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第21次 |
('90,平2・11〜12) 4/37(10・8%) |
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◎ |
判明率10%(この後も続く) おしゃれ心のぞく訪日調査の孤児 |
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◎ |
関心薄れ? 少ない情報 “前半"僅か30件 |
(東京-12・4) |
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◎ |
[リポート・山崎朋子] 祖国への思いに変化 対面より帰国定住を 「豊かな外国」で働きたい |
(朝日-12・12) |
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[解説]
38人きょう来日 引き取り拒む肉親増え 「判明者」 帰国しやすく |
(毎日-11・26) |
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身元引き受けボランティア 本籍地→近隣県にも拡大(厚生省検討) |
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[アンケート] ほぼ全員が永住帰国を希望 |
(読売-12・2) |
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[解説] 判明1割 遅すぎた肉親捜し
最近知った“日本人" |
(読売-12・9) |
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[解説] 歳月の壁一段と高く・・・最低の判明率 事前調査徹底的に
永住にらんだ対応も必要 |
(読売-12・11) |
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[解説] 帰国対策拡充急げ
成人二世にも補助を 問題多い引受人制度 |
(北海道-12・22) |
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銃剣で刺され苦しむ母 つらい別れ、最初の記憶(賈忠士) |
(読売-12・3) |
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秘め続けた名『エイコ』 迷惑恐れ夫にも孤児と語れなかった過去(馮亜傑) |
(朝日-12・1) |
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本当の弟でないけれど『姉』の保証人に 残留孤児の願い、残留孤児が知る |
(朝日-12・3) |
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『元気出してね』と贈り物 激励訪問の企業・団体 日用品から草笛演奏まで |
(朝日-12・7) |
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国費帰国なぜ制限 孤児国に訴え 自費では無理の声も |
(朝日-12・9) |
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4人同室、風呂遠く 待遇に不満も ホテル3泊 食事プラス一品 一人51万円 団長-大部分は満足 |
(朝日-12・9) |
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[写真] 「落葉帰根」・・祖国への思い胸に 孤児に歴史の流れ重く |
(読売[NEWS東西南北]-12・8) |
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[離日] 歳月流れ遠き肉親の影 10.8%最低の判明率 |
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切札「渡証」 も生かせず 母は『恵』姓(満鉄の便箋に) |
(朝日-12・10) |
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◆ |
「判明者」 帰国しやすく 身元引受人、本籍地→近隣県にも拡大厚生省検討 拒む肉親増え |
(毎日-11・26) |
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第22次 |
('91,平3・11〜12) 5/50(10%) |
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◎ |
『真珠湾50年』 残留孤児 『日本の責任口々に』 『私達は侵略の犠牲者』 |
(東京-12・6) |
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[意見] 石橋政嗣《12月8日》「大地の子」を読み、50年目の12月8日再確認必要 |
(東京[放射線]-12・6) |
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◎ |
目や言葉が不自由・精神障害で訪日できない孤児の調査始まる(ビデオ初公開) |
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訪日できぬ孤児 厳冬の街にひっそり(兄精神障害,妹日本の母と再会) |
(毎日[黒竜江省発]-11・24) |
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◎ |
迎える側も時の流れ重く 手弁当の民間団体細り 帰国孤児団体訪日孤児を励ます |
(朝日-12・9) |
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[解説] 『対面』より『永住』希望者も
判明率、史上最低の恐れ |
(毎日-12・6) |
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[アンケート] 家族連れ帰国認めて 厚生省「子供働いて呼べばよい」 |
(読売-12・8) |
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[アンケート]
9割が永住帰国希望(45人中家族全員でが34人) |
(東京-12・9) |
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[記者の目] 「帰国後肉親捜し」 に転換を
目立つ肉親拒否の例 判明者が時間を空費 自立援助も手厚く |
(毎日-12・ ) |
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[ひと] 河村義一 肉親捜しの懸け橋10年 孤児調査ボランティア 自らの『帰国』胸に 自立見るのが喜び |
(東京-12・5) |
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[川柳]日本人孤児は中国の顔となり |
(毎日-12・9) |
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佐渡開拓団跡事件の生き残り4姉弟46年ぶり再会へ |
(産経-11・19) |
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8割以上が永住帰国希望 |
(毎日[北京発]-11・26) |
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別れるのが怖くて真実告げなかった(張広元) 養母の慈愛あふれる・引き取った様子を綴った遺言 |
(産経-11・28) |
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永住帰国したいけれど 悩みは家族との別離 |
(毎日-11・28) |
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15年前、身元判明の女性孤児偽名で来日 |
(各紙-11・29) |
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判明孤児来日、背景に帰国制度の不備(身元判明者帰国困難) |
(毎日[取材帳から]-12・5) |
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『判明者』帰国困難、帰国しやすい未判明孤児帰国数『皮肉な逆転』 |
(読売-12・5) |
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父尋ねて3000キロ、8歳時に大陸を放浪 もしや祖国に・・(斐希良) |
(産経-12・2) |
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奇異な運命本に 自伝出版へ(斐希良) |
(日本経済-12・4) |
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“白衣の天使"が4人 日本で看護の仕事したい |
(産経-12・5) |
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真実をなぜ訳さぬ 帰国者が怒る 日本は豊かに見えるが生活は厳しい |
(毎日-12・7) |
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異例の確認拒否 「簡単に信じられぬ」 (顧玉鳳) ここ数年日本側以上に身元確認慎重 |
(産経-12・9) |
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☆ |
ボランティアが帰国者の立場で 『ガイドブック-日本での生活、習慣の違い』《原来如比(なるほど)》 |
(毎日-12・3) |
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☆ |
何でも聞いて! 帰国孤児に相談室(千野誠治、相坂百合子、山村文子) |
(毎日-12・10) |
