01001 |
11 |
? 棟梁、かく とうりょう、男、3歳、B型 |
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三江省鶴立県 |
三江省鶴立県の鶴崗炭鉱に、老君廟(寺)があり、同所に7〜8歳の日本人の子供と住んでいた。21年9月、本人は老君廟から、鶴崗炭鉱職員の養父カク振環に引き取られた。 |
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左腰にあざ、左眉に米粒大のほくろ |
個票 |
01002 |
12 |
張 長生、ちょう ちょうせい、男、4歳、B型 |
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三江省富錦県 |
終戦後、三江省富錦県城内の江道に住んで、漁業をしていた養父張連成に引き取られた。 |
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左耳たぶの下にほくろ |
個票 |
01003 |
5 |
王 占山、おう せんさん、男、3歳、O型 |
父、母 |
三江省富錦県 |
父は応召した。ソ連参戦により、家族は三江省富錦県郊外の腰屯まで避難したが、同地で母が死亡したため、本人は養母侯徳珍に引き取られた。その時、「マツエマタシ」と書いた布が裏に縫いつけてある黒い帽子をかぶっていた。 |
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個票 |
01004 |
5 |
田 忠生、でん ちゅうせい、男、6ヵ月、B型 |
父(毛利)、母、姉又は兄父は三江省同江県の警察官 |
三江省富錦県 |
母は三江省同江県から本人を背負い、もう一人の4〜5歳の子供を連れて三江省富錦県集賢鎮の治安維持会に避難した。20年8月27日ごろ、本人は集賢鎮で中国人孟を介して、田家に引き取られた。当時、顔中に赤い斑点ができていた。 |
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個票 |
01005 |
11 |
王 洪徳、おう こうとく、男、5歳、AB型 |
母、姉 |
三江省樺川県 |
ソ連参戦後、三江省樺川県半截河に避難した。同地で母や一緒にいた人達は自害したが、姉と本人は、中国人の郭を介して、姉は中国人の唐に、本人は養父王鳳君にそれぞれ引き取られた。 |
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左肩にほくろ |
個票 |
01006 |
2 |
王 慶忠、おう けいちゅう、男、4歳、O型 |
父、母、兄夫婦、姉3人三江省富錦県の開拓団 |
三江省樺川県 |
ソ連参戦後、三江省佳木斯市付近の駅で、兄夫婦、姉達は汽車に乗ったが、母と本人は汽車に乗れなかった。その時、多勢の人がいて母とはぐれた。その後、若い日本婦人と12歳の女の子と本人の3人で同省樺川県双廟屯に着いた。そこで、中国人孫により、王家に連れていかれた。 |
家には、赤毛の馬一頭と白馬が一頭いた。また、開拓団の東に部隊、北に学校があり、学校までかなり離れていた。20年の春、学校の屋根から餅がまかれたことを憶えている。 |
左膝に火傷のあと。頭の後ろが約3センチ溝のようにへこんでいる。 |
個票 |
01007 |
12 |
田 鳳山、でん ほうざん、男、4歳、A型 |
父、母、弟又は妹 |
三江省樺川県 |
ソ連参戦後、母が弟又は妹を連れて避難し、まもなく父が本人と一緒に後を追ったが、途中銃撃され、父が死亡し、三江省樺川県で養父田志国に保護された。その時、周辺には4〜5人の子供がいた。 |
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へその右上に小豆大のあざ |
個票 |
01008 |
11 |
董 書華、とう しょか、男、21年7月生、A型 |
母 |
三江省佳木斯市 |
三江省佳木斯市日満製粉工場西側の日本人住宅に住んでいた。生後間もなく母は、当時日本人住宅に卵売りに来ていた陳道営を介して、養父董福義に預けた。当時、白地に黒い縞の着物を着ていた。その後、母は本人に会いに来た。 |
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個票 |
01009 |
6 |
曹 桂山、そう けいざん、男、7歳、O型 |
父、母、姉2人、弟三江省樺川県千振開拓団 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、三江省依蘭県方面へ避難する途中に足を痛めたため、同県太平鎮近くの図隆山で家族と別れた。従姉妹に背負われて同県百子溝屯まで行き、そこで養父曹海に預けられた。 |
家は2部屋で出入口も2つあった。家の南に馬小屋(馬が3頭)、西に山羊小屋があり、鶏や家鴨も飼っていた。父母の不在中にパンを焼いていて蒲団を焦がし、火事になりそうになったことがある。 |
右耳に手術の後、左手首に傷あと、左足太ももに犬に噛まれたあと、胸にできもののあと |
個票 |
01010 |
8 |
劉 文彬、りゅう ぶんひん、男、6歳、A型 |
父、母、弟又は妹 父は依蘭県達連河炭鉱の従業員らしい |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、母とともに、三江省依蘭県依蘭鎮に避難した。20年秋、母が、中国人陳万福を介して、俊話号という屋号の菓子店で働いていた劉子臣に預けた。 |
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眉が濃い |
個票 |
01011 |
5 |
李 今声、り こんせい、男、5歳、B型 |
父、母、姉 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦時、開拓団の人々とともに三江省依蘭県に避難した。高稜中学校の広場に来た時、中国人王貴を介して、養父李煥彩に預けられた。姉は中国人趙樹棠に預けられたが、25年に死亡した。 |
一家は東安省饒河県東安鎮に住んでいた。 |
両足膝下に、草にかぶれて化膿したあと。腹部中央に赤いあざ。 |
個票 |
01012 |
15 |
辺 福光、へん ふくこう、男、5歳、O型 |
|
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、三江省依蘭県土竜山鎮白家溝で、張という中国人に保護された。その後、中国人趙を介して、養父辺文彬、養母関中雲に引き取られた。 |
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左腕の内側に米粒大の傷あと、右目下にほくろ |
個票 |
01013 |
13 |
郎 志遠、ろう しえん、男、3歳、O型 |
|
三江省依蘭県 |
三江省依蘭県土襲山鎮南門外で、養父郎振華に引き取られた。 |
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へその上、右足の指に傷あと |
個票 |
01014 |
12 |
胡 延増、こ えんぞう、男、3歳、O型 |
父以外不明父は軍人 |
三江省依蘭県 |
20年11月ごろ、三江省依蘭県北靠山屯の開拓団員の大谷という日本人を介して、養父胡万林に預けられた。 |
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左足首に火傷のあと |
個票 |
01015 |
12 |
任 発、にん はつ、男、3歳、A型 |
父以外不明父は軍人 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、本人は、父に背負われて、三江省依蘭県方面に向かって、多くの日本人とともに避難した。同県三区慶栄郷村付近に来た時に、匪賊の襲撃に遭い、多くの人が死亡した。そこで養母任胡氏に保護された。その時、本人は、緑色のよだれ掛けをしていた。 |
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尾骨上に10センチ四方のあざ、左胸にほくろ |
個票 |
01016 |
10 |
席 静波、せき せいは、男、3歳、A型 |
父、母 |
三江省依蘭県 |
20年9月三江省依蘭県で、八路軍の兵士によって、養父席君山に預けられた。 |
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前頭部に2ヵ所、後頭部に1ヵ所約2センチの傷あと |
個票 |
01017 |
3 |
牟 徳文、む とくぶん、男、2歳、A型 |
父、母三江省依蘭県付近の開拓団 |
三江省依蘭県 |
終戦後、避難する途中、三江省依蘭県馬太屯付近で開拓団の避難グループと合流し、母が、グループの中の大古あるいは大谷という副団長と木戸という女性を介して、高景豊に預けた。その後、養父牟春山に引き取られた。 |
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個票 |
01018 |
6 |
薛 世孝、せつ せいこう、男、6ヵ月、B型 |
父、母 父は東安省勃利県又は他の県の副県長であったかもしれない。 |
三江省依蘭県 |
20年10月〜11月ごろ、三江省依蘭県大連河炭鉱靠山屯の開拓団の小学校に収容されていたが、母が重病だったため、木戸、大谷の2人の日本人を介して、木戸の子供とともに中国人高井峰に預けられた。その時本人は、縞模様のおくるみに包まれていた。木戸は母の友人の女性で、北海道出身らしい。大谷は男性で、牡丹江市の警察署に勤務していたらしい。また、収容所の団長は片腕がなかった。 |
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個票 |
01019 |
11 |
任 徳利、にん とくり、男、6ヵ月、O型 |
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三江省依蘭県 |
三江省依蘭県西北楞村の大きな山の崖渕に、2人の赤ん坊がいるのを養母?月清が見つけ、本人を保護した。 |
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右腋にほくろ |
個票 |
01020 |
12 |
李 文喜、り ぶんき、男、5歳、B型 |
母、兄(11〜12歳) |
三江省通河県 |
20年11月ごろ、三江省通河県濃河鎮で、養父李万祥、養母趙淑花に預けられた。その時、両足の指が凍傷にかかっていた。 |
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個票 |
01021 |
14 |
賀 吉春、が きつしゅん、男、3歳、AB型 |
母、弟 |
三江省通河県 |
ソ連参戦後、弟が死亡した。その後、母とともに三江省通河県濃河鎮紅太に住んでいた陳家に身を寄せたが、母はまもなく死亡した。本人は中国人陶を介して、養父賀青連に引き取られた。 |
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個票 |
01022 |
14 |
孔 令福、こう れいふく、男、3歳、B型 |
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三江省通河県 |
終戦後、三江省濃河鎮街里で、中国人王から養父孔祥禄に引き取られた。 |
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鼻と唇に傷あと |
個票 |
01023 |
15 |
羅 永祥、ら えいしょう、男、10歳、B型 |
ジロウ 父、母、姉3人(うち、2人は渡満しなかった。)開拓団 |
三江省方正県 |
父は3歳の時に死亡、母は7歳の時に行方不明となり、姉と生活していた。ソ連参戦後、本人は三江省方正県吉利で養父羅景貴に引き取られた。 |
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背中に小さないぼ |
個票 |
01024 |
1 |
田 富、でん ふ、男、9歳、A型 |
父、母、妹、弟 父は開拓団相手の商店に勤務 |
三江省方正県 |
本人が3歳の時、一家は渡満し、三江省樺川県に住んでいた。父は19年応召した。ソ連参戦後、一家は近所に住んでいた叔母(父方)とともに避難したが、途中で母が死亡し、叔母も行方不明となったため、同省方正県徳墨利で、本人、妹、弟はそれぞれ別の中国人に引き取られた。 |
本人は、7歳と9歳の時、佳木斯の病院に入院したことがある。 |
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個票 |
01025 |
2 |
王 喜山、おう きさん、男、6歳、B型 |
父、母、兄、弟三江省方正県伊漢通開拓団、父は同開拓団の軍事訓練教官 |
三江省方正県 |
18〜19年に三江省方正県伊漢通開拓団に入植した。父は20年春に応召した。終戦後、開拓団から避難したが、戦闘のため先に進めず開拓団に引き返し、開拓団の地下壕で生活した。この時、兄が死亡し、母が病気となったため、本人は島田トキ子を介して、王家に引き取られ、弟は別の中国人に引き取られた。 |
日本に居た時は、暖かく、雪は降らなかった。 |
鼻の右下、右目の下にほくろ |
個票 |
01026 |
9 |
張 元財(張 元才)、ちょう げんざい、男、6歳、A型 |
父、母、兄、姉、叔母 父は三江省樺川県小八浪開拓団の商店に勤務 |
三江省方正県 |
ソ連参戦後、母は子供たちを連れて叔母と一緒に避難した。途中、母は山中で死亡した。その後、叔母に連れられ三江省方正県徳墨利に到着した。同地において、兄、姉、本人は別々の中国人に預けられた。 |
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個票 |
01027 |
6 |
楊 春生、よう しゅんせい、男、5歳、AB型 |
父、母、兄 |
三江省方正県 |
浜江省延寿県加信子に住んでいた。20年に父は応召した。ソ連参戦後、母、兄とともに三江省方正県の開拓団本部の地下壕に避難したが、そこで母と兄が死亡した。その後、方正県会発にあった病院の医師をしていた祖母が、その病院で働いていた劉という中国人を介して、養父楊殿清に預けた。 |
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個票 |
01028 |
10 |
于 善偉、う ぜんい、男、5歳、A型 |
父(19年井戸に転落死)、母、妹三江省依蘭県の開拓団 |
三江省方正県 |
ソ連参戦後、母、妹とともに三江省方正県伊漢通開拓団に避難した。数日後、ある男性に馬車に乗せられて、同県城西街の張という豆腐屋に行った後、同街小橋東路の料理屋張再貴に引き取られた。 |
日本での家族は、祖父母、父母、兄、弟であった。父は、父の兄弟の中で一番年長だったと思う。渡満前(18年ごろ)日本で住んでいた家付近の絵図(資料) |
背中の右上にいぼ |
個票 |
01029 |
8 |
盛 宝山、せい ほうさん、男、4歳、AB型 |
秦木父、母、姉(秦木童子 18歳)、兄(14歳) |
三江省方正県 |
21年9月、三江省方正県紅部道南第2棟房東屋で両親と別れ、中国人魏を介して養父盛広発に預けられた。姉と兄は翌年5月に死亡した。 |
兄弟姉妹は5人いた。そのうち2人は内地に残った。父母、姉、兄、本人で渡満した。20年10月、姉は中国人魏と結婚、兄と本人も魏と一緒に生活していた。父母のことは記憶にない。 |
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個票 |
01030 |
9 |
黄 喜山、こう きさん、男、4歳、A型 |
父、母、姉、兄、妹 開拓団 |
三江省方正県 |
ソ連参戦後、三江省伊漢通の開拓団本部で石恩春に預けられた。その時、灰色地に子供が船に乗っている模様の服を着ていた。姉も中国人に預けられ、母、兄、妹は帰国したらしい。 |
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鼻の下に傷あと |
個票 |
01031 |
9 |
陳 志田、ちん しでん、男、4歳、A型 |
父、母、兄、姉2人 開拓団 |
三江省方正県 |
父、兄は応召した。ソ連参戦後、母と2人で、三江省依蘭県から三江省方正県開拓団本部へ避難した。母は、方正県東門里の豆腐屋で、本人を中国人朱に預けた。その後、養父陳富貴に引き取られた。 |
母の顔の右側にほくろ。姉の一人が、腕におできができ化膿していた。寝小便をして、兄に仕置きされたことを覚えている。 |
腹部にお灸のあと |
個票 |
01032 |
12 |
劉 景芳、りゅう けいほう、男、4歳、O型 |
母、兄2人(16歳、14歳)大八浪開拓団らしい。 |
三江省方正県 |
21年初春、三江省方正県吉利村の開拓団本部(当時)で、養父劉万財に引き取られた。長兄が、養家に来たことがある。 |
|
右腰に長方形のあざ、右手人差し指の爪が変形 |
個票 |
01033 |
14 |
趙 財、ちょう ざい、男、2歳、B型 |
姉 開拓団らしい |
三江省方正県 |
ソ連参戦後、三江省方正県の開拓団本部で養父趙清林に引き取られ、その後、姉も別の中国人に引き取られた。 |
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右手首に傷あと |
個票 |
01034 |
12 |
孫 景太、そん けいた、男、1歳、A型 |
父、母、姉 三江省樺川県の大八浪開拓団か小八浪開拓団 |
三江省方正県 |
父は応召した。終戦後、母、姉と3人で三江省方正県二節地へ避難した。同所で母が賀茹富に本人を預けた。その後、養父孫九入に引き取られた。1年程後に母が訪ねてきたが、養母孫淑清が会わせなかった。 |
|
左足小指に凍傷のあと |
個票 |
01035 |
15 |
李 智、り ち、女、3歳、O型 |
父(佐藤正一らしい)、母。兄及び姉がいたらしい。父は三江省湯原県庁や学校に勤務 |
三江省湯原県 |
父は20年2月ごろ応召した。終戦後、母が、三江省湯原県庁に勤務していた養父李洪森に預けた。その時、空色と白の花模様の着物を着て、オーバーにくるまれていた。母は、本人を預ける時、一袋の米と鍋を養父に渡した。 |
養父に渡された鍋の写真(資料) |
|
個票 |
01036 |
10 |
崔 雅琴、さい がきん、女、3歳、AB型 |
父、母、弟又は妹(1歳) |
三江省撫遠県 |
ソ連参戦後、三江省撫遠県抓吉で、ソ連軍の銃撃を受け、母は負傷し、父は行方不明になった。その後、中国人漁民の董に保護された。数日後、養母高慶貴に引き取られた。 |
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|
個票 |
01037 |
6 |
李 玉華、り ぎょくか、女、7歳、B型 |
藤井早苗父(藤井一雄)、母(島田文彦)、兄(19年戦死)父は軍人かもしれない。 |
三江省同江県 |
三江省同江県に住んでいた。20年8〜9月ごろソ連軍に捕らえられたが、母が本人を逃がした。その後、同県向陽堡で養父李永治に保護された。 |
海の見えるところに住んでいた。和服、高下駄にハンドバッグを下げ、母と2人で神社にお参りに行ったことがある。また、墓参りに行った時、赤く染めた卵を墓の前にいくつも埋めたことを覚えている。 |
左足の膝下約15センチの位置に約1.5センチ大のあざ |
個票 |
01038 |
11 |
趙 鳳傑、ちょう ほうけつ、女、4歳、A型 |
父、母、姉 |
三江省鶴立県 |
三江省鶴立県蓮江口に住んでいた。ソ連参戦後、蓮江口から避難途中、橋が流されていたため、姉と本人と1人の男の子が取り残された。その後、同県臨江屯に住む養父趙万銀に保護された。姉と男の子は別の中国人に引き取られた。 |
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左大腿部外側にあざ |
個票 |
01039 |
12 |
孫 貴芝、そん きし、女、7歳、O型 |
英子 父、母 父は軍人らしい |
三江省富錦県 |
ソ連参戦後、母は、大勢の日本人女性ともにソ連軍に連行され、その後死亡した。本人は、三江省富錦県城内で養父に保護された。そこの近くには、飛行場があり、日本軍人が大勢いる町があった。保護された時、本人の服のポケットの中に「英子、7歳」と書かれたものが入っていた。 |
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背中左に大豆大のほくろ |
個票 |
01040 |
5 |
宋 影、そう えい、女、3歳、A型 |
|
三江省富錦県 |
20年8月、三江省富錦県集賢鎮の西門外国道の北側に瀬戸物を焼く釜があり、その近くの溝の中にいるところを養父宋景恩に保護された。その時、格子縞の和服を着て、ズック靴をはいていた。 |
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八重歯が2本、垂れ目 |
個票 |
01041 |
9 |
尚 桂芹、しょう けいきん、女、5歳、O型 |
父以外不明 父は鉄道関係の仕事に従事 |
三江省佳木斯市 |
父は仕事で奉天市に行ったまま行方不明となった。ソ連参戦後、三江省佳木斯市で、中国人女性に保護された。その後、その中国人女性とともに北安省慶安県に避難し、20年冬、養父尚志傑宅に身を寄せたが、その中国人女性が死亡したため、そのまま引き取られた。 |
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個票 |
01042 |
6 |
武 淑芝、ぶ しゅくし、女、4歳、O型 |
母、兄又は姉4人 |
三江省佳木斯市 |
20年8月、三江省佳木斯市の難民収容所に避難した。母が、同収容所に来た養父夏栄生に本人を預けた。当時、髪はおかっぱで、ズボンをはいていた。また、養父は背が低く、あごの右に大きなほくろがあり、そこから3センチぐらいのひげが生えていた。 |
|
|
個票 |
01043 |
9 |
徐 鳳智、じょ ほうち、女、4歳、A型 |
菊子 父、母、兄 |
三江省佳木斯市 |
三江省佳木斯市に住んでいた。20年秋、同市の駅近くで、養父徐紹珍に保護された。その時、白い上着に、黒いスカートをはいていて、ふろしきをかぶっていた。養父は「臣衛蘇郎」(チェンウェスラン・音をあてはめた)という名前を憶えていたが、誰の名前かわからない。母と兄は帰国したらしい。 |
|
右眉に黒いいぼ、髪は縮れ毛 |
個票 |
01044 |
12 |
蘇 玉蘭、そ ぎょくらん、女、4歳、A型 |
父、母、兄2人、姉2人、祖父母(姉1人と祖父母は渡満しなかった)父は軍人 |
三江省佳木斯市 |
一家は、三江省佳木斯市駅近くの大炮楼里に住んでいたが、ソ連参戦後、父がソ連軍に連行されたため、残った家族は、同市小栗房に避難した。その後、一家は中国人孫乗義の家に身を寄せたが、母が2年後に死亡したため、本人は養父蘇連城に、姉は他の中国人に引き取られた。姉は現在河北省に住んでいる。 |
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右眉に2つのあざ |
個票 |
01045 |
9 |
孫 桂英、そん けいえい、女、3歳、O型 |
父、母 父は小学校の教師 |
三江省佳木斯市 |
終戦後、東安省宝清県の収容所から来た人達と一緒に避難したが、途中本人は三江省佳木斯駅近くではぐれ、養父孫常徳に保護された。父母が一緒に避難したかどうかについては、不明である。 |
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個票 |
01046 |
3 |
姜 淑芬、きょう しゅくふん、女、2歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい。 |
三江省佳木斯市 |
20年8月、三江省佳木斯市郊外の大菜崗黒魚屯に養父が薪を拾いに行った時、子供の泣き声を聞き、5人の子供を見つけ、その中から本人を連れ帰った。 |
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個票 |
01047 |
10 |
劉 玉珠、りゅう ぎょくじゅ、女、8歳、O型 |
父、母、姉、妹2〜3人。弟がいたらしい。三江省樺川県南方の開拓団 |
三江省依蘭県 |
父は20年春に応召した。ソ連参戦後、開拓団の人達と一緒に避難したが、三江省依蘭県土竜山太平庄の西方の山に1人取り残されたところを養父劉永福に保護された。その時、黒い絹地でつくられたそろいの半袖シャツと半ズボンをはいていた。また、緑地に白い柄の風呂敷に包まれた弁当箱を持っていた。 |
家はレンガ造りで馬小屋があり、四角い木風呂があった。また、父が私を自転車で学校まで送ってくれたことを憶えている。 |
左耳たぶにほくろ、右小指の第二関節にこぶ、頭髪が縮れ毛 |
個票 |
01048 |
9 |
韓 淑雲、かん しゅくうん、女、6歳、A型 |
父、母、兄又は弟、姉、叔母(母方)父は軍人 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて2台の馬車で避難した。避難する途中、ソ連軍飛行機の銃撃を受け、母と兄又は弟は行方不明となった。本人と姉は三江省依蘭県南達連河開拓団に避難した。その後、開拓団長を介して、本人は養父韓国福、姉は呂家に預けられた。韓家に預けられた後、叔母が会いに来た。姉は養家に預けられてから1年後に帰国したらしい。 |
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右足親指に銃弾のあと、後頭部左に卵大の傷あと |
個票 |
01049 |
11 |
劉 芹、りゅう きん、女、6歳、A型 |
父、母、妹、祖父(父方)三江省樺川県大八浪開拓団らしい。 |
三江省依蘭県 |
父は応召した。ソ連参戦後、祖父は打たれて死亡し、本人は右足のかかとを負傷した。その後、三江省依蘭県太平鎮で肉親とはぐれたところを養父に保護された。当時、花模様の服と緑色のズボンをはいていた。 |
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右足の踵(かかと)に傷あと、腰の左に黒いあざ |
個票 |
01050 |
15 |
張 桂珍、ちょう けいちん、女、6歳、B型 |
|
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、三江省依蘭県太平鎮で日本人の一団が銃殺された。本人は同所で、現地の農民に保護され、その後、養父張永忠に引き取られた。 |
|
頭髪が縮れ毛 |
個票 |
01051 |
8 |
唐 芙蓉、とう ふよう、女、4歳、B型 |
高橋父、母、姉3人(長姉13歳)、弟(生後8ヶ月) |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、三江省依蘭県方面から牡丹江市へ避難する途中の同県蓮花西屯で、呂という姓の中国人の家に泊った。この時、両親が、本人を呂に預けた。別れた当時、花柄のタオル地で作った帽子と同じ布の上着とズボンを着ていた。帽子の上には小さな耳が2つ付いていた。その後、養父唐に引き取られた。 |
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個票 |
01052 |
12 |
李 桂芹、り けいきん、女、4歳、B型 |
父、母 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、山道を通って避難する途中、三江省依蘭県西北楞の西側の山の中で両親にはぐれてしまい、養父李春生に保護された。その時、灰色で、柄のあるワンピースを着ていた。 |
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火傷のため左足親指がない、左足すねに火傷のあと、右足親指にひきつれ |
個票 |
01053 |
6 |
周 亜文、しゅう あぶん、女、3歳、A型 |
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三江省依蘭県 |
終戦時、三江省依蘭県馬太屯開拓団本部付近の橋の下で、養父周徳金に保護された。その時、赤い大人用のセーターを着ていた。また、本人の外に2人の女の子が一緒にいたが、姉妹かどうかは不明である。 |
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耳の後ろにリンパ腺の手術をしたあと |
個票 |
01054 |
9 |
尹 桂珍、いん けいちん、女、3歳、AB型 |
父、母、姉 父は軍人 |
三江省依蘭県 |
三江省依蘭県県城の東側の日本人住宅に住んでいた。ソ連参戦後、避難する際、同県牡丹江岸辺で姉と一緒に養父尹明琢、養母陶淑清に保護された。後に姉は病死した。 |
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左腕に傷あと |
個票 |
01055 |
10 |
韓 桂香、かん けいこう、女、3歳、A型 |
父、母、兄又は姉数人 三江省依蘭県南(又は北)靠山屯開拓団 |
三江省依蘭県 |
終戦後、一家は開拓団から三江省依蘭県大連河沙河口に向かう途中で、家族とはぐれ、中国人張に保護された。この時、本人は日本の白い服を着て裸足で、坊主頭だった。その後、養母陳学岩に引き取られた。 |
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当時、全身にできものがあり、そのあとが腹や足に残っている。 |
個票 |
01056 |
9 |
王 桂芹、おう けいきん、女、7歳、B型 |
父、継母(実母は本人が2歳の時に死亡)、継母の連れ子4人、祖父三江省通河県の開拓団 |
三江省通河県 |
父は応召した。ソ連参戦後、祖父とともに避難した。22年10月、三江省通河県濃河で養父王才に引き取られた。継母は4人の子供を連れて避難した。 |
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右足に2ヵ所鎌で切った傷あと、頭に円形の傷あと |
個票 |
01058 |
10 |
周 桂蘭、しゅう けいらん、女、7歳、B型 |
父(日本で応召し、渡満しなかった)、母、姉(9歳)、妹2人三江省方正県の開拓団らしい。 |
三江省方正県 |
ソ連参戦後、母と子供4人は三江省方正県東部の開拓団本部に避難した。同所で母と下の妹が死亡した。その後、本人は日本人女性(28歳位)によって、養父周万昌に預けられた。当時本人は和服を着ていた。 |
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鼻の左側下部に小さないぼがあったが、今はない。 |
個票 |
01059 |
13 |
劉 桂芹、りゅう けいきん、女、6歳、O型 |
父、母、姉(ナイコ又はナエコ、8歳)、弟 開拓団かもしれない |
三江省方正県 |
17年に渡満したが、父は応召し、ソ連参戦後、母、姉、弟とともに、三江省方正県徳墨利で、養父劉順に保護された。その後、養父とともに、方正県大羅勒密に移動したが、間もなく、母と弟が、相次いで死亡した。姉は17歳で死亡した。 |
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避難途中で凍傷にかかり、左足首を切断した。左手首外側にほくろ |
個票 |
01060 |
15 |
馮 淑琴、ひょう しゅくきん、女、5歳、A型 |
坂本足登梅(ツートンメイ)父(坂本増一)、母(山石恵江)、妹、弟2人開拓団 |
三江省方正県 |
終戦後、一家で船で避難するために、三江省方正県の南天門船乗場まで荷馬車で行く途中、本人は荷馬車から落ちて家族と離別した。その後、1人でいるところを、養父の兄馮海林に保護された。その後、養父馮海春に引き取られた。 |
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個票 |
01061 |
9 |
劉 金華、りゅう きんか、女、2歳、AB型 |
父、母、姉2人 父は軍人らしい |
三江省方正県 |
終戦後、本人は、三江省方正県城東方面から日本人の男性2人と女性2人とともに避難し、同県で養父劉登喜に預けられた。 |
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個票 |
01062 |
12 |
宋 亜傑、そう あけつ、女、2歳、A型 |
父、母 |
三江省方正県 |
20年10月、三江省方正県城東紅部難民収容所で、靴の修理の仕事をしていた養父宋維先に引き取られた。 |
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個票 |
01063 |
10 |
尉 世忠、い せいちゅう、男、2歳、B型 |
父(半崎正一)、母、兄、姉(4人)開拓団 |
三江省依蘭県 |
ソ連参戦後、一家は避難の途中、三江省依蘭県太平鎮で暴民に襲われ離散したが、本人は母の死体のそばにいたところを養父に保護された。 |
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個票 |
01064 |
62-2 |
李 文君、り ぶんくん、男、3歳、B型 |
父、母、兄2人、姉開拓団らしい |
三江省佳木斯市 |
20年9月ごろ、三江省佳木斯市暁雲街鉄路地区の給水塔付近で養父母に預けられた。 |
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腰の後ろに桜の葉の形のあざ |
個票 |
01065 |
62-1 |
劉 毓、りゅう いく、男、3歳、A型 |
父、母 父は開拓団 |
三江省依蘭県 |
父は応召、ソ連参戦後、開拓団の人と共に三江省依蘭県の康原学校に避難したが、同校がソ連軍の爆撃を受け母が死亡。本人は校門の所で養父の母に保護され、養父劉殿魁に引き取られた。 |
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背中に3つのほくろ、左脇腹と尻にいぼ |
個票 |
01066 |
63-2 |
石 成玉、せきせいぎょく、男、1歳、A型 |
川島玉郎又は川山玉郎 |
三江省依蘭県 |
20年夏、三江省依蘭県西小橋の輪タクの駅付近で養母に保護された。その時、女性用の和服に包まれた紙片があり、それには氏名と生年月日(1994年9月30日)が書いてあった。 |
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右手小指の第一関節が曲っている。右肩うしろに小豆大のほくろ |
個票 |
01067 |
平元 |
徐 子良、じょ しりょう、男、4歳、A型 |
母、姉(7〜8歳)開拓団 |
三江省方正県 |
20年11月、三江省方正県伊漢通開拓団本部で母が田玉民に預けた。その時、黄色の毛布にくるまれていた。その後、養父徐迎洲に引き取られた。 |
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左あごにリンパ腺の手術のあと |
個票 |
01068 |
62-1 |
庄 洪玲、しょう こうれい、女、6歳、A型 |
父、母、妹、弟開拓団 |
三江省湯原県 |
ソ連参戦後、父は先に出発し、数日後母は子供達を連れて避難したが、途中、三江省湯原県臨江村西の格節河で本人と妹は川幅が広く渡り切れずにいたところを、養父庄に保護された。 |
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左腕に赤いあざ |
個票 |
01069 |
63-1 |
劉 桂芝、りゅう けいし、女、5歳、B型 |
板子房開拓団 |
三江省鶴立県 |
20年8月、開拓団から避難する途中、三江省鶴立県蓮江口と佳木斯市の間の橋の付近で、養父に保護された。 |
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個票 |
01070 |
62-1 |
宋 淑芳、そう しゅくほう、女、4歳、O型 |
父、母、姉3人 |
三江省依蘭県 |
21年3月、母が三江省依蘭県のある寺で、養父羅興臣に預けた。その後、母は3人の姉を連れて、万という中国人のところに身を寄せた。 |
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眉間の上にほくろ、右手人差し指に傷あと |
個票 |
01071 |
63-1 |
呉 桂琴、ご けいきん、女、3歳、A型 |
母以外不明方正県の開拓団 |
三江省方正県 |
20年8月、三江省方正県の開拓団の本部で、母が第一養父叢に預けた。 |
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個票 |
01072 |
平元 |
劉 淑芬、りゅう しゅくふん、女、5歳、O型 |
父、母、姉(12歳)開拓団 |
三江省方正県 |
20年12月、三江省方正県東門外の難民収容所で姉と一緒に養父劉殿生に引き取られた。その後、姉は徐に引き取られたが病死した。 |
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左目尻にほくろ |
個票 |
01073 |
平元 |
張 維恕、ちょう いじょ、女、3歳、O型 |
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三江省依蘭県 |
20年9月、三江省依蘭県江西馬大屯の農家に預けられた後、養母葛鳳蘭に引き取られた。その時、花模様の和服を着て下駄を履き、日本の商標のついたビスケットの缶を持っていた。 |
日本の商標のついたビスケットの缶の写真(資料) |
右膝の上に爪大の傷あと |
個票 |
01074 |
平3 |
鞠 秀珍、きく しゅうちん、女、5〜6歳、O型 |
銭田秀子 |
三江省方正県 |
21年2月、三江省方正県東門外で馬車引きの養父鞠鳳山に保護された。その時、黒地に赤い縞の上着と黄色いラシャ地のズボンを身に着け、錦靴を履いていた。 |
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背中に1cm大の楕円形のへこみが3つ |
個票 |
01075 |
平3 |
王 穎傑、おう えいけつ、女、1歳、B型 |
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三江省佳木斯市 |
20年9月頃、三江省佳木斯市天興油坊付近で養母張俊華に保護された。その時、白いコートを着て、ベルトをしていた。 |
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個票 |
01076 |
平3 |
単 美娜、たん びな、女、6歳、B型 |
横田幸子 父、母、兄父は「横田指導官」と呼ばれ、軍人かもしれない。 |
三江省富錦県 |
終戦後、三江省富錦県で隣人の中国人王を介して、富錦県永徳堂長屋に住む養父単林晋に引き取られた。 |
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上腹部に3つの赤い小さなあざ、右手のひらにきず |
個票 |
01077 |
平3訪中 |
張 淑琴、ちょう しゅくきん、女、5歳、O型 |
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三江省樺南県 |
昭和20年8月、三江省樺南県王家屯の役所に保護され、養父張秀栄に引き取られた。その時、赤と白の二色の縞のセーターを着ており、色あせた灰色のズボンをはいていた。 |
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鼻の左側下に2つの傷跡 |
個票 |
01078 |
平5 |
史 玉蘭、し ぎょくらん、女、4歳、B型 |
「櫻枝」又は「枝子」(名前の発音を養父から「インズ」と聞いた。)父(深谷昇治)、母、弟 父は三江省依蘭県達連河炭坑で労務係の主任 |
三江省依蘭県 |
終戦後、父は同じ炭坑でダイナマイト係をしていた養父史成祥に預けられた。当時、赤いシャツを着、木の葉模様のスカートをはいていた。 |
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個票 |
01079 |
平6 |
韓 徳生、かん とくせい、男、5〜6ヵ月、O型 |
父、母、姉 |
三江省依蘭県 |
終戦後、三江省依蘭県土竜山郷の裏の山の道端で、死亡していた母に抱かれているところを養父の父韓万宝に保護された。その時、道端で多くの日本人が死んでおり、傍らで泣いていた姉は、その後、趙という中国人に預けられた後、石という中国人に引き取られ、2年後死亡した。 |
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尾?骨のところに小豆大のほくろ |
個票 |
01080 |
平6 |
張 秀琴、ちょう しゅうきん、女、6歳、A型 |
父、母、兄、弟 |
三江省方正県 |
終戦後、母、兄、弟と4人で避難した。途中、爆撃に遭い母が死亡したため、義理の伯母と共に三江省方正県徳莫利まで避難し、養父母張丙文夫婦に引き取られた。その時、兄、弟もそれぞれ別々の中国人に引き取られた。伯母は行方不明。 |
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個票 |
01081 |
平6 |
藺 桂芝、い けいし、女、7歳、A型 |
父、母以外不明 |
三江省方正県 |
20年秋、三江省方正県で、突然、父母がいなくなり中国人金文閣を介して養父母藺鳳山夫婦に引き取られた。当時、髪はきちっと切ってあり、花模様のワンピース、下駄をはいていた。服には「坂本」の名が刺繍してあった。 |
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個票 |
01082 |
平6 |
劉 淑蘭、りゅう しゅくらん、女、3歳、A型 |
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三江省方正県 |
20年秋頃、三江省方正県の東側にあった開拓団の本部で養母の妹を介して養母王秀蘭に引き取られた。その時、縞模様のマントのような上衣、赤白が交互になっている模様のズボン、緑と薄緑の円が交じり合った布団に包まれていた。 |
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個票 |
01083 |
平6 |
姜 鳳蘭、きょう ほうらん、女、5歳、O型 |
父、母(紺色の服を着ていた記憶がある)、姉、兄 |
三江省樺川県 |
終戦後、三江省樺南県王家屯で、母が養母呉双蘭に預けた。その時、黒いカバンと装飾品を置いていった。 |
黒いカバンの写真(資料) |
左目頭にほくろ |
個票 |
02002 |
11 |
于 良仁、う りょうじん、男、2歳、B型 |
父、母。兄および姉がいたらしい。 |
東安省東安市 |
東安省密山県に住んでいた。ソ連参戦後、列車で避難する途中、東安駅で列車が爆破され母が死亡したため、本人は養父の友人于春栄に保護された。その後、養父于守喜に引き取られた。 |
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下腹部にほくろ。 |
個票 |
02003 |
8 |
周 殿全、しゅう でんぜん、男、6歳、O型 |
父、母、妹 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、東安省勃利県小五站から勃利鎮に至る途中の偏瞼村付近の山中で、妹を抱いた母とはぐれた。そこで中国の軍隊に保護され、20年秋ごろ、偏瞼村で養父周才に引き取られた。 |
住んでいた家の前に沢山のトラックがあった。ある日、お客と食事をしていた時、父は涙を流していた。その後、父は家を出たまま会っていない。 |
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個票 |
02004 |
10 |
王 奎真、おう けいしん、男、4歳、O型 |
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東安省勃利県 |
ソ連参戦後、東安省勃利県?金?村で銃撃を受けた。本人は右手に負傷したところを、中国人桐に保護された後、洪に引き取られた。その後、養父王永順に引き取られた。 |
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右手に?金?村で受けた銃創のあと |
個票 |
02005 |
9 |
劉 貴、りゅう き、男、4歳、O型 |
母、兄、弟 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、母子4人は大きい空家に避難していた。その後、母、弟と離れ離れになり、兄とともに東安省勃利県馬場に着き、本人は養父劉鳳山に引き取られ、兄も周家に引き取られた。母は赤いネッカチーフか、ほうかぶりをしていた。 |
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個票 |
02006 |
10 |
趙 長海、ちょう ちょうかい、男、4歳、A型 |
母、兄2人東安省宝清県の開拓団 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、東安省勃利県倭肯収容所に入所した。20年11月、同収容所で母が養父趙林に預けた。その時、母は重い病気にかかっていたらしい。 |
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個票 |
02007 |
15 |
曹 玉昇、そう ぎょくしょう、男、3歳、O型 |
東安省勃利県大東開拓団 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、勃利県七台河街東大橋付近で、?発科に保護された。その後、大東開拓団で煉瓦焼をしていた養父曹忠順に引き取られた。 |
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個票 |
02008 |
3 |
才 宝森、さい ほうしん、男、1歳、AB型 |
父、母東安省虎林県の開拓団らしい。 |
東安省密山県 |
ソ連参戦後、東安省虎林県から列車で避難する途中、同省密山県東安駅で停車中の列車が爆破され、養父才連清に保護された。 |
|
右足ふくらはぎに約1センチの深さの傷あと、左肩に3か所細長い傷あと、左首筋に約7ミリのほくろ |
個票 |
02009 |
15 |
張 愛廷、ちょう あいてい、男、1歳、B型 |
|
東安省密山県 |
ソ連参戦後、東安省密山県密山鎮で養父張永吉、養母侯玉梅に引き取られた。 |
|
右臀部に約2センチの傷あと、背中に大豆大のほくろが2〜3個、若白髪(19歳の頃から) |
個票 |
02010 |
10 |
鄒 本?(金が三つ)、すう ほんしん、男、6歳、B型 |
父、母、姉(足が不自由だったと思う)、弟 父は軍人で、飛行場に勤めていたらしい。 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、避難の際東安省鶏寧県鶏西駅で家族と別れて、使用人の葛以山と二人で奉天省東安市に行った。そこで母を捜したが会えなかったので、葛以山によって養父鄒立昌に預けられた。母と別れた時、黄色のオーバーを着ていた。 |
鶏西の飛行場に住み、姉と一緒に毎日飛行場に遊びに行った。 |
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個票 |
02011 |
10 |
王 忠民、おう ちゅうみん、男、4歳、O型 |
父、母、姉開拓団らしい。 |
東安省鶏寧県 |
父は応召した。ソ連参戦後、東安省鶏寧県鶏寧街でソ連軍の攻撃を受け母は死亡した。まわりには、姉を含めて6〜7人の子供が生き残っていた。姉や何人かの子供と一緒に水を捜しに行ったのを憶えている。その後、本人は鶏寧街滴道区で中国人の老人に助けられたが、姉とはぐれた。 |
|
左手親指の爪が剥がれ、傷になっている。 |
個票 |
02012 |
11 |
宋 徳福、そう とくふく、男、4歳、A型 |
|
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省林口県青山から鶏寧県大通溝へ避難の途中、置き去りにされた。その後、1人で大通溝まで歩き、養父宋景発に保護された。その時、黄色いシャツを着ていた。 |
避難前の家には、2頭の馬がいた。 |
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個票 |
02013 |
11 |
隋 文福、ずい ぶんふく、男、4歳、B型 |
|
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県穆陵の川辺で、養母の妹の知人の馬に保護された。その後、養父隋竹徳、養母王桂清に引き取られた。保護された時、白の半袖シャツを着て、紺色の半ズボンをはき、ゴムベルトの付いた靴を履いていた。その時、本人より1〜2歳年上の女の子がいたが、姉かもしれない。 |
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個票 |
02014 |
13 |
張 春徳、ちょう しゅんとく、男、4歳、B型 |
母以外不明 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県鶏寧街から50人余りの集団で避難し、同県滴道街まで来たところで、集団自決で母が死亡したため、養父張日昌に引き取られた。 |
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胸に集団自決の際受けた銃剣による傷あと |
個票 |
02015 |
13 |
王 傑、おう けつ、男、1歳、O型 |
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東安省鶏寧県 |
20年9月、東安省密山県から避難する途中、同省鶏寧県東海駅付近でソ連機の爆撃を受け家族と離別し、中国人女性に保護され、翌日、養父王富才に引き取られた。当時、紺色の服を着ていた。 |
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右眉の下にほくろ |
個票 |
02016 |
11 |
張 其福、ちょう きふく、男、2ヵ月、B型 |
|
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県滴道付近のコウリャン畑で、たくさんの死体の中から中国人魏に助け出された後、養父張挙仟、養母高雲英に引き取られた。 |
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右胸部にほくろ、右腕に傷あと |
個票 |
02017 |
1 |
黄 金濤、こう きんとう、男、20年8月生、A型 |
川野三郎父(川野秀夫)、母(○江)、姉(伝子)、長兄(一雄)、次兄(寧次郎) |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、避難する途中、東安省鶏寧県黄泥河子で本人が出生した。その後、母はソ連軍の攻撃を受けて死亡し、父は自殺した。そのため、子供たちは中国人康に保護された後に、別々の中国人に引き取られた。姉と兄2人は28年に帰国した。 |
|
腰にソ連軍の攻撃を受けた時の傷あと |
個票 |
02018 |
10 |
姜 起書、きょう きしょ、男、6歳、B型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県青山西側の橋の上に2つの籠を背負った馬がいた。その籠の中の1つに本人が入れられていたところを、養父姜永慶が保護した。 |
|
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個票 |
02019 |
11 |
陳 宝清、ちん ほうせい、男、6歳、B型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、トラックで避難する途中、東安省林口県朱家郷三合村で、ソ連軍の攻撃を受け、同村に住む李景福に保護された後、養父陳徳貴に引き取られた。当時、黄色の服を着ていて、ポケットの中に小さいノートが入っていた。 |
|
胸に3つのほくろ |
個票 |
02020 |
13 |
李 庚元、り こうげん、男、5歳、O型 |
母以外不明 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母と避難する途中、東安省林口県湖水別でソ連軍の爆撃にあい、中国人王明志に保護され、その後養父母に引き取られた。 |
|
避難途中で左股関節を脱臼した。 |
個票 |
02021 |
11 |
王 文志、おう ぶんし、男、5歳、B型 |
父、母、妹東安省密山県黒台開拓団 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、一家は東安省勃利県まで避難したが、まもなく母、妹と別れてしまった。父と2人で同省林口県古城鎮駅に着いたが、父が死亡したため、養父王貴林に引き取られた。 |
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鼻すじの真中に小さなほくろ |
個票 |
02022 |
15 |
劉 占範、りゅう せんはん、男、5歳、A型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県建堂郷小盤道村で張永富を介して、養父劉万柱、養母高樹森に引き取られた。 |
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左足親指の爪が破損、首の左側に傷あと |
個票 |
02023 |
15 |
・ 世忠、せん せいちゅう、男、4歳、B型 |
母、兄、妹 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母子4人で避難したが、東安省林口県亜河と古城鎮の間の烏斯渾村で、母と兄はソ連軍の襲撃により死亡した。その後、本人と妹は別々の中国人に保護された。 |
|
右腕上部に傷あと |
個票 |
02024 |
11 |
付 東生、ふ とうせい、男、4歳、A型 |
父、母、弟 父は軍人 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母、弟とともに東安省林口県竜爪郷永慶屯まで避難した。同地で母と弟が死亡したため、中国人に保護された。当時、紺色のラシャの上着と同色の帽子をかぶっていた。 |
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|
個票 |
02025 |
13 |
邵 洪貴、しょう こうき、男、4歳、B型 |
父、母、弟又は妹2人 父は運転手らしい |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、牡丹江省方面へ避難する途中、東安省林口県竜爪郷高雲村で、母が庄紀純に預けた。数日後、庄紀純の義兄弟にあたる養父邵鳳延に引き取られた。 |
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個票 |
02026 |
13 |
劉 玉福、りゅう ぎょくふく、男、3歳、B型 |
父、母 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県亜河駅の西方約4キロのところにある砂採取場で両親と離別し、中国人に保護された。その時、他に4人の子供がいた。その後、養父劉振岳に引き取られた。 |
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|
個票 |
02027 |
10 |
趙 洪福、ちょう こうふく、男、3歳、O型 |
母以外不明 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県青山駅の木材置場で、死亡した母のそばにいたところを、中国人周に保護された。その後、養父趙瑞慶に引き取られた。 |
|
|
個票 |
02028 |
12 |
張 傳東、ちょう でんとう、男、3歳、O型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、北のほうから避難して、東安省林口県湖北屯の近くの野原に来た。そこから養家の娘に連れられて養父張守堂、養母張氏の家に引き取られた。 |
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背中右に小豆大のいぼ、左胸下に赤い斑点、鼻に小さいほくろ |
個票 |
02029 |
11 |
艾 厚忠、がい こうちゅう、男、3歳、O型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県亜河東の鉄橋付近で、養父艾立徳に保護された。 |
|
背中右側に小豆大の突起物 |
個票 |
02030 |
13 |
劉 昇祥、りゅう しょうしょう、男、3歳、O型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省勃利県から牡丹江省方面に避難する途中、東安省林口県湖水別付近で匪賊の襲撃を受け、家族と離散し、中国人に保護された。その後、養父劉好善に引き取られた。保護された時、セーターと毛のズボンをはいていた。 |
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耳が大きい。 |
個票 |
02031 |
3 |
金 利、きん り、男、3歳、O型 |
田中正 父、母 三江省樺南県の開拓団 |
東安省林口県 |
父は応召した。ソ連参戦後、開拓団員とともに避難する途中、東安省林口県刀?(れい)公社の路上で母は暴民に襲われ、死亡した。その後、通りかかった養父趙井彬に保護された。 |
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左耳下に縦約2センチ、横約6センチ大のあざがあり、その中に10円玉2個が連なったような大きさの黒いあざがある。 |
個票 |
02032 |
8 |
陳 国喜、ちん こくき、男、3歳、A型 |
父、母、叔父、叔母 |
東安省林口県 |
父と叔父は応召した。母のことはわからない。ソ連参戦後、本人は、叔母、婦人2人、5〜6人の子供とともに避難した。20年8月末、東安省林口県建堂郷通溝屯で養父陳宝全に預けられた。 |
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腰に大豆大のほくろ、左すねに縦約10センチ横約5センチの火傷らしい傷あと |
個票 |
02033 |
13 |
賈 少英、か しょうえい、男、2歳、B型 |
父、母 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県亜河郷青山駅で中国人に保護され、その後、養父賈世珠に引き取られた。その時、下痢をしていた。 |
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胸に3つのほくろ |
個票 |
02034 |
11 |
楊 文学、よう ぶんがく、男、2歳、B型 |
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東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県亜河駅で養父楊秀徳、養母趙風琴に引き取られた。 |
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背中の左にほくろ、右脇腹に赤い斑点が3つ |
個票 |
02035 |
13 |
劉 崇雲、りゅう そううん、男、1歳、B型 |
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東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県麻山駅の草むらの中で、養父劉建政に保護された。 |
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個票 |
02036 |
11 |
賈 広義、か こうぎ、男、20年8月生、B型 |
父、母、兄、姉 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、三江省依蘭県方面から避難の途中、東安省林口県刀?様子溝村で本人が出生した。その後、父が姜振明に預けた。その後、養父賈永祥に引き取られた。 |
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個票 |
02037 |
11 |
張 春芳、ちょう しゅんほう、女、6歳、O型 |
父、母、弟 |
東安省東安市 |
ソ連参戦後、母、弟とともに東安省虎林駅から列車で避難する途中、東安駅で列車が爆破され母が死亡したため、本人と弟は養母張王氏に保護された。 |
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右耳の後ろと右の腋と左大腿部内側に傷あと |
個票 |
02038 |
7 |
初 雲霞、しょ うんか、女、3歳、A型 |
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東安省宝清県 |
終戦後、東安省宝清県東門で、警察官の許展生(後に許任庭と改名)に保護された。その後、毛皮会社を経営していた養父初善庭に引き取られた。当時本人は、花柄の着物と毛糸のチョッキを着て、げたをはいていた。 |
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個票 |
02039 |
9 |
徐 素卿(徐 素清)、じょ そきょう、女、3歳、AB型 |
開拓団らしい |
東安省宝清県 |
ソ連参戦後、多数の日本人とともに、馬車で東安省宝清県宝清街東門まで避難したとき襲撃を受け、同県東門外炮楼付近のくぼみで杜宝文に保護された。その時、桃色の毛糸の上着を着ていた。 |
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胸に襲撃の際受けた傷あと、でべそ |
個票 |
02040 |
8 |
郭 永琴、かく えいきん、女、2歳、B型 |
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東安省宝清県 |
ソ連参戦後、東安省宝清県宝清街北門里路西大車店西こう上で養母王桂芳に保護された。その時、腰を負傷していた。 |
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右腋の下に三日月型の傷あと |
個票 |
02041 |
11 |
王 桂英、おう けいえい、女、6歳、O型 |
父、母、姉 父は水田を管理する責任者 |
東安省勃利県 |
東安省宝清県に住んでいた。ソ連参戦後、宝清県で姉が死亡し、母は本人を連れて東安省勃利県?金?まで避難した。その後、母が死亡したため、養父王仁に引き取られた。 |
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額に3つのほくろ |
個票 |
02042 |
15 |
呉 桂芹(呉 桂琴)、ご けいきん、女、6歳、B型 |
父、母、妹、弟 |
東安省勃利県 |
東安省虎林県に居住していたらしい。ソ連参戦後、一家は、男の子を連れた近所の日本人婦人小林とともに馬車で避難した。途中、母は爆撃を受け死亡、本人も負傷した。その後、本人は小林とともに同省勃利県長興村に避難し、養父呉景春に預けられた。小林も同地で劉家に身を寄せた。 |
家は土塀で囲まれ、馬と豚がいた。 |
左目尻に傷あと、左頬にあざ |
個票 |
02043 |
8 |
黄 桂珍、こう けいちん、女、5歳、A型 |
父、母、弟(終戦前に死亡) |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、母と東安省勃利県の開拓団に避難したが、ソ連軍の攻撃に遭い、母は肩を負傷したが、本人を背負って窓から逃げた。母は負傷のため身体が弱り草の上に座っていたところ、中国人刀徳山が通りかかり、母が本人を預けた。その後、養父黄風彬に引き取られた。 |
|
右足の甲に傷あと、左手人差し指が一部切断、左手中指が奇形、左手首裏に傷あと |
個票 |
02044 |
5 |
殷 淑清、いん しゅくせい、女、4歳、A型 |
父、母、妹 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、東安省密山県あるいは宝清県方面から七台河道路を馬車で避難する途中、同省勃利県七台河の手前の、ある木の橋の近くで肉親とはぐれ、同所で養父に保護された。その時、花模様の布に包まれた木札を持っていた。木札には身元が記されていた。 |
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個票 |
02045 |
6 |
鄒 麗栄、すう れいえい、女、2歳、A型 |
父以外不明父は軍人らしい |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、東安省勃利県から小五站部落へ行く途中のコーリャン畑で、日本兵により中国人単国福に預けられた。その時、黄色の毛布に包まれ、黄色地に模様のついたマントをかぶされていた。 |
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左腋下に蝶の形のあざ |
個票 |
02046 |
14 |
紀 淑賢、き しゅくけん、女、2歳、B型 |
母 |
東安省勃利県 |
ソ連参戦後、母と本人は、東安省勃利県中家屯で、李明春の家に身を寄せたが、母は、2〜3年後に死亡した。その後、本人は、養父紀仁傳に引き取られた。 |
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左眉にほくろが2つ |
個票 |
02047 |
14 |
韓 桂芝、かん けいし、女、5歳、O型 |
父、母、兄 |
東安省密山県 |
ソ連参戦後、東安省密山県白泡子で、養父韓子雲に引き取られた。 |
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個票 |
02048 |
13 |
張 淑琴、ちょう しゅくきん、女、3歳、O型 |
父以外不明父は料理屋を経営していたらしい |
東安省密山県 |
東安省密山県平安街に住み、父の馬車の御者をしていた養父張会明に引き取られた。 |
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頭部右側に傷あと |
個票 |
02049 |
13 |
金 秀英、きん しゅうえい、女、7歳、A型 |
父、母、兄2人、姉、弟、妹 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、避難中の列車が爆破され、東安省鶏寧県蘭嶺屯の線路脇を歩いていたところを日本人女性に保護され、その後養父金兆奎に引き取られた。 |
青いかわら屋根の家に住んでいた。父は乗馬ズボンをはいていた。 |
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個票 |
02050 |
10 |
曹 桂英、そう けいえい、女、6歳、B型 |
母、妹、弟、幼児 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、母は子供を連れ、東安省鶏寧県滴道鉱山相家溝に避難した。ここで母と幼児は銃殺されたため、中国人に保護された。その後、養父曹克修に引き取られた。 |
家の前に小川が流れ、玄関を出たところに日の丸の旗が立っていた。 |
右腕に小さい薄いしみ |
個票 |
02051 |
15 |
劉 桂芝、りゅう けいし、女、6歳、O型 |
父、母、兄、弟 |
東安省鶏寧県 |
父は応召した。ソ連参戦後、避難する途中にソ連軍の攻撃を受け、母と弟が死亡し、兄は行方不明となった。本人は、東安省鶏寧県滴道南甸子で養父劉永富に保護された。 |
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個票 |
02052 |
3 |
呂 済玲、ろ さいれい、女、4歳、A型 |
母、弟又は妹 |
東安省鶏寧県 |
東安省鶏寧県哈達河開拓団付近に住んでいた。20年8月避難途中で母が死亡し、弟又は妹も一緒に死亡したらしい。鶏寧県鶏西の山中で前頭部に銃弾を受け、意識不明だったところを養父呂殿奎に保護された。 |
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右耳下に傷あと、前頭部に幅約1センチ、長さ約5センチの傷あと |
個票 |
02053 |
11 |
馬 貴栄、ば きえい、女、4歳、A型 |
父、母 |
東安省鶏寧県 |
終戦当時、母と本人は東安省奎寧県城子河にいたが、母が死亡したため、当時日本の警察に勤務していた李庚陽に保護され、その後養父馬天富に引き取られた。 |
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|
個票 |
02054 |
15 |
金 香玉、きん こうぎょく、女、4歳、B型 |
父、母 父は関東軍2633部隊に所属していた。 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、母とともに避難したが、途中母と離別した。東安省奎寧県老五甲釧路村で、養父金広生に保護された。養父は関東軍で馬車の御者をしていた。保護された時、本人が持っていた包の中には貨幣と腕輪が入っており、今でも持っている。 |
住んでいた家は、有刺鉄線で囲まれており、両開きの門があり、門番がいた。貨幣の写真(資料1)腕輪の写真(資料2) |
頭髪が縮れ毛 |
個票 |
02055 |
13 |
李 春秀、り しゅんしゅう、女、3歳、O型 |
父、母、兄 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、兄が、東安省鶏寧県鶏寧街で、養父李海波、養母関注郷に預けた。 |
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背中にほくろ |
個票 |
02056 |
9 |
王 麗華、おう れいか、女、2歳、B型 |
父、母東安省密山県の開拓団 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県滴道を経て、同県蘭嶺に避難した。ここで父が、養父李喜勤に預けた。この時、青色の布と黒のおぶいひもを渡した。母は、同省密山県で死亡したらしい。 |
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背中の右上に青いあざ |
個票 |
02057 |
14 |
張 金蘭、ちょう きんらん、女、2歳、B型 |
|
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県東麻山西大波の畑の中で、李海清に保護され、その後、養父張福山に引き取られた。 |
|
右腕、首、頭部に傷あと |
個票 |
02058 |
11 |
張 金霞、ちょう きんか、女、1歳、O型 |
|
東安省鶏寧県 |
20年8月中旬、20名位の日本人婦人らとともに、東安省鶏寧県滴道から林口県虎山方面へ避難する途中、同県勃利溝付近で置き去りにされ、同地で養父張東閣に保護された。 |
|
|
個票 |
02059 |
11 |
張 玉霞、ちょう ぎょくか、女、4ヵ月、AB型 |
|
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、東安省鶏寧県滴道炭鉱の北、火焼屯の粟畑で、養父張東閣に引き取られた。この時、出血多量で意識不明になった10歳位の男の子に抱かれていた。この男の子は兄かもしれない。 |
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背中の左右に大小3つのほくろ、首筋にほくろ |
個票 |
02060 |
11 |
蘆 桂芳、ろ けいほう、女、8歳、A型 |
タケイミヤコ父、母、兄2人、姉、弟、妹 |
東安省林口県 |
本人が1〜2年生の時、渡満した。終戦後、父は家族が避難する前日に出発した。残りの家族のほか、近所に住んでいた叔父2人(1人は足が悪く杖をついていた)、叔母、祖母の11人で、東安省林口県大盤道に着き、同所で母、姉、弟が銃で撃たれて死亡した。その後、林口県後刀?に避難して、祖母が本人を中国人に預けた。その時、祖母は緑色のオーバーを残していった。 |
|
左のももの付け根に銃で撃たれたあと、右腕に火傷のあと |
個票 |
02061 |
6 |
韋 淑琴(韋 淑芹)、い しゅくきん、女、5歳、B型 |
父、母、妹 父は軍人 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母、妹とともに東安省林口県亜河新民屯に避難した。そこで母が本人を養母張桂芝に預けた。その時、母は本人の髪の毛と爪を切って持ち帰った。避難する途中で乗っていた貨車が火災になり、母が妹を抱き、本人を背負って逃げたのを覚えている。 |
|
右眉の上と左目の脇にほくろ |
個票 |
02062 |
7 |
王 桂琴、おう けいきん、女、5歳、A型 |
母、姉(16〜17歳) |
東安省林口県 |
林口と佳木斯の間の鉄道沿線に住んでいたらしい。ソ連参戦後、母とともに汽車で東安省林口県まで避難したが、その途中、母とはぐれてしまい、同県古城鎮で劉停良に保護され、その後、養父王殿英に引き取られた。当時、カーキ色のウールの服と薄いピンクの花柄の服を着ていた。 |
|
幼少時から極度の近視、左まぶたに小さな黒いあざ、腰に豆粒大のいぼ |
個票 |
02063 |
8 |
劉 志英、りゅう しえい、女、4歳、B型 |
父、母、兄3人、姉 父は軍人 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母は馬車で避難する途中、東安省林口県麻山から西麻山の間で銃殺された。その後、本人は兄に連れられ避難したが、鉄橋を越えたところで兄と別れたため、ある女の子とともに中国人劉興有に保護された。その後養母劉張氏に引き取られた。 |
本人の記憶による避難経路図(資料) |
頭と額の右の生えぎわに硬貨大の脱毛 |
個票 |
02064 |
10 |
安 淑英、あん しゅくえい、女、4歳、A型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県亜河東北の老猪山に向かう道で家族とはぐれていたところを、養母鄂風珍に保護された。その時、坊主頭に白い帽子をかぶり、桃色の地に浅黄色の花模様の和服の上に、白地に赤い花模様のワンピースを着ていて、裸足であった。幼少時に脱肛で、何回か養母の手当てを受けたことを憶えている。 |
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右臀部に十円玉大のあざ |
個票 |
02065 |
12 |
劉 桂珍、りゅう けいちん、女、3歳、B型 |
|
東安省林口県 |
20年8月末、東安省林口県五道河子屯西河の川辺で、寧に保護され、養父劉会に引き取られた。 |
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右手のひらに1本の横筋 |
個票 |
02066 |
12 |
常 桂英、じょう けいえい、女、3歳、B型 |
|
東安省林口県 |
20年8月、東安省林口県安民村付近の樺樹坡で、馬に乗った日本軍人から、松茸狩りに来ていた老人に預けられた。その後、老人から張を介して養父常永林に引き取られた。当時、本人は金色のワンピースのような着物を着ていた。 |
|
唇に手術のあと |
個票 |
02067 |
13 |
宋 桂花、そう けいか、女、3歳、O型 |
|
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県龍爪郷高雲屯付近で、中国人に保護され、その後、養父宗伝玲に引き取られた。保護された時、黒い前ボタン式の肌着の上に、白地に水玉模様のワンピースと赤紫色のセーターを着ていた。 |
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個票 |
02068 |
8 |
王 淑清、おう しゅくせい、女、1歳、B型 |
父、母、兄2人(8〜9才、4〜5才) |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、母は兄2人と本人を連れて避難したが、東安省林口県烏斯渾屯付近で、母と長兄が死亡したため、賀という人に引き取られ、その後すぐに、本人は養母陳鳳雲に、次兄は・世忠にそれぞれ預けられた。 |
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|
個票 |
02069 |
8 |
王 秀蓮、おう しゅうれん、女、1歳、A型 |
父、母 |
東安省林口県 |
ソ連参戦後、東安省林口県林口駅に避難した際、同所で爆撃を受けて母が死亡した。20年8月、本人は林口県鉄道駅北側十字路付近で、養父王占升に保護された。当時、白地に黒い水玉の服を着ていた。 |
|
|
個票 |
02070 |
11 |
衣 淑琴、い しゅくきん、女、1歳、O型 |
母 |
東安省林口県 |
21年秋、母が、東安省林口県青山村と亜河慶村の間の高利屯村の鉄道の近くに住む朝鮮人に預けた。その後、養父衣成有に引き取られた。 |
|
右耳たぶ上部に米粒大のくぼみ |
個票 |
02071 |
7 |
劉 桂琴、りゅう けいきん、女、4歳、B型 |
父、母東安省虎林県付近の開拓団にいたらしい。父は軍人かもしれない。 |
東安省虎林県 |
ソ連参戦後、母とともに何度も防空郷に避難しているうちにはぐれてしまい、養父劉海亭に保護された。その時、羊の毛の襟が付いた花模様のマントを着て、げたをはき、ビスケットの入った袋を持っていた。 |
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背中左側、左乳房下および下腹部にほくろ |
個票 |
02072 |
63-2 |
方 玉君、ほう ぎょくくん、男、4歳、A型 |
|
東安省勃利県 |
20年9月、東安省勃利県七台河の東大橋付近で中国人金を介して養父方万林に引き取られた。 |
一家は東安省勃利県七台河?金?民団に居住。 |
右手首に傷あと、両耳にできもののあと |
個票 |
02073 |
63-2 |
張 世成、ちょう せいせい、男、3歳、B型 |
父、母、妹がいたらしい |
東安省鐃河県 |
20年8月、両親と共に避難する途中、東安省鐃河県大歳村の南側の白華橋付近ではぐれ、養父張克発養母張馬氏に保護された。 |
|
|
個票 |
02074 |
63-2 |
趙 文廷、ちょう ぶんてい、男、2歳、A型 |
東安省鐃河県の開拓団らしい |
東安省宝清県 |
20年8月、多くの開拓団員と共に避難する途中、東安省宝清県東城門の外で現地の武装隊に襲撃されて、多くの団員が死亡した。その時、残った婦女子は同県北城門内の大車店(馬車宿)に収容された。そこから養父趙新清に引き取られた。 |
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個票 |
02075 |
63-1 |
韓 忠臣、かん ちゅうしん、男、1歳、O型 |
|
東安省林口県 |
終戦後、多勢の日本人が東安省林口県古城鎮から避難する途中、同地の山の中ではぐれてしまい、中国人に保護された。その後、養母に引き取られた。 |
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左目尻にほくろ、両耳後ろにくぼみ |
個票 |
02076 |
63-2 |
段 ?、だん き、女、3歳、O型 |
|
東安省東安市 |
20年8月、東安市の同合自動車製造廠の日本人の食料配給係が、同廠の食堂で養父段振恵、養母高淑清に預けた。 |
同合自動車製造廠には、吉田、小松、沢田、中川、中村という日本人が働いていた。 |
|
個票 |
02077 |
63-1 |
伊 素琴(伊 淑琴)、い そきん、女、5歳、AB型 |
父、母、弟 |
東安省宝清県 |
父は応召した。20年9月ごろ、母と弟と3人で馬車で避難した。東安省宝清県付近で本人と弟は母とはぐれてしまい、薬売りの男に保護された。その後、養母に引き取られた。弟については不明。 |
緑色地に黄色の筋が入った帯の写真(「京査0307」と印刷されている)(資料) |
上唇右側にほくろ、左手に銃撃による傷あと |
個票 |
02078 |
62-1 |
木 蘭、もく らん、女、5歳、B型 |
|
東安省密山県 |
東安駅から公園に向かう道路上で養父所鮑発に保護された。その時、袖口にゴムの入った灰色の服を着ていた。 |
|
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個票 |
02079 |
63-2 |
胡 桂栄、こ けいえい、女、4歳、A型 |
母以外不明 |
東安省鶏寧県 |
ソ連参戦後、馬車で避難する途中、東安省鶏寧県陰陽魚村で空襲に遭い、母とはぐれたところを養父に保護された。その時、赤、青、緑の小さな星模様があるワンピースを着ていた。 |
|
|
個票 |
02080 |
62-1 |
黄 秋波、こう しゅうは、女、4ヵ月、A型 |
父、母 |
東安省鶏寧県 |
一家は東安省鶏寧県黄泥河子に住んでいた。20年8月、両親が帰国するとき、通訳の王松嶺を介して黄世忠に預けた。その後、養父黄世英に引き取られた。 |
|
右足太ももに茶色の大豆大のあざ |
個票 |
02081 |
63-2 |
張 桂萍、ちょう けいへい、女、5歳、B型 |
父以外不明父は軍人 |
東安省林口県 |
20年9月頃、三江省佳木斯市から避難してきた軍人とその家族30〜40人が、東安省林口県五林郷姚亮子村で休息した際に、馬に乗った軍人が養母の兄劉振才に預けた。その後、養家に引き取られた。 |
|
首のうしろに小豆大のほくろ |
個票 |
02082 |
62-1 |
陳 秀華、ちん しゅうか、女、4歳、O型 |
父、母、弟 |
東安省林口県 |
20年8月、東安省林口県東関村から古城鎮方面へ避難する途中父母とはぐれ、養父陳学有に保護された。その時、弟も石という中国人に保護された。 |
|
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個票 |
02083 |
平元 |
王 桂琴、おう けいきん、女、3歳、AB型 |
父、母、兄(5〜6歳) |
東安省密山県 |
20年8月、母と共に汽車で避難する途中、東安省密山県で汽車が爆破されて母は死亡し、本人は頭部と左足を負傷した。その後、同県で中国人婦人に保護された。 |
|
|
個票 |
02084 |
平2 |
孔 春栄、こう しゅんえい、女、4歳、B型 |
|
東安省鶏寧県 |
20年8月ごろ、東安省林口県林口から同省鶏寧県鶏西へ向かう途中、軍人に保護され、鉄道関係者を介して養父李長雲に預けられた。 |
|
臀部に帯状の火傷のあと、左手人差し指と右足首に傷あと |
個票 |
02085 |
平元 |
鄭 淑蘭、てい しゅくらん、女、3ヵ月、O型 |
|
東安省密山県 |
20年8月、東安省密山県の駅で爆発があり、その時養父鄭春祥に保護された。 |
|
|
個票 |
02086 |
平3 |
張 誠民、ちょう せいみん、男、5歳、B型 |
父、母、姉(10歳)、兄(7歳)父は軍人かもしれない。母は農業に従事 |
東安省宝清県 |
20年8月、東安省宝清県で母が養父張景輝に預けた。その時、左足にできものがあり立てなかった。その後(21年3月頃)、姉と50歳くらいの日本人男性が会いに来たことがある。 |
|
|
個票 |
02087 |
平3 |
李 志忠、り しちゅう、男、5歳、B型 |
望月信吾 |
東安省勃利県 |
20年8月、東安省勃利県川西の難民収容所で養父李景和に引き取られた。 |
|
頭部にできもののあと、足の甲の内側に傷あと |
個票 |
02088 |
平3 |
李 春珍、り しゅんちん、女、1歳、O型 |
父、母 |
東安省鶏寧県 |
終戦後、生まれて間もなく東安省鶏寧県で父母が養父崔振林に預けた。その後、崔夫婦は私を李夫婦に預けた。第1養父母から第2養父母に預けられた時の証文の赤い布がある。 |
|
へその左側に小さいあざ |
個票 |
02089 |
平3 |
趙 麗君、ちょう れいくん、女、5歳、B型 |
父、母、兄がいたらしい |
東安省鶏寧県 |
終戦後、父母が死亡したため、東安省鶏寧県滴道炭鉱で養父趙顕臣、養母艾鳳珍に引き取られた。私は黒色のビロード地で裏側が赤色、赤い小さい犬の模様の服を着ていた。ボタンも同じ赤い犬の形をしていた。いつからそれを着ていたかはわからない。 |
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右足首内側にあざ |
個票 |
02090 |
平3 |
王 玉華、おう ぎょくか、女、8歳、B型 |
父、母、姉(12歳)、伯父夫婦、いとこの男(22歳)1人と女2人 |
東安省鶏寧県 |
父は12年東安省鶏寧県鶏西で戦死、母は16年鶏西の日本軍兵営で死亡。母の死亡後、姉とともに伯父に引き取られたが、終戦後、伯父が中国人呉に預けた。姉といとこは私が呉に預けられる時までいたが、その後の姉と伯父一家のことは知らない。 |
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右腹部に茶褐色のあざ |
個票 |
02091 |
平3 |
劉 雅琴、りゅう がきん、女、4歳、O型 |
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東安省密山県 |
20年9月頃の雨の日、1人の男の人が東安省密山東安街の養母の家の前に私を置いていった。養母は追いかけたが、背中しか見えなかった。その時、「ゲタ」をはき、日本の服を着て、帯を締めていた。服の裏側に「ミミコ」と刺しゅうがあった。 |
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鼻の下にほくろ |
個票 |
02092 |
平4 |
于 長生、う ちょうせい、男、1歳、O型 |
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東安省勃利県 |
20年8月、東安省勃利県西大営で養父の兄に保護された。その時、黄色の日本軍用のオーバーに包まれており、一足の長靴も一緒に残されていた。オーバーには金色のボタンが2列ついていた。長靴は黒色の軍用靴(拍車付)であった。 |
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左足の内側に1センチ位の2つつながった傷あと(資料) |
個票 |
02093 |
平6 |
陳 向軍、ちん こうぐん、女、5歳、A型 |
父、母両親は開拓団 |
東安省林口県 |
20年8月末、避難途中東安省林口県で中国人李を介して養父母陳建有夫婦に引き取られた。その時、日本製の黒い女性用バッグがあり、中は黄色で「山崎ミサ」と書いてあった。 |
女性用バッグ。中に「山崎ミサ」の記名のある写真(資料) |
背が小さく、目が大きい。右肩甲骨の左側に大豆大のほくろ、左腰後に横約7センチ、縦約5センチの楕円形で薄茶色のあざ |
個票 |
02094 |
平6 |
孫 春芳、そん しゅんほう、女、5歳、AB型 |
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東安省密山県 |
ソ連参戦後、東安省密山県から汽車で避難する途中、爆発が起こり放り出された。その時、王尚久という中国人に保護され、その後、養父母孫竹亭夫婦に引き取られた。 |
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左のほほに爆発時に受けた傷あと、左腕に種痘のあと |
個票 |
02095 |
平6 |
劉 鳳英、りゅう ほうえい、女、5歳、A型 |
父、母、兄2、3人、姓は「○○根」らしい。 |
東安省密山県 |
20年8月末、東安駅で泣いているところを養父劉玉山に保護された。両親は汽車に乗って避難した。当時、日本語しか話せなかった。おかっぱ頭で、セーラー服(紺色でエリが紺と白の横縞模様)を着ていた。 |
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右腕上部に種痘のあと、右目の上に傷あと |
個票 |
02096 |
平6 |
李 桂栄、り けいえい、女、3ヵ月、O型 |
父、母、兄2人東安省饒河県三義屯開拓団 |
東安省饒河県 |
ソ連参戦後、三義屯土地廟の前で中国人周起西夫妻に保護された。その後、養父母李宝成夫婦に引き取られた。当時、日本製の花柄の布に包まれ、数枚の服も入っていた。 |
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右臀部に青い大豆大のあざがある。 |
個票 |
03001 |
13 |
周 東伶、しゅう とうれい、男、2歳、AB型 |
牡丹江省東寧県の開拓団 |
牡丹江省東寧県 |
ソ連参戦後、ソ連軍のトラックで、牡丹江省東寧県万鹿溝に連れてこられ、養父崔修恭に引き取られた。 |
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左頬に傷あと |
個票 |
03002 |
6 |
劉 長太、りゅう ちょうた、男、8歳、A型 |
父、母、長兄(12歳)、次兄(10歳)、妹(6歳)父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
母は病気のため自宅で死亡した。ソ連参戦後、2人の兄、妹とともに避難したが、牡丹江市付近でソ連軍に捕えられて、牡丹江省寧安県拉古屯の難民収容所へ連行された。本人と妹は、同所で50歳と27〜28歳の2人の日本人女性によって、米売りの富という中国人に預けられたが、その後妹は、別の中国人に引き取られた。 |
家の側には小さな池があり、そこには樽が浮いていた。学校に入ってからは、2人の兄とともに寄宿舎で生活し、週に1度だけ家に帰った。 |
髪は天然パーマ |
個票 |
03003 |
9 |
張 喜山、ちょう きさん、男、8歳、AB型 |
父、継母、姉(12歳)父は大工 |
牡丹江省寧安県 |
父は応召した。ソ連参戦後、姉とともに避難し、牡丹江省寧安県東京城付近で疲労のため動けなくなり、そこで大工をしていた養父張永和に保護された。姉は行方不明となった。 |
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左手に5〜7歳のときの、たばこの火による火傷のあと |
個票 |
03004 |
9 |
劉 鳳貴、りゅう ほうき、男、8歳、O型 |
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牡丹江省寧安県 |
19年秋、男性(50歳くらい)と女性(30歳くらい)に連れられ、牡丹江省寧安県臥竜屯又は団山子付近の開拓団に入植した。ソ連参戦後、避難する途中、寧安県団山子で一緒に渡満した女性が結婚したため、徐青山に預けられた後、養父劉富山に引き取られた。 |
父、母とも渡満しなかった。父は屠殺場で働いていた。母は父より背が高かった。20年春、小学校に入学した。避難前に住んでいた場所の略図(資料) |
左耳下に小豆大のあざ、左ふくらはぎ下にいぼ |
個票 |
03005 |
11 |
楊 金徳、よう きんとく、男、7歳、A型 |
田中父、母、妹牡丹江省寧安県の開拓団 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母、妹とともに牡丹江省寧安県横道河子駅まで避難し、母が駅前で張井和に預けた。その後、養父楊成業に引き取られた。妹の耳たぶは、生まれつき欠けていた。 |
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個票 |
03006 |
3 |
王 明忠、おう めいちゅう、男、6歳、O型 |
父、母 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、避難途中で母とはぐれ、牡丹江省寧安県海林の北方の蛤蟆塘の西第2部落で養父に保護された。その時、緑色の毛糸のセーターに黄色い上衣を着て、帽子をかぶり、リュックサックを背負っていた。父は、時々ジープのような小型の車で帰宅した。 |
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左手の人差し指の第1関節が曲がらない。 |
個票 |
03007 |
11 |
張 常有、ちょう じょうゆう、男、6歳、AB型 |
父、母、姉2人、弟又は妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて汽車で避難したが、途中空襲を受け、本人は皆とはぐれた。その後、牡丹江省寧安県北拉古の難民収容所に入所し、同所で、日本人婦人を介して、養母趙桂蘭に引き取られた。 |
家で黒牛を1頭飼っていたが、病死したため裏山に埋葬したことがある。 |
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個票 |
03008 |
13 |
李 振全、り しんぜん、男、6歳、A型 |
土井伊三郎 父、母 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母と列車で避難する途中、牡丹江省寧安県七星駅付近でソ連軍の攻撃を受け、母と離別し、中国人房国端に保護された。その後、養父李明林に引き取られた。 |
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左手薬指に、父のピストルで遊んでいてけがした時の、三角形の傷あと。眉間に刀傷、首の右側に手術のあと |
個票 |
03009 |
8 |
関 徳富、かん とくふ、男、5歳、A型 |
父、母、姉 父は軍人らしい。 |
牡丹江省寧安県 |
母が死亡した後、汽船に乗って三江省佳木斯市の伯父の家に行って預けられた。その時、伯父は病気であった。終戦後、他の親類に連れられ、牡丹江省寧安県海林に行った。そこで、養父の兄に保護され、養父関喜有に引き取られた。 |
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個票 |
03010 |
10 |
? 玉財、ほう ぎょくさい、男、5歳、O型 |
父、母、祖母、乳児 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県七星駅付近の山の中を、夜間避難する途中に、家族とはぐれ、中国人に保護された後、養父?風祥に引き取られた。 |
住んでいた家は、長い棟で部屋がいくつもあった。 |
へその周りに3つのほくろ |
個票 |
03011 |
13 |
張 金昌、ちょう きんしょう、男、5歳、B型 |
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牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、、牡丹江省寧安県慶城村(旧名餓富)で、養父銭純宝に引き取られた。 |
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右大腿部と右足の土踏まずに傷あと |
個票 |
03012 |
13 |
許 鳳全、きょ ほうぜん、男、5歳、A型 |
父、母 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県横道河子駅に向かう途中、森林鉄道の駅で父母とはぐれ、中国人に保護された。数日後、養父許長林に引き取られた。 |
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右手中指、左足親指と中指がない。手足の他の指も、第1関節より先がない。 |
個票 |
03013 |
3 |
馮 鋭、ひょう えい、男、5歳、O型 |
ケンチャン又はケイチャンと呼ばれていた。父、母、兄、弟 父は自動車の運転手 |
牡丹江省寧安県 |
牡丹江省寧安県東京城日本守備隊宿舎に住んでいたが、終戦後、同宿舎で母が養父馮殿華に預けた。その時、母は氏名、生年月日等を書いた紙を養父に渡した。養父は東京城で有名な大地主で日本語が話せ、眉間に肉の塊の突起があった。養母李会民は21年から23年にかけて、憲兵伍長の佐藤諄と親しく、通訳をしていた。 |
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個票 |
03014 |
13 |
李 喜春、り きしゅん、男、5歳、A型 |
