・22) |
|
|
名乗る"父"
こたえぬ"息子"-養父の話と違う(肉親捜し異例のケース) |
(京都-9・22) |
|
|
期待・・焦り・・傷心 祖国の15日間 |
(西日本-9・30) |
|
|
最大の悲劇葛根廟事件の孤児6人来日 |
(共同-9・16) |
|
|
[関連] 葛根廟事件41年ぶり慰霊の同窓会(読売大賞<赤い夕日の大地で>の作者も代々木へ) |
(読売-9・2) |
|
|
〃 慰霊祭、生き残り孤児も合掌(慰霊碑、東京・下目黒・五百羅漢寺) |
(毎日-9・24) |
|
|
[編集手帳]-(<葛根廟事件邦人遭難の図>読売-9・5) [編集手帳]-(<校長の息と判明>読売-9・19) |
|
|
[関連]
大櫛戊辰『殺戮の草原(葛根廟事件の証言)』 東葛飾商工新聞 S51 大櫛戊辰 『蒼空と草原-葛根廟巡礼記』 崙書房 '96 |
|
|
三留理男 『満州棄民』-P159
<二千人を虐殺、今なお全容不明> 東京書籍 '88 |
|
|
キャラバンで日本側肉親調査(厚生省来年から3年で) |
(毎日-8・27) |
|
☆ |
公費で再訪日調査(新たな手掛かり得た孤児-1月に4人) |
(毎日-9・27) |
|
|
|
|
|
|
|
第13次 |
('86,昭61・10〜11)
東北3省 30/100(30%)→32/100(32%) |
|
◆ |
[解説] 訪日調査来年度も (約100人、9〜10月に) |
(朝日-10・7) |
|
|
[解説] 二つの祖国のはざま 生存に期待寄せたが 名乗り出ない肉親、無理に帰国しないで 在中国孤児に生涯年金無理か |
(東京・視点-10・14) |
|
|
[解説] 中国側が掘り起こした孤児。 13才以上も対象 (来年度調査) |
(毎日-10・25) |
|
|
[アンケート] 中国孤児 「その生活と意見を聞く」 垣間見える“近代化" |
(朝日-10・20) |
|
|
[アンケート] 様変わり中国孤児 過半数が帰国望まず(希望しない55人、する38人、未定7) 言葉・習慣の壁厚く |
(東京-10・26) |
|
|
[アンケート] “祖国離れ"一段と
4人に1人「帰国しない」 言葉、子供の教育、養父母 |
(毎日-10・30) |
|
|
[アンケート]
残留孤児無念の歳月 訪日調査情報半数に届かず 手続きも知らず |
|
|
<訪日調査に参加が遅れた理由> <孤児と知った時期> |
(読売-10・27) |
|
|
[解説] 低い判明率 一般の情報も大幅に減る |
(産経-9・29) |
|
|
[解説]
祖国との間に心の壁 肉親とさえもあつれき 長い年月諦め誘う |
(読売-9・30) |
|
|
[筆洗]-赤塚不二夫(小学4年奉天引揚)・ 回想記 『いま来たこの道かえりゃんせ』 |
(東京-10・27) |
|
|
[写真] 再会の喜び私に下さい 過去12回の調査で数々の再会ドラマが生まれた |
(読売-10・7) |
|
|
[マンガ] サトウサンペイ・フジ三太郎
西武ライオンズ優勝 西武系ス-パー・孤児のお土産に限り100円均一 |
(朝日-10・28) |
|
|
[意見] 多田実 “棄民"の直接の責任者である関東軍の贖罪の言葉を聞いたことがない |
(朝日[私の紙面批評]-9・14) |
|
|
ソ満国境の悲劇訴え(消せぬ怒り 熱い思い) |
(産経-10・20) |
|
|
甘い考え捨てよ 孤児へ先輩が忠告(永住帰国で悲劇にも) |
(東京-10・21) |
|
|
葛根廟事件の孤児 「日本人」 隠し続け34年
日中安定確かめ名乗り |
(毎日-10・24) |
|
|
[意見] 林 郁 残留孤児問題の今後 厚生省は自立援助に本腰を |
(日本と中国[プリズム]-10・5) |
|
|
[意見] 遠藤誉 帰国孤児にアフターケアーを
自立に欠かせぬ定住拠点作り |
(朝日[論壇]-10.23) |
|
☆ |
[解説] 就籍問題 費用手続きの壁 国の積極支援が必要 |
(朝日-10・3) |
|
|
辛酸越え「日本籍」 を 父は「坂田機関」長、文革で獄に11年 |
(朝日-9・28) |
|
|
『残留婦人』 日本国籍願いかなう 15歳で終戦、援護行政の谷間に |
(毎日-10・8) |
|
|
戸籍問題 親族対立し訴訟 (母方申立で復籍、父方取消し申立) |
(朝日-10・24) |
|
|
(東京家裁) 就籍却下 日本人になれず涙の孤児<李鳳琴>(朝日-10・17)、(東京高裁)
原審判取消 就籍許可 |
(朝日-62・6・9) |
|
|
[ひと] 河合弘之(国籍取得を支援する会副会長) 帰国旅費を送る運動を始めた |
(朝日-9・12) |
|
|
[ひと] 千野誠治 『名付け親』 孤児350人に苦心の日本名 |
(東京[ニュース双曲線]-19・30) |
|
|
〃 『中国残留孤児』の国籍取得をすすめる |
(朝日-59・3・11) |
|
|
[ひと]
井出孫六<終わりなき旅>で残留孤児の歴史と現在を問う |
(朝日-61・3・2) |
|
|
“残留"でなく置き去られた悲劇
国の責任問う井出孫六 |