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☆ |
英国人が見た残留孤児 TV欧米へ放映 《なぜ》-半世紀も孤児存在、国をあげて肉親捜し、異文化の祖国へ帰る |
(東京-10・7) |
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太平洋戦争の“証人"
『英TVに伝えたい』 残留孤児を取材 |
(朝日-12・2) |
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第23次 |
('92,平4・11〜12) 4/33(12・1%) |
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◎ |
来日33人(最小人数) 以後も小人数続く |
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◎ |
[解説] [孤児問題曲り角] 厚生省 90人分名簿送付、 中国公安 40人(内7人訪中調査)だけ認めた |
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肉親捜し中国各地からなお依頼 頼みのボランティアは老齢化 グラフ(訪日調査人数・判明率) |
(朝日-11・23) |
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ボランティアに高齢化の波 “善意の援助”SOS |
(読売-11・27) |
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◎ |
女性大半は《キャリアウーマン》 主婦わずか3人 経験を生かしたいというが |
(読売-12・6) |
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[解説]女性大半キャリアーマン
経験を生かしたいというが・・国家試験が壁に 永住帰国は困難 |
(朝日-12・6) |
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◎ |
[解説] 難題多い二、三世の永住 帰国しても子供の就職が |
(毎日-12・6) |
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[解説] 「帰って来なさい」はいいけれど 進む高齢、規定“古く" 20才以上の二世は外人扱い |
(産経[社会部発]-12・8) |
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帰った祖国は「異国」 だった 定住した孤児 安かった賃金一度は戻る決心 |
(朝日-11・28) |
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揺れる帰心 子弟帰国に『旅費』の壁 国費支給19才まで 基準見直し訴え |
(読売-11・29) |
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二世が訴え 「悲劇繰り返さないで」 永住にさまざまな壁 |
(産経-12・2) |
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成人の二世 帰国に旅費の壁 支給『20歳未満』の規定 |
(朝日-12・5) |
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◎ |
残留孤児中国側調査に遅れ(91・2 就籍申立、厚生省より名簿にないとの通知により申立取下) |
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今次訪日により『就籍』申請が可能に、改めて申立 |
(朝日-12・3) |
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[憂楽帳]-手掛かり乏しい肉親捜し、一人でも多く判明を |
(毎日-12・3) |
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[写真] 祖国の朝 |
(毎日-11・25) |
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[解説] 今日離日 無念の29人
判明僅か4人 《1次〜23次訪日人数・判明率グラフ》 |
(毎日-12・8) |
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[アンケート] ほぼ全員が帰国希望 両陛下ご訪中 「特に関心ない」 |
(産経-11・30) |
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[質問]1)いつだれから日本人と知らされたか
2)日本の印象(来日前・後) 3)養父母への思い 4)文革の影響 5)天皇訪中 6)今後どうするか。訪日調査、永住帰国についての希望 |
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[アンケート] 境遇様々、不安もいっぱい
帰国希望ほぼ全員 インテリ目立つ |
(朝日-12・1) |
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[アンケート] 日本での老後不安
帰国望む半数 |
(読売-12・7) |
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[コラム・眼] 与えてくれた涙
47年の空白を越え,親を思う“子供心" |
(東京[現場から]-12・9) |
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訪日調査もも知らぬまま、ただひとり肉親捜し
過去隠し47年 |
(朝日-11・19) |
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望郷・・・長い待ち時間 訪日実現5年以上 孤児不満 |
(毎日-11・27) |
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日本大使館登録 名前間違いで10年待ち 訂正、国内混乱後やっと(劉孟珍) |
(東京-12・27) |
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後輩助ける先輩孤児 自立の厳しさ説きつつ身元も引き受け(貴村秋子) |
(朝日-11・30) |
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望郷の念 かげで支える援護員 自らの体験踏まえ(斎藤さと志) |
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肉親判明しても帰国しない-家族がバラバラになるから |
(毎日-12・3) |
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終戦直後の満州日本人100人殺害 ソ連軍・中国人ら?が女性・子供狙う (元ソ連軍将校証言) |
(毎日[モスクワ発]-12・4) |
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『孤児の支え』も勉強です 「学生ら日本の社会冷たい」 (麗沢大ボランティア・飯島智美、小泉圭子) |
(朝日-12・5) |
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帰国しても子供の就職が・・・難題多い二・三世の永住 |
(毎日-12・6) |
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☆ |
日本での生活に・・情報紙『日中新報』創刊 先輩が孤児激励 |
(毎日-11・30) |
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☆ |
「残留孤児支援に買って」 小銭入れ郵送
大阪の団体資金集め |
(朝日-12・2) |
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[関連]
『日中友好推進会』に対し、『残留孤児の国籍取得を支援する会』会長河合弁護士が資金集め中止申し入れ |
(平成4・10・1) |
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長島監督も井上靖未亡人も買わされた、孤児救援『小銭入れ』 |
(週刊新潮-'92.12.17) |
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孤児支援商品販売ナゾだらけ ボランティア精神悪用ではの声 資金集め2年余 |
(朝日-94・11・26) |
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☆ |
残留婦人異国で孤独な晩年−ハルビン外僑養老院 |
(-12・9) |
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第24次 |
('93,平・5・10〜11) 5/32(15・6%) |
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◎ |
判明第1号の姉弟 喜びつかの間
姉高齢で引き受け断られる |
(産経-11・5) |
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◎ |
[ルポ] (元残留婦人・通訳・服部妙子) 『様変わり 肉親捜し』 設備施設に不満 政府に期待過多 世代の違い・・・ |
(毎日-11・8) |
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◎ |
[アンケート] 養父母亡くなり望郷つのる 養父母死亡 24/32人 訪日・死の影響 19人 |
(毎日- ・ ) |
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◎ |
[解説] 孤児の高齢化
