ご存じですか中国残留邦人問題

Q1:

どんな人を「中国残留邦人」というのですか?


(1)終戦前の中国東北地方

 戦前,中国東北地方には,開拓団を含めて多くの日本人(日本人のことを自国の人という意味で邦人といいます。)が在住していましたが,昭和20年8月9日のソ連の対日参戦時には壮年男子の大多数は軍隊に召集されていたため,残っていた日本人は,老人婦女子が主体となっていました。

(2)ソ連参戦と避難

 ソ連参戦後,中国東北地方の居留地(外国人が居住を許された特定の地域)を追われたこれらの人々は,混乱のうちに避難を開始しました。居留地の多くは鉄道沿線から遠く離れた辺境の地に在り,これらの人々はやむなく徒歩で,何日も何日も銃撃に逃げまどいながら安全な地を目指しました。その避難活動は,着のみ着のままに近い形で行われたため,避難の最中に戦闘や伝染病発生などの事態に遇い,飢餓に苦しみ,死亡者が続出するという悲惨な状況にありました。

 このような混乱も昭和20年10月頃には鎮静化してきましたが,居留地を追われたこれら多くの人々は,避難行動は終えたものの,家も職も衣食にも事欠く中で,中国での厳しい冬を迎えることになりました。

 

(3)残留邦人の発生

 居留地を追われた日本人は生活の基盤を根底から失い,加えて極限の生活の中で中国での厳しい冬に直面し,昭和20年8月の終戦から翌21年5月までの間に多数の死亡者を出しました。このような状況の中で,両親,兄弟と死別し,または生別し,孤児となって中国人に引き取られたり,生活の手段を得るため中国人の妻になるなどして,やむなく中国に残ることとなった子供や婦人等が数多くおりました。これらの人々を「中国残留孤児」「中国残留婦人」と呼び,「中国残留邦人」と総称しています。