(東京[にんげんプラザ]-・6・16) |
|
|
|
[書評]
<終わりなき旅> なぜ残留孤児は生まれたか(毎日[著者の周辺]-2・3)、中国孤児対策を告発(朝日-2・17)、残留孤児の背景えぐる
(読売-3・3)、 国家の非情さを見る(東京-3・3) |
|
|
|
[関連] 大佛賞受賞-<選考委員から>-井上靖、加藤周一、河野健二、司馬遼太郎、都留重人、鶴見俊輔、秦正流、渡辺格 |
(朝日-3・6) |
|
|
大佛賞贈呈 井出-読者から帰国者や養父母の役に立ちたいとの相談が相次いだ。受賞に重い責任を感じる |
(朝日-10・9) |
|
☆ |
[連載・35回] 遠藤満雄 《祖国定住》 中国残留孤児の軌跡 |
(毎日-10・27〜) |
|
|
|
[関連] 遠藤満雄 『中国残留孤児の軌跡』(新聞連載加筆) 三一書房 '92・9 |
|
☆ |
[ルポ] 鈴木ヒロノ 私も残留孤児だった 宿舎に日参励ます 心の内を親身に聞く 手記も出版へ |
(朝日-6・30) |
|
|
[ルポ] 母と姉妹眠る中国に鎮魂碑 帰国孤児(鈴木ヒロコ)の悲願実現へ |
(朝日-11・9) |
|
|
|
[関連] 鈴木ヒロノ
『日中のはざまに生きて』 (新時代社-'88)、 坂本龍彦 『残留日本人への旅』 |
(朝日イブニングニュース社-'86) |
|
|
坂本龍彦 『満州難民 祖国はありや』 |
(岩波同時代ライブラリー '95) |
|
◆ |
大阪にもセンター 定着促進 (11月開設) |
(毎日-9・19) |
|
☆ |
センター要請に即『ノー』 愛知の『愛』が泣いています 大阪、福岡は早速OK (愛知 後開設、好成績) |
(読売<中部版>-10・3) |
|
☆ |
厚生省“血液鑑定"を“無視"
『肉親判明』と誤発表 |
(毎日-10・16) |
|
☆ |
厚相・閣議要望 住宅など格別配慮を |
(毎日-11・7) |
|
|
|
|
|
|
|
第14次 |
('86,昭61・12) 東北3省
14/42(33.3%)→15/42(35・7%) |
|
◎ |
(この1年内に)中国公安から日本人と告げられ、訪日をすすめられた 35/42人(83%) |
(東京-12・13) |
|
◎ |
[解説] 訪日調査制度
直前まで半数が知らなかった |
(毎日-12・13) |
|
◎ |
[アンケート]
訪日調査団に加わるのが遅れた理由 不知半数 申請2年内が90% |
(毎日-12・13) |
|
|
[解説] 身元判明を拒む養父母への気兼ね
「手掛かり資料聞けぬ」 |
(毎日-12・17) |
|
|
[アンケート]“繁栄日本”は孤児の目にどう映ったか
(驚き、戸惑い・高層ビル、道路、新幹線) |
(毎日-12・15) |
|
|
[アンケート] 残留孤児帰国 肉親は? 涙乾かぬ28人 祖国の姿まぶたに 悲痛な言葉残し
40年の空白長すぎた |
(読売-12・17) |
|
|
[ひと] 金井睦世(訪日調査団副団長)-(毎日-11・17)和知金壽(厚生省調査資料室長)-(東京-12・6) |
|
|
浜口タカシ(訪日の都度孤児写真を5年)-(毎日-12・13) 加来信子(訪日調査孤児世話人)あえて厳しさ強調 (京都-12・10) |
|
|
[ひと] 江上夏子(孤児二世・高校生主張コンクール外務大臣賞) |
(朝日-12・2) |
|
|
[ルポ] サヨナラは祖国への礼(北京への日航機) |
(朝日<街>-11・9) |
|
|
[ルポ] あるボランティアの1日(山村文子)
頼れぬ国、重荷担い奉仕 就職、言葉・休む間なく |
(朝日[時々刻々]-11・1) |
|
|
[ルポ] 帰国孤児 壁厚い母の国での自立 言葉・考え方・生活格差 |
(朝日・岡山[吉備機微ひろば]-11.6) |
|
|
[ルポ] 帰国孤児の一週間 永住へふくらむ希望 募る不安 異なる生活様式 手には日中辞典 |
(朝日-12・16) |
|
|
[ルポ] 残留婦人が見付けた安住の地(上海) 苦難の半世紀懸命に生き抜き |
(朝日['86書き残した話し]-12.17) |
|
|
[意見] 心占めた「平和」 「肉親」 (従妹と面会) |
(朝日[ひととき]-12・30) |
|
|
肉親の出迎えは1組 残留婦人6人が一時帰国 |
(朝日-12・30) |
|
☆ |
[解説] 《大量帰国時代へ厚い壁》残留孤児の悲劇 自殺(七つのケース)・殺人 対人関係にヒビ割れ |
|
|
『精神衛生対策が緊急課題』 『同情、善意だけのもろい点』 |
(東京[こちら特報部]-12・15) |
|
◆ |
孤児の定着へ『サブセンター』 北海道など5カ所 |
(各紙-12・29) |
|
|
|
|
|
|
|
第15次 |
('87,昭62・2〜3) 東北3省・本土 28/104(26・9%) |
|
◆ |
◎ |
最後の定期・集団訪日調査団 訪日調査概了 (厚生省発表) (ボランティアからはまだ多数いると批判) |
|
|
局面は帰国・自立定着へ |
|
|
◎ |
年齢制限撤廃で念願の祖国へ(2人) |
(毎日-2・24) |