二世への対応新たな課題に 成人の帰国は自費 就学支援も不十分 |
(読売-11・9) |
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[アンケート]
《永住に向けての期待と不安》 《一緒に帰国させたい家族》 |
(朝日-11・6) |
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二世たち『日本がいい』と親をせっつく 将来のため、永住決める親心 |
(毎日-11・5) |
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「20才以上の二世にも帰国費用の援助を」 厚生省説明会で訪日孤児訴え(年収に相当) |
(読売-11・6) |
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[解説] かけ離れた夢と現実 判明者まだ4人 訪日調査大詰め |
(産経-11・8) |
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[解説]
肉親捜しより永住帰国 判明者がかえって帰国困難 判明者も『高齢』と“同居"断られる |
(東京-11・9) |
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[コラム・眼] 揺れる帰国の思い 永住心構えは日本の『人情世故』学ぶこと |
(東京[現場から]-11・10) |
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[アンケート] 日本側世代別 若者冷ややか-孤児への援助はイヤ 高齢者は同情 ギャップ大きく |
(毎日-11・7) |
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[インタビユー] 解決急げ残留婦人・孤児問題
[孤児対策室長竹之下和雄・帰国者同友会代表庵谷磐] |
(朝日-11・13) |
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[ひと] 橋本俊一(加古川市・橋本酸業会長) 帰国者100人の身元保証人 |
(読売-10・20) |
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[ひと] 藤原芳子(所沢センター) 孤児の“先輩"がエール 日本生活アドバイス |
(読売-11・4) |
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[ひと] 沼波万里子
“同じ苦しみ"乗り越えて 満州で夫と娘亡くし ボランティア17年 |
(毎日-11・6) |
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32人全員が永住帰国希望 |
(産経-10・27) |
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[人違い] すれ違いの兄妹 [妹]自分で突き止めた兄誤り [兄]15年の妹誤り |
(朝日[北京発]-10・26) |
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血液鑑定で兄妹確認 (北村勝一・孫淑芝) |
(読売-94・1・18) |
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[人違い] 今度こそ本当の肉親に 民間団体の世話で“姉"の元へ一時帰国、10年後、別人が本当の妹と判明(肖連弟) |
(産経-10・28) |
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[人違い]にせ孤児“被害"あわや
経歴聞き出し申請 |
(毎日-11・5) |
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文革時迫害恐れ 身元証拠始末 |
(朝日[北京発]-10・23) |
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判明者 『帰りたいのに・・・』
肉親に代わる引受人募集 厚生省 |
(毎日-10・28) |
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日本語がびっしり、あのノートがあれば おばが残し、その後盗難 |
(毎日-11・2) |
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来日できなかった孤児
中国側対応に不満訴えるも「自分で捜したら」 と申請却下 |
(毎日-10・31) |
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残留孤児申請の方法長い間分からず、遅れた 『春がきた』覚えている(王世環・門傳富美子) |
(東京-10・31) |
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[関連] いとこたちが協力
『富美ちゃん基金』 永住帰国支援 |
(朝日-11・9) |
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永住のための「生活情報が欲しい」 スケジュール、待遇に不満 孤児、厚生省に要請 |
(朝日-11・3) |
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日本永住・・本当に幸せ? ままならない自立迷う残留孤児 |
(毎日-11・5) |
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永住帰国へ質問続々 言葉、仕事、家族・・・切々と
厚生省説明会 |
(朝日-11・6) |
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妻桂香は命を断った 訪日する私のためシャツ地買って 取り残される不安か(李兆華) [孤立目立つ配偶者] |
(朝日-11・5) |
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『私』をたずねて8000キロ父の名知る(さらわれ売られた曹文林) |
(朝日-11.1,読売-11.7) |
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売られた身、「念書」 に父感じつつ
日本での生活決心(団長、高来福) |
(朝日-11・6) |
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兄継ぎ「母よ今度こそ」「念書」 の後父死亡、母一度弟を訪ねた |
(読売-11・6) |
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[関連] 第3次
朱長順(兄)「念書」持参 [関連] 新井利男『残された日本人』-P22 |
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訪日女性孤児に“求婚"
「夫いるのにと困惑」 激励口実の高齢者 |
(毎日-11・4) |
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老朽化した宿舎壁にひび割れ
設備簡素「倉庫みたい」(来春新舎完成) |
(毎日-11・) |
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[コラム]
神戸泊は一流ホテル、それまで我慢を 訪日調査も 世につれ |
(読売[霞ヶ関トライアングル]-11.5) |
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[関連] 宿泊棟が新装(今春完成のB館、25次訪日調査団使用) |
(読売-94・11・22) |
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かけ離れた夢と現実 薄れ行く手掛かり もう一つの壁 届かぬ情報 |
(産経-11・8) |
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喜びなかば肉親判明
引き受け拒否なら永住難しく(中国にいる間に特別身元引受人みつけること必要) |
(朝日-11・9) |
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[写真] つのる思い抱いたまま 中国残留孤児が離日 |
(朝日-11・9) |
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☆ |
[現地ルポ・大久保真紀]
《落葉帰根・帰れぬ人々》 |
(朝日-10・24〜) |
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(上)八方ふさがり・国に手紙6回、返事なし
(中)明と暗・肉親判明が“足かせ"に (下)時計の針・残留婦人、国の支援があれば・・帰りたい |
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☆ |
孤児への年金見直しを 帰国したくも老後に不安 帰国者扶桑同心会要望 |
(読売-11・1) |
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☆ |
[連載・7回] 祖国に生きる 帰国孤児はいま |
(産経-10・28〜) |
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<1>タイムイズマネー・中国料理店一家必死で |
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<2>母の死を越えて・工場では働きバチ |
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<3>日本と中国・海外の日本語教師に |
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<4>私はだれ?・戸籍存在か、 国籍取得に壁 |