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牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、避難する途中、牡丹江省寧安県三道河子振興村西嶺で一行とはぐれ、中国人邵長清に保護された。その後、養父李財に引き取られた。 |
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個票 |
03015 |
1 |
? 殿挙、こく でんきょ、男、5歳、A型 |
父、母 父は軍人らしい。 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、東安省林口県から牡丹江省寧安県横道河子に向けて避難する途中、同県老家屯にあった小屋の中で中国人の林夫婦に保護された。その小屋の中では婦人が病気で横たわっており、同い年の子供がそばで泣いていた。その婦人は母かもしれない。その後、?明才を介して養父?万発に引き取られた。 |
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縮れ毛。偏平足。左胸に粟粒大の黒いあざが5〜6個ある。 |
個票 |
03016 |
10 |
楊 金有、よう きんゆう、男、4歳、A型 |
父、母、兄、妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、避難する途中、牡丹江省寧安県仙洞で、家族と離別したが、仙洞駅西北の橋の下で日本人女性に背負われて、同県二道河子方面に避難した。その後、同県万家屯付近の山中で3人の女の子といたところを、中国人王志軍に保護され、養父楊清林に引き取られた。 |
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右眉の上に米粒大の赤いあざ、偏平足 |
個票 |
03017 |
11 |
楊 宝山、よう ほうさん、男、4歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
終戦後、牡丹江省寧安県北拉古村で、母が養母王桂清に預けた。 |
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個票 |
03018 |
11 |
焦 貴啓、しょう きけい、男、4歳、O型 |
母 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母が、牡丹江省寧安県梨樹溝村で養父焦仁普に預けた。当時、カーキ色の服を着ていた。 |
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個票 |
03019 |
11 |
魯 顕貴、ろ けんき、男、4歳、B型 |
母 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県仙洞から避難する途中、母が同県二道河子向日村で養父魯景雲に預けた。 |
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個票 |
03020 |
13 |
焦 貴春、しょう きしゅん、男、4歳、A型 |
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牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、東安省密山県から牡丹江省へ避難する途中、牡丹江省寧安県老黒頂子の山のふもとの川付近で、4〜5人の子供と一緒にいたところを中国人女性に保護され、その後養母劉術清に引き取られた。引き取られた時、白いタオル地の洋服を着て、服のポケットに切ったつめの入った5つの袋が入っていた。 |
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個票 |
03021 |
14 |
? 百順、かく ひゃくじゅん、男、4歳、O型 |
父、母、兄(7歳) 牡丹江省寧安県馬連河開拓団 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、一家は、牡丹江省寧安県東京城付近の難民収容所に入所した。その後、、陳広玉を介して養父?徳凱に引き取られた。 |
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へその上部に傷あと |
個票 |
03022 |
13 |
林 国君、りん こくくん、男、4歳、O型 |
父、母、兄(7歳)、妹(2歳) 父は軍人かもしれない。 |
牡丹江省寧安県 |
終戦後、母、兄、妹とともに、牡丹江省寧安県北拉古屯に避難し、母が同地で、兄と本人を養父林起有に預けた。その後、兄は、別の中国人に引き取られた。避難する途中、妹らしい女の子が、川に落ちて死亡した。 |
19年、母方の祖母の家に里帰りしたことがある。 |
腰の右側にほくろ |
個票 |
03023 |
13 |
辛 紹清、しん しょうせい、男、4歳、O型 |
父以外不明 父は軍人で将校 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、肩章をつけ、ベルトに刀とピストルをさげた軍人が、牡丹江省寧安県三道河郷振興村で、軍用毛布に包んで背負ってきた本人を、中国人於長順に預けた。その時、軍人は、指輪2個と万年筆を於に渡した。その後、養父辛樹発に引き取られた。預けられた時、緑色の純毛の服を着ていた。 |
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個票 |
03024 |
8 |
張 益斌、ちょう えきひん、男、4歳、A型 |
父、母、兄2人、妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県頭道河子から木材運搬用の線路に沿って同県横道河子方面に避難する途中、同県黒牛背村で衰弱のため中国人喬徳有に預けられた。その後、現在の養父張景祥に引き取られた。 |
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個票 |
03025 |
5 |
王 孝忠、おう こうちゅう、男、3歳、B型 |
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牡丹江省寧安県 |
牡丹江省寧安県拉古の難民収容所から、中国人趙喜賓を介して、同県放牛溝に居住していた味噌売りの養父王文福に引き取られた。 |
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個票 |
03026 |
8 |
寧 文彬、ねい ぶんひん、男、3歳、O型 |
父、母 |
牡丹江省寧安県 |
家族は牡丹江省寧安県柴河の北大橋に住んでいた。父母は引揚げの際、本人を養父寧恩会に預けた。この時、城戸という子供も別の中国人に預けたらしい。 |
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右膝に小豆大の傷あとが2つ、左太ももの付け根に縦3センチ横5センチの傷あと、背中に小豆大のほくろ |
個票 |
03027 |
13 |
李 世清、り せいせい、男、3歳、AB型 |
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牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、列車で避難する途中、牡丹江省寧安県柴河と樺林の間でソ連軍の爆撃を受け、養父李広富に保護された。 |
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個票 |
03028 |
13 |
張 樹新、ちょう じゅしん、男、3歳、O型 |
父、母(病気で死亡)、姉(15歳)、兄(9歳) |
牡丹江省寧安県 |
牡丹江省寧安県城東郷自警村に住んでいた。ソ連参戦後、父が、姉と兄を同村に住む中国人陳に預けた。その後、本人を、郭富綿と張連昇を介して、養父、張連科に預けた。父は、帰国する前に、本人に会いに来た。 |
養父母の写真(資料) |
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個票 |
03029 |
10 |
董 洪喜、とう こうき、男、10歳、A型 |
父、母、姉 |
牡丹江省牡丹江市 |
父は応召した。ソ連参戦後、母、姉とともに、牡丹江市維新市場付近の吉祥芳粮店付近に避難した。同市で、最初の養父薛に預けられた。その後、養父董雲章に引き取られた。姉も別の中国人に預けられた。 |
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両足の薬指と小指の長さが同じ |
個票 |
03030 |
13 |
王 継忠、おう けいちゅう、男、7歳、O型 |
田高 父、母、弟、妹 開拓団かもしれない |
牡丹江省牡丹江市 |
東安省鶏寧県に住んでいた。ソ連参戦後、母、弟、妹とともに、避難する途中、妹が死亡した。その後、牡丹江市の難民収容所に入所したが、同所で母が死亡したため、養父王会民に引き取られた。 |
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2〜3歳のころ、おもちゃの弓矢で左肩を負傷したことがある。左目尻と首に傷あと |
個票 |
03031 |
10 |
底 長海、てい ちょうかい、男、7歳、B型 |
アラキ 父、母、姉(渡満しなかった。13歳)、妹(3歳) 父は牡丹江省東寧駅北東にあった兵営の管理者 |
牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、牡丹江省東寧県から避難する途中、ソ連軍の攻撃を受け、母は負傷し、本人は気を失ったため皆とはぐれた。その日の夕方、ある中国人宅で妹と再会した。翌日1人で両親を捜しに行ったが、わからず、妹のいる中国人宅も見失った。20年11月ごろ、牡丹江市東駅の難民収容所で養父底慶和に引き取られた。父の猟銃の引き金に触れて父の親指に2センチくらいの傷を負わせたことがある。 |
本人は病気で入院したことがある。東寧県にいた時、黄色い2階建の家に住んでいた。又、数ヶ月学校に通ったことがあり、国語のノートにカタカナで「アラキ」と書いた。姉が19年の夏休み東寧に来て泊まっていったことを憶えている。 |
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個票 |
03032 |
11 |
趙 樹林、ちょう じゅりん、男、5歳、A型 |
父、母、兄、姉、弟、妹 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年8月、牡丹江市第二新四街の元日本人住宅で劉静栄に引き取られた。その後、養父趙連貴に引き取られた。 |
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上唇の左側にほくろ |
個票 |
03033 |
10 |
曲 宝全、きょく ほうぜん、男、1歳、A型 |
父、母、祖母 |
牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県海浪付近から、牡丹江市に避難し、維新街の万字会難民収容所に入所した。母と祖母は、爆死したらしい。20年11月ごろ、同収容所で、年上の女の子とともに養父曲乗奎に引き取られた。養家には、30歳くらいの日本人女性が何度も訪ねてきた。その女性は養父に、本人は18年のかまどの神を送る日(旧暦12月23日)の翌日に生まれたと伝えた。引き取られた時、風邪から脱肛になっていた。 |
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個票 |
03034 |
15 |
王 金喜、おう きんき、男、3歳、A型 |
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牡丹江省穆稜県 |
終戦後、牡丹江省穆稜県穆稜鎮毛子屯の川辺で、カーキ色の毛布の上に坐っているところを中国人に保護され、その後、養父王見友に引き取られた。 |
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個票 |
03035 |
10 |
李 京煥、り きょうかん、男、2ヵ月、O型 |
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牡丹江省穆稜県 |
ソ連参戦後、牡丹江省穆稜から17キロ離れた紅眼蛤の街道沿いの大豆畑で、養父李殿有に保護された。 |
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個票 |
03036 |
6 |
王 玉芳、おう ぎょくほう、女、8歳、B型 |
父、継母、妹 父は東京城駅後方の山で材木運搬に従事 |
牡丹江省寧安県 |
本人が6〜7歳のころ渡満し、間島省延吉県図們に住んでいたが、その後、牡丹江省寧安県東京城に移った。父が20年7月に応召した後、同年11月、継母が本人と妹を養父王印堂に預けた。その後、継母は1人で帰国した。 |
家は農業をしていて、白く長いあごひげのある祖父が、いつも本人をリヤカーに乗せて田畑に連れて行った。その場所からは、川や湖が見えたが、その先にはまっすぐに切り立った白い岩肌の山があった。また、雨がよく降る土地であった。 |
左唇の上に小さな黒いあざ、左足首の上に小さな火傷のあと |
個票 |
03037 |
11 |
陳 淑清、ちん しゅくせい、女、8歳、O型 |
父、母、妹2人、弟(4歳) 牡丹江省寧安県付近の開拓団らしい |
牡丹江省寧安県 |
父は応召したらしい。ソ連参戦後、家が焼け、本人と上の妹の2人は近くの防空壕へ逃げて助かった。翌日、養母陳曹氏に保護された。妹は韓に保護されたが、その後の消息は不明である。 |
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個票 |
03038 |
11 |
ケ 桂芝、とう けいし、女、7歳、AB型 |
父、母、弟、妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、東安省林口県方面から列車で避難の途中、牡丹江省寧安県樺林駅東北1.5キロ地点の鉄橋で攻撃を受けた後、ソ連兵に保護され、養父ケ茂文に引き取られた。 |
避難前、住んでいた家とその周辺の地図(資料) |
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個票 |
03039 |
3 |
侯 鳳英、こう ほうえい、女、6歳、A型 |
父、母、弟(4歳) |
牡丹江省寧安県 |
20年8月、避難する途中、牡丹江省寧安県新安鎮泉眼子溝付近で襲撃されて、多数の日本人が殺されたが、その中に両親もいたらしい。その後、養母の親戚の許立鵠に保護され、養父母に引き取られた。保護された時、下駄をはき、ワンピースと、裏にお金が縫い付けてあるチョッキを着ていた。 |
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個票 |
03040 |
12 |
宗 桂珍、そう けいちん、女、6歳、B型 |
父、母、姉(13歳)、弟(4歳) 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
20年10月ごろ、一家で避難する途中、本人が、左ふくらはぎに銃弾を受けて歩けなくなったので、両親が牡丹江省寧安県道林で鍛冶屋をしていた養父宗懐渭に預けた。その時、養母に、本人の氏名と生年月日を書いた紙を渡し、養母は両親に煎餅(チェンビン)や漬物、綿入れを渡した。その後、母は、姉と弟を連れて、たびたび傷の様子を見に来た。 |
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左ふくらはぎに銃弾を受けた傷あと |
個票 |
03041 |
5 |
張 桂雲、ちょう けいうん、女、5歳、A型 |
父、母、弟、妹 |
牡丹江省寧安県 |
母は3人の子供を連れて避難したが、途中弟と妹は行方不明となった。母と本人は牡丹江省寧安県海林の養父張安庭の家に落ち着いたが、その年の冬に母は井戸に身を投げて自殺した。 |
父はオンドルの上に机を置いて、その上に新聞を広げて読み、それを10数人の婦人が聞いていた。又、母は常時畑仕事をしていた。 |
右目尻の少し下にほくろ |
個票 |
03042 |
6 |
鞠 桂鳳、きく けいほう、女、5歳、B型 |
「テラリチャン」 父、母、弟又は妹 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母、弟又は妹とともに、貨車で避難する途中、牡丹江省寧安県樺林の北にある二道溝付近でソ連軍の攻撃を受けて、家族は死亡した。本人は同所で、養父鞠連科に保護された。その時、白いブラウスと縞模様の紫色のセーターの上に黄色のオーバーを着ていた。 |
|
右腕に約6センチの細長い傷あと、右足薬指の第2関節から先がない |
個票 |
03043 |
10 |
王 淑蘭、おう しゅくらん、女、5歳、A型 |
父、母、妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母、妹とともに、東の方から汽車で牡丹江省寧安県仙洞駅まで来た時、ソ連軍の攻撃を受け母と妹は死亡した。本人は負傷しているところを、養母汪王氏に保護された。 |
|
右ももに大きなあざ、背中に小豆大のいぼ、右胸部と背中にソ連軍攻撃時に受けた貫通銃創のあと |
個票 |
03044 |
13 |
劉 桂蘭、りゅう けいらん、女、5歳、A型 |
父、母、姉3人 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母、姉3人とともに、避難する途中、牡丹江省寧安県二道河郷の老家駅付近で家族とはぐれ、養父劉続清に保護された。避難している時、姉に背負われた記憶がある。 |
一戸建ての家に住んでいた。 |
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個票 |
03045 |
13 |
蒋 春鳳、しょう しゅんほう、女、5歳、O型 |
|
牡丹江省寧安県 |
20年8月、日本の部隊が、牡丹江省寧安県二道河子老家站村まで来た時、中国人沙の家で昼食をとった。その際、病気だった本人は、沙に引き取られ、その後、養父蒋振徳に引き取られた。 |
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右の耳におできのあと |
個票 |
03046 |
9 |
温 淑華、おん しゅくか、女、4歳、B型 |
父、母、妹、弟 開拓団らしい |
牡丹江省寧安県 |
21年秋、母が、牡丹江省寧安県東京城で封子義を介して、牡丹江市で時計の修理をしていた養父温佐臣に本人を預けた。その時、脱肛だった。 |
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|
個票 |
03047 |
10 |
張 淑琴、ちょう しゅくきん、女、4歳、A型 |
父、姉、弟、母と思われる中年の婦人、老人2人(男女) 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
牡丹江省寧安県東京城付近の飛行場近くにあった軍官舎に住んでいた。老人2人と中年の婦人は、同時期に死亡した。21年ごろ、食物行商の老人と18歳くらいの2人の女性によって、東京城鎮で「しのぶ」という名前の日本人女性を妻とする中国人陳徳礼に預けられた。その後、現在の養父張成有に引き取られた。 |
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目の上と右のこめかみに薄いあざ、口の右にほくろ |
個票 |
03048 |
10 |
王 玉清、おう ぎょくせい、女、4歳、A型 |
「ミイコチャン」と呼ばれていた。 父、母、妹 |
牡丹江省寧安県 |
牡丹江省寧安県東京城自警村に住んでいたが、長く住んではいなかった。20年冬、雪の降る日に父はソ連軍に連行された。その時母はいなかった。その後、同所で養父王景成に引き取られた。 |
防空壕の階段でころんで、額中央にけがをした。その時、母が病院に連れて行き、包帯を巻かれた記憶がある。自警村では、2階建のレンガ造りの低い屋根の家に住み、近くに露店がたくさん並んでいた。母と買い物に行ったときに空襲にあい、機銃掃射を受けたことを憶えている。 |
額中央と右こめかみに傷あと |
個票 |
03049 |
13 |
趙 淑琴、ちょう しゅくきん、女、4歳、B型 |
父、母、兄(6歳)、妹(1歳) |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母、兄、妹とともに避難したが、牡丹江省寧安県柴河駅近くの佛塔密の養父宅で、母が、養父趙華南に預けた。その時、本人は、黒に紅の花の模様の和服を着ていた。 |
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右手火傷のあと |
個票 |
03050 |
15 |
王 桂琴、おう けいきん、女、4歳、AB型 |
父、母、兄、弟 父は軍人 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて大勢の人々と避難した。避難する途中、牡丹江省寧安県柴河鎮陽臉溝村に宿泊した際、母が、森林警察官をしていた盛宝海に本人を預けた。 |
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左股付け根に傷あと、O脚 |
個票 |
03051 |
8 |
蘇 福琴、そ ふくきん、女、3歳、B型 |
父、母、兄2人、妹 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、父は、2人の兄とともに避難した。妹は不明である。本人は母と避難する途中、牡丹江省寧安県仙道駅付近の三岔河で母が病気になり、中国人付に助けられ、母はその家で死亡した。その後、養母卜桂清に引き取られた。当時、赤いシルクビロードの服を着ていた。 |
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個票 |
03052 |
10 |
董 徳華、とう とくか、女、3歳、B型 |
「タマコ」らしい 父、母、兄、姉2人。弟がいたらしい。 |
牡丹江省寧安県 |
20年秋ごろ、母が本人を牡丹江省寧安県海林鎮郊外で中国人に預けたが、数日後返されたため、黄に預けた。その後、養父董浩然に引き取られた。姉2人も別の中国人に預けられた。長姉は、時々会いに来て、ベージュ色のワンピースを作ってくれた。とうもろこし畑で、父と兄が私達(母と姉2人と私)と別れたことを覚えている。 |
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左足首の上の外側に約2センチの円形の黒いあざ |
個票 |
03053 |
11 |
周 鳳蘭、しゅう ほうらん、女、3歳、A型 |
父、母、兄(14〜15歳)、姉 父は憲兵 |
牡丹江省寧安県 |
20年秋、牡丹江省寧安県横道河子で、憲兵隊の炊事係だった唐克珍を介して、養父周声玉、養母張秀春に預けられた。 |
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左耳の後ろに米粒大のいぼ |
個票 |
03054 |
15 |
張 淑珍、ちょう しゅくちん、女、3歳、A型 |
父、母、兄3人、姉3人 父は牡丹江省寧安県哈達湾開拓団の会計 |
牡丹江省寧安県 |
終戦後、牡丹江省寧安県哈達湾開拓団の御者をしていた養父張国志に保護された。 |
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手、胸、背中に刀の傷あと |
個票 |
03055 |
8 |
林 淑英、りん しゅくえい、女、2歳、B型 |
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牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県の森林鉄道老道廟駅と二道河子駅間の線路脇で、毛布から這い出し泣いていたところを、養父幸福録に保護された。毛布の色は赤色で、白いふちどりのある赤い帽子をかぶっていた。 |
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尾骨の上に小豆大のほくろ、右太ももの外側にしみ |
個票 |
03056 |
8 |
楊 艶華、よう えんか、女、1歳、B型 |
鈴木 父、母(死亡)。兄または姉がいたらしい。 父は寧安県興農合作社職員 |
牡丹江省寧安県 |
20年10月から、11月頃、一家は、牡丹江省寧安県寧安鎮内の日本人難民収容所に入所した。同所で両親が張全生と郭を介して養父楊春和に預けた。その後、母は収容所で死亡した。父は母が志望したことを養父に報告し、鈴木と書いた一枚のメモを残して帰国した。両親は預ける時、赤いウールの服とズボンを置いていった。 |
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個票 |
03057 |
11 |
張 淑梅、ちょう しゅくばい、女、1歳、A型 |
母、兄 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、牡丹江省寧安県二道河子の森林鉄道の小さな駅近くの草むらで養父張子純に保護された。 |
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個票 |
03058 |
12 |
洪 静茹、こう せいじょ、女、1歳、A型 |
鈴木父、母、兄2人 父は国際銀行員 |
牡丹江省寧安県 |
21年2月、牡丹江省寧安県の東京城駅付近の難民収容所(旧日本軍守備隊の建物)から、楊志傑(男)、沙玉珍(女)に連れ出され、牡丹江市東四条路の国民全勝(料理店)で働いていた養父洪万銀に引き取られた。その時、日本の花柄の綿入れを着ていた。 |
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背中に褐色のあざ |
個票 |
03059 |
9 |
張 淑霞、ちょう しゅくか、女、10ヵ月、O型 |
父、母 |
牡丹江省寧安県 |
ソ連参戦後、一家は避難する途中、牡丹江省寧安県北馬道の高山洋服店に住み込んだ。母と本人はここに残り、父は帰国した。その後、母は同地で働いていたが、20年11月頃、養母杜孝雲に本人を預けた。高山は中国人で日本語の通訳ができた。 |
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右足が不自由 |
個票 |
03060 |
6 |
孫 桂栄、そん けいえい、女、6歳、A型 |
父、母(30歳前)、姉(8〜9歳)、妹又は弟 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年6月、父は応召した。ソ連参戦後、避難する途中で妹あるいは弟が出生した。牡丹江市の難民収容所に入所したが、母が病気になり、本人は21年夏、養父孫樹亭に預けられた。 |
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下唇中央にあざ |
個票 |
03061 |
3 |
孫 秀琴、そん しゅうきん、女、6歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
牡丹江省牡丹江市 |
終戦後、牡丹江駅付近で父母が養父孫敬忱に預けた。37年、39年、53年に日本の親戚が捜しに来たらしい。父は大阪出身らしい。 |
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胸に2か所、背中に4か所の傷あと |
個票 |
03062 |
7 |
盧 学傑、ろ がくけつ、女、4歳、A型 |
父、母、妹、弟 父は軍人らしい |
牡丹江省牡丹江市 |
20年8月、母、妹とともに馬車で牡丹江市に避難した。牡丹江駅のホームで、母が養父李青海に本人を預けた。その時、おかっぱ頭で、格子模様の半袖のブラウスにスカートをはき、軍隊毛布に包まれていた。また、母は李に書付けを手渡した。弟は避難前に死亡した。 |
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右足くるぶしに、約7センチの火傷らしいあと |
個票 |
03063 |
10 |
曲 宝珍、きょく ほうちん、女、4歳、O型 |
父、母。他に兄弟姉妹がいたかもしれない。 |
牡丹江省牡丹江市 |
大勢の避難民と一緒に牡丹江市牡丹江駅に着き、万字会難民収容所に入所した。20年11月頃、同収容所から養父曲乗奎に引き取られた。 |
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個票 |
03064 |
6 |
戴 喜艶、たい きえん、女、3歳、A型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
20年秋、牡丹江駅あるいは牡丹江市の日本軍兵舎付近で養父李に保護された。 |
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右耳上付近の頭部に2.7×1.2センチの傷あと |
個票 |
03065 |
10 |
胡 菊芳、こ きくほう、女、3歳、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、牡丹江市の軍人会館付近で、養母付慶梅が保護した。 |
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両耳の裏に小さいくぼみ |
個票 |
03066 |
15 |
郭 清雲、かく せいうん、女、3歳、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、牡丹江駅の近くの林の中で、養父郭玉田に保護された。その時、黄色の服を着ていた。 |
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左小鼻のくぼみにあざ、左手首に傷あと |
個票 |
03067 |
12 |
董 聖枝、とう せいし、女、3歳、A型 |
父、母、兄(9歳)、姉(6歳) 父は商人 |
牡丹江省牡丹江市 |
戦乱時、父は手榴弾の爆発で死亡し、母は両大腿を負傷した。終戦後、母が牡丹江市で、鉄道労働者だった董丕漢に預けた。その後、養父董功訓に引き取られた。姉も他の中国人に預けられた。 |
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個票 |
03068 |
15 |
劉 麗、りゅう れい、女、3ヵ月、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
終戦後、牡丹江市小金鈴街で、養父劉国忠に保護された。その時、赤と緑の格子柄の毛布にくるまれ、薄いグレーの和服を着て、首に淡い色のハンカチを巻いていた。 |
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個票 |
03069 |
11 |
王 桂蘭、おう けいらん、女、21年1月生、A型 |
母、兄(7〜8歳) |
牡丹江省牡丹江市 |
21年1月、母は兄を連れて、牡丹江市の養父王景洲、養母徐蓮英の家で本人を出産した。1ヵ月後、母は本人を残して養家を離れた。その後、母と兄が本人に会いに来た。 |
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個票 |
03070 |
8 |
曲 淑華、きょく しゅくか、女、21年2月生、B型 |
父、母(高橋美子) 父は軍人、母は歩兵第265連隊の酒保会計係 |
牡丹江省牡丹江市 |
21年の初めごろ、母は牡丹江市新安街の万字会の近くに住んでいた養母の父王功臣の家で本人を出産し、そのまま本人を預けた。その後、母は会いに来たが、3ヵ月後帰国した。本人が11歳の時、養父曲に引き取られた。 |
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右の頬にほくろ、左肩に10円玉大のあざ |
個票 |
03071 |
13 |
鄭 淑芝、てい しゅくし、女、4歳、O型 |
穂子又は玲子 母以外不明 |
牡丹江省穆稜県 |
ソ連参戦後、母が牡丹江省穆稜県八面通で小さな食堂を経営していた養父鄭洪玉に預けた。その時、母は養育費として50元の銀貨を渡した。 |
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O脚 |
個票 |
03072 |
62-1 |
呉 仕慶、ご しけい、男、6歳、A型 |
父、母、兄2人 |
牡丹江省牡丹江市 |
母は牡丹江でソ連参戦後死亡。牡丹江省寧安県拉古で兄と別れ、同地で朱という中国人に保護された後、養父呉保安、養母冷桂栄に引き取られた。 |
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個票 |
03073 |
63-1 |
王 祖君、おう そくん、男、2歳、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
20年8月、牡丹江市から牡丹江省寧安県鉄嶺河に通じる鉄橋の下で養父に保護された。その時、和服式の灰色の結びひものある下着を着て、その上にうす茶色の毛糸の上下を着ていた。 |
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左腕外側上部にほくろ |
個票 |
03074 |
63-1 |
胡 雲範、こ うんはん、女、10歳、A型 |
姉2人 |
牡丹江省寧安県 |
17年、長姉とともに、牡丹江省寧安県哈達湾開拓団の次姉夫婦のもとに渡満した。20年8月、開拓団員は暴民に包囲されたため、集団で自決した。本人は5人の子供とともに連行され、その後養家に引き取られた。 |
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襟首に米粒大のほくろ |
個票 |
03075 |
62-2 |
楊 鳳蘭、よう ほうらん、女、6歳、B型 |
梅子又は美子 父、母、妹(3歳位)、弟(赤ん坊) |
牡丹江省寧安県 |
終戦後、母、妹、弟と4人で浜江省哈爾浜市の一軒家に避難した。その時、父はいなかったが、死亡したのは憶えている。母は叔父(父の弟)と2人で軽食店を経営していたが、そこで知り合った朱剛を介して、母が本人を養家に預けた。その後、母が一度養家に会いに来たが養母に追い返された。 |
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額にハンモックから落ちた時の傷あと、左足の土踏まずに2cmの傷あと、鼻の右にいぼ |
個票 |
03076 |
62-1 |
孫 波、そん は、女、5歳、O型 |
母、兄、妹、叔母 |
牡丹江省寧安県 |
20年8月、家族は貨車で寧安県東京城駅の貨物倉庫に避難した。貨車に乗る時、にぎり飯を両手に1個ずつ持っていたことを記憶している。その後、叔母が本人を同駅東にある新立平屯の養父王煥清、養母王民に預けた。 |
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左大腿部に小さな傷あと、右眉端に水ぼうそうのあと2つ |
個票 |
03077 |
62-1 |
白 淑清、はく しゅくせい、女、4歳、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
20年9月ごろ、牡丹江市西三条路の南端で、中国人劉に保護され、その後、養父王海山に引き取られた。 |
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個票 |
03078 |
63-1 |
劉 叙琴(劉 淑琴)、りゅう しゅくきん()、女、3歳、B型 |
父(佐藤一郎)、母、兄、もう1人兄か姉 父は牡丹江省の警察署又は他の公署に勤務 |
牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、父が警察署に勤務していた時、そこで通訳をしていた養父劉金煥に預けた。その時、赤いワンピースを着ていた。 |
養父母の結婚式の写真(資料) |
左右両臀部に歯形の傷あと、襟首に大きな傷あと、背中に細長い傷あと |
個票 |
03079 |
62-1 |
王 金華、おう きんか、女、22年生、AB型 |
父、母、兄(自分よりも4〜5歳年上) 父は外科医、母も病院勤務 |
牡丹江省牡丹江市 |
父は22年秋、中共軍に留用、以降消息不明。22年11月、母が裁縫屋の随を介して本人を養父王書衡、養母徐桂蘭に預けた。その後母は兄を連れて度々会いに来たが、兄と外崎という医者と一緒に帰国した。 |
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個票 |
03080 |
平2 |
王 素雲、おう そうん、女、4歳、A型 |
父、母、兄2人 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年9月ごろ、牡丹江市で養母胡翠玉に引き取られた。その時、カーキ色の乗馬ズボンを穿き、紫地に白い花模様の和服を着ていた。 |
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個票 |
03081 |
平2 |
苗 華琴、びょう かきん、女、6ヵ月、O型 |
父、母、兄、祖母 |
牡丹江省牡丹江市 |
父は応召。ソ連参戦後、牡丹江市の日本軍の兵営で祖母と共に中国人王に引き取られた。22年ごろ、祖母は死亡。母は兄と共に避難し、帰国したらしい。 |
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首のうしろにほくろが2つ |
個票 |
03082 |
平元 |
? 秀清、う しゅうせい、女、21年3月生、B型 |
父、母、兄(8〜9歳)、姉(5〜6歳) 父は東安省林口県の郵便局長 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年8月父の死亡後、母は兄と姉を連れて牡丹江市に避難した。21年3月、同市で本人が出生。同年4月、李俊生を介して養家で母が養父?鳴山に預けた。母は帰国する時に住所のメモと海老の絵入りの陶器を養家に置いていった。 |
一家は東安省林口県に居住 |
右臀部に茶色のあざ |
個票 |
03083 |
平3 |
王 鴻達(王 洪達)、おう こうたつ、男、3歳、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
終戦後、牡丹江省牡丹江市鉄道局脇の孤児院で養母尚維貞に引き取られた。 |
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左腕内側にやけどのあと |
個票 |
03084 |
平3 |
孫 長太、そん ちょうた、男、6歳、O型 |
父、母、兄 |
牡丹江省海林県 |
20年8月、母と兄とともに東安省林口県方面から避難の途中、家族とはぐれたところを、牡丹江省海林県二道河子で養父孫慶祥に保護された。その時、頭にできものができていた。 |
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左足親指の爪が半分 |
個票 |
03085 |
平3 |
邱 桂珍、きゅう けいちん、女、1歳、O型 |
母 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年9月頃、牡丹江市で母が養母邱匡氏に預けた。その後、母は帰国した。 |
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肩のうしろに大豆大のあざ、軽度の斜視 |
個票 |
03086 |
平3 |
柳 穎、りゅう えい、女、1歳、AB型 |
父、母 父は軍人らしい。母は軍属 |
牡丹江省寧安県 |
20年8月、避難する途中寧安県新安鎮の海浪河付近の戦闘で皆死亡し、コーリャン畑で泣いているところを養父柳鳳鳴に保護された。その時、花模様の服を着ていた。 |
家族は牡丹江省寧安県新安鎮南満道に居住養父に保護された付近の略図(資料) |
頭に傷あと、首の下に茶褐色の小さなほくろ |
個票 |
03087 |
平4 |
郭 炳君、かく へいくん、男、4歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
牡丹江省穆稜県 |
ソ連参戦後、母とともに避難したが、途中、養父郭徳福の家で母が養父に預けた。その時、母は日本の軍用鞄を残していった。 |
牡丹江省穆稜鎮に居住母の残した軍用鞄の図(資料) |
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個票 |
03088 |
平4 |
趙 秀坤、ちょう しゅうこん、女、3歳、B型 |
「木」又は「本」の字が、姓に含まれていたかもしれない。 父、母、兄、姉(額に傷があった)、弟 |
牡丹江省牡丹江市 |
ソ連参戦後、牡丹江省牡丹江市金鈴街で両親が最初の養父孟○○(金鈴街の地主)に預けた。その後、現在の養父母に引き取られた。 |
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右肩に小豆大・首の右に米粒大のほくろ |
個票 |
03089 |
平5 |
代 麗華、だい れいか、女、2ヵ月、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
20年9月頃、牡丹江省牡丹江市で、日本人家庭の調理人「王」を介して王景文に保護された。その後養父母に引き取られた。その時、くるまれていた布団の中には銅製の小さな仏像が入っていた。 |
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後頭部に火傷のあと |
個票 |
03090 |
平6 |
劉 智財(劉 智才)、りゅう ちざい、男、4歳、O型 |
父、母 |
牡丹江省牡丹江市 |
20年秋、牡丹江省牡丹江駅で養父劉鴻恩に引き取られた。その時、黄色のズボンをはいており、日本語を話した。 |
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左側のまゆげ横に小さな長い傷あと、眉間に疱瘡のあとのような小さな痕跡がある。 |
個票 |
03091 |
平6 |
曹 徳成、そう とくせい、男、3歳、A型 |
母、兄 |
牡丹江省寧安県 |
20年8月のある日の明け方、牡丹江省寧安県東園子の川べりの粟畑で、避難途中の日本人女性から養母袁秀敏に引き取られた。その女性はもう1人の7〜8歳の男の子を連れていた。預けられた時は背バンド付ズボンの幼児服着用。 |
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一重まぶた |
個票 |
03092 |
平6 |
辛 惠淑、しん けいしゅく、女、5歳、B型 |
父、母、弟 軍人 |
牡丹江省寧安県 |
20年8月、寧安県に空爆があり、防空壕に避難。その後、避難途中寧安駅で母と離別。朝鮮人を介して養父母辛成茂夫婦に引き取られた。当時から日本語が話せ、日本の歌を歌える。緑地に赤い花柄のケープを着ていた。 |
牡丹江省寧安鎮西南関日本部隊の宿舎に居住 |
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個票 |
04001 |
13 |
李 国軍、り こくぐん、男、6歳、AB型 |
黒河省嫩江県の開拓団らしい |
黒河省嫩江県 |
終戦後、黒河省嫩江駅の西2キロのところにあった日本大和旅館で、指物大工だった養父李玉甫に引き取られた。 |
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個票 |
04002 |
12 |
孫 千、そん せん、男、5歳、A型 |
長野太郎 父、母、姉 |
黒河省 |
黒河省に住んでいた。ソ連参戦後、同省でけがをしていたところを中国人に保護された。その後、この中国人に連れられ、同省嫩江県に行き、馬車の車夫をしていた養父孫万林に引き取られた。 |
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右腕に傷あと |
個票 |
04003 |
13 |
呉 月英、ご げつえい、女、1歳、B型 |
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黒河省嫩江県 |
ソ連参戦後、黒河省嫩江県嫩江街で中国人に引き取られ、その後、何人かの養父母を経て現在の養父呉玉海に引き取られた。 |
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個票 |
04004 |
7 |
郭 淑珍、かく しゅくちん、女、6歳、O型 |
佐藤又は加藤、京子又は桜子 父(太郎)、母(美穂子)、兄、弟 父は軍人らしい |
黒河省あい琿県 |
一家は、黒河省?琿県西崗子に住んでいた。20年秋、馬車に乗って避難する途中、母が、黒河金鉱の技師をしていた養父郭殿昇に預けた。本人の出生地は京都らしい。 |
当時住んでいた家付近の写真(資料) |
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個票 |
04005 |
63-2 |
趙 吟敏、ちょう ぎんびん、女、4歳、A型 |
父、母、弟 父は黒河省?浦県無線電信所所長 |
黒河省嫩江県 |
ソ連参戦後、一家は黒河省嫩江県中央駅に避難し、同駅で中国人李に預けられた。当時母は妊娠中だった。 |
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首のうしろに小豆大のほくろ、鼻に1.5センチ位のあざ |
個票 |
05001 |
13 |
李 徳有、り とくゆう、男、5歳、B型 |
|
北安省北安県 |
ソ連参戦後、北安省北安県で、中国人倪玉香に保護され、半年後に、養母周亜清に引き取られた。 |
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個票 |
05002 |
14 |
張 振学、ちょう しんがく、男、2歳、O型 |
父、母。兄弟姉妹がいたらしい。 北安省の開拓団 |
北安省北安県 |
ソ連参戦後、北安省北安県河東村で、養母夏氏に引き取られた。北海道の出身かもしれない。 |
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個票 |
05003 |
15 |
趙 徳新、ちょう とくしん、男、5歳、AB型 |
父、母 開拓団 |
北安省綏りょう県 |
ソ連参戦後、大勢の子供達とともに、馬車に乗せられて、北安省綏?県上集鎮に連れて来られた。20年9月ごろ、養父趙庭貴に引き取られた。当時、カーキ色のオーバーを着て、刺しゅうのある赤い靴をはいていた。 |
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右足の付け根に小豆大のほくろ |
個票 |
05004 |
13 |
陳 仁財、ちん じんざい、男、4歳、AB型 |
保屋野候一 父、母、姉(よし子) 開拓団 |
北安省綏りょう県 |
20年9月、北安省綏?県の開拓団で、養父陳慶貴、養母陳張氏に引き取られた。 |
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左手親指の付け根に赤いあざ |
個票 |
05005 |
8 |
楊 宇清(楊 宇青)、よう うせい、男、5歳、O型 |
父、母、妹 |
北安省綏化県 |
ソ連参戦後、母と妹と本人は北安省綏化県に避難したが、綏化駅で母とはぐれてしまい、養母に保護された。その時、本人の腹部のズボンとシャツの間に大阪朝日新聞がはさんであった。父は帽子、革靴、軍刀を持っていた。 |
腹部にはさんであった大阪朝日新聞(資料) |
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個票 |
05006 |
13 |
張 国鳳、ちょう こくほう、男、8歳、O型 |
父、母(終戦前に死亡)、兄3人(長兄は終戦前に死亡)、姉(渡満しなかった) 北安省慶安県の開拓団 |
北安省慶安県 |
ソ連参戦後、父が死亡し、次兄、3番目の兄とともに、北安省慶安県牟振江屯に避難した。同地で、本人は養母徐氏に引き取られ、次兄は朱という中国人に、3番目の兄は呉という中国人に引き取られた。次兄は21年春に帰国したらしい。 |
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個票 |
05007 |
9 |
何 品芳、か ひんほう、男、1歳、O型 |
父、母、兄(3〜4歳) 三江省湯原県樺陽開拓団 |
北安省慶安県 |
ソ連参戦後、家族は湯原県樺陽から北安省慶安県拉林開拓団に避難したが、母は病気のため、本人を養父何顯章に預けた。その時、本人も病気だった。 |
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個票 |
05008 |
12 |
李 淑珍、り しゅくちん、女、7歳、AB型 |
母、妹 |
北安省通北県 |
20年秋、北安省通北県王鶏匠屯で、瀋を介して、妹とともに養父李景財に預けられた。妹は後に死亡した。ある日、母が、本人に会いに養家に来たが、養母が会わせなかった。その時、母は、綿入れのズボンを1枚養母に渡した。 |
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右手首に火傷のあと |
個票 |
05009 |
8 |
羅 秀雲、ら しゅううん、女、8歳、AB型 |
秀の字が付く 父、母、兄3人(長兄は渡満しなかった)、姉(既婚)、妹、義兄、甥 父は靴の修理および行商(渡満前) |
北安省綏りょう県 |
ソ連参戦後、一家は黒河方面から北安省綏?へ向けて避難の途中、父と妹が死亡した。北安省綏?県四海店で次兄、姉、甥と母、3番目の兄、本人の二手に分かれた後、母が本人を養父羅孔章に預けた。1年ぐらい後に3番目の兄が迎えに来たが、養父が離さなかった。その時、母が死亡したことを聞いた。 |
日本で生まれ、小学校1年の時に中国に渡った。日本の故郷は、大雪が降る所である。家は、かやぶきであった。家の前に2本の松の木があった。 |
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個票 |
05010 |
9 |
周 淑蘭、しゅう しゅくらん、女、4歳、O型 |
父、母 |
北安省綏りょう県 |
父は応召した。ソ連参戦後、母とともに北安省綏?県克音河駅付近の建物に避難したが、ここで母は養父王勝喜に預けた。当時、本人は腸カタルにかかっており、足が悪く歩行困難であった。 |
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右肩の後部にあざ、両腕に水ぼうそうのあと |
個票 |
05011 |
13 |
劉 玉香、りゅう ぎょくこう、女、4歳、B型 |
父、母、兄 開拓団 |
北安省綏りょう県 |
20年10月ごろ、母が本人を背負い、兄と思われる男の子の手を引いて、北安省綏?県の駅に近い養父の家まで行き、そこで、母が、養父劉春芳に預けた。その時、本人は青いチャンチャンコを着ていた。その後、母が、7〜8歳の男の子を連れて、養家に来たが、会えなかった。 |
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個票 |
05012 |
14 |
李 淑清、り しゅくせい、女、4歳、A型 |
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北安省綏りょう県 |
ソ連参戦後、北安省綏?県北門外で養父李春山に保護された。 |
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個票 |
05013 |
11 |
王 桂蘭、おう けいらん、女、3歳、A型 |
父、母 父は軍人らしい |
北安省綏りょう県 |
北安省綏?県長山郷の部屋の中で、死亡している母親らしい女性のそばで、泣いているところを、養父王継先に保護された。当時、腕にできものができ包帯を巻いていた。 |
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個票 |
05014 |
13 |
冷 英子、れい えいし、女、6歳、AB型 |
父、母、弟 北安省慶安県安拝開拓団 |
北安省慶安県 |
父は応召した。ソ連参戦後、母が、中国人劉を介し、本人を着物の包みと一緒に、養父冷樹堂、養母于子に預けた。 |
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右腕内側全体に、トウモロコシを焼いていた時受けた火傷のあと |
個票 |
05015 |
13 |
劉 文会、りゅう ぶんかい、女、4歳、B型 |
父、母、兄、姉3人、弟(生後7か月) 父は開拓団で測量の仕事に従事 |
北安省慶安県 |
北安省慶安県両利郷三分屯か、あるいは、慶安県救国郷劉碗鋪村中学校の難民収容所で、養父劉海庭に引き取られた。 |
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個票 |
05016 |
6 |
田 桂栄、でん けいえい、女、2歳、B型 |
父(宮城県出身らしい)、母、姉、弟、叔母 北安省慶安県拉林開拓団 |
北安省慶安県 |
父は応召した。ソ連参戦後、開拓団にいた老人、婦女子は、団内の学校に収容された。20年11月弟が出生した時、母が、宋延祥を介して、養父田廣禄に本人を預けた。その時、全身にはれものができていた。弟は間もなく死亡したらしい。 |
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個票 |
05017 |
63-2 |
張 樹国、ちょう じゅこく、男、1歳、AB型 |
母、兄2人 |
北安省慶安県 |
20年9月、北安省慶安県東門外高老駅で、母が養父張文財、養母王蘭生に預けた。 |
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個票 |
05018 |
平3 |
王 宝珠、おう ほうじゅ、女、1歳、B型 |
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北安省海倫県 |
20年8月、北安省海倫県で養父王玉章に保護された。その時、ポケットに日本名などを書いた紙切れが入っていたが今はない。 |
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左大腿部内側に小さなあざ |
個票 |
05019 |
平5 |
張 子民、ちょう しみん、男、1歳、B型 |
父(金野一郎)、母(良子) 父は北安省克山県協和会部長 |
北安省克山県 |
20年8月、北安省克山県西街道南青年訓練所内で、母が養父張殿芳に預けた。その後母は死亡。 |
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個票 |
05020 |
平06 |
李 英賢(李 英顕)、り えいけん、女、2歳、B型 |
父、母、兄 父は鉄道関係の仕事をしていた。 |
北安省北安県 |
20年8月又は9月、北安省北安県で、母は養母の義妹倪依香に兄と共に預けた。その後、養母周雅清に引き取られた。 |
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右まゆげの上に薄いほくろ(約2ミリ)、下あご右側に盛り上がったほくろ(約1.5ミリ) |
個票 |
06001 |
8 |
方 徳文、ほう とくぶん、男、6歳、A型 |
父、母、弟2人 開拓団らしい |
浜江省呼蘭県 |
21年2月、母が浜江省呼蘭県の呼蘭鎮工商会院で中国人白を介して、養父方占元に預けた。その時、青色のセーターと「藤」と書かれた黄色の上着を着ていた。 |
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額の髪の生え際に三日月形の傷あと、左足の甲と右肘に傷あと |
個票 |
06002 |
12 |
安 宝全、あん ほうぜん、男、4歳、O型 |
母以外不明 |
浜江省巴彦県 |
21年初め、浜江省巴彦県城西牌楼付近の参議館内で、母が養父安庭彦に預けた。 |
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右側腹部に2つの火傷のあと |
個票 |
06003 |
12 |
蔡 勇、さい ゆう、男、4歳、A型 |
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浜江省巴彦県 |
終戦後、浜江省巴彦県振東二道崗の開拓団本部で、養父母の友人の張を介して、養父蔡尚徳に引き取られた。養父は当時、同県西集鎮で蔡家館子という料理屋を経営していた。 |
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右足の外側上部に約1センチのあざ |
個票 |
06004 |
12 |
田 志遠、でん しえん、男、4歳、A型 |
母 |
浜江省巴彦県 |
終戦後、浜江省巴彦県の開拓団本部で杜万仁を介して、養父田雨林に預けられた。その時、ウールのセーターを着ていた。 |
仲介人の写真(資料) |
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個票 |
06005 |
8 |
劉 傑、りゅう けつ、男、1歳、B型 |
父、母、姉 父は軍人 |
浜江省巴彦県 |
終戦後、一家は浜江省巴彦県の公会堂に避難した。同所で、本人は養父の姉に預けられ、その後、韓靴店の養父劉彦芳に引き取られた。その時、全身に疥癬ができていた。 |
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右大腿部内側に1円玉大のあざ |
個票 |
06006 |
12 |
? 維忠、けい いちゅう、男、1歳、AB型 |
母以外不明 |
浜江省巴彦県 |
20年秋、浜江省巴彦県城里東牌楼東路南面で、母が、?家小舗いう雑貨商を営んでいた養父?彦峰、養母範俊英に預けた。その後、1度母が引き取ったが、生活が苦しかったので、再び養父に預けた。当時養家には、5歳の少女(?頴梅、第10次訪日)が、先に預けられていた。 |
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左腕外側にあざ |
個票 |
06007 |
8 |
顧 玉林、こ ぎょくりん、男、10ヵ月、A型 |
父、母、兄 父は軍人 |
浜江省巴彦県 |
終戦後、浜江省巴彦県巴彦公会堂で、母が中国人商の紹介により、ラッパ吹きをしていた養父顧魁江に預けた。預けられた時、茶色の毛糸の上着を着て、手袋をはめ、帽子をかぶっていた。 |
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個票 |
06008 |
12 |
郭 思玉、かく しぎょく、男、2ヵ月、O型 |
父、母(22歳) 父は軍人らしい。母は医師 |
浜江省双城県 |
21年初め、母とともに哈爾浜市から日本人男性に連れられて、養父郭建富、養母連秀夫の家に来た。当時、養父母は浜江省を双城県北門外の北門警察署裏(忠義坊といった。)に住み、養父は裕太昌焼鍋という酒造工場で働いていた。養家に着いた時、母は、左ふとももを負傷して足を引きずっており、父の遺骨を所持していた。養家で21年8月まで世話になった後、母は、本人を養父母に預け、双城駅付近の難民収容所に移った。そして、帰国するまで毎日乳を与えに来た。帰国する時、生後百日の本人の写真と母の写真と赤ん坊用の白いケープを置いていった。 |
養父母の写真(資料1)、白いケープの写真(資料2)、養家付近の地図(資料3) |
左耳に小豆大のこぶ |
個票 |
06009 |
11 |
楊 俊山、よう しゅんさん、男、10歳、A型 |
守父、母、妹2人、祖母(死亡) 父は農業兼大工 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、一家は浜江省哈爾浜市南崗小学校に避難した。その時、母は妊娠中だった。同所で妹2人が死亡した。その後、別の難民収容所に移ったが、父と生まれたばかりの男児も死亡した。再び南崗小学校に戻ったが、21年7月、母が病気のため養父楊茹春、養母楊王氏に預けられた。20年春、母は一度帰国したことがある。 |
祖母は、渡満して1か月後に死亡した。 |
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個票 |
06010 |
9 |
張 来友、ちょう らいゆう、男、8歳、A型 |
父、母、妹、弟2人(上の弟は終戦前病死) |
浜江省哈爾浜市 |
父は20年春ごろ応召したらしい。終戦後、母は、子供達を連れ浜江省哈爾浜市の難民収容所に入所したが、その時身重であったため、妹と弟を別々の中国人に預けた。その後、母は出産のため、中年の日本人婦人を介して、本人を養父張鳳皋に預けた。 |
終戦前、母に連れられ、日本に里帰りしたことがある。 |
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個票 |
06011 |
12 |
張 徳元、ちょう とくげん、男、7歳、O型 |
父、母、姉(11〜12歳) 父は軍人、母は本人が通っていた学校に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母と姉と3人で浜江省哈爾浜市道里区の難民収容所に入所していたが、21年1月に依本義という饅頭売りを介して、陳茂元に預けられ、その後、養父母に引き取られた。 |
終戦前、浜江省哈爾浜市馬家溝付近のレンガ造りの家に住んでいた。家には、屋根付きの木でできた門があった。また、父の制服を着た全身の写真と、一家4人で写した写真があった。家から400メートル離れたところに学校があり、当時、そこへ通っていた。 |
背中に大豆大のほくろ |
個票 |
06012 |
12 |
馬 安有、ば あんゆう、男、6歳、B型 |
父・母・兄、姉・妹(渡満しなかった。) 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、に母、兄、姉と4人で、浜江省哈爾浜市東相房に避難した。その時、母は病気だった。21年春、同市東相房汪玉店で王を介して、養父馬運啓に引き取られた。22年秋、養父が死亡したので、現在の養父丁光武に引き取られた。王、馬、丁は三人とも商人で、同じ長屋に住んでいた。 |
波止場の近くの大きくて立派な一軒家に住んでいて、小型自動車1台、馬2頭を持っていた。庭にはコンクリート製の井戸があり、裏庭には草花が咲いていた。また、家具、自動車、馬に「峰」という字が付いていた。 |
右上博部内側に12×5センチの火傷のあと |
個票 |
06013 |
9 |
劉 国忠、りゅう こくちゅう、男、5歳、A型 |
父、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省哈爾浜市の難民収容所に入所したが、弟は避難する途中で死亡した。その後、一緒に入所した女性がソ連軍に殺され、その夜、母も自殺した。このため、本人は日本人婦人を介して、養父母に預けられた。 |
渡満前、盲腸の手術をしたことがある。 |
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個票 |
06014 |
9 |
張 文普、ちょう ぶんふ、男、5歳、A型 |
母、兄、姉、祖母 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、他の日本人たちと一緒に避難し、途中両側にオンドルのある建物に泊まっていた時、ソ連兵の略奪を受けた。その後、貨車に乗り浜江省哈爾浜市南崗につき、二階建ての建物の二階に住んでいたが、21年春、本人は養父張世忠に引き取られた。 |
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左手甲の小指の付け根に火傷のあと、左の足首の近くにただれのあと |
個票 |
06015 |
15 |
楊 治国、よう ちこく、男、5歳、AB型 |
父、母 開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省哈爾浜市の日本神社に避難した。21年春、両親が、胡徳武を介して、養父楊子厚に預けた。その時、両親と養父はお互いの名前を紙に記して交換した。 |
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右耳たぶの裏側に大豆大のいぼ |
個票 |
06016 |
9 |
張 連生、ちょう れんせい、男、4歳、B型 |
父、母 父は鉄道関係の仕事をしていた曹長で、仕事で牡丹江に行ったらしい。 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省哈爾浜市南崗の難民収容所で、母が旅館を経営していた養父曹賀田、養母王廣珍に預けた。その時、母は青い罫線の入ったメモに本人のことを書いて渡した。 |
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へその上にあざ、両太股の上部にお灸のようなあと |
個票 |
06017 |
9 |
孫 宝忠、そん ほうちゅう、男、4歳、O型 |
母、姉(15〜16歳)、兄(11〜12歳) |
浜江省哈爾浜市 |
20年暮れ、母が、辺連子を介して、浜江省哈爾浜市上号西騎兵街に住んでいた養父孫貴に本人を預けた。その時、青色の水兵服を着ていた。兄は片方の目が赤かった。 |
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右わき腹にほくろ |
個票 |
06018 |
3 |
馬 文林、ば ぶんりん、男、4歳、B型 |
父、母、姉、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、雪の降る寒い朝、浜江省哈爾浜市馬家溝貨坊の線路に止まっていた貨車の中にいたところを、養父に保護された。その時、黄色い上着と灰色のズボンを履いていた。母は、貨車に乗っていた時、外からの銃弾を受けて死亡したらしい。 |
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左腕の関節のところに粟粒大のあざ |
個票 |
06019 |
11 |
趙 洪緒、ちょう こうしょ、男、4歳、O型 |
父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
20年8月、浜江省哈爾浜市南崗大楼で養父趙徳瑞、養母劉書芝に引き取られた。 |
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左耳たぶの裏側におできのあと |
個票 |
06020 |
10 |
袁 宝貴、えん ほうき、男、4歳、O型 |
父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
21年春、浜江省哈爾浜市南崗区馬家溝の花園難民収容所で、父母が相次いで死亡したため、日本人女性を介して、大工をしていた養父袁永恩に預けられた。 |
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個票 |
06021 |
10 |
桑 有財(桑 有才)、そう ゆうざい、男、4歳、A型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
20年11月、浜江省哈爾浜市新香坊青年訓練場近くの畑で母とはぐれたところを、養父の友人関徳奎に保護され、その後、養父桑振林に引き取られた。 |
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子供のころから両眼とも近視で右眼は小さい。右手小指が短く、左手人さし指と中指が湾曲。髪、瞳が茶色っぽい。足は甲高で偏平足。 |
個票 |
06022 |
12 |
王 黎明、おう れいめい、男、4歳、O型 |
父、母(28歳)、姉(7〜8歳) 牡丹江の開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
父を応召後、死亡した。母と姉と三人で避難する途中、二十一年春、浜江省哈爾浜市道外区北馬路35号忠興福火?で、母が、製粉工場で日本語の通訳をしていた沈鵬遠に預けた。その後、養父王玉山に引き取られた。 |
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右足の外側のくるぶしの上に直径3センチの傷あと、臀部に小さい傷あと |
個票 |
06023 |
12 |
範 来福、はん らいふく、男、4歳、A型 |
母、兄、姉 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市道里区一面街の製粉工場付近のソ連軍の兵営のあたりから、張が本人を連れてきた。その後、養父範振山、養母範張氏に引き取られた。 |
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左耳に数本のしわ |
個票 |
06024 |
9 |
梁 広興、りょう こうこう、男、3歳、B型 |
|
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市道里区十三道街の建物の二階に住んでいた養父梁立銘、養母梁瀋氏に引き取られた。現在、家に日本製毛皮は2枚と革製のトランクがあり、トランクには神戸税関のシールが付いているが、父母のものかどうかわからない。 |
日本製毛皮の写真(資料1)、トランクの写真(資料2) |
左手親指に黒いあざ |
個票 |
06025 |
7 |
李 有民、り ゆうみん、男、3歳、A型 |
父、母、兄、弟 |
浜江省哈爾浜市 |
21年9月ごろ、浜江省哈爾浜市花園難民収容所から、中国人趙正明及びその妻で日本人の木村和子を介して、養父李炳徳に引き取られた。 |
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下唇にほくろ、左膝の裏と胸の真ん中にあざ |
個票 |
06026 |
10 |
楊 長栄、よう ちょうえい、男、3歳、A型 |
父、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市の日本人居住区の海城街又は、河溝街一帯の馬家溝河の河原で泣いているところを、養母楊王氏に保護された。兄は中国人の御者に預けられたらしい。 |
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当時、頭全体に疥癬があり、髪が少なかった。左腕に楕円形の褐色のあざ。 |
個票 |
06027 |
12 |
劉 徳勝、りゅう とくしょう、男、3歳、AB型 |
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浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、両親とともに、牡丹江市から浜江省哈爾浜市道里区経偉校の難民収容所に避難した。20年9月、ある教師を介して、袁有恒に預けられ、その後、王連芬を経て養母于桂蘭に引き取られた。当時、全身にできものができており、髪が抜けていた。 |
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背中の左側に小さなあざと傷あと |
個票 |
06028 |
12 |
徐 鴻文、じょ こうぶん、男、2歳、O型 |
父、母、妹、弟 父は商人 |
浜江省哈爾浜市 |
浜江省哈爾浜市道里区一面街門牌に一家は住んでいた。21年5月ごろ、両親が、同区買売街に住む日本人女性に依頼し、苗徳隆を介して、道外区富錦街白家大院の劉義朴に預けた。その後、養父徐兆慶に引き取られた。 |
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左耳下の頬に傷あと、左ふとももにほくろ |
個票 |
06029 |
12 |
楊 勝、よう しょう、男、2歳、O型 |
父、母 父は浜江省哈爾浜市の土木建築会社勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
父は応召した。終戦後、母が、父と同じ会社の小野沢(男)を介して、養父楊歩雲、養母孫秀英に預けた。その後、母は2度会いに来た。 |
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右頬に米粒大のほくろ |
個票 |
06030 |
3 |
遅 敬武、ち けいぶ、男、2歳、O型 |
父(小林)、母(小林栄)、兄、姉 父は自動車の運転手 |
浜江省哈爾浜市 |
父は応召した。母とともに浜江省木蘭県から同省哈爾浜市に避難し、花園難民収容所に入所した。その後、同所で母が養父遅来福に預けた。父の本籍は大阪らしい。 |
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個票 |
06031 |
15 |
孫 成海、そん せいかい、男、2歳、O型 |
母、兄(6〜7歳) |
浜江省哈爾浜市 |
21年夏、本人は、浜江省哈爾浜市の馬家溝難民収容所で、中国人範を介して、養父孫徳順に引き取られた。 |
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個票 |
06032 |
3 |
朱 長順、しゅ ちょうじゅん、男、1歳、O型 |
父(三村喜一)、母、弟(正三、21年9月8日生) |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、母と弟と浜江省哈爾浜市に住んでいたが、弟は中国人に預けられた。母が帰国する少し前に、高連挙を介して、養父朱文増に預けた。その時、母の友人の伊藤悦子も立ち会った。 |
母は病気のため、20年8月か9月ごろまで浜江省哈爾浜市の孔氏医院に入院に入院していた。 |
左耳上に約1センチのこぶ |
個票 |
06033 |
12 |
趙 立勝、ちょう りつしょう、男、1歳、A型 |
父(31歳)、母(27〜28歳)、兄(6歳) 父は警察官または軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
21年5月、浜江省哈爾浜市松花江畔と同市北三道街の間で、父が馮白氏を介して、船の機関士をしていた養父趙守財に預けた。その時、父は、軍服を着て乗馬ズボンをはいていた。その後、一度、肉親が会いに来たが、養母趙回氏が会わせなかった。 |
養母の写真(資料) |
左足の付け根に針を刺した傷あと |
個票 |
06034 |
12 |
房 成順、ぼう せいじゅん、男、10ヵ月、O型 |
父、母 商売をしていたらしい |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市南崗区阿什河街8号に住んでいた史文徳から、南八道街93号に住んでいた馬地図を介して、養父馬鳳義に引き取られた。 |
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左あご、右わき、左ももにほくろ |
個票 |
06035 |
7 |
王 克印、おう こくいん、男、9ヵ月、AB型 |
父、母、兄、姉 父は関東軍の軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
一家は浜江省哈爾浜市南崗区橋南街の軍の官舎に住んでいた。ソ連参戦後、父はいなくなった。20年秋、母が病気であったため、当時養家で働いていた日本婦人大山を介して、養母王淑英に預けられた。その時、昭和19年11月20日と書かれた書付けがあった。兄は帰国し、姉は別の中国人馬に預けられた。 |
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個票 |
06036 |
9 |
満 世吉、まん せいきつ、男、8ヵ月、B型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、母とともに、浜江省哈爾浜市道里児童電影院付近の李宅に身を寄せた。母は、24年死亡した。背が高かった。なお、生年月日は19年12月11日であるが、これは母が李に伝えたのではないかと思われる。 |
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個票 |
06037 |
11 |
楊 占喜、よう せんき、男、6ヵ月、A型 |
父、母 両親は、浜江省哈爾浜市道里区安平街の池田という人が経営する工場に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
20年12月、両親が呂興山を介して、両親が働いていた工場の補修を請け負っていた瓦職人の養父楊培成に預けた。 |
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左わきの下にほくろ |
個票 |
06038 |
10 |
趙 徳成、ちょう とくせい、男、3ヵ月、A型 |
父、母、兄2人(12歳、7〜8歳)、姉(4〜5歳) 開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、母は、子供たちを連れ浜江省哈爾浜市駅前の安広小学校難民収容所に入所した。20年11月、母が哈爾浜市鉄路第五大院に住んでいた養父趙宝田に預けた。その後、姉も別の中国人に預けられた。21年1月、母と2人の兄は帰国した。 |
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右足首を上にできもののあと、首の左にほくろ |
個票 |
06039 |
9 |
岳 宝麟、がく ほうりん、男、2ヵ月、B型 |
父、母。その他は不明 |
浜江省哈爾浜市 |
浜江省哈爾浜市に住んでいたらしい。終戦後、母が養父の友人の呉新年を介して、同市道外区崇倹に住んでいた養父岳錫璞に預けた。その時、黄色の毛布に包まれ、和服を着ていた。1年後、母が養父宅に本人を引き取りに来たが、養父は渡さなかった。 |
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個票 |
06040 |
12 |
董 居浜(董 居濱)、とう きょひん、男、1ヵ月、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年10月ごろ、浜江省哈爾浜市の満州警察隊近くの洗濯屋か旅館で養父王志浜、養母康英華に保護された。その時、僧侶の服を着て、紫色で薄黄色の柄のある布団にくるまれていた。養父は、日本人が経営していた洗濯屋に勤めていた。 |
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右肩から肩甲骨にかけてしみ、 |
個票 |
06041 |
3 |
徐 佐誌、じょ さし、男、20年生、B型 |
父、母。数人の兄弟がいたらしい。 |
浜江省哈爾浜市 |
20年7〜8月ごろ、父母が、浜江省哈爾浜市道里区炮隊街で理髪店を経営していた養父徐吉明に預けた。その時、本人は、へその緒が付いたままだった。 |
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あごの左下に親指の爪大の黒いあざ |
個票 |
06042 |
10 |
于 世海、う せいかい、男、21年5月生、O型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
21年8月ごろ、浜江省哈爾浜市馬家溝の白梅小学校前から乗った荷馬車の中で、母が、御者であった中国人の閔憲臣に預けた。このとき、本人は青地に小さな花柄の布にくるまれていた。その後、養父于振洪に引き取られた。 |
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つむじが2つ |
個票 |
06043 |
13 |
趙 鉄軍、ちょう てつぐん、男、21年生、O型 |
清水富雄 父、母、姉 |
浜江省哈爾浜市 |
父は応召した。21年11月、浜江省哈爾浜市の難民収容所で、母が、薬の販売をしていた中国人劉敬徳の日本人妻を介して、同市道里区斜文街に住む養父趙海環に預けた。その後、母は姉を連れて養家に度々会いに来た。 |
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個票 |
06044 |
13 |
于 樹雲、う じゅうん、男、7歳、A型 |
父、母、兄(渡満しなかった)、姉2人(長姉は渡満しなかった) |
浜江省阿城県 |
終戦後、父が死亡し、その後、浜江省阿城県の難民収容所に入所したが、同所で母が死亡したため、姉が、同地で農具の鍛冶屋をしていた養父于景斌に預けた。その後、姉は帰国した。養父母の家は、阿城駅裏の湿地帯に面した家並みの一番はずれであった。 |
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個票 |
06045 |
15 |
張 全喜、ちょう ぜんき、男、5歳、A型 |
父、母、姉2人、兄、妹、叔父 開拓団 |
浜江省阿城県 |
終戦後、牡丹江市から浜江省阿城県東大営に避難した。避難する途中で、次姉と兄が行方不明となり、同所で父、母、妹が死亡した。その後、長姉と叔父が行方不明となったため、本人は永発屯で養父張廣生に引き取られた。 |
牡丹江に住んでいたときの家の周辺の絵図(資料) |
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個票 |
06046 |
2 |
金 淳成、きん じゅんせい、男、4歳、O型 |
父、母 |
浜江省阿城県 |
ソ連参戦後、父はソ連軍の攻撃を受け死亡した。その後、母も病死した。21年7月ごろ、浜江省阿城駅前の関東軍倉庫跡の難民収容所から朝鮮人金子信と50歳くらいの日本人婦人を介して、レンガ工場で炊事係をしていた養父金江(朝鮮人)に引き取られた。その時、養父は袋をもらったが、その中に父母と本人の3人で写した写真が入っていた。本人は語尾に「・・・べ」という日本語を話していた。 |
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首の右側に約3センチの傷あと |
個票 |
06047 |
8 |
賈 楓、か ふう、男、4歳、A型 |
父、母 父は牡丹江市付近の開拓団の団長らしい |
浜江省阿城県 |
21年1月ごろ、浜江省阿城県の難民収容所から中国人楊春蒲及び楊樹芳よって養母孫桂珍の家に連れて行かれた。その時、赤いセーターを着ていた。 |
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個票 |
06048 |
8 |
張 増良、ちょう ぞうりょう、男、3歳、A型 |
村田父、母、姉、妹 父は軍人 |
浜江省阿城県 |
21年春ごろ、父と妹は、浜江省阿城県東大営で死亡した。その後、同所で、母は姉を中国人孫に預け、本人を養父張樹相に預けた。その後、母は帰国した。 |
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額の右側に約1センチの傷あと |
個票 |
06049 |
9 |
王 志忠、おう しちゅう、男、3歳、O型 |
父、母。姉又は兄2人 父は軍人らしい |
浜江省阿城県 |
浜江省阿城県河東の軍官舎で、母が阿城駅で働いていた張樹徳に預けた。その時、キルティングの服を着て、とんがり帽子をかぶっていた。母は、姉又は兄2人を連れて帰国した。 |
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個票 |
06050 |
12 |
姚 永昌、よう えいしょう、男、3歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
浜江省阿城県 |
終戦後、浜江省を阿城県の難民収容所で、中国人夫婦を介して養父姚国華、養母姚郭氏に引き取られた。 |
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右耳上部に米粒大の突起 |
個票 |
06051 |
10 |
呉 鳳、ご ほう、男、3歳、A型 |
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浜江省阿城県 |
終戦後、浜江省阿城県天楽村で日本女性を介して、菓子売りをしていた養父呉景林に預けられた。 |
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当時、脱肛であった。 |
個票 |
06052 |
9 |
蘇 顕忠、そ けんちゅう、男、11ヵ月、O型 |
父、母 阿城県の開拓団 |
浜江省阿城県 |
父母が帰国する時、浜江省阿城県三大家南李囲子屯で、朱玉林を介して、養父蘇国治に預けた。 |
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個票 |
06053 |
9 |
魏 長海、ぎ ちょうかい、男、9ヵ月、A型 |
父、母 父は軍人だったらしい |
浜江省阿城県 |
21年、浜江省阿城県東大営で、左官屋をしていた養父魏零芝に引き取られた。その時、母の写真が1枚あった。 |
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右足のすねに楕円形の傷あと |
個票 |
06054 |
9 |
杜 志学、と しがく、男、7歳、O型 |
父、母、兄、姉、祖父 父は三江省方正県の開拓団の医者 |
浜江省延寿県 |
ソ連参戦後、祖父と兄が死亡し、母は姉と本人を連れて浜江省延寿県の難民収容所に入所した。同所で母が死亡し、本人は、姉とはぐれて中国人に保護された。母には、太ももに銃で撃たれた傷があった。 |
家の裏に大きな山があり、山の上に石像があった。皆がお参りしていた。村の南側は、小学校、病院、お寺があった。 |
右眉の端に犬にかまれた傷あと |
個票 |
06055 |
12 |
王 徳才、おう とくさい、男、6歳、B型 |
父、母(日本で死亡)、兄、姉、弟又は妹 |
浜江省延寿県 |
終戦後、浜江省を延寿県で、ある人を介して、劉万貴に引き取られ、その後、養父王鳳林に引き取られた。姉も近くの家に引き取られていた。 |
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引き取られた当時、右足が凍傷 |
個票 |
06056 |
6 |
隋 徳金、ずい とくきん、男、4歳、B型 |
父、母、長姉、次姉又は妹 |
浜江省延寿県 |
ソ連参戦後、浜江省延寿県の東部から東北門外大車店に避難した。母が病気になったため、養父張風山に預けられた。その時、本人は花模様の着物を着ていた。その後、養父が死亡したため、隋家に引き取られた。長姉が2〜3回本人を連れ戻しに来たが許されなかった。 |
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左わき腹と右肩後部にほくろ |
個票 |
06057 |
6 |
王 g?(王 g偉)、おう きい、男、3歳、B型 |
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浜江省五常県 |
終戦後間もなく、浜江省五常県山河屯の南にあった黄崗の開拓団で、養父王学志に保護された、その時、黄色の服を着ていたらしい。 |
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髪は縮れ毛 |
個票 |
06058 |
11 |
于 亜東、う あとう、男、3歳、B型 |
父、母、兄、妹牡丹江省の開拓団 |
浜江省五常県 |
ソ連参戦後、浜江省五常県朝陽川開拓団に避難し、同地で母が死亡した。その後、本人と妹は同県小新屯の王興雲に預けられたが、妹は同家で死亡し、本人は養父于子臣に引き取られた。 |
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個票 |
06059 |
12 |
曹 竹青、そう ちくせい、男、8歳、O型 |
父、母、姉(18歳)、兄(12〜13歳) 浜江省延寿県中和鎮の開拓団 |
浜江省珠河県 |
ソ連参戦後、一家はある村に避難した。その村で冬を越したが、そこで母が死亡した。その後、21年6月に、浜江省延寿県を経て同省珠河県に避難し、福常機という旅館に泊まった。その時、父が病気であったため、姉が養父曹天春、養母?福英に預けた。本人は、預けられた時、黄色のボロボロの服を着ていた。 |
20年に日本人の学校に入学した。 |
左目の中に黒い点 |
個票 |
06060 |
13 |
王 貴徳、おう きとく、男、5歳、A型 |
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浜江省珠河県 |
ソ連参戦後、浜江省珠河県老街基で、養父王永福、養母張尊蘭に預けられた。 |
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左腰に黒い斑点のあざ |
個票 |
06061 |
11 |
任 洪勝、にん こうしょう、男、5歳、B型 |
田中秀春 父、母、長姉(房子)、次姉、三番目の姉(麗子)、兄(正月) 浜江省珠河県の一面坡付近の開拓団らしい |
浜江省珠河県 |
ソ連参戦後、近くの駅より避難しようとしたが列車に乗れず、近くの倉庫に住んだ。20年秋、母が病気のため、三番目の姉と本人を別々の中国人に預けた。父は死亡したらしい。 |
父は下駄職人だった。 |
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個票 |
06062 |
12 |
馬 長太、ば ちょうた、男、4歳、B型 |
父、母、姉3人(父と長姉は渡満しなかった。) 父は軍人 |
浜江省珠河県 |
終戦後、三江省方正県尖山子から、母は本人と三番目の姉を連れて、浜江省珠河県慶陽郷の養父馬金貴の家に身を寄せた。2カ月後、母が死亡したため、三番目の姉と2人で養家で暮らすようになった。当時養家の近くには、大久保光子と言う日本人がいた。それから5年後に三番目の姉は死亡した。二番目の姉は養家に来る前に珠河県で別れ、消息不明。 |
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個票 |
06063 |
8 |
鄭 延臣、てい えんしん、男、5歳、O型 |
父、母、姉2人(13〜14歳、10歳)、兄、弟(2歳) 父は満鉄社員らしい |
浜江省葦河県 |
東安省林口の南山神社付近に住んでいた。父は、林口駅で鍛冶屋のような仕事をしていた。ソ連参戦後、母は、姉2人と弟と本人を連れて東安省林口から避難したが、母が、浜江省葦河県開道で旅館を経営していた養父鄭子久に本人を預け、次姉と弟も別々の中国人に預けた。その後、母は長姉を連れて避難したが途中でソ連軍の攻撃を受け、死亡した。 |
預けられた家の略図(資料) |
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個票 |
06064 |
11 |
高 子学、こう しがく、男、2歳、O型 |
父、母、兄2人(18〜20歳、6歳)、姉2人(17〜18歳、14歳) 父は鉄工所に勤務 |
浜江省葦河県 |
一家は、東安省林口県に住んでいたらしい。ソ連参戦後、夜、馬車に荷を積んで、浜江省葦河県開道村に避難した。避難する途中で、父と長兄は行方不明となった。20年10月ごろ、同所で本人は養父高先来に引き取られ、次兄、次姉も、それぞれ別の中国人に引き取られた。母と長姉は、ソ連軍に捕われ、行方不明となった。 |
居住していた家付近の地図(資料) |
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個票 |
06065 |
12 |
趙 淑琴、ちょう しゅくきん、女、7歳、O型 |
父、母、姉 浜江省巴彦県裕徳開拓団 |
浜江省巴彦県 |
ソ連参戦後、裕徳開拓団で母と姉が死亡し、父はソ連軍に連行された。その後、同開拓団で働いていた徐及び趙有を介して、養父趙殿甲に引き取られた。 |
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個票 |
06066 |
8 |
賈 秀芳、か しゅうほう、女、4歳、B型 |
兄及び姉がいたらしい 浜江省巴彦県裕徳開拓団 |
浜江省巴彦県 |
終戦後、浜江省巴彦県黄先生屯難民収容所でマスクを付けた日本人によって、中国人金鳳才を介して、養父賈治邦に預けられた。 |
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鼻の右側に薄いあざ |
個票 |
06067 |
12 |
馮 玉華、ひょう ぎょくか、女、4歳、O型 |
父、母、兄2人 浜江省巴彦県裕徳開拓団、父は大工 |
浜江省巴彦県 |
一家は浜江省巴彦県通達村付家粉房屯に住んでいたが、20年の末か21年の初めごろ、両親が、同村で農業をしていた養父馮憲廷に本人を預けた。 |
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個票 |
06068 |
15 |
? 淑琴、トウ シュクキン、女、4歳、AB型 |
父、母、兄又は姉 |
浜江省巴彦県 |
終戦後、父母は、浜江省巴彦県城内の橋のたもとで自殺した。そこで、中国人に保護され、兄又は姉は巴彦県西偉鎮で、食堂の主人に引き取られ、本人は、木蘭県新民郷の蘇興に引き取られたが、その後、養父?宝山に引き取られた。保護された時、黄色い毛布に包まれ、そばに手紙が置いてあった。 |
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個票 |
06069 |
5 |
劉 桂香、りゅう けいこう、女、2歳、O型 |
父(スガ)、母、長姉(11歳)、次姉(8歳、片目が悪い。)、兄(5歳) 浜江省巴彦県裕徳開拓団 |
浜江省巴彦県 |
20年10月ごろ、母が病気のため本人は浜江省巴彦県黄先生屯の杜万仁に預けられ、その後劉景環に引き取られた。母が死亡したため、兄姉の3人は金鳳財を介して、それぞれ別の中国人に預けられた。父は帰国する際、本人を迎えにきたが、返してもらえなかったので、姉兄の3人を連れて帰国した。 |
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個票 |
06070 |
6 |
韓 潔、かん けつ、女、4歳、O型 |
父、母 |
浜江省木蘭県 |
ソ連参戦後、母とともに浜江省哈爾浜市に向かう途中、同省木蘭県松花江の川沿いで、母が、中国人趙玉倫を介して、養母車淑蘭に預けた。その時、本人は紺と白の線のある半袖の服を着て、人差し指に金の指輪をはめていた。養父韓仲元は、終戦前のある時期、木蘭県の警察署長をしていた。 |
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右耳前に米粒大のほくろ、左太もも側部に2.5センチ大の2つのおできのあと、小指が薬指の約半分の長さ |
個票 |
06071 |
8 |
于 桂卿、う けいけい、女、9歳、B型 |
ケイコ 父、母 父はおじと電機店を経営 |
浜江省哈爾浜市 |
両親とおじは浜江省哈爾浜市道里区炮隊街で「金子電機店」を共同経営していた。父の応召後、14年、店は倒産し、母は本人をおじ夫婦に預けた。その後、おじの妻と娘が死亡したため、本人は電機店で働いていた養父于士義に預けられた。おじは福岡県出身で、金子次太郎又は四太郎といい、21年ごろ日本人難民会の会長をしていたらしい。 |
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右肩に黒いあざ |
個票 |
06072 |
4 |
楊 桂蘭、よう けいらん、女、9歳、B型 |
父、母、兄、妹、弟(渡満後出産)、祖母 東安省勃利県か密山県の開拓団らしい |
浜江省哈爾浜市 |
一家は18年ごろ渡満した。ソ連参戦後、馬車に乗り山に逃げ、そこから馬車を捨て、歩いて浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所に避難した。父と兄は避難する途中に行方不明となった。21年春、収容所で母が病死し、祖母は妹と弟を中国人に預けた。その後、祖母も死亡したため、収容所の人によって、同市で豆腐屋とブリキ屋をしていた養父楊守山に預けられた。 |
家は石造りで、入り口に柿の木と栗の木があった。 |
