中国・サハリン帰国者教育の相互支援ネットワーク |
2013年9月26日号 |
編集・制作:中国帰国者定着促進センター |
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◎目次――――――――――――――――――――――――――――――――
地域情報ア・ラ・カルト
・デイサービス「寿楽」の挑戦(上)
とん・とんインフォメーション
・2013年度 高校進学進路ガイダンス〈各地の情報〉2013.9月現在
・高校入試特別措置/大学入試特別枠情報
・奨学金情報
・中国帰国者のお墓情報更新
・『樺太・シベリアに生きる[戦後60年の証言]』
ニュース記事から 2013.6.28-9.5
遠隔学習インフォメーション
・下期募集要項ができました −新コース紹介!「日本語能力試験N2対策コース」―
事例紹介
・「有志者,事竟成」-フォークリフトの「免許」を取って-
帰国者の介護制度利用を巡っては、制度についての知識不足や文化の違い等、様々な問題が噴出しています。そんな中、一世帰国者のために二世がデイサービス施設を開いたと聞いて、取材に行ってきました。今号では、開設の経緯を中心にお伝えします。(トマトマの会の山縣さん、情報ありがとうございました!)
◆ いざ、いちょう団地へ
神奈川県内で帰国者の集住する「いちょう団地」、その中の商店街の一角に今年の4月、「寿楽 デイサービス」が開設されました。多文化の住民が暮らす同団地らしく、団地内の掲示も多言語、寿楽の隣にはカンボジア出身者によるアジア食材店や中国系の中華菓子店が並びます。
中に入ると、左の壁には中国のネットテレビを常時放映している大モニター。右手にベッド,中央にテーブル、奥には、薬草足湯が自慢の入浴室が見えます。
経営するのは二世の佐々木弘志さんと従兄弟の佐々木春海さん、春海さんは所沢センター第3期生で、在所時はまだ11歳の少年でした。取材当日は3名の帰国者が利用者として来所中で、テレビを見たり手芸をしたり、思い思いにゆったりと過ごしていました。中でも85歳で最高齢のAさんは、ここに通うまでは全く歩けなかったのに今では伝い歩きができるまでに回復されたそうで、弘志さん自身にとってもAさんの回復がこの仕事のエネルギーの源となっているとのこと。
佐々木さんたちの他に当日勤務のヘルパーは三世のBさん。弘志さんはこの施設の他にヘルパーステーションも運営しており、そちらと合わせて17、8名のヘルパーのうち10名が帰国者二三世とのこと。
◆ 開所まで
弘志さんは以前勤めていた運送会社で請け負った帰国者の引っ越しの仕事中に、何名かの高齢帰国者が不自由な体で苦労しているのを目にし、また自身の義母が介護度2〜3なのに制度を利用しきれずに3年間自宅にいたことから、帰国者ならではの問題を痛感したそうです。
問題の1つは何と言っても言葉の壁ですが、言葉が通じない、つまり用が足せないということだけでなく、”コミュニケーション”がないことの問題が大きいと弘志さんは考えました。たとえば、「暑い」「寒い」レベルの日本語ならできる人は少なくないのですが、尋ねられてもその場でぱっとうまく言えないという諦めや恐怖心から帰国者の多くは単純な要求すらも我慢して口にできなくなってしまうのだと。コミュニケーションの機会がないと、コミュニケーションに対してますます億劫になっていく悪循環に陥ります。施設内の活動も日本語ができないと参加もできず、一日中押し黙ったまま施設にいる疎外感はいかばかりか。勧められて一回はデイサービスに出かけていっても、帰国者の多くがその後、二度と行かなくなるといいます。
また、もう1つの大きな異文化、「食」の壁も帰国者の前に立ちはだかっていました。施設提供の食事はもちろん、訪問介護でも、好みの素材と味付けの食事は望むべくもありません。ここでも要望をきちんと伝えきれない言葉の壁との相乗作用で、高齢者は全てを諦めてしまいがちです。弘志さんの耳には、毎日ヘルパーに素うどんだけ食べさせてもらっていた(それしか要求できなかった)帰国者の例も入ってきていました。
これは何とかしなくては、と考えた弘志さんたちは2年前に地元で訪問ヘルパーステーションを作り、通所施設開設の準備を進めました。しかし、立ち上げ時、日本の制度に疎かった弘志さんは、まず組織を作る必要があると言われて、何も考えずに株式会社を作ってしまったのです。NPOか一般社団法人にしておけばよかったのに、と後に悔やむことになるのですが、ぽっと出の帰国者の、しかも「株式会社」という看板の故に、行政の理解や団体助成が得られない状況に陥ってしまいました。社会的企業で株式形態をとっているところもあるので一概には言えないことですが、「社会的に有意義なことをしているのになぜ」と弘志さんは憤慨、この辺は公益と企業に対する見方の日中の違いもあり、こんなところにも異文化の壁が存在したかと考えさせられました。以下、次号! (an)
本年度の進学ガイダンス実施情報をお知らせします。ガイダンスの内容、開始時間、参加申し込み・通訳の予約が必要かどうか等、詳細は事前に連絡先にお問い合わせください。
HPで新情報を随時更新中!http://www.kikokusha-center.or.jp/shien_joho/shingaku/guidance/2013guidance.htm
◆今年も11月上旬に更新予定!