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<5>落葉帰根・特別身元引受人 |
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<6>悩める二世三世@・言葉の壁、暴走族> |
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<7>二世三世A・受入側の努力が必要> |
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◆ |
『一時帰国制度』身元判明孤児にも適用 |
(毎日-10・28) |
|
◆ |
永住帰国希望の残留邦人、3年以内に全員受け入れ(厚生省発表) |
(94・12・15) |
|
◆ |
永住帰国に関する、日中政府『口上書』 |
(94・12・15) |
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◆ |
中国残留邦人等の円滑な帰国の促進及び永住帰国後の自立の支援に関する法律(平成6,法律第30号,4月6日公布、10月1日施行) |
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〃
施行規則 (平成6,厚生省令63号) |
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◆ |
基礎年金(1/3・国庫負担分)、残留邦人に給付(平成6・法95、国民年金法改正) |
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第25次 |
('94,平6・11〜12) 2/36=5.6%→4/36=11.1%
(血液鑑定後日判明2/5件) |
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◎ |
10/36人 1990年以後日本人と知った |
(毎日-11・29) |
|
◎ |
[解説]
49年の歳月重く・・『対面』打診34件=関係者望まず『実現』5件、新たな名乗り1件 |
(毎日-12・2) |
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◎ |
女性 27/36(75%) 第1次〜25次(1914人)=女性55・6% 男性44・4% |
(毎日-12・1) |
|
◎ |
[解説] 社会的地位と高収入に恵まれた人が多いが、全員永住帰国希望−心の奥に日中政策への不安 |
(朝日・ミニ時評-12・14) |
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[アンケート] 日本で生かせぬ高収入の専門資格、 目立つ高学歴・医師・教師・技術職 |
(朝日-11・30) |
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揺れる永住帰国の決心 安定生活捨てられるか(女性社長劉鳳英) |
(読売-12・6) |
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◎ |
課題は二世対策 人数すら把握していない 厚生省も一番の課題と認める |
(読売-12・6) |
|
◎ |
調査会場-宿泊棟が新装 |
(読売-11・22) |
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[関連] <24次>
老朽化した宿舎壁にひび割れ 設備簡素「倉庫みたい」 (来春新舎完成) |
(毎日-93・11) |
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☆ |
帰国孤児100人、戸籍回復できず依然中国籍(肉親難色)。厚生省が訴訟費支援 |
(読売-11・25) |
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[解説] 帰国残留孤児親族疑念(判明と認めたが今では?) 中国籍のまま100人、厚生省就籍費援助 |
(東京-12・5) |
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[解説] 国籍取得に“厚い壁"
『日本人』のはずなのに・・ 外登証をいつも 裁判所も冷たく 縦割り行政の谷間 |
(毎日-12・6) |
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☆ |
残留孤児進まぬ認定に焦り(厚生省確認調査に遅れも-孤児との心証なし6人) 養父母反対で死後名乗り |
(東京-12・3) |
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[社説] 温かく迎えよう中国残留邦人 |
(読売-11・21) |
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[主張] 永住帰国を迎えるために |
(産経-12・5) |
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[社会部発] 言葉の大切さ自覚を−『彼らのために・・』あるボランティアの苦言 |
(産経-11・28) |
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[ルポ]きれいな女性は得 政府の支援がある
飛び交ううわさに心揺れ |
(毎日-12・3) |
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[解説] 永住先の人気 『東京』が1位 ひとりだけ「海の近く」幼いころの記憶から |
(毎日-12・5) |
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[解説] 孤児調査なお課題-求められる永住支援、身元確認にも半世紀の溝、判明率、調査の遅れ、自立へ |
(毎日-12・6) |
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[解説] 『法律』はできたが。
課題は二世対策、成人には帰国費援助なく |
(読売-12・6) |
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多難な「これから」 家族18人の同行、養父の面倒・・・<旅費国費は夫と4女のみ> (張秀琴) |
(朝日-11・25) |
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せめて子の一家族と国費で帰国させて 迫る老後、不安切々と 曹団長が厚相に直訴 |
(朝日-11・23、30) |
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[解説]
『感激の対面』の陰にデータベースの活躍 肉親側と中国側の情報ミックス 判明率12.1%に |
(産経-12・4) |
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[解説] 「肉親捜し」より「永住帰国」 皮肉・身元判明孤児帰れず 高齢化で壁 年金 |
(朝日-12・7) |
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[解説] 判明孤児揺れる心
永住帰国に言葉の壁 故国滞在、あと一夜 |
(毎日-12・7) |
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[解説] 帰国・自立含めた対策を 子供の帰国費用 就職 老後(年金) |
(読売-12・8) |
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[アンケート] 永住帰国、同行希望家族平均7人(18人〜2人) 国費対象17% 「枠広げて」 |
(朝日-11・28) |
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永住帰国家族263人(国費可能44人、17%)。養父母がいる16人のうち、12人は中国に残して帰国 |
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永住帰国希望全員、全家族同時帰国希望、養父母4組 |
(産経-11・28) |
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家族連れ永住帰国したいけど 生活基盤は中国に 二世に冷たい風 |
(毎日-11・30) |
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[関連] 《予算》高齢者一家族同行帰国実現(平成6、65歳。平成7、60歳) 但し残留孤児は年齢から該当者殆どなし |
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[編集手帳]
預けた親心、帰国者の苦労、半世紀の厳しい歳月、胸打つ父母の国への熱い思い |
(読売-11・22) |
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[コラム] 第1次(平均年齢39歳)から13年 中国も解放政策で変わったが・・《心の奥底に政策への不安》 |
(朝日[ミニ時評]-12・14) |
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[アンケート]
戦争さえなかったら、もう一つの人生が。 永住帰国の不安は差別 |
(毎日-12・3) |
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[アンケート]
肉親捜しあきらめ→関心は永住帰国後 |
(読売-12・4) |
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種痘跡4ツが日本人の証 厚生省職員が中国で(孫春芳) |
(毎日-11・24) |
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《註ー庵谷》
『4ツは日本人の証』はよいが、後に方式が変わり『日本人の子で3ツ』もあった |