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個票 |
06073 |
8 |
常 淑艶、じょう しゅくえん、女、8歳、AB型 |
父、母、兄、弟(死亡)、従妹3人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、家族で汽車に乗って避難する途中、乗っていた汽車が爆破され、歩いて浜江省哈爾浜市にたどりついた。その時は雪が降っていた。弟は避難する途中で病死した。その後、両親により中国人楊に預けられた後、養父母に引き取られた。 |
日本にいた当時の家は平屋造りで、馬小屋、牛小屋があり、馬、牛それぞれ1頭ずついた。家の回りに大きな池が2つあった。学校に半年通った。雪が降りスキーをしたことがある。海はない。父は毎日肩から大きな革のカバンをかけて出勤していた。 |
右足に幼少のころの傷あと。腰の左にこぶが生まれつきある |
個票 |
06074 |
5 |
張 秀蘭、ちょう しゅうらん、女、6歳、A型 |
父(渡満しなかった)、母、長兄、次兄(病死)。祖母がいたかもしれない |
浜江省哈爾浜市 |
一家は哈爾浜市南崗区に住んでいた。20年冬、浜江省哈爾浜市南崗区で大工をしていた養父張好香に預けられた。養母は日本人の倉庫番をしていた。 |
養父母の写真(資料) |
左大腿部の根元に小さい肉の塊がある。 |
個票 |
06075 |
10 |
管 秀栄、かん しゅうえい、女、6歳、O型 |
父、母、姉、弟 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて浜江省哈爾浜市南崗区馬家溝の白梅小学校の難民収容所に入所したが、避難する途中で、弟が死亡した。21年5月ごろ、同収容所で母が病気になったため、本人は養父管恩浩に預けられた。その時、足に火傷しており、毛糸の下着に青色のセーラー服を着て、緑色のズボンをはいていた。 |
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左足に約5センチの凍傷のあと |
個票 |
06076 |
12 |
張 秀蘭、ちょう しゅうらん、女、6歳、B型 |
父(死亡したらしい)、母、兄(死亡)、姉、弟 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
20年暮れの雪の降る日、浜江省哈爾浜市南崗区の難民収容所らしきところで、母が、中国人を介して、養父張紹峰に本人を預けた。その時、黒地に花模様のある綿入れを着て、灰色の毛布に包まれていた。 |
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右足の付け根に薄い褐色のあざ |
個票 |
06077 |
12 |
呉 麗娟、ご れいけん、女、6歳、A型 |
父、母、姉 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市の家で、日本人の医者により、養父呉玉亭に預けられた。その時、父から預かった小箱を渡した。 |
一家は、哈爾浜市の大きなクルミの木がある家で、多くの日本人とともに大きな部屋に住んでいた。 |
右手親指と人差し指の間に青色の小さな斑点、首右側に傷あと |
個票 |
06078 |
13 |
張 艶栄、ちょう えんえい、女、6歳、B型 |
父以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
21年春、浜江省哈爾浜市南崗区の難民収容所で、父が、養父張文需に預けた。父は、同市道外区小保定街4号の方養父の家まで送ってくれた。鈴木久子という山形県出身の叔母がいるらしい。 |
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個票 |
06079 |
15 |
孫 秀琴、そん しゅうきん、女、6歳、B型 |
父、母、弟、妹 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、一家は浜江省哈爾浜市の礼拝堂に避難したが、同地で母、弟と離別した。その後、本人と妹は間島省延吉市に避難し、本人は養父孫徳林に保護され、妹は死亡した。当時、肩から薬の入れ物を下げていた。 |
保育園に通ったことがあるが、通園途中友達にいじめられるので、間もなくやめてしまった。家のすぐ近くに火山があった。 |
小さいころ、右耳が中耳炎にかかっていた。 |
個票 |
06080 |
2 |
張 慧真、ちょう けいしん、女、5歳、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
浜江省哈爾浜市の鉄道局の住宅に居住し、隣には中島一郎という鉄路警備隊の人が住んでいた。本人は、養父の母が同市の日本の病院から引き取ってきた。 |
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右胸下に褐色のあざ |
個票 |
06081 |
2 |
劉 秀雲、りゅう しゅううん、女、5歳、A型 |
父(戦死)、母、姉2人、兄 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所に避難した。兄は避難する途中、ソ連軍に連行された。その後、同市で母が養父劉祥苓に本人を預けた。別れるとき、着物を置いていった。 |
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個票 |
06082 |
7 |
韓 玉蘭、かん ぎょくらん、女、5歳、B型 |
父、母、兄(11〜12歳) |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、父は兄と、母は本人と避難し、歩いて浜江省哈爾浜市まで来て、同市馬家溝の難民収容所に入所した。20年秋、母が病気になったので、本人を養母韓張氏に預けた。その時、本人は、黄色の服を着ていた。 |
家は平屋で、周囲を鉄条網で囲まれていた。白い鶏をたくさん飼っていた。 |
右目下端にほくろ、左足指の付け根に傷あと |
個票 |
06083 |
8 |
欧 銀珠、おう ぎんしゅ、女、5歳、O型 |
父、母、姉、弟(終戦前死亡) 父は運送業 |
浜江省哈爾浜市 |
父は二十年五月に応召した。終戦後、牡丹江市から浜江省哈爾浜市南崗の難民収容所に入所した後、養父母欧中倫、党克勤に引き取られた。その後、姉は朱景陽に引き取られたが、25年に死亡した。 |
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左手首外側に薄い茶褐色のあざ |
個票 |
06084 |
9 |
穆 玉存、ぼく ぎょくそん、女、5歳、A型 |
父、母、姉、兄、弟又は妹 父は軍人らしい |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所に入所したが、母が死亡したため、本人は20年12月、同市三道街で料理屋のコックをしていた養父穆培臣に引き取られた。引き取られてから、おじが2度会いに来たが、養父は会わせなかった。 |
父が飼っていた小鳥が死んだことを憶えている。 |
右肩の後側にほくろ |
個票 |
06085 |
9 |
石 淑文、せき しゅくぶん、女、5歳、A型 |
父、母、妹(3歳)、弟 父は開拓団の獣医らしい |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、一家は開拓団とともに避難したが、途中弟が死亡し、父はソ連軍に連行された。浜江省哈爾浜市に到着後、難民収容所に入所した。その後、母が、本人と妹を別々の中国人に預けた。 |
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首の左に米粒大のほくろ |
個票 |
06086 |
10 |
林 桂珍、りん けいちん、女、5歳、B型 |
父、母、弟、妹 開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
父は20年春に応召した。ソ連参戦後、母は弟と妹を連れて荷馬車に乗り、本人は別の荷馬車に乗って団員たちと避難したが、途中空襲に遭い母たちとはぐれた。その後、浜江省哈爾浜市の難民収容所に入所したが、団員の婦人により養父林捷基に預けられた。 |
小さいころ、紺のラシャの帽子をかぶっていた。 |
偏平足 |
個票 |
06087 |
12 |
郭 秀琴、かく しゅうきん、女、5歳、O型 |
父、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、父と兄が帰国した後、母が浜江省哈爾浜市南崗区溝子東の劉に預け、その後、養父母に引き取られた。母が預けた時、衣服の入った3、4個の白い包みを残していった。 |
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太ももに直径約10センチのあざ |
個票 |
06088 |
12 |
田 淑艶、でん しゅくえん、女、5歳、O型 |
父、母、姉 |
浜江省哈爾浜市 |
21年8月ごろ、母と姉が死亡したので、父が浜江省哈爾浜市道外南五道街で、孫香甫を介して、同街のアイスクリーム店で働いていた養父田子玉に預けた。その時、白っぽい半袖のワンピースを着ていた。 |
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個票 |
06089 |
15 |
高 玉蘭、こう ぎょくらん、女、5歳、B型 |
父、母、兄2人、妹 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、一家で避難する途中、家族と離別した。本人と兄2人は、浜江省哈爾浜市南崗区の難民収容所に収容された。その後、本人は黄色のオーバーを着た背の高い女性によって養父母高徳生、李淑珍に預けられた。 |
哈爾浜市近郊の二階建てに住んでいた。家の近くに廃線らしい鉄道があり、トロッコで遊んだことがある。また、父と兄と一緒に、写真館に写真を撮りに行ったことを覚えている。 |
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個票 |
06090 |
7 |
王 金珠、おう きんじゅ、女、4歳、A型 |
金山 父(30数歳) 父は哈爾浜市道里区の日本人が経営する風呂屋に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、父が、人力車夫を介して、浜江省哈爾浜市太莱街76号に住む、胡弓弾きだった養父王熙福に預けた。その後、父は何度も会いに来たが、ある時、金属製のせっけん箱を残していった。父は、背があまり高くなく、眉毛とひげが濃かった。 |
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個票 |
06091 |
9 |
楊 桂蘭、よう けいらん、女、4歳、O型 |
父、母、兄又は姉 |
浜江省哈爾浜市 |
20年10月、母は浜江省哈爾浜市の難民収容所から働きに出たまま帰らなかったため、本人は同市大平橋でブリキ屋をしていた養父楊海山に引き取られた。その時、黄色の古びたラシャのオーバーを着ていた。 |
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20年12月、病気のため右眼失明 |
個票 |
06092 |
10 |
李 晶波、り しょうは、女、4歳、O型 |
父、母、兄又は姉4人 父は憲兵 |
浜江省哈爾浜市 |
一家は、浜江省哈爾浜市に住んでいた。終戦後、養家で会食中暴民が押し入り、父と養父(父の通訳)が連れ出され、行方不明になった。母が帰国する時、本人を養母趙素范に預けた。 |
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背中と腰に傷あと |
個票 |
06093 |
12 |
喬 鳳蘭、きょう ほうらん、女、4歳、O型 |
父、母、姉 |
浜江省哈爾浜市 |
日本で生まれ、母とともに、当時、行方不明の父を探すために姉の遺骨を持って渡満した。ソ連参戦後、母と浜江省哈爾浜市道里区兆麟街大廟内に避難し、喬連儒の家に身を寄せたが、母が23年に死亡したため孤児院へ送られた。 |
住んでいたところは、小さな山があり、鉄道が走っていた。母に背負われて、父を見送った。大勢の人が、父を見送りに来ていた。 |
両足にあばた(種痘のようなあと) |
個票 |
06094 |
12 |
李 蘭英、り らんえい、女、4歳、O型 |
父、母。その他は不明 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市香坊区で両親とはぐれ、ソ連人女性に保護された。この女性を介して、中国人に引き取られた後、養父母に引き取られた。 |
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左肩にほくろ |
個票 |
06095 |
15 |
許 鳳芝、きょ ほうし、女、4歳、A型 |
父、母、兄、姉 北満の開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、一家は浜江省哈爾浜市四道街の難民収容所に入所したが、母が病気のため、21年4月、本人を養母牛玉琴に預けた。 |
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個票 |
06096 |
4 |
史 桂嶺、し けいれい、女、3歳、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
21年秋、浜江省哈爾浜市馬家溝で料理店を経営していた養父の友人(50歳くらい、帽子をかぶり、ステッキを使用していた)を介して、養父孫世山に引き取られた。その時、ベージュのブラウスを着て下駄を履いていた。 |
家には緑色の置時計があった。 |
首にほくろ、左手人差し指の第1関節から第2関節にかけて傷あと |
個票 |
06097 |
6 |
李 桂芹、り けいきん、女、3歳、O型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
20年10月ごろ、浜江省哈爾浜市の道里区秀竜街あるいは道外付近で、母が廃品回収業をしていた養父王文才に預けた。 |
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幼少時、体が弱く、足が悪かったため、余り歩けなかった。また、O脚だった。 |
個票 |
06098 |
8 |
張 秀英、ちょう しゅうえい、女、3歳、O型 |
父、母(死亡) 牡丹江付近の開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、母とともに、浜江省哈爾浜市香坊区保福大院に住む養父張発元の家で世話になっていたが、21年の春ごろ、母は死亡した。 |
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右腕と左脇腹にほくろ |
個票 |
06099 |
10 |
隋 丁香、ずい ていこう、女、3歳、O型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
22年春、母が浜江省哈爾浜市道里区大同路、又は安吉街36朋工場の鉄道線路付近で養父隋宝山に預けた。その後、母は帰国したらしい。 |
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首の左下部に黒いあざ、胸にほくろ、左腋の下にいぼ |
個票 |
06100 |
11 |
劉 桂芝、りゅう けいし、女、3歳、O型 |
父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
20年11月、浜江省哈爾浜市馬家溝で中国人蔡を介して、母が養父劉福臣に預けた。当時、木の葉模様の半袖のワンピースを着ていた。その後、母は本人に何回か会いに来たが、21年6月ごろ、帰国したらしい。 |
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個票 |
06101 |
12 |
康 桂蘭、こう けいらん、女、3歳、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市道外区新二十道街4号の趙家に住んでいたが病気であったため、養父康瑞に引き取られた。なぜ趙家にいたかはわからない。 |
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個票 |
06102 |
12 |
孫 秀香、そん しゅうこう、女、3歳、B型 |
父、母、長姉(文、9歳)、次姉(蘭、5歳) 父は飛行機の操縦士 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、母3人の子供と浜江省哈爾浜市の難民収容所に入所し、そこで本人を養父孫吉俊に預けた。同収容所に来る途中、次姉蘭は死亡した。 |
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個票 |
06103 |
12 |
呉 振栄、ご しんえい、女、3歳、B型 |
父、母、姉(7歳)、弟(2歳) 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
父が日本で応召した後、母姉弟と4人で渡満した。ソ連参戦後、避難する途中に弟が死亡した。20年9月、浜江省哈爾浜市南崗区東大直街の難民収容所に入所した後、姉がいなくなり、母が病気になっていなくなってしまった。その後、同所で養父呉官廷に引き取られた。 |
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右腕の内側に約2センチのあざ |
個票 |
06104 |
12 |
李 秀珍、り しゅうちん、女、3歳、AB型 |
父、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
20年9月ごろ、浜江省哈爾浜市南崗花園小学校の難民収容所で、母が、哈爾浜市税関で働いていた養父李徳基に預けた。その時、母は重病だった。 |
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左上膊に1×4センチの傷あと、右腰部に1.5×5センチの火傷のあと |
個票 |
06105 |
14 |
侯 玉娜、こう ぎょくだ、女、3歳、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
21年春、浜江省哈爾浜市一面街で、中国人苗徳龍に保護され、その後、商人であった養父侯国蔭に引き取られた。 |
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右手のひらに傷あと |
個票 |
06106 |
5 |
孫 桂珍、そん けいちん、女、2歳、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
21年6月、浜江省哈爾浜市馬家溝付近の難民収容所で、日本人男性を介して養父孫洪喜に預けられた。その時、タオルで作ったチョッキを着ていた。 |
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個票 |
06107 |
9 |
葉 修枝、よう しゅうし、女、2歳、A型 |
父、母、兄(12歳)、姉(10歳) |
浜江省哈爾浜市 |
父は応召した。20年秋、竜江省斉々哈爾市から浜江省哈爾浜市の公園にあった難民収容所に入所した。同市外国二道街の日本婦人の家で、母が、楊洪智を介して、養父葉斌一に本人を預けた。21年、母は兄と姉を連れて帰国した。 |
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左眉の横に小豆大のおできのあと、右腰にコウリャン粒大のほくろ |
個票 |
06108 |
10 |
? 傳敏、きょう でんびん、女、2歳、不明型 |
父、母 父は軍人、母は浜江省哈爾浜市の「同太浩」という薬局に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
父は19年に応召した。終戦後、母が帰国する際、浜江省哈爾浜市道里十二道街の協会の裏に住んでガラス瓶洗いをしていた中国人孟に預けた。その後、養父?慶禄に引き取られた。 |
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胸に約3センチの丸い傷あと |
個票 |
06109 |
10 |
範 玉傑、はん ぎょくけつ、女、2歳、A型 |
父、母、姉、弟 父は獣医 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて浜江省哈爾浜市に避難する途中で父と再会したが、まもなく父はソ連軍に連行された。その後、弟が死亡し、母は姉と本人を連れ哈爾浜市の難民収容所に入所した後、母が本人を養父範潮海に預けた。その後、姉を田という中国人に預けた。 |
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首の左側、左乳房、右上膊部の下、左臀部に腫物のあと |
個票 |
06110 |
12 |
呉 晶、ご しょう、女、2歳、O型 |
父、母 父は電業局職員 |
浜江省哈爾浜市 |
21年秋、浜江省哈爾浜市道里区の兆隣公園付近で、日本人の老人を介して、養父呉國棟に預けられた。その時、茶色がかったエンジ色のセーターを着て、綿入れのズボンをはいていた。 |
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右腰に約4センチの傷あと |
個票 |
06111 |
12 |
于 秀香、う しゅうこう、女、2歳、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
終戦後、家族とはぐれてしまい、浜江省哈爾浜市の芸妓館にいたところを中国人馬に保護された。その後、養父于世仁、養母王素栄に引き取られた。 |
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個票 |
06112 |
6 |
楊 紅旭、よう こうきょく、女、1歳、O型 |
父、母、兄又は姉3人 母は浜江省哈爾浜市の丸商百貨店に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
21年3月か4月ごろ、浜江省哈爾浜市道外区北五道街の松花江河岸近くで、母が、養父李文に本人を預けた。李文は当時、長いひげを生やしていた。 |
養父母の写真(資料1)、養家の写真(資料2) |
襟首に赤いあざ、目と目の間にほくろ |
個票 |
06113 |
4 |
高 栄麗、こう えいれい、女、1歳、O型 |
父(北海道出身らしい)、母(同前)、弟(清水富雄)、祖父(母方) 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省哈爾浜市の難民収容所に入所した。22年1月、母が収容所の向かい側にあった小料理屋を経営していた王夫妻を介して、仕立屋の養父高玉崑、養母張淑芳に預けた。23年、母は赤ん坊を背負って本人に会いに来た。 |
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右肩上に赤紫色のあざ |
個票 |
06114 |
10 |
原 学珍、げん がくちん、女、1歳、O型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母が本人をおぶって避難する途中、浜江省哈爾浜市三?樹駅付近で、中国人婦人と出会った。その婦人が養母所鳳英(婦人の妹)を連れてきたので、母が養母に預けた。 |
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右手薬指の先が欠けて短い |
個票 |
06115 |
12 |
王 明華、おう めいか、女、1歳、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市馬家溝難民収容所で、劉景魁を介して、同市道外区北十八道街竹林港8号に住んでいた養父王本生に預けられた。その時、黒字に白(又は白地に黒)の小さい花柄の和服を着ていた。 |
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襟首にあざ |
個票 |
06116 |
12 |
王 春華、おう しゅんか、女、1歳、B型 |
父、母 父は軍人らしい |
浜江省哈爾浜市 |
20年末ごろ、母が、浜江省哈爾浜市道里区外国六道街42号のペンキ職人だった養父王振棟に預けた。その時、母か隣の日本人の老婦人が、絹糸製の虎の古画を渡した。その後、母が2、3度会いに来た。 |
母か隣の老婦人が養父に渡した絹糸製の虎の古画の写真(資料) |
左耳上部に紫色のあざ |
個票 |
06117 |
12 |
王 月芝、おう げつし、女、1歳、O型 |
父、母(終戦前に死亡) 父は工員 |
浜江省哈爾浜市 |
浜江省哈爾浜市道外区開源二道街付近に住んでいた。20年、哈爾浜市道里区大橋の製粉工場付近で、父が養母呂淑玉に預けた。その時、灰色の和服にくるまっていた。また、体中にできものがあった。 |
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左足首の後ろに、3×4センチの火傷のあと |
個票 |
06118 |
13 |
馬 秀蘭、ば しゅうらん、女、1歳、O型 |
父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
20年秋、母が、浜江省哈爾浜市道外十六道街の回族馬家食堂で、中国人女性に預けたが、3日後、その中国人女性と父が、松花江の中心の島、江心島に住む養父馬如卿に預けた。当時、白と青の格子模様の服を着ていた。 |
養母の写真(資料) |
両手の小指が第一関節から内側に湾曲している。尾骨部に黒いあざ |
個票 |
06119 |
13 |
武 桂秋、ぶ けいしゅう、女、1歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
21年冬ごろ、浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所で、養父張丹亭に引き取られた。 |
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右足ふくらはぎに約2センチの切り傷あと。右頬の下に腫物のあと |
個票 |
06120 |
14 |
張 中芳、ちょう ちゅうほう、女、1歳、A型 |
父、母、姉(13〜15歳)、兄2〜3人 父は軍人らしい |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、一家は浜江省哈爾浜市南崗区の難民収容所に入所した。その後、母が、当時雑貨店を営んでいた養母王毅華に本人を預けた。養父は同市の満州ペイント株式会社で働いていた。 |
養母の写真(資料) |
右足付け根に小豆大のほくろ |
個票 |
06121 |
11 |
劉 ?、りゅう き、女、8ヵ月、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年秋ごろ、浜江省哈爾浜駅で80歳くらいの老婦人によって漢方医をしていた養父劉俊峰に預けられた。その時、青い絹の和服を着て、赤地に白い花模様の毛布にくるまれ、日本の国旗と黄色い草履と赤色の木彫りのお盆が置いてあった。また、布切れに「菊地玲子」、「昭和19年12月13日」と書いてあった。 |
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個票 |
06122 |
12 |
于 秀華、う しゅうか、女、6ヵ月、A型 |
父、母、姉、兄 開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
北満の開拓団に入植する途中に終戦を迎え、浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所(国民学校)に入所した。その後、寒くなったころ、両親が養父于万清に預けた。預ける時、養父の家まで養父、両親と4人で馬車で行った。 |
養母の写真(資料) |
左肩後ろにほくろ |
個票 |
06123 |
4 |
魏 秀英、ぎ しゅうえい、女、3ヵ月、A型 |
父、母、姉2人、おば(父方) 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
一家は、浜江省哈爾浜市南崗区に住んでいた。家族が帰国する前、母が、同市太平区興隆四道街の廃品回収業者魏甫臣に預けた。その後、母は2度魏家を訪れ、姓名、住所、写真を交換したが、全部消失してしまった。母は2人の姉を連れて、おばと一緒に帰国したらしい。 |
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頭髪は縮れ毛 |
個票 |
06124 |
12 |
王 美浜、おう びひん、女、20年8月生、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年9月、浜江省哈爾浜市道里八区の線路脇の大きな橋の下で趙に保護され、その後、養父王子春に引き取られた。その時、灰色の和服を着ていた。 |
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左目の脇に米粒大の黒いあざ |
個票 |
06125 |
2 |
楊 章琴、よう しょうきん、女、20年10月生、AB型 |
父(田川○一郎)、母、兄又は姉が2人 父母は哈爾浜市立病院に勤務 |
浜江省哈爾浜市 |
本人は、20年10月浜江省哈爾浜市立病院で出生した。7か月の早産であった。数日後、父母が同病院の趙永珍科長を介して、同病院で受付係をしていた養父楊純仁に預けた。 |
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頭髪は縮れ毛 |
個票 |
06126 |
4 |
張 志岩、ちょう しがん、女、21年生、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
21年秋、浜江省哈爾浜市香坊中山路の小北屯付近(飛行場の南側)の養母の妹の家に、母らしい人が来て本人を預けた。 |
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左耳の後ろにあざ |
個票 |
06127 |
15 |
李 萍、り へい、女、22年生、O型 |
母(山岡秀子) |
浜江省哈爾浜市 |
22年8月ごろ、母は浜江省哈爾浜市南崗区中和街で、劉貴成を介して、養父李子良に本人を預けて帰国した。 |
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|
個票 |
06128 |
11 |
朱 桂蘭、しゅ けいらん、女、7歳、B型 |
父、母、弟 |
浜江省阿城県 |
20年11月、父が浜江省阿城県東門外の日本軍兵営内で、中国人張に本人を預けた。 |
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右足ふくらはぎに傷あと、鼻すじの左にほくろ |
個票 |
06129 |
3 |
郭 新華、かく しんか、女、5歳、AB型 |
父(小寺)、母 浜江省阿城県亜溝の西南の黄溝開拓団 |
浜江省阿城県 |
同開拓団にいた時、母が、中国人閻を介して、養父郭永勝に預けた。その時、紺地に小さい点のような花模様の服を着ていた。 |
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両肩に親指の爪大の黒いあざ |
個票 |
06130 |
11 |
田 淑芹、でん しゅくきん、女、5歳、B型 |
父、母、弟 |
浜江省阿城県 |
ソ連参戦後、一家は浜江省阿城県山河郷小李店屯の関堂嶺西山に避難したが、暴徒に襲われたため、本人と弟は両親と離別した。その後、2人は、数人の中国人を介して、養父田玉発に引き取られたが、弟は間もなく死亡した。 |
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顔の左側と大腿部と足に火傷のあと |
個票 |
06131 |
11 |
杜 麗華、と れいか、女、5歳、O型 |
鈴木 父、母、弟 開拓団 |
浜江省阿城県 |
母は避難する前に死亡した。ソ連参戦後、父は、子供達を連れて浜江省阿城県の難民収容所に入所した。21年初め、父は、本人と弟を劉子福に預けた。20日後、弟は死亡し、本人は、養父杜連武に引き取られた。弟は脱肛だった。 |
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個票 |
06132 |
12 |
孫 麗、そん れい、女、5歳、A型 |
村田 父、母、兄、弟、妹 父は軍人 |
浜江省阿城県 |
21年初め、浜江省阿城県東大営で父と妹が死亡し、母は、本人を養父孫夢飛に預け、弟を張家に預けた。その後、母は3度会いに来た。本籍地は山梨県か山形県らしい。 |
21年の春ごろ、母、兄、弟と4人で父の墓参りをした。 |
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個票 |
06133 |
15 |
尹 桂蘭、いん けいらん、女、4歳、A型 |
母以外不明 |
浜江省阿城県 |
終戦後、母と浜江省阿城県の難民収容所に入所した。その後、阿城駅近くで鍛冶屋をしていた養父王勇に預けられた。 |
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右首筋にほくろ |
個票 |
06134 |
8 |
王 桂蘭、おう けいらん、女、3歳、B型 |
父、母 |
浜江省阿城県 |
終戦後、父母とともに、浜江省阿城県河東の難民収容所に入所した。その後、阿城駅のそばで、旅館(万舎亭)を経営していた中国人劉を介して、養父王彦池に引き取られた。 |
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個票 |
06135 |
15 |
任 淑賢、にん しゅくけん、女、3歳、AB型 |
父、母 |
浜江省阿城県 |
終戦後、父母とともに避難する途中、浜江省阿城県八区の道路で、中国人薛に保護された。その後、養父任万里に引き取られた。 |
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個票 |
06136 |
11 |
張 淑蘭、ちょう しゅくらん、女、8歳、B型 |
アイコチャンと呼ばれていた。 父、母、兄(10歳)、妹(2歳) 父は三江省方正県の開拓団で自動車の運転手 |
浜江省延寿県 |
ソ連参戦後、母は子供達とともに、三江省方正県から避難する途中、浜江省珠河県で、兄を中国人に預けた。20年10月ごろ、同省延寿県延寿街で本人と妹を養父張福成に預けた。 |
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個票 |
06137 |
12 |
劉 玉琴、りゅう ぎょくきん、女、6歳、A型 |
小林光子 父、母、兄、姉、妹(2歳) 浜江省延寿県中和鎮開拓団 |
浜江省延寿県 |
父は応召した。終戦後、母、兄、姉、妹と本人は、浜江省延寿県加信鎮北門外張仁店の李堂の家で暮らしていたが、1年半後母は死亡した。その後、本人は、中国人張を介して、養父劉氷堂に引き取られ、兄姉は他の家に、妹は李堂の弟の家にそれぞれ引き取られた。妹は7歳で死亡した。父の顔の左側に黒いあざがあった。 |
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幼少時、右手の薬指の爪がなかった。足に火傷のあと |
個票 |
06138 |
10 |
王 桂蘭、おう けいらん、女、1ヵ月、AB型 |
父、母、姉(12歳)、祖母(父方) |
浜江省延寿県 |
20年12月下旬、浜江省延寿県加信鎮張仁旅店の難民収容所で、母が養父王占山に預けた。 |
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個票 |
06139 |
13 |
李 淑梅、り しゅくばい、女、4歳、B型 |
父、母、兄 |
浜江省五常県 |
終戦後、父が、浜江省五常県山河屯駅で警察官をしていた養父李天徳に預けた。 |
|
右の耳にいぼ。左足の小指の先が2つに分かれている。 |
個票 |
06140 |
9 |
林 鵑、りん けん、女、6歳、B型 |
父、母、姉2人 |
浜江省珠河県 |
ソ連参戦後、浜江省珠河県東門里の大車店まで避難したが、そこで父が、本人を養父孟慶成に預けた。このとき、父は腕を負傷しており、目がよく見えなかった。 |
足に釘がささり、けがをしたため、姉に背負われて病院に通ったことがある。 |
右足の裏に釘がささったときの傷あと |
個票 |
06141 |
12 |
劉 豊蘭、りゅう ほうらん、女、4歳、O型 |
父、母、姉、兄、妹 |
浜江省珠河県 |
終戦後、牡丹江市から浜江省哈爾浜市に向かって避難する途中、浜江省珠河県一面坡の東興区難民キャンプに入り、3日後、父が死亡した。母も病気だったため、姉が本人を養父劉春喜に預けた。その時、姉は養父に、本人の誕生日、住所、家族の名前を書いたメモと懐中時計を渡した。 |
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|
個票 |
06142 |
12 |
董 淑芝、とう しゅくし、女、4歳、A型 |
父、母、姉(16歳)、兄(11歳) 開拓団らしい |
浜江省珠河県 |
終戦後、浜江省珠河県向陽街の孟家(屋台で餅を売っていた。)に姉と一緒に預けられ、その後、養母李玉芳に引き取られた。 |
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体中に、数多くの発疹のあと |
個票 |
06143 |
12 |
張 淑清、ちょう しゅくせい、女、2歳、O型 |
|
浜江省珠河県 |
終戦後、浜江省珠河県双橋子附近の田家店で養父孫会軒に引き取られた。 |
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左耳下に小豆大のほくろ |
個票 |
06144 |
9 |
郭 鳳栄、かく ほうえい、女、7歳、O型 |
父、母、姉、兄、妹 |
浜江省葦河県 |
浜江省葦河県葦河三部落の学校の東に住んでいた。ソ連参戦後、本人と妹は三部落の南で呉青雲に保護され、本人は郭維剛に、妹は李万東に預けられた。 |
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|
個票 |
06145 |
62-2 |
呉 鳳鳴、ご ほうめい、男、2歳、AB型 |
父、母 浜江省哈爾浜市付近の開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
20年冬から21年春の間に、父母は浜江省浜江省哈爾浜市道外区六道街に住む養父呉東禄に預けた。その時、日本語で本人の姓名、生年月日、住所及び父母の氏名を書いた縦書きのメモを残した。 |
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個票 |
06146 |
62-1 |
譚 永福、たん えいふく、男、1歳、A型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
21年10月、母が浜江省哈爾浜市南崗木介街の養父母の家(ロシア風の建物)で、養母趙羨華に預けた。 |
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眉間にほくろが2つ |
個票 |
06147 |
63-2 |
季 英祥、き えいしょう、男、20年10月生、AB型 |
父、母 父は軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
20年10月4日、哈爾浜市中山路で母が本人を帝王切開で出産し、養父呉春堂、養母呉高屯に預けた。その後、母は帰国した。 |
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胸にほくろが3つ |
個票 |
06148 |
63-2 |
楊 可吉、よう かきつ、男、3歳、A型 |
父、母 |
浜江省阿城県 |
21年1月、浜江省阿城県で両親が、小学校の教師をしていた養父楊広全に預けた。 |
一家は浜江省阿城県の継電器廠又はある駅の近くに居住していた。 |
腰椎の右側に豆粒大のあざ、右耳が前傾している |
個票 |
06149 |
63-1 |
劉 文超、りゅう ぶんちょう、男、4歳、A型 |
父、母 |
浜江省延寿県 |
20年9月、多勢の日本人が避難するために浜江省延寿県嘉信村に集合した。その時、中国人に保護され、養父に引き取られた。 |
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個票 |
06150 |
63-1 |
賈 鳳鳴、か ほうめい、男、3歳、O型 |
父、母 父は軍人 |
浜江省五常県 |
一家は浜江省五常県小山子郷に住んでいた。ソ連参戦後、母が同じ村に住む、養母呉鳳に預けた。その後賈家に引き取られた。 |
家には父母の他に60歳くらいの片足の不自由な男の人が同居していた。 |
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個票 |
06151 |
63-2 |
王 井林(王 景林)、おう せいりん、男、3歳、B型 |
スヌバラ 父(愛称大鼻子「ダービーズ」)、母 秋田開拓団 |
浜江省五常県 |
父は応召した。20年8月母が入院したため、養母王来氏に引き取られた。 |
開拓団で父と一緒に仕事をしていた人の中に「佐藤」「高橋」「佐々木」という日本人がいた。 |
左手親指に傷あと |
個票 |
06152 |
63-2 |
許 宝林、きょ ほうりん、男、1歳、B型 |
父、母、姉 |
浜江省珠河県 |
20年8月、浜江省珠河県の珠河駅で、母が、養母金海玉に預けた。その時、腕時計と栓抜きをおしめに包んだ荷物を渡した。 |
腕時計と栓抜きの写真(資料) |
左肩前部に傷あと |
個票 |
06153 |
平元 |
劉 志堅、りゅう しけん、男、3歳、O型 |
とべん 父、母、兄 開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
20年10月、母、兄と共に哈爾浜市に避難。母が病気になり、同市で兄と一緒に中国人の鉄道員に預けられた。その後、本人は養父劉文宣に引き取られた。兄も別の中国人に引き取られた。 |
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個票 |
06154 |
平2 |
張 金貴、ちょう きんき、男、5歳、A型 |
父、母、兄、叔父(母方) |
浜江省珠河県 |
終戦後、浜江省珠河県で孫雲山を介して養父張慶元に預けられた。兄は孫雲山に引き取られ、その後、死亡したらしい。 |
養家付近の略図(資料) |
右肩にあざ、両足の第一指と第三指が第二指に重なっている。 |
個票 |
06155 |
平元 |
呉 広地、ご こうち、男、3ヵ月、O型 |
母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、哈爾浜市で母が中国人女性を介し、養母魏翠珍に預けた。 |
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個票 |
06156 |
62-2 |
金 玉華、きん ぎょくか、女、6歳、B型 |
今村敏子又は民子 父(今村正治又は政治)、母、弟(賢樹) |
浜江省哈爾浜市 |
浜江省哈爾浜市近郊の一戸建の家に住んでいた。20年秋、父母は本人を同市の天泰旅館で養父魯秋山に預け、弟を中国人医師に預けた。その後、父母は帰国した。 |
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あごの左側に小さいほくろ |
個票 |
06157 |
62-1 |
周 玉華、しゅう ぎょくか、女、5歳、B型 |
母、兄(7〜8歳) 母は馬の牧場で働いていた。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和22年秋、劉という中国人女性を介して、哈爾浜市南崗区西大橋三角地において養父周同順に引き取られた。 |
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左足のすねに大豆大の黒いあざ |
個票 |
06158 |
63-2 |
王 慶英、おう けいえい、女、3歳、B型 |
九保○桜子又は九保○英子 |
浜江省哈爾浜市 |
20年秋、哈爾浜市の博物館の広い空地で、養父の父に保護された。その時、「九保○桜子」又は「九保○英子」と書いてある青い縦じま模様の和服を着て、小さな黒い箱を持っていた。 |
黒塗りの小さなおひつの写真(資料) |
右耳に小さなこぶ |
個票 |
06159 |
63-2 |
苑 桂芝、えん けいし、女、2歳、O型 |
栄子 母以外不明 |
浜江省哈爾浜市 |
21年春、哈爾浜市道外区長春二道街で、母があ養父苑照暖に預けた。母と同行していた日本人女性は「京子」という5〜6歳の女の子を中国人に預けた。 |
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個票 |
06160 |
63-2 |
庄 英琴、しょう えいきん、女、2歳、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年10月、哈爾浜市の田中機械製造所に勤務していた陳老五から王長栄に預けられ、その後庄樹良を介し、養父庄樹海に預けられた。当時、つりひも付きのズボンをはき、紫色のラシャのオーバーを着ていた。 |
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左あごにほくろ |
個票 |
06161 |
62-1 |
柴 恵芬、さい けいふん、女、3ヵ月、A型 |
父、母 父は憲兵隊員 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、父は哈爾浜市で死亡。母は本人を連れて哈爾浜市内の難民収容所に入所。昭和21年4月、母が日本人男性を介し、養父柴有に預けた。昭和21年6月頃、母が帰国する時に連れて帰ろうとしたが養父母が渡さなかった。 |
本人の誕生日に母が持ってきたビロードのマントの襟の写真(資料) |
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個票 |
06162 |
63-2 |
張 淑仙、ちょう しゅくせん、女、20年生、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年秋、哈爾浜市道里区石頭道街の王一山薬店で火災があり、近所に住んでいた曲鳳英に保護された。その後、養父に引き取られた。 |
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個票 |
06163 |
62-1 |
代 桂香、たい けいこう、女、20年8月生、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市南崗区で60歳くらいの中国人に保護され、その後、養父孫景栄に引き取られた。そのとき、黄色の軍隊用の毛布(半分であった)にくるまれ、手に日本字で書かれた紙切れを握っていた。 |
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個票 |
06164 |
63-2 |
劉 玉琴、りゅう ぎょくきん、女、3歳、O型 |
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浜江省巴彦県 |
20年秋、浜江省巴彦県新民校西院で養父劉福義に保護された。 |
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個票 |
06165 |
62-1 |
韓 浦茹、かん ほじょ、女、6歳、B型 |
中本春子又は中平春子 |
浜江省阿城県 |
20年8月15日、浜江省阿城県張郷村で満州国警察官の養父韓世鐸に引き取られた。 |
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両胸に種痘のあと |
個票 |
06166 |
63-2 |
王 鳳芹、おう ほうきん、女、2歳、A型 |
シンズコウ 母、兄、親戚と思われる女性(20歳前後) 父は軍人らしい |
浜江省阿城県 |
20年8月、浜江省賓県から同省阿城県東大嶺関東軍宿舎跡の難民収容所に避難した。そこで中国人于新堂を介して養父王錫才に引き取られた。 |
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個票 |
06167 |
63-2 |
孫 桂珍、そん けいちん、女、5歳、O型 |
父、母、兄、姉 父は軍人 |
浜江省延寿県 |
終戦後、浜江省延寿県中和鎮で、張という大工に引き取られた。 |
家には電話があった |
左腕に小豆大のほくろ |
個票 |
06168 |
63-2 |
莫 静、ばく せい、女、4歳、A型 |
父、母 |
浜江省延寿県 |
終戦後、浜江省延寿県で、両親が、日本の軍隊の騎兵教官をしていた養父莫広俊に預けた。 |
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個票 |
06169 |
63-1 |
郭 玉芝、かく ぎょくし、女、2歳、B型 |
園田菊子 父、母、兄、姉 父は軍人らしい |
浜江省延寿県 |
20年秋、一家が馬車で避難する途中、浜江省延寿県ではぐれ、養母李樹新に保護された。その時、衣服のポケットに、黄色の絹袋に入った写真があり、名前(園田菊子)と年齢(32か月)が書いてあった。また、「天順」と刻まれた銀の足輪(直径6.5cm)を両足にしていた。又、頭にリボンをつけ、上は和服下はモンペを着、足袋に下駄を履いていた。(右足だけ下駄) |
東京出身らしい銀の足輪の写真(資料) |
左腹下に粟粒大の赤いあざ、左耳前上部に小さなおできのあと |
個票 |
06170 |
63-2 |
毛 成恩、もう せいおん、女、4歳、A型 |
姉2人 浜江省五常県朝陽川開拓団 |
浜江省五常県 |
20年8月、浜江省五常県朝陽川開拓団で養父毛鳳久、養母毛潘氏に引き取られた。その時、模様入りのチョッキを着ていた。 |
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左足の裏にゴマ粒大のほくろ |
個票 |
06171 |
63-1 |
張 雅琴、ちょう がきん、女、3歳、A型 |
父、母 |
浜江省珠河県 |
20年9月、浜江省珠河県一面坡で中国人に保護された。 |
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個票 |
06172 |
62-1 |
林 立、りん りつ、女、8ヵ月、O型 |
父、母、長姉(15〜16歳)、兄(11〜12歳)、次姉(5〜6歳) |
浜江省珠河県 |
ソ連参戦後、母が本人を浜江省珠河県一面坡で養母劉坤範に預けた。その時、赤地に花模様の和服を着ていた。又、本人の誕生日は昭和20年1月3日であると母は養母に言った。 |
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右腰骨外側に黒いあざ |
個票 |
06173 |
平元 |
陳 志新、ちん ししん、女、5歳、O型 |
伊藤智子又は美智子 父、母、叔母 父は軍医らしい、母は病院にいたらしい |
浜江省哈爾浜市 |
20年10月ごろ、哈爾浜市で中国人の医者を介し、徐其育に預けられた。その時、名前や地名を書いたメモの入った小さなかばんと風呂敷を持っていた。 |
静岡県出身かもしれない。 |
右手首と右すねに傷あと |
個票 |
06174 |
平2 |
孫 煥霞、そん かんか、女、20年8月生、O型 |
母、兄、姉2人 浜江省木蘭県富士見村開拓団 |
浜江省木蘭県 |
20年10月、浜江省木蘭県で母が養父孫宝珠に預けた。その後、母は兄と姉2人を連れて帰国した。その時、中央に牡丹の花、その両側に黒い蝶々の模様の描かれた腹掛けを母が置いていった。 |
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左耳うしろにいぼ |
個票 |
06175 |
平2 |
馮 亜傑、ひょう あけつ、女、10歳、A型 |
英子 父(「松田」かもしれない)、母、兄(16〜17歳)、姉(14〜15歳) 浜江省阿城県の開拓団又はパン屋かもしれない |
浜江省阿城県 |
20年秋、浜江省阿城県で母が養父馮詳に預けた。 |
幼少時、阿城県にある田中医院に通った。生家にあった(〇の中に)モの印がある小さな物入れタンスの写真(資料) |
右手の親指と人差し指の間に4cm位の黒いあざ、左足のくるぶしに3cm位の傷あと |
個票 |
06176 |
平2 |
朱 淑文、しゅ しゅくぶん、女、5歳、B型 |
父、母、弟、ほかに子供2人 父は軍医、母は開拓団 |
浜江省哈爾浜市 |
20年9月、母は子供たちを連れて哈爾浜市に避難し、同市で本人を艾伊氏に預けた。その後、王志起に引き取られた。母は「長野県西筑摩木竹村」と書いたメモを置いていった。 |
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個票 |
06177 |
平3 |
張 徳興、ちょう とくこう、男、4歳、A型 |
父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦前、父母を訪ねて母方のおば「春上紀梅子(はるがみきめこ)」(18歳)とともに渡満したが、会うことができず、終戦後、哈爾浜市でおばとともに養父彭啓貴に引き取られた。その後、おばは背広を着た男の人に連れて行かれた。 |
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|
個票 |
06178 |
平3 |
陸 文璞、りく ぶんぼく、男、4ヵ月、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
20年8月頃、哈爾浜駅付近で養父陸九雲に保護された。その時、白い服を着て花柄のスカーフを身に着け、バスタオルのようなものにくるまれていた。その中にメモが入っていた。 |
|
右手首内側にあざ |
個票 |
06179 |
平03 |
張 鎖成、ちょう させい、男、3歳、O型 |
父、母 開拓団 |
浜江省阿城県 |
ソ連参戦後、牡丹江省牡丹江市から浜江省阿城県まで避難し、同県の難民収容所で李九娥を介して養父劉四、養母大譲に引き取られた。 |
|
左胸に傷あと |
個票 |
06180 |
平3 |
韓 順女、かん じゅんめ、女、3ヵ月、O型 |
父、母、2人の兄か姉、父の姓は「ヤマモト」かもしれない。 |
浜江省尚志県 |
ソ連参戦後、浜江省尚志県道林林場(日本人はタラルミと呼んでいた)で同林場の親方をしていたヤマモトが養父韓基雲に預けた。その時、「おぶいひもと毛布と衣服」を一緒に渡した。 |
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左腕及び左人差し指と中指の間にほくろ |
個票 |
06181 |
平03訪中 |
高 順有、こう じゅんゆう、女、8歳、B型 |
父(終戦前死亡)、母 農業 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦時、母は銃に撃たれて死亡。その後、浜江省哈爾浜市に避難し、同市の難民収容所で養父高殿翠に引き取られた。 |
北安省綏化県に住んでいたらしい。父は馬車が転覆した時に死亡。母は足が悪く杖をついていた。 |
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個票 |
06182 |
平3訪中 |
郭 海、かく かい、男、6歳、A型 |
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浜江省延寿県 |
昭和20年8月、たくさんの人に連れられて避難する途中、浜江省延寿県の魏という名前の食堂(旅館)で、日本人で組織された「池三会」を通じて養父郭景林に引き取られた。その時、色あせた黄色の上着を着ていた。 |
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個票 |
06183 |
平4 |
趙 連棟、ちょう れんとう、男、5歳、O型 |
野坂○三 父、母、妹、弟 軍人 |
浜江省哈爾浜市 |
避難途中に母と弟が死亡。形見として母の爪と髪を持っていた。その後、哈爾浜市で日本人男性を介して養父趙風祥に引き取られた。 |
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個票 |
06184 |
平4 |
王 徳利、おう とくり、男、9ヵ月、AB型 |
父 |
浜江省哈爾浜市 |
21年春、浜江省哈爾浜市道外北新16傳家甸で、父が孫という中国人を介して養父王海山に預けた。 |
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個票 |
06185 |
平4 |
張 玉蘭、ちょう ぎょくらん、女、5歳、O型 |
父、母、兄(13歳)、姉(8歳) |
浜江省哈爾浜市 |
21年、浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所(元の日本人学校)で母が死亡後、養父張明起と通訳の趙新凱に引き取られた。その時、黒白の花模様の和服を着ていた。 |
|
首の右側にほくろ、左足の土踏まずに丸い窪み |
個票 |
06186 |
平4 |
王 玉蘭、おう ぎょくらん、女、8歳、B型 |
父、母、兄、妹、弟2人 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、浜江省安達県大車店で両親が死亡したため、妹と弟を中国人に預けた。その後、兄は私を哈爾浜市傳家甸の難民収容所に預け、そこで養父王瑞亭に引き取られた。 |
|
|
個票 |
06187 |
平4 |
魏 霞、ぎ か、女、2歳、B型 |
|
浜江省哈爾浜市 |
20年8月、哈爾浜市花園難民収容所で養母に保護された。日本人からもらったという木箱を保管している。 |
|
首の右横にほくろ |
個票 |
06188 |
平4 |
劉 孟珍、りゅう もうちん、女、5歳、A型 |
けいこ 父、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
ソ連参戦後、母とともに避難したが、母は難民収容所で死亡。曹という中国人に保護された後、養父母に引き取られた。 |
家は牡丹江か佳木斯にあり、パンを売っていた。 |
土踏まずに傷あと |
個票 |
06189 |
平4 |
徐 鳳琴、じょ ほうきん、女、10ヵ月、B型 |
親以外不明 浜江省葦河県庁に勤務していたらしい。 |
浜江省葦河県 |
20年9月、葦河県の県庁近くで養父に保護された。その時、花模様のとんがった帽子をかぶっていた。 |
|
|
個票 |
06190 |
平5 |
高 来福、こう らいふく、男、21年9月生、A型 |
三村正三 父(喜一)、母、兄 |
浜江省哈爾浜市 |
22年7月、母が浜江省哈爾浜市で、養父高連挙に預けた。以後、26年までは「伊藤悦子」という日本人女性が養家で面倒を見てくれた。 |
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右脇の下にほくろ |
個票 |
06191 |
平5 |
李 兆華、り ちょうか、男、3歳、A型 |
父、母以外不明 父は軍人らしい |
浜江省延寿県 |
終戦後、家族で浜江省延寿県の「加信大車店」に泊まった晩、母が王という中国人に預けた。その日のうちに養父李忠に引き取られた。その後すぐに母が会いに来た。 |
|
|
個票 |
06192 |
平5 |
徐 桂栄、じょ けいえい、女、4歳、AB型 |
「紀江」又は「季江」(養父に呼ばれていた「チーチャン」という呼び名に漢字を当てたもの)母、父(軍人)については、養父の友人馬永昌から聞いた。兄弟姉妹については不明 |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市馬家溝の難民収容所で、母が養母呉淑琴と養父の友人馬永昌に預けた。その時、破れた綿入れの着物を着ていた。 |
|
鼻の右上にほくろ、右太ももに火傷のあと |
個票 |
06193 |
平5 |
盛 麗華、せい れいか、女、2歳、O型 |
|
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市で中国人劉福智を介して、養父盛?庭に引き取られた。その時、頭じゅうにおできができていた。 |
|
左の臀部横に傷あと |
個票 |
06194 |
平5 |
丁 玉栄、てい ぎょくえい、女、1歳、O型 |
父、母 |
浜江省珠河県 |
20年9月、母とともに浜江省珠河県に避難し、母が養母丁趙氏に預けた。 |
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|
個票 |
06195 |
平6 |
王 復生、おう ふくせい、男、3歳、A型 |
父、母、下に2人(弟か妹か不明) 軍人らしい |
浜江省哈爾浜市 |
牡丹江省牡丹江市から避難途中、浜江省哈爾浜市の神社で、父母が養母張志敏に預けた。その時、藍色の古い上着を着ていた。その時、養母は1枚の布団と10数元を実母に渡した。 |
|
目が大きく、窪んでいて、耳たぶが大きい。 |
個票 |
06196 |
平6 |
王 文茹、おう ぶんじょ、女、2歳、AB型 |
父、母、兄2人(もう1人いたかもしれない) |
浜江省哈爾浜市 |
終戦後、浜江省哈爾浜市大平橋のあたりで父母が養母王張氏に預けた。当時、白地に模様のあるワンピースを着ていた。 |
|
左手掌に透明のいぼのあと |
個票 |
06197 |
平6 |
劉 艶華、りゅう えんか、女、2歳、A型 |
「矢公美子」6年8月21日吉水梅男(永住帰国した孤児、現在は故人)の手紙に漢字で書いてある。読み方不詳 父「勇」 |
浜江省阿城県 |
20年、浜江省阿城県で日本人が引き揚げる時、養父劉子福に引き取られた。当時、花模様の綿入れの上着を着ていた。ズボンの色は不明。 |
|
|
個票 |
06198 |
平6 |
張 淑芬、ちょう しゅくふん、女、2歳、B型 |
父、母「岡布(部)幹江」、兄、姉 父は軍人、三江省方正県の開拓団で自動車の運転手 |
浜江省尚志県 |
ソ連参戦後、母、兄、姉と共に浜江省尚志県に避難、養父張福成のところにとどまった。その後、母は29年に死亡した。 |
太い糸に通された10銭硬貨11枚、養父の机の中にあったもの |
|
個票 |
07001 |
12 |
李 洪昌、り こうしょう、男、5歳、O型 |
母、兄2人(13歳、8歳) |
間島省琿春県 |
20年秋、間島省琿春県琿春街の東満旅館で、産婦人科医師柳沢と日本人婦人を介して、同地の酒造工場で働いていた養父李錫亮に預けられた。翌年春、2人の兄が帰国間際に訪ねてきて、母の病死を告げ、養家から食物や食器等をもらっていった。預けられた時、頭におできができていた。 |
|
頭の左上部に3か所の傷あと |
個票 |
07002 |
11 |
張 喜華、ちょう きか、男、5歳、A型 |
母、姉(10歳)、兄 |
間島省琿春県 |
ソ連参戦後、間島省琿春県城西郷兵工廠の向い側に避難した。その後、本人は養父張鳳山に、姉は中国人楊に引き取られた。 |
|
|
個票 |
07003 |
11 |
韓 振喜、かん しんき、男、5歳、B型 |
父、母、妹 |
間島省延吉県 |
両親は死亡した。終戦後、ある日本人婦人によって間島省延吉県図們街の妓楼で、お茶くみをしていた養父白子恒に預けられた。当時、脱肛だった。 |
|
|
個票 |
07004 |
12 |
崔 海、さい かい、男、5歳、A型 |
父、母、弟 |
間島省延吉県 |
父は応召した。終戦後、母と本人と弟は、間島省延吉県の難民収容所に入所した。20年秋、弟が死亡し、間もなく、母と本人は、同県平頂山村五風化の養父崔風岐の家に連れて行かれた。その時、母と本人と養父の3人は、自動車と牛車を乗り継いで行った。21年秋、母は死亡した。 |
|
つむじが2つ |
個票 |
07005 |
11 |
蘆 万傑、ろ まんけつ、男、4歳、O型 |
父、母、妹 |
間島省延吉市 |
ソ連参戦後、母が間島省延吉市の天主教会付近で養父蘆玉慶に預けた。妹も同市で、養父白培月、養母王麗に預けられた。その後、母は養家に何回か会いに来た。 |
|
|
個票 |
07006 |
8 |
? 成業、かく せいぎょう、男、3歳、B型 |
父、母、兄、姉 父は電気工事関係の仕事をしていたらしい |
間島省延吉市 |
終戦後、母が、間島省延吉市朝鮮市場派出所の北側にあった日本人の宿舎で養父?雲鵬に本人を預けた。 |
|
|
個票 |
07007 |
10 |
陳 治国、ちん ちこく、男、2歳、B型 |
父、母、姉(5歳)、弟 父は延吉警察署勤務 |
間島省延吉市 |
20年12月、両親が中国人羅厚田を介して、本人を徳髪記理髪館の養父陳少華に、姉も同館の劉風義に預けた。弟は、難民収容所で死亡した。両親は、21年4月に帰国した。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
|
個票 |
07008 |
5 |
王 国華、おう こくか、男、2歳、A型 |
|
間島省延吉市 |
20年10月ごろ、間島省延吉市にあったカトリック教会に収容されていた。本人は左官屋をしていた養父王順義に引き取られた。その時、格子柄の和服を着ていて、一番上が「山」という字の名札が縫いつけてあった。名札の裏には、「昭和17年6月25日」と書いてあったらしい。 |
|
両手の薬指、中指、人差し指が曲っている。 |
個票 |
07009 |
11 |
戴 賢芝、たい けんし、女、8歳、B型 |
間島省琿春県五家子の開拓団 |
間島省琿春県 |
ソ連参戦後、間島省延吉市の難民収容所に入所した。その後、同省琿春県で養父戴鳳生、養母何鳳仙に引き取られた。 |
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|
個票 |
07010 |
9 |
関 淑香、かん しゅくこう、女、5歳、B型 |
父、母、姉 父は軍人らしい。 |
間島省琿春県 |
間島省琿春県の日本軍の駐屯地付近に住んでいた。ソ連参戦後、琿春県で旅館を経営していた何文志に引き取られた。その時、縞模様のオーバーを着ていた。 |
|
右目の上におできのあとがあったが今はない。 |
個票 |
07012 |
7 |
張 秀芹(張 秀琴)、ちょう しゅうきん、女、2歳、A型 |
父、母(貞子)、長姉(17〜18歳)、長兄、次姉、次兄(7〜8歳)。姉がもう1人いたかもしれない。父は間島省琿春県三道嶺炭坑の労務係主任 |
間島省琿春県 |
長姉は、父と同じ炭坑の電話交換手、長兄は、大連で汽船の機関工をしていた。父母が帰国する際、父の同僚である養父李徳方(別名李顔王)に本人を預けた。父の同僚には、佐々木、山田、丸尾という日本人がいた。父は、名前かどうか分からないが、「フマタさん」と呼ばれていた。父の実家は、神戸らしい。 |
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顔、首、臀部に火傷のあと |
個票 |
07013 |
10 |
孟 憲一、もう けんいち、女、2歳、A型 |
父、母、兄(8歳)、叔母 開拓団らしい |
間島省琿春県 |
20年秋、母が間島省琿春県三家郷大楡樹西大房子から本人を抱いてきて、琿春街西の大きな楡の木のところで、中国人男性徐丙義を介して、養母葛淑琴に預けた。その時、黄色の和服を着ていた。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
右耳下に大豆大のほくろ |
個票 |
07015 |
8 |
臧 家雲、ぞう かうん、女、20年生、B型 |
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間島省琿春県 |
21年、間島省琿春県新安街で、中国人崔に引き取られた。その後、養母の兄嫁姜を介して、養父臧声望、養母張秀芳に引き取られた。 |
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個票 |
07016 |
15 |
叢 桂貞、そう けいてい、女、5歳、B型 |
父、母、兄(13歳)、妹(3歳)父は軍人 |
間島省延吉市 |
20年12月、母、兄、妹と間島省延吉市の道徳会難民収容所に入所したが、兄と本人は靴店を営む養父叢年祥に引き取られた。その後、兄は養家を離れ、23年ごろ帰国したらしい。また、母と妹は、本人が引取られて2〜3日後に死亡した。 |
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個票 |
07017 |
15 |
馬 桂蘭、ば けいらん、女、5歳、A型 |
秀子又は袖子 |
間島省延吉市 |
牡丹江省寧安県に住んでいたらしい。終戦後、避難する途中、家族と離別したため、ある日本人夫婦によって間島省延吉市で中国人の老婦人に預けられ、その後、養父馬占hに引取られた。 |
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足の爪が厚い |
個票 |
07018 |
15 |
王 歩雲、おう ほうん、女、4歳、B型 |
父、母、兄2人、姉 |
間島省延吉市 |
終戦後、間島省延吉市の商埠の劇場近くの遊郭で、父母が養父王儀庭に預けた。 |
養父の写真(資料) |
左臀部にあざが2つ |
個票 |
07019 |
5 |
王 桂栄、おう けいえい、女、3歳、O型 |
父、母。その他は不明 |
間島省延吉市 |
20年秋、間島省延吉市大同区太平街で日本人女性を介して、肉屋を経営していた養父王金録に預けられた。 |
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個票 |
07020 |
8 |
鄭 春栄、てい しゅんえい、女、3歳、A型 |
|
間島省延吉市 |
ソ連参戦後、間島省延吉市太平街天主堂付近で、李福堂に保護された。その後、養父鄭貴に引き取られた。 |
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個票 |
07021 |
11 |
袁 玉珍、えん ぎょくちん、女、3歳、AB型 |
母。姉が3〜4人いたらしい。 |
間島省延吉市 |
20年秋、母が、間島省延吉市公園街に住んでいた養父楊徳栄に預けた。その時、13〜14歳の姉も数日間養家に留まった。姉は青地に白い模様の着物、本人は赤いセーターに毛糸のズボンを着ていた。当時、母は妊娠していた。 |
|
両頬と背中に黒いあざ |
個票 |
07022 |
11 |
高 春華、こう しゅんか、女、3歳、A型 |
母、兄又は姉が2人、弟又は妹 |
間島省延吉市 |
終戦後、母が間島省延吉市の難民収容所で養父の兄高欣然(公衆浴場主)に預けた。その後、養父高寛然に引き取られた。 |
|
小さいころは斜視であった。 |
個票 |
07023 |
14 |
史 秀雲、し しゅううん、女、3歳、A型 |
|
間島省延吉市 |
20年10月、母が、間島省延吉市にあるカトリック教会で、男物の羽織と6月4日生れと書いた紙を添えて養母張玉珍に預けた。 |
|
右足ふくらはぎに楕円形の火傷のあとらしい傷 |
個票 |
07024 |
62-2 |
朱 継甫、しゅ けいほ、男、4歳、B型 |
父、母、兄、姉 父は軍人らしい |
間島省延吉県 |
20年10月、間島省延吉県図們で朝鮮人を介して養父朱志茂、養母奏福蘭に引き取られた。兄は召集されて負傷し、生死不明。姉も行方不明。 |
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個票 |
07025 |
62-1 |
肖 貴民、しょう きみん、男、2歳、O型 |
母、姉、兄 |
間島省延吉県 |
21年春、間島省延吉県ではじめに雷姉人に引き取られ、その後呉玉林を介して養父肖玉林に引き取られた。雷家にいた時、母が数回訪ねて来た。 |
|
|
個票 |
07026 |
63-1 |
呂 永財、ろ えいざい、男、1歳、A型 |
母以外不明 |
間島省琿春県 |
20年秋、母が間島省琿春県琿春街の難民収容所で養母呂呉氏に預けた。 |
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背中左上に大豆大のほくろ |
個票 |
07027 |
平2 |
楊 常智、よう じょうち、男、2歳、O型 |
|
間島省琿春県 |
21年春、間島省琿春県大同橋で2人の中国人男性を介して同地で廃品回収をするかたわら甕や鉢を売っていた養父楊喜占に引き取られた。 |
離別地点及び養父母が居住していた付近の略図(資料) |
左足にあざ |
個票 |
07028 |
63-1 |
孫 秀玲、そん しゅうれい、女、3歳、O型 |
父 |
間島省安図県 |
21年6月、父が間島省安図県明月溝で徳興成食品店を営んでいた養父孫延徳、養母袁淑珍に預けた。その時、本人の生年月日(1943年4月21日)を書いたメモを残していった。 |
|
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個票 |
07029 |
63-2 |
祝 秀芬、しゅく しゅうふん、女、2歳、A型 |
父、母、姉3人、兄1人 開拓団らしい |
間島省琿春県 |
21年、間島省琿春県琿春鎮西市場の東側で養父楊嘉俊に引き取られた。 |
|
|
個票 |
07030 |
62-1 |
劉 秀英、りゅう しゅうえい、女、1歳、A型 |
父、母、姉(2人)、兄 開拓団(秋田県出身らしい) |
間島省汪清県 |
一家は、間島省汪清県天橋嶺に住んでいた。終戦後、母が死亡したため、父は長姉と本人を養父劉林東に、次姉を陳興海に、兄を中国人安にそれぞれ預けた後、帰国した。 |
|
背中にあざ |
個票 |
07031 |
平元 |
? 秀芬、たい しゅうふん、女、3歳、AB型 |
父、母 |
間島省琿春県 |
20年8月、間島省琿春県琿春街の難民収容所で20歳前後の日本人女性が2人の中国人女性を介して養母葛桂珍に預けた。その時、内側に黒色を帯びた紅色の綿の服、上に赤いコールテンの服を着ていた。日本人女性は、帰国する時に養家に会いに来た。 |
|
両股に傷あと、右耳たぶに小さな穴があいている |
個票 |
07032 |
平2 |
劉 艶春、りゅう えんしゅん、女、3歳、O型 |
父、母、姉2人 父は間島省の警察署に勤務 |
間島省延吉市 |
21年春、母と姉2人が死亡したため、間島省延吉市の養家で父が養父劉星一に預けた。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
首の左にほくろ |
個票 |
07033 |
平2 |
王 秀貞、おう しゅうてい、女、1ヵ月、B型 |
父、母、兄3人、姉 |
間島省延吉市 |
20年8月、間島省延吉市で母が楊朋祥に預けた。その後、養父王天昌に引き取られた。 |
|
左のこめかみに傷あと |
個票 |
07034 |
平3 |
楊 忠田、よう ちゅうでん、男、2歳、B型 |
母、兄、姉、妹 |
間島省延吉市 |
終戦後、母とともに避難の途中、間島省延吉市の難民収容所で養父鄭維周(理髪店)に引き取られた。姉は劉桂芝。 |
|
首の右側に傷あと |
個票 |
07035 |
平3 |
劉 桂芝、りゅう けいし、女、4歳、B型 |
母、兄、弟、妹か弟(妹はいなかったかもしれない) |
間島省延吉市 |
終戦後、母とともに避難の途中、間島省延吉市の難民収容所で妹か弟が死亡し、樽のような容器に入れられて埋められた。21年、同所で養父のいとこの夫陳立業を介して養父劉燿東に引き取られ、弟は理髪店をしていた鄭家に引き取られた。その後、母は死亡し、兄は帰国したらしい。弟は楊忠田。 |
|
|
個票 |
07036 |
平3 |
王 玉蘭、おう ぎょくらん、女、3歳、O型 |
「玉子」かもしれない 父以外不明 父は間島省延吉県の営林署の職員かもしれない |
間島省延吉県 |
終戦後、延吉県竜井街の営林署で養母宋桂珍に引き取られた。 |
|
背中の最下部が赤くはれており、その後化膿してあとになった。 |
個票 |
07037 |
平3訪中 |
管 作春、かん さくしゅん、男、9歳、AB型 |
父、母、他に妹がいたかもしれない。開拓団員 |
間島省汪清県 |
昭和20年秋、間島省汪清県下河和城子の開拓団で、養父呂子文に保護された。 |
|
言語に障害、腹部右側に傷あと |
個票 |
07038 |
平4 |
趙 長順、ちょう ちょうじゅん、女、昭16・12生歳、A型 |
父、母、弟 父は軍属らしい |
間島省延吉県 |
20年、父母が通訳をしていた金又は金山という朝鮮人に預けた。朝鮮人の妻の姓は「朴」だった。20年10月、養母に引き取られた。 |
子供の頃、玄関の電球で遊んでいて割ってしまい、押入れに入れられたことを覚えている。 |
左手首に「。」の形をした入れ墨のようなあと、左腕上部に黒いあざ |
個票 |
07039 |
平6 |
王 桂芝、おう けいし、女、1歳、A型 |
父、母 |
間島省延吉県 |
終戦後、間島省延吉県で憲兵隊中尉(通訳官)張中江を介して養父王如海に引き取られた。その時、緑色の綿が入った和服を着ていた。くるまれていた軍用毛布の中には、婦人用色模様の金入れと「蔵」、「1944年5月18日」(自分の誕生日かどうかは分からない)、「枝子」が読み取れるメモが入っていた。仲介した張中江の妻の話によると日本名は「厳本枝子」とのこと。 |
黒地に花柄のバッグ(資料) |
腕に4つの種痘のあと |
個票 |
07040 |
平6 |
孫 素珍、そん そちん、女、6歳、AB型 |
祖父母、父、母、兄弟(人数不明)、妹 |
間島省琿春県 |
21年秋、母が琿春県西九廟付近で、張という中国人(豆腐屋)に預けた。その後張は死亡し、養母は豆腐屋の使用人の石若しくは史という人と再婚したが、実子が生まれた後、本人は孫宝馨夫婦に引き取られた。帰国前に母が会いに来た。 |
間島省琿春県河南開拓民村で生活 |
左目眉の下、鼻梁の上に幼少時の天然痘か水疱瘡のあと、右頬の下方と上唇の左側に傷あと |
個票 |
08001 |
12 |
姜 林、きょう りん、男、2歳、A型 |
父、母、姉 |
通化省通化市 |
21年2月、父母が、本人と姉を通化省通化市に住む通訳に預け、その後、本人は、朝鮮人瀋を介して養父姜樹生、養母姜淑賢に引き取られた。姉は通訳から中国人孫に引き取られたが、その後、行方不明になった。 |
|
左目尻にほくろ |
個票 |
08002 |
11 |
張 桂珠、ちょう けいじゅ、女、2歳、A型 |
山野 父、母 父は通化省柳河県三源浦駅に勤務 |
通化省柳河県 |
20年、父が帰国する時、通化省柳河県三源浦駅付近の線路工夫だった養父張良に預けた。 |
|
顔の左側にほくろ |
個票 |
08003 |
8 |
李 貞美、り ていび、女、2歳、B型 |
父、母、兄、姉 |
通化省輝南県 |
父は応召した。ソ連参戦後、母は3人の子供を連れて避難した。母と姉は避難する途中病死したため、通化省輝南県で本人は、知り合いの日本人男性により、養母崔南善に預けられた。兄は帰国したらしい。 |
|
|
個票 |
08004 |
8 |
? 吉雲、かく きつうん、女、1歳、A型 |
父、母 |
通化省輝南県 |
20年10月ごろ、父母が通化省輝南県朝陽鎮の菓子店「福順和」の店員周起を介して、養父宋大河に預けた。その後、養父?竜安に引き取られた。 |
|
|
個票 |
08005 |
8 |
成 桂品、せい けいひん、女、4歳、AB型 |
|
通化省通化市 |
通化省通化県で家族と別れ、21年2月ごろ、通化市で中国人の李という老婦人に保護された。その後、漢方医であった養父成永祥に引き取られた。 |
|
右腕に斑点のような薄いあざ、右胸に米粒大の赤いあざ |
個票 |
08006 |
12 |
高 徳芬、こう とくふん、女、4歳、O型 |
父(水倒権十郎) |
通化省輯安県 |
終戦後、通化省輯安県城関区二街道6組で、父が養父高元亮に預けた。その時、父は、「昭和五年二月二十六日、読書三倒、東京市立駿河臺図書館」と書かれてある木箱を養父に渡した。 |
|
左足の付け根にいぼ |
個票 |
08007 |
13 |
王 春芬、おう しゅんふん、女、6歳、A型 |
美保子 父、母 父は将校 |
通化省臨江県 |
20年秋、避難民と一緒に、通化省臨江県石人鎮に移動し、そこで、父と別れた。その後、母が死亡したため、孤児院に収容され、そこから養父王玉華、養母王淑蘭に引き取られた。 |
|
小さい時、転んで左足を骨折した。下腹と腰にお灸のあと |
個票 |
08008 |
15 |
修 淑範、しゅう しゅくはん、女、20年9月生、A型 |
|
通化省桓仁県 |
21年4月ごろ、通化省桓仁県鉛鐸砿付近の山あいで、2人の若い日本婦人により、養母の母を介して、養父修明禎に預けられた。その時、4枚の日本の硬貨(5銭と10銭2枚ずつ)を残していった。 |
|
左右鎖骨の下に小さなほくろ |
個票 |
08009 |
63-2 |
韓 育松、かん いくしょう、男、1歳、O型 |
父、母、数人の兄弟 |
通化省臨江県 |
21年春、通化省臨江県八道江区又は同県大通溝で、母が趙金州を介して、養父韓学敏、養母呂少珍に預けた。母は帰国する時、紫地にピンク色の模様のある布を残した。 |
|
左ももの付け根にほくろ |
個票 |
08010 |
平元 |
庄 桂花、しょう けいか、女、6ヵ月、A型 |
父、母、兄 |
通化省通化市 |
21年3月、通化市にあった八路軍の事務所付近で養母李淑芝に引き取られた。そこには、日本人と思われる中年の男性と10歳くらいの男の子がいた。その男の子は、養家の近くまで本人を背負って送ってくれた。 |
|
|
個票 |
08011 |
平2 |
王 志、おう し、女、2歳、B型 |
内田 |
通化省臨江県 |
20年8月、通化省臨江県臨江街で養父王巨波に保護された。その時、硬貨と写真と生年月日を書いたメモがあった。 |
|
眉間に米粒大のほくろ |
個票 |
08012 |
平3 |
隋 麗華、ずい れいか、女、昭21年生、B型 |
母以外不明 |
通化省柳河県 |
22年9月、通化省柳河県柳河鎮で母が養母劉殿清に預けた。その時、首に「長命百歳」と刻印のある銀の鎖をしていた。母は金時計と五圓(満州中央銀行発行の紙幣)と私の写真を養家に残した。預けられた時、養家には母の姉がいた。 |
離別地点及び養父母の居住していた居住地の付近図(資料1)、養母が30歳頃の写真(資料2) |
右眉尻にほくろ |
個票 |
08013 |
平4 |
王 敏明、おう びんめい、男、7ヵ月、B型 |
父、母、姉以外不明 |
通化省臨江県 |
20年8月、通化省臨江県臨江街で、姉とともに養母に保護された。保護された時、姉とともに大きな木箱に入れられていた。本人は濃緑色の毛布に包まれ、中にはお金と数枚の写真(父母、姉と一緒に写ったものもあった)及び生年月日等の書かれた紙が入っていた。 |
|
|
個票 |
09001 |
11 |
付 景義、ふ けいぎ、男、5歳、A型 |
マーチャンと呼ばれていた。 父、母 父は軍人、母は軍の医療関係の仕事 |
吉林省農安県 |
満州南部に住んでいた。20年8月、母は本人を連れて父の見舞いのために吉林省新京市に行った時、終戦となった。その後、母と避難する途中、吉林省農安県で張桂方の家に身を寄せた。22年11月、母が死亡したため、養父付廷選、養母張淑珍に引き取られた。 |
|
右目尻に18年に椅子から落ちた時できた傷あと(両親に付き添われて病院に行き、2〜3針縫った。) |
個票 |
09002 |
10 |
陳 業春、ちん ぎょうしゅん、男、2歳、B型 |
|
吉林省懐徳県 |
終戦後、吉林省懐徳県范家屯駅近くの日本人住宅街の地主であった中国人王煥章を介して、養父陳書貴に引き取られた。 |
|
つむじが4つ |
個票 |
09003 |
13 |
高 冠余、こう かんよ、男、1歳、O型 |
父、母、弟、妹 |
吉林省懐徳県 |
終戦後、吉林省懐徳県桃屯で養父高鴻亮に引き取られた。 |
|
|
個票 |
09004 |
12 |
欒 洪春、らん こうしゅん、男、8歳、O型 |
山田光頼 父、母、兄、弟または妹 佳木斯か牡丹江の開拓団、父は建築技師 |
吉林省新京市 |
終戦後、開拓団の人達とともに吉林省新京市に来た。20年12月、同市で、母が、兄と本人を天平飯店のコックをしていた養父張洪祥に預けた。その後、数日して兄は他の中国人に引き取られ、本人は1年後、現在の養父欒昇謀に引き取られた。母と弟か妹は、21年に帰国した。その際、母は毎日新聞社社旗等を養父に渡した。 |
家の前には酒造工場があった。祖父はかき氷を売っていた。祖母と兄と本人で汽車に乗ってトンネルをいくつも越えて田舎の親戚に行ったことがある。外で遊んでいて道端の溝に落ちて、右目の右側にけがをした。母が兄と本人と弟か妹を連れて、父に会いに行ったことがある。養父の写真(資料1)、毎日新聞社社旗の写真(資料2) |
右目右側に傷あと |
個票 |
09005 |
7 |
劉 徳、りゅう とく、男、7歳、A型 |
父、母、妹 |
吉林省新京市 |
父は応召した。一家は、吉林省新京市南関舎に住んでいたが、母が同地で病死した。20年10月ごろ、家の近くの定期市場にいたところを養父劉忠漢に保護された。21年春ごろ、叔母だという人の家に連れて行かれたが、数か月後に自分で養家に戻って来た。 |
家の南側のくぼ地で、蛍を瓶に入れて遊んだことがあり、その時、前頭部をぶつけて、けがをした。また、家の西側に面した大通りのところに落雷があり、大木が倒れたことがある。 |
顔の左側と首に紫色の大きな血管瘤 |
個票 |
09006 |
14 |
李 振和、り しんわ、男、5歳、O型 |
弟 |
吉林省新京市 |
20年10月、吉林省新京市の食堂で、葛成文に保護され、その後、養母李傑に引き取られた。 |
|
左腋の下に幅約1センチ、長さ約2センチの傷あと |
個票 |
09007 |
11 |
楊 建華、よう けんか、男、5歳、B型 |
父、母、兄(マサル、7〜8歳)、姉 父は市の職員 |
吉林省新京市 |
一家は吉林省新京市二道河子東盛路の学校の近くに住んでいた。20年10月ごろ、両親が本人を家の近所に住んでいた中国人婦人于を介して、養父楊堂起、養母韓玉清に預けた。養母は、右まぶたに傷あとがあり、前歯が金歯だった。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
幼少時に軽いヘルニア、腰の右側に豆粒大のあざ |
個票 |
09008 |
1 |
王 宝栄、おう ほうえい、男、4歳、O型 |
ナツオ又はテツオ 父、母、姉、妹 開拓団 母は炊事婦と菓子売り(避難後) |
吉林省新京市 |
父は応召した。ソ連参戦後、一家は浜江省哈爾浜市を経由して吉林省新京市のダンスホールに避難した。20年11月ごろ、母が病気になったため、本人を、同市南広場交電公司宿舎の2階で、ある日本人を介して、養父王学孔に預けた。妹も別の中国人に預けられた後、死亡し、母と姉は帰国した。 |
|
左手首にあざ |
個票 |
09009 |
11 |
李 懐勤、り かいきん、男、4歳、B型 |
父、母(さなえ)、姉 父は軍人らしい |
吉林省新京市 |
20年秋、母が、吉林省新京駅前の神社の境内で中国人曹に本人を預けた。 |
|
|
個票 |
09010 |
13 |
劉 秉忠、りゅう へいちゅう、男、4歳、O型 |
鈴木三太郎又は林木三太郎(父の名前かもしれない) 母、姉。兄がいたかもしれない |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、吉林省新京市駅前の収容所で、大興銀行に勤めていた養父劉守義に引き取られた。その時、養父は、写真とメモをいっしょに受け取った。メモには家族の名前、住所、生年月日が書いてあり、本人の生年月日は16年12月19日と書いてあった。 |
養父の写真(資料) |
左手のひら、左足の裏に傷あと |
個票 |
09011 |
13 |
金 玉学、きん ぎょくがく、男、3歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
20年11月ごろ、吉林省新京市黒水路の東にある二階建ての「ありあけ館」という家で、日本人女性及び羊肉売りをしていた中国人張青山を介して、養父金満昌、養母楊桂芝に引き取られた。その時、軍服を作り直した服を着て、小さな木琴で遊んでいた。 |
「ありあけ館」付近の地図(資料) |
|
個票 |
09012 |
7 |
馬 銘喜、ば めいき、男、3歳、B型 |
父、母、姉、妹 父は軍人 |
吉林省新京市 |
父は竜江省白城県白城子で戦死した。20年末から21年春の間に、吉林省新京市宋家窪子付近で、母が、車夫の艾其祥を介して、車屋の親方だった馬慶堂に預けた。その後、母が会いに来て、養父の住所と名前を書いて帰った。当時、本人の鼻は凍傷で化膿していた。 |
|
|
個票 |
09013 |
8 |
徐 向尭、じょ こうぎょう、男、3歳、B型 |
父、母、兄2人、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
父は吉林省舒蘭県で戦死した。20年9月、母は本人を同省新京市鉄北頭道溝孟家橋付近で、養父徐彦和に預けた。その後、養父の兄徐彦東に引き取られた。 |
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個票 |
09014 |
15 |
王 世寛、おう せいかん、男、3歳、O型 |
ハルキ 父、母、弟(シトーンと呼ばれていた。) |
吉林省新京市 |
20年秋、母、弟とともに吉林省新京市に避難したが、途中で弟が死亡した。その後、同市で母と離別し、新京市二道河子東盛路小鉄道南の草原で、梁という中国人に保護された後、養父王古山に引き取られた。 |
家によく遊びに来ていた近所の子供は、「ネエサン」(5〜6歳・女)、「ヒデサン」(3〜4歳・男)、「ダイゴサン」(2〜3歳)と呼ばれていた。家の前に大きな水溜りがあった。 |
耳たぶがない、右手のひらに小さなあざ |
個票 |
09015 |
7 |
葉 升遠、よう しょうえん、男、2歳、AB型 |
父、母、兄2人、叔母 父は軍人(将校) |
吉林省新京市 |
終戦後、父は自殺し、一家は間島省延吉市から吉林省新京市の日本人小学校に避難したが、2人の兄は死亡した。その後、母が、中国人李治農を介して、同市寛城区の区長をしていた養父葉希崙に預けた。その時、母は、12月22日が本人の誕生日であることを養父に告げた。 |
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胸の両側に赤いあざ、右こめかみに約2センチの火傷のあと |
個票 |
09016 |
1 |
崔 志起、さい しき、男、2歳、O型 |
父、母、兄4人 父は官吏かもしれない |
吉林省新京市 |
21年春、吉林省新京市の難民収容所で李義山を介して、養母徐桂梅に引き取られた。埼玉県又は山梨県出身らしい。父は大工仕事が上手だった。 |
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個票 |
09017 |
15 |
王 志傑、おう しけつ、男、2歳、O型 |
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吉林省新京市 |
吉林省新京市で、高という中国人に引き取られたが、その後、孫という女性を介して、養父王慶祥に預けられた。 |
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左耳たぶ、左右親指の付け根に傷あと。左腋の下にほくろ。 |
個票 |
09018 |
14 |
趙 振海、ちょう しんかい、男、2歳、B型 |
父、母 父は印刷工場で働いていたらしい |
吉林省新京市 |
終戦後、母が、吉林省新京市隅隅電業村で養母汪玉芳に預けた。その時、母は、ベージュ地にみかん色の柄の入った帯を養母に渡した。預けられた当時、黒と白の格子の上着とズボンをはき、頭は丸坊主だった。 |
養母に渡した帯の写真(資料) |
上唇右上と左頬にほくろ |
個票 |
09019 |
11 |
? 宝成、ほう ほうせい、男、2歳、O型 |
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吉林省新京市 |
21年3月、吉林省新京市七馬路の明治屋住宅で、中国人を介して、養母呉桂珍に引き取られた。 |
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右膝に傷あと |
個票 |
09020 |
15 |
魏 清福、ぎ せいふく、男、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市の日本旅館の前で、養父魏緒芳に保護された。その時、半ズボンをはいていた。 |
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個票 |
09021 |
6 |
高 紹文、こう しょうぶん、男、2歳、B型 |
高松 父、母、兄2人(8〜9歳、5〜6歳)、弟(生後7か月) |
吉林省新京市 |
父は終戦前に死亡した。終戦後、一家は、吉林省新京市の児玉公園にあった難民収容所に避難した。20年10〜11月ごろ、母が、ある日本人男性を介して、養母李玉琴に預けた。李は、同市西郊西安橋外の大房身屯に住んでおり、牛馬の血清から薬品を製造していた日本人経営の工場で働いていた。その後、母は、2人の兄と弟とともに養家に1泊したが、その時、「高松」、「1943.1.5」と記したものを李に渡した。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
09022 |
7 |
任 永和、にん えいわ、男、2歳、AB型 |
父、母。その他は不明 |
吉林省新京市 |
終戦後約1年間、中国人男性の下で育てられ、その後、吉林省新京市宋家窪子で製粉業をしていた養父白に引き取られた。父母は、終戦前、新京市で働いていたが、父は本人と別れた時、逮捕されるか死亡し、母はその後帰国したらしい。 |
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左眉の上に傷あと |
個票 |
09023 |
7 |
張 鵬、ちょう ほう、男、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
終戦後、母は、吉林省新京市西二道街の広源居という漬物店で働いていた。21年春、母が、同店の主人であった養父張来徳に預け、帰国した。 |
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右足の裏に火傷のあと |
個票 |
09024 |
15 |
張 振林、ちょう しんりん、男、2歳、B型 |
父、母、兄(4歳)父は軍人(飛行機の操縦士かもしれない) |
吉林省新京市 |
吉林省新京市七馬路付近に住んでいた。終戦後、母が養父楊春富に本人を預け帰国した。 |
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睾丸が3つある |
個票 |
09025 |
1 |
陳 亜東、ちん あとう、男、1歳、A型 |
父、母、姉、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
父は浜江省哈爾浜市の部隊に勤務していた。長崎県出身らしい。終戦後、母は、子供達を連れて吉林省新京市に避難した。21年春ごろ、母が、中国人王丙全を介して、本人を養父陳秀文に預けた。その後、母は父と再会し、姉を連れて同年8月ごろ帰国したらしい。弟は死亡した。 |
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背中に黒いあざ |
個票 |
09026 |
4 |
魏 顕民、ぎ けんみん、男、1歳、O型 |
父、母、兄2人(7歳、5歳) |
吉林省新京市 |
当時、一家は、吉林省新京市の緑園に住んでいた。母が21〜22年ごろ帰国する際、同市大劉家屯に住む、公安部門の一分所長の養父魏栄に預けた。その時、中耳炎を患っており、また、口のまわりに湿疹ができていた。 |
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背中の左側に大きなあざ |
個票 |
09028 |
10 |
劉 世興、りゅう せいこう、男、1歳、A型 |
藤田 父、母 哈爾浜鉄路局勤務 |
吉林省新京市 |
21年ごろ、父が吉林省新京市朝陽区で、漢方薬店の漢方医であった養父劉鳳鳴に預けた。その時、養父は吉林から新京に来たところであった。父は、預ける時養父に写真とメモを渡したらしい。 |