《全国中国帰国生徒及び外国籍生徒への高校入試特別措置情報》
《昼間の中学校編入情報》
―政令指定都市のうち12都市の市立高校調査も―
◆随時更新!
《2014年度(2014年4月入学)中国引揚者等子女特別枠のある大学入試情報 ホームページアドレス一覧》
毎年、11月頃から奨学金の募集期間に入ります。詳細は各機関のホームページまたは電話でご確認ください。
★(財)山崎豊子文化財団「中国帰国子女高等学校等奨学金」
−返済の義務なし−
対象:大阪府内に住み、府内の公立高校・公立高専・公立専修学校に入学を希望する中学3年生
・募集期間:平成25年11月1日〜11月25日
・奨学金:月額2万円
・連絡先:Tel 072-266-2522
★(公財)中国残留孤児援護基金「就学資金対象者募集案内」
−貸与−
@大学及び専修学校、日本語等教育機関等への就学、A鍼灸師養成への就学に必要な資金が貸与されます。
・締切り @平成26年1月31日
A平成25年12月16日
・連絡先:Tel:03-3501-1050
※詳細は11月1日、ホームページに公開予定 http://www.engokikin.or.jp/
★社会福祉法人 さぽうと21
@「坪井一郎・仁子 学生支援プログラム」
A「生活支援プログラム」
−返済の義務なし−
@対象:支給年度に大学3年生以上または大学院在籍者(4月に大学3年生になる者や、大学院の入学予定者も応募可)
・募集要項公開:10月下旬
・募集期間:11月中旬〜12月中旬
※ 大学生は、「生活支援プログラム」にも応募可。(同時受給は不可)
A対象:日本国内の高校、専門学校、大学に通っている方(4月の入学予定者も応募可)
・募集要項公開:11月下旬
・募集期間:年始〜2月初旬
・連絡先:Tel:03-5449-1331
※ 大学3年生 ・ 4年生は、「坪井一郎・仁子学生支援プログラム」にも応募可。(同時受給は不可)
※詳細はホームページに公開予定 http://www.support21.or.jp/
2012年4月にご紹介した「各地の中国帰国者のための墓地一覧」(中国帰国者支援交流センター作成)に長野県上田市の共同墓地が1ヶ所増え、全国7都県10ヶ所になりました。
詳細は下記のホームページをご覧下さい。
■墓地一覧 http://www.sien-center.or.jp/consultation/life/haka24.pdf
「8月15日は<終戦>ではなかった」というプロローグから始まる本書は、8月15日以降の南樺太へのソ連軍の侵攻により大混乱が起き、多数の犠牲者が出る中で生きのびた人々の生の声が掲載されています。「唯一の地上戦があった」のは沖縄だけではなく、当時日本だった南樺太でもこのような悲劇があったことを知ってほしいという強い思いが伝わる本です。
この本の構成は
T 【戦後60年を語る@】樺太に生きて
U 帰国運動の足跡
V 【戦後60年を語るA】シベリアに生きて
W 苦難の同胞と共に
の4部からなっています。
T部では戦後、敗戦国日本という立場で、樺太でどのように生きてきたかが座談会形式で語られています。編著者である小川さんが事務局長となり1989年に「樺太(サハリン)同胞一時帰国促進の会」(1992年「日本サハリン同胞交流協会」に改組 1999年NPO法人資格取得)を発足させ、同胞の帰国を開始しました。当時はソ連から日本への帰国にあたっては「敵性国人入国要領」という扱いのために、非常に大変な手続きが必要でした。U部では帰国事業の立ち上げから、事業を進めていく上での困難が書かれています。V部では、理不尽な罪を着せられシベリアに送られた人々の状況がT部と同じく座談会形式で語られています。W部は様々な証拠や関係者が生存しているにも関わらず、帰国がなかなか叶わない状況、第一次帰国を実現させる際、日本政府の「サハリンに日本人はいない。いたとすれば、自己意志残留者である」とした対応などの問題点を指摘しつつ、帰国を願い続けた人々の思いが書かれています。