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《孤児へ思い切々》 肉親、満州関係者 [『姉』は生きている 面会に通い十余年(樋口宗一・会社員・47歳)] |
(毎日-11・28) |
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希望と現実の差嘆く 医師ら先輩の職場見学(医療関係5人、教職4人) |
(東京-12・1) |
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『先輩』の職場訪問 |
(朝日-12・1) |
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永住帰国者宅訪問(初めての試み)。グループ別、電車で |
(各紙-12・5) |
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残された理由問い続けた日々
『私が女の子だったから?』 |
(毎日-12・1) |
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土竜山事件に巻き込まれ孤児に |
(毎日-11・24) |
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『東安事件』経た2人 深く残る傷あと
薄れゆく記憶(劉鳳英、孫春芳) |
(朝日-11・27) |
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孤児を育てた『東安駅事件』孤児 同じ傷をきずなに(劉鳳英) |
(毎日-11・29) |
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引揚列車に乗れず 生きてと叫び離れた母の手 まぶたに凍り付く『あの瞬間』 |
(東京-11・27) |
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扶養費送金に2年間も 帰国孤児新たな不安 中国側に改善申し入れているが (養父母いずれか存命 16/36) |
(毎日-11・30) |
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先輩孤児-帰国『よく考えて』。ここ数年の訪日孤児は養父母が孤児であることを隠して大切に育て来日が遅れた、一方高学歴の背景。 |
(朝日-11・30) |
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永住帰国希望全員、全家族同時帰国希望、養父母4組 |
(産経-94・11・28) |
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心労、病院で手当
『お母さん』と言い出せず心の中で 対面そして血液鑑定に持ち越し(孫素珍) |
(朝日-12・5) |
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帰国の旧友どこに 35年ぶり会いたい 『姉』とは血液鑑定 (孫素珍) |
(読売-11・28) |
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帰国の旧友・《劉》は私です、孤児同士中学同級生35年ぶり再会 (孫素珍・劉純潔<船木敏子>) |
(読売-12・2) |
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祖国は住みよい? 先輩帰国孤児助言『大切なことは努力』 |
(産経-12・5) |
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『落葉帰根』に寄り添う家族、今度は私が日本で暮らす番-中国捨て辛い選択・異国での晩年にためらう人も |
(東京-12・5) |
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[ルポ] 残留孤児二世の(新聞社取材)通訳日記 |
(朝日-12・6) |
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残留孤児援護基金 寄付の免税額拡大を目指す(非課税上限倍増 特定公益法人指定求める) |
(毎日-11・24) |
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[師走ポエジー・3] 琿春河鉄橋爆破の元関東軍小隊長 孤児への“償い" |
(読売-12・14) |
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第26次 |
('95,平成7・10〜11) 5/67(7.5%)→7/67(10.4%) (血液鑑定6
後2名判明) |
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◎ |
最大規模=67人(同一期間)、 判明率過去最低(5人、7.5%)[→後
7人、10.4%] |
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◎ |
[プリズム] 臨終間際に告白する養父母、日本人関係者も高齢化 |
(産経-11・6) |
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[アンケート] 3割は告知最近−日本人と知ったのはー67人中35人が養父母から、20人は'80年以後 |
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−養父死の直前まで明かさず、養父母ともに死亡33人、どちらか死亡19人 |
(共同,東京-11.2) |
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◎ |
ボランティアにも50年の歳月重くー引揚者多く高齢化 |
(朝日-11・7) |
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[解説ー渡辺亮]
身元引受人高齢化−日本での老後支える態勢を |
(読売-11・15) |
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◎ |
[主張・解説ー大久保真紀]
支援「国の責務」徹底を 身元引受人廃止・子供同伴は全員に・戸籍回復・就職 |
(朝日-11・16) |
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[解説]20歳以上の子、なぜ国費で帰国できぬー50歳超えた残留孤児・規定は43年前決定 |
(朝日-11・10) |
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[記者の目ー柴沼均]
成人二世帰国も国費でー想像を絶する過去・開拓団団員訪中に同行して |
(毎日-11・17) |
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◎ |
[アンケート]
訪日調査“儀式化”−「肉親判明すると永住帰国困難」 |
(朝日-11・6) |
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◎ |
一般の寄付減り資金繰り苦しく(配布670万必要に対し、寄付200万)ー厚生省 |
(朝日-11・11) |
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◎ |
豊かさ捨て祖国へー「日本人だから」−社長、医師・・・ |
(読売-11・4) |
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【身元判明】 |
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(王強−山辺保定、兄姉妹・紙飛行機),(王杏雲ー久保孝子、叔父), (呉伸子−津野伸子、父。ー実母が名前変えないでと遺言), (劉文昇=森満夫、兄)、 (郭啓蘭−斎藤イヨ子、姉) |
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【血液鑑定】
否定ー(孟秀栄-母・不一致) |
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判明ー(李秀娟-父),(李桂英-父),(王洪福-4家族),(施瑩-姉),(葛立生-姉) |
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[アンケート]
中国の核実験−許せない日本人としては。にじむ不安 |
(毎日-11・11) |
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[アンケート]
6割が東京永住志望、(東京40人、大阪15人/67人) |
(東京-11・11) |
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[ことば抄] 自分の手で運命を切り開く覚悟を(原田満雄・3年前帰国) |
(朝日-11・20) |
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[テーブル/トーク] (作家)林郁 残留孤児・婦人への関心薄れて気がかり |
(朝日-11・4) |
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[編集手帳]
日本人女性に銃剣で刺された孤児 |
(読売-11・3) |
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[素粒子]「残留」でなく「放置」,戦争は,今日ここにも生きている。 |
(朝日-11・4) |
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[時事川柳]
隣から帰って来るに五十年 |
(読売-11・10) |
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[投稿・アピール]
ソ連軍侵攻が残留孤児を生んだ |
(産経-11・4) |