父と思われる者の写真(資料) |
右脇腹に約3センチの丸いできもののあと |
個票 |
09029 |
11 |
劉 慶盛、りゅう けいせい、男、1歳、O型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
20年9月ごろ、両親が吉林省新京市で薪商の養父劉金繧ノ預けた。その時、養父母に赤い六角形の宝石を形見に渡したらしい。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
09030 |
15 |
王 明遠、おう めいえん、男、1歳、A型 |
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吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市東三道街で水売りをしていた中国人の老婦人が、養父王振山に預けた。その時、グレーのセーター、赤い帽子、黒い羅紗の外套にくるまれていた。 |
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右腰下に約3センチの傷あと、左胸に約6ミリのあざ |
個票 |
09031 |
7 |
王 同山、おう どうさん、男、6ヵ月、A型 |
父 |
吉林省新京市 |
20年秋ごろ、吉林省新京駅付近の頭道溝で、父が、養父王銀書に預けた。その時、本人は、後頭部に薬を塗り、白いガーゼのようなものを貼っていた。また、花柄の薄い布団にくるまれていた。 |
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個票 |
09032 |
12 |
于 徳水、う とくすい、男、6ヵ月、O型 |
父、母 三江省佳木斯市付近の開拓団 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、父母とともに、吉林省新京市まで避難したが、同市で母が死亡した。20年10月ごろ、父が日本人女性2人と邱樹新を介して、新京市満映株式会社北辰寮2階で、養母高玉琴に預けた。その後、2人の日本人女性が会いに来たことがある。父が、帰国する前に会いに来たが、養父于秀延が会わせなかった。 |
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個票 |
09033 |
8 |
李 雲才、り うんさい、男、5ヵ月、AB型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
21年2月、2人の中国人と2人の日本人を介して、吉林省新京市厦門路に住んでいた養父王守友、養母李淑芹に引き取られた。 |
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右足の甲に火傷又はおできのあと |
個票 |
09034 |
8 |
程 義順、てい ぎじゅん、男、1ヵ月、O型 |
父、母。兄及び姉がいたらしい。母は豆腐売り |
吉林省新京市 |
父は戦死したらしい。20年秋、母とともに、吉林省新京市に避難した。母は、毎日、本人を背負い、豆腐を売って生計を立てていた。21年、母が畢富田を介して、叔母の立会いのもとで、養母劉兆芳に預けた。その時、本人は黄色のセーターを着ていた。母は半年後に帰国した。 |
養母の写真(資料) |
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個票 |
09035 |
11 |
于 化春、う かしゅん、男、21年1月生、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
21年1月、生後まもなく中国人李を介して、吉林省新京市の新京客車工場クラブ付近の日本人の家で養父于林復、養母高秀英に引き取られた。預けられて数日後、日本人の男女が養家を訪れ、本人を見て養父母の名前を書き取っていった。 |
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右耳の下にあざ |
個票 |
09036 |
13 |
崔 桓、さい かん、男、2歳、A型 |
父は警察官らしい。 |
吉林省舒蘭県 |
20年夏、吉林省舒蘭県の警察署官舎で、当時、同県の警察署長だった養父崔忠立に引き取られた。 |
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腰の後ろに、小さなほくろ3つとあざ |
個票 |
09037 |
11 |
楊 重晶、よう じゅうしょう、男、7歳、B型 |
父、母、兄、妹(兄と妹は渡満しなかった) |
吉林省吉林市 |
渡満後、両親は死亡した。ソ連参戦後、吉林市で養父楊春山、養母陳玉庭に引き取られた。 |
父の職業は農業だった。兄の額には、本人が茶碗で切った傷あとがある。 |
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個票 |
09038 |
8 |
朱 徳良、しゅ とくりょう、男、5歳、A型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
ソ連参戦後、母とともに吉林市の難民収容所に入所した。20年秋、母が吉林市岔路郷の煎餅(チェンビン)屋に預けた。その後、鍛冶屋をしている中国人安を介して、養父袁福興に引き取られた。 |
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左手の中指がない、左手の薬指と小指がくっつき、手のひらの方に曲がっている。 |
個票 |
09039 |
8 |
満 成彬、まん せいひん、男、4歳、A型 |
父、母、兄又は姉 父は布店又は旅行店の雑役夫 |
吉林省吉林市 |
20年秋、吉林市で、父が働いていた店の主人を介して、養父満貴延、養母満張氏に預けられた。 |
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個票 |
09040 |
12 |
李 中岳、り ちゅうがく、男、3歳、AB型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
吉林市に住んでいた。ソ連参戦後、母が、同市で漢方医をしていた王喜天を介して、鉄路局に勤めていた養父李奎恩に預けた。その時、からくさ模様のふろしきに包まれた洋服と両親とともに写した写真2枚を渡された。 |
養父の写真(資料) |
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個票 |
09041 |
4 |
孟 憲生、もう けんせい、男、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
吉林省吉林市圏楼西門の旅館に住み、家の裏に靴磨き屋があった。父が同市怡春里迪化街にあった「協和膏薬店」を営む養父孟照富に預けた。その時、日本人の女の子が先に預けられていた。 |
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両足のすねの外側にお灸のあと |
個票 |
09042 |
10 |
李 忠華、り ちゅうか、男、2歳、A型 |
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吉林省吉林市 |
20年9月ごろ、吉林市の大野洋行に勤めていた日本人女性から、魚売りをしていた養父李守江に預けられた。 |
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右大腿部に円形の火傷のようなあと |
個票 |
09043 |
7 |
楊 宝君、よう ほうくん、男、2歳、A型 |
父、母、姉(5歳) |
吉林省吉林市 |
ソ連参戦後、母、姉とともに竜江省斉斉哈爾市から吉林市西関運動場へ避難した。21年2月ごろ、母が吉林氏青島路昇平胡同21号に住む養父楊青和に預けた。翌日、帰国の際、母が本人を引き取りに来たが、養父は返さなかった。当時、養父は、料理店で働いていた。 |
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腹部右側に三日月形の黒いあざ |
個票 |
09044 |
8 |
肖 文天、しょう ぶんてん、男、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
終戦後、母が死亡した後、父が、吉林市臨江門の川岸で、養父王書修に預けた。その後、養父肖有森に引き取られた。 |
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個票 |
09045 |
4 |
李 長福、り ちょうふく、男、2歳、A型 |
父、母、姉、弟 父は憲兵らしい |
吉林省吉林市 |
吉林市腰抗付近に住んでいた。終戦後、父は死亡した。20年秋、母が、同市船営街臨門107号で旅館を経営していた孫宝に預けた。その後孫宝の上の娘孫素賢に引き取られた。預けられた時、白いじゅばん、黒いズボン、黒い靴をはき、小さなスプーン、フォーク、皿が入っている白いバケツを持っていた。その後、母は、2〜3回会いに着て、21年に帰国した。 |
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腹部の右側に白っぽいあざ |
個票 |
09046 |
7 |
王 吉発、おう きつはつ、男、2歳、A型 |
父、母、姉(4〜5歳)、弟(生後数か月) |
吉林省吉林市 |
父を除く一家は、吉林市東洋医院の北側に住んでいた。21年3月ごろ、母が、八百屋をしていた養父王有善に預けた。その時、濃緑色のふたで、中に白いビロードが貼ってある小さい木箱を養父に手渡した。その中には黄色のかんざし、布切れなどが入っていた。 |
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右後頭部に大豆大のいぼ |
個票 |
09047 |
11 |
路 善文、ろ ぜんぶん、男、2歳、O型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
20年11月ごろ、母と本人は吉林市東局子街山神廟坂下の天主教堂に避難した。その後、母が付近に住む薛憲生を介して、養父路来田に預けた。その時、本人は黄色の服を着て、裸足だった。4〜5日後、18〜19歳の日本人女性が饅頭を持って会いに来た。 |
母と離別した当時の付近の略図(資料) |
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個票 |
09048 |
11 |
劉 長有、りゅう ちょうゆう、男、2歳、A型 |
父、母、おば 父は軍人らしい |
吉林省吉林市 |
ソ連参戦後、吉林市陽明小学校に避難した。20年末か21年初め、おばが同市八虎門外で中国人林月に預けた。その後、ある日本人を介して、養父劉風年に引き取られた。おばは帰国する時、、養家に会いに来た。 |
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個票 |
09049 |
11 |
張 蔭全、ちょう いんぜん、男、2歳、B型 |
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吉林省吉林市 |
20年9月ごろ、吉林市巴虎門で30歳くらいの日本の軍人によって麻立蘭、洪亜光に預けられた。その後、養父張文祥に引き取られた。 |
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個票 |
09050 |
10 |
? 憲武、てき けんぶ、男、2歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
吉林省吉林市 |
21年1月ごろ、吉林市陽明学校の隣りの神社で、荷馬車の御者をしていた養父?万山に引き取られた。 |
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左足の付け根に約1センチのあざ、左耳の上に傷あと、上唇にほくろ |
個票 |
09051 |
13 |
白 国廷、はく こくてい、男、1歳、B型 |
母、弟 |
吉林省吉林市 |
終戦後、吉林市文廟難民収容所に入所したが、同市北太街で車夫をしていた養父白慶喜に引き取られた。 |
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左足に火傷のあと |
個票 |
09052 |
4 |
劉 永泉、りゅう えいせん、男、1歳、A型 |
母以外不明 |
吉林省吉林市 |
終戦後、吉林市第2軍管区付近の第5国民学校に収容されていた。20年11月、母が、同収容所において、駅前で理髪店か果物店を開いていた養父劉捷三に預けた。 |
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左耳上におできのあと |
個票 |
09053 |
7 |
何 樹林、か じゅりん、男、10ヵ月、AB型 |
父、母、姉(7〜8歳)吉林省樺甸県の開拓団 |
吉林省吉林市 |
20年9月ごろ、吉林市国民学校の難民収容所で母が死亡した。20年11月ごろ、母の葬式を手伝った周新代と父の友人で日本語の話せる孫昭文を介して、父が、電業局工員であった養父何青山に預けた。その時、本人は、和服と毛皮にくるまれていた。その後、父や姉が会いに来たことがある。 |
養父の写真(資料) |
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個票 |
09054 |
11 |
林 大財、りん だいざい、男、6ヵ月、A型 |
父、母、兄(6歳)父は軍人、母は煙草や豆腐の販売 |
吉林省吉林市 |
一家は、吉林市の吉林神社付近の日本人住宅に住んでいた。20年冬、母が中国人蘆と胡を介して、養父林玉強に預けた。当時、母が2本の帯を置いていった。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
額の左にほくろ |
個票 |
09055 |
11 |
金 誠、きん せい、男、4ヵ月、B型 |
母以外不明 両親は吉林市内の日本人女学校の教師 |
吉林省吉林市 |
20年秋、吉林市内の吉林神社の境内で、養父金蘭亭の祖母と義理の叔母に引き取られた。 |
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左後頭部に約3センチのはげ |
個票 |
09056 |
10 |
呉 長清、ご ちょうせい、男、8歳、B型 |
父(日本で応召し、渡満しなかった)、母、姉(渡満しなかった。11歳)、弟(6歳)父は農業 |
吉林省蛟河県 |
19年、母と弟と中国に渡った。20年5月、四平省西安県西安街で母が病死したため、2人の日本人男性に連れられ、吉林省蛟河県蛟河街に行った。終戦後、養父呉鳳岐に引き取られた。 |
四平省西安県西安街の川の西に炭坑があり、土塀に囲まれた中に日本人が住んでいた。 |
左大腿部に火傷のあと |
個票 |
09057 |
5 |
張 富、ちょう ふ、男、6歳、B型 |
父、母、兄、姉、弟 |
吉林省蛟河県 |
20年11月、吉林省蛟河県?子山に避難したが、弟は死亡した。本人は養父張振興に引き取られ、兄、姉もそれぞれ中国人に引き取られた。その後、姉は死亡したが、兄の行方はわからない。養父は鉱山で働いていた。 |
奉天市に住んでいたらしい。 |
左目じりに傷あと |
個票 |
09058 |
9 |
呉 忠岐、ご ちゅうき、男、4歳、O型 |
父、母、姉(11歳)、兄(8歳)父は吉林省蛟河水力発電所の職工 |
吉林省蛟河県 |
父はソ連軍の攻撃を受け死亡した。一家は、吉林省蛟河県の蛟河寮の1階に住んでいたが、22年夏、母が本人を養母高素芳に預けた。 |
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のどに手術のあと |
個票 |
09059 |
10 |
王 松海、おう しょうかい、男、3歳、AB型 |
父、母、弟(1〜2歳)父は軍人らしい |
吉林省蛟河県 |
終戦後、母は弟と本人を連れて、北満から婦人の集団とともに避難し、吉林省蛟河県新站保安屯の川で休んでいたところに、5人の中国人が来た。母は、その中にいた養父王金榜に本人を預けた。養父は、新站鉄道貨物駅の積下し労働者であった。 |
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個票 |
09060 |
4 |
崔 文傑、さい ぶんけつ、男、2歳、O型 |
父、母 |
吉林省蛟河県 |
一家は牡丹江から避難してきたらしい。避難する途中、吉林省蛟河県塔拉站を通過し、同県額穆まで来たが、鉄砲隊の襲撃を受けて、河西站まで戻され、同地のぶどう酒工場で一泊した。母は額穆正方屯で死亡した。翌日、父が、河西站で、額穆から来た中国人王文玉に預けた。その後、数人の手を経て養父崔慶雲に引き取られた。 |
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左胸にあざ |
個票 |
09061 |
5 |
劉 忠林、りゅう ちゅうりん、男、2歳、A型 |
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吉林省蛟河県 |
母と本人は吉林省蛟河県の難民収容所にいた。母が病気になったため、王というおばあさんを介して、養父劉鳳桐に引き取られた。 |
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個票 |
09062 |
10 |
李 文林、り ぶんりん、男、1ヵ月、B型 |
父、母、姉(7歳)父は大工らしい |
吉林省蛟河県 |
ソ連参戦後、牡丹江方面から吉林省蛟河県に避難してきた。母は、姉と本人を連れ、煎餅(チェンビン)の小売店をしていた宋の家に住み込み、同家の子供の乳母となって店の手伝いをしていた。21年秋ごろ、母が、蛟河県蛟河鎮吉順町で食料品の小売をしていた養父李広嶺の店で、養母の姉を介して、養父に預けた。その時、本人は、赤紫色の地に黄色の花柄のある和服を着ていた。その後、母は帰国したらしい。 |
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頭の上、首の後ろ、背中に数か所、大豆大のできもののあと |
個票 |
09063 |
12 |
魏 喜代、ぎ きだい、男、5歳、O型 |
父、母、兄、弟 |
吉林省敦化県 |
父と弟は、吉林省敦化県海青房で死亡した。父を同地の北方の砲台付近で埋葬したが、弟の埋葬場所は不明。20年8月ごろ、母が、中国人の老婦人を介して、養父魏金富に本人を預けた。その時、兄の着ていた白いシャツを本人に着せた。3日後に養父と海青房に行った時、母と兄は西方へ避難するところだった。 |
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個票 |
09064 |
15 |
湯 軍、とう ぐん、男、4歳、O型 |
父は軍人(東安省虎林県の2634部隊にいたと思われる。) |
吉林省敦化県 |
終戦後、中国人周洪義に連れられて、吉林省敦化県哈爾巴嶺に行き、同地で養父湯貴林に引き取られた。 |
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右手人差し指に傷あと |
個票 |
09065 |
10 |
劉 鳳貴、りゅう ほうき、男、4歳、O型 |
父(渡満前に戦死)、母、弟 父は軍人 |
吉林省敦化県 |
20年秋、母は、弟と本人を連れて吉林省敦化県額穆に避難した。弟は、避難の途中に死亡した。その後、母と額穆で崔の家に世話になり、母は2日目に出産したが、すぐに子供は死亡した。母が翌日に死亡したため、数日後、養父劉喜徳に引き取られた。 |
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|
個票 |
09066 |
12 |
田 鎮君(田 鎖君)、でん ちんくん、男、4歳、B型 |
父、母、兄、姉 |
吉林省敦化県 |
20年秋、母が病気になったため、2人の日本人(毛利、大成)を介して養父田迺富に預けられた。数日後、母は死亡した。 |
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|
個票 |
09067 |
14 |
王 宝林、おう ほうりん、男、3ヵ月、AB型 |
母 |
吉林省敦化県 |
吉林省敦化県の難民収容所において、母が死亡したため、煎餅(チェンビン)屋の養父王景祥、養母李長芬に引き取られた。 |
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つむじが3つ、左耳上部に傷あと |
個票 |
09068 |
4 |
張 学彦、ちょう がくげん、男、20年10月30日又は11月30日生、O型 |
父、母、姉(6、7歳)、兄(3、4歳)父は軍人かパルプ工場勤務らしい。母は収容所から出て大工屋の曲発聚家で一ヶ月位炊事の手伝い |
吉林省敦化県 |
一家は、吉林省敦化市内に住んでいた。父は同地で死亡した。生後7日目に、母が、満州林業株式会社敦化林業事務所にいた陳を介して、同事務所で機関車助手をしていた養父張忠錦の家に預けた。母は姉と兄を連れて3回会いに来た。その後、1946年頃帰国したがはっきりとはわからない。養父母の家は機関車車庫の南側とパルプ工場行きの鉄道の東側にあり。 |
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|
個票 |
09069 |
12 |
周 桂芝、しゅう けいし、女、6歳、O型 |
父、母、兄、弟 父は食品倉庫の管理員 |
吉林省楡樹県 |
終戦後、一家は、吉林省楡樹県楡樹鎮まで避難してきたが、ソ連兵の攻撃を受け、父はソ連兵に連行され、母は負傷した。弟は、避難する途中、行方不明になった。その後、母が、本人と兄を、楡樹鎮の大通りで養父韓に預けた。養母とともに母に会いに行ったことがあるが、まもなく母は、どこかへ行ってしまった。 |
母にときどき「島に行ってこい。」と言われた。日本での住居の付近の図(資料) |
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個票 |
09070 |
10 |
于 秀蘭、う しゅうらん、女、1歳、A型 |
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吉林省農安県 |
ソ連参戦後、新京に向かって避難する途中で右足にけがをしたため、吉林省農安県南亮衣門に残されたところを、中国人夏仁生に保護された。その後、養父于会庭に引き取られた。 |
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右大腿部に貫通銃創のあと |
個票 |
09071 |
9 |
李 莉芬、り りふん、女、4歳、B型 |
父、母 |
吉林省懐徳県 |
終戦後、吉林省懐徳県公主嶺で中国人に保護された。養母から渡された、小さいころの写真の裏に「俊枝」と書いてある。 |
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個票 |
09072 |
15 |
郭 桂蘭、かく けいらん、女、4歳、AB型 |
父、母、兄、姉、妹 父は飛行機の操縦士 |
吉林省長春県 |
父は佳木斯で死亡した。終戦後、母は子供達を連れて吉林省長安県孟家屯の難民収容所に入所した。同所で、本人は孔という中国人を介して、当時箱作りをしていた養父郭?武に引き取られた。兄は養家を訪れたことがある。 |
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左腕におできか火傷のあと |
個票 |
09073 |
1 |
陳 桂栄、ちん けいえい、女、8歳、B型 |
母。弟がいたかもしれない |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、母とともに浜江省哈爾浜市から吉林省新京市に避難し、難民収容所に入所した。その後、母と本人は養父陳学亮の家に身を寄せたが、母は20年の冬死亡した。 |
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右膝に茶色の斑点、首の中央に1円玉大のへこみ |
個票 |
09074 |
4 |
潘 素珍、はん そちん、女、7歳、AB型 |
父、母、兄、弟(3〜4歳) |
吉林省新京市 |
父は応召した。ソ連参戦後、一家は、貨車で吉林省新京市に避難した。本人は新京駅前広場で弟と遊んでいて道に迷ったところを、中国人に保護され、その後、養父潘広信に引き取られた。弟は行方不明となった。 |
母は家で糸を紡いでおり、兄は通学していた。村では西瓜や大豆を栽培していた。家の近所で火事があったことを憶えている。 |
大豆を食べて前歯を欠いたことがある。下唇の中央にほくろ |
個票 |
09075 |
12 |
趙 桂栄、ちょう けいえい、女、7歳、O型 |
父、母、弟、妹 開拓団 |
吉林省新京市 |
一家は牡丹江付近に住んでいた。母は牡丹江市の病院で病死した。終戦後、父は、3人の子供を連れて新京方面に避難したが、その途中、妹を中国人に預けた。その後、父は、本人と弟を吉林省新京市の孤児収容所に入れて、どこかへ行ってしまった。同収容所で、養父趙蘭慶に引き取られた。 |
|
左眉毛の下に、幼少時のはしかか水ぼうそうのあと |
個票 |
09076 |
11 |
馬 桂雲、ば けいうん、女、6歳、A型 |
父(死亡)、母、姉 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、母が、吉林省新京市頭道溝駅で消防署の炊事婦をしていた刑秀峰を介して、養母趙玉賢に預けた。その際母は、ハンドバッグと写真を置いていった。当時、頭道溝消防署には、船口、西野、金子という日本人がいた。姉も同市八里堡に住む中国人に預けられた。 |
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左大腿部に茶色のあざ |
個票 |
09077 |
8 |
楊 淑琴、よう しゅくきん、女、6歳、B型 |
父、母、姉又は妹、祖父 |
吉林省新京市 |
20年9月、吉林省新京市新京駅付近で、養母の妹武とその夫郎に引き取られた。その後、鉄嶺に住む養母武連香に引き取られた。 |
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左胸にほくろ |
個票 |
09078 |
10 |
楊 秀珍、よう しゅうちん、女、6歳、B型 |
父、母、姉、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、母、姉、弟と北満からトラックに乗り避難した。父は現地に残り、トラックを見送った。その時、父が開けてくれた缶詰(みかん)を食べた。避難する途中、夜、トラックが攻撃され炎上し、母、姉、弟は焼死した。その後、汽車で吉林省新京市まで避難して、緑園住宅付近の難民収容所に入所した。20年10月ごろ、他の子供と近くの村へ行った時、養父楊万生に引き取られた。 |
家はレンガ造りの平屋で、周りに塹壕があった。 |
両足首と左手人差し指付け根に火傷のあと、左手首上部10センチの位置に姉につけられた約2センチの傷あと |
個票 |
09079 |
3 |
王 英傑、おう えいけつ、女、5歳、A型 |
「ユウチャン」と呼ばれていた。父、母、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
終戦後、住んでいた吉林省新京市西三馬路で、母が、中国人の老人と一緒に馬車でやってきた養母?(カク)文如に預けた。その時、母は、父、母、弟、本人の名前を書いた木の札を本人の首に下げた。 |
|
右上腕に約5センチの貫通銃創の傷あと、右耳裏に約5ミリのくぼみ |
個票 |
09080 |
7 |
李 桂栄、り けいえい、女、5歳、B型 |
父、母、弟 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、三江省佳木斯方面から避難する途中、母、弟とはぐれ、父とともに吉林省新京市の難民収容所(元小松工場)に入所した。20年末、父が、同市八里堡に住む養父邱福堂に本人を預けた。その時、父は病気で、本人も左足が凍傷になっていた。 |
|
左膝に収容所の階段で転んだ時の傷あと、左頬骨の辺りにほくろ、左足指の一部が凍傷により欠損 |
個票 |
09081 |
7 |
崔 洪賢、さい こうけん、女、5歳、B型 |
父、母、姉(14〜15歳)。兄がいたかもしれない |
吉林省新京市 |
20年11月ごろ、吉林省新京市の八島学校の難民収容所で、父か母が、養父趙林祥に預けた。当時趙は、同市入船町3丁目3番地に住んでおり、同市西四馬路78の2にあった石材加工業の新谷商店で働いていた。 |
養父の写真(資料) |
右あご下に2センチの傷あと2つ(父とともに病院に行き、手術を受けた。) |
個票 |
09082 |
9 |
劉 秀媛、りゅう しゅうえん、女、5歳、AB型 |
林川芳子 父、母、叔母 |
吉林省新京市 |
終戦後、父は不在で、母は病気だったため、吉林省新京市窰子街近くの自宅で中国人張に預けられた。 |
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右大腿部に大豆大のほくろ |
個票 |
09083 |
10 |
任 金栄、にん きんえい、女、5歳、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
21年9月ごろ、母が新京市郊外の大屯で鍛冶屋をしていた養父任永聚に預けた。 |
|
へその下にあざ |
個票 |
09084 |
12 |
趙 金香、ちょう きんこう、女、5歳、B型 |
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吉林省新京市 |
20年8月末ごろ、吉林省新京市の西安橋から朝陽橋の付近で、日本人経営のビル建設会社に勤めていた養父趙志年に保護された。その時、胸にリボンの付いたワンピースを着て、赤地で下が白の足袋をはいて、表が黒で中が赤の箱を持っていた。養父の話では、同市の興安医院の医者の吉田か金藤が詳しいことを知っているらしい。 |
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左耳後ろに大豆大のいぼ |
個票 |
09085 |
1 |
李 麗、り れい、女、4歳、O型 |
父 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、ある日本婦人に連れられて吉林省新京市に避難し、難民収容所に入所した。その後、同市内に住んでいた中国人李に引き取られた。父は、病気で入院していたが、その後、死亡したらしい。 |
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鼻の右に小豆大のあざ |
個票 |
09086 |
4 |
孟 桂蘭、もう けいらん、女、4歳、B型 |
「アイチャン」と呼ばれていた。母、兄、弟又は妹。兄は「ヨッチャン」と呼ばれていた。 |
吉林省新京市 |
一家は、牡丹江市から吉林省新京市の難民収容所に避難したらしい。21年8月、母が、新京市豊楽路にあった鳥羽洋行に勤めていた養父孟継臣に本人を預けた。その後、母は帰国した。 |
家に日本刀があったのを憶えている。 |
左太ももに小指大の空色のあざ |
個票 |
09087 |
6 |
孫 桂芝、そん けいし、女、4歳、AB型 |
父、母、兄 父は警察署に勤務していたらしい |
吉林省新京市 |
20年8〜9月ごろ、吉林省新京市の難民収容所から、以前に本人の乳母をしていた曲右蘭に連れ出された。曲は、右目の下に3センチくらいのあざがあった。 |
父はいつも馬に乗っていた。母は、本人を出産した後、乳におできができたため乳母を頼んだらしい。家のそばにすべり台が2台あり、壊れたほうに乗ってけがをした傷あとが、現在も右臀部に残っている。乳母の写真(資料) |
右臀部に傷あと、肩に丸く青いあざ、両手首に傷あと、左目が二重まぶた(右目は一重) |
個票 |
09088 |
6 |
路 秀蘭、ろ しゅうらん、女、4歳、B型 |
|
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京市大同大街南部の日本人住宅(付近に卍字会の建物及び満州炭鉱社宅があった。)で2人の男の子と一緒に遊んでいた時、廃品回収業をしていた養父路洪生に保護された。その時、髪はおかっぱで、青色の和服を着ていた。 |
当時住んでいた日本人住宅の写真(資料) |
右耳上に約1.5センチの丸い傷あと |
個票 |
09089 |
9 |
杜 永湘、と えいしょう、女、4歳、O型 |
田中トモ子 父、母、兄 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京駅付近の公園で、母とはぐれ、日本人田村春子に保護された。その後、田村春子は養父杜進考と結婚した。 |
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|
個票 |
09090 |
11 |
張 鳳春、ちょう ほうしゅん、女、4歳、B型 |
父、母(19年に死亡)、姉(15歳)、兄(10歳) |
吉林省新京市 |
20年10月、吉林省新京市南関区七馬路の自宅で、父が中国人を介して、養母張李氏に本人を預けた。その時、父は病気で寝ていた。 |
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左目下にほくろ、右腕にできもののあと |
個票 |
09091 |
12 |
王 秀娥、おう しゅうが、女、4歳、A型 |
|
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市の難民収容所で、中国人高新に引き取られ、その後、養父王洪貴に引き取られた。 |
|
背中にうぶ毛が多く、うずをまいている。 |
個票 |
09092 |
15 |
李 淑芬、り しゅくふん、女、4歳、O型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
一家は吉林省新京市に住んでいた。ソ連参戦後、同市宋家窪子白狗大街西で、当時煎餅(チェンビン)屋をしていた養父李尚恩に引き取られた。その時、紺と赤の格子の和服を着て、下駄をはいていた。 |
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髪は縮れ毛、右腹部に小さなほくろ |
個票 |
09093 |
13 |
李 秀文、り しゅうぶん、女、3歳、O型 |
父、母、兄又は姉 父は軍人らしい |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市で、母が子供のいない老夫婦に預けた。その後、養父李福成に引き取られた。27年に、日本人が養家に会いに来たことがある。 |
父は乗馬ズボンをはき、あまり家にいなかった。母は背が高く色白で、いつも和服を着ていた。日本式の平屋に住んでいて、家の中には、障子や畳、竹のすだれがあり、絵が掛かっていた。 |
|
個票 |
09094 |
8 |
張 俊英、ちょう しゅんえい、女、3歳、B型 |
父、母、兄、姉 父は軍人 |
吉林省新京市 |
21年4〜5月ごろ、父が吉林省新京市朝陽区南新京広場近くで、友人の孫振及び郭を介して、養父張海山に預けた。父は、帰国する時、孫振に墨絵の掛軸を渡した。 |
|
|
個票 |
09095 |
10 |
崔 東華、さい とうか、女、3歳、AB型 |
「ミヨコ」 母以外不明 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市四馬路の日本人古家政江の家にいた。その後、古家は結婚し、本人は養母古家政江に引き取られた。母と養母は知人らしい。 |
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背中の左に手のひら大の青いあざ。左手第3、4、5指の各第3関節が屈曲不自由で指が短い。 |
個票 |
09096 |
11 |
朱 雪峰、しゅ せつほう、女、3歳、B型 |
「悦子」父(田順吉代郎)、母(順吉佳子)父は吉林省新京市二道溝の関東軍宋家窪子倉庫に勤務 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、吉林省新京市宋家窪子柳影路の自宅で養父朱伯川に預けられた。 |
|
|
個票 |
09097 |
7 |
劉 桂栄、りゅう けいえい、女、2歳、A型 |
父、母、弟 父は軍人らしい |
吉林省新京市 |
21年春、母が吉林省新京市二馬路に住む中国人徐に預けた。その後、満州映画撮影所の大道具係で、所内の家族宿舎に住んでいた養父劉文智に引き取られた。21年秋、帰国する際に母が連れ戻しに来たが、本人が嫌がって帰らなかった。 |
|
襟首に2つのほくろ、後頭部の下に赤いあざ |
個票 |
09098 |
6 |
高 蘭英、こう らんえい、女、2歳、B型 |
父、母、兄、姉 |
吉林省新京市 |
21年初め、病気で歩けなかったため、吉林省新京市三道街の倒升洋楼付近で、日本人経営の店で働いていた養父高徳利に預けられた。その後、家族は本人を残して帰国した。 |
倒升洋楼付近の写真(資料) |
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個票 |
09099 |
7 |
蕭 淑芳、しょう しゅくほう、女、2歳、AB型 |
父、母。その他は不明 |
吉林省新京市 |
20年秋、母かもしれない日本人女性によって、吉林省新京駅で果物の露店を出していた養父蕭徳貴に、同所で預けられた。 |
|
少し縮れ毛の髪 |
個票 |
09100 |
8 |
劉 淑和、りゅう しゅくわ、女、2歳、A型 |
父、母、叔父(坂本)、叔母 |
吉林省新京市 |
叔父は、吉林省新京市の福田又は富田精米所に勤務していた。叔母は鉄路医院で女医をしていた。20年11月ごろ、母は南新京駅の近くの頭道溝で、養父韓文富に預けた。その後、養父劉吉貴に引き取られた。 |
|
額にほくろ、左胸上部に10センチのあざ |
個票 |
09101 |
8 |
張 桂栄、ちょう けいえい、女、2歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
21年夏ごろ、遊んでいたところ道に迷ってしまい、吉林省新京市東栄大路で養母の親類の仲維民の妻宋桂芝に保護され、22年3月、養父張文有、養母仲秀珍に引き取られた。 |
|
両足の甲にお灸のあと、左後ろ脇腹に小豆大のほくろ |
個票 |
09102 |
12 |
陳 麗卿、ちん れいけい、女、2歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市東駅の日本人の倉庫跡付近で、ある中国人に保護され、その後、養母趙玉珍に引き取られた。その時、本人が持っていたふろしき包みの中に、子供服と写真と拡大鏡があった。拡大鏡には「中川四郎」と記されていた。 |
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個票 |
09103 |
12 |
王 鳳雲、おう ほううん、女、2歳、A型 |
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吉林省新京市 |
ソ連参戦後、吉林省新京市紅西街孟家屯で、旅館を経営していた養父王長江、養母村上由美子(日本人)に引き取られた。 |
|
右耳にほくろ |
個票 |
09104 |
15 |
于 桂香、う けいこう、女、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
20年11月、吉林省新京市太平街付近で、父母が楊という野菜売りの中国人を介して、養父蔡懐発に預けた。 |
|
預けられた当時、右足がよく動かなかった(現在完治)。右手薬指が曲がっている。 |
個票 |
09105 |
3 |
李 鳳琴、り ほうきん、女、1歳、A型 |
|
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、吉林省新京市四馬路の難民収容所の近くで中国人徐鳳山に保護され、その後、養母屈桂芳に引き取られた。 |
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個票 |
09106 |
7 |
王 玉梅、おう ぎょくばい、女、1歳、A型 |
父、母、兄、叔母(母方)父は新京市頭道街の新京被服工場に勤務、母は満州鉄路医院の看護婦 |
吉林省新京市 |
21年2〜3月ごろ、母が、中国人丁輯五を介して、父と同じ工場で働いていた養母王張氏(後に、王淑芹と改名)に預けた。その時、衣類と2枚の銀貨を王に渡した。工場には、父のほかに須崎、林田という日本人が働いていた。父の出身地は、長崎県あるいは宮崎県かもしれない。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2)、母が養母に渡した衣類の端切れの写真(資料3) |
右太ももに薄いあざ |
個票 |
09107 |
8 |
田 桂蘭、でん けいらん、女、1歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
21年3月、吉林省新京市の難民収容所から中国人呉才を介して、養父田樹芳に預けられた。 |
|
|
個票 |
09108 |
8 |
厖 秀蘭、ぼう しゅうらん、女、1歳、A型 |
父、母、兄 |
吉林省新京市 |
終戦後、父母が死亡した後、吉林省新京市七馬路に住んでいた日本人の老婦人によって、李洪傑を介して、養父厖金声に預けられた。 |
|
右足裏の中指の付け根に小豆大の黒いあざ |
個票 |
09109 |
15 |
田 珊、でん さん、女、1歳、B型 |
父、母、姉2人 |
吉林省新京市 |
吉林省新京市西山馬路の大きな給水塔の下で、養父田万江に引き取られた。その時、模様入りの青い袷(あわせ)の掛けぶとんにくるまれ、名札が縫いつけてあるマントを着ていた。 |
|
鼻の左横にほくろ |
個票 |
09110 |
12 |
唐 桂琴、とう けいきん、女、10ヵ月、B型 |
父、母以外不明 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市で、しょう油や酢を売っていた行商人を介して、馬車の車夫をしていた養父唐大千に引き取られた。その時、日本製の黄色か灰色の毛布に包まれていた。 |
|
|
個票 |
09111 |
7 |
喬 恵文、きょう けいぶん、女、6ヵ月、B型 |
母、兄(17歳) |
吉林省新京市 |
兄は、吉林省新京市西三道街の新亜?菓子店で働いていた。21年、母が死亡したため、兄が、同店で運転手をしていた王恩明を介して、福華縫製工場を経営していた養父喬子陽に預けた。その時、マツザカヤのマークが付いた白地のベビー服とケープを着ていた。21年7月、帰国する際、兄は養家に父母の写真を残した。 |
|
右腕上はく部に赤いあざ |
個票 |
09112 |
10 |
修 偉麗、しゅう いれい、女、3ヵ月、B型 |
|
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京市順天区豊楽路の空家の中で、泣いていたところを、養母趙雲霞に保護された。 |
|
|
個票 |
09113 |
12 |
許 桂芝、きょ けいし、女、3ヵ月、O型 |
母以外不明 |
吉林省新京市 |
20年12月、母とともに、吉林省新京駅前漢口商店裏の中国人理髪師孫の家に避難した。そこで、母が、大工をしていた何培慶の夫人を介して、養母楊淑芹に預けた。その時、母は病気で寝ていた。当時、本人は、白い綿入れを着て、顔中しもやけだった。 |
|
左眉の左にほくろ、顔の左側に凍傷のあと |
個票 |
09114 |
11 |
朱 秀芹、しゅ しゅうきん、女、2ヵ月、O型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
ソ連参戦後、母が吉林省新京市南関舎のじゃがいも畑で養父朱景全に預けた。その時、本人は白い和服を着ていた。その後、母は同市范家店の養父の弟の家で養父と食事をした。 |
|
胸に小豆大のほくろ |
個票 |
09115 |
8 |
倪 彩霞、げい さいか、女、20年8月生、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
21年1月ごろ、母が吉林省新京市三馬路老媽店で、養父倪紹孔に預けた。 |
|
右足の親指が生まれつき赤い。 |
個票 |
09116 |
10 |
範 復英、はん ふくえい、女、20年10月生、B型 |
父、母、兄3人 |
吉林省新京市 |
終戦後、一家が吉林省新京市から引き揚げる際に、本人は新京益発銀行の門番をしていた養父範常有に預けられた。 |
|
右目尻の下にあざ |
個票 |
09117 |
7 |
蘇 蘭英、そ らんえい、女、20年11月生、O型 |
|
吉林省新京市 |
21〜22年ごろ、吉林省新京市大亜街の大衆薬局で働いていた中国人朱雪春を介して、37歳ぐらいの日本人男性から、洋食の食堂を営んでいた養母唐淑芹に預けられた。その時、毛のセーターにゴム靴をはき、よちよち歩きで、「おとうちゃん」「おかあちゃん」と呼ぶことができた。 |
|
臀部の中央に3センチの切り傷のあと |
個票 |
09118 |
10 |
馬 暁明、ば ぎょうめい、女、21年3月生、B型 |
父、母、兄(3歳)開拓団らしい。 |
吉林省新京市 |
吉林省新京市洪煕街圏旁付近に住んでいた。21年5月、母が開拓団に出入りしていた運転手の養父馬驥武に預けた。その時、母は花模様の赤いメリンスの和服地と食器類等を養父に渡した。その後、母は兄を連れて帰国した。 |
母が養父に渡した和服地の写真(資料1)、食器類の写真(資料2) |
右手甲の親指側にあざ |
個票 |
09119 |
8 |
郭 麗君、かく れいくん、女、1ヵ月、A型 |
父、母、姉 父は吉林省立通陽国民学校副校長 |
吉林省通陽県 |
ソ連参戦後、父が、父の教え子であった養父郭永州に預けた。父と同じ学校の先生に赤坂喜策という人がいた。父は大阪出身である。 |
|
|
個票 |
09120 |
13 |
呂 桂栄、ろ けいえい、女、4歳、B型 |
父、母 |
吉林省舒蘭県 |
終戦後、吉林省舒蘭県二道街の自宅で、近くに住む中国人任呂氏に引き取られた。その後、養父曹広挙、養母呂桂蘭に引き取られた。 |
|
背中の真ん中に、大豆大のほくろ |
個票 |
09121 |
15 |
謝 秀琴、しゃ しゅうきん、女、2歳、O型 |
父、母、兄2人、姉 |
吉林省舒蘭県 |
20年8月、一家は吉林省舒蘭県舒蘭北郊外に避難し、同地において、父母が養父謝海楼に預けた。その時、母は赤、緑、黄の3粒の宝石が付いた指輪を養父に渡した。当時、養父は父の友人の日本人女性と共同で、肉屋を経営していた。 |
|
|
個票 |
09122 |
1 |
張 桂蓉、ちょう けいよう、女、3歳、A型 |
父、母。兄(6〜7歳)がいたらしい。父は吉林省永吉県樺皮廠警察署勤務、母は餅売り |
吉林省永吉県 |
終戦後、父母が帰国する際、父と同じ職場に勤務していた養父張寅東に預けた。その時、洋服だんすや金糸で刺繍した腹がけ等を渡した。北海道出身らしい。 |
|
左太ももに親指大の茶色いあざ、顔の真ん中に小豆大の傷あとが2つ |
個票 |
09123 |
11 |
姜 玉蘭、きょう ぎょくらん、女、1歳、B型 |
|
吉林省永吉県 |
20年秋、吉林省樺甸県方面から大勢の人と避難する途中、同省永吉県長崗嶺の道端に置き去りにされたところを養父姜殿挙、養母姜于氏に保護された。当時、白いセーターを着ていた。 |
|
左耳上にできもののあと |
個票 |
09124 |
11 |
王 桂珍、おう けいちん、女、21年2月生、AB型 |
父、母(30歳前後)、兄(10歳前後)、姉(5歳) |
吉林省扶余県 |
21年5月ごろ、吉林省扶余県西門の自宅で、母が隣に住んでいた中国人金を介して、養母呉素清に本人を預けた。そのとき、母が養母に3個の指輪を渡した。 |
|
|
個票 |
09125 |
7 |
斉 徳蓮、さい とくれん、女、6歳、O型 |
斉藤 父、母、兄2人(15〜16歳、10歳)、姉(13〜14歳)父は牡丹江鉄路局の理事、母は鉄道の職工 |
吉林省吉林市 |
21年11月ごろ、父を除く一家は、牡丹江市から吉林市に来たが、同市東関の神社付近の家で、母が、鉄道員をしていた養父斉仲雲に、本人を預けた。 |
|
鼻の左にほくろ |
個票 |
09126 |
7 |
劉 麗華、りゅう れいか、女、4歳、A型 |
佐藤 父、母、兄又は姉数人 父は官公吏 |
吉林省吉林市 |
終戦後、一家は、吉林市警察署東側の陽明小学校の難民収容所に避難した。同所から母とともに人力車に乗って、同市北大街大興胡同の養家に行き、そこで、母が養父劉漢民(後に、劉世傑と改名)に預けた。当時、劉は、難民収容所前の露店で、果物を売っていた。帰国する際、母が会いに来たが、養母が本人に会わせなかった。 |
|
左もも上部に直径約2センチの薄黄色のあざ |
個票 |
09127 |
8 |
王 淑琴、おう しゅくきん、女、3歳、A型 |
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吉林省吉林市 |
20年9月ごろ、吉林市の南?坑の提法司難民収容所(陽明小学校)で、人力車夫の李元ろく?という老人を介して、養父王連に引き取られた。 |
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右耳にほくろ |
個票 |
09128 |
10 |
李 淑華、り しゅくか、女、3歳、B型 |
父、母、兄 |
吉林省吉林市 |
終戦後、吉林市公署職工住宅付近に住んでいた。21年3月、同所において3人の日本人男性から古物商の張破爛を介して、吉林市北窯坑に住む養母谷鳳雲に預けられた。その時、綿入れの上衣を着ていた。 |
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個票 |
09129 |
7 |
趙 喜玲(張 喜玲)、ちょう きれい、女、2歳、B型 |
父、母 |
吉林省吉林市 |
20年10月ごろ、吉林市福興里で、李書文を介して、講談師をしていた養父張蔭春に引き取られた。 |
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左足首の上に約4センチの薄いあざ、鼻の右下にほくろ |
個票 |
09130 |
10 |
林 艶秋、りん えんしゅう、女、2歳、O型 |
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吉林省吉林市 |
21年又は22年1月ごろ、吉林神社(収容所)の中にあった孤児院から、養母の親類の林?(テキ)氏に引き取られた。その時、夏服を着て、手首に白い布がつけられ、生年月日が書いてあった。 |
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左足のくるぶしに傷あと |
個票 |
09131 |
11 |
薛 秀明、せつ しゅうめい、女、1歳、A型 |
玉子 父、母 |
吉林省吉林市 |
ソ連参戦後、母が本人を連れて吉林市に避難した。同市で養父于慶福に預けた。21年2月、母は死亡した。 |
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|
個票 |
09132 |
10 |
姚 靖汎、よう せいはん、女、10ヵ月、A型 |
|
吉林省吉林市 |
20年秋、吉林市徳勝門北山付近で、日本人男性から、中国人馬成遙を介して、憲兵隊で通訳をしていた養父姚鴻芳に預けられた。その時、母の写真と格子柄のオーバーを養父に渡した。 |
母が着ていたオーバーの写真(資料) |
へその右上に円形の赤いあざ |
個票 |
09133 |
8 |
劉 彦書、りゅう げんしょ、女、20年10月生、A型 |
父、母 父は軍人 |
吉林省吉林市 |
21年2月、母が、吉林市徳勝門の劇場付近に住んでいた張子厚を介して、養父劉方睦に預けた。21年秋、母は、中国人婦人と一緒に、2回会いに来たことがある。その後、23年3月、母は帰国したらしい。 |
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右耳たぶにほくろ |
個票 |
09134 |
15 |
宋 蓮香、そう れんこう、女、21年生、A型 |
父、母 父は軍人らしい。 |
吉林省吉林市 |
母は20年初め、牡丹江にいた父のもとに渡満した。終戦後、母は吉林市に避難し、本人を出産した後、養父楊義起に預けた。その後、母は死亡した。 |
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左口許にあざ、左腰に小豆大のあざ |
個票 |
09135 |
5 |
李 英順、り えいじゅん、女、11歳、A型 |
松本英子 父、母 父は飛行場の技術者で、母は音楽教師だったらしい。 |
吉林省蛟河県 |
終戦後、避難する途中、吉林省蛟河県西大姑家屯付近で父はソ連軍の攻撃を受け死亡した。その後、母ともはぐれてしまったところを養父に保護された。 |
一家は浜江省双城県の拉林飛行場の近くに住んでいた。10歳の時、東京の祖母の家に里帰りしたことがある。 |
薬指に父の刀でけがをした傷あと |
個票 |
09136 |
10 |
劉 玉蘭、りゅう ぎょくらん、女、2歳、A型 |
父、母(死亡したらしい)父は軍医かもしれない。 |
吉林省蛟河県 |
ソ連参戦後、父とともに、牡丹江市付近から吉林省蛟河県新站まで避難した。その後、父が新站北門里道の西側で、養父李志に預けた。 |
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左肩に大豆大のほくろ |
個票 |
09137 |
12 |
劉 金玲、りゅう きんれい、女、2歳、A型 |
父、母 |
吉林省蛟河県 |
一家は吉林省蛟河県蛟河鎮に住んでいた。ソ連参戦後、父はいなくなった。終戦後、母と2人で難民収容所で生活していた時、田と親しくなった。21年2月、母が死亡したため、その田を介して養父劉玉増に引き取られた。 |
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個票 |
09138 |
15 |
張 明、ちょう めい、女、8ヵ月、B型 |
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吉林省蛟河県 |
ソ連参戦後、吉林省蛟河県で養母篠艶君に引き取られた。その時、本人の名前と生年月日などを書いたメモがあったらしい。 |
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個票 |
09139 |
1 |
王 桂琴(王 桂芹)、おう けいきん(オウケイキン)、女、8歳、A型 |
「サク」又は「サキコ」父、母、妹、弟2人 父は吉林省青溝子開拓団 |
吉林省敦化県 |
ソ連参戦後、一家は難民収容所に入所した。20年11月、本人は吉林省敦化県黄溝屯で、養父王憲堯に引き取られた。妹も同地で趙という中国人に引き取られ、弟2人は死亡したらしい。 |
|
すねにお灸のあと |
個票 |
09140 |
3 |
王 淑珍、おう しゅくちん、女、6歳、A型 |
父、母、姉(西子、夕子又は希子)、弟2人 吉林省敦化県青溝子開拓団 |
吉林省敦化県 |
20年10月、父母が、吉林省敦化県黒石区で、養父趙希武に預けた。 |
開拓団にいた時、父が大きな熊を生け捕り、本人と姉に熊の血を飲ませてくれた。母は腹部の手術をし、その傷が化膿したまま避難した。 |
小さいとき、よくあごがはずれた。 |
個票 |
09141 |
12 |
姜 桂芝、きょう けいし、女、6歳、A型 |
父以外不明 吉林省敦化県大石頭開拓団 |
吉林省敦化県 |
20年9月ごろ、鉄道工夫の王を介して、吉林省敦化県哈爾巴嶺養路工区の従業員だった養父姜鳳礼に引き取られた。 |
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個票 |
09142 |
12 |
馬 淑蘭、ば しゅくらん、女、5歳、A型 |
母、弟(生後6か月) |
吉林省敦化県 |
終戦後、母は、本人と弟を連れて、吉林省敦化県秋梨溝まで避難して来て、同地に住む楊の家に2か月間世話になった。避難する途中、弟は死亡した。その後、20年11月に、母が、養父楊秀武に預けた。当時、本人は、黒いラシャの半オーバーを着て、小さいふとんを腰に巻いていた。 |
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個票 |
09143 |
11 |
焦 洪蘭、しょう こうらん、女、4歳、A型 |
小川光子 父、母、弟 父は日本軍2634部隊に所属 |
吉林省敦化県 |
一家は東安省虎林県に住んでいた。ソ連参戦後、母、弟とともに吉林省敦化県八家子に避難した。その後、母が行方不明となり、養父焦徳仁、養母劉淑琴に引き取られた。 |
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|
個票 |
09144 |
15 |
曲 長雲、きょく ちょううん、女、4歳、O型 |
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吉林省敦化県 |
終戦後、吉林省敦化県大荒溝の冷という中国人宅から、同県大石頭鎮大平村の劉が引き取り、現在の養父に預けた。その時、緑色か紺色で白い点々の付いた綿入れを着ていた。当時、腸チフスにかかっていた。 |
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個票 |
09145 |
13 |
王 海芹、おう かいきん、女、3歳、O型 |
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吉林省敦化県 |
終戦後、日本人が経営する製紙工場で働いていた朝鮮人金を介して、吉林省敦化県南泡子沿で、左官をしていた養父王徳林に引き取られた。当時、大きな格子柄の服を着ていた。 |
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個票 |
09146 |
8 |
辛 淑芬、しん しゅくふん、女、2歳、A型 |
父、母、弟 父は開拓団の鉄工職人 |
吉林省敦化県 |
終戦後、大石頭大沙河で母が死亡した。弟は養父馮徳才に預けられたが、数か月後に死亡した。母の死亡後、吉林省敦化県で、父が雑貨店を経営している養父郭玉喜に本人を預けた。父が帰国する時、本人を引き取りに来たが、大石頭区役所の調停で、帰国できなかった。 |
|
首の右側、腕、太ももの後ろに傷あと |
個票 |
09147 |
8 |
段 秀雲、だん しゅううん、女、1歳、AB型 |
父、母、叔母2人、叔父 |
吉林省敦化県 |
ソ連参戦後、母、叔父、叔母と吉林省敦化県海青房まで避難したが、母が病気になったため、宋という中国人を介して、養父段倫和に預けられた。 |
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鼻の下に小豆大の赤いあざ |
個票 |
09148 |
11 |
韓 鳳雲、かん ほううん、女、1歳、O型 |
|
吉林省敦化県 |
20年9月ごろ、吉林省敦化県の敦化飛行場で、日本人女性から養父母の母張桂珍に預けられた。その時、軍用毛布にくるまれていた。 |
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|
個票 |
09149 |
15 |
樊 玉蘭、はん ぎょくらん、女、2ヵ月、O型 |
|
吉林省敦化県 |
終戦後、間島省汪清県から吉林省敦化県に避難する途中、尤という中国人を介して、養母魯鳳閣に引き取られた。 |
|
胸に4つのお灸のあと |
個票 |
09150 |
62-1 |
崔 文陽、さい ぶんよう、男、3歳、B型 |
父、母、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
吉林省新京市に住んでいた。終戦後、母は弟を他の中国人に預け、母と本人は養父崔信陽の家に身を寄せた。母はその後に死亡した。 |
|
鼻の左にほくろ |
個票 |
09151 |
62-1 |
蒲 秀泉、ほ しゅうせん、男、2歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
21年夏、吉林省新京市で餅売りをしていた中国人に保護され、その後、馬車の御者をしていた養父蒲連貴に引き取られた。その時、白い半袖のシャツに灰色の縞模様の半ズボンをはいて、腰には衣類の入った風呂敷包みを下げていた。 |
|
腰の左側、左眉の下、鼻の左にほくろ、右腕に黒いあざ、両足の脛に4つの傷あと。当時、中耳炎、脱肛だった。 |
個票 |
09152 |
62-1 |
蘇 家祥、そ かしょう、男、4ヵ月、B型 |
父、母、姉(6〜7歳)、兄(3〜4歳)父は吉林省新京駅東口の鉄道工事の人夫頭 |
吉林省新京市 |
20年9月、新京駅東口付近の日本人家屋で董功業に保護され、その後、養父の母に引き取られた。その時、両腕に日本の字が刻まれたメダルをつけていた。 |
|
胸にほくろ |
個票 |
09153 |
63-2 |
白 立桐、はく りつとう、男、4歳、B型 |
父、母、姉 父は縫製業 |
吉林省吉林市 |
ソ連参戦後、一家は吉林市に避難し、大人は同市の孔子廟に、子供は同市の東?坑の2階か3階建ての廃屋に集められた。そこから姉と2人で韓に引き取られたが、本人はその後、楊と白を介し、養父白玉林に引き取られた。姉はその後死亡した。 |
一家は牡丹江省寧安県海林に居住していた。 |
|
個票 |
09154 |
平元 |
汪 錫財、おう しゃくざい、男、6歳、B型 |
父、母 父は吉林省新京駅に勤務 |
吉林省新京市 |
20年8月、父に連れられ新京駅に行き、1人で汽車に乗ってしまい、浜江省哈爾浜駅に着いた。その後、哈爾浜市十六道街華楽劇場前で養父汪培懐に保護された。 |
|
背中に大豆大のくぼみ |
個票 |
09155 |
平2 |
韓 振権、かん しんけん、男、6歳、A型 |
弟(4〜5歳)、叔母(父母は渡満前に死亡)、姉(17〜18歳、渡満しなかった) |
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京駅緑園の難民収容所付近で養父韓金華に保護された。 |
山のふもとの2階建ての家に住んでいた。本人が4〜5歳の頃、母が死亡し、山の上に埋葬した。母の死亡後すぐ、兄弟は叔母に引き取られた。 |
|
個票 |
09156 |
平2 |
柴 喜林、さい きりん、男、2歳、AB型 |
深井成明 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市で中国人に保護された。その後、浜江省五常県の養父柴永喜に引き取られた。 |
|
首の右側にほくろが2つ |
個票 |
09157 |
平元 |
王 安国、おう あんこく、男、5歳、O型 |
父(西○○、19年奉天省撫順市で死亡)、母(「岡部チエ子」又は「チズ子」かもしれない)、弟 父は日本軍飛行士、母は撫順市と吉林省敦化県で教師をしていた。 |
吉林省敦化県 |
20年10月、吉林省敦化県で母が養父王君明に預けた。その後、弟は死亡し、母も中国人と再婚後、死亡した。 |
|
左目の横に米粒大のあざ |
個票 |
09158 |
平2 |
何 樹勲、か じゅくん、男、2歳、AB型 |
父、母、兄、姉 開拓団 |
吉林省吉林市 |
20年9月、吉林市維新街で、母が養父何子奇、養母李淑芳に預けた。 |
|
左腹部に米粒大のいぼ |
個票 |
09159 |
63-2 |
邱 実、きゅう じつ、女、3歳、A型 |
父、母、兄弟がいたらしい 父は内蒙古札?特旗新農合作社で経理担当をしていた。 |
吉林省新京市 |
終戦後、新京市で両親が養母に預けた。 |
|
|
個票 |
09160 |
62-1 |
曲 鳳?、キョク ホウテイ、女、20年12月生、B型 |
父、母、兄、姉 |
吉林省新京市 |
吉林省新京市興安大路の永安消防署付近に住んでいた。21年1月ごろ、両親が同所でボイラー工をしていた李に預けた。 |
|
背中の左上部にほくろ |
個票 |
09161 |
63-2 |
呉 景珍、ご けいちん、女、3歳、O型 |
父、母 開拓団 |
吉林省舒蘭県 |
一家は吉林省舒蘭県水曲柳に住んでいた。20年8月、同地の難民収容所で、中国人李栄に引き取られた。 |
|
足の第四指と第五指がほぼ同じ長さ |
個票 |
09162 |
62-2 |
王 威、おう い、女、1ヵ月、O型 |
母以外不明 |
吉林省舒蘭県 |
20年9月、母が吉林省舒蘭県の養家で養父王有芝に預けた。 |
|
額右上に豆粒大のほくろ、内股(左足)に黒いあざ |
個票 |
09163 |
62-1 |
張 美雲、ちょう びうん、女、1歳、O型 |
|
吉林省吉林市 |
21年春、日本婦人が吉林市の神社の前で養父張煥起に預けた。 |
|
|
個票 |
09164 |
62-1 |
尚 淑芝、しょう しゅくし、女、6歳、A型 |
「大坂春美」又は「大板春美」かもしれない 父、母、姉、弟 |
吉林省敦化県 |
父は応召。終戦後、吉林省敦化県大石頭付近の難民収容所に入所したが、母と弟が相次いで死亡したため、姉と本人は養家に引き取られた。姉はその後どこかへ行った。本人が病気になった時、姉は2〜3回見舞いに来てくれた。 |
|
ヘルニアだった(父が医者を呼んでくれた) |
個票 |
09165 |
63-2 |
朱 淑清、しゅ しゅくせい、女、4歳、A型 |
父、母 木材の運搬業 |
吉林省敦化県 |
20年8月、吉林省敦化県の難民収容所で、韓亜東、朱洪福を介して、養父朱明分に引き取られた。養父は1946年まで飲食店を営み、その後木材加工業に従事。 |
吉林省敦化市成関区に居住していた。 |
当時、病気がちでお尻がただれていた。 |
個票 |
09166 |
63-2 |
徐 立君、じょ りつくん、女、4歳、A型 |
吉林省敦化県周辺の開拓団にいたらしい |
吉林省敦化県 |
20年10月、吉林省敦化県牡丹崗で封徳録に保護され、その後養家に引き取られた。養家の近く(「ナンバラプ」というところ)に製紙工場があった。 |
|
|
個票 |
09167 |
平2 |
崔 雅琴、さい がきん、女、2歳、O型 |
|
吉林省新京市 |
20年8月、吉林省新京市で養父崔岱に保護された。その時、赤紫色の服の上にダブダブの黄色の服を着ていた。 |
|
|
個票 |
09168 |
平2 |
張 桂芹、ちょう けいきん、女、4歳、O型 |
父(18年ごろ死亡)、母、伯母、伯母の夫 |
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京市の栗田組で働いていた伯母の夫が養父張君徳、養母王淑珍に預けた。その時、茶色の旅行かばんがあった。また、本人の生年月日は昭和15年10月24日と書かれたメモがあったと養母から聞いた。 |
茶色の旅行かばんの写真(資料) |
右臀部にカギ型の切り傷のあと、両耳の後ろにほくろ |
個票 |
09169 |
平2 |
魏 艶茹、ぎ えんじょ、女、6ヵ月、O型 |
|
吉林省新京市 |
20年10月、吉林省新京市にある育嬰堂で養父魏福元に保護された。その時、日本の着物に包まれ、枕元に毛糸の衣服と中国語で『貴堂に預けます。氏名捨心、康徳十二年陽暦二月二十一日陰暦正月九日晨時生』と書かれた紙片が置いてあった。 |
|
|
個票 |
09170 |
平元 |
高 玉蘭、こう ぎょくらん、女、2ヵ月、O型 |
母、姉(7〜8歳) |
吉林省新京市 |
23年3月、吉林省新京市で母が養父曲文海に預けた。 |
|
臀部に傷あと |
個票 |
09171 |
平元 |
楊 燕、よう えん、女、21年3月生、O型 |
母以外不明 |
吉林省通陽県 |
21年3月、吉林省通陽県伊通街西門付近の養家で、母が養母楊劉氏に預けた。 |
|
首に大豆大のほくろ |
個票 |
09172 |
平元 |
王 淑賢、おう しゅくけん、女、6歳、B型 |
父、母、姉、弟 吉林省舒蘭県の開拓団 |
吉林省舒蘭県 |
父は応召。20年11月、吉林省舒蘭県の難民収容所で母が養父趙八連に預けた。弟は同所で死亡。姉は病気だった。 |
家には馬が1頭いた。父が応召の時、母が弟を抱いて本人と一緒に見送った。 |
右太ももに5〜6cmの傷あと |
個票 |
09173 |
平2 |
杜 艶栄、と えんえい、女、20年8月生、O型 |
父、母 父は軍人 |
吉林省吉林市 |
21年夏、吉林市で母が養父杜福和、養母杜周氏に預けた。母は北山飯店で働いていたが、その後帰国した。 |
|
右手の薬指の第一関節が曲がっている。 |
個票 |
09174 |
平2 |
邱 桂美、きゅう けいび、女、3歳、A型 |
父、母、兄又は姉2人 |
吉林省吉林市 |
20年冬、吉林市で母が養父邱貽坤に預けた。 |
|
|
個票 |
09175 |
平元 |
王 淑琴、おう しゅくきん、女、4歳、O型 |
為井順子又は鈴木英子 母(平井ヒケイ)、兄(12〜13歳) |
吉林省敦化県 |
20年9月、吉林省敦化県大石頭鎮新立村で、母が養父王有、養母明桂珍に預けた。その時、白地に赤か紺の花柄の服を着ていた。兄は王顕貴に預けられたが、その後行方不明。 |
|
右まぶたに傷あと |
個票 |
09176 |
平2 |
豊 潔、ほう けつ、女、4歳、AB型 |
大重曹子 父、母 父は軍人 |
吉林省蛟河県 |
ソ連参戦後、日本軍とその家族が避難するため、吉林省蛟河県蛟河街に集合した時、同街南市場で母が、医師をしていた養父豊文章に預けた。その時、本人の名前と生年月日(1942年9月29日)を書いた紙片があった。 |
|
額の右側と右足甲の外側に傷あと |
個票 |
09177 |
平2 |
王 桂珍、おう けいちん、女、20年12月生、B型 |
母、叔父叔母(左左木) 開拓団 |
吉林省樺甸県 |
終戦後、母は吉林省樺甸県の陳興の家で働いていた。20年12月、同家で本人が出生。21年、同県で陳を介して養父王延発に引き取られた。その後、母と叔母は帰国し、叔父は伝染病で死亡した。 |
叔父叔母は、同県横道河子の村長劉芳の家にいた。 |
左大腿部の外側と右耳の下にあざ |
個票 |
09178 |
7 |
韓 麗娟、かん れいけん、女、3歳、A型 |
父、母 |
吉林省敦化県 |
20年末又は21年初め、吉林省敦化県敦化鎮内東関区で父が養父韓亜東、養母韓孫子に預けた。その時、黄色い上着を着ていた。 |
|
左大腿部に鶏卵大のあざ |
個票 |
09179 |
平3 |
彭 双徳、ほう そうとく、男、6歳、AB型 |
父、母(母は胃が弱く、よく病院に通っていた)父は軍人らしい |
吉林省永吉県 |
奉天の小学校から帰宅したら家に誰もいなく、室の中がメチャクチャであった。母を探してさまよっている途中、養母(林玉順)に保護された。 |
日本にいた時、父はよく銭湯に連れて行ってくれた。19年春ごろ、奉天の小学校に入った。小学校のとき着用していた服に名札があって、名札には氏名、生年月日、学校名が書いてあった。本人の生年月日は「13年12月2日」 |
|
個票 |
09180 |
平3 |
? 廼英、てき ないえい、女、6歳、AB型 |
母、弟 |
吉林省吉林市 |
終戦後、吉林市朝陽街近くの文廟(日本人が建てた堂)で、母が吉林市朝陽街文仁胡同2号向かいの南窰抗に住む養父?慎家に預けた。その時、母は和服と帯を残した。 |
養父母に預けられた時、「?桂珍」と名付けられた。(31年に現在の名前になる) |
右臀部に手の平くらいの浅黒いあざ |
個票 |
09181 |
平3 |
趙 桂珍、ちょう けいちん、女、7ヵ月歳、A型 |
父(真尾友一)、兄と姉が6〜7人。父は大阪の人で年齢は50代父は新京市西三道街の「亭増祥軍服店」の通訳 |
吉林省新京市 |
20年9月、吉林省新京市で孫強を介して、養父劉国興に引き取られた。 |
|
|
個票 |
09182 |
平3 |
徐 桂蘭、じょ けいらん、女、1歳、O型 |
母以外不明 |
吉林省新京市 |
21年7月、新京市総領事館の建物で、趙東林を介して実母から養父徐鳳山、養母李淑賢に預けられた。その時、ピンクの生地で青と緑の花模様の和服を着ていた。腕輪、足輪を身に付け、青色の靴を履いていた。 |
|
|
個票 |
09183 |
平3 |
王 亜君、おう あくん、女、1歳、B型 |
父、母 父は軍人(30歳位) |
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京駅のホームで、父が日本人の友人を介して王鉄民に預け、その後王鉄民は養父王玉潤に預けた。その時、父は2つの包みを王鉄民を介して、養父王玉潤に預けた。1つの包みにはお金と金の指輪、もう1つの包みには衣類が入っていた。 |
|
左腕の中ほどに薄赤いあざ。眉毛が巻いている。 |
個票 |
09184 |
平3 |
戈 玉芬、か ぎょくふん、女、6歳、O型 |
父、母、弟 父は軍人 |
吉林省新京市 |
20年12月、母とともに避難の途中、新京市の難民収容所で母と弟が死亡したため、中国人の王という人に引き取られた。その時、一緒にいた日本人が母の墓碑を木で作ってくれた。 |
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|
個票 |
09185 |
平03訪中 |
郎 長福、ろう ちょうふく、男、6歳、O型 |
父(小関川藤助こせきかわとうすけ) |
吉林省琿春県 |
20年8月、吉林省琿春県鎮郊郷で張という夫婦に保護された。その時、周りには小さな子供がたくさんいた。その後、養父郎鳳遠に引き取られた。 |
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個票 |
09186 |
平03訪中 |
陳 徳君、ちん とくくん、男、2歳、A型 |
姉、他に数人の兄弟がいた。 |
吉林省吉林市 |
20年9月、姉が吉林省吉林市文明胡同で、吉林省鉄道局荷物積みおろし係だった養父陳宝興に預けた。 |
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個票 |
09187 |
平03訪中 |
程 孟氏、てい もうし、女、13歳、血液型不明 |
父、母、姉、弟が3人 |
吉林省磐石県 |
終戦後、吉林省磐石県三棚郷小福安屯で、孟という中国人に保護され、その後、養父程宝金に引き取られた。 |
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右の乳房にあざ |
個票 |
09188 |
平4 |
呂 鉄桓、ろ てつかん、男、2歳、O型 |
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吉林省吉林市 |
21年4月22日、孫瑞という中国人に吉林市東関で保護され、養父母に引き取られた。当時、黒いズボンをはき、黒い綿入れと白いシャツを着て、かかとのない花柄の靴を履いていた。 |
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個票 |
09189 |
平4 |
張 鋭、ちょう えい、男、1歳、B型 |
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吉林省新京市 |
21年1月、吉林省新京市で島籍五雄という日本人と新京警察に勤務していた王守成が養父張炳臣、養母馮欽蘭に預けた。 |
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本人を預けた日本人の名前(資料) |
個票 |
09190 |
平4 |
胡 南、こ なん、男、昭20年10月生、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
20年夏の終わりごろ、吉林省長春県米沙子駅で、両親が養父胡万徳に預けた。 |
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左足かかとに傷あと |
個票 |
09191 |
平4 |
于 斌、う ひん、女、昭21年5月生、B型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
新京市三馬路の診療所の王医師を介して、養父母に引き取られた。父は、当時、行方不明、母は帰国したらしい。 |
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個票 |
09192 |
平4 |
張 麗琴、ちょう れいきん、女、昭16年10月生、A型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
母は私を産んですぐ亡くなり、父は再婚、ソ連参戦前、父が死亡したため、継母は曹連志と再婚したが、ソ連参戦後、単身で日本に帰国した。21年、曹が養母に預けた。 |
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個票 |
09193 |
平4 |
呉 堅、ご けん、女、1歳、O型 |
雪子 父、母 黒竜江省の開拓団 |
吉林省新京市 |
母と新京市に避難し、220根延11月ごろ、知り合いの日本人と?聚星という中国人を介して、郵便・電報関係の宿舎の多い場所で、養父母に引き取られた。 |
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個票 |
09194 |
平4 |
劉 桂蘭、りゅう けいらん、女、2歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
吉林省吉林市 |
20年8月、吉林市岔路口の道端で、馬車で避難してきた父母が道端で果物売りをしていた養父劉志英に預けた。 |
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個票 |
09195 |
平4 |
孫 友梅、そん ゆうばい、女、2歳、A型 |
「ようこ」 祖母と思われる老婦人以外不明 父は軍人らしい |
吉林省吉林市 |
21年3月、長春市の収容所で、祖母と思われる老婦人が養父孫燕孚、養母馮蘭英に預けた。当時、赤いウールのセーターと白い毛皮のコートを着、赤い帽子をかぶっていた。 |
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右目下に黒いあざ |
個票 |
09196 |
平4 |
田 野、でん や、女、3歳、B型 |
父、母以外不明 |
吉林省永吉県 |
20年秋、吉林省永吉県樺皮廠鎮の亜麻公司付近の道端で、「お父さん、お母さん」と泣いていたところを、養父に保護された。 |
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右足太ももに刀傷のあと、あごに2cm位の縦の傷 |
個票 |
09197 |
平4 |
李 宜華、り ぎか、女、4歳、AB型 |
父、母、7人姉妹(本人は末子。3人は渡満しなかった。) |
吉林省蛟河県 |
21年4月、吉林省蛟河県で、母が養父李蔭東に預けた。養父に預けられた時、スカートをはいた30cm位の人形を抱いていた。その後、母は3人の子供を連れて帰国した。 |
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頭につむじが2つ、左腕上部にあざ。 |
個票 |
09198 |
平5 |
李 恒君、り こうくん、男、2歳、A型 |
父、母、3人の兄か姉 父は軍人らしい |
吉林省新京市 |
20年秋、吉林省新京市洪煕街で母が養父の叔父李漢本に預け、その後養父に引き取られた。預けられた時、紐のついた藍色の日本の着物を着、小さな毛布と白い襟巻きがあった。母は二度会いに来たが、帰国したらしい。養父は北田公司、大場洋行に勤務していた。 |
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個票 |
09199 |
平5 |
史 延亭、し えんてい、男、3歳、A型 |
「馬場田敏彦」父(茂雄)、母(花子)、姉(芳子)父は軍人 |
吉林省新京市 |
終戦当時、姉とともに新京市の病院に入院していたところ、中国人の「安」を介して養父史鴻濱に預けられた。姉はその後行方不明。 |
母は飛行機の爆撃により死亡 |
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個票 |
09200 |
平6 |
沙 雲蘭、さ うんらん、女、1歳、O型 |
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吉林省吉林市 |
20年秋、吉林省吉林市東関で養父の兄に保護され、養父母沙文仲夫婦に引き取られた。その時着ていた赤い服(和服?)と(赤ん坊用の)青い花柄の布団は、ともに中国製の布ではなかった。 |
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右鎖骨下にいくつかのほくろ |
個票 |
09201 |
平6 |
張 桂芝、ちょう けいし、女、5歳、B型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
終戦後、吉林省新京市で、母が小さな雑貨店を開いていた養母張王氏に預けた。当時、一部に縫い取りのある青色の地に白い花柄の腹がけを身に付けていた。銀貨は鎖をつけた装飾仕立て、装飾用腕輪とともに、茶色で薄手の花柄のハンカチにつつんであったものを母が養母に渡した。 |
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個票 |
09202 |
平6 |
孫 玉蘭、そん ぎょくらん、女、1歳、A型 |
父、母(足が不自由)父は軍人 |
吉林省新京市 |
20年秋、黒竜江省から吉林省新京市南関区清明街へ避難、母が靴修理をしていた養父母孫学岐夫婦に預けた。その時、和服を着ていた。 |
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個票 |
09203 |
平6 |
沈 桂珍、ちん けいちん、女、2歳、A型 |
「枝子」 両親がいたかどうかは不明 |
吉林省新京市 |
終戦後、帰国前に大和旅館に勤務していた養父沈續洲に預けた。 |
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左腕に種痘のあと |
個票 |
09204 |
平6 |
傅 英賢、ふ えいけん、女、2歳、O型 |
父、母 |
吉林省新京市 |
終戦後、新京市東光区電業村の日本人住宅で、養母王麗芬に保護された。このとき、両親と思われる者は死亡していた。 |
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みぞおち下の左寄りに2〜3mm大のほくろが2つある。上の1つは突起している。うなじに3〜4mm大のほくろ。 |
個票 |
10001 |
9 |
趙 暢、ちょう ちょう、男、4歳、O型 |
父、母、兄4人竜江省甘南県の開拓団 |
竜江省訥河県 |
ソ連参戦後、竜江省甘南県拉哈駅に避難した時、父が安という朝鮮人を介して、本人を養父趙玉田に預けた。 |
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個票 |
10002 |
8 |
劉 志安、りゅう しあん、男、3歳、O型 |
父、姉(18歳)、兄2人(16歳、14歳)竜江省甘南県協和開拓団 |
竜江省甘南県 |
竜江省甘南県協和開拓団にいた。父は応召した。終戦後、姉が養父劉昆に預けた。その後、姉は死亡し、兄達は帰国したらしい。預けられた時から成人するまで同開拓団跡にいたので付近の状況を記憶している。 |
竜江省甘南県協和開拓団付近で、東と西に大きな河の流れる地点の馬小屋の住んでいた。当時の居住地の略図(資料) |
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個票 |
10003 |
6 |
劉 清禄、りゅう せいろく、男、2歳、O型 |
父、母 |
竜江省甘南県 |
竜江省甘南県平陽鎮に住んでいた。21〜23年ごろ、母が靴の修理業をしていた養父劉喜生に預けた。劉は、足が不自由だった。母は、その後死亡したらしい。 |
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胸の下に約3ミリの赤いあざ、あごの左下に傷あと |
個票 |
10004 |
15 |
張 世清、ちょう せいせい、男、2歳、O型 |
父、母 竜江省甘南県義合開拓団 |
竜江省甘南県 |
20年8月、竜江省甘南県義合開拓団において、養父張玉慶、養母胡青雲に保護された。その時、ベージュに赤い花模様の上着を着て、赤い花模様の布団に包まれていた。 |
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個票 |
10005 |
11 |
白 漢魁、はく かんかい、男、7歳、A型 |
父、母、姉、妹2人、弟 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、竜江省斉斉哈爾駅の大涼屋という倉庫から避難する途中、一家は離別した。その後、中国人崔に保護され、養父白福禎に引き取られた。 |
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右足小指が凍傷により欠損、上唇右側に傷あと、腹部左下にあざ |
個票 |
10006 |
11 |
郭 景発、かく けいはつ、男、6歳、A型 |
父、母、兄 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
一家は、竜江省斉斉哈爾駅付近に住んでいた。終戦後、母が死亡し、兄と本人は、隣の日本人の家に引き取られた。21年3月ごろ、麦粉で作った餅を売っていて道に迷ってしまい、養父郭佰山に保護された。 |
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左肩にあばたとほくろ |
個票 |
10007 |
10 |
房 義徳、ぼう ぎとく、男、6歳、A型 |
父、母、兄(10歳前後)、弟(2〜3歳)斉斉哈爾市北方の開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、開拓団近くの片栗粉の工場へ徒歩で避難した。その後、駅から汽車に乗り、竜江省斉斉哈爾市に行き、新馬路の難民収容所に入所した。弟は開拓団を出て、すぐ行方不明となった。冬になり両親が相次いで死亡したため、60歳くらいの中国人に連れられて、養父房言訓に引き取られた。 |
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5歳の冬、ストーブの鉄棒で火傷したあとが、左手の甲にある。 |
個票 |
10008 |
7 |
劉 慶福、りゅう けいふく、男、4歳、A型 |
父、母、姉、妹又は弟 竜江省斉斉哈爾市付近の開拓団にいたらしい。 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市永安里にあった映画館の難民収容所に入所した。21年7月ごろ、母が、中国人辺淑言を介して、同市順発福胡同1号に住む養父劉明階に預けた。22年、帰国の際に母が会いに来た。26年ごろ、母から養父に手紙が届いたことがあるが、養父が焼き捨ててしまった。 |
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左耳後ろから首にかけて約10センチの傷あと、鼻右下に小豆大のほくろ、両足の親指から小指までの付け根付近に傷あと |
個票 |
10009 |
9 |
張 長瑞、ちょう ちょうずい、男、4歳、A型 |
父、母、姉 竜江省斉斉哈爾市付近の開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召した。ソ連参戦後、一家は汽車で避難し、竜江省斉斉哈爾市の難民収容所に入所した。20年冬、母は子供を出産し、まもなく母子とも死亡した。21年2月、本人は日本語が話せる張廷春を介して、養父張治堂に預けられた。 |
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左太ももに傷あと、左足首に手のひら大の火傷のあと |
個票 |
10010 |
12 |
劉 書鵬、りゅう しょほう、男、3歳、A型 |
|
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市百花園の難民収容所で、28歳くらいの日本人女性によって、?鳳媛に預けられた。その後、養父劉冠三に引き取られた。預けられた時、本人は、和服のような衿の子供服を着ていた。 |
養母の写真(資料1)、預けられた地点の地図(資料2) |
左首筋に細長い傷あと、右足膝下後ろに薄い紅色のあと、左手薬指に小さな傷あと、左耳後ろに10円玉大の傷あと |
個票 |
10011 |
15 |
李 文義、り ぶんぎ、男、3歳、B型 |
父、母、兄、姉 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市で、馬具店の職人をしていた養父李長有に引き取られた。姉も別の中国人に引き取られた。 |
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頭に火傷のあと |
個票 |
10012 |
12 |
蘇 長林、そ ちょうりん、男、3歳、O型 |
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竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市で、養母の義理の姉に保護され、養母周素萍に引き取られた。 |
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左耳たぶ下にハサミで切った傷あと |
個票 |
10013 |
9 |
馬 紀才、ば きさい、男、3歳、A型 |
母、弟以外不明 開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、一家は黒河省嫩江県付近の開拓団から竜江省斉斉哈爾市に避難した。母が、同市永安街の竜沙旅館で、本人を養父姚喜江に預けた。 |
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右肩付け根に馬にかまれた傷あと |
個票 |
10014 |
3 |
? 来玉、てき らいぎょく、男、3歳、O型 |
父、母、兄、弟 竜江省斉斉哈爾市の開拓団らしい |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年2月19日、斉斉哈爾満拓需品倉庫かあるいは関東軍倉庫で、父が養父?長春に預けた。21年秋、父は、帰国する際に、竜江省斉斉哈爾市安寿胡同門牌4号の養家を訪ねてきた。父は背が低く、やや太って、眉毛が濃く、色が黒かった。 |
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下唇の右下に黒いほくろ |
個票 |
10015 |
9 |
楊 長興、よう ちょうこう、男、2歳、A型 |
父、母、兄又は姉3人 開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召したらしい。21年2月、竜江省斉斉哈爾市の難民収容所で、母が同市東市場で馬具製造業を営む養父楊林楷に本人を預けた。その時、本人は中国服を着せられていた。兄姉3人は母とともに帰国したらしい。 |
養父の写真(資料) |
右目下にほくろ |
個票 |
10016 |
10 |
張 勝飛、ちょう しょうひ、男、1歳、AB型 |
父、母 父は軍人、母は斉斉哈爾にあった小学校の先生 |
竜江省斉斉哈爾市 |
一家は竜江省斉斉哈爾市に住んでいた。21年春ごろ、同市東大営難民収容所で、日本人の老婦人と養父の同僚の父を介して、理容師の養父張書江に預けられた。 |
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預けられた時、右耳の後ろが大きく腫れていた。 |
個票 |
10017 |
9 |
焦 秀志、しょう しゅうし、男、1歳、O型 |
父、母、姉 黒河省嫩江県の付近の開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、一家は、竜江省斉斉哈爾市の難民収容所に入所した。22年2月、姉と開拓団の人が、同市永定街で豚肉店を経営する養父焦広才に本人を預けた。両親は死亡したかもしれない。 |
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左大腿部付け根に2つの傷あと |
個票 |
10018 |
6 |
孫 家義、そん かぎ、男、1歳、A型 |
父、母、兄3人、姉 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、母、3人の兄、姉とともに竜江省斉斉哈爾市竜華路郵便局付近の難民収容所に避難したが、母が病気になり、本人も皮膚病であったため、同市五福里の田家に預けられた。その後、兄達は時々会いに来たことがあり、帰国の際に養母の写真を持ち帰った。 |
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個票 |
10019 |
15 |
徐 偉、じょ い、男、7ヵ月、A型 |
父(中山太郎又は林英雄)、母、兄(3〜4歳)父は竜江省斉斉哈爾市第一監獄長 |
竜江省斉斉哈爾市 |
20年9月ごろ、竜江省斉斉哈爾市第一監獄官舎付近で、父が呉展生を介して、養父徐万発に預けた。父母が帰国する際、養家には日本の戸棚を、呉展生には花瓶を贈った。 |
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左頬にほくろ |
個票 |
10020 |
9 |
沙 忠義、さ ちゅうぎ、男、7ヵ月、O型 |
母(27〜28歳)以外不明 |
竜江省斉斉哈爾市 |
20年10月、竜江省斉斉哈爾市補奎旅社の前で、母が養父沙立珍と会い、同市順祥胡同門牌5号の養父の妹の家に行き、そこで養父に預けた。その時、母は本人を背負っていたひもを残し、「満州拓殖公社、開拓団」であることを養父に言った。 |
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個票 |
10021 |
1 |
韓 長興、かん ちょうこう、男、1歳、B型 |
母 |
竜江省鎮東県 |
ソ連参戦後、足を負傷した母とともに避難していたが、竜江省鎮東県玻璃営子屯付近のダムで、養父韓景祥に保護された。 |
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左眉付近にほくろ、右腋の下に小さい肉の突起 |
個票 |
10022 |
9 |
劉 懐成、りゅう かいせい、男、3歳、B型 |
父、母 父は軍人らしい |
竜江省白城県 |
竜江省白城県白城子に住んでいた。ソ連参戦後、白城子駅付近で養父田景春に保護された。 |
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個票 |
10023 |
13 |
韓 東福、かん とうふく、男、5歳、A型 |
父、母、姉、妹。他に弟又は妹1人 父は将校 |
竜江省とう南県 |
興安南省科爾沁右翼前旗王爺廟の日本人住宅に住んでいた。ソ連参戦後、母と姉は薬を飲んで死亡し、妹は行方不明になった。本人は、竜江省?南県塔拉西波屯に住む養父白老三に引き取られた。当時、薄いクリーム色のズボンをはいていた。 |
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左手首に銃弾片を受けた傷あと |
個票 |
10024 |
7 |
侯 文華、こう ぶんか、女、4歳、B型 |
父、母(27歳)、姉(5〜6歳)、弟(1歳) 父は軍人らしい |
竜江省訥河県 |
ソ連参戦後、家族は父と離れ離れになった。その後、竜江省訥河県で母が自殺したため、中国人張捷を介して、本人は漢方医だった養父侯仁甫に、姉と弟は別々の中国人にそれぞれ引き取られた。 |
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左肘付近に約1センチの弾丸のかすり傷のあと |
個票 |
10025 |
14 |
韓 秀英、かん しゅうえい、女、4歳、B型 |
弟がいたかもしれない |
竜江省訥河県 |
20年10月か11月ごろ、竜江省訥河県拉哈鎮で、養父母に引き取られた。 |
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個票 |
10026 |
12 |
鄒 淑琴、すう しゅくきん、女、7歳、A型 |
父、母、妹2人、弟 石川県白山郷北紅部開拓団 |
竜江省富裕県 |