|
◎ |
初の再訪日組ショック 判明2/4 全員確実なはずが半数 |
(東京-3・9) |
|
◎ |
《紙面》各紙[連載]等 特集 (最後の肉親捜しとの厚生省発表を受け) |
|
|
[社説] 「感激の対面」 は終わらない |
(毎日-2・22) |
|
|
[社説] 残留孤児問題の新しい局面 |
(朝日-2・23) |
|
|
[社説]
“残留孤児問題"は終わらない |
(読売-2・24) |
|
|
[社説] 国際化が試される孤児受け入れ |
(読売-3・14) |
|
|
[解説] 大量帰国時代へ、迫られる新たな対応(養父母は日本の生活不安) |
(産経[特報'87]-3・11) |
|
|
|
[アンケート] 帰国希望者5割に減る |
( 〃 ) |
|
|
[解説] 歳月の厚いカベ(判明最低の24%、肉親の9割沈黙、コンピユーターも空振り) |
(毎日-3・12) |
|
|
[解説] 最後の調査団今朝離日
傷心と歓喜1488の涙 |
(東京-3・13) |
|
|
[解説] 中国孤児調査終了
定着これからが正念場 大きい言葉の壁 社会が自立手助けを |
(北海道-3・13) |
|
|
“帰国時代"へ課題重く 『養父母の国』祖国と決めた 老いた“親"は 子供は |
|
|
<関係者に聞く> 最後の1人までも
個人より国の責任 北鮮やソ連にも 里帰り制度考えて |
|
|
[解説] 最終訪日団離日(6年で550人が判明)、 大量帰国時代へ |
(読売-3・13) |
|
|
[解説] 長い空白の悲劇(最終回調査率最低) 文化・生活の溝埋める対策を |
(読売-3・14) |
|
|
[アンケート]“埋もれた孤児”なお多数 |
(読売-3・2) |
|
|
[アンケート] 永住帰国
「もっと国が面倒を」 親類まかせに強い不安 |
(毎日-3・7) |
|
|
[アンケート] 在中国孤児
永住帰国、8割が希望 未判明孤児、申請→帰国、1年半 |
(朝日-3・12) |
|
|
[厚生省面接調査・8〜15次] 《永住帰国》 ぜひ45.5%(予測60%)、まだ考えていない26.6%、その気はない12.2% |
(毎日-3・19) |
|
|
[アンケート] 祖国へ向ける熱い思い 永住希望3人に1人 厚い言葉、習慣の壁 養父母への思いやりも |
(読売-3・13) |
|
|
[インタビュー] 《肉親捜しに終わりなし》 |
(共同-3・11) |
|
|
木戸援護局長−最後の一人までも、 自立までフォローが必要 |
|
|
|
庵谷孤児孤児全協会長−定着対策見直し、総合的施策の確立を |
|
|
|
[記者の目] 《帰国時代へ》 自力で強くつらくても。異文化乗り越える知恵を。 再び“棄民"生む恐れ |
(毎日-3・13) |
|
|
[写真] 受け止める手はどこに 『手』が語りかける |
(毎日-3・12) |
|
|
[ひと] 磯野恭子 残留婦人問題と取り組む 山口放送TV製作部長 |
(朝日-1・16) |
|
|
[ひと] 柏 実
肉親捜しのきっかけを作った |
(毎日-2・24) |
|
|
[ひと] 高麗博茂
帰国定住の第一線で力を尽くす |
(朝日-3・4) |
|
|
[ひと] 加来信子
訪日孤児の“母親役" 帰国者に日本の生活を性急に押し付けないで |
(読売-3・7) |
|
|
[ひと] 八木 巌
帰国者適応のためのガイドブックを作った |
(朝日-3・10) |
|
|
[ひと] 田中 望
孤児のための日本語教材をまとめた |
(読売-3・21) |
|
|
[マンガ] 台風情報 (朝日[フジ三太郎]-10・16) [和歌・5首]-(朝日-12・5) |
|
|
依田初美(69) 最後の孤児調査も さらわれた娘の姿求め“代々木通い"6年 |
(読売-3・3) |
|
|
孤児3人「訪日望まず」 異例、直前取りやめ。 結局53人減 |
(朝日-2・17) |
|
|
全滅開拓団の生存者? (第12次仁義仏立開拓団) |
(東京-2・25) |
|
|
養父母がエピソード“創作" (愛する孤児を手放したくない余り) |
(読売-2・25) |
|
|
“孤児たちの父"山本慈昭さんに春 厚生省で棚ざらしの6通の手紙から奔走20年 訴えの主と対面 |
(読売-2・27) |
|
|
[連載・10回]
《語り尽くされたか・残留孤児》 |
(朝日-1・30〜) |
|
|
<[満州国]・開拓団員おき去り>
<[軍]・国の守り最優先、国民保護二の次> [関連]『別項註』 |
|
|
<[祖国]・思い断ち切り中国定住> |
|
|
|
<[中国の血]・二世・同化を強いる日本>
<[友好]・帰国孤児記念碑建立が悲願> |
|
|
<[殺人]・中学で差別傷つく>
<[衝突]・習慣違い心通わず> |
|
|
|
<[遺髪]・7人の無念を本に>[関連]-近藤かつみ・『7人の遺髪-ソ満国境の開拓団より逃れて
揺籃社 '86』 |
|
|
<[幻の楽土]・侵略者の先兵の役割開拓団>[関連]深田信四郎『二龍山』『幻の満州柏崎村』
<[戦後]・放置される戦争の償い> |
|
|
『註』