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[投稿]
孤児とともに養父母迎えて |
(朝日-11・9) |
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[ひと]
河村義一・第2次から通訳援護員 |
( 朝日-11・7) |
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浜口タカシー調査開始以来、孤児の戦後をカメラで追う |
(読売-10・27) |
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〃 − ・写真集『わたしの祖国』出版-残留孤児の思いで残したい(第1次訪日調査から全回) |
(毎日-11・7) |
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〃 −孤児と富士山テーマに |
(朝日-11・7) |
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後輩の調査にルーツ託すー幼なじみが来日(馬志財←→大和幸男) |
(毎日-11・1) |
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故国への夢、役所に翻弄されたー日本人の証明に十余年 |
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集団自決だったかもー突然刃物で首刺されたーショックで記憶喪失(王洪福) |
(毎日-11・2、4) |
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孤児とは知らず以前に日本留学(CT技師-李栄科) |
(毎日-11・4) |
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別れの記憶−「電話があった」 叫んで姿消した両親、「生き抜いて」 母の最後の言葉、「ここで待っていて」 戻らなかった母 |
(読売-11・6) |
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残留孤児の体験小説に書きたいー妻も童話<肉親捜し>執筆中(団長・張立生) |
(朝日・産経-11.7) |
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失われた「身元」−養父がメモ捨てる、紅衛兵が写真焼却 |
(読売-11・7) |
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養父(日本語通訳)右派として逮捕され帰らず(張静文-帰国の喜び詩に) |
(読売-11・8) |
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多芸多才の残留孤児−銀行員・気功師・横笛・カメラマン・女優-隠していた「日本人」 やっとゆとり |
(読売-11・11) |
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祖国への思い名刺に託してー訪日で特注持参 |
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孤児歓迎会 人集まらずピンチ ああ高齢化 ボランティア熱しやすく冷めやすい (新聞報道の効果で当日満員) |
(各紙-11・2) |
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一行離日=『日本鬼子』
今は誇りー努力報われる国(白慶賢) |
(朝日-11・14) |
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◆ |
国籍ない残留婦人国費帰国で援助決定−厚生省 |
(朝日-10・29) |
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☆ |
故郷の村が「引受人」−荒川村(旧中川村)・残留邦人永住帰国 |
(朝日-11・8) |
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恩返しの揚琴コンサート「養父母に」-(二世・劉錦程) |
(読売-11・7) |
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戸籍復活に壁−肉親が反対 |
(朝日-11・13) |
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旧満州の風(戦後50年−大連〜ハルビン・オートバイ、日中青年平和友好万里行)[1〜8] 編集委員・遠藤満雄 |
(毎日-9・12〜22) |
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私も肉親捜したいー訪日調査の対象外 <林基子・上海> |
(朝日-10・30) |
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[関連] 就籍許可(東京家裁平成7、(家)9136。平成9・4・17決定) |
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第27次 |
('96,平成8、10〜11) 3/43(7%)→4/43(9.3%) 血液鑑定−3 |
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◎ |
訪日予定43人全員永住帰国希望 |
(朝日、毎日-北京発、10・22) |
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[関連] 永住帰国後に不安や不満もー団長記者会見 |
(毎日-10・25) |
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◎ |
揺れる心−肉親に会いたい、でも中国に戻って不利益も心配 |
(読売-10・28) |
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◎ |
[時々刻々] 子供と一緒に帰りたいー国費同伴家族は原則20歳未満。 高齢化でまた離別の恐れ |
(朝日-11・1) |
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成人の子も国費で一緒に |
(読売-11・4) |
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(註)
成年一家族同伴可=平成6−65歳。平成7−60歳。 であったが
平成9−55歳となったので殆ど解決。但し、その家族が親の面倒をみられない、あるいはみない例が多く、老後の生活保障は依然として問題 |
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◎ |
書類1字不備で、訪日調査1年待った 厚生省冷たい対応。 50年待ってまた待たされた。 |
(読売,毎日-10.22) |
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[解説] 孤児認定に長い道のりー精度と時間とどう折り合いをつけるか。 例-5年、7年。中国担当者金要求。 |
(朝日-11・2) |
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◎ |
子供に日本の大学教育受けさせたい |
(毎日-11・5) |
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◎ |
貧困・借金苦・・帰りたくない |
(朝日-10・27) |
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広がる貧富の差−地位、収入、子の教育、電話・・・ |
(朝日-11・3) |
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孤児都市部は豊かにー市幹部・工場長・・、開放政策追い風に |
(日経-11・6) |
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[アンケートー矢崎公二、澤圭一郎] 中国では高所得だが永住生活に不安 |
(毎日-11・6) |
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月収488元(中国都市平均の1・5倍、農村平均130元)、職業(医師、教師、上級公務員、看護婦多い。農民-現金収入なく、訪日借金) |
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帰国同伴家族(平均8・25人、身元判明者-22人) |
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◎ |
[アンケート] 永住帰国希望全員、帰国後不安ない3/4、国に対し仕事・住宅要求、−既帰国者状況理解不十分 |
(信毎-10・30) |
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[アンケート]
残留孤児が見た祖国−永住と現実と |
(読売-11・7) |
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先輩帰国しても楽ではない、マッチ箱の狭い住宅、帰国時は60歳を超え言葉、住宅すべて不安 |
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永住帰国の“先輩”訪問ー豊かな生活に驚き 住宅広い |
(毎日,日経-11.4) |
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−先輩の生活にため息(就職・日本語・・厳しい現実) |
(朝日-11・5) |
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孤児誘う成功例、甘い夢にー厚生省、ボランティアはよい例ばかり見せたがる |
(朝日-10・29) |