かつて日本だった南樺太、そこに取り残され、大変な苦労をした人々の歴史は、私たちが目をそむけてはいけない一面だと思います。
2013/06/28 のしろ日本語学習会代表北川裕子さん 文化庁長官表彰(文化発信部門)を受ける/秋田
2013/08/30 残留邦人配偶者に支援金 自公合意 死別後に月4万4千円 ※
※ 自民、公明両党は29日、永住帰国した中国残留邦人らが死亡した場合、配偶者に「配偶者支援金」として月額約4万4千円を支給することなどを柱とする中国残留邦人支援法改正案を秋の臨時国会に提出する方針を固めた。野党各党にも共同提出を呼び掛け、臨時国会での成立を目指す。
改正案では、残留邦人に満額支給されている基礎年金の3分の2にあたる約4万4千円を死亡後も配偶者が受け取れる「配偶者支援金」を創設する。(読売新聞より)
2008年に国民年金の満額支給や支援給付金制度が創設された後、引き続き帰国者が弁護士団等支援者とともに訴え続けてきた、配偶者に対する支援金支給制度がようやく見えてきたようだ。
早いもので2013年度も下半期に突入です。上半期も大勢の皆さんが遠隔課程の学習を開始されました。現在、延べ1800名程の受講者が様々なコースで日本語を学んでいます。一番人気はやはり「おしゃべり会話コース」で、240名以上の方が受講中です。この中の50名程がインターネットの無料電話(スカイプ)を使って、センター講師と対面のおしゃべりを楽しむ「スカイププログラム」を実施しています。遠くにいてもお互いに顔を見ながらやり取りができるのは、インターネットが普及した今だからこそですね。パソコン画面の中に、全国の帰国者の方々の暮らしぶりが見えて、私たちも、受講者の皆さんとの距離がぐっと縮む気がします。このようなツールを利用して、なかなか日本語で話す機会がないという帰国者の学習環境を、よりよいものにしていければと思います。
下期に、新コースが開講します。来年2月に始まる「日本語能力試験N2対策コース」です。このコースは、帰国者の皆さんからあったらいいなというコースの一つでした。「日本語能力試験」とは、日本語を母語としない人を対象とした検定試験で、現在、日本で一番規模の大きいものです。この検定レベルで、上級(N1やN2)であれば、履歴書などにも資格として記入でき、就職などにも有利になると言われています。
本コースでは、センターで開発された中国語解説付の教材を使用し、「文字・語彙・文法・読解・聴解」の各試験で、帰国者の方たちが、複雑で多様な問題形式に戸惑わないように解法のテクニックを紹介します。また、練習問題を通してN2レベルの試験対策として、どのような日本語学習が必要かを理解し、自分で学習していけるように応援していきます。
実際には試験を受けるつもりはないという方にとっても、N2レベルの日本語を習得する良い機会となると思います。是非、興味のありそうな周囲の帰国者の方々にお薦めください。
*センターHPのトップページから募集要項がダウンロードできます。
http://www.kikokusha-center.or.jp/
「遠隔学習課程」についてのお問い合わせ先
電話:04-2993-1662(遠隔学習係)
E-mail:kyohmu-2@kikokusha-center.or.jp
平成24年1月、所沢での6ヶ月研修を修了しB市に定住した帰国者二世Aさん(49歳)。「神奈川中国帰国者定住サポートの会」(以下、サポートの会)での学習期間を終えるとすぐにフォークリフト(叉车)の運転技術を身につけ、職を得ることに成功した。