(朝日・[テーマ談話室《戦争》]) |
|
|
|
邦人残し鉄橋爆破<孫愛街道>
『草地意見に対し』 軍隊の本質として肝に命じよう。 真っ先に高級軍人家族を内地に帰した。 ドイツ軍は敗戦時避難民救出努力 |
|
|
守った軍もある<熱河省青竜中隊>。 朝鮮へ救出輸送<ハルピン鉄道隊>(3・14)。 ソ連軍を防ぎ、張家口邦人4万北京へ<駐蒙軍>(3・24) |
|
|
夫は南方へ(後戦死を知る)、厳寒期を引揚まで満州で<将校の妻>(4・30) |
|
|
[連載・8回]
《語り尽くされたか・残留孤児-[第2部]》 |
(朝日-2・13〜) |
|
|
<[ハルビン]・養父母と>
<[大日向]・今も人減る>[関連]和田傳-『大日向村』[開拓文学叢書・朝日] <[岩手]・24人の子供を親が銃で> |
|
|
<[佐渡]・この親たちも子を>
<[東京・下町]・夜間中学、先生が生活相談員> |
|
|
[連載・3回] 《祖国・新しい生活》 <自立に意欲と熱意・鍼灸院開業-嶋清> <二世の中学転入> <適応教材開発-八木巌> |
(共同-2・12〜) |
|
|
[連載・6回] 《永住の光と影》 |
(東京-2・14〜) |
|
|
<逆境がバネ・自立(落合理恵子)>
<赤い靴・再帰国で言葉克服(第1次竹井澄子)> <夢の破綻・相次ぎ上京(第3次井上秀子)> |
|
|
<ハタチの高校生・頑張る姉妹(中村和美・浩美)>
<ホテルで実戦勉強(第2次伊藤千嘉子、第10次大野国雄)> <明日へ向けて> |
|
|
[連載・6回] 《祖国は温かいか−大量帰国期の残留孤児》 |
(西日本-2・17〜) |
|
|
<消えた夢-職もなく>
<もう一人の息子-親代わり><五つの勲章-国家免許> |
|
|
<日本人の証明-血液鑑定就籍却下>
<同化社会-異文化摩擦> |
|
|
|
<取材ノートから-果てしなき旅の始まり> |
|
|
|
[連載・10回]
《残留孤児・それぞれの祖国》 |
(読売-2・17〜) |
|
|
<[一日千秋]・帰国順待ち切れず(第6次小野美桂子)> |
|
|
|
<[暗転]・帰国望まぬ父(第8次佐藤周二)><[養母]・楽しみ娘の国再訪(第4次前川清子)> |
|
|
<[君子ラン]・帰国孤児(前川)配偶者の母>
<[新世代]・労苦の母、屈託ない娘(第9次菅紀子)> <[汽笛]・“埋もれた"孤児の涙> |
|
|
<[結婚指輪]・今わかる母のつらさ(第1次津田絢子)>
<[地方都市]・“東京熱"に心揺れて(第1次小林蓉子)> |
|
|
<[不適応]・望郷阻む異文化の壁・強度の心身症>
<[自立]・帰国後父に見放され“滝田学校"巣立って> |
|
|
『連載・それぞれの祖国』
中国で取材の苦労話し聞かせて |
(読売[あなたと読売新聞]-3・7) |
|
|
[お答え・中国残留孤児取材班] 交通手段や電話網に問題 養父母公式的同返事 [本音]探して真相に迫る |
|
|
[連載・5回] 《帰国のあとに・永住の時間》 |
(毎日-2・17〜) |
|
|
<[結婚]・貫いた13年の愛(適齢期2千人)>
<[教育]・二世に“横向く"学校(圧倒的に不利)> |
|
|
<[逆Uターン]仕事なく東京なら(生活保護43%)> |
|
|
<[育ての親]・中国に帰りたい(84%が養父母残す)>
<[自立]・鍼灸に挑戦する47歳>(資格緩和求める声も) |
|
◆ |
厚生省に 『中国孤児等対策室』設置 |
(毎日-3・31) |
|
|
|
|
(『調査資料室』と『中国帰国孤児定着促進対策室』統合、残留婦人問題も担当。
スタッフ34人) |
|
◆ |
厚相、29日から訪中 孤児の調査・養育ありがとう |
(朝日-4・4) |
|
◆ |
20カ所に自立施設 日本語教室 就職支援、生活指導員常駐 (期間8カ月) |
(朝日-7・5) |
|
☆ |
異文化適応教材開発-全国社会福祉協議会 ニホン社会ワカリニクイ・帰国孤児文化摩擦の日々 |
(読売-2・1) |
|
|
帰国者の一日も早い適応
教材『入郷随俗』を製作普及 |
(朝日-12・28) |
|
◆ |
心の病深刻に 厚生省対策急ぐ(研究班準備会発足) 異文化に溶け込めず 精神のバランス崩す |
(毎日-2・10) |
|
☆ |
[ルポ] 《故国の生活、尽きぬ悩み》 |
(朝日-3・6) |
|
|
[苦しむ肉親]・世話もう限界 [資格の壁]・中国の“免許"使えず [将来はどうなる]・自立はしたが年金はどうなる |
|
|
[体制の違い]・日本の自由に驚き。胡耀邦辞任残った弟妹心配 [都会願望]・仲間や便利さ求めて<原籍地主義>拒む |
|
☆ |
[ルポ]
《第1次訪日孤児33人 永住帰国への軌跡全調査》 |
(東京-3・13) |
|
|
『東日本』・『西日本』 『未帰国者はいま』 |
|
|
|
|
|
|
|
|
第16次 |
補充第1回 ('87,昭62・11)
10/50(20%) |
|
◎ |
[解説] 終わらぬ肉親捜し 孤児は補充調査の認識なし 現地ではなお登録続く 増える未判明孤児の帰国 |
(朝日-12・16) |
|
◎ |