父は開拓団に着いてすぐに応召した。終戦後、開拓団の人全員が、開拓団本部に集まり、建物に火を放ち、集団自殺をしたが、母が、本人と妹を窓から放り出し助けた。その後、本人は、竜江省富裕県の畑の中で養父鄒景紅に保護された。妹は別の中国人に保護された。 |
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左腕外側に2つの大豆大の傷あと |
個票 |
10027 |
12 |
崔 秀英、さい しゅうえい、女、5歳、A型 |
父、母、姉、弟 開拓団 |
竜江省富裕県 |
終戦後、開拓団の日本人全員が開拓団本部の学校に集まり、その建物に火を放ち集団自殺をしたが、母が本人と姉を窓から放り出したため助かった。その後、本人は竜江省富裕県の畑で養父崔俊生に、姉は鄒景紅にそれぞれ保護された。その時、本人はへびの絵のある前掛けをしていた。 |
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|
個票 |
10028 |
9 |
蘭 艶霞、らん えんか、女、9歳、O型 |
父、母、兄 開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召した。終戦後、竜江省斉斉哈爾市東站西路南の難民収容所で、母が李という中国人に本人を預けた。 |
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右耳の後ろに1センチ大の脱毛 |
個票 |
10029 |
12 |
劉 桂蘭、りゅう けいらん、女、8歳、AB型 |
「ヨウコ」 父、母、兄2人、弟 |
竜江省斉斉哈爾市 |
一家は竜江省斉斉哈爾市に住んでいた。終戦後、市の郊外に避難する途中、穀物倉庫で父はいなくなり、弟は死亡した。その後、同市へ戻って来て、同市東菜市街にある東楽園飯館で、母が、同館で給仕をしていた日本人女性吉田を介して白玉英の夫人に預けた。その後、養母に引き取られた。 |
兄と遊んでいた時、ナイフで右膝下を切った。 |
右膝下に傷あと |
個票 |
10030 |
8 |
楊 桂蘭、よう けいらん、女、7歳、O型 |
父、母、兄、姉、弟 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年春、母子5人は浜江省哈爾浜市から竜江省斉斉哈爾市へ移動した。その後、母は、同市怡安街で、ソ連人の老婦人を介して、雑貨屋の養父楊蘭亭に本人を預け、パン屋をしていた中国人に姉を預けた。同年夏、母が兄と弟を連れて会いに来た時、養父母と青色のスカートをはいた本人と6人で写真を撮り、母はその写真を1枚持って帰った。 |
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縮れ毛で、首の左に約3センチの傷あと |
個票 |
10031 |
10 |
韓 来英、かん らいえい、女、7歳、B型 |
父、母、兄。妹及び弟がいたかもしれない。 父は軍人らしい。 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、母、兄、本人で竜江省斉斉哈爾市の難民収容所に入所した。その後、母が同市同信胡同3号で皮細工の職人をしていた養父韓同有に本人を預けた。その後、母は兄を連れ一度本人の様子を見に来たらしい。 |
本人は日本で生まれ、色紙で何か折ったことや学校に行ったことを憶えている。 |
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個票 |
10032 |
11 |
梁 淑清、りょう しゅくせい、女、7歳、O型 |
父、母 開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市で開拓団の馬車夫から中国人鮑に預けられた。その後、養父梁金柱に引き取られた。 |
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右大腿部内側にあざ |
個票 |
10033 |
5 |
于 桂英、う けいえい、女、5歳、A型 |
父、母、弟 父は運転手かもしれない |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召した。21年、母が病気になったため、本人は養父于忠瑞に預けられ、弟は別の中国人に預けられた。 |
一家は竜江省斉斉哈爾市天斉廟西街に住んでいた。 |
左足と背中におできのあと |
個票 |
10034 |
9 |
程 士英、てい しえい、女、5歳、A型 |
「咲子」又は「幸子」 父(坂本又は板本)、母(小野幾代子) 父は竜江省斉斉哈爾市供銷合作社に勤務 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、父が竜江省斉斉哈爾市で、同じ職場にいた養父程雅範に預けた。その時、本人は赤と白の水玉模様の服を着て、下駄を履いていた。 |
|
|
個票 |
10035 |
10 |
寧 世媛(寧 世元)、ねい せいえん、女、5歳、O型 |
父、母、弟 父は医者らしい |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召した。ソ連参戦後、母は本人と弟を連れ、他の日本人と一緒に汽車で竜江省斉斉哈爾市に避難したが、弟は病死した。母は妹を出産した後、妹とともに死亡したため、本人は日本人夫妻に引き取られ、その後、中国人馬を介して、養父寧金銭に預けられた。 |
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右足親指に傷あと |
個票 |
10036 |
12 |
周 玉坤、しゅう ぎょくこん、女、5歳、AB型 |
父、母、兄2人 竜江省竜江県朱家坎郊外の開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、一家は開拓団から竜江省斉斉哈爾市龍華路の難民収容所に避難して来た。その途中、父は朱家坎駅でソ連軍の攻撃を受け、死亡した。21年10月ごろ、斉斉哈爾市龍華路和平廠東大門で、母が養父崔万修、養母李淑華に預けた。その後、20日位して2人の兄は死亡し、母は22年春帰国した。 |
|
左腕に1円玉大の黒いあざ |
個票 |
10037 |
14 |
張 淑卿、ちょう しゅくけい、女、3歳、A型 |
「とし子」妹 |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年末、竜江省斉斉哈爾駅前の元東亜土木建築会社の庭で保護され、同社の会計をしていた「カシワ」という日本人(北海道出身)を介して、養父張永貴に引き取られた。 |
|
右目の下に小さな青いあざ |
個票 |
10038 |
7 |
王 新華、おう しんか、女、1歳、AB型 |
母、兄、姉 黒河省嫩江県の開拓団らしい |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、母、兄、姉とともに竜江省斉斉哈爾市の東亜土木株式会社の建物に避難した。母がそこで働いていた野村定夫を介して、養父王宇寛に預けた。その時、赤地に薄黄色の花模様のある服を着ていて、病気だった。 |
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個票 |
10039 |
11 |
樊 淑珍、はん しゅくちん、女、1歳、B型 |
「勝子」 父、母、姉2人(10歳、6歳)、弟(生後8か月で死亡) 開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召したらしい。21年初め、母が竜江省斉斉哈爾市北八里崗子13派出所で養父の弟を介して、養父樊起先に預けた。次姉も別の中国人に預けられた。 |
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個票 |
10040 |
12 |
趙 艶春、ちょう えんしゅん、女、1歳、O型 |
母、兄(7〜8歳) |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、母が竜江省斉斉哈爾市内鉄道南側の石頭場子の近く(南大営の北側)に住んでいた養父林海峯、養母劉黒子に預けた。 |
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個票 |
10041 |
7 |
富 秀蘭(付 秀蘭)、ふ しゅうらん、女、20年8月生、AB型 |
父、母、兄、姉 竜江省甘南県又は興安東省阿栄旗の開拓団 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、母は、3人の子供とともに竜江省斉斉哈爾市の北方40キロの大哈拉坑子屯に避難した。同地で母が、ダウール族の喬を介して、養父富万奎に預けた。その時、本人は、緑色の花柄の衣服にくるまれていた。 |
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左手薬指の付け根に約1センチの傷あと、首の正面におできのあと |
個票 |
10042 |
9 |
呉 金祥、ご きんしょう、女、21年2月生、AB型 |
父、母、姉2人 父は竜江省斉斉哈爾市斉斉哈爾駅に勤務 |
竜江省斉斉哈爾市 |
生後間もなく、竜江省斉斉哈爾市斉斉哈爾鉄道機関区に勤務していた船島(又は川島)を介して、養父呉長洪に引き取られた。 |
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右眉に小さいあざ、右太腿の後に青いあざ |
個票 |
10043 |
3 |
張 振華、ちょう しんか、女、21年5月生、A型 |
父、母。兄がいたかもしれない 父は管吏らしい。母は斉斉哈爾市官吏消費組合に勤務 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市で、父母が養父張金波、養母馮俊臣に預けた。その後、父母は広島へ帰国したらしい。養父は、母と同じ職場に勤めていた。養家には、田中、高木、木村、三田という人達が出入りして食事をしていた。 |
斉斉哈爾市安民胡同付近の二階建ての家に住んでいて、溝を境に数十メートル離れた所に養父母の家があった。 |
左脇腹に薄茶色の約6センチのあざ |
個票 |
10044 |
11 |
張 淑媛、ちょう しゅくえん、女、6歳、AB型 |
父、母、妹、弟 父は軍人 |
竜江省白城県 |
ソ連参戦後、軍の部隊の後方を移動していた時、母、妹、弟は銃で撃たれて死亡した。20年8月、竜江省白城県白城子付近で中国人周を介して、養父張志遙に引き取られた。 |
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個票 |
10045 |
12 |
許 桂蘭、きょ けいらん、女、7歳、B型 |
父、母 |
竜江省とう南県 |
ソ連参戦後、大勢の人達とともに避難する途中で、本人は母とはぐれてしまい、竜江省?南県黒水公社北側の荒れ地で養父劉清?に保護された。その後、養父が死亡したため、許家へ引き取られた。 |
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個票 |
10046 |
62-2 |
劉 傑、りゅう けつ、男、5歳、A型 |
父、母 竜江省甘南県東陽鎮の開拓団 |
竜江省甘南県 |
20年秋、母と本人は竜江省甘南県東陽鎮の学校に避難したが、母はその冬病死した。その後、本人は日本人婦人山田○○子を介して、養父劉に預けられた。 |
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左腰と左下腹部に手術のあと、右側のあごに米粒大のほくろ |
個票 |
10047 |
62-1 |
焦 忠義、しょう ちゅうぎ、男、3歳、A型 |
父、母、姉 |
竜江省斉斉哈爾市 |
父は応召、20年8月、母が病気であったため、斉斉哈爾市で、本人を養父焦福元に預け、姉を于忠瑞という中国人に預けた。 |
養父の家の付近の地図(資料) |
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個票 |
10048 |
62-1 |
楊 立成、よう りつせい、男、2歳、A型 |
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竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、北満の開拓団から家族とともに竜江省斉斉哈爾市に避難したが、21年1月ごろ、30〜40歳の日本人男性が養母の姉に本人を預けた。 |
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右胸にくぼみ |
個票 |
10049 |
63-2 |
張 永発、ちょう えいはつ、男、1歳、O型 |
父(「庄○」又は「伊○」かもしれない)、母、姉(11歳) |
竜江省膽楡県 |
ソ連参戦後、竜江省膽楡県朱家店大通り大門で、同県の知事が中国人に預けた。その後、養家に引き取られた。 |
母は膽楡県の洋裁店で働いていたらしい。その後、死亡した。 |
左肩にほくろ2つ、右下腹部に赤いあざ |
個票 |
10050 |
平01 |
張 文秀、ちょう ぶんしゅう、男、1歳、A型 |
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竜江省斉斉哈爾市 |
20年9月、竜江省斉斉哈爾駅付近の難民収容所で、顔にアバタのある中国人を介し、養父張克臣、養母沈佩華に引き取られた。その時、胸に小さな飛行機の絵があるボロボロの服を着ていた。 |
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右肘に黒いあざ |
個票 |
10051 |
62-1 |
于 桂清、う けいせい、女、7歳、A型 |
父、母、妹(又は弟) |
竜江省とう南県 |
白城子街に住んでいたらしい。終戦後、竜江省?(トウ)南県盆祥郷保安大隊付近のうり畑で養父に保護された。その時、黒いスカートにピンクの上衣を着ていた。 |
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左足首の上に小豆大のほくろ |
個票 |
10052 |
62-1 |
武 桂珍、ぶ けいちん、女、6歳、A型 |
父、母 |
竜江省安広県 |
ソ連参戦後、父母と避難の途中、母が歩けなくなったため、父とともに竜江省安広まで避難してきたが、同地のとうもろこし畑で暴民に襲われ、養父に保護された。 |
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鳩尾に豆粒大の傷あと、左手甲に傷あと |
個票 |
10053 |
63-2 |
姜 麗輝、きょう れいき、女、5歳、O型 |
竜江省富裕県の開拓団らしい |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年3月、竜江省斉斉哈爾市石頭場子に住んでいた石職人の孫という老人のところから、竹藤内一という日本人の紹介で、養父姜続志に引き取られた。その時、額の右上と右足におできができていて、赤い薬箱を持っていた。 |
養父に引き取られた時に持っていた赤い薬箱の写真(資料) |
額の右上と右足におできのあと |
個票 |
10054 |
62-1 |
劉 美霞、りゅう びか、女、4歳、A型 |
「ふみこ」 父、母、姉、妹 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて、他の日本人とともに竜江省斉斉哈爾市まで避難してきたが、同市で母が病死したため、年配の日本婦人を介して、養父劉世傑(当時、養家は「世和堂薬店」という漢方医院と薬店を営んでいた。)に引き取られた。妹は行方不明、姉は帰国したかもしれない。 |
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左手の甲に火傷のあと |
個票 |
10055 |
63-2 |
郭 銀芝、かく ぎんし、女、2歳、O型 |
父、母、兄 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年初め、若い日本人女性が、竜江省斉斉哈爾市青雲路劉家店で焼餅、揚げ菓子等の製造販売をしていた養父郭汝清、養母徐淑彦に預けた。 |
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右まぶたに豆粒大のくぼみ |
個票 |
10056 |
63-2 |
郭 興志、かく こうし、女、21年2月生、B型 |
父(東島次郎又は次一郎)、母、兄 開拓団。北海道出身らしい |
竜江省竜江県 |
21年7月ごろ、竜江省竜江県富拉爾基の養家で、父が養父郭子儒、養母李淑芳に預けた。その時、カーキ色の毛布にくるまれていた。 |
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個票 |
10057 |
平元 |
楊 淑雲、よう しゅくうん、女、3歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年10月、竜江省斉斉哈爾市後楊家窯で、母が養父楊天財に預けた。その時、金色地に赤と緑の縞模様の帯ぎれを持っていた。 |
一家は竜江省斉斉哈爾市に居住 |
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個票 |
10058 |
62-2 |
李 彦芳、り げんほう、女、2歳、A型 |
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竜江省訥河県 |
20年11月、竜江省訥河県三道街で李晶清に保護された。その時、茶色の地に白い梅花模様の着物を着て、赤い毛糸の帽子をかぶっていた。その後、李晶清の弟である養父李平皋に引き取られた。 |
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左目下にほくろ、左足首の上に米粒大のあざ |
個票 |
10059 |
平4 |
王 樹徳、おう じゅとく、男、昭16年11月生、A型 |
父、母 |
竜江省斉斉哈爾市 |
21年春、母とともに斉斉哈爾市南大営街の難民収容所に避難したが、母が収容所近くを馬車で通りかかった養母李月華に預けた。その時、銅製の仏像(内部に生年月日が書かれた紙片が入っていた)と、木の椀を渡した。 |
竜江省甘南県に住んでいた。自分が住んでいた家の図(資料) |
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個票 |
10060 |
平4訪中 |
苗 桂傑、びょう けいけつ、女、6歳、血液型不明 |
父(加藤徳次郎)、その他不明 |
竜江省大賚県 |
20年夏、大賚県で養父苗進学に引き取られた。 |
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個票 |
10061 |
平5 |
崔 銘、さい めい、男、1歳、B型 |
父、母 |
竜江省斉斉哈爾市 |
竜江省斉斉哈爾市郊外の嫩江の川岸に、柳行李に入って置かれていたところを養父に保護された。行李の中には白いガーゼの下着と灰色地に花模様の和服が2枚入っていた。 |
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頭部右側に火傷のあと |
個票 |
10062 |
平5 |
張 雅傑(張 亜傑)、ちょう がけつ、女、1歳、B型 |
父 父は軍人らしい。沖縄県の出身らしい |
竜江省泰来県 |
20年、竜江省泰来県平安屯で李という中国人に預けられ、その後養父母に引き取られた。日本人の女性(本人との関係はわからない)とは何度か会ったが、28年ごろ帰国したらしい。その時、黒い表紙のノートと革靴を残していった。 |
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右臀部に傷あと |
個票 |
10063 |
平5 |
肖 連弟、しょう れんてい、女、3歳、B型 |
父、母 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市で、山東省出身の老婦人を介して、養父の姉に預けられ、その後、養父母に引き取られた。 |
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右脇腹に7mm位のほくろ |
個票 |
10064 |
平5 |
李 輝、り き、女、3歳、A型 |
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竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、竜江省斉斉哈爾市南大営で養父母に保護された。当時花柄のスカートを着て、黒い革靴を履いていた。 |
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個票 |
11001 |
6 |
馬 靖葉、ば せいよう、男、5歳、O型 |
父、母、妹 父は軍人らしい |
興安北省額爾克納左翼旗 |
母、妹とともに避難したが、途中でソ連軍の攻撃を受け、母は死亡した。妹は、その後行方不明となり、本人は終戦後、興安北省額爾克納左翼旗上庫力布達で、蒙古人を介して、養父馬忠良に引き取られた。そのとき、草色の上着を着ていた。 |
住んでいた家は、赤レンガ造りで、黒い鉄板の屋根であった。裏庭には、華と果物の木が植えてあり、空色の板べいがあった。また、赤味がかった色の犬もいた。 |
額右に銃で撃たれた傷あと、右足土踏まずと甲の中間にあざ |
個票 |
11002 |
13 |
王 玉蘭、おう ぎょくらん、女、2歳、A型 |
母、兄(5歳)、弟(生後1か月) |
興安北省索倫旗 |
20年10月、母、兄、弟とともに避難する途中、弟が死亡し、母は、興安北省索倫旗牙克石からかなり入った乾多羅の材木伐採場の山中で、ソ連軍の攻撃を受け死亡した。その後、兄とともに、牙克石駅前の難民収容所に入所し、養父王義存に引き取られた。1年後、兄は死亡した。 |
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個票 |
11003 |
62-1 |
呂 鳳鳴、ろ ほうめい、男、20年8月生、AB型 |
父(高浜等)、母、姉(美子) 父は海拉爾市西山部隊に勤務、母は海拉爾市満慈医院の看護婦長 |
興安北省海拉爾市 |
ソ連参戦後、母が本人を高浜家で姉の子守りをしていた養母梁瑞芝に預けた。その時、紺色に白い模様のおくるみにくるまれていた。 |
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個票 |
11004 |
平01 |
張 禄海、ちょう ろくかい、男、7歳、O型 |
父、母、兄(14歳、終戦前に帰国)、弟 父は満州里鉄道機関区の運転士 |
興安北省海拉爾市 |
20年8月、一家で避難する途中、父母、弟は死亡。その後、興安北省海拉爾市で養父張月春に引き取られた。 |
一家は海拉爾駅付近のレンガ造りの平屋の宿舎に居住。20年2月、父の転勤により家族全員で満州里に引っ越した。兄は高等小学校(2年生)に通っていた。同年7月、兄が帰国する時、本人は興安東省扎蘭屯の駅まで父と一緒に見送りに行った。 |
腹部左側にあざ |
個票 |
11005 |
63-1 |
麻 玉蘭、ま ぎょくらん、女、20年8月生、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
興安北省索倫旗 |
終戦後、興安北省索倫旗牙克石の鉄道線路付近で、張という中国人に保護された。その後、養母馬恩貴に引き取られた。その時、カーキ色のズボンに包まれ、へその尾が付いたままだった。 |
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右手首に小さな傷あと |
個票 |
12001 |
11 |
閻 友、えん ゆう、男、5歳、A型 |
父、母、姉(14〜15歳)、兄(8〜9歳) 興安東省阿栄旗付近の開拓団、母は同地の田家飯店に勤務 |
興安東省阿栄旗 |
終戦後、母が、興安東省阿栄旗で養母胡鳳に預けた。姉、兄もそれぞれ別の中国人に預けられた。父は死亡したらしい。 |
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個票 |
12002 |
62-1 |
侯 徳純、こう とくじゅん、男、5ヵ月、O型 |
父、母、兄 父は阿栄旗の開拓団 |
興安東省阿栄旗 |
終戦後、隣りに住んでいた日本人婦人を介して、養父姚承富に預けられた。その後、父母と兄は帰国した。 |
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左乳房の下にあざ |
個票 |
12003 |
平2 |
賈 忠志、か ちゅうし、男、3歳、A型 |
父、母 興安東省阿栄旗の開拓団、母は開拓団の学校の教師 |
興安東省阿栄旗 |
父は応召。ソ連参戦後、興安東省阿栄旗那吉屯にある姚家店(馬車屋)に集合した時、ソ連軍の襲撃により、母が重傷を負ったので、道徳会の姜を介して、養父賈佰禄に引き取られた。その後、母は死亡。 |
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小指、薬指、人差し指に凍傷のあと、右手甲にの左側に4つのあざ |
個票 |
12004 |
63-1 |
趙 長栄、ちょう ちょうえい、女、6歳、O型 |
父、母、兄、姉、妹3人(1人は死亡した) 興安東省阿栄旗那集屯告北開拓団 |
興安東省阿栄旗 |
終戦後、父が開拓団で養父趙連生に預けた。父母と兄は、帰国した。 |
養父母の写真(資料) |
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個票 |
12005 |
平4 |
崔 雅琴、さい がきん、女、3歳、O型 |
父、母 父は軍人らしい |
興安東省布特哈旗 |
20年8月、興安東省布特哈旗博克図で両親が養父趙延章に預けた。 |
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個票 |
13001 |
13 |
劉 廷久、りゅう ていきゅう、男、5歳、A型 |
父、母 父は軍人かもしれない |
興安南省科爾沁右翼前旗 |
ソ連参戦後、母と避難する途中、興安南省科爾沁右翼前旗王爺廟付近で、ソ連機に攻撃され散り散りとなり、トウモロコシ畑に潜んでいたところを劉祥に保護され、その後漢方医をしていた養母高奎栄に引き取られた。 |
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左腕の関節の内側に傷あと |
個票 |
13002 |
15 |
呂 永和、ろ えいわ、男、5歳、A型 |
「田中」又は「田平」 |
興安南省科爾沁右翼前旗 |
興安南省科爾沁右翼前旗葛根廟でソ連軍の攻撃にあい、銃弾により左大腿部を負傷し、その後、養父呂煥章に保護された。その時、黒羅紗の上着と胸あてズボンをはいていた。 |
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個票 |
13003 |
12 |
霍 金才、かく きんさい、男、1歳、A型 |
|
興安南省科爾沁右翼前旗 |
20年8月、興安南省科爾沁右翼前旗葛根廟北側の土手で、養父霍和生に保護された。 |
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個票 |
13004 |
12 |
厖 景山、ぼう けいさん、男、2歳、A型 |
父、母、姉 父は軍人 |
興安南省科爾沁右翼後旗 |
終戦後、母は、姉と本人を連れ、憲兵の妻と4人の軍人の妻とともに興安南省科爾沁左翼後旗哈拉勿蘇の毛せん工場に行き、母が、そこの職人の曲生に預けた。姉は、工場へ行く途中で死亡した。その後、養父厖貴に引き取られた。母は左右の手で字を書くことができた。 |
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左頬に米粒大のほくろ |
個票 |
13005 |
15 |
李 桂琴、り けいきん、女、8歳、A型 |
「ノグチ」 父、母、妹(5歳)、弟(2歳) 父は鍛冶屋 |
興安南省科爾沁右翼前旗 |
ソ連参戦後、興安南省科爾沁右翼前旗哈拉黒で養父李相国に引き取られた。 |
入学した学校は3階建てだった。母方の叔父の家は、トロリーバスを降りて坂道を上ったところにあり、近くには学校、神社があった。自分の家から叔父の家までは、バス、汽車、トロリーバスを乗り継いで行った。家に馬が2頭いた。 |
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個票 |
13006 |
12 |
陳 秀英、ちん しゅうえい、女、5歳、AB型 |
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興安南省科爾沁右翼前旗 |
20年8月、興安南省科爾沁右翼前旗葛根廟西北の山間で、養父陳喜に保護された。その時、赤か緑の模様の服を着て、迷子札を付けていた。 |
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左眉の両端にほくろ |
個票 |
13007 |
12 |
張 玉珍、ちょう ぎょくちん、女、1歳、AB型 |
父、母、祖母、兄5人 父は軍人 |
興安南省科爾沁右翼前旗 |
祖母と5人の兄は終戦前に帰国した。20年8月、両親とともに避難したが、途中で母が死亡した。父と2人で興安南省科爾沁右翼前旗葛根廟まで来た時、父が、本人を白という老人に預けた。父は老人に、白い銃、印鑑、タバコを渡した。その時、本人は、白いワンピースを着ていた。分かれる時、父は本人の髪の毛を切って持って行った。その後、白から養父張清竜に引き取られた。 |
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個票 |
13008 |
平元 |
郎 桂琴、ろう けいきん、女、3歳、A型 |
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興安南省科爾沁右翼前旗 |
20年8月、興安南省科爾沁右翼前旗葛根廟の谷間で、霍占魁に保護され、その後、養父郎玉廷に引き取られた。 |
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髪が縮れ毛 |
個票 |
14001 |
12 |
何 文彬、か ぶんひん、男、10歳、O型 |
父、母以外不明 父は軍人 |
興安西省開魯県 |
興安西省巴林左翼旗林東に住んでいた。終戦後、母とともに避難する途中、同省開魯県で川に落ち、母は行方不明になった。本人は、呉長海に保護され、その後、養父何宝珠に引き取られた。 |
林東で学校に通っていた。5歳ごろ、右耳上部を大きな犬にかまれた。 |
右耳上部に傷あと |
個票 |
14002 |
12 |
賈 宝林、か ほうりん、男、4歳、A型 |
「シイチャン」と呼ばれていた。父、母、兄(ユウチャン) |
興安西省開魯県 |
興安西省開魯県の西北部に住んでいた。終戦後、母は、兄と本人を連れて同県城内へ来てまもなく死亡した。本人は、毛皮商をしていた養父董明水に引き取られ、その後、養父母が死亡したため、賈玉書に引き取られた。兄も、別の中国人に引き取られた。 |
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個票 |
14003 |
15 |
宋 永花、そう えいか、女、3歳、A型 |
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興安西省奈曼旗 |
20年8月、避難の途中、興安西省奈曼旗大段の東南にある林の中で、養父宋貴林に保護された。 |
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個票 |
14004 |
62-2 |
閻 樹田、えん じゅでん、男、5歳、A型 |
父、母 |
興安西省開魯県 |
20年8月、興安西省開魯県民主街で、商人の湯に保護され、養父閻延喜に引き取られた。その時、生後3か月の写真と生年月日を書いた紙がポケットに入っていた。 |
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右膝下に小指大のあざ |
個票 |
15001 |
10 |
張 ?、チョウ ジュ、男、3歳、A型 |
「中村健昌」 父、母、兄、姉2人 父は軍人 |
四平省四平市 |
終戦後、四平市四平道里五馬路の四平天橋で、中国人銭友三を介して、養父張振双に預けられた。養父張振双は、振興旅館を経営し、そこには、夏川という日本婦人がいた。 |
|
|
個票 |
15002 |
9 |
黄 俊清、こう しゅんせい、男、1歳、A型 |
父(サトウかもしれない)、姉(ヤエコかもしれない)、兄 四平省昌図県の開拓団 |
四平省昌図県 |
20年秋、父が帰国する際、四平省昌図県宝力鎮で、父のところで働いていた養父黄忠に本人を預けた。 |
|
|
個票 |
15003 |
2 |
李 玉琴、り ぎょくきん、女、3歳、A型 |
「宮田千代子」 父(宮田次郎)、母 |
四平省四平市 |
一家は、四平市四条通りに住んでいた。父は応召した。終戦後、母は同市大同寮に住む吉田はな子の紹介で、同市第639部隊の久保被服工場にいた男性と結婚した。その時、母は、本人を復興服装店の社長をしていた養父李蘭喜に預けた。大同寮には、寮母の松本花子、娘雪子、及び武田○夫と2人の日本青年がいた。 |
|
左腕に大豆大のあざ |
個票 |
15004 |
9 |
張 芬蓮、ちょう ふんれん、女、3歳、A型 |
父、母、兄 |
四平省四平市 |
終戦後、四平市に避難する途中、母が死亡した。父は四平市北四馬路で、鉄道工夫の養父于天佐に預けた。その後、兄は帰国し、父は死亡したらしい。 |
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額に小さいほくろ、額の髪の生え際につむじが2つ、頭髪が縮れ毛 |
個票 |
15005 |
7 |
孫 玉清、そん ぎょくせい、女、2歳、B型 |
父、母、その他は不明 父は鉄道関係の仕事をしていたらしい |
四平省四平市 |
父らしい日本人男性が、四平鉄道東側の東市場で菓子や衣服の商売をしていた養父孫登運に預けた。その時、花柄のふろしきで包まれ、書付けが添えられていた。 |
養父の写真(資料) |
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個票 |
15006 |
62-1 |
于 洪川、う こうせん、男、1歳、O型 |
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四平省開原県 |
20年秋、四平省開原県の食堂で、日本人婦人がある人を介して、養父于恵に預けた。 |
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個票 |
15007 |
平2 |
王 世学、おう せいがく、男、4歳、B型 |
父、母 |
四平省西豊県 |
終戦後、四平省西豊県で、父母が養父王金凱に預けた。その時、襟もボタンもなく、ひもが付いているだけの上着と、青色の短いズボンを身につけており、黄色い糸で1枚ずつ半円形に編み込まれた10銭硬貨8枚を首飾りのように首から下げていた。 |
10銭硬貨8枚の写真(資料) |
右足かかとに親指の爪大のへこみ、左まゆげの上と左目尻にほくろ |
個票 |
15008 |
平2 |
趙 彩英、ちょう さいえい、女、21年生、O型 |
母(「山本」又は「松阪」)、以外不明 |
四平省西安県 |
21年、生後2か月ごろ、四平省西安県にあった炭鉱付近の寿山和尚廟で、母が養父趙忠義に預けた。その時、黄色の毛布に包まれていた。 |
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腹部の左側にあざ |
個票 |
15009 |
平3 |
裴 希良、はい きりょう、男、8歳、O型 |
「中島正雄なかじままさお」(「ひでお」かもしれない)父(中島太郎たろう)、母(良子よしこ)、妹(秀子ひでこ)(2〜3歳) 父は軍人 |
四平省四平市 |
父は13年に、母と私は15年に渡満。終戦後、四平省東豊県山城鎮から避難の途中、四平市の西方の平東駅で母と離別。養父裴有?に引き取られた。 |
長崎県出身 |
口の右上にほくろ、右手首に母と別れる時に付いた刀傷のあと |
個票 |
15010 |
平3 |
李 中軒、り ちゅうけん、女、3ヵ月、B型 |
父、母、兄 |
四平省四平市 |
20年10月ごろ、両親が帰国する時、四平省四平市で養父李松山、養母李王氏に預けた。 |
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左足甲にほくろ |
個票 |
15011 |
平6 |
于 淑琴、う しゅくきん、女、6歳、B型 |
「清水櫻子」 父(次郎)、母 父、大佐 |
四平省梨樹県 |
終戦後、四平省梨樹県で父母が、中国人通訳張慶雲に預けた。その後、張慶雲の妻が亡くなったので、養父于景徳に引き取られた。預けられた時、青地に直径2cmくらいの赤い丸の模様の和服を着ていた。両親、祖母、自分の写った写真と銀色の首飾りの入った30cm×30cm×20cmの箱も一緒に託された。 |
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右目尻の脇に小指の先くらいの薄茶色のあざ |
個票 |
16001 |
11 |
崔 雲桃、さい うんとう、男、8歳、O型 |
「谷口 泉」 父、母、妹、弟 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母は3人の子供を連れて奉天市に避難した。弟は、避難する途中で死亡したらしい。母と妹は、伝染病で入院した。21年2月、奉天市鉄西区七馬路で、養父崔良初に引き取られた。 |
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左腕に傷あと |
個票 |
16002 |
11 |
李 金才、り きんさい、男、8歳、O型 |
父、母、妹2人(1人は2〜3歳の時に死亡) 父は会社員 |
奉天省奉天市 |
父は19年に応召した。母は、盲腸炎で入院したことがある。終戦後、母、妹とともに北満から汽車で奉天市に避難した。20年冬、母が奉天市南八条の難民収容所で養父李宝林に本人を預けた。その時、何枚かの家族写真を帯で腰につけていた。 |
左腕を脱臼したことがある。 |
頭部左と右膝に傷あと |
個票 |
16003 |
12 |
劉 希義、りゅう きぎ、男、8歳、A型 |
父、母、祖父 |
奉天省奉天市 |
20年10月、浜江省哈爾浜市から奉天市千代田公園に避難した。同所で、祖父が死亡し、母が出産した。本人は父にしかられ、外へ出たが道に迷い、養父劉世平に保護された。 |
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個票 |
16004 |
8 |
尹 雲済、いん うんさい、男、8歳、A型 |
父、母、妹2人 父は鉄道員 |
奉天省奉天市 |
一家は本人が6歳の時渡満した。乳は奉天市で鉄道の仕事をしていた。ソ連参戦後、家族5人で、奉天南駅に集合したが、母と下の妹はソ連軍の襲撃に遭い、死亡し、父と上の妹は行方不明となり、本人は奉天市大興街で養父尹占興に保護された。 |
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胸に薄いしみ |
個票 |
16005 |
9 |
? 閣斌、チョ カクヒン、男、7歳、AB型 |
父、母、兄2人、妹(3歳) |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、北満から奉天市へ避難する途中、父は行方不明となり、妹も歩けなくなり、残してきた。奉天市鉄西区の難民収容所で母が死亡した後、養父?玉明に引き取られた。 |
避難前住んでいた付近の絵図(資料) |
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個票 |
16006 |
12 |
遅 文昇、ち ぶんしょう、男、7歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市で母は死亡し、本人は難民収容所へ収容された。その後、日本人の老婦人に連れられて養父遅文臣に預けられた。 |
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個票 |
16007 |
6 |
張 世良、ちょう せいりょう、男、7歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年8月、奉天省奉天駅で母とはぐれた。その時、セーラー服を着て紺色の七分丈のズボンをはいていた。また、握り飯の入った紙袋を持っていた。その後、孤児院に入り、16歳の時に養父母に引き取られた。 |
父母はあまり家にいなかったので、ほとんどの時間を保母と過ごし、ミルクで育った。家の庭には、柿木があった。 |
左足の土踏まずに小豆大のほくろ |
個票 |
16008 |
4 |
潘 慶順、はん けいじゅん、男、7歳、A型 |
中村太郎(又は一郎) 父、母 |
奉天省奉天市 |
父は18年か19年の夏ごろ応召した。浜江省哈爾浜市に住んでおり、20年4月ごろ、母とともに奉天市南五条に来た。終戦後、難民収容所に入所した。同所で母が死亡したため、一灯園孤児収容所に入所し、その後、養父母に引き取られた。 |
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額に傷あと、右大腿部外側にこぶし大の黒いあざ |
個票 |
16009 |
1 |
王 加鰲、おう かごう、男、7歳、血液型不明 |
父、継母(実母は戦前死亡)、兄、姉、弟(戦前死亡) 開拓団 |
奉天省奉天市 |
北満のある開拓団に住んでいた。父は応召した。ソ連参戦後、一家は浜江省哈爾浜市から汽車で奉天市に避難し、難民収容所に入所した。その後、兄は同所で死亡した。母は姉を中国人に預け、本人を連れて劉家に身を寄せたが、同家で母は死亡した。姉は帰国したらしい。 |
兄や姉と一緒に学校に通っていた。 |
右膝下に鎌で切った傷あと |
個票 |
16010 |
7 |
郭 宗林、かく そうりん、男、6歳、O型 |
父、母、弟、妹 |
奉天省奉天市 |
18年ごろ、祖父が死亡したため、母は3人の子供を連れて、父のもとへ渡満した。父は大きな農場で働いていたが、しばらくして一家は、駅の近くの材木工場に移り、やがて父は帰国した。終戦後、一家は、汽車で奉天市に避難し、難民収容所に入所した。その後同所で母が死亡したため、本人は養父郭海会に、また、弟と妹も別の中国人に引き取られた。 |
雪の多い地方に住んでおり、家の近くのスキー場によく連れて行ってもらった。 |
左手首に約2センチのあざ。5歳の頃、転んで舌の先をかみ切ったことがある。 |
個票 |
16011 |
13 |
周 永発、しゅう えいはつ、男、6歳、O型 |
中村 卓(母にヒロシと呼ばれたことを覚えている)父、母、妹 父は同和自動車株式会社に勤務 |
奉天省奉天市 |
20年、母、妹とともに、奉天省西安県の父のもとへ渡満したが、途中で終戦になり、奉天市南駅の難民収容所に入所した。その後、周趙氏という中国人女性の家に住み、母は、そこで家政婦をしていた。そこから妹を、他の中国人に預け、直後に母は死亡した。本人は、そのまま、周家に引き取られた。 |
住んでいた家から、歩いて20分位のところに小学校があり、そこに入学したことを覚えている。 |
額の左上にはげ、右耳が少し変形している。 |
個票 |
16012 |
11 |
袁 振領、えん しんりょう、男、6歳、O型 |
父、母、兄、姉 母は農業 |
奉天省奉天市 |
父は奉天で死亡した。奉天市鉄西区奉天冶煉廠難民収容所にいたが、21年2月、母が鐘という中国人を介して工員をしていた養父袁兆財に預けた。その後、母は奉天市で病死したらしい。兄は会いにに来て15日間ほど泊まっていった後、帰国した。 |
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頭に約3センチのへこんだ傷あと |
個票 |
16013 |
11 |
閻 志誠、えん しせい、男、6歳、O型 |
父、母。兄がいたかもしれない。 |
奉天省奉天市 |
終戦後、吉林省新京市から汽車で奉天市に避難した。本人は、奉天南駅で中国人を介して養父閻徳貴に引き取られた。 |
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左大腿部に3つの傷あと、腹部左にほくろ |
個票 |
16014 |
12 |
李 世臣、り せいしん、男、6歳、O型 |
父、母、弟 農業 |
奉天省奉天市 |
20年10月、母と弟と本人は、大勢の婦人や子供達とともに木船や汽車を乗り継いで、奉天市まで避難した。その途中、母と弟を見失ってしまい、二人の日本人女性について奉天南駅まで来て、養母王素坤に預けられた。 |
家は、わらぶき屋根で、鶏が30〜40羽いた。近くには、大きな川があり、時々父と釣りに行った。小学校に半年通った小さい時、ハサミで遊んでいて、左頬にけがをした。そして、母に、紫色の薬をつけてもらった |
左頬に、ハサミでけがをした傷あと、上唇右に傷あと |
個票 |
16015 |
12 |
孔 祥福、こう しょうふく、男、6歳、O型 |
母、兄 |
奉天省奉天市 |
20年11月、奉天市の日本人孤児院から祁振方を介して養父孔丸義に引き取られた。兄は、牛の屠殺場で働いていた李に引き取られた。 |
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個票 |
16016 |
4 |
李 永財、り えいざい、男、5歳、O型 |
父、母、兄、姉 |
奉天省奉天市 |
父は応召した。ソ連参戦後、母に連れられ、奉天市の難民収容所に入所したが、母が重病になったため、本人は数人の中国人を経て養父李長泉に引き取られた。 |
本人は幼稚園に通っていた。家の西側には小麦や魚等の食糧を保管する倉庫があり、家には日本刀があった。父は魚釣りが好きだった。 |
背中の左下に約10センチのあざ |
個票 |
16017 |
6 |
楊 子学、よう しがく、男、5歳、O型 |
まさお 父、母 |
奉天省奉天市 |
一家は、奉天市中山公園の東南に住んでいたが、父は終戦前にいなくなった。20年8月ごろ、母とともに同市玉田町17に住む朝鮮人金の家に移ったが、終戦後間もなく母は、本人を残したまま、いなくなった。その後、数人の手を経て、養父楊明福に引き取られた。 |
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個票 |
16018 |
8 |
張 万庫、ちょう まんこ、男、5歳、A型 |
父、母、姉2人(22歳、14歳)、兄4人(20歳、17歳、11歳、8歳)、妹(2歳) |
奉天省奉天市 |
終戦後、両親、妹と奉天市に避難した。20年、母は奉天市南駅前の難民収容所で死亡した。その後、父が本人と妹を中国人に預けた。その後本人は養父張賢?に引き取られた。 |
終戦当時、姉2人、兄2人は一緒に生活していなかったので、避難の際は別行動であった。 |
左手の親指のわきにもう一本指が生えていたが、両親と一緒の時に手術し切り取った。 |
個票 |
16019 |
8 |
畢 兆清、ひつ ちょうせい、男、5歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年11月、奉天市鉄西区青年館学校で養父に預けられた。その時、黄色い服に赤い革靴を履いていた。 |
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臀部上方に橙色のあざ |
個票 |
16020 |
8 |
劉 乃承、りゅう だいしょう、男、5歳、O型 |
父、母、姉、兄 |
奉天省奉天市 |
一家は飛行場の近くの長屋に住んでいたらしい。ソ連参戦後、汽車で奉天市蘇家屯に避難した。同地で羅という老人を介して、養父劉春厚に預けられた。1年後、姉と再会した。姉が本人を連れて帰国しようとしたことがある。 |
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手首にS字型のあざ |
個票 |
16021 |
6 |
孫 学斌、そん がくひん、男、5歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年11月、奉天市の難民収容所で、父母が養父李、養母曹に預けた。当時、父は40歳前後で、ひげを生やしており、足が凍傷だった。母は、30歳前後で、病気のため髪が乱れていた。また、本人も手足が凍傷で病気だった。3か月後に本人は、中国人孫玉江に引き取られた。 |
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個票 |
16022 |
9 |
王 来福、おう らいふく、男、5歳、O型 |
父、母、姉(10〜11歳) 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
19年、父のもとに母、姉とともに渡満した。姉と奉天市太原街へ遊びに行った時、姉とはぐれ中国人に保護された後、養父に引き取られた。 |
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右大腿部内側に刀の刺し傷のあと、左足首内側に傷あと |
個票 |
16023 |
9 |
傅 恩山、ふ おんさん、男、5歳、B型 |
父、母、兄2人、姉 |
奉天省奉天市 |
北満に住んでいた。ソ連参戦後、家族とともに徒歩で駅まで行き、汽車で奉天市に避難し、駅前の難民収容所に入所した。20年冬、本人は王という警察官に引き取られ、その後、王が養父傅盛祥、養母傅鄭氏に預けた。 |
兄、姉は学校に通っており、週に一度汽車で家に帰ってきた。中国で住んでいた家の付近の絵図(資料) |
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個票 |
16024 |
4 |
竇 義、とう ぎ、男、5歳、A型 |
母、弟 開拓団 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、、奉天市奉天南駅前の難民収容所に避難した。母が、同収容所で劉洪生、張夫妻を介して、養父竇成彦に預けた。収容所から竇家に行く時、張夫妻と三輪車(人力車)に乗って行った。この時、黄色の上衣と古い毛糸のズボンを着て、下駄を履いていた。 |
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右目尻に一条の傷あと |
個票 |
16025 |
10 |
張 国東、ちょう こくとう、男、5歳、A型 |
父、母、弟、妹 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母は子供たちを連れて汽車で奉天市に避難した。妹は避難する途中で死亡した。奉天市では、難民収容所に入らず、奉天南駅前で野宿していた。20年9月ごろ、奉天市南駅貨物置場で、養父張海山に引き取られた。この時、母はいなかった。その後、弟は別の中国人に引き取られた。 |
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右手首に円形のあざ |
個票 |
16026 |
11 |
王 政国、おう せいこく、男、5歳、A型 |
兄(16〜17歳) |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、北満から哈爾浜を通って奉天市まで避難し、奉天南駅付近の小学校の難民収容所に入所した。21年1月ごろ、兄と本人は、同収容所で養父王桂山に引き取られた。間もなく、兄は靴等を渡され養家から出ていった。その後、兄は何度か会いに来た。 |
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個票 |
16027 |
12 |
楊 来福、よう らいふく、男、5歳、A型 |
父、母、姉、兄 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
奉天市奉天東駅付近の家に住んでいた。終戦後、同市北陵の難民収容所で、父が、本渓湖刺溝炭鉱で働いていた養父楊文甫に預けた。その時、父はカーキ色の軍隊オーバーを着て、本人は黄色の上着と灰色のズボンを履いていた。その後、兄が2度、女の子を連れた日本人女性が1度会いに来た。 |
東京に住んでいた |
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個票 |
16028 |
11 |
李 金友、り きんゆう、男、5歳、AB型 |
父、姉 |
奉天省奉天市 |
一家は、奉天市皇姑屯駅近くの二洞橋の東方に住んでいたが、父はほとんど家にいなかった。終戦後、中国人の家に連れて行かれ、別の中国人唐を介して養父李増明に引き取られた。 |
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左腰に火傷のあと |
個票 |
16029 |
12 |
鄭 玉書、てい ぎょくしょ、男、5歳、AB型 |
父、母、妹 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、2台の馬車で小さな駅まで行き、汽車で奉天市まで避難した。21年1月、奉天市の難民収容所で、父が、ある中国人に預けた。その後、王を介して養父鄭雲生に引き取られた。妹は本人より先に別の中国人に預けられた。 |
一家は郊外に住んでいた。近くには板張りの家があり、銃や木銃を持った日本人の訓練生が使用していた。家の近くには馬場があった。 |
|
個票 |
16030 |
10 |
周 春堂、しゅう しゅんどう、男、4歳、A型 |
父、母、弟(2〜3歳) |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母は子供2人を連れて、汽車で奉天市に避難したが、途中で弟は行方不明となった。20年12月、医科大学の隣の富士難民収容所で、養父周天福に引き取られた。 |
あたり一面じゃがいもの白い花が咲いていた。 |
左肩に腫物のあと、右足首に切り傷のあと、右大腿部に傷あと |
個票 |
16031 |
12 |
田 浩然、でん こうぜん、男、4歳、B型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
21年2〜3月ごろ、奉天市奉天南駅の難民収容所で、母が、養母に預けた。養母は野菜等を売っていた。 |
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|
個票 |
16032 |
14 |
卞 来福、べん らいふく、男、4歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
20年冬、奉天市で張聖功を介して、養父卞貴興に引き取られた。 |
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左耳の後ろに腫物、左眼が斜視 |
個票 |
16033 |
12 |
王 文興、おう ぶんこう、男、4歳、B型 |
父、母、兄2人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、汽車で奉天市に避難して来て、同市西塔街で豆腐屋をしていた馬に引き取られ、その後、馬が死亡したため、養父王法辛に引き取られた。 |
|
右足に約2センチの傷あと |
個票 |
16034 |
15 |
畢 雲岐、ひつ うんき、男、4歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市内にあった湧泉豆腐店裏の長屋で、養父畢天慶に保護された。 |
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個票 |
16035 |
9 |
米 東升、べい とうしょう、男、4歳、O型 |
母、弟 |
奉天省奉天市 |
20年10月、一家は奉天市南駅前の難民収容所に入所した。その後、本人は、同収容所近くで遊んでいたところ道に迷い、養父米樹章に保護された。 |
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右手親指に傷あと |
個票 |
16036 |
9 |
鄭 黒生、てい こくせい、男、4歳、AB型 |
母(片方の瞳が白かったらしい)、兄(9歳)、妹(生後8か月) |
奉天省奉天市 |
終戦後、一家は北満から奉天市に避難した。20年冬、本人は、奉天市で大工をしていた養父鄭秀臣に引き取られた。母、兄、妹は死亡したらしい。 |
|
背中一面、両腕、後頭部に火傷のあと、両耳が変形 |
個票 |
16037 |
9 |
劉 喜来、りゅう きらい、男、4歳、O型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母と貨車で奉天市に避難した。21年、奉天市鉄西区で母とはぐれていたところを中国人に保護され、養母陳桂芝に引き取られた。 |
|
額の右側に豆粒大のあざ、右腕の付け根に大豆大のあざ、右手の親指は?疽(ひょうそ)のため爪がない |
個票 |
16038 |
8 |
党 福順、とう ふくじゅん、男、4歳、AB型 |
父、母、弟又は妹 |
奉天省奉天市 |
20年11月、北満から奉天市南駅付近の赤レンガ建ての難民収容所に入所した。21年3月、李の紹介で、養父党近勇に預けられた。 |
養父母は、奉天市大西辺門小橋胡同大西辺門の電車の停留所から30メートル先で家の東側に周囲100メートル位の溜池があるところに住んでいた。 |
左腰に約5センチのおできのあと |
個票 |
16039 |
8 |
都 興文、と こうぶん、男、4歳、B型 |
父、母 父は技師で、後に工場経営(万年筆用インクとクレヨン製造)をしていたらしい。 |
奉天省奉天市 |
21年11月、奉天市南駅の難民収容所に収容された。その後、養母の玉培瑛の弟曲丕倹が本人を収容所から養母の家に連れてきた。 |
21年11月ごろまで、奉天市鉄西区応昌街東西馬路の南側平屋に住んでいた。東側には飛行場があり、また近くに製糖工場があった。 |
|
個票 |
16040 |
7 |
帥 計勤、すい けいきん、男、4歳、O型 |
父、母、兄2人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、汽車で奉天市に避難した。同市青義町の二階建ての建物内で、ある日本人女性によって、養父帥国忠に預けられた。 |
|
左手人さし指の爪が剥がれている。 |
個票 |
16041 |
2 |
高 世復、こう せいふく、男、4歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
20年9〜10月、奉天市千代田公園付近に一人でいたところを養父高更武に保護された。この時、紺色の和服を着て、黒い革靴を履いていた。また家の前で遊んでいた時、連れ去られたという人もいる。 |
|
へその左に約1センチの白い斑点。右足小指に小さなほくろ。両耳とも頭にくっついたようになっている。 |
個票 |
16042 |
4 |
韓 来慶、かん らいけい、男、4歳、A型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年秋から冬、母が、奉天市春日小学校の難民収容所から中国人劉淑芝を介して養父袁世昌に預けた。 |
|
左耳の後ろに小さなこぶ |
個票 |
16043 |
9 |
劉 金明、りゅう きんめい、男、3歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
父は応召した。奉天市に住んでいた。終戦後、母はソ連兵に連れ去られた。その後、日本人男性に連れられ、同市の難民収容所に入所した。20年10月、煎餅(チェンビン)屋の蘇を介して、バスの運転手をしていた養父劉文治に預けられた。その時、黄色のチョッキを着て、白い布地のカバンを持っていた。カバンには「呉(又は武)木材」と書かれていた。 |
|
右太腿内側にたばこによるやけどのあと |
個票 |
16044 |
9 |
張 鳳江、ちょう ほうこう、男、3歳、B型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年10月ごろ、奉天市奉天駅前で、養父張永泰に保護された。その時、格子縞の着物に包まれていた。 |
|
|
個票 |
16045 |
11 |
丁 建民、てい けんみん、男、3歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母が奉天市北陵区振江街の路上で、養母宋妙蘭に預けた。 |
終戦前、両親と食事をした時、父は飛行帽をかぶっていたようだ。その時、米の飯に卵をかけて食べたことを覚えている。 |
左膝内側に10円玉大の傷あと |
個票 |
16046 |
8 |
范 揚、はん よう、男、3歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
21年5月ごろ、両親が、奉天市満鉄社宅で丁明山に預けた。その時、本人は、小さい花柄模様の和服の上に緑色のセーターを着て、黒い革靴を履いていた。それから1か月後、養父に引き取られた。 |
|
首の右上に黒いあざ、右横腹に薄茶色のあざ |
個票 |
16047 |
6 |
程 国文、てい こくぶん、男、3歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年11〜12月ごろ、奉天市花園街満州社宅に住む養父程廣恩に引き取られた。その時、赤い上着を着ていた。養母が父の写真を持っていたが、その後焼き捨てた。写真の父は、灰色の皮ジャンパーを着て、皮の帽子をかぶり、白い縁の丸メガネをかけていた。 |
|
あごの下及びのどの上にほくろ、胸に多数のほくろ |
個票 |
16048 |
10 |
楊 宗文、よう そうぶん、男、3歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
21年夏ごろ、秦記瑞に手押し車に乗せられて、奉天市熱鬧半街の家に連れてこられた。当時、和服をほどいて作ったらしい黒っぽい灰色の服を着ていた。その後、養父秦に引き取られた後、現在の養父楊栄発に引き取られた。 |
|
左目は二重まぶたで、右目は一重まぶた |
個票 |
16049 |
10 |
劉 少先、りゅう しょうせん、男、3歳、A型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市北駅付近で、中国の老婦人(養母の叔母)を介して、養父劉庭彬に引き取られた。 |
|
|
個票 |
16050 |
10 |
展 洪波、てん こうは、男、3歳、A型 |
父、母、兄(6歳) |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市南市区南市場南三路保仁里の山東寺付近で、母と養母の妹が出会い、そこで、母が養母の妹李楊氏に預けた。数日後、養母展楊氏に引き取られた。 |
|
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個票 |
16051 |
11 |
韓 徳祥、かん とくしょう、男、3歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市で中国人段を介して、奉天市撫順市の両替商の中国人黄に引き取られた。半年後、養父韓其英、養母李桂芳に引き取られた。 |
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個票 |
16052 |
11 |
沙 宝文、さ ほうぶん、男、3歳、A型 |
父、母、妹 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
21年1月、母が奉天市五条通り西方の二階建ての家(入り口に杉本又は山本と書かれた赤い紙があった)の一階で肉屋をしていた郭克志を介して、養父沙貴忠に預けた。 |
養父の写真(資料1)、仲介者の写真(資料2) |
右目まぶたに傷あと、へその下と右大腿部にほくろ |
個票 |
16053 |
11 |
徐 飛、じょ ひ、男、3歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、開拓団員と共に避難し、奉天市大和区南満中学校の難民収容所に入所した。20年12月、同収容所で、養父徐元閣夫婦に引き取られた。 |
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右手親指が内側に曲がり伸びない、鼻の左脇に凍傷のあと |
個票 |
16054 |
11 |
王 振国、おう しんこく、男、3歳、O型 |
出口三彦 |
奉天省奉天市 |
20年11月、奉天市の難民収容所で、養父王元齢夫婦に引き取られた。 |
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左足膝頭にあざ |
個票 |
16055 |
11 |
楊 来生(楊 来陞)、よう らいせい、男、3歳、O型 |
父、母、姉、兄 |
奉天省奉天市 |
終戦後、両親が奉天市加茂町市場で、食堂を経営していた鉄玉栄(回族)を介して、中国人王に本人を預けた。1〜2か月後、養父に楊龍祥に引き取られた。 |
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個票 |
16056 |
9 |
王 承龍、おう しょうりゅう、男、2歳、B型 |
岸田(又は安田)資陽 |
奉天省奉天市 |
終戦後、伯母とともに奉天市鉄西区の難民収容所に避難した。21年春、同収容所で養父王嗣文、養母孫富清に預けられた。その後、伯母は死亡した。幼児期の写真で、着ている服は収容所から着て来たものである。 |
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臀部に青黒いあざ |
個票 |
16057 |
13 |
程 瑞福、てい ずいふく、男、2歳、A型 |
叔父以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年10月ごろ、奉天市春日町の難民収容所で、養父程文堂に引き取られた。その後、叔父が2度会いに来た。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
16058 |
12 |
鄭 栄成、てい えいせい、男、2歳、A型 |
父、母仕立屋とうどん加工場を経営 |
奉天省奉天市 |
両親は、奉天市和平区遂川街一帯で仕立屋とうどん加工場を経営していた。21年初め、両親は同工場で働いていた養母李桂蘭に預けて帰国した。 |
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あごに10円玉大の傷あと、背中に米粒大の5つのほくろ |
個票 |
16059 |
12 |
呂 東升、ろ とうしょう、男、2歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
20年11月ごろ、奉天市の満毛デパートの裏で、日本人の老婦人を介して、瓦職人だった養父呂紹俊、養母朱端清に預けられた。その時、青地に赤い花模様のある和服を着ていた。 |
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個票 |
16060 |
12 |
劉 鳳鳴、りゅう ほうめい、男、2歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市奉天南駅の太源街で、中古品販売業をしていた張殿清を介して、養父劉洪財に引き取られた。その時、空色の半袖の上着に、黄色地に黒い水玉のある吊り半ズボンをはいていた。 |
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個票 |
16061 |
5 |
高 庸、こう よう、男、2歳、A型 |
父、母、姉、兄 |
奉天省奉天市 |
21年、母、姉、本人は奉天市春日町の難民収容所にいた。同所から本人は日本人女性を介して養父高忠武に引き取られた。その時、柳葉柄の和服を着ていた。 |
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個票 |
16062 |
15 |
周 玉柱、しゅう ぎょくちゅう、男、2歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、奉天市南駅付近の神社の境内で養母張井文に保護された。 |
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左耳に小さいこぶ |
個票 |
16063 |
9 |
劉 鳳奎、りゅう ほうけい、男、2歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
21年3月ごろ、奉天市南駅の難民収容所だった小学校から中国人に引き取られた。その後、養父劉万民に引き取られた。中国人に引き取られた時、右足が凍傷にかかっていた。 |
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個票 |
16064 |
9 |
白 明徳、はく めいとく、男、2歳、A型 |
父(三木)、母、兄 |
奉天省奉天市 |
21年4月、奉天市千代田公園付近に住む洋服仕立業の板野という日本人の家で、養父白剣秋、養母金石純に預けられた。その時、ねずみ色のズボンと白いシャツにチョッキを着ていた。21年夏、母が兄を連れて会いに来たことがある。 |
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左の耳に小さい黒いほくろ |
個票 |
16065 |
9 |
? 月亭、てき げつてい、男、2歳、A型 |
父、母、兄又は姉5人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市で、本人は病弱のため安金齢の妻の日本人婦人に預けられ、?(テキ)乃増を介して養母?(テキ)杜氏に引き取られた。その後、両親は兄姉を連れて帰国した。 |
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個票 |
16066 |
12 |
李 鉄棟、り てつとう、男、1歳、O型 |
父以外不明 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市北一馬路小紅楼で、日本人の幸本沙江を介して養父李俊岩、養母徐淑靖に預けられた。28年に幸本沙江は帰国した。 |
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右肩に卵大のあざ |
個票 |
16067 |
8 |
郭 宏偉、かく こうい、男、1歳、A型 |
父、母。兄又は姉がいたらしい。 |
奉天省奉天市 |
21年春ごろ、奉天市千代田公園付近で日本人女性から中国人高福信に預けられた後、養父郭夢賢に引き取られた。 |
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左足の甲に傷あと |
個票 |
16068 |
6 |
初 玉?、しょ ぎょくそう、男、1歳、A型 |
父(岡田三郎又は剛田三郎) |
奉天省奉天市 |
21年9月ごろ、奉天市で、父が親類の伊達鉄次を介して、同人の使用人であった養父張徳海に預けた。 |
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胸の真ん中に赤い粟粒大のあざ、右足裏の真ん中に小豆大のほくろ |
個票 |
16069 |
12 |
葉 英富、よう えいふ、男、1歳、B型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年8〜9月ごろ、の夜9〜10時に、4,5人の中国人に追われて逃げていた日本人2人によって、奉天市中山路浪速通りの博愛医院の前で、医師をしていた養父葉飛操に預けられた。その時、父と思われる人の写真が、着物の中にあった。 |
父と思われる人の写真(資料) |
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個票 |
16070 |
15 |
唐 文全、とう ぶんぜん、男、1歳、B型 |
父、母、姉(3〜4歳) |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天市の南満州鉄道局の向かい側の加茂小学校で、母が、本人を養父色玉山、養母色張氏に預けた。 |
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頭髪が縮れ毛 |
個票 |
16071 |
14 |
趙 志誠、ちょう しせい、男、1歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
奉天省奉天市金宝台で、養父趙文起に保護された。 |
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左上腕部内側にほくろ |
個票 |
16072 |
15 |
鄭 洪録(鄭 洪禄)、てい こうろく、男、1歳、A型 |
父、母 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
20年9月、奉天市で養父鄭樹栄、養母鄭蔵氏に引き取られた。 |
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個票 |
16073 |
10 |
唐 永新、とう えいしん、男、1歳、AB型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市南駅近くにあった難民収容所で、養母唐玉明に引き取られた。 |
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右胸の下にほくろ |
個票 |
16074 |
10 |
呉 憲臣、ご けんしん、男、8ヵ月、A型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年11月、母が病気のため、奉天市南駅近くの加茂小学校難民収容所で、養父呉顕慶に預けられた。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
16075 |
8 |
楊 祥敏、よう しょうびん、男、5ヵ月、B型 |
父(死亡)、母 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
父は北満で死亡した。ソ連参戦後、母と奉天市に避難した。20年10月、母の叔父堀内の紹介で養父楊伯言に預けられた。その時、紺色で花柄の古い着物を着ていた。叔父堀内は、養父の家と道を隔てた向かいの金網で囲まれた郵便局職員の官舎に住んでいた。 |
堀内一家が帰国の際、養父母に与えた物品の写真(資料) |
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個票 |
16076 |
7 |
張 書林、ちょう しょりん、男、5ヵ月、AB型 |
父、母、姉2人(5歳、3歳) 父は軍人かもしれない |
奉天省奉天市 |
終戦後、一家は奉天市の難民収容所にいたが、母は本人を出産後、死亡したらしい。20年11月から21年春の間に、父が中国人趙振?を介して、同所で養父張子(別名張芳礼)に預けた。それから3日後に、父と2人の姉は帰国したらしい。当時、張は、奉天市に住んでおり、小さな雑貨店を営むとともに奉天市駅付近で衣料品も売っていた。また、養家には、父が置いていったと思われる木箱(ふたの表面に「昭和3・5・吉日 結婚記念(堀)」と記されている)に入った杯がある。 |
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右目と鼻の間にいぼ |
個票 |
16077 |
11 |
徐 周鮮、じょ しゅうせん、男、3ヵ月、B型 |
父、母(28歳)、兄(3〜4歳) 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
奉天市藤浪町に住んでいた。20年9月ごろ、母が自宅で、40歳くらいの日本人女性を介して、中国人韓興武に預けた。その後、養父徐慶恒に引き取られた。預けられた時、本人は、裏側に小さな花柄のある毛布に包まれていた。また、へそに炎症を起こしていた。 |
|
右肩甲骨部に米粒大のほくろ |
個票 |
16078 |
8 |
李 安齢、り あんれい、男、20年8月生、O型 |
父、母、兄、姉 |
奉天省奉天市 |
20年秋、父母が奉天市大和区の高等女学校跡の難民収容所で、養父の妹と弟を介して、養父李兆義に預けた。その時、本人の本籍、名前、生年月日、生まれた時刻等を書いた紙と衣類を渡した。 |
当時着ていた衣類の写真(資料) |
背中の右側と腰の右側に小豆大のいぼ |
個票 |
16079 |
13 |
李 東海、り とうかい、男、7歳、A型 |
母 |
奉天省撫順市 |
終戦後、母とともに、朝鮮から貨車に乗って、奉天市撫順市に避難し、難民収容所に入所した。その後、養父李毓洲のところに身を寄せたが、3か月後に母が死亡したため、そのまま養父に引き取られた。 |
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個票 |
16080 |
8 |
荘 立発、そう りつはつ、男、5歳、A型 |
父、母、弟、妹 父は軍人らしい |
奉天省撫順市 |
終戦後、母が死亡し、奉天省撫順市で、日本人の女性に預けられたが、その後、2人の中国人を介して、陳家に預けられた。その後、養父荘金山に引き取られた。弟妹とも他の家に預けられた。 |
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左足(ふくらはぎ)に黒いあざ |
個票 |
16081 |
7 |
范 邦柱(範 邦柱)、はん ほうちゅう、男、5歳、O型 |
母、兄、姉、弟 |
奉天省撫順市 |
一家は、奉天省撫順市老虎台に住んでいたが、弟はそこで病死した。20年10月、母が、露天商をやっていた養父范立森に本人も預けた。その後、姉が会いに来たことがある。 |
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首筋に傷あと |
個票 |
16082 |
9 |
王 国有、おう こくゆう、男、3歳、B型 |
父、母 |
奉天省撫順市 |
終戦後、一家は北満から奉天省撫順市に避難した。20年秋〜21年春の間に、撫順市新撫区2丁目で大工劉徳祥に預けられたが、その後、新撫区福民街に住んでいた養父王紹志に引き取られた。 |
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左腕にあざ |
個票 |
16083 |
9 |
李 徳祥、り とくしょう、男、2歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市新撫順4丁目で、妓女院を経営していた養父李福臣に引き取られた。 |
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腋の下に約2センチの傷あと、陰茎に大豆大のほくろ |
個票 |
16084 |
7 |
潘 振東、はん しんとう、男、2歳、O型 |
父、母 |
奉天省撫順市 |
一家は、奉天省撫順市東公園付近に住んでいたらしい。終戦後、父母が、炭坑夫だった養父潘学義に預けた。 |
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左脇腹に赤い小さな二つのあざ |
個票 |
16085 |
14 |
劉 錦山、りゅう きんさん、男、2歳、A型 |
|
奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市花楽園高里学校孤児院で、養母の娘劉桂芹を介して、養父劉慶祥に引き取られた。 |
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個票 |
16086 |
5 |
石 永福、せき えいふく、男、6ヵ月、AB型 |
父(後藤、オダ、オオタ又はオオタワ)、母 父は撫順西露天鉱山の電動採掘機の点検係 |
奉天省撫順市 |
20年の末、父が同じ職場にいた賈連哲を介して、本人を養父石文儀に預けた。そのころ、母は別居して働いていたようで、養家に来たことがある。 |
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個票 |
16087 |
11 |
安 偉、あん い、男、5ヵ月、A型 |
父、母、兄、姉 |
奉天省撫順市 |
一家は奉天省撫順市永安台地区に住んでいた。20年10月ごろ、同市北台地区西公園付近の、日本人が建てた臨時住宅で、母が、同地区で野菜売りをしていた養父安其化に本人を預けた。母は、21年春に帰国したらしい。 |
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左肩に10円玉大の腫物のあと、左足大腿部に傷あと |
個票 |
16088 |
15 |
陸 希海、りく きかい、男、3ヵ月、B型 |
山浦太郎又は三浦太郎 父 父は奉天省撫順市郵便局の配達人 |
奉天省撫順市 |
終戦後、父は、奉天省撫順市大官街の警察署で、大工をしていた養父陸文挙に本人を預け帰国した。父の友人に、佐多木年記、佐藤正南という人がいた。 |
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左手親指にかまれた傷あと |
個票 |
16089 |
10 |
王 孝華、おう こうか、男、2ヵ月、O型 |
|
奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市西四路で方野旅館を経営していた日本婦人から、同旅館1階で洋裁店の経営者の妻鄭亜賢を介して、養母王郭氏に預けられた。 |
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|
個票 |
16090 |
13 |
冉 範俊(冉 凡俊)、ぜん はんしゅん、男、20年12月生、A型 |
母、兄(3歳) 母は奉天省撫順市北大井日本街の露天商 |
奉天省撫順市 |
21年春、母が奉天省撫順市の運動場で、張玉珍と一緒に来た養母張志蘭に預けた。その後、母と兄は帰国した。帰国の時、養母が見送りに行った。撫順市で請負人夫頭をしていて、22年ごろ帰国した和田という日本人が本人の身元を知っている。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
16091 |
12 |
姜 賓清、きょう ひんせい、男、1ヵ月、O型 |
母、本人と双子の男児 |
奉天省興京県 |
終戦後、奉天省興京県の日本婦人の集結場所だった慈善会で、同会の責任者閻から、餅屋をしていた王金才を介して、養父王志思に預けられた。慈善会は難民収容所のようだった。 |
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胸と首にそれぞれ3つのほくろ |
個票 |
16092 |
12 |
張 来福、ちょう らいふく、男、1歳、A型 |
母、兄(16〜17歳) |
奉天省鉄嶺県 |
20年8月〜12月ごろ、奉天省鉄嶺県鉄嶺駅付近の康徳製粉株式会社の南側で、母が中国人王を介して本人を張領に預けた。その後、養父張忠姚、養母張張氏に引き取られた。当時、紺色の上着を着て、つぎ当ての半ズボンを履いていた。母は兄を連れて、帰国する前に会いに来た。 |
|
|
個票 |
16094 |
4 |
韓 世達、かん せいたつ、男、3歳、B型 |
父、母、姉 父は軍人、母は学校の教員 |
奉天省遼陽県 |
姉は終戦前から奉天市の叔母の家に預けられていた。ソ連参戦後、母とともに奉天市の難民収容所に避難した。その後、奉天省遼陽県灯塔区二台子村の中国人の家に来たが、間もなく母が死亡したため、養父韓韜に引き取られた。 |
|
右腕下部に斑点、左腕下部にほくろ |
個票 |
16095 |
7 |
史 永寿、し えいじゅ、男、2歳、O型 |
父、母、姉 父は奉天省海城県営口で染物工場を経営 |
奉天省海城県 |
終戦後、母が、奉天省海城県で茶の売買をしていた養父謝徳昌に預けた。その時、母は、謝に琥珀製の仏像を渡した。 |
|
左足膝下に約5センチの薄いあざ |
個票 |
16096 |
7 |
馬 千義、ば せんぎ、男、7ヵ月、B型 |
父、母、兄 父母はベアリング工場に勤務 |
奉天省復県 |
終戦後、父母が奉天省復県互房店で、本人を養父周に預けた。その時、花模様の付いたほうろう製の四段重ねの重箱、ほうろう製の洗面器及びアルミニウム製の鍋を置いていった。その後、父母は、兄を連れて帰国した。 |
|
背中に傷あと、へその近くに2つ の ほくろ |
個票 |
16097 |
11 |
周 素蘭、しゅう そらん、女、10歳、A型 |
父、母、姉3人(3番目の姉は渡満しなかった)、妹2人 |
奉天省奉天市 |
終戦直前、一家は渡満した。終戦後、母は子供達を連れて、北満から奉天市に避難し難民収容所に入所した。その後、母は下の妹を預けた後死亡した。本人と上の妹は、日本人婦人を介して、本人は養父羅殿珍、妹は中国人馬に預けられた |
家は、町の中にあり、裏には学校とプールがあった。ある時、熱湯が顔にかかり、姉に薬をつけてもらった。 |
腰の後ろ左側に親指大のあざ |
個票 |
16098 |
11 |
王 風環(王 鳳環)、おう ふうかん、女、9歳、B型 |
父、母、姉、弟、祖母 |
奉天省奉天市 |
20年5月ごろ、父は応召した。その後、一家は、北満から奉天市に避難した。祖母は避難する途中死亡した。奉天市で妹が死亡し、弟も行方不明になった。20年12月、母が死亡する前に姉が、養父の弟を介して養父王福田に預けた。その時、本人は病気で、毛布に包まれ、三輪車に乗せられていた。 |
|
右大腿部に一円玉大のあざ |
個票 |
16099 |
6 |
朱 淑華、しゅ しゅくか、女、8歳、A型 |
父、母、弟、妹 父は木工(おもちゃ等の製造・販売)、母は軍隊の炊事係 |
奉天省奉天市 |
一家は、牡丹江市に住んでいた。終戦後、叔父一家とともに、浜江省哈爾浜市に避難した。哈爾浜市では、親類の家に泊まったが、そこで叔母は、女の子を出産した。その後、奉天市まで避難したが、その子は病死し、叔父も病気になった。叔母が、本人を連れて奉天市の南駅であめ売りをしたり、食堂の下働きに行って一家は生活していた。21年春、本人は、叔父にしかられ路上で泣いていたところを、迷子と間違われ、廃品回収業をしていた養父栄雨亭に保護された。 |
父は18年ごろ死亡した。20年春、本人は、小学校に入学するため、牡丹江市内の叔父の家に移った。 |
鼻の左下に小豆大のほくろ、首の後ろ3か所及び口の左右にお灸のあと、左肘内側に注射ではれたあと |
個票 |
16100 |
7 |
高 雅麗、こう がれい、女、8歳、A型 |
ルリ子 父、母、弟2人、妹 牡丹江市付近の開拓団 |
奉天省奉天市 |
父は応召し、妹は死亡した。終戦後、母、2人の弟とともに、奉天市に馬車で避難したが、途中で馬が餓死したため、その後、歩いて同市南駅付近の難民収容所に入所した。この間に下の弟が死亡した。同所で母が鐘楼南大紅?胡同77号に住む養父高煥に預けた。その後、母と上の弟は帰国したらしい。 |
|
右手中指に米粒大のお灸のあと、両足の人差し指が親指より2センチぐらい長い |
個票 |
16101 |
8 |
張 淑華、ちょう しゅくか、女、8歳、O型 |
父、母、兄、弟 |
奉天省奉天市 |
21年3月ごろ、両親は、本人を養父楊徳順に、弟を奉天市北陵警察署勤務の唐万波に預け、兄を連れて帰国した。 |
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右まぶたに米粒大のこぶ |
個票 |
16102 |
8 |
関 鳳琴、かん ほうきん、女、8歳、A型 |
父、母、妹、弟 父は公務員らしい |
奉天省奉天市 |
終戦後、家族全員で牡丹江市から汽車で奉天市に避難した。1か月後母が病死し、弟と妹が預けられた。20年秋以降、父が本人を養父周振東に預けた。 |
牡丹江市の自宅の西側には廊下のない日本人学校があり、校内には中国人一家が住み込んでいたこと、牡丹江市から避難するとき自宅の左隣り(東側)の家族全員が自殺したことを記憶している。 |
左あごに2センチの傷あと、背中全体にあばたのようなあと |
個票 |
16103 |
12 |
張 志蘭、ちょう しらん、女、8歳、AB型 |
父、母、兄 母は洗濯婦 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市中駅の線路北側の被服工場裏の大きなビルで、母が輪タクの車夫をしていた養父張東奎に預けた。 |
|
幼少時は身体が非常に弱く、足が細くて少し曲がっていた |
個票 |
16104 |
15 |
湯 秀蓮、とう しゅうれん、女、8歳、A型 |
ハツ 父、母、兄、弟 父は軍人かもしれない |
奉天省奉天市 |
終戦後、一家は、汽車で奉天市に避難したが、避難の途中、父は車内でソ連兵の攻撃により死亡した。21年冬、母が、同市大通りで小さな露店を開いていた養父湯吉宏に本人を預け、その数日後に母は死亡した。弟は他の中国人に引き取られ、兄は帰国したらしい。 |
|
へその右横に10円玉大の傷あと |
個票 |
16105 |
8 |
劉 秀英、りゅう しゅうえい、女、7歳、O型 |
父、母、姉、妹 北満の開拓団 |
奉天省奉天市 |
20年冬、家族5人で奉天市和平区の難民収容所に入所し、間もなく父が死亡した。その後、母は、姉と妹を中国人に預けた。母と本人は梅林珠の世話になったが、そこで母は死亡し、本人は養父劉維玉に引き取られた。姉が中国人に預けられる時、母は本人が着ていた緑色の服を姉に着せ替えた。 |
中国人と朝鮮人が一緒にいる村に住み、川の向こうにソ連領の家が見えた。 |
額に傷あと、鼻の左にほくろ(59年に除去した) |
個票 |
16106 |
8 |
田 淑范、でん しゅくはん、女、7歳、O型 |
父、母、兄(11歳)、妹(6歳)、弟(4歳) 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
20年冬、母は子供3人を連れて、奉天市に避難した。弟は避難する途中で死亡した。本人は奉天駅構内で中国人に連れ去られ、芸妓屋に売られた後、養父田有に引き取られた。妹は張秀雲として瀋陽市に健在。 |
農村の土造りの家に住んでいたが、町の幅の広い道路に面した家に引っ越した |
|
個票 |
16107 |
10 |
周 桂蘭、しゅう けいらん、女、7歳、A型 |
母、姉、妹 |
奉天省奉天市 |
20年秋、母は子供達を連れて、汽車で奉天市に避難し、医科大学付近の難民収容所に入所した。避難する途中、汽車の中にソ連兵が乗り込んできたので、座席の下に隠れたことがある。20年12月、馬車引きの中国人を介して、養父周天福に預けられた。妹も別の中国人に預けられた。 |
都会に住んでいた。家には餅を作る臼と杵があった。 |
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個票 |
16108 |
11 |
馬 瑞雲、ば ずいうん、女、7歳、A型 |
父、母、姉4人(3番目の姉は渡満しなかった)、妹 |
奉天省奉天市 |
一家は三江省佳木斯市に住んでいた。終戦後、母、3人の姉、妹とともに佳木斯市から奉天市の難民収容所に入所した。同所で母が病気になり、妹は中国人に預けられた。その後母は死亡し、難民収容所内の女性により、本人はガラス工場で働いていた養父馬光友に、4番目の姉は中国人羅に預けられた。 |
家の裏に学校とプールがあった。佳木斯市に住んでいたとき、4番目の姉は、お湯で顔に火傷をして入院した。 |
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個票 |
16109 |
12 |
范 桂英、はん けいえい、女、7歳、A型 |
父、母、兄(14〜15歳)、妹(3〜4歳) |
奉天省奉天市 |
父は、本人が3歳の時に死亡した。20年12月、母が奉天市南八条の軍需品の製造工場の守衛をしていた日本人板行を介して、養父范玉龍に預けた。その時麻布をかけてくれた。 |
日本にいた時、雪の降らないところに住んでいた。家はかわら屋根で、裏には竹林があり、付近には住宅がたくさんあった。奉天市南八条の家は道路の南側にあり、日本式の家屋で、門の前に掘りぬき井戸があった。母は病気がちだった。 |
みぞおちに1つ、乳房の下に2つの赤いあざ |
個票 |
16110 |
15 |
李 桂蘭、り けいらん、女、6歳、A型 |
父、母、兄(20歳)、姉(18歳)、弟2人(5歳、3歳)、妹(1歳) 父と兄は軍人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母と子供達は奉天市へ避難する途中、下の弟は行方不明となり、上の弟と妹は死亡した。20年10月、母が同市で死亡した後、姉と離別し、周という中国人を介して、養父李善輝に預けられた。 |
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個票 |
16111 |
2 |
張 秀英、ちょう しゅうえい、女、6歳、O型 |
父、母、姉、兄、弟又は妹 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、奉天市にある二階建ての家に避難し、そこで弟または妹が死亡した。その後、同市にあった大きなビルの難民収容所に移動し、そこで母が死亡したため、本人は、養父張洪奎に引き取られた。姉と兄はそれぞれ別の中国人に引き取られた。 |
家の後方に川が流れ、豚や牛馬がいたことを覚えている。 |
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個票 |
16112 |
5 |
李 剣英、り けんえい、女、6歳、B型 |
父、母、兄、姉(18〜20歳)、弟又は妹 |
奉天省奉天市 |
終戦後、避難する途中、母が、奉天市の駅で煉瓦につまづいて転倒し死亡した。埋葬の日、父が本人を王という大工に預けた。王は2年後に死亡したため、その後、養父李亜州に引き取られた。 |
奉天市鉄西区に住んでいた。大きな家だった。 |
左足首の内側と右目の下にほくろ |
個票 |
16113 |
6 |
王 淑華、おう しゅくか、女、6歳、O型 |
母、兄 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市和平区馬路湾新華書店鎮善堂の裏、南満医学院内の難民収容所に避難した。20年10月、母がゴム工場で働いていた養家の長男王宝成を介して、南市区永安街1段17号に住む養父王貫一に本人を預けた。21年夏、母が会いに来たことがある。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2)、養家の長男の写真(資料3) |
左膝頭の上に三角形の傷あと |
個票 |
16114 |
7 |
蔡 栄秀、さい えいしゅう、女、6歳、AB型 |
父、母、姉、兄、弟(小さいころ死亡したらしい) 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母、姉、兄と本人は、汽車で奉天方面に避難する途中、爆撃を受け、母は胸を、本人は右腕を負傷し、姉、兄は行方不明になった。そして、奉天市南駅付近の難民収容所に入所した。母は、その怪我のために寝たきりだった。その後、20年10月、本人は、ある中国人を介して養母蔡張氏に引き取られた。 |
姉と兄は学校に通っていて、本人もその学校を見に行ったことがある。学校は、家の裏の畦道を2、3分歩いたところにあり、レンガ造りの平屋の建物だった。 |
右腕に傷あと |
個票 |
16115 |
8 |
李 秀蘭、り しゅうらん、女、6歳、O型 |
父、母、姉(12歳)、兄(9歳) |
奉天省奉天市 |
終戦後、父と別れた。ある晩、村で火事があり、村人と一緒に歩いて奉天市に避難した。そこで兄は中国人に預けられた。20年12月、母の死亡後、兄が預けられていた中国人に、姉と本人は引き取られた。その後、本人は養母高聡聞に引き取られ、姉も別の中国人に引き取られた。 |
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左足首に傷あと |
個票 |
16116 |
11 |
祁 鳳雲、き ほううん、女、6歳、B型 |
父、母、兄2人 |
奉天省奉天市 |
父は終戦前に死亡した。一家は奉天市鉄西区興順街に住んでいた。20年12月ごろ、母が奉天市で野菜を売っていた中国人李を介して、養母の姑に預けた。その後、養母宋淑珍に引き取られた。上の兄は、煎餅(チェンビン)屋の中国人賈に、その後、下の兄も別の中国人に引き取られた。 |
