肉 親 捜 し [中国帰国者問題同友会]
45・8・9 ソ連満洲侵攻
8・15 終 戦
〜 中国 国・共内戦
49・10・1 中華人民共和国 成立
49・10・3 集団引揚中断
50・6〜53・7 [朝鮮戦争]
51・9−[太平洋戦争・講和条約]−中国代表=中華民国(台湾)
53・3−[北京協定]−集団引揚再開(留用技術者、残留婦人)
昭和28・3−『中共引揚孤児対策要綱』制定(93名) 「厚生省・続続引揚援護の記録−P92」
56・6−[天津協定]−(残留婦人里帰り、戦犯335名釈放帰国)
58・5−中国国旗侮辱事件(長崎)→日中国交全面断絶。
58・5〜中国大躍進運動 58〜61−中国大飢饉(餓死者2千万以上?)
59・3・3 未帰還者に関する特別措置法 公布(戦時死亡宣告・戸籍抹消 1万3600余名)
66・8〜77・8 中国文化大革命
72・9・16−日中国交正常化(北京・共同声明)
【 肉親捜し・前史 】
@ 前段階 肉親、ボランティア個人調査。 A 民間組織的調査 1974,8、〜81,1、 16回
B 厚生省 公開調査 75,3、〜81,1、 9回 ( .厚生省 訪日調査 81,3、〜 9 9, 1 1、 30回 )
1946 (昭21)
引揚孤児第1陣佐世保上陸33人上京、品川駅=皮膚病や結核に侵され、栄養失調。童心を忘れ笑ひもほほえ
みもなく 「朝日−46・9・25。 朝日・[残留孤児,空白の戦後]−86・3・7」
撫順孤児 約200人(撫順炭砿・紅十字会 孤児院)−46・9 引揚
「撫順炭砿老万会−『文集老万−孤児救済の事ごとー藤岡貞夫』−P324」
1974(昭49)
8・ 日本側家族が会結成、8月を「中国残留日本人孤児と肉親を捜す月」として情報集めを始めた
「朝日−86・3・7」
8・15 民間肉親捜し 第1回 『生き別れた者の記録』
『日中友好手をつなぐ会』(73・6 結成)に寄せられた中国残留邦人に関する手紙、顔 写真等の情報を、
朝日新聞が大きく紙面に掲載。 肉親捜しは民間の手で始められた。 「朝日新聞 縮刷版 ーP443」
9・ 「中国に残留する孤児の調査について」厚生省→都道府県知事 「朝日[残留孤児空白の戦後]86・3・7」
(厚生省調べ 中国残留日本国籍者中、帰国希望者3100余人,帰国意志無し1000余人、
生死不明のまま戦時死亡宣告13600余人。帰国者談、於上海・中国公安局情報−帰国希望者4400人
「朝日縮刷ーP727」
(48・8、前期集団引揚中断後ー「日本婦人約4000人、現地住民に託した子供は約2500人」と推定)
厚生省『引揚と援護30年の歩み』−P109」
9・21 民間 第2回 [続々“生き返る”死亡宣告者たち] 「朝日縮刷−P727」
11・16 民間 第3回 [次々に結ばれる心の糸 民間まかせ、動かぬ厚生省]
(民間の肉親捜しによる身元判明の事例紹介に続き)・・「だが身銭を切って活動を続ける人たちをよそ目に
厚生省は、中国残留邦人に対する新規の予算要求も出さず、一般未帰還者の調査援護は都道府県の仕事し・・
『国も、責任はないとはいわない。だから調査もしている。だが厚生省援護局は、本来復員軍人のための部局と
いうのだ。・・・『開拓団を送り出したのは、当時の農林省だったのか、拓務省だったのか、政府の一体責任
といわれても・・』(厚生省援護局長)という『言い分』では、生き別れた人たちは納得しない。」
衆参両院 社労委に対するアンケート 61人中回答やっと13人のみ 「朝日縮刷ーP513」
1975(昭50)
3・6 民間 第4回 [畳生活の指導もー帰国組へ日本語教育−長野県泰阜村]これまで