[解説] 様変わり孤児調査 肉親捜しの意味は何? |
(「時々刻々」 朝日-11・23) |
|
|
40才越えて知った出生・再会半ばあきらめ 迎える故国の空気も・贈り物ぐっと減り |
|
|
[社説] 残留孤児に同情より理解を |
(毎日-11・15) |
|
|
[天声人語] 光メモリーと孤児の記憶 |
(朝日-9・22) |
|
|
[コラム] 《孤児と名画》 保険会社が名画に50億円、一方経済大国日本が戦後の未処理(孤児問題も) |
(朝日[第3報]-11.19) |
|
|
[写真]
42年間・・・故郷は遠く 難航する補充調査 |
(朝日-11・21) |
|
|
[ルポ] 夢の母国に沸く疑問・不安 <金閣と靖国> <ノロノロ高速> <職業の自由> <新たな望郷> |
(朝日-11・22) |
|
|
[連載・8回] 《残留孤児・定住》 <不適応現象><離散><養父母の心> |
(朝日-12・5〜) |
|
|
養母が死の直前「日本人」と教える |
(朝日-11・8) |
|
|
養父は731部隊にいた(文革で過去知る) |
(朝日-11・11) |
|
|
さらわれて残留孤児に |
(東京-11・12) |
|
|
申請4年でやっと訪日 残留孤児憤る |
(毎日-11・12) |
|
|
父は解放軍の軍医、 「建国」のため戦った
帰国した母どこに |
(朝日-11・14) |
|
|
ミラーに目もうるむ 孤児のバス運転7年 |
(朝日-11・16) |
|
|
肉親捜しに中国人ボランティア−外国人が入れぬ奥地現地調査9年 |
(朝日-11・17) |
|
|
孤児、厚生省に抗議 |
(毎日-11・23) |
|
|
寄付金配分 一部渡されていない (厚生省説明)−1〜4次は、4〜20万と格差。その後はプールして一律10万としている。 |
|
|
我々は日本人、 厚生省パンフに「日本人とみなされて帰国」 (厚生省説明)−孤児は中国においては中国籍、日本では日本人として扱う |
|
◆ |
情報求め日本全国キャラバン 老いる肉親,足りぬ時間 厚生省3年計画 |
(朝日-8・11) |
|
☆ |
所沢定着センター 孤児暴れ終了式中止 東京定住希望叶わず |
(各紙-9・30) |
|
|
[関連] 定住地抽選に怒る 抽選ボイコット |
(各紙-8・21) |
|
|
[解説] 不満膨らむ定住地抽選 「中国へ戻る」と孤児 |
(朝日[時々刻々]-9・22) |
|
|
[社説] 帰国孤児の造反生かして |
(毎日-10・12) |
|
|
[解説] 孤児“反抗"の背景 希望遠い居住振り分け 門戸狭い公営住宅 |
(朝日-11・6) |
|
|
[ひと] 渋沢多歌子 養父母に愛の恩返しを |
(毎日-11・12) |
|
|
〃 養父母に老後資金を |
(東京-11・20) |
|
☆ |
オロチョン族指導者 岩間さん(元満蒙開拓青少年義勇軍)“里帰り"終える |
(朝日[時々刻々]-11・30) |
|
|
[関連] 岩間さんが里帰り
辺境に尽力の半生、テレビドラマ化(朝日-10・30)、 坂本龍彦・三奈子 『北に吹く風』 満州難民の町から(すずさわ書店 '87) |
|
|
|
坂本龍彦 『されど故郷忘じがたく』
オロチョン族と生きる岩間典夫 [書評]-(朝日-5・30) (主婦の友社 '88)、 |
|
|
|
『祖国まで』
岩間典夫の半世紀 (恒文社 '97)、林 郁 『大河流れ行くーアムール史想行』 オロチョン族岩間典夫氏 (P317) |
(朝日新聞社 '88) |
|
|
|
孫俊然・渡辺一枝 『桜を恋う人』
二つの祖国に生きて (情報センター出版局 '90) |
|
☆ |
[意見] 遠藤誉 帰国孤児
国が一貫システムを 適度の集中と分散 |
(読売[文化]-11.10) |
|
|
|
[関連] 牧瀬学 遠藤提案を実現化せよ |
(産経[アピール]-11・20) |
|
☆ |
[書評] 山崎朋子
『引き裂かれた人生』 感激の対面の裏側丹念に追う(文芸春秋 S62) |
(日経-10・11) |
|
☆ |
研修はきめ細かく 4カ月で自立は無理 |
(毎日-[ニュース・きょうあす]10・7) |
|
☆ |
人権救済申し立て 住む場所さえ選べない |
(毎日-11・20) |
|
|
|
|
|
|
|
第17次 |
('88,昭63・2〜3)
東北以外1/3 13/50(26%) |
|
◎ |
再訪日調査5人(有力手掛かり見つかり血液鑑定のため) |
|
|
◎ |
人違い えっ!もう一人の私が・・(欒建軍)肉親確認破局-S61年帰国女性血液鑑定で別人 |
|
|
肉親確認11年後に破局
厚生省でなく兄が独自に妹と確認 |
(毎日-2・26) |
|
|
[関連] 「京子」 が二人 兄が見付けた妹(帰国者・于秀琴)は別人 |
(朝日-2・28) |
|
|
「私が京子です」安堵感から満面の笑み(欒建軍) 血液鑑定で判明 |
(各紙-3・10) |
|
|
「京子」 でなかった于さん 就籍へ |
(毎日-6・21) |
|
|
「人違い」
の傷は深く、もう一人いた(17次男性) 62・秋一時帰国 血液鑑定で別人 |
