人違い・偽孤児・血液鑑定 [訪日調査]
(97・11-中国帰国者問題同友会)
《1次》 東大血液鑑定中間報告− 「親子であること矛盾しない」 厚生省父子と確認、孤児帰国
非情!血液鑑定 情愛は血を超えるか (釧路家裁、<父>の戦時死亡宣告取消申立却下) <喩徳海>
厚生省−親子判定血液にこだわらず(当事者同士が確認しあえば、それでよし) (読売-82・4・14)
「喩さんは私のオイ」 鑑定できずとも“直感"の信念 家増築返事待つ (読売-82・6・3)
[自由席] 我那覇敏子 あてにならぬ自称の日本名
- 妹(第一次・周鳳英)と再会を果たして(第一次、日本名合っていたのは1名) (朝日-82・2・20)
日本名示した孤児23人 調査対象179人のうち (毎日-85・6・8)
《2次・3次》 血液型(ABO方式)など事前調査徹底へ 対面後の悲劇を防止−厚生省
訪日確認孤児<2次・申美清> 『戦時死亡宣告取り消し、戸籍復活-却下』(新潟地裁・東京高裁) (朝日-83・1・18)
[解説] 『再会暗転相次ぐ』 血液鑑定したら別人 <笵瑞君><今村明子><喩徳海><鶴谷正広>
大岡裁きは危険(大阪医大松本教授)、 人権からむ(厚生省) (朝日-2・18)
待ち受ける試練 異なる言語・習慣 認定方法にも問題(人違い) (産経-2・24)
心痛む綱引・新潟(息子)と岡山(弟)から<楊文海> 名乗り拒む経済負担 養父母恩返しや自立にも壁 (毎日-2・23)
科学的血液検査を訪日調査団全員に 孤児全協申し入れ (毎日・朝日-3・1)
孤児が血液鑑定拒否 『母』の態度冷たい 拒否初のケース (朝日-3・8)
明暗分けた血液鑑定 「やはり母」 「母他人だった」 (朝日-3・11)
頭の傷痕で決定<楊文海> (毎日-3・3)
血液鑑定で決着へ 肉親2組<陳雅娟> (朝日-83・6・24)
血液鑑定で 3年ぶり決着 <陳雅娟> (朝日-85・1・25)
《4次》 血液本格鑑定を孤児訴え ABO方式役立たぬ、精度低く紛争続き、戸籍復活にも壁 (朝日-83・12・8)
精度の高い血液鑑定を 孤児全協申し入れ (朝日-12・17)
(孤児秘話)父『A』さん否認、郭の姉の一時帰国に懲りて?。《似ている》と別の家族確認<郭樹芳> (朝日-12・20)
判明確認孤児の戸籍回復家裁(青森)認めず 厚生省-再訪日、血液鑑定で決着をはかる<馮彬> (朝日-85・9・28)
《5次》 帰国後9年、人違いと判明 下関の範瑞君さん 絶望の日々 『本物』の<高野保幸>25日来日(朝日-84・2・23)
高野ケース(偽孤児) [遠藤満雄・祖国定住]<19>〜<25> (毎日-86・11)
ぼくは保幸ではない−高野保幸の場合-(P118) 遠藤満雄 『中国残留孤児の軌跡』 三一書房 '92
(ホクロ判定)彭さん母娘拒否 科学的な血液鑑定を-孤児全協厚生省へ要望 <彭麗美> (朝日・大阪-3・6)
[解説] 肉親捜しの難しさと限界 母貧しいからか、心変わりの彭さん 関係者の老齢化、調査方法も(産経・[記者ノート]-3・8)
<彭美麗> 否定の<母>はやはり私の<母>と手紙 厚生省-再訪日手続き (朝日-85・9・28)
2人の“父”は幻 血液鑑定冷たかった<劉忠林>
(毎日・大阪-3・6)
《6次》 [ルポ] 全員の血液鑑定を “別人の悲劇"生まぬためにも・・・ (毎日-11・30)
[ルポ] 異例の『ツムジ』による確認 <弟なら3ツある> (毎日-12・6)
《7次》 喜び一転 つらい真実 確認後取り消し初のケース 戸籍照会で40年前死亡わかる <王愛光> (東京-85・2・27)
[解説] まざまざ“肉親捜し"の難しさ (東京-・2・27)
[解説] 《人違いの背景》 あいまいさ残し認知 望まれる血液鑑定方式 (朝日[ニュース三面鏡]-2・27)
[コラム] 『直感』:『血液鑑定』 担当者の悩み (朝日[デスクから]-2・24)
王愛光さん失意の自殺? 帰国めぐり再婚の夫と対立 [中国天津] (北海道新聞-87・10・19)
[関連] 郡司彦 『中国残留孤児』(81、日中出版)-<孤児紹介>-P214
《8次》 血液鑑定にすがる すでに半数近くも 肉親判明激減 (朝日-85・9・19)
厚生省“血液鑑定"を“無視" 『肉親』判明と誤発表<蘇福琴> [再掲-【裁判】欄] (毎日-86・10・16)
[85・11・11発表。血液鑑定の結果確認された者-蘇福琴]<確認理由>1、顔が親族に似ている 2、母の写真と似ている 3、母の金歯証言