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帰国孤児生活相談増える一方−家族を呼びたい、仕事ない(中国帰国者の会) |
(日経-11・6) |
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言葉の壁、仕事奪うー帰国孤児 |
(朝日-11・8) |
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老後の不安から、帰国孤児多額出資−経済革命倶楽部(KKC)摘発 |
(朝日-10・25) |
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【身元判明】袁春栄ー長谷川美智子(兄)。楊秀英−城戸京子(姉、妹)。 呉桂蘭−杉野恵美子(いとこ)。 |
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【血液鑑定】王春霞−(母)。
王秀菊−(母)。 張秀琴−(姉)。 |
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[解説] 肉親捜しより永住したいー問題山積(あまりにも長い月日が肉親との間にー遺産相続、老親との生活・・) |
(朝日11・1) |
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[解説] 身元引受人、善意頼りの制度に限界ー負担大きい。弱みにつけ込む人も。 |
(朝日-11・6) |
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[解説・主張-大久保真紀]
永住へ問われる国の責務 変わる実情−引受人制度、子の同伴制度、肉親も高齢化、孤児間に格差 |
(朝日-11・8) |
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[解説-佐藤公則、飯田達人]
永住帰国後の心のケア必要−「厳しい現実」 打撃大きく |
(読売-11・9) |
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訪日調査団帰国-残された課題−判明率最低。
社会的高地位者増加、一方農民貧しさ目立つ・訪日調査も知らない。 同伴家族の年齢問題 |
(毎日-11・8) |
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[天声人語]
<張雅琴の詩-日孤>、戦争が庶民にもたらしたものが孤児に封印されている。未判明者は『日孤』のままだ。 |
(朝日-11・9) |
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[前線日記ー鈴木泰彦]
孤児全員永住帰国希望−帰国後も遠い日本 仕事、言葉・・厳しい現実 |
(東京-11・8) |
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[記者の目ー矢崎公二]
幻影に過ぎぬ豊かな祖国 永住帰国望む孤児たち。情報不足が誤解を生む。 |
(毎日-11・13) |
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[投書]
残留孤児対面目頭熱くなる(朝日-11・1)。 残留孤児の救済措置を(信毎-11・2)。 兄と再会できた残留孤児に感激(毎日-11・3)。 |
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まず孤児の子や孫を日本に(読売-11・5)
北京で会った残留日本人ー私のママ私を捨てた(朝日-11・5)。 |
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残留孤児に国は補償せよ。
置き去りの無念お察しします(毎日-11・7)。 永住帰国こそ孤児への償い。 父の骨捜しに瀋陽へ(朝日-11・13) |
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[写真ー広瀬明代、立花嘉乃]
笑顔に涙に半世紀の軌跡−ご飯に感激、生存信じる、暖かい祖国、北京で新調、青空の下で、再会の誓い |
(朝日-11・5) |
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集団自決を生き延び姉との対面に望みー血の海の中息絶えた母の下で泣いていた<登雲橋-判明せず> |
(読売-10・25、産経-10・30) |
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[関連][インタビュー] 肉親捜しは簡単ではないがそれでも私は捜し続ける[登雲橋] |
(NEWSWEEK-97.1.22) |
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西鷄寧検車区に働く[とう雲橋]訪問-同検車区にいた水野昭造元満鉄社員 |
(満鉄会報-97,9,15) |
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84歳息子捜し続ける父 自らはシベリア抑留 <榎本良蔵> |
(朝日-10・26) |
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捜し当てた長女節子(8次)は長春暮らし |
(信毎-10・29) |
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[追伸'96]"せがれよ”心で叫ぶ別れの涙{別人だった訪日孤児に} |
(読売-12・27) |
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めぐる『愛の養育』の輪 残留孤児<周雲丹>の養女は唐山大地震(死者24万、重軽傷52万)の孤児 |
(産経-11・5)(信毎-11・2) |
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姉の面影追い求め51年−置き去り・・でも生きる道くれた<張龍江> |
(朝日-11・5) |
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亡くなった養父に改めて感謝−不自由な手で働き、公安の調査を避けて転居転職 |
(朝日-11・6) |
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生い立ち問い続け30年(6年前養父から日本人と知らされー時間取り戻したい)<王中一>由来={中国に残された一人} |
(朝日-11・7) |
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私は中国に帰る 3年前残留婦人集団強行帰国 <竹腰リヱ> |
(朝日-10・25) |
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〔関連〕考えよう心の援助、孤立感強く帰りたい、「満足せず」-半数も |
(〔記者の目〕-井上士津(毎日-98・8・18) |
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『強行帰国から5年-手にした故郷 どんな色』ただ一人「幸せ」と口にせず、「いまはほんとうに幸せ」ー11人 |
(朝日-98・11・1) |
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1割が日本の戸籍取れず 肉親判明しても親族反対 |
(毎日-11・4) |
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孤児二世が大学院にー 母の肉親捜しながら |
(日経-10・22) |
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◆ |
養父母を見舞い 親孝行に里帰り 援護基金初の試み |
(朝日-2・22) |
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◆ |
父じゃなかった 年齢差15歳と知りながら 87年の厚生省認定の誤り(訂正なし) |
(毎日-11・8) |
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第28次 |
('97,平9・10) 2/45(4.4%)
→3/45(6.7%),(血液鑑定判明 1/6) |
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◎ |
養父母関係事例多い。 日本人と知ったのが最近 |
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◎ |
訪日調査は「永住]へのステップ |
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◎ |
最後の時を中国でー孤児・2世に望郷の念 |
(朝日-・10・25) |
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◎ |
先に子供帰国<馬桂栄ー長女>、<趙宝凱-次女> |
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◆ |
訪日調査再検討もー厚生省判明率の低下受け |
(毎日-10・28) |
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[関連] 訪日調査見直し示唆-判明率の低下だけで判断不可、従来型に代わる具体策検討 |
(朝日-11・8) |
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判明率は年々低下−肉親高齢化など障害多く |
(毎日-11・10) |
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[時々刻々]
孤児−肉親より永住に関心、肉親−対面調査、血液鑑定拒否、厚生省−判明率低下、一方申立150人 |
(朝日-10・27) |
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[社会部発-八並明昌] してやる意識捨て孤児待遇すべきー6年振り16回目取材して |