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個票 |
16117 |
12 |
畢 芳芝、ひつ ほうし、女、6歳、B型 |
父、母、兄2人、妹 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母は、2人の兄、妹とともに浜江省哈爾浜市から奉天市に避難し、同市鉄西区の難民収容所に入所した。そこで母が死亡したため、兄が妹をある中国人に預け、まもなく本人を養父畢作雲に預けた。 |
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4歳の時、左足小指から土井踏まずにかけて、鋤を踏んで切った傷あと |
個票 |
16118 |
12 |
歴 玉蘭、れき ぎょくらん、女、6歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
21年1月、奉天市の難民収容所で、野田という日本人女性を介して、養父歴永泉に預けられた。 |
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個票 |
16119 |
1 |
姜 少秋、きょう しょうしゅう、女、5歳、AB型 |
母、兄。他に兄弟がいたかもしれない。 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母は、本人を連れて奉天市の難民収容所に入所した。そこで母が病気になったため、理髪店を経営していた養父姜に引き取られた。 |
当時住んでいた家の付近の地図(資料) |
右股、臀部にあざ、両耳の上端がへこんでいる |
個票 |
16120 |
4 |
呉 桂蘭、ご けいらん、女、5歳、B型 |
父、母、姉2人、妹、弟 |
奉天省奉天市 |
渡満後、間もなく終戦となり、奉天市南駅の難民収容所に避難した。20年12月、父は病死し、弟が生まれたため、母が本人と妹を同じ中国人に預けた。当時本人は灰色のワンピースに毛糸のタイツ、革靴を履いていた。その後、内戦により妹とも別れた。上の姉の片手の指は、親指を除く他の4本の指がつながっていった。 |
海が近く、港があるところに住んでいた |
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個票 |
16121 |
8 |
王 淑栄、おう しゅくえい、女、5歳、O型 |
母 |
奉天省奉天市 |
終戦後、北安から奉天市に避難し、春日町小学校難民収容所に入所した。20年10月16日、母が養父王慶斉に預けた。その時、表が灰色で裏地が桃色の上着を着ていた。 |
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右腕に傷あと |
個票 |
16122 |
8 |
張 秀雲、ちょう しゅううん、女、5歳、B型 |
父、母、兄(11歳)、姉(8歳)、弟(4歳) 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
20年暮れ、母、兄、姉、弟と哈爾浜市から奉天市に避難した。弟は避難の途中で死亡した。奉天駅で、姉と本人は別々の中国人に預けられた。その後、本人は養父張崑に引き取られた。姉は田淑范として遼寧省開原県に健在である。 |
避難前に住んでいた家の周辺の地図(資料) |
背中に傷あと |
個票 |
16123 |
9 |
韓 喜梅、かん きばい、女、5歳、AB型 |
父、母、兄、姉 父は医者、姉も医療関係の仕事 |
奉天省奉天市 |
終戦時、父は足を負傷していた。母が、奉天市の収容所に連れて行き、門番だった警察官を介して、本人をサーカスの人に預けた。その後、養父韓世山に引き取られた。 |
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右手のひらに大豆大の黒い斑点、左大腿部に傷あと |
個票 |
16124 |
9 |
呂 淑珍、ろ しゅくちん、女、5歳、B型 |
ハツコと呼ばれていた 父、母。他に家族が大勢いた |
奉天省奉天市 |
奉天市橋立町に住んでいた。終戦後、父母が家の隣に住んでいた中国人の老婦人に本人を預けた。 |
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個票 |
16125 |
9 |
馬 茹鳳、ば じょほう、女、5歳、B型 |
父、母、兄2人、妹 |
奉天省奉天市 |
終戦後、北満の開拓団から貨物列車で奉天市に避難し、宮嶋町の難民収容所に入所した。妹は、避難する途中で死亡した。20年冬、同収容所で養父馬質彬に引き取られた。 |
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額の生え際にできもののあと |
個票 |
16126 |
10 |
楊 伝珍、よう でんちん、女、5歳、O型 |
父(死亡)、母、兄、弟 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
一家は奉天市に住んでいた。20年12月、母が奉天市、鉄西の難民収容所で本人を張起運に預けた。その後、養父楊家恩に引き取られた。弟も張起運を介して、別の中国人に預けられた。母は数回会いに来たが、21年秋に兄と帰国したらしい。 |
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左腋に大豆大のほくろ |
個票 |
16127 |
10 |
楊 芳秀、よう ほうしゅう、女、5歳、O型 |
カヨコ 父、母、弟2人 |
奉天省奉天市 |
一家は、奉天市加茂町に住んでいた。終戦後、広州市場で食堂を経営していた鉄玉栄を介して、王仕君に預けられたが、その後、養父楊子元に引き取られた。弟2人も別々の中国人に預けられた。3〜4歳のころ、やかんのお湯で左腕に火傷したことがある。 |
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左腕に火傷のあと |
個票 |
16128 |
11 |
李 玲珠、り れいしゅ、女、5歳、A型 |
父、母、兄(8〜10歳)、妹(2〜3歳) |
奉天省奉天市 |
終戦後、母、兄、妹とともに奉天市の日立株式会社の工場に収容された。妹は、工場で死亡した。母は、本人を同工場で働いていた養父李栄慶に預けた。その時、本人はグレーのズボンをはいており、母は、本人の名前と日本の住所を書いたメモを養父に渡した。翌年、母と兄が会いに来た。 |
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個票 |
16129 |
4 |
鳳 玉蘭、ほう ぎょくらん、女、4歳、A型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、母と一緒に汽車で奉天市に避難した。その時、隣に2〜3歳上の女の子がいた。母と本人は同市馮士昌宅に身を寄せたが、しばらくして母は本人を預けて立ち去った。その後、養父母に引き取られた。 |
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頭部右側に10円玉大の傷あと |
個票 |
16130 |
6 |
李 桂珍、り けいちん、女、4歳、B型 |
父、母、姉。妹がいたかもしれない。 牡丹江付近の開拓団 |
奉天省奉天市 |
母は、牡丹江付近でソ連軍の攻撃を受け死亡した。終戦後、一家は、奉天市の難民収容所に避難した。20年11月、同所で、父が養母の弟陳祥集を介して、同市南市場大黄桜に住む養父李盛山に預けた。当時、本人は髪が長く、白地に緑の花柄のある着物を着ていた。21年春、帰国の際に父が会いに来て、半日一緒に過ごした。 |
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右ももに約5センチの傷あと、胸とへその下にほくろ |
個票 |
16131 |
9 |
范 菊清、はん きくせい、女、4歳、O型 |
母、兄又は弟 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母が、奉天市奉天駅付近で養父范作霖に本人を預けた。 |
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左腕に小豆大の黒いあざ、右足裏に小豆大の赤いあざ |
個票 |
16132 |
10 |
孫 家箴、そん かしん、女、4歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
20年9月中旬、奉天市大東区において、中国人劉蔭清に保護され、大東区大東辺門外の野菜市場付近で、養父武術芳に引き取られた。劉蔭清は、奉天市大東区の満州日日新聞大東配給所に勤務していた。当時、本人は白い和服を着ておかっぱであった。 |
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背中にいぼと10円玉大のあざ |
個票 |
16133 |
11 |
李 桂和、り けいわ、女、4歳、O型 |
父、母 父は鉄道関係の仕事をしていたらしい |
奉天省奉天市 |
奉天市鉄道局の社宅に住んでいた。終戦後、奉天市の中国人の家で、一年間育てられた。その後、養父李欣然に引き取られた。 |
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右大腿部にできもののあと |
個票 |
16134 |
14 |
王 秀雲、おう しゅううん、女、4歳、A型 |
父、母、伯母(父方) 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市の難民収容所に入所した。同所において、伯母が当時日本の憲兵隊で働いていた養父王義和に預けた。その時、養父の友人竹夏次四郎が立ち会った。預けられた時、ポケットに「万里長城征破記念」の記章が入っていた。本籍は鹿児島県かもしれない。 |
記章の写真(資料) |
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個票 |
16135 |
15 |
張 恵英、ちょう けいえい、女、4歳、B型 |
父、母 父は奉天市の兵器工廠の責任者 |
奉天省奉天市 |
終戦後、父は兵器工廠社宅で、父と同じ職場で働いていた養父張鴻艦に本人を預け、部隊とともに帰国した。 |
父が、本人を養父に預けた時、渡したナイフの写真(資料) |
幼児期、頭全体に毛がなかった。腹に薄いあざ。右口許にほくろ。 |
個票 |
16136 |
15 |
楊 麗春、よう れいしゅん、女、4歳、O型 |
浜田 父、母、弟、妹、叔母(母方) 父は叔母と共に食堂兼旅館を経営 |
奉天省奉天市 |
一家は奉天市に住んでいた。父は、大工仕事や車の修理ができた。父母は、大阪出身らしい。21年5月ごろ、父母が、楊殿往を介して、養父楊復敏に本人を預けた。その時、赤いオーバーと、ベージュ地に青い水玉模様のスカートを履いていた。その後、家族は帰国した。 |
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右太もも内側に米粒大の黒いあざ |
個票 |
16137 |
2 |
申 美清、しん びせい、女、3歳、B型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
奉天市大和区藤浪町に住んでいた。父は戦死したらしい。終戦後、母は本人とともに、中国人の警察官と同居していた。その後、本人は養母史敬風に引き取られた。 |
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個票 |
16138 |
9 |
李 秀雲、り しゅううん、女、3歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
21年正月ごろ、奉天市北市場で中国人に保護され、養父に引き取られた。 |
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左耳に傷あと |
個票 |
16139 |
9 |
王 蘭芳、おう らんほう、女、3歳、B型 |
父、母、兄又は姉3〜4人 |
奉天省奉天市 |
奉天市和平区中山路付近に住んでいた。21年秋、家族が帰国する際、家の向かいにあった雲裳服装公司の主人胡金山に引き取られた。 |
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胸と背中に黒い小さなあざ |
個票 |
16140 |
10 |
? 金鳳、てき きんほう、女、3歳、A型 |
父(一郎)、母、祖父、祖母、叔父、叔母 父は商人らしい |
奉天省奉天市 |
一家は、奉天市内の公園付近に住んでいた。20年夏、父母が小商いをしていた養父?に預けた。その後、両親は、叔父、叔母と共に帰国した。 |
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右乳房の下に赤いあざ |
個票 |
16141 |
11 |
雷 翠玉、らい すいぎょく、女、3歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年10月ごろ、奉天市の難民収容所で、養父雷魁元夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
16142 |
12 |
韓 秀雲、かん しゅううん、女、3歳、B型 |
父、母、姉(10〜11歳)、兄(8〜9歳) |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、北の方から奉天市に避難してきた。20年11月ごろ、奉天南駅北両洞橋の東側にあった難民収容所の2階で、父が、養父韓成平に預けた。2週間後、父と兄が同市皇姑区光明街の養家に会いに来た。 |
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顔左側と両足に凍傷のあと |
個票 |
16143 |
15 |
楊 桂蘭、よう けいらん、女、3歳、A型 |
父、母、弟 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市和平区沙山街で、1人で遊んでいたところを養父母に保護された。 |
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個票 |
16144 |
11 |
剛 守蓮、ごう しゅれん、女、2歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
20年晩秋、奉天駅付近の難民収容所で、養父剛傅華と張に引き取られた。 |
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右目下、背中の左と足のかかとにほくろ、左乳房にあざ |
個票 |
16145 |
11 |
張 国華、ちょう こくか、女、2歳、B型 |
父、母、姉 |
奉天省奉天市 |
20年10月、母が、奉天市四川街の難民収容所で、養母石桂芳に本人を預けた。姉は斜視だった。 |
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左目下のまぶたに傷あと |
個票 |
16146 |
11 |
国 淑秋、こく しゅくしゅう、女、2歳、AB型 |
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奉天省奉天市 |
20年秋、養父国坤山の義理の息子李鳳山が奉天北側の難民収容所で引き取り、養父に預けた。 |
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個票 |
16147 |
12 |
薛 俊瓏、せつ しゅんろう、女、2歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天省奉天駅付近の加川茂街の難民収容所で、ある中国人を介して、人力車夫をしていた養父薛殿寧に預けられた。当時、母と本人は病気だった。 |
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個票 |
16148 |
14 |
徐 桂蘭、じょ けいらん、女、2歳、O型 |
父、母 父は軍人 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市沙山三台子で、養父路徳恒に保護された。 |
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個票 |
16149 |
13 |
王 秀珍、おう しゅうちん、女、1歳、O型 |
父(死亡)、母(伊藤) 母は奉天市和平区南五条の中山病院の経理係 |
奉天省奉天市 |
終戦後、母が死亡したため、養父王玉山に引き取られた。 |
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腹部右上に大豆大のほくろ |
個票 |
16150 |
14 |
潘 玉琴、はん ぎょくきん、女、1歳、O型 |
|
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天南駅前の大通りで、当時雑貨店を経営していた養父潘錫福に保護された。その時はおかっぱで綿入れを着ていた。 |
|
|
個票 |
16151 |
10 |
胡 恵娟(胡 惠娟)、こ けいけん、女、6ヶ月、O型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
21年春、母が奉天市遂川街の迎春楼で、番頭をしていた養父胡振声に預けた。その時、本人は、毛織りの外套と白い色のケープを着ていた。 |
|
左大腿部の付け根に米粒大のほくろ |
個票 |
16152 |
15 |
劉 躍弟、りゅう やくてい、女、4ヶ月、AB型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
終戦後、両親と奉天市太原街の難民収容所に入所した。20年9月、母が病気になったため、同所で養父劉会恩に預けられた。当時、養父は奉天市電話局で修理工をしていた。 |
養父の写真(資料) |
右口許上部にほくろ |
個票 |
16153 |
9 |
王 虹、おう こう、女、2ヶ月、B型 |
|
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天市大西門近くにあった「同善堂」付近で、中国人を介して、養母王周氏に預けられた。 |
|
|
個票 |
16154 |
5 |
蒋 麗、しょう れい、女、1ヶ月、O型 |
父、母、長兄(18歳)、次兄(16歳)、三兄(13歳) |
奉天省奉天市 |
父母は20年夏と21年に相次いで死亡した。21年3月ごろ、兄たちが帰国する際、蒋本礼の紹介で、李という警察官立ち会いのもとに、奉天市南十条にあった金高麗という朝鮮人の隣の家で、養母が本人を引き取り連れ帰った。その時、養母と長兄は、本人の生年月日、養父の名前等のメモを交換した。 |
|
頭の右上に傷あと |
個票 |
16155 |
12 |
王 宝琴、おう ほうきん、女、21年2月生、O型 |
父、母、兄(5歳)、本人と双子の男児(死亡) |
奉天省奉天市 |
母は死亡した。21年7月、奉天市和平区中山路浪木通りの中国青年軍学書店の階上のおばの家で、宋を介して養父王銘山、養母劉居華に預けられた。養父は、「松鶴春飯店」を経営していた。 |
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眉間にほくろ |
個票 |
16156 |
11 |
李 小納、り しょうのう、女、22年6月生、B型 |
|
奉天省奉天市 |
22年8月ごろ、奉天市小轉盤で中国人女性の郭を介して、養母何淑芳に引き取られた。その時、白い絹の着物を着ていた。 |
|
|
個票 |
16157 |
5 |
劉 鳳蘭、りゅう ほうらん、女、8歳、A型 |
キヨコ父、母、姉、妹、兄2人(戦前死亡)、弟3人北満の開拓団 |
奉天省撫順市 |
20年9〜10月ころ、汽車で奉天省撫順市に避難し、老虎台難民収容所に入所した。一番下の弟は老虎台で死亡し、妹と弟2人はいつ死亡したか不明である。その後、母も死亡した。父は本人と姉を中国人に預けた後死亡した。姉はその後帰国した。 |
家の中に壁掛け手廻し式電話と父の刀があった。 |
左大腿部の上部に犬にかまれたあと |
個票 |
16158 |
9 |
孔 献蘭、こう けんらん、女、8歳、A型 |
父(40歳前後)、母(40歳前後)、兄2人(11〜12歳、10〜11歳)、妹(6〜7歳)、弟または妹(4〜5歳) |
奉天省撫順市 |
父は、20年5〜6月応召した。父の応召前に下の子(性別不明)が死亡した。終戦後、母は北満で行方不明となった。その後、ある日本人婦人とともに奉天省撫順市に避難し、20年11月、永安台国民学校収容所に入所した。李、王に引き取られたが、すぐに収容所に戻ってきてしまい、後に朱家に引き取られた。次兄も粮桟街の中国人に引き取られた。 |
小学校に3か月くらい通った。 |
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個票 |
16159 |
2 |
富 秀雲、ふ しゅううん、女、7歳、A型 |
母、姉(12〜13歳) |
奉天省撫順市 |
終戦後、一家は奉天省撫順市南台の市電停留所付近にある二階建ての階下に住んでいた。21年3月ごろ、南台停留所から、ある中国人男性に連れられ、その男の家に行った。その後、数人の手を経て養父富に引き取られた。 |
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両手親指の付け根、右大腿外側、左大腿内側、へその下に火傷のあと |
個票 |
16160 |
5 |
馬 玉珍、ば ぎょくちん、女、7歳、A型 |
父・母・姉2人(20歳、15歳)北満の開拓団 |
奉天省撫順市 |
父は奉天省新民県から奉天省撫順市に避難する途中、行方不明となった。母は撫順の永安台難民収容所に到着後、20日ぐらいで死亡した。20年11月、撫順永安台学校で、姉が、撫順南駅鉄道工夫だった養父袁福財に本人を預けた。 |
|
右手の甲に火傷のあと |
個票 |
16161 |
8 |
張 秀珍、ちょう しゅうちん、女、7歳、B型 |
父、母、姉 |
奉天省撫順市 |
終戦後、老夫婦と奉天省撫順市に避難したが、途中ではぐれ、40歳くらいの男に連れられて、同市老虎台の難民収容所に入所した。21年1月、同収容所で養父張希京に引き取られた。 |
|
両手の小指が少し内側に曲がっている |
個票 |
16162 |
2 |
沈 玉鳳(瀋 玉鳳)、ちん ぎょくほう、女、6歳、A型 |
父、母、弟2人(1人は現地で出生)父は鉄道関係の仕事をしていた。 |
奉天省撫順市 |
20年春に渡満し、牡丹江の洋館に住んでいた。終戦後、奉天省撫順市南台の難民収容所に入所した。そこで下の弟が死亡した。21年2月、父母が野菜売りの徐金蘭を介して沈夫人に預けた。その後、父と上の弟は死亡したらしい。 |
家から海が近く、時々、父が車で弟を連れて海岸に貝取りに行った。また、門前に、水を満々と湛えた井戸があり、子供でも手で水をすくうことができた。牡丹江市の洋館は、灰色の三階建てで大きかった。入り口は建物の裏側にあり、出ると広場があって、そこを通って駅に通じる公道に出た。前方にはコンクリートの橋があり、橋の上は道路で下は鉄道であった。 |
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個票 |
16163 |
9 |
李 玉蘭、り ぎょくらん、女、6歳、A型 |
佐藤シマコ母、兄2人、姉、弟 |
奉天省撫順市 |
終戦後、一家は、哈爾浜市郊外の開拓団から、奉天省撫順市老虎台大房子難民収容所に入所した。21年、同収容所で本人は養父李国財に預けられた。弟も別の中国人に預けられた |
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額にほくろ |
個票 |
16164 |
15 |
寧 佩珍、ねい はいちん、女、6歳、O型 |
父、母、姉2人、兄 |
奉天省撫順市 |
終戦後、家族が帰国する時、奉天省撫順市新撫区花楽園で、養父寧玉和に預けられた。 |
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左足甲に火傷のあと |
個票 |
16165 |
8 |
回 鳳雲、かい ほううん、女、4歳、O型 |
母 |
奉天省撫順市 |
20年12月ごろ、奉天省撫順市粮桟街の難民収容所で、母が種子島法子を介して、中国人の段培養に預けた。その後、養父回文廷に引き取られた。 |
養母の写真(資料) |
左のもみあげにほくろ |
個票 |
16166 |
8 |
范 桂琴、はん けいきん、女、4歳、A型 |
母、姉、兄 |
奉天省撫順市 |
21年5月、奉天省撫順市南台の難民収容所で、ボイラー係の尹長甲に預けられた後、養父范春発に引き取られた。 |
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左腋の下にほくろ2つ、右腋の下にほくろ1つ |
個票 |
16167 |
8 |
張 鳳環、ちょう ほうかん、女、4歳、A型 |
父、母、兄、姉芸妓屋を経営 |
奉天省撫順市 |
父は、奉天省撫順市新楊町で、渡辺という人と一緒に芸妓屋を経営していた。終戦後、芸妓屋の従業員姚志明に預けられた後、23年7月、養父張福才に引き取られた。 |
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腹部と背中に約一センチのほくろ |
個票 |
16168 |
8 |
鄭 玉琴、てい ぎょくきん、女、4歳、O型 |
父、母。姉2人、兄1人がいたらしい。 |
奉天省撫順市 |
父は戦死し、母は避難途中病死したらしい。20年9月ごろ、奉天省撫順市撫順南駅で、30歳くらいの日本人女性が、たばこの小売りをしていた養父鄭淑利に預けた。 |
肉親のものと思われる手提げ袋の写真(資料) |
右太ももにほくろ |
個票 |
16169 |
9 |
田 玉芬、でん ぎょくふん、女、4歳、B型 |
父、母、兄又は弟 父は、撫順市葛山電機製作所に勤務 |
奉天省撫順市 |
父は、終戦前に行方不明となった。終戦後、奉天省撫順市で、母は豊瑞鉄工所の料理人張を介して、養父田豊年に本人を預け、兄を連れて帰国した。豊瑞鉄工所の隣に、鉄工所を経営していた柴田が住んでいた。 |
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個票 |
16170 |
14 |
徐 亜琴、じょ あきん、女、4歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
奉天省撫順市南台に住んでいた。終戦後、同市で養母何素芬に保護された。 |
家の付近に教会があったらしい。 |
耳と胸にあざ |
個票 |
16171 |
14 |
尚 栄蘭、しょう えいらん、女、4歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
終戦時、奉天省撫順市で養父尚成金に保護された。 |
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右手の甲に大豆大、左脇腹に米粒大のそれぞれほくろがある。 |
個票 |
16172 |
9 |
魏 秀珍、ぎ しゅうちん、女、3歳、B型 |
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奉天省撫順市 |
奉天省撫順市老虎台の鉱山で働いていた張保清を介して、養父に引き取られた。 |
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個票 |
16173 |
10 |
董 桂珍、とう けいちん、女、3歳、B型 |
母、弟 父は軍人らしい |
奉天省撫順市 |
終戦後、北満から奉天省撫順市に避難し、大山坑難民収容所に入所した。同所で母と弟は死亡した。その後、30歳くらいの日本婦人から養父董利崑に預けられた。 |
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個票 |
16174 |
10 |
李 援(李 媛)、り えん、女、3歳、O型 |
父、母、兄、姉、妹又は弟 |
奉天省撫順市 |
ソ連参戦後、母は子供達を連れて汽車で奉天省撫順市に行き、永安台のボイラー室に避難した。20年11月ごろ、撫順市山東崗で、母が本人を炭坑夫をしていた養父孫連成に預けた。その時、本人は半袖の縞の上着に白地に赤い水玉の服を着ていた。また、体には、できものがたくさんできていた。 |
家は平屋の一戸建てで、入り口は暖房のため二重になっていた。駅からは、アスファルトの道路をまっすぐ来て、曲がったところにあった。駅まで兄、姉と3人で、父を迎えに行ったことを覚えている。養父母の写真(資料) |
左右の膝下及び右足甲に傷あと |
個票 |
16175 |
14 |
劉 亜軒、りゅう あけん、女、3歳、B型 |
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奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市の老虎台砿開拓会場のアンペラ小屋で、養母劉殿英に引き取られた。当時養父の李文元は靴屋で布靴を作っていた。 |
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個票 |
16176 |
13 |
高 淑範、こう しゅくはん、女、2歳、O型 |
父、母 父は龍鳳炭鉱に勤めていたらしい |
奉天省撫順市 |
一家は、奉天省撫順市に住んでいた。ソ連参戦後、老婦人により、養母王勤に預けられた。 |
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個票 |
16177 |
11 |
劉 淑珍、りゅう しゅくちん、女、2歳、B型 |
父、母 父は撫順炭鉱の労務係 |
奉天省撫順市 |
奉天省撫順市北大井大深坑山岐号にあった長屋に住んでいた。終戦時、勝利坑という炭鉱で、撫順炭鉱の炭鉱夫長を介して、中国人に預けられた。その後、養母劉桂蘭に引き取られた。 |
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唇の右下、右手小指の先、右臀部下にほくろ |
個票 |
16178 |
11 |
殷 勤、いん きん、女、1歳、A型 |
父、母、兄又は姉2人 |
奉天省撫順市 |
父は応召した。終戦後、奉天省撫順市の競馬場東大井付近の南台難民収容所に入所した。20年9月ごろ、母が同市大宮屯駅付近で、中国人呉を介して、養父殷如意に本人を預けた。 |
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個票 |
16179 |
14 |
董 桂香、とう けいこう、女、21年生、B型 |
母 |
奉天省撫順市 |
21年、北満から避難してきたらしい。母が、当時奉天省撫順駅に勤務していた養父董徳厚の妹に預けた。 |
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へその上に小豆大のほくろ |
個票 |
16180 |
11 |
呂 徳娟、ろ とくけん、女、5歳、O型 |
小島春子 父、母 父は建築関係の仕事 |
奉天省鞍山市 |
父は応召した。20年12月、母が、奉天省鞍山市で、同省遼陽市の日満協和会の通訳金玉山を介して養父呂忠周に預けた。 |
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個票 |
16181 |
10 |
尚 桂琴、しょう けいきん、女、3歳、AB型 |
父、母、兄(12歳)父は鉄工所に勤務 |
奉天省鞍山市 |
20年に母は爆撃により死亡した。21年10月、父は、兄と本人を連れ奉天省鞍山市に来て、同市鉄西区楽天地鞍盛工廠で働いていた。父が、本人をその工場の支配人で近所に住んでいた養父尚其山に預けた。父と兄は、21年12月に帰国した。 |
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個票 |
16182 |
12 |
林 玉佩、りん ぎょくはい、女、3歳、A型 |
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奉天省鉄嶺県 |
終戦後、奉天省鉄嶺県で許少武に引き取られ、その後、転々と養家を移り、同省撫順市の養父林玉亭に引き取られた。 |
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右太ももの内側に小さいほくろ |
個票 |
16183 |
7 |
金 旭、きん きょく、女、2歳、O型 |
父、母、姉 父は奉天省鉄嶺県の軍需工場に勤務 |
奉天省鉄嶺県 |
20年秋、奉天省鉄嶺県新市街に住む養父趙文竜に、同家の前に立っていたところを保護された。その時、本人は、花柄の洋服を着ていた。趙は朝鮮人で、当時餅売りをしていた。 |
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右肩後ろに傷あと、左肘の内側にほくろ |
個票 |
16184 |
6 |
李 桂蘭、り けいらん、女、4歳、A型 |
父、母、兄2〜3人(12歳、10歳、不明)、姉(7歳)四平省開原県金溝子開拓団 |
奉天省鉄嶺市 |
父は、開拓団居住地で死亡した。20年秋、一家は、奉天省鉄嶺県鉄嶺市に避難した。21年4月ごろ、母が、同市でクズ拾いと食品店をやっていた老婦人李及び、その家で手伝いをしていた日本人青年小林を介して、夫婦で鍛冶屋をやっていた養母王淑貞に、康徳製粉工場の二階で本人を預けた。22年春、帰国の際に母が養家に会いに来た。 |
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個票 |
16185 |
62-2 |
杜 万春、と まんしゅん、男、7歳、O型 |
母、兄2人、弟 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、貨車で奉天市に避難した。20年10月ごろ、同市の難民収容所で長兄を中国人に預け、その後、次兄は孫維国に、本人は杜炳文に預けられた。 |
家からは富士山が見え、富士を背にすると海が見えた。家は平屋で、近くに線路があった。渡満する前、家は空襲にあって焼けた。 |
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個票 |
16186 |
62-1 |
余 振家、よ しんか、男、6歳、B型 |
父、母 父は、衣類・革靴の仕入れをしていた。母は、ウエイトレス。 |
奉天省奉天市 |
21年夏、奉天北駅で母とはぐれ、泣いていたところを、養父余廣清に保護された。 |
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個票 |
16187 |
62-2 |
王 国安、おう こくあん、男、5歳、B型 |
父、母、妹 |
奉天省奉天市 |
母に連れられ渡満した後間もなく終戦となった。終戦後、奉天市の難民収容所で本人と妹は別々の中国人に引き取られたが、間もなく妹は死亡した。その後、本人は現養父王新権に引き取られた。 |
コ型の家の北側に住んでいた。 |
右手親指の付け根に日本で手術した傷あと、左手の小指が短い |
個票 |
16188 |
62-1 |
何 鳳来、か ほうらい、男、4歳、A型 |
|
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市で中国人婦人に引き取られた。その後、李彦行を介して、養父母に引き取られた。 |
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右額と右ほほにほくろ |
個票 |
16189 |
62-2 |
景 錫孝、けい しゃくこう、男、3歳、A型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年12月、黒竜江省から避難し、奉天市加茂町の難民収容所に入所した。その後、母が同所で王を介して養父景盛祥に預けた。 |
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右下腿に小豆大のおできのあとが4つ |
個票 |
16190 |
62-2 |
趙 立業、ちょう りつぎょう、男、3歳、O型 |
母以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年10月ごろ、奉天市の春日小学校難民収容所で養父趙永徳に引き取られた。 |
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個票 |
16191 |
63-2 |
黄 瑛、こう えい、男、3歳、A型 |
「かっちゃん」又は「かずちゃん」と呼ばれて いた父、母 |
奉天省奉天市 |
23年夏、奉天市で警察に保護され、その後、劉桂蘭という老婦人を介して、養父黄興忠に引き取られた。保護された時、半袖のシャツでつりひも付きの半ズボンをはいていた。 |
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左臀部に火傷のあと、右耳下に赤いあざ |
個票 |
16192 |
63-2 |
楊 建言、よう けんげん、男、1歳、O型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
21年秋、奉天市の難民収容所で、両親が趙玉美を介して養父楊澤民、養母于蘭栄に預けた。 |
|
右足の甲に楕円形の傷あと、左足の甲に三日月型の傷あと |
個票 |
16193 |
62-1 |
王 喜和、おう きわ、男、6ヶ月、A型 |
父、母、兄父は軍人 |
奉天省奉天市 |
20年8月、母が奉天市で靴直しの中国人の老人を介して、奉天市西北市場で染料店を営む養父于に本人を預けた。 |
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右の肘下及び手首上に米粒大の青黒いあざ、偏平足 |
個票 |
16194 |
63-2 |
黄 雅東、こう がとう、男、4歳、O型 |
父、母、兄、姉 |
奉天省撫順市 |
20年10月、奉天省撫順市の難民収容所で、中国人を介して養父黄慈泉、養母聶志蓮に引き取られた。 |
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口の右下部にほくろ |
個票 |
16195 |
63-2 |
袁 宝貴、えん ほうき、男、4歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
20年冬、奉天省撫順市老虎台で中国人劉を介して養父袁廷玉、養母袁劉氏に引き取られた。 |
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個票 |
16196 |
63-2 |
高 承達、こう しょうたつ、男、3歳、B型 |
父、母 |
奉天省撫順市 |
20年9月ごろ、奉天省撫順市の南駅付近で養父高鳳芝に引き取られた。養父は行商人、養家の近くにイスラム教の「清香寺」があった。 |
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個票 |
16197 |
62-1 |
郭 慧傑、かく けいけつ、男、7ヶ月、AB型 |
父以外不明父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
20年冬、奉天省撫順市の神社で養父郭効愚に引き取られた。 |
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個票 |
16198 |
63-2 |
孫 玉忠、そん ぎょくちゅう、男、4ヶ月、B型 |
母以外不明 |
奉天省撫順市 |
20年8月、奉天省撫順市東公園町久保町で、母が李福坤及び楊金元に毛布にくるんだ本人を預けた。その後、養家に引き取られた。 |
仲介者李福坤の写真(資料) |
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個票 |
16199 |
平元 |
趙 錫森、ちょう しゃくしん、男、4歳、O型 |
父、母、妹 父は憲兵隊員らしい、母は奉天市の造兵所で工具係をしていた。 |
奉天省奉天市 |
20年8月、奉天市で父が興太盛顔料店(ペンキ屋)を経営していた養父趙建英に預けた。 |
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個票 |
16200 |
平2 |
王 継昌、おう けいしょう、男、5歳、A型 |
父、母、姉開拓団 |
奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市に避難し、同市老虎台の難民収容所に入所。20年11月、同所で母が大工の金と楊占奎を介して、養父王仁政に預けた。 |
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胸部(肋骨の両側)と下腹部にほくろ |
個票 |
16201 |
平2 |
孫 玉佩、そん ぎょくはい、男、3歳、A型 |
父(「下拉(カラ)さん」と呼ばれていた。)、母、弟(1歳)父は奉天市の「柳園」という屋号の家具職人 |
奉天省奉天市 |
20年12月、奉天市の難民収容所で病気の母、弟とともに養父孫方田に引き取られた。21年2月、母は死亡。弟は別の中国人に引き取られたが、その後死亡したらしい。 |
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個票 |
16202 |
62-1 |
葉 桂芝、よう けいし、女、10歳、O型 |
オヨコ又はミヨコ父、母、妹(8歳)、妹(サルコ、3歳) |
奉天省奉天市 |
終戦後、母は子供達を連れて奉天市の難民収容所に入所した。20年10月ごろ、母が本人を輪タク引きの葉福順に預けた。下の妹は死亡した。 |
|
左手小指が少し曲がっている |
個票 |
16203 |
62-2 |
程 桂雲、てい けいうん、女、5歳、B型 |
父、母 |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天南駅の難民収容所に入所。20年11月、母が同所で養母程梁氏に助けた。 |
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右嘴、右足甲におできの跡、両耳難聴 |
個票 |
16204 |
62-2 |
梁 玉芝、りょう ぎょくし、女、4歳、A型 |
父、母、数人の姉や妹 父は家具作り等の仕事ができた |
奉天省奉天市 |
終戦後、父が奉天市で輪タクの車夫をしていた梁保福を介し、同市北陵のレンガ工場で働いていた養父梁西林に預けた。その時、あずき色で竜の模様がついた丸い花瓶を渡した。養家まで姉が付き添っていき、数日泊まって帰った。帰国の際、上の姉が連れ戻しに来たが、養父母は承諾しなかった。 |
|
|
個票 |
16205 |
62-2 |
田 桂苓、でん けいれい、女、2歳、O型 |
父以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年8月末、奉天市奉天南駅で養父に保護された。その時、白地に紅の水玉のワンピースを着て、下駄をはいて指には金の指輪をしていた。その後、父が養父田九正に会いに来た時に、養父の左腕に「父ジュショ、九正」と入れ墨をし、すき焼き鍋に金の指輪を入れて、「これを売って本人の病気を治すように」と頼んだ。 |
入れ墨の写真(資料1)、本人の左手薬指の写真(資料2)、すき焼きなべの写真(資料3) |
左手薬指内側に入れ墨2か所、右耳下に小豆大の火傷のあと |
個票 |
16206 |
63-1 |
解 玉萍、かい ぎょくへい、女、1歳、A型 |
叔父(母の妹の夫)父は軍人 |
奉天省奉天市 |
19年、両親は死亡。20年12月ごろ、叔父が同僚の養父王鳳剛に預けた。 |
叔父は、奉天市鉄西区の大信申銅鋳造廠に勤務 |
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個票 |
16207 |
63-2 |
姜 鳳雲、きょう ほううん、女、1歳、B型 |
発音は「フーズ」(漢字に当てはめると「福子」か「富子」)父、母、兄 |
奉天省奉天市 |
20年10月ごろ、奉天市南駅付近で、母が曹占山に預けた。その時兄がいて、本人は赤い綿入れを着ていた。 |
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個票 |
16208 |
63-2 |
秦 秀栄、しん しゅうえい、女、1歳、O型 |
父、母、兄父は軍人 |
奉天省奉天市 |
20年9月、奉天市で母が養父秦乃利、養母陳淑芝に預けた。その時、軍用毛布2枚(その1枚には「中村」と縫い取りがあった。)が入っている包みがあった。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
16209 |
63-2 |
謝 秀英、しゃ しゅうえい、女、7歳、B型 |
伯父(父の兄)、弟(5歳) |
奉天省撫順市 |
20年9月、奉天省撫順市老虎台萬達屋収容所で、張福祥に引き取られた。その時、張は伯父に酒2本を買って渡した。弟は別の中国人に引き取られた。 |
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個票 |
16210 |
63-1 |
谷 淑清、こく しゅくせい、女、5歳、O型 |
母、弟、妹(3歳) |
奉天省撫順市 |
一家は奉天市に住んでいたが、20年、奉天省撫順市久保町小白桜に移った。21年6月ごろ、母が撫順市で同市歓楽園老君廟三胡同に住んでいた養父谷世俊に子供達を預けた。弟はまもなく死亡した。 |
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左腕の上部に米粒大のほくろ、襟首に小豆大のほくろ |
個票 |
16211 |
62-2 |
李 鳳芹、り ほうきん、女、4歳、O型 |
母、姉 |
奉天省撫順市 |
20年11月ごろ、日本人婦人が奉天省撫順市の老虎台採炭事務所南側の難民収容所で養父李新生に預けた。その時、防空頭巾(緑色でふち取りが黄色の帽子)様の物をかぶっていた。 |
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足の中指が短い |
個票 |
16212 |
62-2 |
宗 金嶺、そう きんれい、女、4歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
20年8月、奉天省撫順市の亜西亜という建物にあった難民収容所で、日本人婦人が養母郭欽芝に預けた。 |
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頭の右上部に2cmくらいの傷あと |
個票 |
16213 |
62-2 |
陳 素芹、ちん そきん、女、2歳、O型 |
父、母石油 工場 に 勤めていたらしい |
奉天省撫順市 |
20年8月、父母が奉天省撫順市で養父陳玉山に預けた。 |
実父母が残した一反の布生地の写真(資料) |
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個票 |
16214 |
62-2 |
王 淑娟(王 素娟)、おう しゅくけん、女、2歳、B型 |
父、母 |
奉天省撫順市 |
21年春、撫順市にあった露店の餅売の店の前で父母とはぐれ、2人の中国人に保護された後、養父孫鳳金に引き取られた。 |
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個票 |
16215 |
63-2 |
谷 淑華、こく しゅくか、女、2歳、O型 |
母、姉(5歳)、弟 |
奉天省撫順市 |
20年9月、奉天省撫順市北台久保町から馬車で養家に行き、母が養父谷世俊に子供達を預けた。その後、弟は死亡した。 |
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個票 |
16216 |
62-2 |
鄒 春栄、すう しゅんえい、女、1歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
20年10月、奉天省撫順市で、朱和堂を介して養父張蘭亭に引き取られた。 |
|
預けられた時、頭中おできだらけで、また、ややО脚であった |
個票 |
16217 |
63-2 |
範 萍、はん へい、女、1歳、O型 |
父、母、兄父は炭鉱で働いていた。 |
奉天省撫順市 |
21年3月、奉天省撫順市で、父が同じ炭鉱で働いていた養父範忠臣に預けた。 |
肉親と思われる花嫁姿の女性の写真(資料) |
右耳の後ろにほくろ |
個票 |
16218 |
62-2 |
哈 東轅、は とうえん、女、20年6月生、A型 |
母以外不明 |
奉天省撫順市 |
20年6月、奉天省撫順市の天生医院で出生。生後1週間目に、医院の事務長孫振芳と病室係の祝平を介して、養母王連英に預けられた。実母が縫った白いさらしの和服を着、赤い毛糸のひもを腰の回りに一巻して胸の前で結んでいた。実母は養母の家を一度訪ねたが、その時「游」の字と「6月15日生」であることを告げた。 |
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個票 |
16219 |
62-2 |
李 桂清、り けいせい、女、1歳、B型 |
父、母 父は軍人らしい |
奉天省法庫県 |
20年秋、奉天省法庫県北門外市場付近の路上で住民の襲撃を受けた時、養母の母に保護された。その時、カーキ色の軍用毛布と白いタオル(マフラー?)に包まれ、いろいろな色模様のある上衣と白い毛糸のパンツを履いていた。白、青、黒三色の毛糸の帽子をかぶっていた。毛布の中には、牛皮背表紙の書類バサミ(中には軍用地図、赤青の鉛筆、青いラシャのズボンなど)が包まれていた。 |
保護されたとき着ていた半袖上着の写真(資料) |
背中に3センチの傷あと、左手掌に小さなほくろ様のあざ |
個票 |
16220 |
平元 |
劉 巧玉、りゅう こうぎょく、女、7歳、A型 |
えつこ父、母、伯父、伯母、いとこ3人 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
20年11月、奉天南駅付近で売っていたタバコとマッチを取られて泣いていたところ、日本人の男の子を介して養母韓素梅に引き取られた。 |
奉天市南関の伯父(父方)の家で母と一緒に生活していたが、19年に母は死亡した。 |
左わき腹にあざ、右胸にほくろ |
個票 |
16221 |
平元 |
于 淑珍、う しゅくちん、女、8歳、A型 |
父、母、兄、弟開拓団 |
奉天省奉天市 |
父は応召。20年8月、一家は開拓団員と共に奉天市に避難し、難民収容所に入所。同所で兄が死亡。同年10月、同所で母が養父于鼎和、養母許桂清に預けた。母は弟と一緒に養家の近くに住んでいたが間もなく死亡、弟は別の中国人に引き取られた。 |
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個票 |
16222 |
平元 |
郭 玉華、かく ぎょくか、女、2歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
20年10月、奉天駅で雑役夫ををしていた養父郭恵廉に引き取られた。 |
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右手の甲にあざ、右肩に傷あと、あごにほくろ |
個票 |
16223 |
平2 |
周 書義、しゅう しょぎ、女、5歳、O型 |
父(「いとう」かもしれない)、母、姉(11〜12歳)、妹(3〜4歳) |
奉天省奉天市 |
20年秋か21年春、奉天市のを養家で、父母が養父同永平、養母丁桂清に預けた。その時、黄緑色の毛糸の外套を着て、同色の毛糸の帽子をかぶっていた。また、本人の生年月日は昭和15年11月8日であると母は養父に言った。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
右目頭下と額の左に米粒大のほくろ、左脇腹にあざ |
個票 |
16224 |
平元 |
臧 筱青、ぞう しょうせい、女、3歳、AB型 |
父、母、姉、叔母 |
奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市南台馬場電車駅付近で老人を介して、養母臧景環に引き取られた。 |
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個票 |
16225 |
平元 |
趙 桂芝、ちょう けいし、女、3歳、O型 |
父、母 父は軍人(戦死) |
奉天省撫順市 |
20年9月、奉天省撫順市で母が養父李鳳久の同僚を介して、養母張鳳英に預けた。翌日、母はセーターと軍服を改造したオーバーを置いていった。また、本人の生年月日は1942年3月21日であると母は養母に言った。 |
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襟首にほくろ |
個票 |
16226 |
平元 |
羅 緯、ら い、女、3歳、AB型 |
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奉天省撫順市 |
20年12月、奉天省撫順市で養父羅裕凱に引き取られた。 |
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個票 |
16227 |
平元 |
李 秉春、り へいしゅん、女、3歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
21年夏、奉天省撫順市で魏を介して、養父遅和敬、養母周蘊華に引き取られた。 |
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右まぶたにほくろ |
個票 |
16228 |
1 |
李 菊梅、り きくばい、女、1歳、B型 |
父、母、兄(4〜5歳) |
奉天省撫順市 |
終戦後、父母、兄とともに奉天省撫順市に避難した。20年10月ごろ、同市の難民収容所で養父李殿起に引き取られた。 |
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個票 |
16229 |
平元 |
閻 蘭廷、えん らんてい、女、2歳、B型 |
父、母、兄、姉 父は軍人 |
奉天省撫順市 |
20年10月、奉天省撫順市の駅付近で母が養母李季梅に預けた。その時、日本の旗で包んだ写真と手紙、掛け時計を置いていった。 |
掛け時計の写真(資料) |
腹部に大豆大のあざと親指大の黒いあざ |
個票 |
16230 |
平2 |
張 麗娟、ちょう れいけん、女、5歳、A型 |
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奉天省営口市 |
20年8月ごろ、奉天省営口市新市街老局胡同で養父郎永恒に引き取られた。その時、髪型はオカッパで和服を着ていた。 |
奉天省営口市新市街(満鉄病院の東側)に住んでいたらしい。 |
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個票 |
16231 |
平2 |
劉 忠蘭、りゅう ちゅうらん、女、昭20年10月生、A型 |
久木田幸子 |
奉天省撫順市 |
22年8月、奉天省撫順市の駅で、日本人から劉広富を介して、養父劉志強に預けられた。 |
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首の右側に米粒大のほくろ |
個票 |
16232 |
平元 |
畢 淑玉、ひつ しゅくぎょく、女、5歳、B型 |
父、継母、(実母は渡満前に死亡)父は鉄道員 |
奉天省復県 |
父は応召。ソ連参戦後、継母とともに奉天省復県瓦房店街に避難した。21年夏ごろ、小林という日本人男性を介して、継母と一緒に同県駝山郷半拉山村の畢長国に引き取られた。23年夏、継母が死亡したため、養父畢長平に引き取られた。 |
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個票 |
16233 |
平3 |
郭 双喜、かく そうき、男、5歳、A型 |
祖母 |
奉天省撫順市 |
21年夏、奉天省撫順市の難民収容所で祖母とともに養父郭振江(車夫)に引き取られた。難民収容所は、撫順駅北側の粮(糧)?街に、養家は、その北西側のすぐ近くにあった。その後、祖母はいなくなった。 |
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個票 |
16234 |
平3 |
楊 希仲、よう きちゅう、男、6歳、B型 |
父、母、姉3人、弟 父は軍人(技術者)らしい |
奉天省奉天市 |
終戦後奉天市高等女学校の難民収容所で養父楊金昇に引き取られた。同所で2人の姉と弟が死亡した。(母と長姉の消息は不明。) |
多くの人たちと一緒に防空壕に入った記憶がある。父は、毎週日曜日に家に帰ってきたが、いつも缶入りのビスケット(乾パン)を持ってきた。父が1回だけ休暇で家に帰ってきた時、本人は父と一緒に大きな風呂に行った。この帰路、父は大きな池に潜って多くの貝をとった。家で貝を小刀で割っている時に本人は左手人差し指の爪にけがをしたが、その時、長姉が包帯をしてくれた。実家及び渡満(20年5〜6月頃)前に住んだ親類の家付近の図(資料1・2) |
左手人差し指の爪が二つに割れている |
個票 |
16235 |
平3 |
陳 玉章、ちん ぎょくしょう、男、6歳、A型 |
ヨウジ(母に呼ばれていた記憶がある)父「吉田茂」(中国語の発音で聞いた)、母 父は岡田商店を経営。(岡田商店は、現在の攬軍屯駅付近の商店街にあったが、その後、景星街に移転した。) |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市で、父母が岡田商店の店員だった養父陳宝慶に預けた。 |
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右足の親指と人差し指の間、左耳の下等にほくろ |
個票 |
16236 |
平3 |
張 広元、ちょう こうげん、男、4歳、A型 |
父、母(福岡県出身らしい) |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天駅前の大道で父母が、養父張昇雲、養母米玉珍に預けた。その当時の服装は、毛のセーター(黄色と青色が混ざったような色)を着ていた。 |
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左手の親指の先に離別時に母親が噛んで作ったと思われる1cm四方くらいの傷、右腕に四辺形の種痘のあと |
個票 |
16237 |
平3 |
李 靖忠、り せいちゅう、男、2歳、A型 |
父、母、兄3人(長兄は15歳)父は奉天市警務局長 |
奉天省奉天市 |
21年7月、奉天市南駅の東の十間房で隣人の養父李鳳田、養母楊林華に引き取られた。母は兄3人と帰国したらしい。 |
当時、江川看護婦と北園という女性が一緒に住んでいた。 |
左頬に傷あと |
個票 |
16238 |
平3 |
張 立志、ちょう りっし、男、2歳、O型 |
父、母。日本名は「松尾」と養母から聞いている父は奉天日本航空処に勤務 |
奉天省奉天市 |
20年8月、奉天市の養家で母が養父張仁、養母李文に預けた。当時養母は日本人経営の兵器工場に勤務しており、同工場に島村(しまむら)という事務員がいて私の母のことを知っているかもしれない。 |
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個票 |
16239 |
平3 |
田 桂芝、でん けいし、女、5歳、O型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市皇姑区の難民収容所で養父王海(元の名玉秀功)に引き取られた。その時、15年9月14日生と書かれた布製の札を付けていた。 |
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左ふくらはぎに丸い傷あとが2つ |
個票 |
16240 |
平3 |
顧 玉鳳、こ ぎょくほう、女、4歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
21年秋、奉天市で顧天英から養父の弟顧宝書の妻を介して、養父顧宝金に引き取られた。 |
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左側の口元にほくろ |
個票 |
16241 |
平3 |
張 春樹、ちょう しゅんじゅ、女、5歳、B型 |
父(「宮沢・・・」かもしれない)、母、兄2人、弟、妹 父は奉天省本渓県教育局勤務 |
奉天省奉天県 |
終戦後、私と弟、妹の3人を父が同地で明山小学校の校長をしていた養父張錦堂に預けた。その時、半そでの白いシャツに黄色いズボンをはいていた。 |
避難前の付近図(資料) |
鼻の下と右足に火傷のあと |
個票 |
16242 |
平3 |
方 俊芹、ほう しゅんきん、女、生後数か月、B型 |
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奉天省奉天県 |
21年2月、奉天省撫順市北大井で養父方玉池に引き取られた。 |
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左脚の膝の裏側に2〜3cmの薄いあざ |
個票 |
16243 |
平3 |
朱 秀英、しゅ しゅうえい、女、4歳、A型 |
父、母、姉、弟 |
奉天省撫順市 |
21年5月、母とともに避難の途中、奉天省撫順市の難民収容所で母が死亡したため、同市に住んでいた「田中又は角田」という日本人女性を介して養父朱徳臣に引き取られた。その時、その女性は養父に「日本名、昭16年5月12日(旧暦)生、本籍○良県」と告げた。養父に引き取られた時、本人は紺色の花柄の和服を着ていた。養父は当時、「永順発」という魚屋の店員だった。本人の生年月日という「昭16年5月12日」は根拠がない。 |
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個票 |
16244 |
平03訪中 |
新 暁霞、しん ぎょうか、女、5歳、O型 |
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奉天省奉天市 |
20年9月、奉天省奉天市三馬路で「あばたの張」というあだ名の時計売りの男を介して養父孫宝明に引き取られた。 |
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個票 |
16245 |
平4 |
郭 素蘭、かく そらん、女、3歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
21年、撫順市で養父母に引き取られた。当時、花模様の服を着て、袖口には白い兎の毛がついていた。第3養父(現在の養父)に預けられた時、淡黄色地に木の葉模様の半コートを着ていた。(第1養父に預けられた時も同じコートを着ていたらしい。) |
養父に預けられた時に着ていた半コートの図(資料) |
右下あごにほくろ、左腕に小さいあざ |
個票 |
16246 |
平4 |
沈 景庄、ちん けいしょう、女、4歳、O型 |
伊藤美恵父以外不明 |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天市で父が養父沈鈴芳に預けた。その時、緑色の毛糸の上着を着、絹の白い花模様のマントをはおっていた。 |
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両腕に直径1.5cm大の傷あとのようなくぼみ(各1個) |
個票 |
16247 |
平4 |
段 宝栄、だん ほうえい、女、6歳、A型 |
佐々木百合江母方祖父(佐々木勝)、母、おじ(満鉄の警察に勤務していたらしい)、おば(佐々木関子)以外不明 |
奉天省奉天市 |
母が病弱だったので、出生間もなく祖父に引き取られ、20年10月、奉天市で祖父が祖父の家で働いていた養母段田氏に預けた。 |
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左頭部に刀傷のあと |
個票 |
16248 |
平4 |
韓 玉栄、かん ぎょくえい、女、5歳、B型 |
父、継母、弟(異母弟)軍人 |
奉天省奉天市 |
20年8月、奉天市で家の馬車引きや雑役していた常守祥を介して養父韓芳春に引き取られた。養家に預けられた後、一度親元に逃げ帰ったが、養父に連れ戻されたことがある。 |
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左手の甲と右手の人さし指に傷 |
個票 |
16249 |
平04訪中 |
高 福興、こう ふくこう、男、1歳、A型 |
村木一夫父(村木栄治郎)、母(中山美子)食堂のコック |
奉天省奉天市 |
20年8月に奉天省奉天市で父が行方不明になり、養父陳永盛に引き取られた。 |
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左腕に大豆大のあざ |
個票 |
16250 |
平04訪中 |
呉 廷義、ご ていぎ、男、5歳、B型 |
方田次郎父、母、姉(7歳)、弟(1歳)、父方の祖父、おじ、おば、いとこ(17歳)農業 |
奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市老虎台に避難し、父母、姉、弟、いとこが同地で死亡した後「宮」という母の妹の夫を介して養父呉登順に引き取られた。 |
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個票 |
16251 |
平04訪中 |
楊 桂花、よう けいか、女、6歳、A型 |
父、母、弟2人 父は商人らしい |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天南駅の収容所で弟とともに養父楊依山(もと楊洪武)に預けられた。その後、弟は「陳」という人に引き取られた。 |
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こめかみ付近にかさぶたのあと、右もも外側にかさぶたのあと |
個票 |
16252 |
平5 |
曲 岐禎、きょく きてい、男、昭21年2月生、O型 |
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奉天省奉天市 |
21年8月、奉天省奉天市奉天南駅近くの空き家で、日本人女性から養母の母に引き取られた。その時、黄緑色の毛布の端に白布に墨で「佐藤」と書いてあった。着ていた白い花模様の和服には十銭硬貨が縫い付けてあった。 |
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左手甲に2cm四方のあざ |
個票 |
16253 |
平5 |
曹 文林、そう ぶんりん、男、1歳、A型 |
父「田○四郎」(発音で聞いた)、母奉天省奉天市。駅近くで「○桂実」または「○○○桂室」(発音で聞いた。)という名の軍人の靴を製造・販売する店を経営していた。 |
奉天省奉天市 |
終戦時、奉天省奉天市で父が趙洪仁という中国人に預けた。その後、養父に引き取られた。その時の服装は、黄色い上着、紺色のズボン、緑色の下駄を履いていた。 |
日本の出身地は大阪市 |
首の後ろに3mm位のほくろ |
個票 |
16254 |
平5 |
董 懐志、とう かいし、男、7歳、B型 |
はすみ父、母、兄、妹 父は軍人らしい |
奉天省奉天市 |
20年10月、母が奉天省奉天市奉天南駅の広場で「王」という中国人(簡易食堂経営」の妻に預けた。 |
家のそばに小川があった。18年、母、兄、妹とともに渡満し、奉天省奉天市で生活 |
右足の膝頭に赤い傷あと |
個票 |
16255 |
平5 |
賈 桂花、か けいか、女、1歳、O型 |
母、姉 |
奉天省奉天市 |
20年秋、奉天省奉天市春日小学校から人を介して養父母に引き取られ、姉は2週間ほどして他家に引き取られたらしい。27年ごろ、母らしい人が会いに来たことがある。第8次訪日未判明孤児、王淑栄の妹と申し立てている。 |
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右のふくらはぎ外側に薄いあざ |
個票 |
16256 |
平5 |
邊 撫生(辺 撫生)、へん ぶせい、女、4歳、B型 |
父「田中」 |
奉天省奉天市 |
20年10月初旬、父が奉天省撫順市南台駅で、商店を営んでいた養父邊書良に預けた。当時、灰色の上着と青いズボンをはいていた。 |
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個票 |
16257 |
平5 |
劉 晩霞、りゅう ばんか、女、2歳、AB型 |
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奉天省奉天市 |
21年6月か7月頃、奉天省撫順市南台あたりの日本人から養父劉開太及び養母劉貴が引き取ってきた。当時、養父は撫順採掘機械工場に勤務していた。 |
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個票 |
16258 |
平06 |
李 勇飛、り ゆうひ、男、5歳、A型 |
父、母、姉(八重歯)、兄(身体が弱い)父、軍人らしい |
奉天省奉天市 |
終戦後、汽車で奉天省奉天市に避難。難民収容所で母と兄が死亡。奉天市の製氷工場で、日本人男性を介して養父母李鴻京夫婦に引き取られた。姉はその後行方不明。 |
家の前には狭い道路、裏には広い道路があった。海が近くにあった。その家は前庭が広く2階建ての1軒家で、階段を上がってすぐのところにガラスケースに入った模型が机に置かれており、その部屋は広かった。兄、姉が進学していた学校は4階建てで兄は2階、姉は4階の教室だった。母に連れられて学校に行ったことがある。家族の誕生日には、近くの料理屋で会食した。 |
右手の甲に線香でつけたような火傷のあと、右腕い4つの種痘のあと |
個票 |
16259 |
平6 |
周 玉霞、しゅう ぎょくか、女、1歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
終戦後、奉天省撫順市において、養父周連仲に保護された。当時、やっと歩き始めたくらいで、毛布に包まれていた。 |
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個票 |
16260 |
平6 |
邸 金玲、てい きんれい、女、1歳、A型 |
父、姓は「福田」かもしれない父、南満州砿業株式会社 |
奉天省本渓県 |
20年秋、奉天省本渓県で帰国する父が、養父母である邸振声夫婦に預けた。10歳の時、黄色で車輪の図案の布団を発見。小さい時掛けていたものらしいが預けられた時のものかは不明。 |
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右肩に米粒大のほくろ |
個票 |
17001 |
12 |
王 建章、おう けんしょう、男、5歳、A型 |
山口父、母、姉(死亡)父は軍人、母は病院で助産婦等の仕事に従事 |
安東省安東市 |
20年11月、母が安東市六道西前街で福源東醤園(みそ・しょう油店)を営んでいた養父王玉珍、養母王于氏に預けた。その時、黄色のランドセルと小さな仏像を渡した。23年に、母が本人を連れに養家に来たが、本人が、帰ろうとしなかった。 |
養家の周辺地図(資料) |
尾骨のところに約2.5センチの丸い火傷のあと |
個票 |
17002 |
2 |
劉 明徳、りゅう めいとく、男、4歳、A型 |
父、母、兄2人(9歳、6歳) |
安東省安東市 |
終戦後、母は安東市で、しょう油売りをしていた。母が、同市満州飯店裏側の大和通橋北側のボロ市場に住んでおり、ボロ買いをしていた養父劉君芝に本人を預けた。その時、同市内の倉庫で働いていた石川という日本人が反対した。 |
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右肩上部に薄黒いあざ |
個票 |
17003 |
9 |
于 景章、う けいしょう、男、4歳、O型 |
父、母、妹又は弟 父は安東市六道溝の消費組合に勤務 |
安東省安東市 |
終戦後、安東市六合街の安東製紙工場付近で父の友人が、本人を李栄貴に預けた。その後、21年春、養父于鳳令に引き取られた |
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唇の右上に黒いあざ、左手親指に傷あと |
個票 |
17004 |
10 |
楊 慶海、よう けいかい、男、2歳、B型 |
母、兄(8歳)、妹 |
安東省安東市 |
20年秋、母は子供達を連れて、北満から安東市に避難した。その後、母が安東市桃源街で、本人を?(カン)立生に預けた。その後、養父?(カン)立珍に引き取られた。 |
|
首がいくらか右に傾いている |
個票 |
17005 |
11 |
劉 鎖良、りゅう さりょう、男、7ヵ月、O型 |
父(本間英吉)、母、兄、姉 父は安東市の専売総署の倉庫に勤務 |
安東省安東市 |
20年秋、両親が、安東市で、父と同じ職場で守衛をしていた養父劉兆山に本人を預けた。その後、両親は帰国した。同倉庫には、竹中次郎・大森吉明、平野がいたという。 |
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|
個票 |
17006 |
6 |
閻 守栄、えん しゅえい、男、20年8月生、A型 |
父、母、兄3人(8歳、6歳、3歳) |
安東省安東市 |
終戦後、一家は、牡丹江省東寧県から安東市に避難してきた。母は、本人を出産後死亡した。21年4月20日ごろ、父が、安東市桃源街に住む中国人単興松を介して、同市九道街に住み、農業をしていた養父閻錫林に本人を預けた。その時、本人はやせていて、目に炎症を起こしていた。父は、その後、3人の兄を連れて帰国した。 |
養母の写真(資料) |
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個票 |
17007 |
10 |
栗 淑珍、りつ しゅくちん、女、2歳、O型 |
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安東省鳳城県 |
終戦後、安東省鳳城県湯山城駅と五龍背駅の間の長嶺子付近の線路の近くで養父栗維清に保護された。避難する途中、列車から落ちて左目の下に傷を受けた。 |
|
左目の下に傷あと |
個票 |
17008 |
12 |
呉 国珍、ご こくちん、女、7歳、O型 |
父、母、弟 |
安東省安東市 |
終戦後から21年春まで、母と弟と本人は、安東市七道溝でブリキ店を営んでいた張家に住んでいた。21年夏に、母が、養父姜浩雨に預けた。その時、「松本」という印鑑を養母に渡した。預けられた後、本人を引き取りに来たが、養母が、渡さなかった。 |
5〜6歳の時、母と風呂屋に行って転んだ。その時、左眉に3センチの傷ができた。 |
左眉に3センチの傷あと |
個票 |
17009 |
6 |
王 坤、おう こん、女、4歳、A型 |
父、母、兄(10歳)、姉、妹(2〜3歳) |
安東省安東市 |
一家は、安東市二番通6丁目、矢島病院の向かいに住んでいた。20年秋か21年春、兄が、同地で果物や菓子を売っていた養父張林棟に本人を預けた。その後、母、兄、姉及び妹は、矢島病院の夫人と一緒に帰国した。46年及び48年に兄から手紙がきたが、宛名が張連棟と誤記されていたため返送されてしまったらしい。 |
|
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個票 |
17010 |
6 |
王 冰潔、おう ひょうけつ、女、4歳、AB型 |
父、 母 父は軍人らしい。 |
安東省安東市 |
終戦後、吉林省新京市で父と別れ、母とともに安東市に避難し、同市三番通にあった朝鮮人が経営する旅館に住んでいた。21年、母がいなくなったため、同地にあった、永楽舞台という芝居小屋で電気工していた日本人藤田により、その小屋で会計をしていた養父王忠原に預けられた。そのとき、本人は、皮膚病にかかっていた。藤田は、帰国する際に、底に「琉球」と刻まれている花瓶と座卓を養父に与えた。 |
花瓶と座卓の写真(資料) |
左胸乳首の横にほくろ |
個票 |
17011 |
10 |
郭 黎翔、かく れいしょう、女、4歳、O型 |
父、母、兄(7〜8歳)、妹 父は軍人 |
安東省安東市 |
一家は安東市三馬路に住んでいた。20年になり、父の姿が見えなくなった。20年11月ごろ、三馬路の自宅で、母が養母王洪英に預けた。妹も張延成に預けられた。母と兄は安東市七道溝の中国人の家に世話になり、時々会いに来た。母と兄が帰国する時、養母に赤い手袋を渡した。 |
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下唇に、障子の開閉の時作った傷あと |
個票 |
17012 |
1 |
閻 喜鳳、えん きほう、女、3歳、A型 |
鈴子又はスズエチャン父、母母は満鉄の看護婦らしい。 |
安東省安東市 |
安東市一番通りに住んでいた。終戦後、食料品店の店員をしていた孫家奎を介して、養父閻聚和に引き取られた。当時、養父は鉄道関係の仕事をしており、養家の近所には野田という日本人が住んでいた。 |
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左胸にほくろ、額にあざ |
個票 |
17013 |
6 |
張 桂蘭、ちょう けいらん、女、3歳、O型 |
父、母、兄(10歳)、姉(6歳)、妹 父は軍人又は副県長らしい |
安東省安東市 |
ソ連参戦後、一家は安東省寛甸県から安東市に避難したが、父は、ソ連兵の襲撃により、安東駅前で死亡した。20年末から21年初めごろ母が、義合成という雑貨店をやっていた養家で働いていた日本人金子を介して、本人と姉を同市三馬路に住む養父張延成に預けた。その後、姉は隣人の王洪栄に引き取られ、母は、安東省出身の劉と結婚し、四平省東豊県梅河口に移った。別れる際、母は養家を訪れ、本人に靴下、姉に帽子と手袋を置いていった。 |
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|
個票 |
17014 |
8 |
王 春芳、おう しゅんほう、女、3歳、A型 |
父、母、弟 |
安東省安東市 |
20年秋、安東市六道溝の製紙工場付近で、呉貴増を介して、養父朱錦江に預けられた。 |
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胸の中央に豆粒大のほくろ |
個票 |
17015 |
12 |
孫 美玲、そん びれい、女、2歳、O型 |
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安東省安東市 |
20年11月、安東市六道溝の日本人住宅の前で、養母宋桂亭に保護された。その時、丈の短い、白っぽい色の和服を着ていた。 |
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右頬に傷あと |
個票 |
17016 |
15 |
段 鳳蘭、だん ほうらん、女、2歳、O型 |
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安東省安東市 |
ソ連参戦後、安東市七道溝の神社で、養父段大成に保護された。その時、渦巻柄の薄い布団にくるまれ、同じ柄の子供服を着ていた。 |
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額の下、首筋に米粒大のほくろ |
個票 |
17017 |
6 |
? 書芬、けい しょふん、女、1歳、B型 |
父、母、兄又は姉数人 父は軍人らしい |
安東省安東市 |
終戦後、吉林省新京市あるいは奉天省奉天市から安東市に避難し、同市市場通り9丁目3番地に住んでいた。同地で母が、日本人安敬春江の夫で貴金属商の中国人安を介して、同市頭道橋で同祥当という質屋を営んでいた養父?雲章に本人を預けた。その時、母は、養家に約1カ月間滞在し、その後に帰国した。父は死亡したらしい。 |
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幼少時、左の耳たぶにあざがあったが、現在はない。両足の指にいぼ |
個票 |
17018 |
13 |
王 雲香、おう うんこう、女、6ヵ月、B型 |
父、母 父は軍人 |
安東省安東市 |
ソ連参戦後、母が、安東市振興区三馬路の黄色のビルに住んでいた。養父王玉厚、養母劉淑琴に預けた。 |
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個票 |
17019 |
9 |
馬 秀蘭、ば しゅうらん、女、1ヵ月、A型 |
父、母、兄又は姉3人 父は軍人らしい。 |
安東省安東市 |
20年11月ごろ、母が安東市市場通り9丁目3番地の2階で、靴を売っていた李桂蘭を介して、養父馬紹増に本人は預けた。母が帰国する時、養母趙淑華に手紙、写真、灰色の縞柄の和服を渡した。 |
養母の写真(資料1)、仲介者の写真(資料2) |
右肩に米粒大のほくろ |
個票 |
17020 |
2 |
李 蘭秋、り らんしゅう、女、20年11月生、A型 |
父、母 父は満鉄に勤めていたらしい |
安東省安東市 |
終戦後、一家は安東市江岸通りに住んでいた。21年2月、父母が、同市鎮安橋下の興華胡同に住む養父李闘明、養母孔春華に預けた。その時、将来子供が産まれてもこの子を長女にすること、いじめないこと等の内容の誓約書をとり交わした。その後、父母が帰国する時、養父母の家で食事をして中富橋まで送って行った。 |
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個票 |
17021 |
15 |
句 福珍、く ふくちん、女、21年1月生、O型 |
父、母、兄父は軍人らしい |
安東省安東市 |
21年1月、母が、安東市満鉄病院北側の養家で、同病院の検査室に勤めていた養父句鳳桐に預けた。その後、母と兄は帰国した。母の手製の乳児服が残っている。 |
乳児服の写真(資料) |
左の白目の部分にほくろのような黒点 |
個票 |
17022 |
63-2 |
寧 徳玉、ねい とくぎょく、男、1歳、B型 |
父「小島」父(20年春死亡)、母 父は安東市の石井組の建築士 |
安東省安東市 |
20年秋、母が石井組で働いていた養父寧志高に預けた。母は帰国した。 |
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個票 |
17023 |
62-2 |
魏 学賢、ぎ がくけん、女、6歳、B型 |
父、母 |
安東省安東市 |
終戦後、安東市の国際航船会社の波止場に停泊していた船の上で、父母に荷物を見ていなさいと言われた。それきり両親は戻ってこなかった。 |
実母は歌が好きで、よく歌っていた。太陽をかたどった指輪の写真(資料1)、箱、狐の襟巻きの写真(資料2) |
左後頭部に1cm位の傷あと |
個票 |
17024 |
63-1 |
閻 溥耀、えん ふよう、女、8ヵ月、B型 |
母 |
安東省安東市 |
21年3月、母が安東市で医者をしていた養父閻槐三に預けた。その時、柿色のセーターの上に黄色い花模様の付いたナス紺の綿入れを着て、白い毛糸の帽子と靴下を身に付けていた。 |
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個票 |
17025 |
平3 |
張 連興、ちょう れんこう、男、7ヵ月、A型 |
父、母「美子(よしこ)」父は軍人(戦死)、母は看護婦(長崎県出身らしい。)(「同生薬房」店主の友人の話。) |
安東省安東市 |
20年秋、母とともに安東市安東市に避難し、同市で母が養父張啓祥、養母張楊氏に預けた。その後、母は秦樹功の経営する「同生薬房」で生活し、21年秋、帰国した。 |
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左すね外側と腹部右側に傷あと、背中にあざ |
個票 |
17026 |
平3 |
馮 玉臣、ひょう ぎょくしん、男、昭20年11月生、O型 |
母 |
安東省安東市 |
20年11月、安東省安東市六道口の小さな旅館で母が養母の友人王希勝を介して養母張淑珍に預けた。その時、古い藍色の布団にくるまれており、服は着ておらず、へその緒がついていた。 |
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個票 |
17027 |
平4 |
杜 麗英、と れいえい、女、3歳、A型 |
英子母と思われる日本人女性以外不明 |
安東省安東市 |
20年秋、安東省安東市官電街で母と思われる日本人女性が野菜屋を営んでいた養母張志賢に預けた。その時、模様のある大きな財布を残していった。 |
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個票 |
18001 |
6 |
謝 本善、しゃ ほんぜん、男、1歳、AB型 |
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錦州省北鎮県 |
20年8月、錦州省北鎮県溝?子のダム付近のコウリャン畑で、養父謝玉林に保護された。その時、一緒にいた生後数カ月の女の子は、中国人李良玉に保護された。20年10月末ごろ、本人の父らしい30〜40歳の日本人が連れ戻しに来たが、すでに養父とともに奉天市へ行った後だった。 |
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右太もも付け根の上に直径約3センチの褐色のあざ |
個票 |
18002 |
12 |
韓 貴州(韓 貴洲)、かん きしゅう、男、7ヵ月、O型 |
父、母、兄2人 |
錦州省北鎮県 |
一家は、錦州省北鎮県南電報電話局付近に住んでいた。終戦後、同県の同真写真館の見習い工汪宝栄を介して、養父韓子兪に預けられた。 |
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個票 |
18003 |
15 |
劉 樹山、りゅう じゅさん、男、2歳、A型 |
父、母、兄2人、妹 |
錦州省錦州市 |
錦州省錦州市の日本人居住区に住んでいた。終戦後、父母は、錦州駅で焼き芋を売っていた養父劉福に本人を預け、兄2人と妹を連れて帰国した。 |
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額の右側に大豆大のいぼ |
個票 |
18004 |
8 |
趙 有徳、ちょう ゆうとく、男、1歳、O型 |
父、母、姉(7歳)、祖父(母方)父は軍人 |
錦州省錦州市 |
一家は軍とともに錦州市に来た。終戦後、本人と姉は、祖父とともに錦州市四朝日区白雲街に住んでいた。22年ごろ、叔母が本人を養父趙培耕に預けた。姉は祖父、叔母と共に帰国したらしい。父母の行方はわからない。 |
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左足の小指に丸い傷あと、へその下にほくろ |
個票 |
18005 |
9 |
呉 鳳英、ご ほうえい、女、10歳、B型 |
父(上田一郎)、母 父は錦州市病院の院長と錦州市百貨店の経営を兼務 |
錦州省錦州市 |
父が、乳母をしていた養母呉楊氏に預けた。 |
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下あごに手術のあと |
個票 |
18006 |
12 |
劉 淑坤、りゅう しゅくこん、女、1歳、B型 |
佐藤又は佐田父以外不明父は軍人 |
錦州省錦州市 |
錦州省錦州市北大営に住んでいた。終戦後、父は、同所で靖安軍の兵隊だった養父劉世清に預けて帰国した。預けられた時、藍色の花柄の綿入れを着て、緑色の布団にくるまり、赤色のおしめをしていた。 |
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腰の左側に赤紫のあざ、左手首に2つのいぼ |
個票 |
18007 |
9 |
計 丙英、けい へいえい、女、1歳、AB型 |
桜子、英子又は瑛子 父、母 父は軍人 |
錦州省興城県 |
ソ連参戦後、父母が、錦州省興城県県城で養父計雨春に預けた。その時、養父に首飾りと金の指輪を置いていった。その後、父母は帰国した。養母が「嘉比南山」と書いてあるヒスイを持っていて、将来役に立つから大切に持っているように言われ、持っている。 |
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右眉の上にほくろ |
個票 |
18008 |
2 |
張 国華、ちょう こくか、男、1歳、未判明型 |
父、母、子供3人 父は軍人(20年応召) |
錦州省錦州市 |
母は子供3人を連れ、錦州市協和区の日本人住宅に住んでいた。私はそこから、養家の張雨山のもとへ連れてこられた。 |
母の写真(資料) |
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個票 |
18009 |
62-1 |
叢 鵬、そう ほう、男、3歳、B型 |
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錦州省錦州市 |
20年秋、和服を着た日本婦人が、水売りの徐を介して錦州省錦州市警察学校の宿舎で養父叢克興に預けた。その時、青と白の錦入れのチョッキを着て、黄色と白の細い毛糸で編んだズボンを履いていた。ふところには財布があり、中に小さな写真1枚と貨幣数枚が入っていた。 |
財布の写真(資料1)、財布の中に入っていた写真(資料2) |
首の左後ろにほくろ、偏平足 |
個票 |
18010 |
62-1 |
高 玉琴、こう ぎょくきん、女、3歳、AB型 |
父、母(終戦前に死亡)父は錦州省吐黙特左旗南阜新火薬工場に勤務 |
錦州省吐黙特左旗 |
20年8月、錦州省吐黙特左旗のもと信託会社付近の住宅で中国人?に引き取られた。 |
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右下あごに小さなあざ又はほくろ |
個票 |
18011 |
平元 |
呂 娜、ろ な、女、3歳、A型 |
父、母、兄、姉、弟 父は軍人 |
錦州省阜新市 |
終戦後、錦州省阜新市で母が養父呂錫海に預けた。その時、家族の名前等を書いたメモと包丁を置いていった。 |
包丁の図柄(資料) |
右手に火傷のあと、左耳たぶにほくろ |
個票 |
18013 |
平04訪中 |
左 忠澤、さ ちゅうたく、男、10歳、血液型不明 |
山口重則父(山口重信)、母(継母)、姉、弟 父は阜新炭坑五龍変電所電気技師 |
錦州省阜新市 |
20年9月、阜新炭坑日本人住宅街で父と別れ、養父邱玉山に引き取られた。 |
熊本県天草郡出身で、8歳のときに父母と中国に渡った。 |
左目の上に赤いあざ |
個票 |
18014 |
平6 |
邱 鳳鳴、きゅう ほうめい、男、1ヶ月、AB型 |
父、母「吉村菊子」母、新邱炭鉱西部労務係 |
錦州省阜新市 |
20年秋の日本人従業員が還送される日の朝、錦州市阜新県の養父母宅(社宅)で、労務係主任藤井実夫の立会いのもと、養父母邱松亭夫婦に引き取られた。その時、紺色で縞模様の布に包まれ、上着は襟なし長袖の白い服、下半身は白いおしめをしていた。母は伯父「吉村欽武」、労務係主任藤井実夫親子と共に帰国。1カ月後、母は1度九州からの手紙をくれた。 |
紺色で縞模様の布(資料) |
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個票 |
19001 |
11 |
韓 光礼、かん こうれい、男、6歳、A型 |
父、母、妹 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市の日本人住宅に住んでいた。終戦後、両親が大連市中山区万安港に住んでいた養父韓文達に本人を預けた。21年、両親と妹が養家に会いに来た。 |
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個票 |
19002 |
11 |
呂 彬燕、ろ ひんえん、男、6歳、O型 |
父、母 父は軍人 |
関東州大連市 |
20年、日本の農村から、母に連れられて関東州大連市に渡満した。母は、大連駅前で商売をしていた日本人夫婦に預けた。21年夏、同市西崗区伏見台で靴屋の中国人程を介して、養父呂文成に引き取られた。 |
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両足の親指と人差し指の間に火傷のあと |
個票 |
19003 |
11 |
陳 風興、ちん ふうこう、男、4歳、A型 |
父、母、姉 父は教師 |
関東州大連市 |
父が応召した後、母は行方不明となった。21年5月、関東州大連市中山区七星街の理髪店で、養父陳公善夫婦に引き取られた。 |
学校の敷地内にあった二階建ての一階に住んでいた。2〜3歳のころ、割れたガラス瓶でけがをしたこと、おばと一緒に船に乗って大連に来たことを覚えている。日本に住んでいたときの、家付近の地図(資料) |
左手人差し指の第二関節に、2〜3歳のころ内地で切った傷あと |
個票 |
19004 |
6 |
王 聚成、おう しゅうせい、男、3歳、AB型 |
父(40歳前後)、母(34歳)、姉(14歳)、兄4人(12歳、10歳、8歳、6歳)、妹(2歳) |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市に避難し、同市但馬町114号の三階建ての建物の一階の東から2番目の入り口の部屋に住んでいた。21年6〜7月ごろ、本人は、中国人劉を介して、土木関係の仕事をしていた養父王福海に預けられた。姉は、養家で半年ほど一緒に暮らした。その後、母と姉が、数回会いに来た。妹は、同市沙河口に住んでいた別の中国人劉に預けられた。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
左まぶたに粟粒大のいぼ、後頭部に2×0.5センチの傷あと、みぞおちに1センチ大のほくろ |
個票 |
19005 |
8 |
董 謙、とう けん、男、3歳、A型 |
|
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市候家溝で中国人于に預けられた。その後、于が死亡したため、養父董銀に引き取られた。 |
家は木造二階建てで二階に住んでいた。 |
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個票 |
19006 |
13 |
王 宝常、おう ほうじょう、男、3歳、A型 |
|
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市南山小車大院で廃品回収業をしていた養父王慶法に引き取られた。 |
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頭部左側に親指大の傷あと、右手甲に赤いあざ |
個票 |
19007 |
6 |
董 祚貴(董 作貴)、とう そき、男、2歳、A型 |
父、母、兄(シロウ又はジロウ)、姉 父は警察官らしい |
関東州大連市 |
関東州大連市沙河口区に住んでいた。21年9〜10月ごろ、日本人男性により、泰山街にあった中国人朱の家で、廃品回収業および野菜や魚の販売業をしていた養父董秀和に預けられた。その時、灰色のポケットのついた白地に青の格子縞の服を着ていた。母は、その後、時々本人に会いに来たことがあり、帰国する際には、兄とともに引き取りに来たが、話がつかなかった。両親の出身地は、兵庫県山南らしい。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
右下腹に約1センチのおできのあと、左利き |
個票 |
19008 |
15 |
韓 鳳仁、かん ほうじん、男、2歳、A型 |
父、母。兄又は姉がいたかもしれない |
関東州大連市 |
20年11月ごろ、母が、関東州大連市浪速町で、養父韓光茂に預けた。 |
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つむじが2つ |
個票 |
19009 |
12 |
孫 樹敏、そん じゅびん、男、1歳、O型 |
父、母 |
関東州大連市 |