戸籍回復ならず[戦時死亡宣告取消申立却下(宮崎家裁日南支部・昭61(家)137、昭61・9・30)] 永住帰国1年以上ストップ
<身元未判明孤児として> 就籍許可(東京家裁・昭60(家)9573、昭62・8・19)
《10次》 女性Sの弟と確認されたが、信州大学血液鑑定の結果は否定、改めて未判明者として就籍(尉世忠・東京家裁、平成6(家10908)平成7・10・20)
《12次》 [ルポ] ある孤児の対面を追う(妹は母そっくりだった) (朝日・[時々刻々]-85・9・12)
名乗る“父" こたえぬ“息子"-養父の話と違う(肉親捜し異例のケース) (京都-9・22)
《16次》 父じゃなかったー年齢差15歳と知りながら(厚生省認定誤り訂正せず)(毎日-96・11・8)
91・6 永住帰国、『父』血液鑑定拒否。東京家裁に上申書提出−身元未判明として『就籍』許可
《17次》 えっ!もう一人の私が・・(欒建軍) 肉親確認破局-S61年帰国女性血液鑑定で別人
肉親確認11年後に破局 (厚生省でなく)兄が独自に妹と確認 (毎日-88・2・26)
[関連] 「京子」 が二人 兄が見付けた妹(帰国者・于秀琴)は別人 [後掲-【裁判】欄] (朝日-2・28)
「私が京子です」 安堵感から満面の笑み(欒建軍) 血液鑑定で判明 (各紙-3・10)
「京子」 でなかった于さん 就籍へ (毎日-6・21)
「人違い」 の傷は深く、間違いもう一人いた(17次男性) 62・秋一時帰国 血液鑑定で別人 <欒建軍>さんの兄も以前に「人違い」 (朝日-・3・4)
《18次》 「訪日調査」 閉ざされ傷心 中国当局から孤児と認定してもらえず参加できないケース目立つ (朝日-88・7・6)
“二度目の正直"叔母確認。4年前知人紹介の『父・兄』血液鑑定で否定、戸籍復活空しく (朝日-6・26、毎日、読売-7・4)
《19次》 血液鑑定を受けた5人中4人が「別人」 厳しい結果 (朝日-89・3・8)
《20次》 判明孤児『別人』の悲劇 帰国後血液鑑定で2件 <韓麗娟-7次><李彦芳-17次>
『対面』慎重に 厚生省訴え 血液鑑定強制できぬ (朝日-90・2・15)
《21次》 たった4日間の父 再来日の<王桂琴> 福井の父血液鑑定で否定
《22次》 15年前、身元判明の女性孤児偽名で来日 (各紙-91・11・29)
判明孤児来日、背景に帰国制度の不備(身元判明者帰国困難) (毎日[取材帳から]-12・5)
『判明者』帰国困難、帰国しやすい未判明孤児帰国数『皮肉な逆転』 (読売-12・5)
《23次》 日本大使館登録 名前間違いで10年待ち 中国国内混乱平静後やっと訂正(劉孟珍) (東京-92・12・27)
《24次》 今度こそ本当の肉親に 民間団体の世話で“姉"の元へ一時帰国、10年後、別人が本当の妹と判明(肖連弟)(産経-93・10・28)
すれ違いの兄妹 [妹]-自分で捜した兄誤り、[兄]-他人を妹と誤り15年<孫淑芝、北村勝一> (朝日[北京発]-10・26)
[関連]血液鑑定で兄・妹確認 <北村勝一・孫淑芝> (読売-94・1・18)
にせ孤児“被害" 経歴聞き出し申請あわや (毎日-11・5)
[連載・7回] 祖国に生きる 帰国孤児はいま (産経-10・28〜)
《25次》 帰国孤児100人、戸籍回復できず依然中国籍(肉親難色)。厚生省が訴訟費支援 (読売-94・11・25)
[解説] 帰国孤児親族疑念(判明と認めたが今では?) 中国籍のまま100人、厚生省就籍費援助 (東京-12・5)
残留孤児進まぬ認定に焦り(厚生省確認調査に遅れも-孤児との心証なし6人) 養父母反対で死後名乗り (東京-12・3)
[解説] 国籍取得に“厚い壁" 『日本人』のはずなのに・・ 外登証をいつも 裁判所も冷たく 縦割り行政の谷間 (毎日-12・6)
《26次》 [関連] 国籍ない残留婦人国費帰国で援助決定−厚生省 (朝日-95・10・29)
《27次》 1割が日本の戸籍取れず 肉親判明しても親族反対
(毎日-96・11・4)
《28次》 身元判明後「家族」が否定、判明者として調査加われず、17年目ようやく訪日調査 (朝日-97・10・7)
養父が、この子は朝鮮族と訪日調査断る (朝日-10・17)
孤児と偽り訪日か (朝日-98・4・15)
[関連] 訪日調査で『ニセ日本人孤児』-認定難しいが門戸閉じないで(朝日-[沼津]-5・1)
訪日調査前に“訪中チエック"-厚生省、偽装騒動教訓に (読売-5・11)