|
|
|
欒建軍さんの兄も以前に「人違い」 |
(朝日-・3・4) |
|
|
再訪日 王世敬さん(13次)
血液鑑定で姉妹確認 |
(各紙-3・9) |
|
◎ |
永住帰国認める約束を迫り 父の胸に飛び込まず
衝撃の一幕、訪日調査8年で初めて |
(朝日-3・12) |
|
|
さらったのは養父母、 でも証拠残してくれた 恨みはないが・・口そろえ |
(朝日-2・29) |
|
|
偽ボランティアが横行 中国孤児の心につけ込み土産持ち逃げ続発 |
(毎日-3・1) |
|
|
養母が許してくれぬ、 直前に訪日断念 山東省の丁さん |
(朝日-3・2) |
|
|
中国大使館を訪問、初めてセンターの外へ 思いを胸に <養家を転々 手放さぬ養父
撃たれた母> |
(毎日-3・3) |
|
|
帰国孤児二世兄弟 訪日調査団招き交流会(佐々木清、忠平、忠雄) |
(朝日-2・27) |
|
|
|
[関連] 二世が招待 私の店で自慢の料理召し上がれ |
(朝日・毎日-3・7) |
|
|
[アンケート] 『永住帰国』で揺れる心 希望過半数・決めかねる3割 言葉・習慣の壁・養父母が心配 |
(毎日-3・11) |
|
|
[解説] 歳月の厚い壁 肉親の9割沈黙 コンピューターも空振り |
(毎日-3・12) |
|
|
[ひと] 鴨志田和子(麗沢大)
肉親捜しに親身に協力 帰国孤児二世 |
(朝日[人きのうきょう]-3・9) |
|
|
[写真] 肉親捜しシステムに熱い目 厚生省訪問 |
(朝日[写'88]-3.11) |
|
|
[ルポ] 二つの祖国に心は揺れる 劉さんの15日 <明日は対面> <肉親はいた、が・・>< 遠慮> |
(朝日-3・12) |
|
|
[コラム] 孤児班慰労会で |
(朝日[社会部デスク]-3・26) |
|
☆ |
宮尾登美子 難民生活の一年 |
(朝日-1・10) |
|
|
|
|
|
|
|
第18次 |
('88、昭63・6〜7) 12/35(34・3%) 血液鑑定再来日2人 |
|
◎ |
対象人数最小35人 (予定100人) |
(朝日-6・17) |
|
|
証言できる養父母の相次ぐ死。養父母から最近になって孤児と告げられ−公安の確認困難 |
|
|
[解説] 戦後43年の空白重く
困難な帰国後の自立(孤児の甘え指摘の声も) |
(読売-7・8) |
|
|
オリエンテーション初の公開−「現実の厳しさ」 もあえて強調 |
|
|
◎ |
文革の傷痕深く 訪日孤児の2割近く 養父母の頭に三角帽子 |
(朝日-6・24) |
|
◎ |
[ルポ] ファッショナブルに、「服装」 も日本人らしく 永住望み、明るさ |
(朝日-7・3) |
|
◎ |
「訪日調査」 閉ざされ傷心 中国当局から孤児と認定してもらえず参加できないケース目立つ |
(朝日-7・6) |
|
|
台湾へ行ったはずの娘が天津に 「政治の壁」 と泣いた母(京都・田村)。 再会 |
(各紙-6・17、-6・27) |
|
|
あえて選んだ「孤児」の道 「孤児名簿」に無く、中国側の情報で(田中信子) |
(朝日-6・25) |
|
|
集団自決の哈達湾開拓団(260人) 真夏の悪夢、死体の中を裸足で走った。 惨劇手掛かりも消えた |
(毎日-6・24、朝日-6・28) |
|
|
“二度目の正直”叔母を確認 4年前知人の紹介で名乗りでた「父・兄」は血液鑑定で否定、戸籍復活空しく |
(朝日-6・26、毎日・読売-7・4) |
|
|
米のご飯、風呂、お金、バス、列車・・・生まれて初めて
山村から(趙長栄) |
(読売-7・2、毎日-7・3) |
|
|
“善意の品"は破れ古着 孤児ら「おごり感じる」 と廃棄 |
(読売-7・6) |
|
|
|
[解説] 孤児に贈られたボロ着 「おごりの心なかったか」 |
(読売-[私書箱325]7・28) |
|
|
[ルポ] 残留孤児の見た祖国,疲れている労働者、甘すぎる日本食 <働きバチ><虫歯><通勤時間><ペット> |
(毎日-7・3) |
|
|
[アンケート] 「帰国希望」 15人
「帰国困難」 10人 |
(読売-7・7) |
|
|
[編集手帳]草壁焔太(詩人)『学校がなくなった日』-中国人に預けたことを責められない
(読売-6・25) 孤児と七夕 (読売-7・7) |
|
|
[ひと] 金井武雄 残留孤児に眼鏡を贈り続けている |
(読売-7・7) |
|
|
|
|
|
|
|
第19次 |
('89,平元・2〜3) 9/57(15・8%) |
|
◎ |
昭和時代終わる |
|
|
◎ |
[写真] 昭和を背負い母国へ |
(朝日[写'89]-2.21) |
|
◎ |
[写真] 中国孤児に老いのかげ |
(朝日[写'89]-3.2) |
|
|
[社説]
残留孤児問題に終わりはない 受け入れ態勢の思い切った拡充必要 |
(朝日-3・13) |
|
|
[アンケート] 「天皇」に孤児ら複雑 ◆暗い過去思い出す◆知らない◆政治のことは・・・ |
(朝日・於北京-2・23) |
|
|
[アンケート]