20年10月、関東州大連市中山区七十一街華成巷では、日本人女性を介して、養父孫永久に預けられた。 |
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右手人差し指の爪が半分しかない |
個票 |
19010 |
10 |
董 長有、とう ちょうゆう、男、1歳、A型 |
|
関東州大連市 |
21年秋、関東州大連市で野菜売りをしていた養父劉允善に引き取られた。その後、養父董佩堯に引き取られた。 |
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左目尻に赤紫色のあざ、両側頭部と右足の付け根に傷あと |
個票 |
19011 |
9 |
李 志信、り ししん、男、1歳、O型 |
父、母、姉(4〜5歳)父は教師又は事務員 |
関東州大連市 |
終戦後、両親は、関東州大連市南山に住んでいた車夫の朱成柱を介して、養母張解氏に本人を預けた。当時、頭にできものができていた。その後、両親と姉は帰国した。 |
仲介者の写真(資料) |
左ふくらはぎにほくろ |
個票 |
19012 |
6 |
劉 太和、りゅう たわ、男、9ヶ月、O型 |
母 |
関東州大連市 |
20年8月、関東州大連市若狭町人力組合の庭で、母が、廃品回収業をしていた養父王慶発に預けた。その時、本人の生年月日(昭和19年11月27日)を書いた紙を養父に渡した。 |
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左右のまつげの上にほくろ |
個票 |
19013 |
15 |
? 義民、てき ぎみん、男、6ヶ月、A型 |
|
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市で香炉礁で養母孫鳳英に引き取られた。 |
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背中右下にあざ |
個票 |
19014 |
8 |
解 永星、かい えいせい、男、5ヶ月、A型 |
山崎 父、母、兄 父は大連沙河口馬蘭屯派出所か大連機械工場勤務 |
関東州大連市 |
父は、30歳ぐらいで背が高く、メガネをかけていた。母は背が低く、名前に「田」が付いていた。終戦後、本人は、関東州大連市沙河口区馬蘭屯で孫素栄、張永元に預けられた。その後、養父解貴秀に引き取られた。 |
養母から聞かされた、住んでいた場所の地図(資料) |
鼻にほくろ |
個票 |
19015 |
9 |
侯 巨群(候 巨群)、こう きょぐん、男、5ヶ月、A型 |
父、母 関東州撫順市で坂本靴店を経営 |
関東州大連市 |
22年5月、母が関東州大連市の大公旅社(ホテル)で、高廷民と養母呉明坤に預けた。その後、母は帰国した。 |
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背中の真ん中にほくろ |
個票 |
19016 |
8 |
張 守忠、ちょう しゅちゅう、男、4ヶ月、B型 |
父(戦死したらしい)、母 |
関東州大連市 |
22年3月、母が、関東州大連市春日町で、周茂全を介して、養父張振作に預けた。22年6月ごろ、母は帰国した。 |
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個票 |
19017 |
9 |
張 奎?、ちょう けいとう、男、4ヶ月、B型 |
父、母 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市青泥畦付近に住んでいた。終戦後、両親は林義祥に本人を預けた。その後、養父張海亭に引き取られた。 |
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右上腕にあざ |
個票 |
19018 |
12 |
葛 連然、かつ れんぜん、男、2ヶ月、O型 |
父、母 父は軍人、母は関東州大連市の工場に勤務 |
関東州大連市 |
21年、母が、関東州大連市嶺前区秀月台で製粉工場を営んでいた養父肖喜髪に預けた。 |
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個票 |
19019 |
1 |
張 永財、ちょう えいざい、男、20年10月生、A型 |
父、母。兄がいたらしい |
関東州大連市 |
21年当時、関東州大連市上藤町に住んでいた。同年8月、母が、仕立屋の単永春を介して、馬車会社で切符売りをしていた養母唐秀英に預けた。その時、名前と生年月日を書いた紙を渡した。母は、帰国する際に養家を訪れたことがある。 |
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個票 |
19020 |
6 |
孫 培鈞、そん ばいきん、男、20年10月生、O型 |
父、母、兄3人 父は軍人 |
関東州大連市 |
関東州大連市若狭町の大連神社付近に住んでいた。21年8月、母が、徳田という男性と中国人張を介して、養母宋麗成(後に宋桂栄と改名)に本人を預けた。その時、母は、本人の生年月日を記した書き付けを残した。当時、宋は大連市西通町8に住んでおり、同市浪波町の路上で日用雑貨品を売っていた。その後、母は、2人の兄を連れて帰国したが、3番目の兄は、行方不明になった。なお、大連に来る前に母は、天津で働いていた。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
上唇左にほくろ |
個票 |
19021 |
9 |
王 福祥、おう ふくしょう、男、20年11月生、O型 |
父、母 |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市沙河口区振華街で生まれた。生後100日で養父王貴栄に預けられ、その後母は死亡した。22年春、父は、時計修理業を営んでいた隣人の松本一家及び養家に寄留していた日本婦人とともに帰国した。 |
当時大連市に住んでいた家の周辺地図(資料) |
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個票 |
19022 |
11 |
王 g、オウ キ、男、20年11月生、B型 |
父、母、兄、姉 |
関東州大連市 |
21年11月ごろ、母が、関東州大連市劉屯付近で、中国人馮を介して、養父王勤山、養母李金鳳に預けた。母は兄と姉を連れて帰国するとき、本人の生年月日を記したマッチ箱を養父母に渡した。 |
養母の写真(資料1)、本人が預けられた建物の写真(資料2) |
背中の左側に卵大のあざ |
個票 |
19023 |
10 |
喬 明財、きょう めいざい、男、20年12月生、A型 |
母以外不明 |
関東州大連市 |
22年7月ごろ、母が、関東州大連市神明高等女学校の西門の前の大通りで、養父喬北友に預けた。 |
養家の写真(資料) |
右腕に一筋の傷あと |
個票 |
19024 |
8 |
張 広生、ちょう こうせい、男、20年生、A型 |
父、母、姉 父は軍人らしい |
関東州大連市 |
21年11月、関東州大連市連鎖街の永生商行で、中国人孟憲宏に預けられ、その後、そこで働いていた朝鮮婦人林永愛を介して、ロシア語の通訳をしていた養父張礼堂に預けられた。その後、母と姉は帰国したらしい。 |
養母の写真(資料) |
つむじが2つ |
個票 |
19025 |
11 |
王 家林、おう かりん、男、21年5月生、A型 |
父、母、兄3人 父は満鉄の大連機関区に勤務 |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市で父は豆腐を、母はたばこを売っていた。両親が、福星劇場で働いていた養父王作慶に本人を預けた。その後、母は2〜3回乳を飲ませに来た。 |
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個票 |
19026 |
15 |
孫 玉芹、そん ぎょくきんC、女、9歳、A型 |
合田千恵子 父、、母(合田ノブ) |
関東州大連市 |
関東州大連市西通りに住んでいた。20年12月ごろ、母が、同市で御者をしていた養父孫福理に預けた。 |
大連市の小学校に2年生まで通学した。家から学校までの間に、常盤橋を通った。 |
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個票 |
19027 |
11 |
劉 愛光、りゅう あいこう、女、7歳、B型 |
父(死亡)、母(死亡)、兄2人、祖母(死亡)、叔父、叔母 |
関東州大連市 |
終戦前、父母、祖母が死亡したため、印刷関係の仕事をしていた叔父と生活していた。終戦後、関東州大連市で中国人小栄芝を介して、精米所で働いていた養父劉錫山に引き取られた。 |
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左手の上に2つの鉄の棒で焼いたような2つの傷あと |
個票 |
19028 |
12 |
王 成玉、おう せいぎょく、女、7歳、A型 |
父、母、弟、おじ夫婦父は写真館経営 |
関東州大連市 |
関東州大連市浪速町で2階建ての写真館を営んでいたが、父がいなくなり、母と弟は近くの平屋の家に移った。21年5月、母が、本人と弟を写真館の近くに住む日本人女性の家へ連れて行き、本人は、その日本人女性を介して、養母王丙君に預けられた。弟は、その日本人女性の家にいたので、数回会いに行ったことがある。 |
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襟首にお灸のあと |
個票 |
19029 |
15 |
呂 群英、ろ ぐんえい、女、7歳、A型 |
父(寺島又は浦島らしい)、母、弟2人 父は大連市大広場にあった銀行に勤めていたらしい。 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市永夏町に住んでおり、家の近くに金子医院があった。21年春、母が死亡し、下の弟は、父が中国人に預けたが、間もなく死亡した。同年冬、父は同市で本人を養父呂秀民に預け、上の弟を連れて帰国した。 |
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左腕上部に10センチ大の黒いあざ |
個票 |
19030 |
6 |
蘆 桂英、ろ けいえい、女、6歳、Bの亜型 |
父、母、姉(19歳)、兄(14歳)、弟(5歳)父は満鉄に勤務していたらしい。 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市沙河口区真金町の満鉄宿舎二階に住んでいたが、母は19年に死亡した。21年11〜12月ごろ、父が、同区黄金町に住む、屋台の果物売りをしていた養父蘆信喜に本人を預けた。帰国する際、父は、連れ戻しに来たが会えなかったので、怒って養父の家の扉を壊した。 |
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個票 |
19031 |
15 |
王 玉娥、おう ぎょくが、女、6歳、B型 |
父、母。兄及び姉が何人かいたらしい。 |
関東州大連市 |
関東州大連市に住んでいた。父母は、日本人が経営していたみそしょう油製造販売店で働いていた養父王廷善に本人を預け、帰国した。 |
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右足かかとの外側に傷あと |
個票 |
19032 |
7 |
董 桂珍、とう けいちん、女、5歳、B型 |
母からオーチャンと呼ばれていた。父、母、弟2人 |
関東州大連市 |
浜江省哈爾浜市南崗区に住んでいた。ソ連参戦後、母、2人の弟とともに、貨車で関東州大連市に避難する途中、爆撃に遭い、母と上の弟が死亡した。その時本人は、グレーの地に赤い柄のワンピースを着ていた。その後、隣家の50代くらいの男性と18歳くらいの女性とともに、大連市で約3ヶ月間生活したところで、同市西崗区北京街に住む養父崔鳳祥に預けられた。 |
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両手の親指と人差し指の間に火傷のあと、右肩下に米粒大のほくろ |
個票 |
19033 |
9 |
姜 連巧、きょう れんこう、女、5歳、AB型 |
父、母、兄、上の弟(ササキ マタハチロウ)、下の弟 |
関東州大連市 |
20年10月、関東州大連市の北方地区から沙河口神社に避難した。21年7月、母は、本人と上の弟を養父姜梅亭に預け、兄と下の弟を連れて帰国した。父は、大連市で死亡したらしい。 |
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左利き、臀部の中央に約1センチの火傷のあと |
個票 |
19034 |
11 |
張 継清、ちょう けいせい、女、5歳、A型 |
父、母、兄、姉 父は軍人 |
関東州大連市 |
21年4月、関東州大連市沙河口区光華北街で養父張金文、養母曽秀郷に預けられた。その後、両親が養家に会いに来た。21年5月、両親は帰国した。 |
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胸にほくろ、頭部左に傷あと、右足付け根に2つの切り傷のあと |
個票 |
19035 |
12 |
張 桂花、ちょう けいか、女、5歳、A型 |
父、母、兄、姉 父は軍人 |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市福九丁福興劇院労働協会ビルの角で、父母が、日本語の話せる婦人王を介して、養父李万増をに本人を預けた。その時、本人は、細かい柄のある白いマントを着て、腕輪、足輪、首飾りをしていた。 |
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左胸に赤いほくろ |
個票 |
19036 |
4 |
馮 彬、ひょう ひん、女、4歳、A型 |
父、母、兄3人 |
関東州大連市 |
父の死亡後、母が関東州大連市において、養父馮世貴に本人を預けた。その時、母は、重箱を養家に贈った。20〜21年ごろ、母と兄3人は帰国したらしい。また、20年冬〜21年春ごろ、養母の次兄が新京から大連までの間のどこかで本人を保護したともいう。 |
母が養家に送った重箱の写真(資料) |
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個票 |
19037 |
7 |
于 淑珍、う しゅくちん、女、4歳、A型 |
父、母、弟 父は関東省大連市で商売をしていたが、絵を書いて生計を立てていたこともある。 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市大同街桔梗町に住んでいた。21年10月、父母が、本人は同市徳勝街大門牌79号に住む養父于可佑に預けた。帰国する際、父母が会いに来たが、養父母が会わせなかった。19年末、一家で北海道に里帰りしたことがある。 |
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個票 |
19038 |
9 |
張 秀蘭、ちょう しゅうらん、女、4歳、B型 |
父、姉、弟 父は鉄道に勤務 |
関東州大連市 |
21年7月、関東州大連市富久町の満大マーケットで魚屋をしていた養父張天徳に預けられた。その時、紫地に花模様の上衣、黒色のズボンを身につけ、下駄を履いていた。 |
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個票 |
19039 |
12 |
宋 玉華、そう ぎょくか、女、4歳、A型 |
スミチャンと呼ばれていた父、母、姉 父は大連市西崗街の警察署の警察官 |
関東州大連市 |
関東州大連市南山地区に住んでいた。終戦後、母はいなくなり、父は、姉と本人を連れて同市西崗街に避難した。そこで、父が、本人を同じ警察署で働いていた養父李殿奎に預け、姉王桑家妓院に預けた。 |
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個票 |
19040 |
12 |
孫 玉珍、そん ぎょくちん、女、4歳、AB型 |
父、叔父夫婦、叔父夫婦の娘2人 父は軍人 |
関東州大連市 |
20年12月、関東州大連市の敷島広場の近くで、大工をしていた中国人劉を介して、養父呂道奎、養母鹿淑芳に預けられた。当時、緑色の上着、黄色と黒の毛糸で織ったズボンをはいていた。 |
大連市の家の付近の絵図(資料) |
右手の親指と人差し指の間に火傷のあと、臀部におできのあと |
個票 |
19041 |
12 |
沈 秀倫、ちん しゅうりん、女、3歳、A型 |
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関東州大連市 |
21年5月、関東州大連市で、ある中国人を介して、養母楊淑蘭に引き取られた。 |
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個票 |
19042 |
9 |
井 孝国、せい こうこく、女、3歳、A型 |
父、母、姉、妹 |
関東州大連市 |
21年10月、関東州大連市寺児溝付近で養母王金香に預けられた。 |
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個票 |
19043 |
11 |
張 春華、ちょう しゅんか、女、3歳、O型 |
父、母、妹 父は関東軍大連市の満鉄機関区に勤務 |
関東州大連市 |
21年冬、母が、関東州大連市で満鉄に勤務していた中国人林治茂を介して、線路工夫の養父付連昇に預けた。母は帰国する際、妹を背負って養家に来て、住所、氏名、生年月日等を書いた書き付け、鏡付きのタンス、衣服、布団などを置いていった。 |
当時、一家が住んでいた家の写真(資料) |
左肩甲骨に大豆大のほくろ |
個票 |
19044 |
11 |
張 吉美、ちょう きつび、女、2歳、A型 |
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関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市西崗子不老街で崔華山を介して、養父張玉明、養母陳桂芝に引き取られた。 |
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右耳下に傷あと |
個票 |
19045 |
6 |
施 秀英、し しゅうえい、女、2歳、A型 |
父、母。その他は不明 |
関東州大連市 |
20年暮れ、関東州大連市香爐礁雨洞橋の下で、母が、仕立屋をしていた養父李に預けた。李は大連市体育館西側付近の家に住んでおり、足が不自由だったが、日本語が上手だった。 |
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右膝内側に親指の爪大のほくろ |
個票 |
19046 |
6 |
曲 桂花、きょく けいか、女、1歳、B型 |
父、母、兄又は姉 |
関東州大連市 |
21年春、関東州大連市西崗区伏見町の路上で、母が、中国人王友仁を介して、同区伏見台133号に住む養父譚君武に預けた。 |
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へその上にほくろ、背中の右に茶色の斑点 |
個票 |
19047 |
7 |
張 淑君、ちょう しゅくくん、女、1歳、O型 |
父、母、姉、妹 |
関東州大連市 |
21年秋、一家は、関東州大連市に避難した。同地で姉が、同市山県通市場に住む小川漁行の支配人の小川嘉太郎(または、嘉石郎)を介して、養父張洪?に預けた。、張は、同所で働いていたことがあり、当時は、同市竜田町朝日広場付近で雑貨屋を営んでいた。その後、両親が養家に来て、本人と妹を取り替えようとしたことがある。 |
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個票 |
19048 |
8 |
鄭 秋珍、てい しゅうちん、女、1歳、A型 |
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関東州大連市 |
21年ごろ、関東州大連市西崗区蓬莱街に住んでいた養父鄭松令に引き取られた。 |
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右乳房の下にあざ、左耳に大豆大のあざ、背中にできもののあと |
個票 |
19049 |
9 |
王 愛志、おう あいし、女、1歳、AB型 |
父、母、兄父は軍人らしい |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市不老街の瀬川産科医院のあったアパートの一階に住んでいた。21年夏か秋ごろ、母が、日本人河野と中国人于叙伍を介して、本人を養父王政倹に助けた。 |
大連市不老街のアパートの写真(資料) |
口許の左側、胸にほくろ |
個票 |
19050 |
9 |
? 連芝、かく れんし、女、7ヶ月、A型 |
父、母、姉、妹 父は鉄道関係の仕事に従事 |
関東州大連市 |
21年ごろ、本人は関東州大連市大連神社付近で古物商の中国人を介して、養父?懐林、養母?姜氏夫婦に預けられた。父母は、22年秋、帰国した。 |
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へその上にほくろ |
個票 |
19051 |
8 |
史 恵君、し けいくん、女、5ヶ月、A型 |
父、母、祖母 父は軍人 |
関東州大連市 |
母は祖母と関東州大連市連鎖街に住み、コーヒー店に勤めていた。20年10月ごろ、ダンスホールで働いていた由兆莫を介して、タンスホールの経営者の一人であった養母王桂芳に預けられた。その時、本人は母が編んだ赤いセーターを着ていた。 |
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個票 |
19052 |
12 |
李 清雲、り せいうん、女、4ヶ月、AB型 |
トモコ父、母、兄又は姉2人(8歳、5歳)父は軍人 |
関東州大連市 |
20年末か21年春、関東州大連市富久町の養家で、歯科医院に勤務していた于秀蘭を介して、養父秦玉桂、養母杜岩芳に預けられた。母は帰国したらしい。 |
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個票 |
19053 |
8 |
徐 紅、じょ こう、女、2ヶ月、B型 |
母、姉 |
関東州大連市 |
21年春ごろ、関東州大連市東郷町で同町に住む林憲郷を介して、養母趙金英に預けられた。母、姉は同年秋帰国した。 |
養母の写真(資料1)、養母に預けられた場所付近の地図(資料2) |
左側腹部に傷あと、胸にほくろ |
個票 |
19054 |
10 |
秦 秀娟、しん しゅうけん、女、2ヶ月、A型 |
父、母、兄又は姉 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市沙河口区西町に住んでいた。21年2月ごろ、中国人劉啓雲を介して、養母王順美に預けられた。 |
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個票 |
19055 |
10 |
崔 春花、さい しゅんか、女、2ヶ月、A型 |
母、兄又は姉5〜6人 |
関東州大連市 |
21年4月ごろ、母が関東州大連市西崗区蓬莱町の孫敬堂を介して、養父崔修堂に預けた。母は同年秋帰国するまで、2〜3度会いに来た。当時、養父は蓬莱町の交番の真向いにあった2階建ての家に住んでいた。 |
養父母の家(3階部分は増築)の写真(資料) |
左鎖骨の上方に大豆大のほくろ |
個票 |
19056 |
15 |
高 玉蘭、こう ぎょくらん、女、1ヶ月、A型 |
父、母、姉2人(次姉と本人は双子)父は軍人らしい |
関東州大連市 |
一家は関東州大連市沙河口に住んでいた。終戦後、大連造船所で働いていた趙恩生を介して、養父高尚信に預けられた。その後、両親は養家を訪れ本人を連れ帰ろうとしたことがある。 |
養父の写真(資料1)、養母の写真(資料2) |
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個票 |
19057 |
9 |
? 美栄、てき びえい、女、20年9月生、AB型 |
父、母、兄(コウイチ)父は軍人らしい |
関東州大連市 |
21年春、関東州大連市西崗区で中国人王嶺を介して、「義昌泰」という食糧店を経営していた養母李桂香に預けられた。父は戦死したらしい。母は、21年秋兄を連れて帰国した。 |
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左腕の外側にあざ、左耳下にできもののあと |
個票 |
19058 |
12 |
肖 甦、しょう そ、女、20年9月生、A型 |
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関東州大連市 |
21年2月ごろ、関東州大連市で、海北糖庄という菓子問屋の店主戚華永を介して、文房具店を経営していた養父肖重九に預けられた。その時、表が紺色で裏が白色の薄い綿入れにくるまれていた。 |
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個票 |
19059 |
9 |
辛 敏、しん びん、女、20年10月生、O型 |
父、母、兄又は姉3〜4人 |
関東州大連市 |
22年2月ごろ、両親が、日本人婦人と洋服屋で働いていた?桂香を介して、関東州大連市伊勢町の新昌号代理店の支配人だった養父辛成午に本人を預けた。その時、養父に住所、生年月日等を書いた紙包みを渡した。 |
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個票 |
19060 |
6 |
張 素鳳、ちょう そほう、女、20年12月生、A型 |
父、母 |
関東州大連市 |
父は、戦死したらしい。21年秋、母が、廃品回収業をしていた中国人馬希賢を介して、関東州大連市西崗区永楽街17に住んでいた養父張純仁に預けた。その時母は、衣類が入ったふろしき包み、本人を背負うときに使った帯及び書き付けを残した。また、20日間ほど養家に滞在し、靴のひもに金具を付ける仕事を手伝った。 |
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左耳後方の髪の生え際に傷あと、左腋の下に小豆大のほくろ |
個票 |
19061 |
8 |
李 蘭英、り らんえい、女、20年12月生、AB型 |
鈴木 父、母、兄、姉 父は大連市沙河口の森川製酒工場勤務 |
関東州大連市 |
22年5月ごろ、両親は、本人を同僚の朱雲山を介して、養父李漢昌に預けた。同年秋、両親は帰国した。兄は、中国人林に預けられた。 |
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右の耳たぶの下部が欠けている。 |
個票 |
19062 |
9 |
徐 輝、じょ き、女、21年1月生、A型 |
父、母、兄又は弟 |
関東州大連市 |
一家は、関東州大連市大連駅前の浪速町と連鎖街付近に住んでいた。21年秋、料理屋で働いていた郭功慶を介して、「玉興盛」という材木店を経営していた大工の養父徐璞?に大連市の理髪店で、預けられた。 |
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左利き |
個票 |
19063 |
8 |
何 淑蘭、か しゅくらん、女、21年2月生、O型 |
父、母。兄2人がいたらしい。父は鉄道に勤務 |
関東州大連市 |
21年8月ごろ、関東州大連市沙河口駅の近くにある鉄道員の寮で、母が養父何広徳の親類の若い嫁に預けた。その時、若い嫁はピンクのよだれ掛けとピンク地に白い兎の絵が付いた服を母の家に持参し、本人に着せて連れ帰った。その後、養父何広徳に引き取られた。 |
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左あごにあざ |
個票 |
19064 |
8 |
李 栄、り えい、女、21年3月生、A型 |
母 |
関東州大連市 |
21年10月下旬、母が関東州大連市大連駅の西橋の近くで、養父李士忠に預けた。その時、21年3月2日生と書いた紙を渡した。 |
養父の写真(資料) |
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個票 |
19065 |
63-2 |
李 洪発、り こうはつ、男、5歳、O型 |
父、母 |
関東州大連市 |
関東州大連市で両親が母方のおばに預けた。20年11月、同市でおばが養父李国運に預けた。 |
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左手中指と薬指の間に傷あと、右耳の下に黒いあざ、頭につむじ2つ |
個票 |
19066 |
63-2 |
王 洋、おう よう、男、3歳、O型 |
父、母、姉 |
関東州大連市 |
20年10月ごろ、大連港を一人で歩いている時、宮志貴及び劉宝恒に保護され、その後養父王桂殿に引き取られた。保護された時、黄緑色の少し大きめの服を着ていて、その服のポケットにブリキ製の小さな箱と栓抜きを持っていた。ブリキの箱には味の素と書かれていた。 |
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個票 |
19067 |
62-2 |
張 福全、ちょう ふくぜん、男、4ヶ月、B型 |
父、母母は大連市民生街付近の化粧クリーム工場に勤務 |
関東州大連市 |
21年2月、父母が化粧クリーム工場の経営者曲興忠を介して、養父張汝恩、養母王桂枝に預けた。21年6月ころ父母は帰国したと聞く。 |
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当時、頭におできがあった。 |
個票 |
19068 |
平2 |
王 建三、おう けんさん、男、4歳、AB型 |
父、母 父は、関東州大連市周水子の軍備倉庫で働いていたらしい |
関東州大連市 |
20年9月ごろ、関東州大連市で父母が養父王貢成に預けた。その時、両肩と両袖に2本線の入った白い服、黒色のラシャのオーバー、靴下、食料品の入った緑色のリュックサックを残した。 |
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個票 |
19069 |
62-2 |
張 桂栄、ちょう けいえい、女、5歳、A型 |
父、母、兄、姉、妹 |
関東州大連市 |
関東州大連市中央公園東門付近に住んでいた。終戦後、父母が本人を同市に住む養父?延平に預けた。その時、赤紫の着物を着ていた。 |
当時住んでいた付近の略図(資料) |
左下腹部に小豆大のほくろ |
個票 |
19070 |
62-2 |
孫 新蘭、そん しんらん、女、3歳、A型 |
父、母、姉、数人の兄 |
関東州大連市 |
20年11月、父母が関東州大連市で、孫延慶を介して車夫をしていた養父孫業田に預けた。その時「めのう」の指輪を木箱に入れて残していった。 |
養家に預けられたとき着ていた和服の写真(資料) |
口の左下にほくろ |
個票 |
19071 |
62-1 |
趙 元英、ちょう げんえい、女、2歳、B型 |
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関東州大連市 |
22年、母が関東州大連市で養父李子九に預けた。その時、鍋と日本人形が入ったガラスのケースを置いていった。 |
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個票 |
19072 |
62-2 |
申 明香、しん めいこう、女、2歳、A型 |
父、母、姉、弟 |
関東州大連市 |
20年末から21年春の間に、父母が関東州大連市で申蔵氏を介して満州水産販売株式会社で働いていた養父申春茹に預けた。 |
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個票 |
19073 |
62-2 |
金 淑萍、きん しゅくへい、女、8ヶ月、B型 |
父、母 |
関東州大連市 |
20年秋、父母が、もと警察官で中山区仁儀街13号アパート(南山消防団付近)に住む黄を介して養父金培楠、養母畢瑞蘭に預けた。 |
当時に両親が養父母に預けた建物の写真(資料1)、資料1の付近にあるトーチカの写真(資料2) |
左耳の下に小さいほくろ、左腕の外側に薄いあざ |
個票 |
19074 |
62-2 |
張 美麗、ちょう びれい、女、7ヶ月、B型 |
母(杏子)、兄(5歳) |
関東州大連市 |
20年12月ごろ、母が関東州大連市日本人住宅街の自宅で、日本人婦人を介して、養母周桂栄に預けた。その時、養母のチャイナドレスの裾にくるまれていた。 |
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お尻の両側、ひざから下の足におできのあと |
個票 |
19075 |
62-2 |
張 華玲、ちょう かれい、女、5ヶ月、A型 |
父(田川伊郎1910年生、大阪出身かもしれない)、母、兄2人 父は鉄道工夫、母は小学校教員 |
関東州大連市 |
21年、父母は本人を大連市で曲栄城を介して、養父張建三、養母唐仁英に預けた。その時、父は自分の上半身の写真と日本の出身地を書いたメモを養父に渡した。 |
関東州大連市日本橋の左側に住んでいた。当時の養父母の写真(資料) |
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個票 |
19076 |
62-2 |
呂 珍蘭、ろ ちんらん、女、21年2月生、A型 |
父、母、姉(6〜7歳)父は軍人らしい |
関東州大連市 |
20年10月ごろ、関東州大連市の立国医院で、院長の劉天崇を介して養父呂hに預けた。母は同医院で雑役をしていたが、帰国したらしい。 |
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のどぼとけに豆粒大のほくろ |
個票 |
19077 |
平2 |
王 芳紅(王 方紅)、おう ほうこう、女、1歳、A型 |
父、母、姉2人 父は鉄道労働者 |
関東州大連市 |
21年春、関東州大連市沙河口駅のアーチ型の橋の下で父母が養母王淑清に預けた。その後、父母は姉2人を連れて帰国した。 |
養家の付近の略図(資料) |
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個票 |
19078 |
平2 |
王 恵珠、おう けいしゅ、女、3歳、A型 |
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関東州大連市 |
21年9月、関東州大連市で日本人婦人と王秀珍を介して、劉艶春に引き取られた。その後、養母劉秀英に引き取られた。その時、薄いオレンジ色の服を着ていた。また南満州鉄道株式会社と印刷された用紙に「民国三十二年七月六日生、恵好子、民国三十五年九月十七日恵富士子」と書かれたメモがあった。 |
|
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個票 |
19079 |
平3 |
張 理富、ちょう りふ、男、2歳、A型 |
母、姉がいたらしい。 |
関東州大連市 |
21年7月ごろ、関東州大連市西崗菜市で母は生年月日を書いた証文を添えて養父張祥山に預けた。西崗菜市とは、大連市西崗区の野菜市場のことで、当時「破爛市場」「香爐焦」「朱家屯」「大糞場」などと呼ばれており、野菜以外のものも売っていた。養父は当時、同市場で人参を売っていた。養父は長身で顔中あばたがあった。証文(紙切れ)に書いてあった生年月日は「昭和18年3月8日」かもしれない。その時、頭にできものがあった。母は22年に日本に帰国する時に養家を訪ねたが、養母(身長150cmくらいで纏足)が本人に会わせなかった。養家は、大連市沙河口区李家街道石家溝(「周水子」駅付近)にあった。 |
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両大腿部内側に茶褐色のあざ |
個票 |
19080 |
平04訪中 |
孫 紹栄、そん しょうえい、男、3歳、O型 |
母、その他不明 |
関東州大連市 |
終戦後、関東省大連市で王という女性に引き取られた。その時王は母にもちと醤油を渡した。 |
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聴力言語障害(幼少時より)、左胸にあざ |
個票 |
19081 |
平5 |
李 中山、り ちゅうさん、男、7ヶ月、B型 |
「三郎」らしい父、母、兄2人(姓は「渡辺」か「児島」か「二島」)父は軍人らしい |
関東州大連市 |
20年9月、家族5人は山東省から関東州大連市に避難したが、途中、父は行方不明となり、21年3月、同市沙河口区で母が人を介して養父母に預けた。 |
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小さいころ、髪が非常に薄かった。 |
個票 |
19082 |
平5 |
張 立新、ちょう りつしん、女、2ヶ月、O型 |
美子母 |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市で母が養母張王氏に預けた。その時、和服を着た人形と精密にできた小さな箱も一緒に渡した。小さな箱には、へその緒が入っていた。 |
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個票 |
19083 |
平5 |
楊 月琴、よう げつきん、女、3歳、O型 |
「美子」らしい父、母、兄 |
関東州大連市 |
終戦後、関東州大連市で養母潭金花と近隣の中国人が母から引き取った。母は2歳年上の兄と帰国したらしい。母の写真という裏には「青素重子」とあった。幼児から日本の仏像の絵が見える数珠を持っている。養父の名刺と一緒に大連市役所西部出張所「中村善左」という名刺があった。 |
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左足くるぶしにあざ |
個票 |
19084 |
平6 |
柯 振楊、か しんよう、男、9ヶ月、A型 |
母、姉(当時3歳くらい) |
関東州大連市 |
二十年八月、関東州大連市南関嶺前水明子村で母が養母範淑美に預けた。その時、裸で軍用毛布に包まれており、頭にはできものがいっぱいできていた。 |
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頭の右側に傷あと |
個票 |
19085 |
平6 |
閻 慶文、えん けいぶん、男、1歳、B型 |
父、母、兄 |
関東州大連市 |
21年から22年の春、関東州大連市駅前連鎖街の洪大号成記船具店の店先で父が、養父閻子余に預けた。その時、父は他に1〜2人の子供を連れていた。預けられた時、発育不全であった。 |
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個票 |
19086 |
平6 |
張 美英、ちょう びえい、女、2歳、A型 |
母 |
関東州大連市 |
21年冬、関東州大連市西崗博愛医院前で、母が養母の姉に預け、その後、養母安喜薇に引き取られた。預けられた時、淡いピンク色の毛の服と毛のズボンをはき、その上に金色の四角い模様とピンクと薄緑色のサクランボ模様の綿の入った絹の和服をはおっていた。また、母は内側に大連松島K18と刻印されたルビーの指輪を養母の姉に渡した(現存)。 |
内側に大連松島K18と刻印されたルビーの指輪(資料) |
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個票 |
19087 |
平6 |
陳 来雲、ちん らいうん、女、8歳、O型 |
小田益子 父「圭一」、母(小さいとき死亡)、姉「恭子」、継母、継母の子供2人(赤ん坊とヨチヨチ歩きの子)父、バスの運転手 |
関東州大連市 |
終戦後、継母が養父母陳芝富夫婦に預けた。 |
関東州大連市西崗区勝利橋に居住 |
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個票 |
20001 |
4 |
王 学恒、おう がくこう、男、3歳、B型 |
父、母、兄2人、姉 父は軍人 |
その他河北省秦皇島 |
一家は河北省秦皇島の西側に住んでいた。20年秋、同島において、本人は両親とはぐれたため、浜江省哈爾浜市の極楽孤児院に連れていかれた。その後、養父王廣平に引き取られた。 |
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左腕と左右の足に傷あと |
個票 |
20002 |
7 |
李 鵬、り ほう、男、1歳、A型 |
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その他山東省?博市 |
終戦後、山東省?博市の日本人が経営する商店で働いていた日本人より、養母李鄭氏に預けられた。 |
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両耳の付け根上方に深さ約5ミリの小さなくぼみ |
個票 |
20003 |
9 |
蘇 長和、そ ちょうわ、男、2歳、B型 |
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その他山西省大同市 |
終戦後、山西省大同市小西巷の西側にあった日本人学校で、養母高玉蘭の母に保護された。その時、花柄の布団にくるまれていた。 |
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個票 |
20004 |
5 |
彭 麗美、ほう れいび、女、20年9月生、O型 |
美子 父、母、姉(4歳) |
その他内蒙古包頭市 |
21年、母が、本人も内蒙古自治区包頭市の蒙疆電設株式会社でコックをしていた養父彭会昌に預けた。その後、母は姉を連れて帰国した。養父は、日本人から「ポンさん」と呼ばれていた。 |
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左手首にあざ |
個票 |
20005 |
6 |
陳 忠雲、ちん ちゅううん、女、7ヶ月、O型 |
父、母 |
その他河北省北京市 |
ソ連参戦後、北京市郊外房山地区の農家に預けられた。その時、数枚の日本の衣服も一緒に渡された。その農家には、7〜8人の子供がいた。20年末ごろ、中国人孫を介して、養父張守明に引き取られた。 |
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右腹部に赤い小さなあざ |
個票 |
20006 |
9 |
郭 伶、かく れい、女、21年1月生、B型 |
父、母(イトウケイコ) |
その他河北省北京市 |
北京市宣武区大院里に住んでいたが、20年9月ごろ、父は、妊娠中の母の看護を中国人喩に依頼して家を出た。21年2月、母が死亡した後、喩が養父母に預けた。 |
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個票 |
20007 |
7 |
石 鳳瑞、せき ほうずい、女、20年8月生、A型 |
父、母、兄以外不明 |
その他河北省石門市 |
終戦後、本人は、河北省石門市西横街付近の日本人住宅で、建築業の丸川組の大工であった中国人李徳林に保護された。その後、丸川組の同僚である養父石玉祥に引き取られた。当時、丸川組には、平林久三、吉本という日本人が働いていた。 |
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頭部に爪の大きさぐらいの傷あと |
個票 |
20008 |
12 |
周 秀玲、しゅう しゅうれい、女、4歳、B型 |
父、母、祖母、姉 |
その他山東省青島市 |
20年9月ごろ、山東省青島市の波止場付近の蓮成楼という旅館で、両親が、青島煤炭公司の通訳をしていた養父周松芳に預けた。 |
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唇の左下に丸い傷あと |
個票 |
20009 |
9 |
劉 俊英、りゅう しゅんえい、女、4歳、B型 |
チジコ又はチシコ父、母 |
その他山東省済南市 |
18年、母とともに中国に渡った。山東省済南市林祥南街東安街泉祥に住んでいた。その家の門に「長安」という木札がかかっていた。終戦後、母が隣家の保母楊秀英に預けた。そのとき、本人は半袖のワンピースを着ていた。 |
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個票 |
20010 |
9 |
梁 学芳、りょう がくほう、女、1歳、O型 |
父、母。弟がいたかもしれない |
その他北朝鮮平安北道 |
21年夏、北朝鮮平安北道定州邑城外洞の東江楼飯店付近で、母が当時定州郡華僑総会長出会った張子明の弟張子義に本人を預けた。その後、養父梁志桐に引き取られ、28年に養父母とともに丹東市に移った。 |
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左腕と左大腿部関節に傷あと |
個票 |
20011 |
12 |
岳 田、がく でん、女、2歳、B型 |
父、母 |
その他不明 |
終戦後、父母が、旅芸人をしていた養父岳俊峰に預けた。その時、ある日本人の娘も預けられたが、25年に死亡した。その娘は姉かもしれない。 |
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下腹部に左右に大豆大のほくろ |
個票 |
20012 |
63-2 |
房 緒信、ぼう しょしん、男、6歳、B型 |
母 |
その他山東省恵民県 |
終戦後、山東省兄民権で母が養父趙貽勤、養母趙袁氏に預けた。 |
母と住んでいた家には、多くの軍用車と思われる車があった。家の西側約300メートルには軍司令部と思われる大きな建物があり、建物の手前には池と一本の大木があった。 |
頭、目じり、こめかみに傷あと |
個票 |
20013 |
平元 |
丁 福徳、てい ふくとく、男、6歳、O型 |
父母 |
その他山東省青島市 |
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父は軍の物資を扱っていた「亜細亜東電料行」または「木村電気行」という店を経営弟20年11月、父母が父の経営していた店で働いていた養父丁立保に預けた。その時、ヒスイの玉と毛筆で書かれた黄色い紙を本人に残した。 |
一家は山東省青島市に居住。本人は、同市の黄台路小学校幼児班に通っていた。 |
個票 |
20014 |
62-2 |
張 正達、ちょう せいたつ、男、1歳、O型 |
父、母 父は軍医 |
その他河北省北京市 |
終戦後・北京市石?馬大街の自宅で母が養父張仰光に預けた。 |
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右大腿部に傷あと |
個票 |
20015 |
63-1 |
趙 吉祥、ちょう きつしょう、男、1歳、B型 |
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その他河北省天津市 |
20年秋、天津市で養父楊忠信、養母秦彦玉に引き取られた。 |
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個票 |
20016 |
63-1 |
李 玉蓉、り ぎょくよう、女、1歳、B型 |
父、母、弟 |
その他河北省北京市 |
終戦後、両親が北京市で養母安慧芳に預けた。その後、両親は弟を連れて帰国した。 |
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個票 |
20017 |
平元 |
宋 玉寧、そう ぎょくねい、男、3歳、AB型 |
父、母、兄、姉 |
その他河北省北京市 |
20年10月、北京市南苑野菜市場で養母謝井韻に引き取られた。その時、本人の名前と生年月日の書かれた名札がついた洋服を着ていた。 |
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首の右側に小さなほくろ |
個票 |
20018 |
62-1 |
範 智慧、はん ちけい、女、20年10月生、B型 |
越智恵父(越智正夫)、母、兄、姉2人 |
その他河北省北京市 |
終戦後、一家は北京市に避難したが、その後、同市鼓楼東大街小経廠に住む養母夏志明に本人を預け帰国した。家父と養父は顔見知りであった。 |
愛媛県桜樹村出身らしい |
腰の中央に1円玉大のあざ |
個票 |
20019 |
62-2 |
王 桂香、おう けいこう、女、1歳、O型 |
父、母 父は富士染織廠勤務 |
その他山東省青島市 |
終戦後、青島市にあった難民収容所で、養父王金山に引き取られた。母は帰国したらしい。 |
山東省青島市四方区西太平村259に居住。父母が残したものと思われる黒の印鑑入れと三角定規(資料) |
左ひざ内側に茶色いあざ、左耳内側上部にほくろ |
個票 |
20020 |
63-1 |
李 瑞英、り ずいえい、女、3ヶ月、O型 |
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その他内蒙古薩拉斉 |
20年8月、内蒙古自治区薩拉斉で中国人に保護された。その後、同省帰綏に住む養父李有才に引き取られた。 |
保護された時に本人が包まれていたコートの写真(資料) |
左耳内側にほくろが2つ、左の脛の外側に2×3センチの傷あと |
個票 |
20021 |
62-2 |
張 愛栄、ちょう あいえい、女、2歳、B型 |
父、母、兄父は軍人 |
その他山西省臨汾県 |
終戦後、獣医であった養父張道菊に保護された。母は兄を連れて帰国したらしい。 |
預けられた時、頭髪は脱毛して無かった。 |
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個票 |
20022 |
63-1 |
周 宝琴、しゅう ほうきん、女、6ヶ月、O型 |
父、母 |
その他朝鮮咸鏡北道 |
20年末、両親が北朝鮮咸鏡北道清津市で朝鮮人を介して、養父于錫昆に預けた。 |
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上唇に1円玉大の赤いあざ |
個票 |
20023 |
平2 |
王 学玲、おう がくれい、女、1歳、O型 |
父(森本○○)、母(柳子)父は商人 |
その他朝鮮咸鏡北道 |
父は、19年6月応召。20年8月、母とともに避難する途中、母とはぐれたところを朝鮮咸鏡北道城津市で「徳成利」という店を経営していた養父王法臣に保護された。 |
養家と店の付近の略図(資料) |
胸に2つのお灸のあと、首の右側にほくろ |
個票 |
20025 |
平5 |
張 剣英、ちょう けんえい、男、昭20年12月生、B型 |
父、母、兄又は姉 父は商人 |
その他河北省北京市 |
21年初め、北京市で家の女中をしていた呉という女性を介して、王永才が養父母に預けた。父は兄又は姉と共に帰国。預けられた時、小さな花模様のあるおくるみにくるまれていた。そのおくるみには、「○○○喜」と漢字が書いてあった。また、緑色のマフラーと一対の四角い皿、へその緒を残していった。 |
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個票 |
20026 |
平5 |
張 興国、ちょう こうこく、男、4ヶ月、O型 |
父以外不明 |
その他河北省天津市 |
終戦後、父が河北省天津市で「聚呈祥」という骨董品店を経営していた最初の養父張玉田に預けた。その後、現在の養父に引き取られた。 |
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左頬に三日月型の傷あと |
個票 |
20027 |
平5 |
安 茹蓮、あん じょれん、女、4歳、AB型 |
父、母 父は軍人(将校)らしい |
その他山西省太県 |
終戦後、帰国する時に母家、山西省太原で養母王素英に預けた。その時に、赤と黄色と黒の大きな毛布にくるまれていて、毛布の中に象牙の箸が二組と、住所(山西省晋南地)と氏名を書いた紙片があった。 |
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個票 |
20028 |
平5 |
楊 小女、よう しょうじょ、女、10ヶ月、A型 |
父(「森田」かもしれない)、母、兄 父は県の役所の幹部だったらしい。 |
その他蒙疆自治政府 |
20年秋、蒙疆自治政府巴彦塔拉盟薩拉斉県で、養父楊根才に預けられた 。 |
父と同じ役所に「望月」、「春田」、「深地」、「松本」、「林川」という日本人がいた。 |
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個票 |
T078 |
4 |
蒋 福成、しょう ふくせい、男、4歳、O型 |
父、母。父は軍関係かあるいは鉄道関係で雑役をしていたらしい。 |
吉林省吉林市 |
母と汽車で吉林市に来て、大東門と桃園路の間にあった難民収容所に入った。母はそこで死亡し、朝陽街を浮浪していたところを養父に保護された。 |
|
眉の間に父母と別れる以前、隣の子と遊んでいて、石を投げられた傷あと。胸の真ん中にあざ。 |
個票 |
T001 |
6 |
喬 淑珍、きょう しゅくちん、女、6歳、B型 |
父、母、兄、姉 |
三江省依蘭県 |
昭和20年8月、三江省依蘭県達連河付近の対青山で炭鉱夫の養父に引き取られた。 |
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個票 |
T011 |
10 |
徐 鳳欄、じょ ほうらん、女、5歳、O型 |
継父、母、妹。父は戦死。継父は三江省鶴立県鶴立街の南山炭鉱勤務。 |
三江省鶴立県 |
終戦後、家族は鶴立街に避難していたが、母が急死したので継父が鶴立街で食堂を経営していた養父に妹と一緒に預けた。 |
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個票 |
T012 |
10 |
鞏 緒雲、きょう ちょうん、女、3歳、O型 |
継父、母、姉。父は戦死。継父は三江省鶴立県鶴立街の南山炭鉱勤務。 |
三江省鶴立県 |
終戦後、家族は鶴立街に避難していたが、母が急死したので継父が鶴立街で食堂を経営していた養父に姉と一緒に預けた。その後、現在の養父に引き取られた。 |
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個票 |
H0702 |
平7 |
施 瑩、し えい、女、1ヶ月、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和21年1月、哈爾浜市馬家溝で養父の弟劉万富(馬家溝の中村部隊に勤務)を介して養父施旭久夫婦に引き取られた。当時、黄緑色の毛布に包まれており、赤い珊瑚の腕輪も一緒にあった。 |
赤い珊瑚の腕輪。 |
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個票 |
H0703 |
平7 |
李 桂蘭、り けいらん、女、1歳、B型 |
父、母、兄(6歳)(ただし、詳細は不明)。父は憲兵だったらしい。 |
吉林省永吉県 |
昭和20年吉林省永吉県唐坊駅近くに日本軍が駐屯していた。昭和20年8月頃から、当時そこに出入りしていた芸人の徐大国が預かっていたが、昭和22年5月、養父李徳林夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0704 |
平7 |
王 淑栄、おう しゅくえい、女、4歳、A型 |
父、母。三江省通河県三建郷開拓団員(二部落屯)。 |
三江省通河県 |
昭和20年8月、避難途中、通河県三站で母と共に呉という中国人に保護された。一年後、母が死亡したため、王馮氏に引き取られ、その後、養父梁万余夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0705 |
平7 |
范 淑傑(範 淑傑)、はん しゅくけつ、女、2〜3ヵ月、A型 |
父、母。父は軍人だったらしい。 |
牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月、両親は牡丹江省寧安県鏡泊郷大加吉河村で死亡。同月、寧安県で白という朝鮮人に保護された。その後、養父、范丙余夫婦に引き取られた。当時、とてもやせていて、弱っていた。着ていた着物に「美歌子」又は「美和子」と書いてあった。 |
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個票 |
H0706 |
平7 |
劉 玉梅、りゅう ぎょくばい、女、5ヶ月、B型 |
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浜江省珠河県 |
昭和20年9月、浜江省珠河県一面坡の難民収容所のような数棟の家から、養母の妹徐桂芝に連れ出され、その後、養父劉世明夫婦に引き取られた。当時、花模様の服を着て、下駄をはいていた。 |
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個票 |
H0707 |
平7 |
馬 淑珍、ば しゅくちん、女、8ヵ月、B型 |
父、母(1918年(大正7年)頃の生まれ)、兄(3歳)。父は軍人、母は開拓団員。 |
浜江省延寿県 |
昭和20年秋、避難途中、浜江省延寿県加信子の張仁店前で母が養父馬福貴に預けた。その時、私は熱を出しており、着物に包まれていた。生年月日「昭和20年1月12日」らしい。 |
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左足のふくらはぎの外側に焼印のような火傷のあと。 |
個票 |
H0708 |
平7 |
張 雲芝、ちょう うんし、女、3歳、A型 |
父、母、兄(8歳)、姉(6歳)。父は牡丹江市の学校の校長。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年秋、哈爾浜市道理区ケ喜河の収容所で帰国を待っていた。父が伝染病で死亡。母が一番幼い私を養父張可常夫婦に預けた。その時、軍用のレインコートを着ていた。 |
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前頭部に小豆大の青色のあざ。 |
個票 |
H0709 |
平7 |
韓 秀芝、かん しゅうし、女、4歳、O型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月、牡丹江市の鉄嶺河収容所から養父韓亜范夫婦に引き取られた。その時、15〜16歳の女の子も一緒だったが、その子は翌日収容所に帰された。引き取られた時、花模様の和服に草履を履き、草色の小さな毛布を持っていた。 |
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丸顔で目が大きい。 |
個票 |
H0710 |
平7 |
孫 玉芝、そん ぎょくし、女、3歳、B型 |
父、母、兄(7〜8歳)。姓は「山田」。父は北安省北安空港の警備をする軍人。母は白衣の職業。 |
北安省北安市 |
ソ連参戦後、父は部隊と共に行動、母は行方不明になり、私と兄は空港の近くで養父孫興葉夫婦に保護された。当時、赤いセーターを着ており、兄は白いセーターを着ていた。兄はその後死亡した。 |
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額に避難したときの傷あと。 |
個票 |
H0711 |
平7 |
張 静文、ちょう せいぶん、女、3歳、AB型 |
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吉林省新京市 |
昭和20年8月頃、吉林省新京市で日本人から中国人夫婦に預けられ、その後四平付近で養父張士元夫婦に引き取られた。 |
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小さい時から、右の胸に5o程のほくろ。 |
個票 |
H0712 |
平7 |
劉 春栄、りゅう しゅんえい、女、5歳、A型 |
小野春子。父「小野一雄」、母、兄(6歳)、弟(2歳)。父と養父劉子忠は、牡丹江市柴市街で「小野洋行」という店を経営していた。 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年秋、子供達三人は麻疹に罹っていたが、父は症状が重かった私と弟を養父母に預け、母、兄、叔父、叔母と共に帰国した。当時父は毛布を残していった。その後、弟は病死。 |
父が残した毛布の写真。 |
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個票 |
H0714 |
平7 |
呉 殿華、ご でんか、女、7歳、A型 |
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浜江省阿城県 |
当時浜江省阿城県双豊郷官児屯に住んでいた。昭和20年8〜9月、阿城県東大嶺、関東軍倉庫付近で泣いているところを養父呉海山夫婦に保護された。その時、花柄の服を着て、白い靴下をはいていた。 |
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耳が大きい。 |
個票 |
H0716 |
平7 |
李 玉蘭、り ぎょくらん、女、4歳、B型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月、東安省林口県林口街内で中国人の男性を介し、養父李彬田夫婦に引き取られた。当時、日本の子供服を着ていた。 |
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右腕付け根に歯形と右上腕部に種痘のあと。 |
個票 |
H0717 |
平7 |
張 立生、ちょう りつせい、男、3ヶ月、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年秋、哈爾浜市道外区で、母が、赤い色の二階屋に住んでいた養父張錫嶺夫婦(当時鶏飼い)に預けた。数日後、母は私に会うために養父の家を訪ねた。その時、五人の女性が写っている一枚の写真を養父に渡した。養母の話によると、前列右端の女性が女性が実母である。別に、小さい頃から家に一人の女性の写真もあり、裏に「石井とみ子、19歳、横浜市立青木町病院にて、昭和18年3月」と書いてある。 |
五人の女性が写っている写真。(資料1) 石井とみ子の写真。(資料2) |
右脇下と首の左側に傷あと。右足の第四指は第五指と同じくらい小さい。 |
個票 |
H0718 |
平7 |
于 淑芝、う しゅくし、女、6ヶ月、AB型 |
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浜江省呼蘭県 |
昭和20年8月、浜江省呼蘭県呼蘭河で船で避難しようとしていたところ、突然銃撃を受け大混乱になり、川岸で泣いているところを呉辛氏に保護された。当時、花柄の大きめの服を着て、そばに衣類が入った布包みがあった。1年後、養父于新陽夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0719 |
平7 |
趙 徳成、ちょう とくせい、男、3歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天省奉天市郊外で養父趙武に引き取られた。 |
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太腿から尻にかけて焼印のようなあと。両足の第二指に骨折したようなあと。両耳の上の付け根に小さなくぼみ。 |
個票 |
H0720 |
平7 |
王 明、おう めい、女、4歳、AB型 |
父、母。 |
浜江省珠河県 |
昭和20年10月頃、避難途中、浜江省珠河県一面坡で両親が張という中国人に預けた。その後、李という中国人を介して、養父王恩滋夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0721 |
平07 |
陳 桂栄、ちん けいえい、女、4歳、O型 |
「栄」の字があったかもしれない。 |
奉天省営口市 |
奉天省営口市に住んでいた。昭和20年8月、「福沢(広島県出身)」が養父陳進祥に預けた。当時、紺地に白の模様のワンピース、げたをはいていた。福沢は営口市民生医院の医師で、陳はその人力車を引いていた。その後、陳は営口市の「富海洋行」に勤めた。(福沢は富海洋行の幹部だったとの説もある)。養母は本人の乳母だったかもしれない。 |
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右肩前部にあざ。右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0722 |
平7 |
房 成路(房 成禄)、ぼう せいろ、男、5ヶ月、B型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年8月、哈爾浜市三木果樹の郵便局で中国人の子供に発見され、李趙氏に保護された後、養父房錫文夫婦に引き取られた。当時、緑色に花柄模様のある服を着ていた。 |
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個票 |
H0723 |
平7 |
姜 言英、きょう げんえい、女、4歳、B型 |
父「森田小野」か「孫田小野」、母「善梅恵子か○山美恵子」 |
三江省依蘭県 |
昭和20年8月、三江省依蘭県舒楽河で、両親が養母王勝蘭に預けた。その時、手紙と一対の金の腕輪を預けた。 |
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へそにほくろ |
個票 |
H0724 |
平7 |
黄 維?、こう いきん、女、昭21・1生、AB型 |
父、母。 |
奉天省奉天市 |
父は応召。奉天市加茂町に居住。昭和21年1月24日、同町で病弱の実母がパン職人の中国人と高齢の日本婦人を介して養母の父に預けた。その時、白いネルの和服に赤地に花と扇子模様のある絹の綿入れを着ていた。和服の中に日本の明治時代の金貨3枚がはさんであった。実母は22年帰国。養父黄起発は奉天郵便保険業務局に勤務していた。 |
和服の中にあった日本の明治時代の金貨。 |
左手の薬指が湾曲、右腕に青あざ。左顔面と左耳にほくろ。 |
個票 |
H0725 |
平7 |
馬 志財、ば しざい、男、5歳、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年秋、哈爾浜市馬家溝貨物場に、日本人が乗った10輌あまりの貨車が十日前後も停っており、衰弱した子供や婦人が中国人に保護されたという。自分もそこから馬四誠に連れ出され、曹文海を介して、養父馬王宝夫婦に引き取られた。 |
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鼻の左側にほくろ。 |
個票 |
H0726 |
平7 |
李 栄科、り えいか、男、1歳、O型 |
父「田中」。吉林省新京市五馬路の東洋医院の開業医師。 |
吉林省新京市 |
昭和20年10月頃、同医院の医師であった養父李徳森に預けた。その時、青い花模様の布団にくるまれていた。 |
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個票 |
H0727 |
平7 |
葛 立生、かつ りつせい、男、3歳、O型 |
父、母。(共に死亡)。 |
吉林省新京市 |
昭和21年春、吉林省新京市吉野町の遼寧路(又は永吉路)の日本人医院近くの露店で日用雑貨を売っていた日本人女性を介し、同業者の王春福に預けられ、その後、養父葛守瑜夫婦に引き取られた。 |
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幼い頃ひどい脱肛。 |
個票 |
H0728 |
平7 |
董 万栄、とう まんえい、男、8歳、O型 |
「太郎」。父戦死、母「花子」。母は吉林省新京市吉野町の日本食堂で働いていた。 |
吉林省新京市 |
昭和20年秋、母が当時満州映画株式会社で交換手をしていた王桂蘭を介して養父董文玉夫婦に預けた。養父は、長江路南胡同で「天合福」という肉屋を経営していた。 |
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個票 |
H0729 |
平7 |
史 春起、し しゅんき、男、1歳、O型 |
父「深谷昇治」、母、姉(4歳)。父は三江省依蘭県達連河三姓炭坑の労務係主任。 |
三江省依蘭県 |
父が私と姉を同じ炭坑でダイナマイト係をしていた史成章に預けた。その後、私は史成章の兄史成祥に引き取られた。養父史成祥も父と同じ炭坑で運転手をしていた。 |
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個票 |
H0730 |
平7 |
孫 作栄、そん さくえい、女、2ヶ月、O型 |
「洋」の字が含まれていたかもしれない。姉が2人いたかもしれない。 |
通化省輝南県 |
終戦後、通化省輝南県朝陽鎮老郷舗で養母の叔父(馬車の御者で日本人とつきあいがあった)を介し、養父孫福志夫婦に引き取られた。その時、布で包まれていた。三日後日本人が面会に来た。 |
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両耳とも真ん中は厚くて堅い。 |
個票 |
H0731 |
平7 |
孟 秀栄、もう しゅうえい、女、7ヶ月、B型 |
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吉林省蛟河県 |
吉林省蛟河県に駐屯していた部隊の近くに居住。終戦後、使用人の育児係を介して養父孟広増夫婦に預けられた。養父は蛟河県の炭鉱で労務請負をしていた。 |
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首の右下に小さなほくろ。 |
個票 |
H0733 |
平7 |
陳 書華、ちん しょか、女、3歳、B型 |
父、母。間島省琿春県の開拓団員。 |
間島省琿春県 |
昭和20年9月、間島省琿春県紺春街の難民収容所で養父陳殿禄に引き取られた。 |
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左手の親指の爪の下に黒いほくろがあった。左手親指に傷あと。 |
個票 |
H0734 |
平7 |
王 樹財、おう じゅざい、男、2歳、O型 |
父、母、姉2人。父と姉一人は病死。 |
吉林省敦化県 |
昭和21年5〜6月頃、「豊田」という日本女性を介して敦化県に住んでいた養父王子明夫婦に引き取られた。その時メモがあった。母ともう一人の姉は帰国したらしい。 |
吉林省敦化県八里甫に居住。 |
頭頂部と耳の後に傷あと。 |
個票 |
H0735 |
平7 |
王 淑琴、おう しゅくきん、女、6歳、A型 |
父、母、兄。吉林省敦化県青溝子開拓団員。 |
吉林省敦化県 |
昭和20年8月、同開拓団8号で王春林に引き取られ、その後、養父王文芳夫婦に預けられた。 |
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両臀部おできのあと。右目尻にほくろ。腰にあざ。後頭部の右側に傷あと。 |
個票 |
H0736 |
平7 |
張 春光、ちょう しゅんこう、男、3歳、B型 |
父「宮沢」、姉、妹。父は本渓湖市の教育課長。 |
奉天省本渓湖市 |
昭和21年初春、それぞれ子供を抱いた三人の軍服姿の日本人が、明山街の養父張錦堂の家で三人を預けた。養父は終戦前は明山小学校の校長だったが、引き取られた当時は、校長を退職し治安委員をしていた。 |
奉天省本渓湖市明山街に居住。 |
左鼻の下に傷あと。右足甲に火傷のあと。 |
個票 |
H0737 |
平7 |
于 惠蘭、う けいらん、女、5ヶ月、AB型 |
父「池田良孝」、母。父は炭鉱職員。 |
間島省和龍県 |
昭和20年8月、父が野菜売りの于子章に預けた。その時、一緒に預けられた布包には金100元、衣類と菓子鉢が入っていた。 |
間島省和龍炭鉱の日本人住宅区に居住。同炭鉱には炭鉱長「山下泰三」、班長「松戸」がいた。菓子鉢、2枚の生地の写真。 |
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個票 |
H0739 |
平7 |
蘇 景龍、そ けいりゅう、男、2歳、A型 |
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間島省延吉県 |
間島省延吉県の孤児院(又は収容所)に収容されていた。その後、李吉栄を介して、養父蘇徳生夫婦に引き取られた。 |
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両手の甲に半円形の傷のあと。背中の右上に2つ、首の右下に3つ、右耳裏に1つのほくろ。 |
個票 |
H0740 |
平7 |
鮮 鳳霞、せん ほうか、女、5歳、O型 |
「鈴子」、「綾子」又は「玲子」父、母。父の職業は警察関係らしい(腰に刀をさしていた)。 |
奉天省営口市 |
終戦後、営口市二目町で両親が養母の母と養父許子家に預けた。その時、白地に赤色の模様の寝巻きを着ていた。以前、家にはセーラー服で三輪車に乗った女の子の写真があった。 |
奉天省営口市に居住。 |
右大腿にほくろ。 |
個票 |
H0741 |
平7 |
崔 允姫(山田 愛子)、さい いんき、女、7歳、B型 |
「山田愛子」。父「山田哲野」、母「美子」(父母とも高知県出身)、伯父(又は父の従兄)「鈴木いちろう」。父は奉天市の南満鉄路医院の医師、母は看護婦、伯父は奉天の中学校の校長。 |
関東州大連市 |
昭和21年2月、避難途中、両親は通化で行方不明。昭和21年3月、関東州大連で伯父が第一養父趙文彬に預け、その後、第二養父劉国文、孤児院を経て、第三養父宋任窮に育てられた。 |
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左手首に3センチ位の傷あと及び2つの鉛筆で刺したあと。 |
個票 |
H0742 |
平7 |
呉 桂栄、ご けいえい、女、3歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
昭和20年9月、奉天省撫順市の炭鉱で働いていた養父呉楽生に引き取られた。その時、置時計、ガラスケースに入った置物、玩具を渡した。 |
置時計、ガラスケース。 |
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個票 |
H0743 |
平7 |
呂 淑蘭、ろ しゅくらん、女、3歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
昭和20年11月、奉天省撫順市老虎台で日本人女性が、養父呂金常夫婦に預けた。 |
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右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0744 |
平7 |
王 澤卿(王 沢卿)、おう たくきょう、女、4歳、B型 |
「香子」、姓に「恒」の字があるかもしれない。父、母。 |
関東州大連市 |
関東州大連市で母とはぐれ、孤児院に収容。昭和21年夏、養父王玉堂夫婦に引き取られた。 |
日本の住所は「岡県倉付市」かもしれない。 |
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個票 |
H0745 |
平7 |
李 秀琴、り しゅうきん、女、4歳、O型 |
母。 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月頃、牡丹江市樺林駅付近の工場近くで中国解放軍に保護され、その後、養父霍英林夫婦に引き取られた。 |
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右の腕、左の膝、腹部、右脇にそれぞれ傷あと。種痘のあと。 |
個票 |
H0746 |
平7 |
劉 振中、りゅう しんちゅう、男、7ヶ月、A型 |
母、兄(人数不明)。 |
安東省安東市 |
昭和20年9〜10月、母が安東省安東市で吉田という17〜18歳の日本人女学生を介して、養父劉徳興夫婦に預けた。当時母は安東市七道溝あたりで餅を売って生計を立てていた。 |
養父母が当時住んでいた付近の地図。 |
右脇下に傷あと。 |
個票 |
H0747 |
平7 |
劉 金梅、りゅう きんばい、女、昭20・10生、AB型 |
父、母。 |
関東州大連市 |
昭和20年10月〜11月、関東州大連市で戴という中国人に預けられ、その後養父劉継徳夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0748 |
平7 |
慕 陟俊、ぼ ちょくしゅん、女、昭21年生、A型 |
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関東州大連市 |
昭和21年10月、関東州大連市の海辺で養母の父に保護され、養父慕宗福夫婦に引き取られた。当時、白いおむつと日本語のメモと一緒に布で包まれており、その上に絹の布(着物の衿又は帯ではないかと思われる)でしばられていた。 |
絹の布の写真。 |
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個票 |
H0749 |
平7 |
張 兵、ちょう へい、男、昭21年生、B型 |
父、母。母は中国語で「桃木」又は「園田」と呼ばれていた。父は軍医。 |
安東省安東市 |
昭和21年春、安東省三馬路の王秀英の家で、養父張俊先夫婦に預けられた。養父は先声社(豆乳、牛乳等の商い)を営んでいた。 |
安東省安東市三馬路付近に居住。 |
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個票 |
H0751 |
平7 |
常 国雲、じょう こくうん、女、3歳、O型 |
父、母。父は商人か職員だったかもしれない。 |
奉天省奉天市 |
昭和20年8月〜9月頃、奉天市北駅付近で母が養父常保元夫婦に預けた。母は奉天市華豊大街の養父母の家までついてきた。養父母の家は鶏をたくさん飼っていた。 |
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左腕に2つの赤いあざ。 |
個票 |
H0752 |
平7 |
孫 秋月、そん しゅうげつ、女、10ヶ月、B型 |
父「原田」、「山上」又は「原田高山」、母、兄(4〜5歳)、祖母。父は三江銀行行員又は三江省富錦県集賢鎮興農合作社に勤務。 |
三江省富錦県 |
富錦県集賢鎮に居住。当時、その地域に日本人の家は一軒だけだった。昭和20年8月、両親が隣に住んでいた養父孫維凱夫婦に預けた。 |
養父母の家の写真(資料1)、養父母の写真(資料2)。 |
左目の下に薄青色のあざ |
個票 |
H0753 |
平7 |
全 琴鉉、ぜん きんげん、男、1歳、B型 |
「かっちゃん」。父、母。父は軍人。 |
奉天省海城県 |
昭和20年8月、奉天省海城県で養父全在善夫婦に預けられた。養父は朝鮮族で、日本名「松原誠一」。海城県学校組合の職員だった。「海城師道学校」に「和久井」、「本山清」、「柴田勝三郎」、「藤原義雄」、「郡司達男」、「佐佐木」らの人がいた。 |
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個票 |
H0754 |
平7 |
欒 秀珍、らん しゅうちん、女、4歳、O型 |
父、母 父は軍の獣医 |
その他北朝鮮平安北道 |
昭和20年8月、両親が朝鮮平安北道新義州で養父欒克寛夫婦に預けた。当時、日本製の子供服の上にコートを着て、赤色の造花のついた帽子をかぶっていた。養父は日本人が経営する会社で働いていた。 |
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左人差し指に傷あと |
個票 |
H0755 |
平7 |
金 忠海、きん ちゅうかい、男、2ヶ月、B型 |
父、母。父は奉天省本渓湖煤鉄公司採炭所勤務。 |
奉天省本渓湖市 |
昭和20年8月、本渓湖二中学校の裏山の神社で父が養父金艶春夫婦に預けた。当時、白地に黒い点の模様の布に包まれてうすい緑色の石のペンダントを持っていた。 |
採炭所には「宮本一郎」、「鈴木喜依」、「福永」、「小畑」、「吉原」等の日本人がいた。 |
右大腿部に丸い小さな傷のあと。 |
個票 |
H0756 |
平7 |
冀 未花、き みか、女、3歳、O型 |
父「高山」、母 父は満平館の責任者 |
その他山西省原平県 |
昭和20年8月、母が張有中に預けた。その時、チェックの綿入れを着て、赤い毛糸の帽子を被っていた。1年後、養父冀補成夫婦に預けられた。 |
山西省原平県解放街「満平館」に居住。母の妹夫婦が解放街四条巷第三門に住んでいた。妹の夫は日本軍の医院に勤めていた。 |
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個票 |
H0757 |
平7 |
劉 桂書、りゅう けいしょ、女、1歳、B型 |
父、母、兄または姉(4〜5歳) |
その他河北省順徳市 |
昭和20年8月、順徳駅の待合室の外で車夫の郭慶海に保護された。その時、花柄の上着を着て胸に名札をつけていた。その後、養父劉福運夫婦に引き取られた。 |
河北省順徳(けい台)に住んでいた。 |
右中指は爪がない。右眼の下にほくろ。 |
個票 |
H0758 |
平7 |
梁 萍、りょう へい、女、5ヶ月、A型 |
父、母。父は軍人だったかもしれない。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年9月、哈爾浜市で両親が郭旺に預け、その後、孫建義に預けられ、3歳以後、養父梁桂林夫婦に育てられた。当時、白地に赤い布製の花の付いた帽子を被り、マントを着ていた。 |
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左右大腿部中央の内側に傷あと。 |
個票 |
H0760 |
平7 |
白 慶賢、はく けいけん、男、3歳、AB型 |
父、母、子供3人(本人は2番目)。 |
牡丹江省寧安県 |
昭和20年9月、母は子供3人と大勢の婦人達とともに、線路沿いに南の方へ避難途中、牡丹江省寧安県斗溝子駅で母が鉄道職員の蘇に預けた。その時一緒に200元、衣類、メモを渡した。一月後、養父白鳳義に引き取られた。 |
父母の本籍は鹿児島県らしい。 |
右腕に種痘のあと。右手甲と人指し指第二関節に傷あと。O脚。偏平足。 |
個票 |
H0761 |
平7 |
王 永梅、おう えいばい、女、6ヶ月、A型 |
父、母「平尾」。父は軍人。 |
吉林省新京市 |
父は応召。昭和21年3月、新京市大亜街26号で養父の店の店員、王玉秋を介して養父王学章に引き取られた。当時養父は、新京市三馬路で「華興茂」という食品店を経営していた。母が帰国前に私を連れ戻しに来たが養母が反対した。その時、(アルミのお盆)を置いていった。 |
吉林省新京市に居住。 |
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個票 |
H0762 |
平7 |
董 学義、とう がくぎ、男、5歳、B型 |
父「野沢タロウ」、母「山下」。 |
奉天省奉天市 |
終戦当時、母と共に商人の楊孟田に引き取られた。昭和22年楊孟田の病死後母は董維亮と再婚した。その後両人とも病死し、董維亮の兄、董維利に引き取られた。母の歯の左側に金歯があった。 |
奉天市皇姑区雪耻街に居住。 |
右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0763 |
平7 |
李 巾幗、り きんかく、女、5歳、O型 |
「松本妙子」父「松本太郎」、母。奉天省瀋陽県馬三家子駅前通りで雑貨店を経営していた。 |
奉天省瀋陽県 |
終戦後両親が行方不明になったため、李春栄、梁恵春夫婦に育てられた。以前、白地で帽子(ふちにウサギの毛)の付いた白の花模様のあるマントと母が縫った和服があった。 |
父はいつも外出していた。母が病弱のため、隣人の梁恵春(現養母)に養育を依頼していた。 |
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個票 |
H0764 |
平7 |
賈 淑蘭、か しゅくらん、女、4歳、A型 |
父、母、兄2人。父は技師。 |
奉天省奉天市 |
昭和20年8月頃、一家は吉林省新京市または浜江省哈爾浜市から奉天まで避難し、奉天駅南口で、廃品回収業をしていた張という中国人を介して、養父賈万貴夫婦に引き取られた。 |
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左腕に種痘のあと。首の左うしろにほくろ。 |
個票 |
H0765 |
平7 |
李 秀娟、り しゅうけん、女、5歳、B型 |
「開子」。父、母、兄、姉。開拓団員らしい。 |
奉天省奉天市 |
終戦後、奉天南駅付近の難民収容所に避難した。昭和21年1月、同収容所又は駅のホールで母が養父李万金と養父の友人高双喜に預けた。その時着ていた紫色のラシャの服の内側に字を書いた布が縫い付けてあった。養父の職業は京劇俳優。 |
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上口唇左にほくろ、首の後に傷あとが2つ、左の手首に薄いあざ。髪は天然パーマ。 |
個票 |
H0766 |
平7 |
陳 玉珍、ちん ぎょくちん、女、8歳、O型 |
父、母、妹(4歳)、弟(2歳)。牡丹江省の開拓団員らしい。 |
間島省汪清県 |
昭和20年8月、避難途中、母は間島省汪清県天橋嶺で病死。その後、養父陳興海に引き取られ、その時、花柄模様の服を着ていた。妹と弟は別の中国人にそれぞれ引き取られた。 |
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個票 |
H0767 |
平7 |
宮 希忠、きゅう きちゅう、男、5ヶ月、A型 |
父、母。父は関東州大連市西崗区の警察署に勤務。 |
関東州大連市 |
昭和20年秋、母が日本人の奥田を介し、大連市西崗区岐山医院の医師(外科医)、孫民江に預けた。その後、洋服屋の韓奇(もしくは韓可勲)夫婦に引き取られた。母は帰国する時会いにきた。その時、洋服と赤ん坊の写真を置いていった。 |
警察署の住宅に住んでいた。父はソ連軍に連行された。 |
あごに三日月形の傷あと。 |
個票 |
H0801 |
平8 |
趙 継成、ちょう けいせい、男、3歳、A型 |
父「根本立徳」。父は軍人。 |
浜江省阿城県 |
昭和20年10月、浜江省阿城県東大営の日本軍駐屯地で、父が倪という中国人を介して養母趙立珍に預けた。当時、カーキ色(軍用)のラシャの上着を着ていた。 |
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右腕に種痘のあと。右膝下に傷あと。 |
個票 |
H0802 |
平8 |
徐 斗升、じょ としょう、男、7歳、B型 |
「松井登美雄」。父、母。母は図們で、日本人経営の昭和旅館に勤務。 |
間島省延吉県 |
昭和20年8月、母は私を連れて王という中国人と再婚したが病死。その後、日本婦人が養祖母徐焦氏に預けた。当時、黒の制服を着て、黄色の毛布があった。 |
父は終戦前に日本で死亡。昭和18年、母と共に朝鮮経由で間島省延吉県図們に渡満。 |
右耳に高粱粒大のほくろ。左腕にあざ。右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0803 |
平8 |
段 桂茹、だん けいじょ、女、2歳、B型 |
父、母、自分を含め3人兄弟(?)。 |
吉林省吉林市 |
昭和20年8月頃、吉林市牛馬行通天街で父が白連奎(肉まんの店を経営)に預けた。当時、和服で黄色い帯を結んでいた。その帯に生年月日と名前が書いてあった。父は花柄の布団と白金の硯入れと筆を預けた。その後養父段福祥夫婦に引き取られた。両親は足が悪い自分を預け、他の兄弟と日本へ帰国した。 |
吉林省吉林市朝陽街に居住。父が置いていった白金の硯入れの写真。 |
幼い頃軟骨症を患ってX脚である。左腕に傷あと。 |
個票 |
H0804 |
平8 |
呉 鳳琴、ご ほうきん、女、4ヶ月、B型 |
父「島竹○二郎」、母。父は東安省鶏寧県鶏西恒山炭鉱長生採炭所の警備隊小隊長。 |
東安省鶏寧県 |
昭和20年8月、恒山炭鉱長生採炭所から日本人が避難するとき、母が養父呉徳英夫婦に預けた。養父母は恒山炭鉱長生採炭所医院の外科医と看護婦であった。 |
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腹部の中心にあざ、左腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0805 |
平8 |
馬 英芝、ば えいし、女、4歳、A型 |
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北安省北安県 |
昭和20年8月、北安省北安県北安街の駅の近くで養父馬宝成に保護された。当時、グレーのセーターに紺色のセーラー服を着て、ズボンをはいていた。足袋のようなものをはき、皮靴をはいていた。 |
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個票 |
H0806 |
平8 |
楊 徳芹、よう とくきん、女、6歳、B型 |
父(四国出身)、母、弟(4歳、昭和20年12月死亡)。父は宝清金鉱の幹部、母はタイピスト。 |
三江省佳木斯市 |
昭和20年8月、三江省佳木斯市で養父楊洪生夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H0807 |
平8 |
王 春霞、おう しゅんか、女、5歳、A型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年11月〜12月頃、浜江省哈爾浜市の難民収容所で第一養父母(氏名不明)に引き取られた。その後、第二養父母を経て、昭和22年春、第三養父王紫衡夫婦に預けられた。 |
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右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0808 |
平8 |
賈 栄華、か えいか、女、4ヶ月、B型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年9月頃、牡丹江省牡丹江市火道北難民収容所で母が周という中国人を介して養父王振山夫婦に預けた。母も少しのあいだ王の家に身を寄せていたが、その後、収容所に戻った。昭和22年頃、養父母と共に浜江省哈爾浜市に転居した。転居前に母は2回会いに来た。 |
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預けられた時、頭と臀部にできもの。 |
個票 |
H0809 |
平8 |
趙 玉琴、ちょう ぎょくきん、女、11歳、O型 |
「岩ヨシエ」。父、母、兄、姉。父は農業と炭焼き。 |
牡丹江省寧安県 |
終戦前後、母は死亡。昭和21年秋頃、牡丹江省寧安県海林で養父趙子斌に保護された。 |
昭和19年、母及び同郷の者と共に渡満。 |
右腕にお湯による火傷のあと。 |
個票 |
H0810 |
平8 |
常 建萍、じょう けんへい、女、2歳、B型 |
母、兄、弟。 |
三江省佳木斯市 |
昭和20年12月頃、三江省佳木斯市の収容所で上唇の傷が化膿し、熱を出していた私を母が佳木斯製材廠の従業員と「竹泉茂醤園」という味噌屋または漬物屋を経営する李を介して、養父常紹先夫婦に預けた。その後、母は私に会うために李の家を訪ねたが会えなかったので、名前、日本の住所が書いてあるメモを渡した。 |
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唇に傷あと。右腕に楕円形の赤いあざ。 |
個票 |
H0811 |
平8 |
王 淑環、おう しゅくかん、女、3歳、B型 |
父。 |
三江省通河県 |
昭和20年8月頃、三江省通河県張家岡宏部で父が養父王永江に預けた。 |
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個票 |
H0812 |
平8 |
孟 憲春、もう けんしゅん、女、4歳、O型 |
父、母、妹(2歳の時死亡)、叔父(母方)「田中」家族。三江省通河県濃河鎮1号の開拓団員。 |
三江省通河県 |
昭和20年8月、避難途中、大樹林子で母と叔母が養父孟照清夫婦に預けた。2ヵ月後、母と叔母が会いに来たが、養母に拒否された。 |
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右肩にできもののあと。 |
個票 |
H0813 |
平8 |
ケ 雲橋、とう うんきょう、男、1歳、B型 |
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東安省鶏寧県 |
昭和20年8月頃、東安省鶏寧県滴道河小洋橋北の高粱畑で密山方向から避難してきた30人以上の日本人が死んでおり、死亡していた母に抱かれているところを養父ケ宝山に保護された。当時、縞柄のタオル地の服を着ていた。 |
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個票 |
H0814 |
平8 |
宋 福秀、そう ふくしゅう、女、2歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
昭和20年10月頃、奉天省奉天市日本大廟で俄守木に保護された。その後、養父宋殿維に預けられた。保護された時、「上坂英(桜)子」と書かれた布の名札を付けた和服を着ていた。 |
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左手首外側に傷あと。 |
個票 |
H0815 |
平8 |
関 秀嫻、かん しゅうかん、女、1ヶ月、B型 |
父、母。父は警察官。 |
浜江省双城県 |
昭和20年8月〜9月頃、浜江省双城県で両親が養父関忠陽夫婦に預けた。当時、産着(日本式)を着ていた。父が養父母の娘にペンダントを預けた。 |
養父母の娘に預けたペンダントの写真。 |
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個票 |
H0816 |
平8 |
徐 世芳、じょ せいほう、女、10ヶ月、AB型 |
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北安省北安県 |
昭和20年9月、北安省北安県西二道街で、養父母の隣に住んでいた李という50歳位の中国人未亡人が、家の前で誰かと話をしている時、日本人の女性が来て預けていった。その日の夜、養父徐海峰夫婦に引き取られた。養父母の家の東側には、満州の警察署があった。また、近くには日本軍西大営という施設があった。養父の家には刀の部分は金属製で長さ約50cm、幅約5cm、柄の部分は約20p、幅約5cm、かたい木製でこげ茶色、「武田一郎」と焼き印のようなもので横書きされていたが、「田」の字はかすれてよく見えず「田」かどうかわからない。 |
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右腕に2か所の傷あと。右耳の中に高梁粒大、背中の真ん中やや右に小豆大のほくろ。鼻の下にあざ |
個票 |
H0817 |
平8 |
関 文学、かん ぶんがく、男、5歳、O型 |
父、母、弟。 |
吉林省新京市 |
昭和20年8月、避難途中に弟は死亡。吉林省新京市にたどり着いた時倒れ、気がついた時には、母の姿もなく、王という中国人に保護された。その後、養父関成祥夫婦に引き取られた。 |
日本で生まれた。その後、母と共に船に乗って渡満。 |
左足かかとの内側に緑豆大のほくろ。 |
個票 |
H0818 |
平8 |
曲 貴慶、きょく きけい、男、4歳、A型 |
父。父は牡丹江省牡丹江市東小太平路街の管理班長だったらしい。 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月、東小太平路日本住宅の前の防空壕の中にいるところを養父曲成憲に保護された。 |
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個票 |
H0819 |
平8 |
段 秀春、だん しゅうしゅん、女、4歳、A型 |
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東安省鶏寧県 |