に70名判明。「・・帰国者からは『日本の生活に慣れるまで、日本語と生活の指導をす
るセンターを作れ』という要請も起っている。・・そして帰国者にとって国が一番遠い」
「朝日縮刷ーP167」
[註]@ 日中友好手をつなぐ会が大阪定着センター開設募金開始(国の施策待てず)82,12
A 所沢定着センター開所ー84,2,1
3・12 [厚生省 公開調査] 第1回 (108名資料公開)
[各新聞協力]昨年9月から調査の163人中55人判明 「朝日縮刷ーP398」
4・24 民間 第5回
「朝日縮刷ーP763」
6・12 公開 第2回 (57名)
判明(内戦時死亡8、死亡届6、失踪5)、昨年9月以降92名判明
「朝日縮刷ーP398」
7・ 11 民間 第6回
「・・(肉親捜しは)本来国の仕事として厚生省がすべきことでした。しかし、厚
生省は、日本人孤児から・・寄せられる肉親捜しの資料を、都都道府県に通知す
るに過ぎませんでした。」「手をつなぐ会」などの動きに押され、厚生省は手落
ちを認め、資料を積極的に公開・・その結果、さらに100人余の身元が判明し
ました。ようやく、・・肉親捜し体制はととのった、といえそうです。」
「朝日縮刷ーP365」
10・8 公開 第3回 (40名) (民間を含め200名近く判明)
・11 民間 第7回 「朝日縮刷ーP361]
1976
5・3 公開 第4回 (厚生省分38名 これより民間と合同発表 ・新聞は翌日)
5・4 民間 第8回 (これより『日中孤児問題連合会』参加)
「朝日縮刷ーP85」
1977
1・9 民間 第9回 公開 第5回 (68名) 「朝日縮刷ーP213」
10・7 民間 第10回 公開 第6回 (16名) 「朝日縮刷ーP243」
1978
10・6 肉親捜しの根拠制定 『未帰還者等に関する調査及び処理実施要領について』
(援発88 援護局長通知)
12・20 民間 第11回 公開 第7回 (30名)
「朝日縮刷ーP709」
1979
6・13 民間 第12回 「朝日縮刷ーP441」
1980
1・11 民間 第13回 (これより『凍土の会』参加)
公開 第8回 (40名) 「朝日縮刷−P322〜3」
8・15
民間 第14回(TV朝日現地取材「父よ母よ 祖国よ・孤児たちの望郷」)
「朝日縮刷ーP476」
12・8 民間 第15回 「朝日縮刷ーP281」
1981
1・13 民間 第16回 公開 第9回 (40名) 「朝日縮刷ーP402」
【 訪 日 調 査 】
(厚生省―資料発表)
第1回 1981 3・2〜
|
第30回 1999 11・1〜
【 訪 中 調 査】 (厚生省--資料発表)
調査人員 判明
判明率(%)
平3年度(3.7)
5
2 40.0
平3
.(3.10)
6
0
0
平4
(4.7)
4
1 25.0
平4
(4.8〜9.9)
3
0
0
計
18
3 16.7
【 訪 中 事 前 調 査 】 訪日調査の前に 日本人孤児確認
平11 .6, 7,
(2班)
【 国 内 追 跡 調 査 】 ( 厚生省=キャラバン隊) (朝日-87・8・11・夕,毎日-8・27)
訪日調査した「身許未判明孤児」の肉親の追跡調査を行うため、元開拓団員からの情報等国内資料の収集、
総点検を行う。
昭62年度から、3年計画―実施 ( 結果の発表? )
62年度 北海道、東北ブロック、関東・甲信越ブロック(除く長野県)、 = 16 都道府県
63年度 長野県、東海・北陸ブロック、近畿ブロック = 14 府県
64年度 中国・四国ブロック、九州ブロック
= 17 県