天皇不知55% 天皇に戦争責任ある17% 侵略があったから孤児ができた17% |
(朝日-2・27) |
|
|
厚生省
残留孤児の訪日延期検討 「大喪の礼の日」 避けたい |
(朝日-1・14) |
|
|
訪日延期 「外務省」 が強硬要請
厚生省押し切られる |
(朝日-1・14) |
|
|
訪日日程変えぬ 厚相言明 |
(朝日-1・17) |
|
|
[解説] 大喪の礼に揺れる孤児来日 |
(朝日[ニュース三面鏡]-1・16) |
|
|
[ルポ・北京発] 「天皇」 に孤児ら複雑 暗い過去思い出す どなた?日本に? 政治のことは |
(朝日-2・23) |
|
|
北京でも荷物チェック厳重に訪日へ 大喪の礼への安全確保 |
(朝日-2・24) |
|
|
大喪の日 孤児来日 「複雑な気持ち」 |
(読売-2・25) |
|
|
在中国残留婦人の子来日(訪日調査では初めて) 「宮城に父」 と証言 |
( -2・28) |
|
|
戦争の『炎』忘れられない
歳月でいやされぬ記憶 |
(朝日-3・2) |
|
|
永住帰国者急増の背景 訪日調査参加・日本人公然化、文革の経験から将来に不安 |
(朝日-3・5) |
|
|
血液鑑定を受けた5人中4人が「別人」 厳しい結果 |
(朝日-3・8) |
|
|
『零歳孤児』5人 祖国は遠く判明1人 |
(朝日-3・10) |
|
|
帰国女性 「自立」 の恩返し 100万円を寄託 新宿でハリ治療業 |
(読売-3・9) |
|
|
[編集手帳]
王明喜(第1次)再訪日で父と再会 [関連]大谷昭宏 春美16歳の日本(朝日ソノラマ、'89) |
(読売-2・20) |
|
|
[よみうり寸評]
かすかな手掛かりに悲しいドラマ |
(読売-2・25) |
|
|
[編集手帳]
母の時計は動かぬが、時は無情の歳月を刻んだ |
(読売-2・27) |
|
|
[編集手帳]
桃の節句 |
(読売-3・2) |
|
|
[解説]
残留孤児“帰国後"に手厚く 大量帰国ピーク迎え、就業や資格取得カギ(読売-3・11) |
|
|
[短歌・2首]- |
(朝日-2・5) |
|
◆ |
身元判明孤児の永住帰国 保証人、知人でも許可 |
(毎日-3・10) |
|
☆ |
中国の名医 日本で第二の人生 中国の経歴生かせず今春鍼灸専門学校へ ボランティアの後援で |
(朝日-3・3) |
|
|
中国外科医の孔さん 鍼灸専門学校に合格 |
(朝日-3・22) |
|
☆ |
荏原郷開拓団 慰霊碑の「歴史」 本に 武蔵小山商店街 |
(朝日-1・17) |
|
☆ |
中国の奥地に残留邦人を訪ねて
支援に心砕く“善作"おじさん |
(朝日[にゅーす・らうんじ]-2・6) |
|
|
60歳過ぎた残留婦人たち 一時帰国の募金に輪 |
(朝日[ニュース三面鏡]-4・4) |
|
|
[TV] 忘れられた女たち・中国残留婦人の昭和 |
(NHK-9・3) |
|
|
残留婦人初の里帰り(28人 春陽会招く、中国調査-1500人) |
(朝日-9・15) |
|
|
[意見] 野村修(中国残留婦人と交流する会) 中国残留婦人の帰国援助早急に |
(読売[論点]-9・21) |
|
|
残留婦人26人 来日 死ぬほど帰りたかった
二人永住望む |
(各紙-10・28〜) |
|
|
[ひと] 国友忠 残留婦人を集団で里帰りさせる「春陽会」 会長 |
(朝日-10・28) |
|
|
永住の夢かなう 仕事と住まい提供 残留婦人4人 |
(読売-11・18) |
|
|
せめて5年に一度ぐらい、里帰りさせたい 中島多鶴さんに聞く |
(通販生活 No.84-12・5) |
|
☆ |
フィリピンの日系混血二世 戦後44年やっと父の国へ(まず9人) 民間が招待 |
(毎日-10・27) |
|
☆ |
残留孤児と16年 耳離れぬ母と子の慟哭 元北京大使館の橋本カツ子さん |
(朝日[にゅーす・らうんじ]-3・13) |
|
|
|
[関連]
橋本カツ子 1945年-慟哭の満州(日本人孤児からの手紙) 太平出版社 '78 |
|
☆ |
星野由樹子 『オレは彦っぺだ』 (読売「女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞」) 満洲から親子4人脱出 |
(読売-3・7) |
|
|
|
|
|
|
|
第20次 |
('90,平2・2〜3) 12/46(26・1%) |
|
◎ |
訪日調査10年目・20回 |
|
|
|
[社説] 20回を迎える残留孤児の訪日 |
(読売-2・8) |
|
|
[社説] 20回迎えた“孤児”の訪日調査 |
(毎日-2・16) |
|
◎ |
[解説] 帰国後が重要に 「肉親捜し」
から新局面へ |
(毎日[ニュースきょう・あす]-2.23) |
|
◎ |
[解説] 10年目の曲り角
せめて日本で教育を 『二世の帰国に援助して』 |
(東京[ニュース双曲線]-3・2) |
|
◎ |
[解説] 曲り角の残留孤児調査 身元判明減少の一途 データ蓄積などに工夫を |
(読売-3・3) |
|
|
[解説]