昭和20年8月、東安省鶏寧県滴道で王夫婦に保護された。この時、もう一人男の子が一緒だった。王は男の子を引き取り、私は養父段錫九夫婦に引き取られた。 |
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顎の先端にほくろ。左の小鼻に傷あと。 |
個票 |
H0820 |
平8 |
孫 桂芹、そん けいきん、女、5ヶ月、A型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月、牡丹江省牡丹江市西三条路牡丹街朝鮮市場付近で孫という中国人に保護された。その後、養父孫世松夫婦に引き取られた。当時、花柄の和服を着て、緑の毛布に包まれていた。服に新潟県佐渡○崎、高橋○男の文字があった。 |
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個票 |
H0821 |
平8 |
張 雅琴、ちょう がきん、女、3歳、B型 |
父、母、姉(2〜3歳上)。 |
黒河省孫呉県 |
昭和21年、黒河省孫呉県で第一養父(農民)に保護された。その後、第二、三養父母を経て、第四養父張玉恒夫婦に引き取られた。 |
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右の顔下部にほくろ。腰の右側にいぼ。 |
個票 |
H0822 |
平8 |
張 龍江(張 竜江)、ちょう りゅうこう、男、5歳、A型 |
父、母、姉3人(19歳、17歳、15歳)、兄(11歳)。一番上の姉の名前は「シオブ」(発音)。両親は開拓団員 |
竜江省斉斉哈爾市 |
昭和20年12月、龍江省斉々哈爾市の難民収容所で母死亡後、一番上の姉が養母許景軒に預けた。姉は帰国前に会いに来た。 |
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個票 |
H0823 |
平8 |
李 玉萍、り ぎょくへい、女、2歳、A型 |
父、母。 |
吉林省舒蘭県 |
昭和20年11月頃、吉林省舒蘭県平安站七里屯の木の下で袁夫婦に保護された。袁夫婦には私を含め4人の日本人の子供が保護されていた。その後、都本深を介して養父李青田夫婦に引き取られた。保護された時、着物の袂の丸みの型があった。 |
保護された時にあった着物の袂の丸みの型の写真。 |
左眉毛の左上にほくろ、右大腿部の後方にあざ。 |
個票 |
H0824 |
平8 |
梁 運成、りょう うんせい、男、昭21・12生、B型 |
父「青木」かもしれない(ソ連軍に連行された)、母(死亡)。 |
関東州大連市 |
昭和22年10月〜11月頃、関東州大連市世紀街で日本人助産婦の勝間夫人を介して養母閻蓮香に預けられた。養父梁文権は「富冒厚 貸桟」という穀物屋を経営し、貴金属の貿易もしていた。当時、襟の付いた黒いオーバーに包まれていた。 |
預けられた時、包まれていた黒いオーバーの写真。 |
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個票 |
H0827 |
平8 |
呂 金平、ろ きんへい、男、2歳、O型 |
父「斉藤太一郎」、母。父は軍人。 |
吉林省新京市 |
昭和20年8月頃、両親が吉林省新京市西安橋外大房身屯に住んでいた養父陳海山(馬車の御者)の家で養父に預けた。当時、和服に包まれ、中に子供の服と日本国旗が一枚あった。 |
日本国旗の写真。 |
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個票 |
H0828 |
平8 |
鄒 宝英、すう ほうえい、女、4ヶ月、A型 |
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奉天省奉天市 |
昭和20年8月、奉天省奉天市一経街路の道端で養母の友人趙玉芝に保護された。その後、養父鄒立雲夫婦に引き取られた。保護された時、白いケープ(えり首には「NANIWA YOKO DAIREN」のマークがある)を着て、花柄の布団生地に包まれていた。 |
白いケープの写真(資料1)。花柄の布団生地の写真(資料2,3)。 |
へその左下にほくろ。 |
個票 |
H0829 |
平8 |
陸 永福、りく えいふく、男、昭20・12生、A型 |
父「井口」、母、兄又は姉2人。父は吉林省新京市鉄北発電廠付近で果物の卸問屋を経営。 |
吉林省新京市 |
昭和21年9月、父と父の友人(「井谷」、サーカス団々長)がサーカス団の櫓つくり職人の養父陸発順に預けた。当時、白いセーター、ズボン、靴下、帽子を着用して、ピンクの布団に包まれていた。 |
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背骨の右に不規則な褐色のあざ。 |
個票 |
H0832 |
平8 |
張 秀琴、ちょう しゅうきん、女、4歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
昭和20年8月、奉天省撫順市南台日本街で胡夫婦に保護された。その後、養父張顕徳夫婦に引き取られた。保護された時、ポケットに赤い布が入っていた。その布には日本文字が書いてあった。 |
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右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0833 |
平8 |
葛 暁娟、かつ ぎょうけん、女、1ヶ月、B型 |
祖父「後藤」(奉天省撫順市楡林の掘削機械製造工場の班長だった。)、祖母、父、母、叔母。 |
奉天省撫順市 |
昭和20年8月、祖父と親友の「浜地喜久雄」が祖父の部下趙慶祥の家で私を趙慶祥に預けた。当時、白地に小さな紫の花柄のつなぎのズボンをはいていた。また、褐色の女性物の牛皮の財布を一つ置いていった。昭和21年8月、養父葛福礼夫婦に預けられた。 |
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左足つけ根に手の親指大のあざ。 |
個票 |
H0834 |
平8 |
蔚 大順、うつ だいじゅん、男、2ヶ月、B型 |
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奉天省撫順市 |
昭和20年10月頃、奉天省撫順市大山坑日本街で呂という中国人に保護された。その後、養父蔚黄善に引き取られた。保護された時、小さな布団に包まれ、中には3枚の銅銭が入っていた。 |
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左臀部に種痘のようなあと。 |
個票 |
H0835 |
平8 |
劉 殿英、りゅう でんえい、女、8歳、AB型 |
父、母、弟。父は奉天省撫順市老虎台炭鉱の現場監督。 |
奉天省撫順市 |
昭和20年8月、老虎台日本街の大工房で養父孫俊嶺に保護された。当時、オレンジ色の和服を着て、下駄をはいていた。 |
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右眉毛にほくろ。 |
個票 |
H0837 |
平8 |
孫 彦栄、そん げんえい、男、1歳、O型 |
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奉天省撫順市 |
昭和20年10月〜11月頃、奉天省撫順市南台ゴルフ場の日本人難民収容所で死亡していた女性のそばにいるところを養父孫宝財に保護された。当時、赤と黒の混じった格子縞で丸えりの付いたケープを着ていた。 |
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個票 |
H0838 |
平8 |
李 瑛、り えい、女、4歳、O型 |
父、母。 |
関東州大連市 |
昭和21年春、関東州大連市で母と「大満洋行」(靴、カバンの製造販売)の日本人の三番目の責任者が大満洋行に勤務していた宮長生に預けた。その後、養父李景風夫婦に引き取られた。預けられた時、花柄の服を着ていた。 |
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右腕に花の形、左腰部に一円玉大の褐色のあざ。首筋にほくろ。左耳の耳殻が扁平。 |
個票 |
H0839 |
平8 |
王 中一、おう ちゅういち、男、1歳、A型 |
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奉天省奉天市 |
昭和21年8月、奉天省奉天市奉天神社で日本の婦人が邱中喜に預けた。その後、張万雲を介して養父王玉閣夫婦に引き取られた。 |
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耳が大きい。 |
個票 |
H0840 |
平8 |
程 雲多、てい うんた、男、7ヶ月、AB型 |
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奉天省奉天市 |
昭和20年12月頃、奉天省奉天市外蘇家屯で両親または母が養父商文会夫婦に預けた。養父死亡後、養母は程啓昌と再婚した。 |
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左手にほくろ。 |
個票 |
H0841 |
平8 |
周 雪丹、しゅう せつたん、女、2歳、B型 |
「みゆこ」又は「みよこ」。父「小林良三」、母「幸子」。父は通化省通化市農産株式会社社長。 |
通化省通化市 |
昭和12年長崎県から渡満。昭和21年2月、両親が通化市で佐恩普に預けた。その後、養母李剣秋に引き取られた。 |
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個票 |
H0842 |
平8 |
張 福和、ちょう ふくわ、男、1歳、B型 |
父(「原藤」同発音で「遠藤」もある)。 |
奉天省奉天市 |
昭和20年8月、奉天省奉天市で父が養父張国仁夫婦に預けた。当時、布団に包まれていた。小さな風呂敷も一緒にあり、中には日本製の織物が2枚入っていた。養父は奉天市の西関の回教徒居住区で小さな商店を出していて、タバコやマッチを売っていた。 |
日本製の織物の写真。 |
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個票 |
H0843 |
平8 |
馬 秀英、ば しゅうえい、女、昭21年生、A型 |
父「小林」、母、兄(4歳)、姉(2歳)、叔父(17〜18歳) 父は憲兵隊の軍人。母は部隊の事務をしていた。 |
その他河北省北京市 |
昭和21年、北京市貢院東街3号で母は生まれてまもない私を養母陳淑琴に預けた。 |
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左のこめかみに「日」という字のあと。 |
個票 |
H0844 |
平8 |
楊 景新、よう けいしん、女、4歳、AB型 |
父、母、弟。 |
竜江省斉斉哈爾市 |
昭和20年8月、母が私と弟を連れて避難し、龍江省斉々哈爾市の収容所に入った。昭和20年11月頃、母は既に死亡しており、斉々哈爾市の収容所にいるところを養父楊建勝夫婦に引き取られた。弟も別の中国人に引き取られた。当時、木箱(約20cm×25cm)を持っていた。中には玩具(10数個の軍隊人形)が入っていた。 |
昭和17年沖縄県生れ。玩具が入っていた木箱の写真。 |
左目に傷あと。唇の左側の上下にほくろ。 |
個票 |
H0901 |
平9 |
趙 憲文、ちょう けんぶん、男、11ヶ月、O型 |
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三江省依蘭県 |
昭和20年8月頃、三江省依蘭県老竜崗で、死亡していた女性のそばで泣いているところを養父の弟趙景陽に保護された。その後、養父趙忠義夫婦に引き取られた。 |
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首の後に大豆大の黒いいぼ。右脇の上に細長い切りきず。 |
個票 |
H0902 |
平9 |
范 妹瑶、はん しゅよう、女、4ヶ月、O型 |
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三江省依蘭県 |
昭和20年8月頃、三江省依蘭県達連河炭鉱で、養父張福平夫婦に保護された。当時、金色の花柄の布(又は帯)に包まれていた。布の中にメモがあり、「生年月日昭和20年4月13日」と書いてあった。 |
金色の花柄の布(または帯)の写真 |
左耳の下に1o位の傷あと。 |
個票 |
H0903 |
平9 |
林 英子、りん えいし、女、7歳、B型 |
「高橋英子」。父「高本東一」、母、兄(13〜14歳)。父は軍人。 |
牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月、トラックで避難途中、寧安県で両親とはぐれ、父の通訳をしていた養父林舜協に保護された。当時、セーラー服を着て胸に名札を付けていた。母が教えてくれた手鞠唄を覚えている。 |
牡丹江省寧安県の軍官舎に居住。 |
右手の親指と人差し指の間に父がタバコで付けた火傷のあと。 |
個票 |
H0904 |
平9 |
鄭 岩、てい がん、女、4歳、O型 |
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安東省安東市 |
昭和20年8月、安東省安東市付近の路上で、養母鄭王氏に保護された。 |
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右眉毛の中に粟粒大のあざ。後頭部に傷あと。 |
個票 |
H0905 |
平9 |
王 連生、おう れんせい、男、1歳、AB型 |
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北安省望奎県 |
昭和20年8月、北安省望奎県西南城にあった日本人住宅地(望奎寮)で、日本人が避難後残されていたところを養父の叔父王振清に保護された。その後、養父王鳳林に預けられた。 |
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個票 |
H0906 |
平09 |
宋 進財、そう しんざい、男、3歳、O型 |
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竜江省竜江県 |
昭和20年8月頃、龍江省龍江県三街東門外の駅から500メートルほど離れた荒野で、泣いているところを養父宋金貴に保護された。 |
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臀部下部に3か所の疥癬の傷あと。 |
個票 |
H0907 |
平9 |
高 世軍、こう せいぐん、男、2歳、B型 |
「吉江」(姓、名いずれかは不明)。父、母、兄(8歳)、姉(6歳)。両親は開拓団員 |
竜江省斉斉哈爾市 |
終戦後、家族とともに避難し、龍江省斉々哈爾市永安街の収容所に入った。昭和21年6月、母が診察を受けた市民病院の医師韓亀赫を介して「東永洋行時計店」を経営していた養父高雲福夫婦に預けられた。当時、日本服を着て紺色で花柄の布団に包まれていた。その後、家族は帰国した。 |
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両手薬指は二重指紋。右太ももに歯で噛んだようなあと。右耳たぶの後に傷あと。右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0908 |
平9 |
呂 子栄、ろ しえい、女、6歳、A型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月、牡丹江省牡丹江市付近で、馬車の御者だった養父呂啓順に保護された。当時、着ていた着物の上に、「勃利七台川」「佐渡阿崎」「石川載一」と書いてあった。 |
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左下腿に傷あと。 |
個票 |
H0909 |
平9 |
王 鳳雲、おう ほううん、女、3歳、A型 |
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興安東阿栄旗 |
昭和20年11月、興安東省阿栄旗鎮の「耿家館子料理店」で働いていた母が、同僚であった養父の弟王宝平に預けた。その後、龍江省斉々哈爾市にいた養父王保仁に引き取られた。預けられた時、うす黄色の毛皮のコートを着ていた。 |
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左腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0910 |
平9 |
関 振亜、かん しんあ、男、4歳、AB型 |
父、母。 |
間島省琿春県 |
間島省琿春県琿春街東窮八家子の日本兵営に居住。昭和20年8月、母が同構内にある養父関徳盛夫婦の家に連れてきて預けた。当時、養父は郵便馬車の御者をしていた。 |
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個票 |
H0911 |
平9 |
曽 憲忠、そう けんちゅう、男、5歳、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年11月頃、浜江省哈爾浜市花園小学校収容所で、養父曽文太に引き取られた。当時、養父は太平区南通街で靴修理の職人をしていた。国交回復後、日本の婦人が「木村法利」ではないかと訪ねてきた。 |
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個票 |
H0912 |
平9 |
張 玉梅、ちょう ぎょくばい、女、6ヶ月、O型 |
「玲子」。 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年10月頃、牡丹江省牡丹江市西?路屯の火葬場構内に収容されていた日本の婦人が養母張李氏に預けた。当時、小さな花柄の上着にズボンをはいて、外から女物の和服で包まれていた。 |
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個票 |
H0913 |
平9 |
陳 彦玲、ちん げんれい、女、7歳、O型 |
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東安省宝清県 |
昭和20年8月、日本軍の撤退後、東安省宝清県南門外日本人住宅地で病気で歩けないでいたところを養母梁書霞に保護された。 |
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個票 |
H0914 |
平9 |
張 桂栄、ちょう けいえい、女、8ヶ月、B型 |
父、母。父は酒保の責任者。 |
牡丹江省穆稜県 |
昭和20年8月、牡丹江省穆稜県穆稜鎮北街の自宅で、両親が使用人であった養父張鳳岐に預けた。当時、花柄の服を着て、花柄の布団に包まれ、左手に銀の腕輪をしていた。 |
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左腕に種痘のあと。左手首に薄い青あざ。 |
個票 |
H0916 |
平9 |
王 淑琴、おう しゅくきん、女、2歳、B型 |
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吉林省扶余県 |
昭和20年8月、避難途中、吉林省扶余県三井郷の道端に置き去られ泣いてたところを王明に保護された。その後、人を介して養母朱順文に預けられた。 |
「伊藤納」「安井」と印字されたあさ緑色の布と銀貨1枚の写真。 |
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個票 |
H0917 |
平9 |
劉 偉、りゅう い、男、4歳、O型 |
「太郎」母「美子」又は「梅子」。 |
竜江省斉斉哈爾市 |
昭和20年8月、龍江省斉々哈爾市解放門東の東城壕付近で、養父母の三番目の娘劉玉萍に保護された。その後、養父劉恩山夫婦に引き取られた。保護された時、白いシャツ、白い半ズボン青い布の靴をはいていた。 |
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背の左上部に親指大の傷あと。首の右に2つの傷あと。 |
個票 |
H0918 |
平9 |
史 秀蘭、し しゅうらん、女、3歳、O型 |
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間島省琿春県 |
昭和20年8月頃、間島省琿春県で、母が祐興福店舗裏に住んでいた養父張友祥夫婦に預けた。当時、母は生年月日「昭和17年3月5日生」を養父母に教えた。 |
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個票 |
H0919 |
平9 |
田 学衆、でん がくしゅう、男、1歳、B型 |
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吉林省新京市 |
昭和20年8月、吉林省新京市新京駅付近の「悦来桟」という旅館の前で、日本人の婦人が養母田高氏に預けた。当時、チェック柄の上着と半ズボンをはいていた。 |
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個票 |
H0920 |
平9 |
韓 秀芝、かん しゅうし、女、5歳、O型 |
父、母、兄(10歳)、姉(8〜9歳)。父は崇礼村東砲台にあった開拓団の大工だったかもしれない。 |
間島省琿春県 |
母は避難途中に病死。昭和20年11月頃、琿春新安小学校裏で日本人「徳田竹」(建設業)を介して養父韓盛玉夫婦に預けられた。翌年、姉が養家から連れ帰ったが、養父が迎えに来て、また養家に戻った。 |
間島省琿春県琿春鉄路汽車駅前にある職員住宅に居住。 |
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個票 |
H0921 |
平9 |
石 慶蓮、せき けいれん、女、7ヶ月、O型 |
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間島省琿春県 |
昭和20年8月、間島省琿春県西大廟付近で豆腐屋を営んでいた養父石仲三夫婦に保護された。当時、7〜8歳のまき毛の女の子も一緒だったが、その後、他に引き取られた。 |
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背中に大豆大のほくろ。 |
個票 |
H0922 |
平9 |
張 春明、ちょう しゅんめい、女、昭20・10生、AB型 |
父「宮沢」、姉、兄、きょうだいが3人いたらしい。父は本渓湖市の教育課長。 |
奉天省本渓湖市 |
昭和21年初春、それぞれ子供を抱いた三人の軍服姿の日本人が、明山街の養父張錦堂の家で三人を預けた。養父は元明山区小学校の校長だった。 |
奉天省本渓湖市明山街に居住。 |
鼻の左下に傷あと。 |
個票 |
H0923 |
平9 |
姜 恩光、きょう おんこう、女、2歳、A型 |
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間島省延吉市 |
昭和20年9月頃、間島省延吉市の難民収容所として使われていた教会で、養父姜瑞芝夫婦に引き取られた。当時、養父母は吉祥街で「姜家床子」という惣菜屋を営んでいた。 |
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左足土踏まずにあざ。右腕に種痘のあと。 |
個票 |
H0924 |
平9 |
王 玉珍、おう ぎょくちん、女、3歳、B型 |
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吉林省敦化県 |
終戦後、吉林省敦化県林勝二道溝の農家に引き取られたのち、官地(地名)の中国人を経て、敦化駅前でうどん製造業を営んでいた養父王春和夫婦に引き取られた。(肉親と離別した当初の詳しい状況については聞かされていない。) |
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個票 |
H0925 |
平9 |
葛 鳳蘭、かつ ほうらん、女、13歳、B型 |
「滝脇照子」。父、母、兄、姉、妹。 |
間島省琿春県 |
昭和20年12月、父は避難前に死亡。琿春から延吉まで避難したが、また琿春に戻った。その時、兄が養父葛雲停夫婦に預けた。その後、母が死亡したことを帰国前の兄から聞いた。当時、黄色いコートを着ていた。(注)高鷲開拓団に同姓同名者がいるが、調査の結果別人と判明している。 |
昭和15年頃、家族で間島省琿春県に渡満し、農業に従事。 |
右大腿部内側に火傷のあと。火傷は、渡満後、友達と縄跳びをしていた時そばにあった鍋の湯を全身に浴びたもの。 |
個票 |
H0926 |
平9 |
于 秀琴、う しゅうきん、女、1歳、A型 |
「三道潔子」。父。父は図們高島機研所勤務。 |
間島省延吉県 |
昭和22年6月頃、間島省延吉県図們で、母が養父于忠涛に預けた。当時、養父は「米巴楼」近くの喫茶店の向かい側で雑貨店を営んでいた。 |
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顎に粟粒程のほくろ。 |
個票 |
H0927 |
平9 |
李 洪傑、り こうけつ、男、3ヶ月、A型 |
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吉林省舒蘭県 |
昭和20年10月、避難途中、吉林省舒蘭県上金馬の養父のいとこ王喜玉の家に置き去られたところを保護された。その後、養父李秀峰夫婦に引き取られた。保護された時、毛布に包まれ、銅メダル(明治21年日本赤十字社と刻印)と実母に抱かれて取った写真(共に現存)が添えられていた。 |
実母に抱かれて撮った写真、銅メダル。 |
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個票 |
H0928 |
平9 |
万 徳湘、まん とくしょう、男、2歳、O型 |
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間島省延吉県 |
昭和21年6月頃、間島省延吉県で、中国人の婦人を介して徐増奎に引き取られた。その後、養父万義瑞夫婦に預けられた。 |
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個票 |
H0929 |
平9 |
孟 凡勤、もう ぼんきん、女、1歳、O型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和20年9月頃、浜江省哈爾浜市平房の日本人住宅で、日本軍人が養父孟慶福夫婦に預けた。当時、濃い緑色のカシミヤの帽子と白地に青い花柄の服を着て、表地が紺色に白い模様、裏地が白の布にくるまれていた。 |
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後頭部に傷あと。 |
個票 |
H0930 |
平9 |
鞠 鳳閣、きく ほうかく、男、昭21・2生、AB型 |
父、母 「サトウ」又は「サド」。 |
奉天省撫順市 |
昭和21年3月、両親が奉天省撫順市六道街に住んでいた養母馬桂蘭の家で養母に預けた。当時、父は鉄道員のような服装、母は藍色の花柄の和服を着ていて私は藍色に赤と黄色の模様のある布団に包まれていた。母は男物の黄色い懐中時計と、花瓶(現存)、竹で編んだ枠で中は真珠を桜の花に模した壁掛け(枠のみ現存)を置いていった。 |
花瓶の写真。 |
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個票 |
H0931 |
平9 |
趙 宝凱、ちょう ほうがい、男、4歳、O型 |
父、母。 |
奉天省撫順市 |
昭和20年8月頃、奉天省撫順市の老虎台の難民収容所で、母が第一養父趙祥雲夫婦に預けた。その後、第二養父趙沛雲夫婦に引き取られた。預けられた時、掛け時計、ハンガー、皿を一緒に預けた。 |
掛け時計、ハンガー、皿の写真。 |
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個票 |
H0932 |
平9 |
王 建華、おう けんか、男、3ヶ月、A型 |
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奉天省遼陽市 |
昭和21年4月10日、奉天省遼陽市老平里の養父王郁章の父が経営する料理屋「晏賓居」で、遼陽第一国民高等学校副校長佐藤先生、豊福先生を介して養父に預けられた。当時、紺色地に白い花柄の布団に包まれていた。 |
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個票 |
H0933 |
平9 |
謝 秀蓮、しゃ しゅうれん、女、5歳、B型 |
「山本秀子」。 |
安東省安東市 |
昭和20年8月、安東省安東市六道溝馬車橋付近で、日本人夫婦が周忠良に預けた。その後、養父謝徳勤夫婦に引き取られた。預けられた時、花柄の服を着ていた。また、氏名、生年月日の書いてあるメモを渡した。日本人夫婦は他に5〜6歳の男の子を連れていた。 |
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左の目尻の下と顔の左にそれぞれ2つのほくろ。 |
個票 |
H0934 |
平9 |
譚 秀琴、たん しゅうきん、女、1歳、O型 |
父、母、叔父「サトウサン」。間島省琿春県板石鎮の開拓団員。 |
間島省琿春県 |
昭和20年10月頃、琿春県板石鎮で郎文連に母と共に引き取られた。半年後、母は病死。その後、郎の姪夫婦(養父譚順夫婦)に預けられた。 |
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個票 |
H0935 |
平9 |
陳 鳳華、ちん ほうか、女、1ヶ月、B型 |
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その他北朝鮮平安北道 |
昭和20年8月、北朝鮮平安北道新義州府彌勒洞付近で、養父陳奇夫婦に保護された。当時、布団に包まれ、中に日本語で書かれたメモがあった。 |
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個票 |
H0936 |
平9 |
姜 仲仁、きょう ちゅうじん、男、5歳、B型 |
父、母。吉林省磐石県興隆川開拓団員。 |
吉林省吉林市 |
昭和20年10月頃、吉林市の難民収容所(元映画館)で、父が野村薫を介して養父姜子良に預けた。母は収容所で死亡。 |
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個票 |
H0938 |
平9 |
馬 桂栄、ば けいえい、女、1歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
昭和20年9月頃、奉天省奉天市の鉄道の北側で、養父馬萬秋に保護された。当時、花柄の着物を着て、毛布に包まれていた。 |
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右目と右耳の間にほくろ、背中の左上にほくろ。 |
個票 |
H0939 |
平9 |
ケ 炳義、とう へいぎ、男、8歳、O型 |
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奉天省奉天市 |
昭和21年3月、奉天省奉天市鉄西小白楼付近で薫という中国人に保護された。その後第二養父母を経て同年5月、第三養父ケ輔臣夫婦に預けられた。保護された時、和服を直した服を着ていた。 |
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個票 |
H0940 |
平9 |
張 淑芳、ちょう しゅくほう、女、9ヶ月、B型 |
父、母。 |
興安東省布特哈旗 |
昭和20年8月、興安東省布特哈旗札蘭屯の日本人住宅で、両親が料理店経営の養父張根喜夫婦に預けた。 |
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左側の乳房の下に薄茶色のあざ。 |
個票 |
H0941 |
平9 |
王 貴重、おう きちょう、男、5ヶ月、B型 |
父は「森本」、母「荷田美子」、兄 父は軍用食料品を扱う店の責任者。 |
その他内蒙古包頭市 |
昭和20年8月、内蒙古自治区包頭市東包頭財神廟街で、父が使用人の金子・王連英(養父の姪)夫婦に預けた。その後、養父王銀良夫婦に引き取られた。預けられた時、銀のペンダント、銀の腕輪と黒い革靴、赤い絹のよだれかけ(「森本」と「荷田美子」の刺繍あり)をして、黄色の軍隊用の毛布にくるまれていた。 |
銀のペンダントの写真、よだれかけの図。 |
下腹部にほくろ |
個票 |
H0942 |
平9 |
韓 玉昌、かん ぎょくしょう、男、6ヶ月、B型 |
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浜江省安達県 |
昭和20年8月、浜江省安達県薩爾図新窯の開拓団付近の森の中で養父韓秀河に保護された。 |
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個票 |
H0944 |
平9 |
王 黎明、おう れいめい、女、2歳、B型 |
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通化省臨江県 |
昭和20年8月、通化省臨江県臨江街で、中国人を介して養父王承安夫婦に引き取られた。 |
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左の小鼻の下に3o位のいぼ。左の小鼻の脇に2o位のほくろ。 |
個票 |
H1001 |
平10 |
王 継成、おう けいせい、男、4歳、A型 |
姉 |
吉林省新京市 |
昭和20年8月、吉林省逮家溝子で、日本の婦人が中国人警察官を介して豆腐売りをしていた養父王任池夫婦に預けた。姉は同警察官から別の中国人女性に引き取られた。当時、上半身裸でサスペンダー付きのズボンを着用、下駄を履いていた。預けられた時、小さな仏像を首にかけていた。 |
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個票 |
H1003 |
平10 |
王 鳳珍、おう ほうちん、女、4歳、A型 |
母。 |
牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月、牡丹江省寧安県海林二道河子鎮老家站村で、病気の母が養父王振全に預けた。 |
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右目下に母がつけた傷あと。 |
個票 |
H1004 |
平10 |
張 永和、ちょう えいわ、男、1歳、AB型 |
「只野 晃」かもしれない。 父、母、姉。 |
北安省慶安県 |
昭和20年8月、北安省慶安県張子M屯で、母が拉林開拓団本部で雑用をしていた王福を介して養父張有に預けた。 |
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個票 |
H1005 |
平10 |
張 秀雲、ちょう しゅううん、女、4ヶ月、AB型 |
父、母。 |
北安省慶安県 |
昭和20年8月、北安省慶安県両理郷劉碗舗屯で、母が荷連田を介して養父張鳳に預けた。当時、裸でいた母に養父は自分のズボンをあげた。 |
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個票 |
H1006 |
平10 |
李 相存、り そうぞん、男、1歳、B型 |
母。 |
三江省方正県 |
昭和20年9月、避難途中、三江省方正県で母が養父李鳳林に預けた。当時、左手に怪我をしていた。母は、母に抱かれて撮った写真を置いて行った。 |
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左手人差し指に傷あと。 |
個票 |
H1007 |
平10 |
于 淑雲、う しゅくうん、女、4歳、A型 |
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浜江省呼蘭県 |
昭和20年秋、浜江省呼蘭県呼蘭鎮の鉄道の東側付近で、養父于貴に保護された。当時、ピンク色の服を着ていた。 |
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個票 |
H1008 |
平10 |
朱 文玉、しゅ ぶんぎょく、女、3歳、A型 |
父。 |
浜江省賓県 |
昭和20年8月、浜江省賓県北門街にあった元教会の康生院収容所で、父が柳春福の姉に預けた。その後、養父朱徳富夫婦に引き取られた。父は柳家に会いに来たことがある。 |
養父母に引き取られた場所について(別図) |
左肩前部にホクロ。 |
個票 |
H1010 |
平10 |
李 英傑、り えいけつ、女、7ヶ月、B型 |
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北安省北安県 |
昭和20年9月、北安省北安県北安街の刑務所と警察学校の間の丘の草むらで、養父李景祥に保護された。そこには、日本人の子供を埋葬した土まんじゅうが沢山あった。当時、自分は裸で、その上に大人用の和服がかけられていた。側に黄色の毛布があった。 |
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個票 |
H1011 |
平10 |
廖 春発、りょうしゅんはつ、男、3歳、B型 |
母 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月、牡丹江省牡丹江市の空襲の数日後、同市と黄花村を結ぶ鉄道沿いにあった鉄道修理場付近で、母が養父廖正興夫婦に預けた。当時、白い和服のような服を着ていた。当時、母は30歳くらいで、黒色の中国服を着ていた。 |
養父母に引き取られた場所について(別図) |
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個票 |
H1012 |
平10 |
于 貴清、ウ キセイ、男、3歳、O型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月、東安省林口県林口駅近くの西河堤防で、養母の弟姜殿文に保護され、養父母于守孝・姜珍に引き取られた。保護された時、白い襟付きのシャツを着ていてそのシャツの襟に「祈浴県大理村大字思甜・・・」と書かれたメモが縫いつけてあった。 |
養父母に引き取られた場所について(別図) |
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個票 |
H1013 |
平10 |
李 桂芝、リ ケイシ、女、5歳、O型 |
「英子」又は「桜子」 父、母、姉、妹。 |
三江省富錦県 |
昭和20年8月、三江省富錦県北江沿西門里で、父が中国人警察官を介して雑貨店を営む養父李慶良夫婦に預けた。姉と妹も別の中国人に預けられた。父母は富錦を離れる前、李家に会いに来た。 |
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個票 |
H1014 |
平10 |
王 克偉、オウ コクイ、女、4歳、O型 |
父、母、弟がいたかもしれない。父は北安省北安県龍鎮付近の開拓団。 |
北安省北安県 |
昭和20年8月、避難途中北安駅で母が重病の私を養父王協友に預けた。当時、首に紫色の布袋を下げ、母が紫色地に扇の模様の和服をかけてくれた。 |
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個票 |
H1015 |
平10 |
于 憲玲、ウ ケンレイ、女、4歳、B型 |
母、兄又は姉。母は「農産公社吉林支社」勤務。 |
吉林省吉林市 |
昭和20年8月、吉林省吉林市で母が支社の同僚賈国瑞に預けた。その後、支社で雑役をしていた養父于成有に引き取られた。預けられた時、母はビスケットが中に入っていた漆の重箱2箱とちりめんの反物とお金を置いていった。 |
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個票 |
H1017 |
平10 |
范 秀琴、ハン シュキンウ、女、4歳、B型 |
父、母、兄、弟。 |
間島省延吉市 |
昭和21年5月頃、間島省延吉市東街大車店で、母が日本人「中谷きわ」を介して養父范喜財に預けた。当時、母手作りの半袖のワンピースを着ていた。 |
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左足の外側に傷あと。 |
個票 |
H1018 |
平10 |
劉 鳳琴、リュウ ホウキン、女、3歳、B型 |
母 |
間島省延吉市 |
昭和20年冬、間島省延吉市の0養父母宅で、母が宋聶氏を介して養父劉長義夫婦に預けた。母は延吉市西公園(旧延吉神社)で、宋聶氏と顔見知りになっていた。 |
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尾てい骨と左大腿部外側に傷あと。 |
個票 |
H1019 |
平10 |
王 佩侠、オウ ハイキョウ、女、1歳、B型 |
「山下鈴子」 母。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年8月、浜江省哈爾浜市道外区北十一道街の料理屋「恒発東包子舗」で、母が養父王玉梅夫婦に預けた。預けられた時、紺地に花模様の布包みが添えられており、包みには子どもの衣服と「山下鈴子、1944年5月5日生まれ」と書かれたメモがあった。 |
養父母に引き取られた場所について(別図) |
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個票 |
H1020 |
平10 |
? 穎、カク エイ、女、7ヶ月、O型 |
「佐藤寛子」 |
吉林省新京市 |
昭和20年9月、吉林省新京市新京駅で、日本婦人が顔見知りであった養父の弟?化鵬に預けた。その後、養父?漢亭夫婦に引き取られた。預けられた時、金の指輪2個と「1945年1月29日生、佐藤寛子」と書かれたメモが入った包みがあった。日本婦人はもう一人の子を背負っていた。 |
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個票 |
H1022 |
平10 |
王 鉄民、オウ テツミン、男、4ヶ月、AB型 |
「伊田智雄」 父、母、姉。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年8月頃、浜江省哈爾浜市で日本人の父母が養父王偉山に預けた。その時、長さ1メートル以上、幅10センチくらいの白布があった。白布に「生子 伊田智雄 昭和20年4月17日生於満州斉斉哈爾」と書かれていた。 |
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左右大腿上部にそれぞれ1つのあざ。あごの下に傷あと。 |
個票 |
H1023 |
平10 |
康 桂蘭、コウ ケイラン、女、5歳、O型 |
母、弟。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和21年4月頃、浜江省哈爾浜市の大きな建物で、母が迎えに来た二人の中国人婦人(その一人が養母康高氏)に預けた。当時、弟は病気であった。 |
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個票 |
H1025 |
平10 |
李 忠志、リ チュウシ、男、3歳、O型 |
父、母、姉、弟。 |
奉天省奉天市 |
終戦後、父母が奉天省奉天市加茂町市場で食堂を経営していた鉄玉栄(回族)を介して、養父李瑞林に預けた。姉と弟はそれぞれ別の中国人に預けられた。 |
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個票 |
H1027 |
平10 |
王 茂隆、オウ モリュウ、男、4歳、O型 |
「大橋双仁」 父「森一」、母、姉、兄「本」。父は「大濱運送店」勤務。 |
関東州大連市 |
昭和20年8月、父が関東州大連市民生街の養父王従福の家で、父の部下であった養父に預けた。当時、白地に紺色縞柄の服を着ていた。 |
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左大腿上部に3cmの傷あと。 |
個票 |
H1028 |
平10 |
李 正順、リ セイジュン、女、9歳、AB型 |
「高原行子(タカハラユケコ)」父「高原戦闘(セント)」、母「白川真子(シロカワサタコ)」。父は奉天省清原県清原街の鉱山勤務、母は日本人経営の病院で看護婦。 |
奉天省清原県 |
昭和20年8月、清原街の自宅に来ていた父の知人の朝鮮人李について尖山子の李宅へ遊びに行ったまま、両親と離別。当時、白地に黒線の入った上着とスカートを着て黄色い革鞄を背負っていた。 |
広島県福山市で出生したらしい。 |
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個票 |
H1101 |
平11 |
呂 延華、ろ えんか、男、1歳、O型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月頃(大雨の日)、牡丹江市郊外の倭肯河のそばで、養父呂明徳に保護された。 |
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個票 |
H1102 |
平11 |
劉 太祥、りゅう たいしょう、男、昭21・2生、B型 |
父「佐藤正吉」、母「竹内千鶴」、姉3人 父は開拓団員で、昭和20年5月頃、牡丹江省綏陽県綏芬河寒村から応召。 |
牡丹江省綏陽県 |
昭和20年9月、綏芬河で自分を身ごもった母と共に養父劉広海に引き取られた。母は昭和21年12月死亡した。 |
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個票 |
H1103 |
平11 |
呉 秀娥、ご しゅうが、女、7ヶ月、AB型 |
母。 |
浜江省阿城県 |
昭和20年8月頃、浜江省阿城県小嶺駅で、母が養父呉宏任に預けた。当時、襟無しの服を着て、布に包まれ高熱を出していた。 |
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個票 |
H1104 |
平11 |
陳 淑清、ちん しゅくせい、女、11歳、AB型 |
「中宅甲吉」 父「中宅善次郎」、母「上野村江」、弟(出生後死亡)。父は軍人、母はタイピスト。 |
吉林省新京市 |
昭和20年8月、新京市南大営の家が空襲を受け、父母と離別した。同年9月頃、父の通訳呂成江に保護され、北安省望奎県に住む同人の姉で養母呂成賢に預けられた。 |
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個票 |
H1106 |
平11 |
李 恵賢、り けいけん、女、1歳、B型 |
加藤枝子 父「加藤晴元」、母「加藤?子(ヨリ子?)」、叔母「加藤ナミヱ」、兄2人、姉。父は開拓団員 |
牡丹江省寧安県 |
終戦後、牡丹江省寧安鎮難民収容所で、養父李和に預けた。当時養父は運転手をしていた。 |
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個票 |
H1107 |
平11 |
馬 俊傑、ば しゅんけつ、女、9ヶ月、B型 |
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浜江省双城県 |
昭和20年9月頃、浜江省双城県双城堡の栄国飯店付近で、養父馬万林、養母の叔父柴玉芬に保護され、養父馬万林夫婦に引き取られた。当時、緑色の布団に包まれ、中に「日本」「1944.11.20」と記載された手紙が入っていた。 |
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左腕手首に親指腹大のほくろ。 |
個票 |
H1108 |
平11 |
徐 翰卿、じょ かんきょう、女、5歳、A型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月13日、東安省林口県古城鎮四村で、日本人が漢方医の養父徐文閣に預けた。その時、せっけん、たばこ、あめ、手紙の入ったハンカチの包みを渡した。 |
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短い髪で白っぽい服を着て、病気であった。 |
個票 |
H1109 |
平11 |
左 奎文、さ けいぶん、男、3歳、A型 |
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牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月頃、牡丹江省寧安県樺林の北甸子東山付近で、王貴茂に保護された。その後、子供のいない養父左喜武夫婦に引き取られた。保護された当時、灰色の服を着ており、裸足で右足甲の傷口から出血していた。 |
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個票 |
H1110 |
平11 |
李 秀英、り しゅうえい、女、6ヶ月、B型 |
姓は「栗原」 父、母 |
東安省鶏寧県 |
昭和20年8月、東安省鶏寧県恒山東村から避難の際、近所で雑貨店「徳昌府」を経営していた養父李徳昌夫婦の店先で、養母張淑梅に保護された。その時、毛布に包まれ、手紙があった。 |
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左胸下にほくろ。左足首にあざ |
個票 |
H1111 |
平11 |
張 ?、ちょう あ、女、6歳、O型 |
「?(宮)善子」 父「?(宮)公文または富太郎」、母「山田良子」、兄、弟2人、上の弟は「都一」 |
吉林省新京市 |
終戦まで新京市西安橋付近で生活していた。昭和21年春頃、母が死亡、兄も行方不明になったので、弟(後に死亡)と放浪生活中、養母高玉蘭に保護された。その後、第二養家を経て、昭和27年懐徳県郭家屯村の張樹林夫婦の養女になった。 |
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個票 |
H1112 |
平11 |
何 立新、か りっしん、女、2歳、AB型 |
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浜江省哈爾浜市 |
昭和21年7月、浜江省哈爾浜市斜紋五道街付近の鉄道北側で養父何春元夫婦に保護された。保護されたとき、紺地に白花模様の服を着ていた。 |
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個票 |
H1114 |
平11 |
徐 秀蘭、じょ しゅうらん、女、12歳、A型 |
「岡田静子」 父「岡田正夫」、母「小田昭子」、姉「繁子」、兄「利幸」、祖父「彌七」(旧満州に渡らず)。父は軍人 |
奉天省奉天市 |
昭和13年頃、家族と共に奉天市に渡った。昭和16年頃、母死亡。姉と兄はそれぞれ中学校卒業後、進学のため帰国。昭和20年9月末、父はソ連軍に連行されたが戻され、継母「工藤二三子」と共に浜江省哈爾浜市で死亡。同級生「小山希子」宅で世話になった後、奉天市の自宅で手伝いをしていた徐に引き取られた。 |
渡満前、大阪で富士山マークの自転車工場を経営していた親類「山口利夫」宅に行ったことがある。 |
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個票 |
H1115 |
平11 |
江 鳳秋、こう ほうしゅう、女、2歳、O型 |
父、母、姉または兄。 |
関東州大連市 |
終戦後、大連市中山区寺児溝で父母が養父江義徳夫婦に預けた。 |
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個票 |
H1116 |
平11 |
唐 桂珍、とう けいちん、女、1歳、O型 |
母、兄 |
三江省樺川県 |
昭和20年8月頃、三江省樺川県閻家鎮大張家村東門外で、負傷した母、兄といたところを養父唐国治に保護された。当時、顔は蚊に刺されてはれていた。 |
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個票 |
H1117 |
平11 |
羅 麗、ら れい、女、1歳、B型 |
喜子 姉「太田博美」 |
奉天省撫順市 |
昭和20年末頃、奉天省撫順駅前で、養父羅玉財の兄羅裕凱に保護された。 |
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個票 |
H1118 |
平11 |
陳 慧g、ちん けいき、男、4ヶ月、A型 |
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奉天省遼陽市 |
昭和20年6月頃、病気の母を残して父が応召することになり、土屋大八を介して、奉天省遼陽市順城街の養父陳景朝の自宅で養父母に養育を依頼した。当時養父は南満鉄病院のコックをしていた。終戦後、迎えが来ないまま、引き続き養育された。 |
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左太もも外側にあざ。 |
個票 |
H1119 |
平11 |
王 雲香、おう うんこう、女、2歳、B型 |
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関東州大連市 |
昭和22年7月頃、関東州大連市洛霞町南山朱合大院の人力車組合で、日本女性が養母劉玉華に預けた。当時、薄茶色の服を着て、髪はおかっぱだった。 |
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右わき腹に小豆大のほくろ。 |
個票 |
H1120 |
平11 |
賈 秀英、か しゅうえい、女、2歳、B型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市北駅外の寺付近にあった厚生学校で、日本人を介して養父母賈振財夫婦に引き取られた。 |
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左足人差し指裏に豆粒大のほくろ。 |
個票 |
H1201 |
平12 |
于 鴻君、う こうくん、男、4歳、A型 |
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安東省安東市 |
昭和20年10月頃、安東省安東市の三番通り付近で養兄「于鴻亮(うこうりょう)」に保護され、養父「于永水(うえいすい)」夫婦に引き取られた。当時、青い上下の綿入れを着て、素足に黒いゴム長靴をはいていた。 |
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個票 |
H1202 |
平12 |
王 義財、おう ぎざい、男、8歳、O型 |
父、母、姉4人、弟2人 父は軍人 |
三江省方正県 |
昭和20年8月、三江省方正県砲台山の日本軍駐留跡地で養父「高連発(こうれんはつ)」に保護された。保護された時、口がきけなかった。当時、黄色い羅紗(ラシャ)のオーバー、紺色の服とズボン姿で革靴を履いていた。父を除いて家族は全員砲台山で死亡。右胸に銃弾の傷、首のうしろにも傷。口がきけない者。 |
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個票 |
H1203 |
平12 |
王 桂雲、おう けいうん、女、5歳、A型 |
父、母、兄。 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年11月頃、浜江省哈爾浜市の日本人収容所(花園小学校)で、母の死亡直後に父が養母「張秀英(ちょうしゅうえい)」に預けた。市内香坊区(こうぼうく)姜家店(きょうかてん)の養母宅まで、病気のため兄に背負われて送られて来た。預けられた当時、古い上着と破れた毛糸のズボンを着ていた。二週間後、兄が会いに来た。翌年、帰国前に父と兄が来たが会えなかった。 |
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個票 |
H1204 |
平12 |
王 徳超、おう とくちょう、男、8歳、O型 |
父、母、弟。 |
牡丹江省海林県 |
昭和20年秋頃、避難途中、牡丹江省海林県二道河子で、はぐれた弟を両親がさがしに行っている間に、養父「王錫銅(おうしゃくどう)」、呉成富(ごせいふ)、李景山(りけいざん)の三名に保護された。避難前に母は「秋田」の文字を何回も書かせた。また避難中、母がポケットに拾圓札を入れた。 |
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左耳の前に二個のホクロ。 |
個票 |
H1205 |
平12 |
賈 鳳蘭、か ほうらん、女、昭20・11生、A型 |
姓は「胡田(又は戸田)。」父は軍人 |
浜江省珠河県 |
昭和21年6月頃、浜江省珠河県一面坡(いちめんは)で母が養父の母に預けた。その後、養父「賈明臣(かめいしん)」夫婦に引き取られた。当時、白いベビー服を着て、緑地に白い花柄の毛布で包まれていた。 |
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右太ももの内側に直径約2センチの火傷のあと。 |
個票 |
H1206 |
平12 |
曲 淑清、きょく しゅくせい、女、1歳半、B型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月中旬、東安省林口県亜河郷(あがごう)の道端で養父「曲万慶(きょくまんけい)」夫婦に保護された。保護された時、白いベビー服を着ていた。そばに紺地に白花柄の一反の布が置いてあった。 |
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右腕の内側に直径約二センチの赤いアザ。 |
個票 |
H1207 |
平12 |
? 宝珍、けい ほうちん、女、1歳9ヶ月、A型 |
「節子」母「結城」。家業は農業・味噌醤油製造販売業。父は昭和19年応召。 |
三江省通河県 |
昭和20年8月、ソ連軍の進攻で、母は三江省通河県祥順村で、店の使用人であった養父「?貴臣(けいきしん)」に預けて避難した。昭和21年春、母は養父宅に戻り、2年間同居した後、単身帰国した。 |
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個票 |
H1209 |
平12 |
付 桂蘭、ふ けいらん、女、8歳、B型 |
「塔娜格三(たなかさん)」、「ヒロコ、ヒロチャン」。父、母、兄2人、姉3人と、三江省通河県清河鎮(せいがちん)付近の開拓団に入植。開拓団 |
三江省依蘭県 |
昭和20年8月、ソ連参戦時、上の兄は既に応召し、次の兄は行方不明。清河鎮付近の村の収容所で父と母は死亡。姉3人とともに養父「付貴(ふき)」に預けられた。姉3人は現地で死亡。 |
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個票 |
H1210 |
平12 |
劉 淑香、りゅう しゅくこう、女、1歳未満、B型 |
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三江省方正県 |
昭和20年の寒くなった頃、三江省方正県の旅館(名前は閻家店(えんかてん))で、養父のいとこ劉長義(りゅうちょうぎ)が日本人男女2人から引き取り、同人から養父「劉長春(りゅうちょうしゅん)」夫婦に預けられた。 |
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個票 |
H1211 |
平12 |
劉 俊傑、りゅう しゅんけつ、男、4歳、B型 |
父、母、弟。父は「電気関係の仕事」 |
浜江省双城県 |
昭和20年8月下旬、母、弟と列車で哈爾浜から長春に避難する途中、母が乗り合わせた元警察官の養父「劉安生(りゅうあんせい)」に預け、養父に連れられ双城堡(そうじょうほ)駅で下車した。 |
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個票 |
H1212 |
平12 |
魏 恵蘭、ぎ けいらん、女、7歳位、O型 |
父、母、姉2人 父母は「農民」 |
間島省琿春県 |
昭和20年11〜12月頃、間島省(かんとうしょう)琿春県西大廟(にしだいびょう)で姜(きょう)という女性と養父の姉を介して、養父「魏懐章(ぎかいしょう)」夫婦に預けられた。預けられた当時、緑色(軍用の毛布色)をした綿服を着ており、手足は凍傷になっていた。半月後に30代の実母が会いに来た。 |
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個票 |
H1213 |
平12 |
謝 成孝、しゃ せいこう、男、2歳、B型 |
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間島省延吉市 |
昭和20年8月、延吉市商福地(しょうふくち)の映画館の近くで、乳母王長雲(おうちょううん)の姉王張芝(おうちょうし)に保護され、子供のいない養父「謝振清(しゃしんせい)」夫婦に預けられた。当時花模様の服を着ていた。 |
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個票 |
H1215 |
平12 |
許 琳、きょ りん、女、昭21・3生、O型 |
父は大工。 |
安東省安東市 |
昭和21年3月22日、父が養母の実家で家具作りをしたのが縁で、生まれて間もなく養父「許華庭(きょかてい)」夫婦に預けられた。当時、古い寝巻きに包まれ、手提げカバンに入れられていた。 |
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個票 |
H1216 |
平12 |
朱 桂珍、しゅ けいちん、女、昭21生、B型 |
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関東州大連市 |
昭和21年春、大連市で日本人夫婦が沙河江(さがこう)に住む若い中国人夫婦に預けた。同年11月、この夫婦が山東に転居することとなったため、養父「朱維朴(しゅいぼく)」夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H1217 |
平12 |
李 恩豪、り おんごう、男、1ヶ月、O型 |
母、姉、兄。父は軍人。 |
奉天省奉天市 |
昭和21年春頃、日本人収容所の元奉天日本東砲学校から養母の叔父金を介して、商店を営む養父「李樹純(りじゅじゅん)」夫婦に引き取られた。当時、白毛糸で編んだ正方形の小さな布団と手紙一通があった。母は姉、兄を連れて帰国。 |
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個票 |
H1218 |
平12 |
谷 鉄鳳、こく てつほう、女、3歳、O型 |
「立花満子」 父「立花亜夫」 |
通化省通化市 |
昭和20年9月、養父「谷永強(こくえいきょう)」が満州国通化省職員の上司であった日本人から預かった。当時、紺色にチェック柄の羅紗(らしゃ)の服を着て髪はオカッパであった。預けられた時、菓子と皿が入った箱を置いていった。 |
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個票 |
H1219 |
平12 |
仲 仁琴、ちゅう じんきん、女、3歳、A型 |
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東安省勃利県 |
昭和20年8月頃、東安(とうあん)省勃利県長興村馬安山(ちょうこうそんばあんざん)付近の?金?(あつきんべつ)で、多数の日本人が死亡している所で泣いているところを養父「葛長山(かつちょうざん)」に保護された。 |
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右足首内側に約1.5センチのほくろ。 |
個票 |
H1301 |
平13 |
劉 長慶、リュウ チョウケイ、男、3歳、AB型 |
母から「ミツ、ミツ」と呼ばれた記憶がある。父は軍人。 |
浜江省珠河県 |
昭和20年ソ連参戦後、大勢の人達と一緒に、浜江省珠河県珠河街まで避難し、母と同地に残留した。昭和21年、母は同地で中国人と結婚したが翌年死亡した。その後、街長を介して、養父「劉桂清」夫婦に引き取られた。 |
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さめ肌。 |
個票 |
H1302 |
平13 |
趙 淑芳、チョウ シュクホウ、女、2歳くらい、A型 |
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東安省鶏寧県 |
昭和20年8月、避難途中、東安省鶏寧県大通溝付近で、死亡した女性のそばで泣いているところを「郎」という中国人に保護された。その後、養父「趙永順」夫婦に引き取られた。保護された時の髪型はおかっぱだった。 |
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臍の下に3個ずつ横2列6個の傷あと。 |
個票 |
H1303 |
平13 |
陳 景雲、チン ケイウン、女、2歳くらい、A型 |
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東安省宝清県 |
昭和20年8月、避難途中の雨の日、東安省宝清県宝清鎮で、養父「陳春林」に保護された。 |
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左右大腿上部に刃物による傷あと。 |
個票 |
H1304 |
平13 |
于 淑梅、ウ シュクバイ、女、1〜2歳、A型 |
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黒河省奇克県 |
昭和20年8月、黒河省奇克県奇克特の日本人住宅北金寮で、日本人住宅の水汲み人夫をしていた「王」に保護された。その後、人を介して、養父「于省三」夫婦に引き取られた。 |
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左膝上側面に烙印様のアザ。 |
個票 |
H1305 |
平13 |
張 玉梅、チョウ ギョクバイ、女、1歳くらい、AB型 |
「静子」 父、母。父は「軍人」又は「軍属」 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年9月末、母が罹病したため、父の知人「高野」が、牡丹江省牡丹江市紫雲街の養父「張福祥」の自宅で養父母に預けた。養父は「第261部隊※」の倉庫係、高野は養父の上司であった。当時、白地にピンクの花柄の和服を着て、軍用毛布に包まれていた。毛布には「田中」と書かれていた。(※第17野戦貨物廠と思われる。) |
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両眉の間に小さなホクロ。 |
個票 |
H1306 |
平13 |
張 廷来、チョウ テイライ、男、7歳、A型 |
「ワタナベミズアキ」 母、姉2人、母は終戦前に死亡。父は「軍人」。 |
東安省鶏寧県 |
昭和20年8月中旬、東安省鶏寧県哈達河からの避難途中、同県麻山付近で大勢の避難民が死亡後、その現場からもう一人の男の子と一緒に、中国人「朱占山」に保護された。保護された時、青色の服を着ていた。その後、養父「張進澤」夫婦に引き取られた。 |
哈達河の家は小学校の近くにあり、平屋の煉瓦造りで、床や天井は高く、床下に水が流れていた。 |
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個票 |
H1307 |
平13 |
李 穎萍、リ エイヘイ、女、1歳、B型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月、避難途中の東安省林口県大盤堂村で戦闘があり、そのとき死亡した母のそばにいたところを中国人に保護された。その後、養父「李祥」夫婦に引き取られた。 |
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個票 |
H1308 |
平13 |
銭 文博、セン ブンハク、女、1歳、B型 |
父、母。父は軍人。 |
間島省延吉市 |
昭和20年秋、間島省延吉市の八路軍衛生所で、入院中の母が父と相談して、看護婦をしていた養母の妹を介して養父「銭峰山」夫婦に預けた。 |
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鼻の右側に大豆大のホクロがあったが、13歳のとき除去した。 |
個票 |
H1310 |
平13 |
王 広財、オウ コウザイ、男、1歳、B型 |
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吉林省敦化県 |
昭和20年冬、吉林省敦化県大石頭鎮の街路で、養父「王正玉」夫婦に保護された。保護された時、つなぎのベビー服を着ていた。 |
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右こめかみに傷あと。 |
個票 |
H1311 |
平13 |
金 銘、キン メイ、男、3歳、O型 |
父。他に家族がいたらしい。父は長春県興農合作社に勤務。 |
吉林省新京市 |
昭和20年8月終戦後、吉林省新京市の興農合作社宿舎で、父が同僚であった養父「金恩霖」夫婦に預けた。 |
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個票 |
H1312 |
平13 |
張 傑暉、チョウ ケツキ、女、4〜5歳、B型 |
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吉林省吉林市 |
昭和20年8月、吉林市黄旗屯西大営付近の道端で泣いているところを、養父「張雲亭」に保護された。当時の髪型は「おかっぱ」だった。 |
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左足の付け根に傷あと。 |
個票 |
H1313 |
平13 |
劉 紅、リュウ コウ、女、2ヶ月、B型 |
「安倍恵子」 |
吉林省吉林市 |
昭和20年10月10日、吉林市牛馬行褌档街の養父「劉鳳岐」の自宅で、砂塚貞吉氏の妻と30歳くらいの日本人女性が養父母に預けた。砂塚氏は質店を経営し、古着屋の養父と懇意であった。当時、白いネルの下着、袷の長着を着て、白地に赤い花模様の小さな布団と黄色の毛布に包まれていた。 |
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個票 |
H1314 |
平13 |
王 立法(旧名 徐 更正)、オウ リッポウ、男、3歳、A型 |
父、母、兄。父は開拓団員。 |
三江省依蘭県 |
昭和20年10月、三江省依蘭県西江はで、二人の男の子を連れた日本婦人が、ブリキ屋を営んでいた養父「徐子文」夫婦に本人を預けた。当時6歳だった兄は、菓子屋に預けられた。養父の死亡後、7歳時に王家にもらわれて改名した。 |
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個票 |
H1315 |
平13 |
秦 永禄、シン エイロク、男、2歳半、A型 |
父、母、兄(当時4〜6歳)。 |
奉天省奉天市 |
昭和20年秋頃、奉天駅近くの日本人難民収容所で、養父「秦双臣」夫婦に引き取られた。 |
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頭部及び両眉の間に傷あと。 |
個票 |
H1316 |
平13 |
王 懐慶、オウ カイケイ、男、2歳、A型 |
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奉天省撫順市 |
昭和21年2月〜3月頃、奉天省撫順市北台の日本人小学校跡の難民収容所で、女性から養父「王立営」に預けられた。当時、紐のついた白い上着とズボンをはいていた。 |
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個票 |
H1319 |
平13 |
李 長有、リ チョウユウ、男、8歳、A型 |
父、母、祖母。 |
奉天省奉天市 |
昭和20年8月終戦後、乳児を連れた二人の日本人女性と四人で奉天市まで避難。駅近くの収容所にいる時、餅売りの中国人について行った後、別の中国人と数ヶ月生活。その後、養父「李秀田」夫婦に引き取られた。 |
日本では、山の中腹の三角形のわら屋根の家に住んでいた。石段や石畳があり、下に川が流れていた。1kmくらい離れたところで木炭を焼いていた。父が単身、興安北省満州里市へ渡満後、母、祖母と3人で父の元へ。母はまもなく病死、箱に入れて山の中腹で火葬にした。祖母も避難直前に死亡。 |
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個票 |
H1401 |
平14 |
周 鳳岐、シュウ ホウキ、男、6〜7歳、O型 |
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三江省通河県 |
昭和20年冬、三江省通河県張家崗村の開拓団跡地で中国人に保護され、その後、第三者を介して、養父「周世恩」夫婦に引き取られた。保護された時、病気で歩けなく、衣服はボロボロだった。 |
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個票 |
H1402 |
平14 |
鄭 芬玉、テイ フンギョク、女、4〜5歳、A型 |
父、母 父は、終戦前奉天市の兵器工場に勤めており、工場近くの日本人住宅に住んでいた。 |
奉天省奉天市 |
終戦後は母と二人であったが、昭和20年冬、母が病気になったため、以前父と同じ兵器工場に勤めていた養父「鄭攀挑」に預けることとし、養母「鄭カク氏」と養父の兄嫁が引き取りに来た。 |
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両耳に小さなくぼみがある。首左側の付け根にホクロがある。 |
個票 |
H1403 |
平14 |
樊 素蘭、ハン ソラン、女、1歳位、A型 |
日本名「春上」又は「村上」。父、母 |
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年秋、哈爾浜市の香坊収容所で、当時裁縫の行商をしていた養父「樊振海」に引き取られた。当時、父と本人は病気であった。 |
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個票 |
H1404 |
平14 |
呉 晶森、ゴ ショウシン、男、5歳、AB型 |
父、母、姉、兄 父母は開拓団員。 |
間島省琿春県 |
終戦後、間島省琿春県琿春街で、母が養父「呉顕清」に預けた。その後、姉と兄が養父母の家に会いにきた。昭和21年暖かい時期に、母が、養父母の家から炭坑宿舎であった日本人収容所に連れ戻したが、養父の弟に連れ戻された。 |
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|
個票 |
H1406 |
平14 |
曲 振昌、キョク シンショウ、男、3〜4ヶ月、O型 |
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牡丹江省東寧県 |
昭和20年8月、牡丹江省東寧県東寧の鉄道付近にあった日本人住宅街の道端で、養父「曲成勲」の子供に保護された。保護された時、ベビー服と小さな子供服を重ね着し、帯留め紐で結ばれていた花柄の布に包まれていた。また、その時、熱が出ていた。 |
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個票 |
H1501 |
平15 |
王 玉龍、オウ ギョクリュウ、男、2歳、O型 |
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東安省林口県 |
昭和20年8月、東安省林口県古城鎮水泡子(北大営近くの大きな水たまり)付近で、死亡した男女のそばで一人で泣いているところを養父「王洪傑」に保護された。 |
|
背中にほくろ。 |
個票 |
H1502 |
平15 |
王 秀蘭、オウ シュウラン、女、2〜3歳、A型 |
|
三江省方正県 |
昭和20年11月頃、三江省方正県紅部から中国人「董」を介して、母と共に仁和屯の第一養父「姜起発」に引き取られた。翌年母が死亡したため、同屯の第二養父「王振民」に預けられた。母は「レンシャン(レンさん)」と呼ばれていた。 |
|
右大腿部3カ所に1cmの傷跡。 |
個票 |
H1503 |
平15 |
黄 友発、コウ ユウハツ、男、4〜5歳、O型 |
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東安省鶏寧県 |
昭和20年8月、東安省鶏寧県安平河村付近の湾溝子で、死亡した人々のそばで泣いているところを中国人に保護され「付」家に預けられたが、まもなく養父「黄錫堂」に引き取られた。 |
|
保護された時、顔は蚊に刺されてはれ上がり、下痢のため脱肛していた。 |
個票 |
H1504 |
平15 |
曲 坤、キョク コン、男、3〜5歳、A型 |
|
浜江省哈爾浜市 |
昭和20年9月、哈爾浜市南崗区の日本憲兵隊で連絡員をしていた「曲兆文」から、日本人の友人の子であるとして馬家溝宣文街に住む養父「曲義官」に預けられた。当時、白い襟の服とグレーのズボンをはいていた。 |
|
|
個票 |
H1505 |
平15 |
于 慶雲、ウ ケイウン、女、2ヶ月、O型 |
|
東安省鶏寧県 |
昭和20年8月9日、東安省鶏寧県滴道駅付近のトウモロコシ畑で、死亡した日本婦人のかたわらで泣いているところを「于瑞義」に保護され、甥である養父「于延亭」に引き取られた。 |
|
|
個票 |
H1506 |
平15 |
? 志賢、ユ シケン、女、2〜3歳、AB型 |
「あきこ」 |
牡丹江省牡丹江市 |
昭和21年3〜4月、牡丹江駅南の太平路西側(路面電業局跡地)の難民収容所から養父「?文博」、養母「郭玉珍」に引き取られた。その時、日本語を話せた養母の義弟「魏樹山」が一緒であった。 |
|
引き取られた時、ひどくやせて腹がふくらんでいた。 |
個票 |
H1508 |
平15 |
日 華、ニッカ、男、4歳、O型 |
父、母。 |
奉天省奉天市 |
両親と他の日本人と共に爆撃を受け、その際耳を負傷した。その後、奉天市で解放軍に保護され、奉天市の孤児収容施設に収容された。保護された時、膝丈の着物を着ており、解放軍がオーバーを着せてくれた。着物の袷に文字が書いてある布が縫いつけてあった。 |
|
聴覚障害者。 |
個票 |
H1509 |
平15 |
李 光友、リ コウユウ、男、2歳、B型 |
|
関東州大連市 |
終戦後、日本人夫婦の家から馬車で、大連市甘井子に住む石の採掘をしていた「王」の家に連れてこられた。王の妻は病弱で子供を育てることができなかったため、2、3ヶ月後、大連市西崗区第一市場の養父「李英軒」に引き取られた。 |
|
「王」に引き取られた時、病気で腹がふくらみ、綿入れの布団に包まれていた。 |
個票 |
H1510 |
平15 |
呉 宝明、ゴ ホウメイ、男、5歳位、A型 |
父、母、祖母。 |
奉天省奉天市 |
ソ連参戦後、父母は三江省佳木斯市で死亡。祖母と共に奉天南駅付近の収容所に避難したが、祖母が死亡し、物乞いをしているところを中国人「劉」に保護され、その後養父「呉洪恩」夫婦に引き取られた。 |
|
|
個票 |
h1601 |
平16 |
徐 国彬、 ジョ コクヒン、男、 4歳位、 A型 |
|
東安省鶏寧県 |
昭和20年秋、東安(トウアン)省鶏寧(ケイネイ)県梁家街(リョウカガイ)の道にいるところを、養父「徐文公(ジョブンコウ)」、養母「素琴(ケイソキン)」に保護された。 保護された時、和服を着ていた。 |
|
右目の下にほくろ。 |
個票 |
h1602 |
平16 |
劉 桂華、 リュウ ケイカ、女、 7〜8ヶ月、 O型 |
父、母、姉。 |
東安省密山県 |
昭和20年8月、避難した東安(トウアン)省密山県永安(エイアン)開拓団霞城(カジョウ)地区の人達が再び戻って来た翌朝、野菜畑で母が養父「劉景和(リュウケイワ)」に預けた。 間もなく爆発音がして、開拓団の人達は集団自決をした。 |
|
|
個票 |
h1603 |
平16 |
王 素春、 オウ ソシュン、女、 5〜6歳、 O型 |
|
東安省鶏寧県 |
昭和20年8月下旬、東安(トウアン)省鶏寧県鶏寧街興国路(コウコクロ)にあった馬車株式会社裏の空き地で一人で泣いているところを、養父「王栄喜(オウエイキ)」に保護された。 |
写真1枚 |
左目の上、右上唇にほくろ。 |
個票 |
h1604 |
平16 |
林 淑雲、 リン シュクウン、女、 3〜4歳、 B型 |
|
牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月中旬、牡丹江市謝家溝(シャカコウ)にあった軍馬場で泣いているところを、養父「林国軍(リンコクグン)」、養母「林陸氏(リンリクシ)」に保護された。 保護された時、泥だらけで、ぼろぼろのピンク色の上着を着ていた。 |
|
|
個票 |
h1605 |
平16 |
董 淑芳、 トウ シュクホウ、女、 3歳位、 A型 |
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牡丹江省綏陽県 |
昭和20年8月9日、牡丹江(ボタンコウ)省綏陽県綏陽街に、ソ連機の爆撃があった後、綏陽県西子(セイワイシ)の線路沿いの道端で泣いているところを、「張(チョウ)」夫婦に保護された。2日後、第一養父「閻世成(エンセイセイ)」、養母「王秀蘭(オウシュウラン)」に引き取られた。 |
|
|
個票 |
h1606 |
平16 |
于 桂香、 ウ ケイコウ、女、 3〜4ヶ月、 O型 |
母、姉。 |
三江省富錦県 |
昭和20年8月、日本人の避難所となっていた三江(サンコウ)富錦県集賢鎮(シュウケンチン)警察署で、母が、食事を運んでいた「畢国忠(ヒツコクチュウ)」を介して、養父「于連清(ウレンセイ)」に預けた。 預けられた時、花模様の布地に包まれており、養父が母から預かった包みの中に、2枚の写真が入っていた。 |
写真2枚 |
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個票 |
h1607 |
平16 |
郎 風林、 ロウ フウリン、男、 2〜3歳、 AB型 |
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間島省琿春県 |
昭和21年、間島(カントウ)省琿春県三家子(サンカシ)郷八連城(ハチレンジョウ)村で、母が「葛連成(カツレンセイ)」に預け、2日後、養父「郎国昌(ロウコクショウ)」に引き取られた。 引き取られた時、病気のため大変やせていて、立つことができなかった。 |
|
|
個票 |
h1608 |
平16 |
劉 桂芳、 リュウ ケイホウ、女、 5歳、 O型 |
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竜江省長嶺県 |
昭和20年8月、母と2人の婦人とともに龍江(リュウコウ)省白城子(ハクジョウシ)方面から避難の途中、四平(シヘイ)省長嶺県大興(ダイコウ)郷中興(チュウコウ)村前屯(ゼンケイトン)西の草原で、4人とも村民に保護された。 前屯に向かう途中母が行方不明となり、その後、養父「劉鳳山(リュウホウザン)」に引き取られた。 保護された時、赤っぽいマントのような服を着ていた。 |
|
鼻の下にほくろ |
個票 |
h1609 |
平16 |
張 淑琴、 チョウ シュクキン、女、 2〜3歳、 A型 |
父、母、妹。 |
奉天省撫順市 |
昭和21年9月頃、奉天(ホウテン)省撫順市久保(クボ)町の日本人住宅で、「韓亜民(カンアミン)」を介して、養父「張連貴(チョウレンキ)」、養母「韓秀芳(カンシュウホウ)」に引き取られた。 引き取られた時、縞模様の和服を着ていた。 |
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|
個票 |
h1611 |
平16 |
裴 来友、 ハイ ライユウ、男、 6〜7歳、 O型 |
父、母、兄、姉。 |
奉天省撫順市 |
昭和20年10月、奉天(ホウテン)省撫順市の収容所で母が養母「薛金蘭(セツキンラン)」に預けた。 母は養母と一緒に撫順市南花園(ナンカエン)の養父「裴殿合(ハイデンゴウ)」の家に行き、場所を確認した。 その後、母と姉が養父母宅を訪れ、帰国することを告げた。 |
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個票 |
h1612 |
平16 |
ニーナ・イヴァーノヴナ・ポリャンスカヤ、女、 1歳半〜2歳、 O型 |
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牡丹江省牡丹江市 |
昭和20年8月17日、ソ連軍の攻撃を受けた牡丹江市掖河(エキカ)駅近くの日本軍トーチカで、ソ連軍兵士「ミフリャ」に保護された。保護された時、赤茶色の上着、黄色いシャツ、ズボンを着て毛布にくるまれており、砲撃により鼻を負傷していた。 |
写真1枚 |
右こめかみに小さなほくろ。 |
個票 |
h1701 |
平17 |
王 桂珍、オウ ケイチン、女、3ケ月位、A型 |
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牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月、避難途中、牡丹江(ボタンコウ)省寧安県二道河子(ニドウカシ)鎮老家站(ロウカタン)村で、朝鮮族の「金景風(キンケイフウ)」に預けられ、その後、養父「王占武(オウセンブ)」に引き取られた。 |
|
額中央の髪の生え際に傷跡がある。 |
個票 |
h1702 |
平17 |
李 福貴、リ フクキ、男、1歳位、O型 |
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浜江省阿城県 |
昭和20年、浜江(ヒンコウ)省阿城県東大営(ヒガシダイエイ)の日本軍駐屯地で、粉屋の「李九娥(リキュウガ)」が3人の子供を預かり、その後、養父「李保振(リホシン)」に引き取られた。「李九娥」に一緒に預けられたのは5歳位と3歳位の男の子だった。 |
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聴覚障害者 |
個票 |
h1703 |
平17 |
姜 恩慶、キョウ オンケイ、男、2〜3ヶ月、B型 |
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間島省延吉市 |
昭和20年11月、間島(カントウ)省延吉市の日本人収容所となっていた天主教会から、日本人助産婦の依頼で、医者「金蘭成(キンランセイ)」、助産婦「郎品潔(ロウヒンケツ)」を介し、養母「汪淑貞(オウシュクテイ)」に引き取られた。 |
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個票 |
h1705 |
平17 |
王 善林、オウ ゼンリン、男、3歳位、A型 |
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奉天省奉天市 |
昭和20年9月頃、奉天(ホウテン)南駅付近の難民収容所となっていた日本人学校で、養父「王子瑞(オウシズイ)」に引き取られた。同時に養父に同行した二人の中国人のうちの一人も別の男の子を引き取った。 |
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個票 |
h1801 |
平18 |
劉 茹新、リュウ ジョシン、女、5〜6歳、B型 |
「春子」 父「長谷川雄」 父は「軍人、駅の分所長」 |
牡丹江省寧安県 |
昭和20年8月、避難途中、牡丹江省寧安県でソ連機の攻撃を受けて多くの人が逃げ惑うなか、トウモロコシ畑や防空壕に逃れた後、寧安県石頭に住み、鉄道警察に勤めていた養父「劉雨春」に引き取られた。 |
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|
個票 |
h1802 |
平18 |
康 晶、コウ ショウ、女、1〜2歳、O型 |
「えみちゃん」、母「松井島子」、兄・姉(3〜4歳年上)父は「軍人」で、戦死したらしい。 |
吉林省新京市 |
終戦前、一家は吉林省新京市白菊町に住んでいたが、終戦後、母子は同町で洋服の仕立業をしていた養父「康鳳祥」に保護された。 昭和21年秋、母が病死したため、兄姉は「王老三」に引き取られた。その後、兄姉は会いに来ていたが、帰国したらしい。引き取られた時、黒い緞子の綿入れの上下を着ていた。 |
|
背中の右上に小豆大のホクロがあったが、平成15年に除去した。 |
個票 |
h1803 |
平18 |
梁 菊芬、リョウ キクフン、女、5〜6歳、AB型 |
父、母、姉、弟 |
その他朝鮮江原道 |
昭和20年秋、避難途中、朝鮮江原道金化郡で水を探している途中に家族とはぐれた後、「楊学州」に保護された。その後、養父「梁俊遠」夫婦に引き取られた。保護された時、赤・黄・白の模様のスカートをはいていた。 |
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背中の中央にホクロ、右大腿部外側に種痘痕4個がある。 |
個票 |
h1804 |
平18 |
馮 秀枝、ヒョウ シュウシ、女、昭21・1生、O型 |
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奉天省奉天市 |
昭和21年3月頃、奉天市太原北街の難民収容所となっていた日本人学校で30歳位の日本人夫婦が、養父「馮樹森」と養父の隣人「劉立徳」に預けた。預けられた時、花模様の布に包まれており、包みの中には財布と日本の文字が書かれた紙が一緒に入っていた。 |
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個票 |
h1805 |
平18 |
王 森林、オウ シンリン、男、3歳位、B型 |
父、母 父は「軍人」 |
奉天省奉天市 |
昭和20年秋、奉天市郊外の鉄道に沿って避難しながら張士屯のコーリャン畑に逃げた後、母が「劉漢志」に預けた。その後、地主「姜広富」の妻を介して養父の父に預けられた後、養父「王化一」に引き取られた。預けられた時、ポケットの中に一銭硬貨が入っていた。 |
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個票 |
h1806 |
平18 |
王 志媛、オウ シエン、女、9ヶ月位、B型 |
父は「軍人」 |
錦州省綏中県 |
昭和20年9月、錦州省綏中県に住んでいた日本人女性が、同県の打雀廟で「単」という女性に襟巻き二本と紙に包んだへその緒と一緒に預けた。9月18日、養母「王馬氏」と養父の姉「劉王氏」の二人に打雀廟で引き取られた。 |
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右手の甲に三日月形に並んだホクロと背中の右上に5cm大の痣があったが、いずれも10年前に消えてなくなった。 |
個票 |
h1807 |
平18 |
張 盛華、チョウ セイカ、男、1ヶ月位、O型 |
父、母、姉、兄 |
奉天省奉天市 |
昭和21年4月、奉天市鉄西区の建物の2階で、養父「張永賢」夫婦と、同郷の「李文広」夫婦の4人に引き取られた。建物には大勢の日本人が避難していた。姉、兄はいずれも帰国したらしい。 |
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右腕に3個のホクロ。 |
個票 |
h1901 |
平19 |
趙 継、チョウ ケイ、男、2〜3歳、B型 |
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浜江省双城県 |
終戦後、浜江省双城県で、養父「趙衡銓」夫婦に保護された。当時、養父は小学校の教師をしていた。 |
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後頭部に横2cmの傷跡、背中に2つのホクロ。 |
個票 |
h1902 |
平19 |
陳 鳳蘭、チン ホウラン、女、5歳位、O型 |
父・母 |
北安省徳都県 |
昭和20年10月頃、北安省徳都県龍鎮街の古い倉庫で母と二人で雨宿りしているところを、通りかかった養父「陳仁栄」親子に子供服と二本の印鑑(丸印と角印)とともに預けられた。印鑑は、養家の火災で焼失した。 |
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個票 |
h1904 |
平19 |
李 鳳朝、リ ホウチョウ、男、3歳位、A型 |
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奉天省奉天市 |
終戦後、奉天市の十間房付近にあった国民党警備司令部の階段に腰掛けているところを、養父の親友の「斉慶年」に連れ去られ、養父「李香馥」に渡された。 |
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右足外側くるぶしの上部に丸い傷跡。 |
個票 |
h2001 |
平20 |
康 玉芹、こう ぎょくきん、女、4〜5歳、B型 |
母・弟 |
三江省方正県 |
終戦後、三江省方正県で、オンドルの上で亡くなっている母の傍にいる時、養父「康宝」に引き取られた。 |
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個票 |
h2003 |
平20 |
李 義華、り ぎか、男、2ヶ月位、O型 |
父・母 父母は開拓団で働き、新京市南関区七馬路に住んでいた。 |
吉林省新京市 |
終戦後、二馬路長春街の長白山理髪店の主人「劉凱南」(リュウガイナン)夫妻を介し、鉄道病院で養母「趙英」に引き取られた。 |
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左耳たぶの下が欠けている。 |
個票 |
h2101 |
平21 |
曲 美琴、きょく びきん、女、4ヶ月位、A型 |
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吉林省新京市 |
昭和21年春、新京市西三道街(ニシサンドウガイ)の養家において母の友人という日本人女性を介して養母「楊維真(ヨウ イシン)」に預けられた。養母は終戦前、同所で日本人相手に洗濯をする仕事をしていた。預けられた時、綿入れを着て、白いカバーのかかった花柄の小さな布団にくるまれていた。 |
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右肩にホクロ。 |
個票 |
h2301 |
平23 |
杜 春泉、ト シュンセン、男、1〜2歳、O型 |
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奉天市 |
ソ連参戦後、奉天市の難民収容所(学校)に避難した。昭和20年冬、同収容所で第一養父「王乃生(オウダイセイ)」に引き取られたが、養父が間もなく死亡したため第二養父「杜永龍(トエイリュウ)」に預けられた。 |
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右足膝に手術のあと、首の後ろに小さいあざ。 |
個票 |
h2401 |
平24 |
時 洪告、ジ コウコク、男、2歳くらい、B型 |
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撫順(ブジュン)市 |
昭和20年の秋か冬、撫順炭鉱で働いていた「蘇達山(ソタツザン)」が日本人の子供4人(女児3人、男児1人)を連れてきた。そのうちの1人である本人は「蘇達山」から養父「時徳栄(ジトクエイ)」に預けられた。
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なし |
個票 |