(産経-10・28) |
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【判明】
遅凱萍(石川幸代−両親),卜秀英(中山秀子−いとこ) |
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[余禄] 中山秀子対面(失われたときを求めて) |
(毎日-10・21) |
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【血液鑑定】 ◎ー李淑賢(姪ー青森県)、
◆-曽憲忠(姉)、 呂子栄、陳瑞芬、、田学衆、王玉珍[解説] |
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[論壇−?鳳卿]
「残留孤児」と異文化の壁 |
(朝日-10・14) |
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[関連-論壇・藤沼敏子] 「異文化の壁」超える受け入れ策を |
(朝日-11・12) |
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身元判明後 「家族」 が否定、判明者扱い17年調査に加われずー「孤児」 認められ再び日本へー<トウ炳義> |
(朝日-10・7) |
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[関連]
昭55年身元確認、血液鑑定前に兄死亡<トウ炳義> |
(産経-10・18) |
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姉妹の可能性もー訪日調査の二人、新潟男性と血液鑑定<陳瑞芬・呂子栄> |
(毎日-10・19) |
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[関連ー(産経抄)]
アイデンティー、日本人であること<陳瑞芬> |
(産経-10・17) |
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この子を求め母は大陸を歩き続けた<曽憲忠> |
(毎日-10・17) |
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[人違い]
20年前抱き合った兄血液鑑定で他人に<葛鳳蘭> |
(産経-10・18) |
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北朝鮮に置き去り、内戦避けて中国に脱出<陳鳳華> |
(毎日-10・21) |
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無念の死とげた子供らー満州収容所の惨状を本に<増田昭一> |
(毎日-10・24) |
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〔『満州の星くずと散った子どもたちの遺書』ー新京敷島地区難民収容所の孤児たち 夢工房刊〕 |
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ハルピンの女学校、激動の青春つづるー卒業生らが自費出版 |
(読売-10・27) |
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残留邦人に祖国重くー言葉できず仕事選べない、子は心の中で「抗日戦争」 |
(朝日-10・14) |
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残った文革の傷−日本人のあかし |
(毎日-10・26) |
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子供の旅費支給152人中28人−永住帰国の壁 |
(産経-10・24) |
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二世の年齢構成(親45人)=未成年-8人(5%)、成人-144人(95%)=40代-12人(8%)、30代-60人(40%)、20代-72人(47%) |
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子供と帰国させてー55歳まで2年待てない、国費適用『実情を無視』 |
(朝日-10・24) |
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肉親捜し手伝う孤児二世の『三互会』−気持ち一番分かる |
(毎日-11・10) |
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同じ養父母に育てられた三兄妹−妹の来日にかける三度目の正直 |
(朝日-10・9) |
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☆ |
養父母の碑 感謝込めて建立−支援団体満州地方に計画 |
(毎日-・10・11) |
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文革時養父が守ってくれたー文革の涙越え『雁』祖国へ帰る、定住の姉兄、妹に再会<張春明> |
(毎日-10・14) |
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養父朝鮮族、中国語できない <高本英子>-訪日調査団ただ一人日本名 |
(東京-10・15) |
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養父が、この子は朝鮮族と訪日調査断る <韓秀芝> |
(朝日-10・17) |
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永住帰国は、中国で日本人の重みに耐え兼ねー望郷だけでない<関振亜> |
(朝日-10・21) |
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貧しい中ー養母や姉の愛情に包まれー養母死の直前孤児と打ち明け <劉偉> |
(朝日-10・22) |
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養父母は孤児と打ち明けずー日本の『父』と文通4年、<石慶蓮> |
(読売-10・23) |
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親孝行か永住帰国かー84歳の養母を中国に残して、2年前突然日本人<范妹瑶> |
(毎日-10・22、東京-10・25) |
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[関連]
中国に訪れた兄拒絶、5年後真実知り後悔ー養母が実子と偽る <范妹瑶> |
(朝日-10・23) |
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2年前、養父の遺言で真実知りー養父母が死の直前まで隠していたケースがほとんど<李洪傑> |
(毎日-10・25) |
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[関連] 養父母が隠し続けた写真色あせー私を抱いた若き母今どこに <李洪傑> |
(読売-10・16) |
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故郷捨て『娘』と養母(73歳)異国日本へ<施塋> |
(産経-10・25) |
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養父、自分の訪日を後押しの為に逝った<田学衆> |
(朝日-10・28) |
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どんな報告?−訪日孤児に中国への電話サービス |
(読売-10・22) |
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[投書]
孤児に見るもう一人の私-(朝日-10・5)、残留孤児に日本の情報をー(朝日-10・22)、中国で失った娘に鎮魂の調べ(読売-11・23) |
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[よみうり寸評] 残したうた(『孤独な雁』、『養母-万里の長城、幻の母-富士山』、「月の砂漠」) |
(読売-10・29) |
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[記者の目ー澤圭一郎] 永住前提の対応必要ー訪日調査見直す時期 |
(毎日-11・6) |
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[解説-大久保真紀]
残留邦人の施策、永住前提に |
(朝日-11・6) |
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[座談会−二三世] 永住へ一歩夢と現実と 司会-大久保真紀。 大久保明男、岩佐長子、安原幸子、猿渡春梅子、匿名 |
(朝日-10・28) |
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[写真] 喜びの到着<胡金実>、
家族が集う<野原義雄>、
共に生きる<奥村里え子>、力合わせて<張春明・張春光・宮沢春子>、里帰り<久保幸代・遅凱萍> |
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[連載ー@〜F]
二つの祖国に生きてー残留婦人・孤児の戦後<菅原左起夫・田村久江・中島正雄> |
(京都-8・12〜18) |
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第29次 |
'98.11.5〜11.20 3/27(14.8%)→4/27(17.4%)→6/27(22.2%) |
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