“埋もれた孤児"いまだに? 僻地で調査知らぬ例も |
(読売-2・27) |
|
☆ |
孤児訪日のその日 山本慈昭氏(残留孤児問題の先達) 死去 |
(各紙-2・16) |
|
|
山本慈昭氏 調査に半生・・重病に伏す 孤児明日訪日、心は成田へ |
(読売-2・14) |
|
|
定着促進センター訪問 「首都圏希望」で居残り多く 訓練終えたのに今も9世帯33人 |
(読売-2・21) |
|
|
[解説] 定住に厚い壁 冷たい社会・病気・老後に悩む 住宅も不十分 帰国棄民増える恐れ |
(朝日-2・22) |
|
|
[解説] 日本側の「感覚」
と実像に大きなズレ 一方的「同情」に違和感 事業家や医師など“対等"な交流望む |
(朝日-2・26) |
|
|
悲願 「ハールガキタ・・・」 祖国の朝に歌う(劉徳生) 対面調査の長崎で祖国の春が来るか |
(朝日-2・16) |
|
|
[編集手帳]唱歌「春が来た」- |
(読売-2・25) |
|
|
79歳、調査会場へ29回 「長男と二女見付けるまで私の戦後は終わらない」(榎本良蔵・79歳) |
(毎日-2・18) |
|
|
『お前探しに渡満5回』父の一言40年の“胸のつかえ"消す(劉淑珍) |
(東京,読売-2.22) |
|
|
夢も捨てる望郷の情
3人の“万元戸" |
(東京-2・22) |
|
|
殺到する避難民、足りぬ食糧 大連の救済責任者語る |
(朝日-3・7) |
|
|
『所沢センター参観』
「首都圏」希望で居残り多く 訓練終え9世帯33人 |
(読売-2・20) |
|
|
〃 大学講師、医師ら経歴生かせず センターの生活苦、小遣いわずか |
(朝日-3・9) |
|
|
東安駅(鄭淑蘭、王桂琴)・葛根廟(郎桂琴)事件生き残り孤児、
鑑定・対面待つ |
(朝日-2・26) |
|
|
[写真] 離日・・・それぞれの表情 |
(毎日[ライブ]-3,1) |
|
☆ |
判明孤児『別人』の悲劇 帰国後、血液鑑定で2件(韓麗娟-7次、李彦芳-17次)「対面慎重に」厚生省訴え |
(朝日-2・15) |
|
☆ |
既婚二世に福祉の壁 貰えぬ生活保護 |
(毎日-2・20) |
|
☆ |
孤児二世の大学進学 |
|
|
|
特別枠も狭き門 「勉学12年」 の条件が壁 |
(朝日-2・6) |
|
|
[意見] 山下威士(新潟大教授) 12年就学の出願要件緩和を 受験もできない中国帰国子女 |
(朝日[論壇]-3・3) |
|
|
孤児二世
『特別補習』実りの春(就学年限不足に文部・厚生が課程新設) 次々に大学合格 |
( -2・24) |
|
|
中国帰国子女が特別選抜枠に挑戦 新潟大・法 |
(朝日-3・7) |
|
|
〃 うれしい春 新潟大特別枠に3人合格 |
(朝日,毎日-3.19) |
|
|
〃 来春「特別入試」 都立大 |
(朝日-7・22) |
|
|
〃 〃 東北大医学部も 新潟大は枠拡大 |
(朝日-7・30) |
|
|
〃 都立高校
5人に1人が不合格? 応募見通し誤り、二次募集で救済 |
(毎日-2・10) |
|
|
〃 高校入試 「狭き門」
何とかして 父母ら都教育委員会に直訴 |
(朝日-3・12) |
|
|
[意見] 石田きよこ(公立高校教諭) 中国帰国子女「特選」に配慮望む |
(朝日[論壇]1.11) |
|
|
[コラム] 帰国者への援護行政手厚く ボランティアに頼っている現状 |
(読売[有楽町]-2・27) |
|
☆ |
[コラム] みんな親切 定住後押し |
(朝日[街]-3・30) |
|
☆ |
[ルポ] ウルムチの残留婦人 望郷の手紙 学生市民動かす 郷里長野「村として迎えます」 |
(朝日[時々刻々]-2・15) |
|
|
〃 祖国うれしい心の旅路 奈良で永住を準備 |
(朝日[にゅうす・らうんじ]-9・27) |
|
☆ |
作家 渡辺一枝 残留孤児と歩む自己発見の旅 父の足跡追って訪中6回 |
(朝日-2・23) |
|
|
[関連] 渡辺一枝 『桜を恋う人』
<岩間典夫>二つの祖国に生きて 情報センター出版 '90・10 |
|
◆ |
養父母を見舞い 親孝行に里帰り 援護基金初の試み |
(朝日-2・22) |
|
◆ |
全国に自立研修センター(15カ所) 言葉、就職、生活習慣克服手助け |
(読売-2・26) |
|
◆ |
永住帰国かなわぬ判明孤児 第三者が身元引受人に
近く第一号 |
(朝日-3・2) |
|
|
肉親が帰国拒否の孤児に 保証人あっせん ー厚生省 |
(朝日-5・15) |
|
◆ |
残留孤児の訪日調査、中国打ち切りたい 厚生省説得へ |
(各紙-3・10) |
|
|
訪日調査さらに2年続ける 日中政府確認 |
(朝日-3・19) |
|
|
大量訪日、今年度限り(平成元年度) 対象減り小規模に (11月予定は人数不足延期か) |
(産経-'89・9・29) |
|
|
今後も年一回訪日調査 厚生省 |
(毎日-'90.12.19) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|