定着地での8ヶ月の日本語研修もそろそろ終盤に入りかけたある日、就労担当の先生から突然声をかけられた。「Aさん、フォークリフトの仕事、興味ありますか」。中国では農業に従事していたAさんは無論フォークリフトなど動かした経験もなく、答えに詰まった。しかし、あと2ヶ月足らずで研修期間も終了し、就職について考え始めていたAさんの回答に選択の余地はなかった。「はい、是非やってみたいです」。すでに近くに定着している帰国者二世から日本での就職の難しさ、厳しさを嫌というほど聞かされていたからだ。ただ、本格的な求職活動はまだ始めていなかったAさん、「話しだけでも聞いてみよう」という気持ちだった。
先生との相談で「運転技術」さえあれば職に就ける可能性もあることがわかった。しかし、Aさんにはそれがない。早速、サポートの会で週1回のフォークリフト特別補講が始まった。当初、目にしたことも聞いたことも無いカタカナ語彙の羅列に戸惑い、何回も気持ちが折れそうになったAさんだったが、熱心な先生方の叱咤激励を受け、必死に専門語彙を覚え、模擬テストを繰り返しこなし免許取得に備えた。フォークリフトの仕事をするには、まず「フォークリフト運転技能講習」を受講し、運転操作技術を身につけ「免許証」を取らなければならない。研修最後の8月、Aさんは行動を起こした。先生の助けを借り、近くにあるいくつかの教習所にあたってはみたものの「日本語が不自由」「中国人」という理由ですべて門前払いされてしまった。それでも諦めきれないAさん、電車とバスで1時間半以上もかかる場所にある教習所でどうにか入学許可をもらった。
特別補講を受けていたAさんではあったが、教習所の講習内容が理解できるほどの日本語能力はなかった。「もちろん、講師の言っていることはよくわからなかったけど、テキストを毎日きっちり予習することで克服できたんだ。日本の本は漢字が多いからね」と照れ笑いするAさん。幸いなことに、フォークリフトの学科講習は、複雑な道交法等が延々と続く普通自動車免許の講習と比べると、かなりハードルが低い。3日間の学科講習を無事終えたAさん。「学科試験」をパスするのにそれほど苦労は感じられなかったという。残すは2日間の実技講習。30人近い教習生のうち、まったく運転操作の経験が無い初心者はAさんを含めわずか3人。
帰国者のAさんのために教習を長めにやってくれる等、教習所の配慮もあり、もともと運動神経のいいAさんは実技も順調に習得し、講習最終日「実技試験」に臨んだ。しかし、ここで避けようもない障害に阻まれる。初テストの緊張から「指示の日本語がすぐ分からず、身体も思うように動かなくなってしまったんだ」。焦ったAさん、結果は不合格。しかし「ここで挫けたら終わりだ。折角の仕事話も白紙になってしまう。こんなことで投げ出すなんて情けない!」と自分に言い聞かせ、リベンジを決意する。
この実技試験「不合格」がAさんの闘志に火をつけた。ハローワークの紹介で、自宅近くの「労働会館」の日本語教室に通い、再び実技試験に挑戦することになった。今度こそ試験官の指示する日本語に反応できるようになるためだ。再試験までの1ヶ月間は日本語の勉強と実技試験のイメージトレーニングに没頭した。そして、「指示さえわかれば大丈夫」、自信を持って2回目の試験に挑んだAさん。結果は見事に合格。念願の「免許証」を手にした。
程なく、サポートの会の先生方の支援によりアルバイトではあるが無事に就職。現在、フォークリフトのハンドルを握りながら忙しい日々を送っているAさんだが、今でも常に「免許証」はポケットに携帯している。「気持ちが折れそうな時、これを眺めるんだ。勇気と自信を与えてくれるから」。Aさんは誇らしげに「免許証」を取り出すとニッコリ微笑んだ。 (小松)
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